2017.10.18

つれづれメモ

昨日夜、相方と歩いて25分ほどの投票所へ。夜の暗さが心地よくて目が休まりました。あわただしい日常のなか、こういう夜の散歩の時間、いいな、と思った。投票の後は久しぶりに地元の喫茶店でお夕飯たべた。

このところ夢が鮮明すぎて、起きぬけにどちらが現実だかわからない感じの毎日。

今朝の夢では、お世話になっている病院に行っていました。待合のろうかは気持ちの良い風が通り抜ける(現実の病院とはぜんぜん違ったけど、ここはそこの病院だということに夢ではなってた)。茶色のふかふかのじゅうたんがひいてあって、小さな鳥が、なぜが4つ足歩行をして、ねころぶわたしのすぐ横をたたーっと通り抜けていった。

やっぱり4つ足歩行のほうが早く進むなあ。人間は2足歩行になっちゃったからなあ、と思ってた。。。

さまざまな生き物が行き来できるこのろうかの待合室は、よいところで、ごろ寝してもよいことになっていて、なごんだ。

しかし病院に来たはいいけど、かかりつけの先生には、前回来た時に、なんで来たの?もう来なくていいんだよ、というようなニュアンスのことを告げられていたから、また来ちゃった自分を持てあましていました。同じ科の別の先生に受診したらいいかな、とかいろいろまごまご考えてた、夢の中のわたし。

たぶん、自分としては主観的にはヘルプを求めている、でも客観的にはわたしはぜんぜんだいじょうぶなのだ、というのが、最近の現状なのだと思う。。

生き物との交流が足りてない、というのもありそうです。

仕事がたくさんあって、季節の変わり目でもあるから家の中のこともいろいろ宿題がたまっていて。焦る。。

選挙のことも気になるし(とはいっても、これまでになく落ち着いて静かに居られてるのだけど)。

自分をもう少し大切にしたいと思うようになってきました。これまでも自分勝手に生きてきちゃったのに何言ってるんだ、という感じだけれど。。。

つい最近の、世界のありようについての、ある気づきは、まさか、という気持ちで、かなり地盤がゆすぶられたみたいでした。頭が物理的にくらくらした。。。まだこのアップデートされた現実になじみきれてない感じ。

このとこあったかいお風呂がなによりの幸せです。湯船で毎回居眠り。。

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2017.10.14

流れ星が

Img_2436 さじフェスから帰ってきて、2日ほど、ほけーっとしていました。

5月のアレクサンダーテクニークの合宿の後、しばらく使い物にならなくなった自分も思い出してしまって、さじフェスが終わってすぐ次のことができる相方や知り合いのみなさんにくらべて、自分はなんでこうなっちゃうんだ、と情けない気持ちに苛まれてました。

5月のときは120人ほど、今回は50人ほどの場だったけども、大人数が集まる場所への苦手感は自覚してたので、なるべく疲れ果ててしまないように、意識的に休むことを考えつつ過ごしたつもりでした。それでもやっぱり今回も、いっぱいいっぱいになってしまった。

最終日の夜、相方と二人きりになって電車に乗っていたら、グリーンウッドワーク関連イベントの帰り道にいつもやってくる、自分の不器用さ・作業の遅さについての悲しみが、また、どどーっとやってきました。

それに打ちのめされつつ、長良川鉄道の駅のホームがそのまま入口になってる温泉に入りにいきました。

露天風呂の湯船につかってぼうっと、ものづくりのいろんなスタンスについて考えて、木工家や職人とはまた違うものづくりのスタンスもあることを思い出してたら、スーッと、流れ星が、天頂からななめ45度くらいまで、長い尾を引いて流れていきました。

びっくりした。と、同時に、初めてグリーンウッドワークでのものづくりを教わった、マイクさんの森での日々でも、最終日の夜、、森の縁にある広い原っぱでに出て、ひとりで夜空を見上げてたときに、流れ星がひとつ流れたこと、思い出しました。

あの時も、今回も、不器用な自分に場違い感を感じてたけど、星が流れた瞬間に思ってた、「まずはやってみる」「自分なりに工夫していく」「とにかくやり続けていく」というスタンスの人からはやっぱり元気をもらえるなあと思いました。

もちろん、木工のように刃物などの道具を使う手仕事だと、道具の使い方はやっぱりちゃんと教わることが大事だと今回もしみじみ体感しました。体をどう使って刃物を支えるか、材を支えるか、どう刃物を使いこなすかによって、まるで世界が違ってくるんだなあ、と。。。

だからちゃんと教わって習うことの意味はある。。のだけど、なんというか、それと職人魂とは、別物だと感じていて、職人魂に触れると、なぜか自分はものづくりにかかわっていてはいけないような気分になるのが、興味深い。。

「いいものをつくれる」技術がないと、つくる資格がないかのような気分、というか。。。

開き直って、しろうと魂で好き勝手にやっていこう、と思うのだけれども。というか、わたしにできるのは所詮それしかなくて、なのでこのブログでグリーンウッドワークについてこれまでもいくつか書いてるけど、「読まれる方は、これはわたしの好き勝手バージョンの手探りのグリーンウッドワークであることを、踏まえておいてほしいです」とわざわざ明記したくなるのだけれど。

Img_2433 でもそもそも、グリーンウッドワークはスウェーデンのslöjdのように生活道具を身の回りの森の恵みで自分でつくる、そういうたしなみのような、万人に開かれた営みだと思ってきていて、だから別に職人さんのようになれないからといって、職人さんを目指せないからといって、やってちゃいけないわけじゃないね、と思ってもいて。

