2018.06.13

無言の行動で

ねこの(ち)ちゃんをお見送りしたときに持参したダウンのひざ掛けとウールのストールを、実家に忘れてきた!と思い出し、送ってもらうようにお願いしてたのが、さきほど届いて、包みを開けたら、父からの「岩合光昭のねこ」のハンカチが入っていました。

わたしはねこグッズが特に好きなわけでなくて(実在する、家族だったり知り合いだったりするねこが好きなだけで)、なのでちょっと微妙な気持ちでハンカチを広げてみたら、そこに写っていた2匹のねこのうち1匹が、亡きにゃみちゃんによく似ていて、なんかうれしかった。。。

うれしい、と感じたのが意外でした。

にゃみちゃんが、今回のことで気がふさいでる自分に、向こう側から気を送ってくれたサインのような気もした。

昨日の晩も気がふさいで、なぐり書きをしながら眠気に襲われて、そのまま寝たのでした。こんなこと↓を書いてたから、にゃみちゃんまで、わかりやすくサインを送ってくれたのかも、なぞと思う。まだ一緒にいるよ、いなくなっていないよ、とでもいうように? ねこのみんなはいつも、行動で示してくれるもんなあ。。。現実でも、夢の次元でも。

* * *

久しぶりに自転車で商店街まで走った午後

この世界にもう(ち)ちゃんがいないことがしみしみと感じられて

さみしさが、やってきた

ねこ族を家族に迎えてから34年

とうとう最後のねこ族の家族が旅立って

うちの家族の中に、ねこがいなくなってしまった

資質も姿も三者三様だったねこのみんなは

それぞれ18年、24年、23年、一緒にいてくれて

どんなにかお世話になってきたことか

それはもう、みんなに感謝しかありません

この先、ねこのみんななしでやっていけるのか、自信がないな。。。

でもいつまでも頼ってばかりいてはいけない、とも思う

生き物として、自分も、成長しないといけないよ、と

でもほんとうに、もう無理だよ、もう限界、という気分もあって

いつもなら、なぐさめになるはずの音楽さえも、受け付けず

仕事も山積みなのに、やる気も出ず

今はただ、眠っていたいような気分で

だめにんげんだなあ。。。

ここから見ると、人の世は、はなはだ浅はかに見えて

みんな一生懸命なんだなあってわかるけど

でもわけがわからない

わけなんてないのか。。。

ねこのみんなは

紐の一端を握ってくれていたかのようでした

迷子にならないように

この世がわけのわかる場になるように

ほかにはなんにもいらない、となんどもおもった

外の世界の全部

正直になれば、もともこもないくらい

ただただ頼りにしていたんだな

近くにいるときも、遠くでも

いつでも必ず、こたえてくれてたね

ありがとう

***

平常の意識の(ち)ちゃんと最期に会ったのは、ひと月前くらいに実家に寄ったときで、その数日前にごはんをあまり食べなくなっていると父から聞いていたので、だいじょうぶ?と聞きにいきました。本人は大丈夫そうにしていた。

で、大丈夫そうだけど、もしなにかあって、ケアが必要になったりしたら、うちに引き取りたいと思ってたので(兄ファミリーがずっとお世話をしてきてくれてたけれど、それ以上のケアが必要になった場合、義姉はねこアレルギーがあるからきびしいと思って)、(ち)ちゃんにそのとき、「大好きだからね、いつでもうちに来ていいからね」と声をかけたら、(ち)ちゃんはゴロゴロ喉をならして、わたしの手の甲と指をぺろぺろ舐めてくれました。

(ち)ちゃんに急な症状が現れたのは、金曜夜で(でもたぶん金曜朝から金曜夜まで同じ場所にいたらしいので、おそらく発症は木曜深夜から明け方かと)、木曜は母の命日でした。

その木曜日に、母が亡くなってからも実家で兄ファミリーと同居を続けていた父が、生活のメインの拠点を別宅のほうに移したい、それに伴って(ち)ちゃんを別宅に連れていきたい、と兄ファミリーにメールで伝えていたことを後で聞きました。

姪っ子や甥っ子は(ち)ちゃんをかわいがっていて、兄ファミリーとしては、(ち)ちゃんを別宅に連れて行くのだけは保留にしてほしいと返事をしたそうでした。

そんな中で、(ち)ちゃんの両脚の麻痺が起きました。血栓症の突然の症状で。

(ち)ちゃんは、父も、兄ファミリーも、どちらも大切に思っていたからこそ、どちらの側に行くわけにもいかない、と思ったんじゃないだろか。。。そう思えて仕方ありません。脚が動かなくなる、ということにもそれが端的に表れていたように思います。