なのにこの「場違い感」や「人並みにできないことの悲しみ」に毎回こんなにゆすぶられるのはなんなんだーと思いつつ、デンマークの心理療法士の方が書いたHSPと呼ばれる資質の人々についての本を読んでいたら、そういう人が「過度に刺激を受けたときにするお勧めの活動」のリストの中に「彫刻を彫る」という項目があって、目にしたとたんにどっと涙があふれてきました。

そうか、なんだかしらないけど木削りをしたくてしょうがないのは、そういう理由だったのか。。?と気付かされた。

自分が大勢の人の中にいるとき、いろんな物音や気配の渦中にいるとき、時間的に焦って作業をしているときに、おもいのほか憔悴しているらしいこと。。木削りや手仕事は、自分にとっては、コーピングの手段だったらしいこと。。。

たすけてもらってきたのだったかー、木削りには。

知らない街に引っ越して大学の寮に入ったばかりのとき、なじめなくて、中華街で衝動的に彫刻刀を買って、近くの工事現場に落ちてた木端を拾ってきて、夜な夜なわけのわからないオブジェを削っていた自分を思い返すと、まさにそうだったのかもしれなかった。。。

ただ木を削る、それがやりたかっただけだった?その言い訳として、生活に役立つものをつくろうとしてきた?

ただ海に入って浮かんでいたくて、その言い訳としてサーフィンをやろうとしたみたいに?

ただ木に登りたくて、その言い訳として、高枝の剪定をするときみたいに?

言い訳がなんで必要なんだ、と思うけど、意味のあること・意義のあること・生産的なことをしてないといけない、と思ってるんですね。大人として、日常の時間を割くならば、そうでないと、と。

ふと、先日たずねた鹿児島のしょうぶ学園(知的しょうがいのある方たちの支援施設)で、木工をしている利用者の方々のこと、思い出しました。鑿と材を渡して、お皿を彫ってもらおうとすると、どんどんどんどん彫り進めて底に穴があいてしまうまで止まらなかったりする、そして穴があくとご本人はうれしそうにしていたりする、と聞きました。

一心に彫り進める、その活動に「快」がある。。活動そのものに意味があって、結果としてお皿が完成するかどうかは、活動そのものにくらべたら二次的なことだという境地。。

そして、こういうものづくりのベクトルもあってよいこと、こうやっていくなかで結果としてできあがった「なにか」は、また別の意味で「いいもの」になる、工夫次第で「すごくすてきなもの」になることを、しょうぶ学園の活動からはびしびし感じます。

思い出すと、元気が出てくる。ありがとうの気持ちです。

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2017.10.12

さじフェス2017

今月初めの連休は、岐阜・美濃市でさじフェスに参加してきました。スプーンづくり一色の3日間、濃かったです。。 :)

近年自分はすぐいっぱいいっぱいになりがちで、今回もそうだったけども、でもやぱり行けてよかったな、とじわじわ感じてるとこです。

Img_2465_2 Img_2620 Img_2534 スウェーデンから生木の木工(グリーンウッドワーク)をされるヨゲ・スンクヴィストさんが来日して、森でスプーンづくりにいい木を探すところからスタートして伐採→割って→斧ではつって→ナイフで削って、という一連のスプーンづくりの工程を見せてくださいました。そして10種類のナイフワークを教えてくださって、最終日はみんなでスプーンを削ってみました。

前にマイクさんの森の工房で、アシスタントのジョージョーさんから教わったナイフワークは、この北欧の伝統の(ヨゲさんがお父さんから受け継いだ)ナイフワークだったのでした。ジョージョーさんが教えてくれたのは確か5種類くらいだったけど、今回また別なグリップも教わって、北欧の木削りの奥深さに改めて感心しました。

ヨゲさんのお父さんのヴィッレさんは御歳92歳。あまり腕力がなくても削れるゆえに現在ヴィッレさんが多用しているという、skewとよばれるナイフグリップなども教わりました。このグリップは子女にもよいのではないかなーと思った。。

Img_2438ヨゲさんのつくるスプーンは、ひとつとして同じものがない、とのことでした。それというのも、材によってデザインが影響を受けるから。その材がどんなふうになりたがっているか、によって違うふうになっていくのでした。木目、木の繊維をなるべく断ち切らないことで強度と軽さを両立させていく木取りのしかた、ほんとーうに好きです。木と人のコラボレーションのような。。。そしてスウェーデンの民具の伝統的デザインに影響を受けているカラフルでかわいい彫り模様も、めちゃくちゃすてきです。

スウェーデンのslöjdとよばれる木工の伝統は、そもそも、生活の中で必要な道具を身の回りの木々から手作りしてきた伝統で、なんとういか、かつてはふつうにみんながやっていたことのようでした。

ヨゲさんのお父さん、ヴィッレさんが木削りにのめり込んでいったきっかけもとってもおもしろかったのだけど、木削りが生活するうえでのたしなみのようなものだったからこそなのか、ヴィッレさんが家の中で木削りをして木くずを散らかしても、ヴィッレさんのお母さんは一度も文句を言ったことがなかったそう。

そんな連綿と続くslöjdの伝統から、ヨゲさんがもっと自由になって、ものづくりをもっと独自に展開するきっかけになったという、9歳の娘さんとのエピソードもすてきでした。

* * *

さじフェス2日目には日本のスプーン・杓子づくりの職人さんたちお三方の講演と実演もあって、すごかった。。三人三様で、とても興味深かったです。職人魂にぶっとばされ、はるか遠くにとばされすぎて、「自分はこんなとこに来ちゃいけなかったかも」という場違い感にさいなまれもしたけれど。。。そんなすったもんだしつつも、持ち帰れるインスピレーションはたくさんいただけました :)

Img_2588 日本古来の生木の木工、有道杓子づくりを継承されてる奥井京介さんが、杓子の材料にされてる朴の木との関わりをなんというかホリスティックにお話しくださったのが、今でも印象に残っています。

秋になって朴の木の大きな葉っぱが落ちると、地元のおばあちゃんたちはそれを拾って、水に浸けるんだそうです。そして朴葉みそなどに使われる。

朴の木の特質と飛騨地方の気候を踏まえて、奥井さんは杓子づくりは冬のあいだだけするそうです。(今回秋に杓子づくりの実演をしたのは、そういう意味では異例だったんだなあ。。)

地元の方々の生活の中に、四季のめぐりの中に、朴の木と、朴の木を使ったものづくりが位置づけられていることが、妙にうれしかったです。

* * *

Img_2615 Img_2622 S__8069128_xlarge 2日目夜から相方が合流して、一緒にスウェーデン風のスプーンづくりを体験しました。スウェーデンではバーチをよく使うとヨゲさんはおっしゃってましたが、今回は生木の朴の木で。

初めての斧でのはつりに挑戦しました(ナタと斧のチョイスがあったのだけど、その前の工程で出遅れて、道具を取りに行ったら斧しか余ってなかった汗)。めちゃくちゃ四苦八苦したし、いつものごとく作業が遅くて焦ったりしたけど、でも斧使いのコツを教わって、少し思うように扱えたときには、楽しいな!って実感も来ました。でも、基本ずっと、わーっとなってました。。。

相方はとにかく楽しかったらしくて、そして自分のスプーンをすごく気に入ってるみたいで、なんか、それがなによりだなあって思いました :)

Image_xlarge Img_2661 Img_2665 二人とも時間内に完成するとこには行かず。。フェス最終日の翌日はふたりでちょこっと河原で続きをしてみました。せせらぎの音を聞きつつのナイフ作業、楽しかった!まだ終わらなかったけど。。

日本初のさじフェスを企画、オーガナイズしてくださった森林文化アカデミーの久津輪さん、グリーンウッドワーク研究所の加藤さん、アカデミーの学生さんたちには、ほんとにお世話になりました、ありがとうございました。グリーンウッドワークのお仲間のみなさんにも久しぶりに再会できてとっても嬉しかったです :)

Img_2565 物販もかなり充実してたのです(ただ自分に心のゆとりがなさすぎて(汗)あああ。。。。。)

夜の懇親会では大好きな五平餅の作りたて焼きたてをたくさんいただけたり(ナッツの自家製タレが最高でした!)、美濃の豪華郷土料理をふるまっていただいり(みんなおいしかった、こんにゃくが特に最高でした!)、休み時間にはハンモックで寝てみたりできたのも、すてきでした。

* * *

Img_2540 Img_2544 余談。ハンモック寝に関しては、なかなかおかしかったのでした。

今回テント泊でなくコテージ泊にしましたが、せっかくなのでハンモックと寝袋、シュラフカバー、エアマットだけ持参して、1人で泊まる一泊目は初めてのハンモック泊をしてみようと思い立ちました。

雨の予報はなかったけど、念のため、東屋のようなとこにハンモックを吊りました。前夜は夜行バス泊であまり寝てなかったので、わりと早めの時間に寝袋にエアマットを仕込んでハンモックにイン。寒いと思ってかなり厚着をして、万全に。。そしたら暑すぎた^^;

前日まで寒かったのに急にあたたかくなったのでした。あついなーと思いつつ、しばらくいたら、蚊がやってきて。。ぶんぶん周りを飛ばれて、顔をさされたので顔をシュラフカバーで軽く覆って、全身覆われたかたちで少し寝ました。

ときおり、コトンと、どんぐりの実が木から落っこちてきて音を立てていました。あとは木々のさやぐ音。ハンモック寝に慣れないうちは少し窮屈に思ったけど、ふっと体がゆるんだときがあって、そしたら逆にすごく楽になって、寝返りの必要を感じないくらい快適な体感がきました。これは意外でした。

しかしやっぱり暑くて、しばらくして寝袋の中でウールの靴下を脱ぎ、それからシュラフカバーをはいで、上半身を寝袋から出してみたら、ハンモック越しに微風が気持ちよかった。向こうの山々の気配も。

で、なぜか、「もう蚊に刺される気がしないぞ」という万能感が来て、そのまま寝ました。

そして。。夜中1時前くらいだったかな、痒みで目覚めました。あの万能感はなんだったんだ^^;

で、二連夜寝不足はさすがにまずいので、大人しくコテージの部屋に撤退しました。。。

この季節、もう蚊はいないと思ってたけど残念でした。もすこし寒くなったら、またやってみたいですー。

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2017.10.05

おかしなぬりえ

<おかしなぬりえ>

わたしのカタチ
わたしの過去のカタチ

トレーシングペーパにざざっと写し取られて
色を塗られてしまうってあるんだなあ

思いもしない色を塗られてびっくり

でもそういう自分も確かにいたのかも
なんて思い始めて

おかしなぬりえを
じいっと眺める

違和感をずるずるひきずりながら
この違和感は大事だと思いながら。

でもほんとうは
ほんとうにほんとうは

よその人が知ってるんじゃなくて

わたしが知ってるんだよな!
わたしのトゥルーカラー

心通わせてきてくれた
家族も知ってる

ねこのにゃみちゃんも知ってる

これはただのぬりえ。

違和感を感じるものには
気が引かれるけど

「ちがう」とわかったらもう
じいっと眺めてなくてよかったんだ

ふっと風にのせてしまえばいいことだった

ちがうよ、おかしなの描いたねえって
笑ってればいいことだった

おかしなぬりえに
まじめに接するのが礼儀と思っちゃって
埋没しちゃってたな

さわやかなとこへ出てこよう
正気にもどろう

さわやかにくつろいで
刻一刻変わりゆく自分でいることが
わたしにできるいちばんのことだって

だんだんわかりだしてるんだ

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2017.10.02

毛糸を編む、かごを編む

ぎりぎり締め切り仕事→人にたくさん会う仕事とつづいで、しばらくぶりに野山で眠りたい欲求がぶわんと来た本日です。でも明日はまたお外仕事なので、しばしこらえて。。。今週末にはうまくいけば、野山寝ができるので、それまでがまん。