亡くなる最期の晩、深夜に乱れた呼吸で力をふりしぼって、麻痺した後両脚をひきずりながらずり這いしては倒れ、しばらく休んでからまた這っては倒れしながら、彼女が向かっていこうとしていたのは、まず、父の部屋でした(父は別宅にいて不在でした)。父の部屋への引き戸の敷居をまたぐあたりまで行って、こんどは逆向きになって、反対側にある、階段へ向かうドアの方向へ(階段の上は兄ファミリーのみんなが眠っていた2階フロア)、同じように這っては倒れを繰り返しながら、向かっていました。

暗く涼しい所に行きたいという欲求だけで、ずり這いを繰り返していたのだったら、父の部屋の方向にたまたま向かっていただったら、そのまま部屋に入っていけばよいことでした。敷居はほぼバリアフリーだったし、フローリングは同じようにひんやりしていたはず。。

身動きがあんなに大変なときに、わざわざ逆方向へ向きを変えて、階段の方へとずり這いしていったのが、偶然だったとは思えずにいます。体の逆の側面を下向きにしたい、という欲求で、逆向きになった、ということも考えられるけど、それならその場で左右の向きをかえればよいことで、後脚と頭を入れ替える形で逆向きになるほうが大変です。(実際、階段へ向かって這っていく長い過程の中で、左右に向きを変えてはいました。となりで寝ていたわたしのほうを向いたり、壁のほうを向いたり。壁のほうを向いたときには、わたしは(ち)ちゃんの背中に愉気をしていました)。

最後は、階段へ向かう入口(開け放してありました)まであと少しのところで、こちら側を向いて、息絶えました。

ねこは死ぬときにはひとりになりがたる、と言われるけれど、それは違う、涼しい地面、涼しい場所を探しているだけで、旅立ちのときは家族と一緒にいるほうが安心する、と書いてある記事を、後になって読みました。(ち)ちゃんが、あんなに息苦しいなかでとった行動を振り返っても、わたしたち家族に最後まで、心を開いてくれていたような、気がしています。

まあ、ほんとのところは、本人のみぞ知るところだけれど。。わたしはやっぱり、ねこのみんなのやさしさの深さに、いつも驚かされて、いつも助けられてきて、ただありがとう、としか思えないです。

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2018.06.10

猫の(ち)ちゃん、旅立ちの日に

いろいろなことがあって、書きたいことがたくさんあるのだけれど、書くゆとりがない日々が続いていました。なぜかすごく、忙しかったり、地に足が付かない感じが続いてたり。。。

でも今日は、書かずにおれなかった、今日のこと。

Chobi 実家の猫の(ち)ちゃんが、今朝明け方、旅立ちました。

23歳でした。

でも、よほど23歳には見えないほどツヤツヤな毛並みときれいな表情の彼女だったので、わたしはてっきりまだ16歳くらいだと思い込んでいた。避妊手術でお世話になった動物病院のカルテに、避妊手術を受けたのが95年とあって、今回改めて彼女が23歳になってたと悟りました。

でもほんとうに若々しい姿だったので。。つい昨日まで元気に一緒に遊んだりしていたという(ち)ちゃんが、急に失禁して後ろ両足がだらんと麻痺した状態になっている、と兄から電話をもらったときも、もしかしてもしかするかも、とは思ったものの、まだまだ若いしなんとかなりそうに思えたのでした。

それで、兄にはとりあえず、お世話になっている動物病院の夜間急患対応のところに電話をしてみては、と提案しました。私の心づもりとしては、電話で容態を説明して、家での対処方法を教わって、それを家で実践したらどうか、と思ったのでした。

兄にそう伝えてから、わたしは久しぶりの遠隔愉気を試みました。以前友人のわんちゃんがしんどかったときにやった以来やってなくて、できる自信があんまりなかったけど、わたしが実家にいたころ、紙袋に入って我が家にやってきた(ち)ちゃんは、私が実家を出てからは一緒に暮らしてないけどでもやっぱり大切な家族なので、やれることはやりたい、と思った。

それでやってみると、なんかあついな、と思いました。友人のわんちゃんは遠隔愉気をしたときに眠った、と感じたのだけど、(ち)ちゃんは眠ることはなく。それでどんなことを今(ち)ちゃんが望んでるかなーと、聞いてみると、暗いところに居させてほしい、、お水だけ置いておいてほしい、という感じでした。