政局が気になるし、自分ごとで手一杯になるのはむむむ、と思うけど、意識の視野の中に人間の分量が多くを占めすぎると、やっぱり大変になる。。ヒトは、自分と同じ種なだけあって、情報量が微細でたくさんだから、処理が手一杯になるのだろか。

気がとぎ澄まされていながら深くやすまるのは、野山で眠っているとき。

いつか、人のなかにいても深くやすまるようになれたら、と思うけれど。。

東京に電車で出るときは、いつも向かい合わせの席がある車輛に乗って、向かい合わせ席の窓側の隅っこに座れたら、短い棒針で小物を編んでるこの頃です。少し肌寒くなってきて、また編みたくなってきた。

編み物していると身の回りに結界ができるような感じもなぜかあって、助かっています(でも急停車したりしたときにまわりの人をぶすりとやらないようには、いつも気をつけてます)。

Img_2090 (あ)さんがくださった、遠い島で海藻を食べながら育った羊の毛糸の、この赤に呼ばれたので久々に棒針を出してきたら、同じタイミングで近所ですごい便利グッズに出会って、ごきげんになりました。手袋と帽子の形をした、編み針まとめ用ゴムキャップ。

靴下を編むときにはいつも4~5本の短い編み針を使うんだけど(この特別な毛糸は靴下にはもったいないのでアンクルウォーマーにしようかなと思ってるけど)、編んでる途中のそれらの編み針を全部まとめて、両端をゴムキャップでとめられると、まとまりもいいし、目が編み針から外れる心配もなくて、移動時にとーても重宝しています。

ドイツ製みたい。Prymというメーカーさん。ドイツとか、北欧、バルト三国とかは、手袋や靴下や帽子といった小物の手編みがさかんなイメージが自分の中にある。こういうグッズがちゃんとあるってラブリー。

* * *

編み物は途中でいったんやめるのがもう上手にできるようになっているから、安心していつでもできてよいのだけど、手仕事の欲求はふいとやってきて、やってくると去りがたいことがしばしばあって、こまります。

こないだはやらなきゃいけないことのまえに、やりたいことをしてみよう実験をしてみたら、やりたいことだけで1日が終わってしまった。。ということがありました。自分、やりたいことやりだすと妙に集中しちゃって止まらなくなるんだった。。と改めて思い知らされた。。

Img_2400 Img_2403 Img_2404 あの日は、すこし前の暴風で倒れちゃったジャスミンの蔓切ったので、バスケットをつくりたくなって、枠をつくったのでした。

編み込むほうの蔓はジャスミンのよこに伸びだしてた野草の蔓をつかったけど、足りなくなって、いったんここで止まったのだけども。。。

Img_2405 Img_2408 Img_2409_2 もひとつミニサイズを作り出して、そちらにはおゆうはんのご飯に入ったトウモロコシの皮を割いて編み込んでみたくなって、そしたらまた止まらなくなって、皮を使い果たすまで一気に。。でも皮も足りなくなった。

それでやっと立ち止まって、1日を振り返って、切ない気持ちに。しごとたくさんあったのに。。いそぎのもあったのに。。。。。 翌日はもうれつな勢いで仕事して、リカバリーしました。

秋はいっそう、いろいろつくりたくなる季節なんだよなーと過去の記録を見てもわかる。。どうしたものかな。途中で休む、に意識的にとりくむべしかな。。
 

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2017.09.20

音楽と

このあいだの激しい雨で、大家さんとシェアしてる中庭側のジャスミンが、ばさりと倒れてしまった。3号ポットに入ったひょろんとした苗を何年か前に取り寄せて、端のほうに植えたら、はじめはゆっくり、何年かしたらぐんぐん大きくなって、窓を覆って屋根にさしかかるように伸びてくれていたのに、倒れてしまって、気の毒でした。

でも幹が折れたわけではないから、そこまでダメージはない、と思いたい。。。だいぶ切って、軽くしてから、軒先に紐でつないで起こしてあげてみた。

Img_2103 つぼみがたくさんついてた枝先は、束にして活けて、あとは初めてつくってみたスワッグなるものにも少し加わってもらいました。ジャスミン以外は、「猫の額庭」のみなさん(センダン、ヒメヒマワリ、ローズマリー、ミズヒキ、ヒバみたいな木、アスパラガス、アイビー)と、前にいただいた花束に入ってた白のスターチス(ドライにしといたもの)。

Img_2110_2 朝起きてすぐ、花屋さんごっこみたいにして楽しくつくりました。

Img_2106初めてなので、みんながドライになってくとどうなるのか、日持ちはどうなのか、ぜんぜんわからないけど。。(ゆ)ちゃんのお誕生日ライブのお祝いに、譜面台と壁に下げさせてもらいました。けどなかなか楽しげな感じになってよろこんでもらえて、うれしかった。。 :)

21752071_197302397478063_38776172_2   Photo_3 会場の写真とりそびれてたのだけど、(や)ちゃんがすてきな写真撮ってくださっていました。載せてもいいとのことだったので、載せさせてもらいました♡ありがとう。

うたをきく体験が重なってうれしいこの頃です。

+ + +

<音楽と>

うたをきくときはなるべくからっぽでいたい
絵を見るときも

ややこしいものぜんぶ置き去りにして、呆けて
ただ出会う

ってなったときの至福の体験は

透明のミルフィーユみたいになって
からだの中に残ってる

これが礼儀だと思うのに
勇気が足りないことも多くていけないな
この勇気は出さなくちゃだよ。。。

振り切っていかなくちゃだよなあ。。

と思いつつ、ちゅうとはんぱにからっぽだって
それだっていいんだな、
受け取れるものを受け取って
それでいいんだ。。うん

自分にやさしく
よくばりとないものねだりはやんわりいなして
ほんわかと、いまここにいよう

このあいだの坂口恭平さん&寺尾紗穂さんライブ
坂口さんが即興でうたってくださったうたと
おふたりによる坂口さんの曲「霧」と
アントニオ・カルロス・ジョビンさんの曲「三月の水」が
今も心に残ってる

空中でなにかがはじけるような手触りとかも

時空のちょっとゆがんだすきまに
一瞬すべりこむような感じとかも。。。

築地の市場からすぐの、路地の奥、

2階に上がったら、
ちょっと教会みたいな白い空間でおどろいた

西岡恭蔵さんの曲「グローリーハレルヤ」のときは
涙が出てしかたなかった。。

空気の粒子がだんだんそろっていくようだったな
うたがうたわれていくうちに

しあわせでした

そしておとつい夜の(ゆ)ちゃんのライブは
山あいの虫たちの合唱がずっと聞えていて
そのなかにうたとギターが紛れ込むように響いて

風景みたいだったな

部屋の中にいるのに壁がないみたいで
(ゆ)ちゃんのうたごえはずっと風の音みたいで

(じゅ)ちゃんのうたも笛も
(あ)さんのギターも

風景にすべりこんでいくようで

やさしさがあって休まった。。

壁がまるでないみたいだった小さい食堂の
しっくいの白い壁と木の床と古いガラス窓とは
なんというかエーテル的に(?)
みんなをすっぽり包んでくれていた感じがしたな

あの場にあった、安心感みたいな、あの感じは
店主(じゅ)ちゃんの、
居合わせていたみなさんの、
うたいかなでてくださった3人の、
ぜんぶが合わさってのことだったのかな

みんなにありがとう

音楽にありがとう

(9月15日、築地パレットクラブ/9月18日、ふたこぶ食堂)

+ + +

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2017.09.11

耳を開いて眠る

忘れないうちに、書いておきたかった。。

Img_2055 こないだ(み)ちゃんに誘われて初めて行ったキャンプ場は、国定公園の中にあって、ちいさな湖とその向こうに山々があって、湖畔は草がきれいに刈ってあってふかふか。少し行くと森の中を歩ける遊歩道も整備してありました(写真は対岸から私たちのサイトを見たところ)。

大きなネムの木の下にテントを張らせてもらって、タープはネムの木と、反対側のモミ(?)の木に綱を渡して張らせてもらいました。

あたりに車道がないので、とても静かでした。車の音は、このキャンプ場にやってきた車からだけ。車は駐車場までしか入れなくて、サイトにはねこやリヤカーで荷物を運ぶようになっていて、それもよかった。

こんなに静かで車の音のしないキャンプ場は、大島のトウシキキャンプ場以来で、本土では初めてだったかも。

Img_2039 金曜夕方について、焚き火をゆっくりして、ごはんを食べて、ほぼまんまるのお月さんが空に上がった頃に、早めに寝袋に入りました。

眠りに落ちてから、ずうっと、あたりの鳥や虫たちの声や、風の音、木々の葉っぱがゆれる音、葉っぱが落ちる音が、ほんとうにほんとうに鮮明に聞こえていました。

でも、ずうっと聞こえていたってことは、寝てたんじゃなくて起きてたってことじゃないか?と、翌朝起き出してからハッとした。。。でも感覚としては、眠っていた感覚でした。すごく深くリラックスしていて、これはもう自分は眠っているのに間違いない、という感触なのに、まわりの音はずうっと聞いていた、という。。。

なんだか不思議な体験でした。とても、満たされていました。

明け方になって、テントの外に出たらタープの端に小鳥がとまっていて、そのむこうに猫がいて、ちょうど小鳥の背中の上に猫がのっているかのような構図になっていたので、おもしろくなって写真をぱちりと撮った、という夢をみました。これはあきらかに夢だった。小鳥がいやにアニメみたいな、イラストみたいな、輪郭をふちどりされた鳥だったから。

で、夢を見た、ということは、明け方は確実に眠ってたんだな、と思いました。すごくリラックスしていたとはいえ、徹夜したわけじゃなさそうで、よかった、と。

ふだん、たまに寝付けないときは「眠れないな」という自覚をもつし、なんとか寝ようとしたりいろいろすったもんだするのだけれど、そういったすったもんだは皆無だったし、だいたい「眠れないな」という意識もみじんもなくて、すっかり安らいでいました。眠っているのと同じくらい。。 そして同時にいろんなふしぎな鳥の声とか虫の声をじいっと聞いてもいたのです。

すてきな夜でした。

+ + +

翌朝はみんなより早起きして火を起こしてお湯を沸かしました。蚊がいたので、焚き火を蚊よけに。。

そのうち起きてきた相方は、ギターでアイルランドの古い曲をつまびいて。そしたら小鳥たちがにぎやかに歌いながら上空に集ってきて、そのうち一羽のハクセキレイはわたしたちのテントの脇のモミ(?)の木のてっぺんに止まった。

Img_2049_3 モミの木のてっぺんに止まる小鳥の姿って、まるで絵本に出てくるようにかわいかったです。ハクセキレイは声もかわいくて、たまりません。大好き。

湖は風の通り道に応じて水面に鑿で彫ったような波紋をつくっていて、その波紋が立っているところとそうでないところの分布が、やっぱり絵に描いたようにきれいな曲線で分かれていました。

鴨が朝から泳いでいたので、手を振ったら、ちょっとこちらに気を向けてくれたので、おはよう、とあいさつをして、ちょっと手招きしたら、なにげにこちらへ向かって泳いできて、そのまま岸に「よっこらしょ」と上がってきたので、ちょっとおどろきました。芝の間のなにかをひとつふたつついばんで、しばしぶきっちょに歩いてから、水の中へ帰って行きました。水の中ではまたスイスイと自由な動き。。。

Img_2040_2 Img_2041Img_2044ゆっくり朝ごはんの準備をしました。焚き火で沸かしたお湯でコーヒーを淹れて。カップ状に半切りにしたピーマンをあぶって、中にうずらの生たまご、プチトマトの切ったの、ニンニクのみじん切りを入れて焼きました。

このうずら卵 in ピーマンは、去年のキャンプでやってみてからおいしさに開眼したメニュー。手で持ってパクッと食べられるところも気に入っています。シンプルで簡単で、すごくおいしいです。

あとは昨夜、おゆうはんの後、相方がナスを焚き火でじっくり焼いて、割いておいたのだけど、それをニンニクとしそとお塩とオイルで和えて茄子のペーストにしてくれました。焚き火でトーストしたバゲットにこれをのせて、いただきました。美味でした!

朝食のピーマンも茄子も、昨夜のメニューの、スパイスから作った本格ベジカレー&サラダのジャガイモもトマトもタマネギも、(み)ちゃんの自然農の畑からダイレクトにやってきてくれた恵みです。(ゆ)ちゃん(み)ちゃんのおかげで、いつもキャンプごはんは、野で食べるにしては豪華すぎるすてきごはんをいただいています。。。ありがとう。

ほんとにバババッと荷造りをして、ごはんもおやつもメニューのアイデアないままに、あるもの、目についたものを持ち寄った今回だったけど、それでもこんなに豊かな食卓を、おいしい空気とお水といっしょに楽しませてもらって、しあわせでした。

おやつには、あまってたマシュマロを持参してたのを、道中で買ったチョココーヒービスケットと組み合わせて、スモアにしてみた。これもビスケットを買った時には考えてなかったけど、焚き火のそばでひらめいて。じっくりマシュマロを炙って、ビスケット二枚でパシッと挟んだら、ビスケットのチョコ部分がマシュマロの熱でとろけて、いい感じになりました。

Img_2052 湖の回りは1周歩けるようになっていて、湖畔の木々はひのきの植樹してある地帯と、広葉樹の地帯と両方ありました。釣り人が早朝から大勢来ていたっけ。おひとり、おじさんとお話したら、「2日に1度は来てる」とおっしゃっていてびっくりした。「家にいるよりここにいたほうが、涼しいんだよ」とにっこりされてた。

ここは魚を毎年放流しているそうで、釣ったらすぐにリリースする流儀だそうでした。

前回5月に4泊キャンプ場に泊まりつつ通いの仕事をした後で、体調をがたっとくずして、それ以来、どうもキャンプと体調の崩れをつなげて記憶してしまっていたみたいだったので、今回はそれをヘルシーに切り離して、またキャンプのすてきさを思いだしたい、という希望がありました。おかげさまで、それは十分に叶いました、ほんとによかった。

それにやっぱり野に眠る喜びが、はんぱないことを、思い出せてうれしかった。

次は虫の心配のない季節に、テントなしで寝たいなあ。。前に、寝袋ひとつでお空の下で眠ったときの、あの、なににもたとえようのない安らぎを、思い返しています。

でも最近はゲリラ豪雨とかもあるから、寝袋ひとつで野で眠るのは、やばいかなー。。タープとコットで、とかがよいかしら。地面の感触が好きなので、コットはちょびっと残念なんだけど。。。

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2017.09.07

T2/満月の朝

21367034_10212459892146409_87881398 少し肌寒くなってくると、マヤナッツがしみじみおいしくなる〜。。◯  徹夜仕事のあとにはとくに最高においしいす。ありがとうマヤナッツ。。

ひさかたぶりに完全徹夜。。十数時間のマラソン集中で、ルビの振り間違いとかありそうでこわい、と思いつつ、ひとまず、手を離れたものはリリース。。。です。

全力出しきる、マラソン走りきる、みたいな仕事の仕方はやっぱりよくないのはわかってるのだけど、締め切りの都合で今回は仕方なかったのでした(そして明日からキャンプに行きたい、という自分の予定も大切にしたくて)。

こういう無理をしないようになってから安定してきてたのにーと思う一方で、最近本気を出すってこともしてなかったから、うだうだ感に覆われていたのかもしれないよ?とも思ったりもする。

冥王星をぐいと動かすようなことを、たまにしないと、わたしの場合はバックラッシュが来るんじゃないか、という仮説があって。。。ここのところはまだまだ検証中です。

冥王星をぐいと動かすようなのの対局にある、あの、花がひらくときのようなエネルギー、筋力とかでないもっと循環する生体能力みたいなあの力に、ものすごくあこがれを持ちつつ。。。

バランスとバライエティをこう、とおくから眺めているようなふうです。

とりあえず、すごくしょうもないことをいつもいっぱい考えているから、それはもっと減らしてもいいように思えています。

”ぼんやり力”を高めることで元気にすごせます、と野口整体のせんせいに言われてから、ときどきそれは心がけてはいる。

さてはて。。

ここさいきんのなぐり書き。

+ + +

<  T2 

今日は風がないな
しっとりした空気
雲にミュートされた午前の薄光に
植物たちの緑、黄緑がやけにあざやかだな

急に終わったとおぼしき夏を懐かしみつつ
長袖シャツを着て仕事に向かう

ずっと調子が上がらないままの日々

すべては精神状態ひとつ、とわかっていても
翻弄されつづけてる

うまく自分をきりもりできずにいてねえ

ささいなことをもっと気にしないようになりたいな

そのためにはもっと、「集中」の濃度を上げることかな
「夢中」になるくらいまでに?

でも「夢中」のあとにはまた「霧中」になって
そうやって行ったり来たりを繰り返すって知ってる

できればもっとマイルドに
ワイルドでなくマイルドに
静かにくつろいで、冴えている、

そんな感じを増やしたいんだけど
自分の体質向きじゃないのかな

ささいなことを気にしたくないけど
ささいなことこそ大事だって予感もいつだってある

生まれたときから体の中に持っているT

2つのものが
折り合いをつけるなんてまっぴらごめん
と言っている

2つは真逆に向かってるんでなくて
お互いに対してちょうど90度
それぞれ、わが道を進もうとするだけで
相手に横槍を入れてしまう

前へ走り出そうとするときに横にはじかれる
ってきついんだよね

だから線でなくて面の意識
ベクトルでなくて場の意識
個々の視点を離れてさ
ふわっと空に上がって
二乗にした場のほうに
ピントを合わせられたらなあ

線としての前進よりも
面の広がりのほうに
よろこびを覚えていられたらなあ

成長神話の世の中にいても
場のふくよかさにくつろいでいられたらなあ

(9月4日)

+ + +

<満月の朝>

今朝目覚めて、ああ
なんて頭の中が被害妄想でいっぱい。。
と我にかえっちゃった

それらのあいだにぎゅぎゅっと挟まれているのってなんだ
ゴミ溜めの中で暮らしてるような感じ?

足の踏み場もなくて不自由してるのに
どうしていっこうに片づけようとしてこなかったろうね。。

この風通しの悪さが「ふつう」だと
思ってきたんだなあ、長いこと

若いころの自分はもうほんとうに四六時中緊張していて
ゆとりもよゆうもなかったし

(今だってさしてゆとりもよゆうもないけれど)

なかなかたいへんだったねえ

花 ひらく花

花がひらくときのような、繊細で前向きなエネルギー

ひらきつづけているときのような、繊細なゆるぎなさ

そういうデリケートな努力で
世界と関わっていけたらいいな

歯をくいしばって耐えるのは
もうだいぶんやってきたので、for a changeで

ほんとうに、ここから
このこころのそこから



自分のことばかりで手一杯て
ぶざまだな、と思いつつ
まあまあ、今の時期は、と
やんわりなぐさめてる



ゆっくり
48時間くらいかけて降ってくる
目に見えないくらい小さい透明の粒

いつも降らせてくれていて
ありがとう

(9月6日満月後)

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2017.08.30

キャッチ&リリース(気づく&流す)/生木で子供椅子(1)

おととい、乗り継ぎの電車をまっている夕暮れ前のホームで、何か急に意識にめまいのようなものが起きて、すべてをやめてしまったらいいんだなというような感覚が来た。

で、今朝も洗濯をなんとか終えたあと、またそのような感じになったので、書いてみよう、としてみたら、つらつらと出てきた自分の声は、最後には

もうだれのためにも
じぶんのためにも
なんのためにも
なんにもしたくないんだ

という「まとめ」へと終息していって、大「努力放棄宣言」になってた。。

そんなにふだん努力しまくりなのかー?と、自分で自分につっこみを入れつつ。この声が出てきたらぐらんぐらんとなって、からだが重たーくなってしまって、寝る以外どうしようもできなくなって、寝ました。今日のやらねばならぬことリストを全放棄して。。

夕方起きて、少し人間らしさ?を取り戻しているところ。少し頭痛がありつつ。。

でもこうやってすぐここに書いたりできてるこの頃は、うんとたくましくなっているというか、行ったり来たりがうまく(?)なってきたような。。

「来るものは拒まず、去るものは追わず」的に、おとずれる体験にこだわりすぎずにいることと、記録はとっておくこと(後で季節ごとにどんな感じだったかがわかるように)を、続けていければ、よいのかなと思う。。

* * *

グリーンウッドワークのことでもメモしておこう。ちょっとでも明るいほうを向こう。

「猫の額庭」の栴檀が、おとなりさんちにつうじる電線に枝がひっかかる高さまで伸びて、台風の前にはあの枝を切らねば、と思ってたのだけど、おとなりさんに会ったら「切ってね♪」とさわやかに言われたので、半月前の小雨の日に、剪定しました。

はしごをのばして、幹にかけて、幹の枝分かれしているとこに登って切りました。剪定は大人が大きな顔をして木のぼりできる、唯一の(?)チャンス。幹に抱きついたりもできるし。うれしかったです。

通りがかった郵便屋さんに「雨の中、ごくろうさまですね」と声までかけてもらって。(ごくろうさまなのは郵便屋さんのほうなのに)

この時期に剪定した生木が、グリーンウッドワークに向くかどうかな、と疑問はあったのだけど、立派に育った枝を見ていたら、無駄にしたくない気持ちがムクムクと。

で、樹液が動いてる時期の生木を使う実験として、やってみるかーと思いました。

8月24日
Img_1929Img_1930子供椅子はどうかな、と思って、まずはプランニング。パーツの切り出しサイズ(必要な幹の太さ&長さ)を書き出しました。

使えそうな枝をみつくろって、室内に搬入(それまでは外の石の上に並べて保管しておいた)。

どこのパーツをどの枝からとるかをだいたい決めて、クレヨンで印。
Img_1932
8月25日
パーツを削る前に、刃物の砥ぎ。ドローナイフ(銑)と、ついでにモーラナイフも。ドローナイフの砥ぎには、グリーンウッドワーク研究所の加藤さんが開発された、ドローナイフ専用の補助具を初めて使ってみた。すばらしかった! 砥ぎがぜんぜんへたっぴなわたしでも、角度がびしっと決まるので、なんとかできました。

この砥ぎ補助具は、森林文化アカデミーでの「グリーンウッドワーク指導者養成講座」を修了したお祝いの記念品として、講師のおふたりからいただいたものです。感謝しています。

8月27日
Img_1961 Img_1942_2Img_1960 子供椅子のパーツ(貫と座枠)の削り出し。削るときのこの感触、ほんとうにひさしぶりでした。ラジオを聞きつつ作業。

ノコで切って、フロー(マンリキ)で割って、小口に削り目安サイズを墨付けしたら、削り馬へ。銑で削るこの作業が好きです。

わたしの銑はちょっとおおぶりで重たいので、銑の重さにまかせて削る感じ。それも気持ちいいです。

銑で削り終えたら、パーツの長さを再チェックして、長すぎたらノコで切って。

両端にテノン(ホゾ)をつけます。鉛筆削りのおばけみたいなので。

ここまでを1つのパーツごとに一気に。順繰りにパーツを削り出していきました。

8月28日
Img_1963_2 この日は背板2枚を削りました。これで横向きのパーツは勢ぞろい。

これをゆっくり、カラカラになるまで、乾燥させます(貫の一部は芯持ちの枝をつかってみたので、急激な乾燥は割れのもと)。

次は、前の脚、後ろの脚を削る作業だけど、これらのパーツは、他のパーツと組むときの乾き具合が大事なので(湿りすぎず、乾きすぎずにしたい)、タイミングを見ているところです。やっぱりせっかく生木でやるので、釘なし・糊なしで組みたいので。。

Img_1962 ひさびさの木削りで、けずりくずの山が目にうれしくて、なかなか掃除する気になりません。やっぱりこれがだいすきみたい。

汗をたらりんとしつつ暑い中で削るのもいいですね。。

夏の材だけどうまくいくといいなあ。

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2017.08.27

海あそび・2/平成の装い

<海あそび・2>

Img_1039_1 

海は水着を着たまま行く
浜についたらすぐ波間へ

今日も海水浴です

ほんとにお風呂に入っているみたい
どこまでも広がる大きなお風呂

波がおだやかだったら
ひたすら波間に寝転がる
仰向いてプカプカ

入道雲ととんびを見上げて
太陽を全身にもらうんです


海はみんなとわけっこする
波うちぎわから波間まで

今日も海水浴です

一緒にお風呂に入っているみたい
波乗りのウミネコ、跳ねるお魚

すっかり涼しくなったら
のんびり砂浜に寝転がる
仰向いてウトウト

帽子を顔にのっけておいて
そよ風を全身にもらうんです

Img_1037_1

着替えはちゃっと浜でする
砂が熱かったらすぐ水辺へ

今日も海水浴です

一緒にお風呂に入ったときみたい
ほら、とパンツを見せてくれる友

うっかり見せてもらったら
フルーツみたいなすこやかさ
宙を見てクスクス

足を砂だらけにしたままで
友情を全身にもらうんです

(8月21日、鵠沼海岸、(ゆ)ちゃん、(じゅ)ちゃんと)

+ + +

<平成の装い>

Img_1824_1

ああ。こうやって時代から
あぶれていくんだろうな

と、やけにずしりとした実感を持った

世の中の流れ、のようなものの行く先を見ていて

ああ。ついていけない
ついていく意味がわからない

資本主義の果て?
愛の定義の謎が深まる

すべてがエクスチェンジの上で成り立つ世界

それは実像に近いんだろう、きっと

でも最近よく視界がかすむ

残像のようなものが見えていて
そのダブルに重なっているもう1つの輪郭と
この世の輪郭とのあいだの
ぼんやりぼやけた領域

そこに憩う。。。

あの隙間

有元利夫さんの絵に描き込んであった

自由に泳げた

あの隙間


21世紀かあ

光の明滅を眺めているだけのこの頃
幸せの定義の果てしなさに
声をなくしていて

切り刻まれた現実で
消化不良を起こして

商品のようにきれいに並ぶ
他人の記憶の色鮮やかさに
感心することしきり

カラフルなのが好きだし
軽やかなのも好き

なのに自分はどんどんあおざめて
どんどん重たくなってくみたい

時代の空気に浮かんでいようと
なるべく軽やかでいようと
明るいほうを向くのだけど

じわじわわけがわからなくなってくる

「頭で考えるのをやめて、感じるんだよ」
というアドバイスをありがたくもらって
ぼんやりと思考を停止する

そうやってさらに暗く影みたいにあおざめて

最後の悪あがきみたいに
なぐり書きを書き連ねるだけ

キラキラ明滅する四角い世界に
弱い毒をたれ流すだけ

この全部から離れたところに
手つかずの健やかさがあることを知りながら

限界がきしむ音を聞きながら
平成を装ってるだけ

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