この後兄に電話をして、どうなったか聞いてみると、いつもの動物病院は夜間の急患対応をしてなかったので、別の病院に連絡をしたら、後ろ脚の麻痺は血栓の可能性が高いから、血栓なら早めの対応が肝心、ということで、今その病院に向かっているところ、と。それでちょっとびっくりして、(ち)ちゃんの暗い所でじっとさせておいてほしいというのとは正反対になってしまったな、と思いつつ、でも血栓なんだったら早い対応で助かるのならよかった!とも思ったのでした。

(ち)ちゃんはその夜、病院で検査を受けて、血栓が見つかり、それと肺にたくさんの腫瘍があることもわかりました。血栓に対処するための注射を打っていただき、脱水症状もあったので点滴もしていただいて、家に帰ってきたとのことでした。先生からは、翌朝かかりつけの動物病院へ行って、今後の方針を検討するといい、とのこと。

その晩は(ち)ちゃんの容態はかなりきびしかったらしく、兄ファミリー一家(とくに姪っ子)は一晩寝ずに看病をして、(ち)ちゃんの体温を上げるよう温めて、翌朝一番にかかりつけの動物病院へ行ったのでした。そこで点滴の注射とステロイド注射を打っていただいて、翌日また行くことになったのでした。

わたしはその朝、家を出て実家へ向かい、動物病院から帰ってきた(ち)ちゃんに会いました。ステロイド注射を打ってもらっていたせいか、前の晩よりもかなりしっかりとはしていて、でも何も食べられず、水だけはたくさん飲みました。そして呼吸が浅く、速かった。

後ろ脚の麻痺の原因になっている血栓は、全部をふさいでいたわけでなく、血流はわずかに通っている、という朗報を受けて、脚のマッサージと脚の付け根をあたためるとよいという先生のアドバイスどおり、みんなでかわるがわるマッサージして、カイロをタオルで包んだものを両脚の間に挟みました。

ただ、わたしも最初に脚を手で包んでマッサージしたときには、(ち)ちゃんは顔をふりむけて、わたしの手の甲におでこをこつんとつけてしばらくじっとしていたので、気持ちいいのかな?と思えたのだけど、次第に、マッサージから逃げるようなそぶりを見せるときもときどき出てきました。

そして前足でずり這いをして、部屋の隅の暗がりのほうへ、少しずつ、行きたがりました。

部屋の隅の暗がりへ行きたがるのは、前に他界した猫のにゃみちゃん(24歳)の最期の日にもあったことです。にゃみちゃんのときは、そのまま本人が行きたいところに行ってもらって見守りました。部屋の中を転々と、移ってはしばらく横たわるを繰り返し、最後は自分からいつものベッドへ、力を振り絞って上がってきて横になって、旅立つまでそこで過ごしました。

(ち)ちゃんは、脚をあたためていたカイロを置き去りにして、どんどん暗がりのほうへ移っていき、ついには裏口のたたき(コンクリの)の上に横になったので、さすがにそんなところに横になっていたら、ただでさえ異常に低くなっている体温が下がってしまう、と、みんなで心配して引き上げたり、たたきにカゴをおいてその中にはいってもらったりしました。

「体温が下がっているので、あたためること」というのが動物病院からのアドバイスでもあったのでした。

血栓で両足麻痺になった猫さんが回復して半年生きた、というブログ記事を見つけたこともあって、回復に向かっての対応を、わたしも一生懸命していました。

カイロでは重たいから脚を圧迫してつらいのかも、と考えて、ペットボトルにお湯をいれてタオルでくるんだものを、背中やおなかのそばに置くように切り替えたけれど、(ち)ちゃんはそれでもやっぱり、それらを置き去りにする形で場所を移動したがるのでした。上にかけていた軽いウールのストールも、置き去りに。

温まりたくない、と、彼女は行動で示していました。

それなのに、そのたびに、またペットボトルゆたんぽをあてがってストールでくるみ、そうやって丸一日すごし、そのまま一晩すごし、今朝の明け方、ふっと彼女の呼吸が変わったのに気づいて。それまでもとても呼吸が早くて、しんどそうに胸を上下させていたのだけど、とつぜんその胸の上下動がなくなって、口を大きくひらいてカッと息を吸ったかとおもうとじっとして、しばらくのあいだ口を開けたままゆーっくり吐いて、またカッと吸っては、じーっと長い時間をかけて吐く、というふうになりました。

一度吸ってから、次に吸うまで、とても長い間があって、もうこれで息がとまってしまったのかも、となんども思うほどでした。

みんなで見守って、今は目は見えてなくても(もうまる1日半、目は大きく見開いたままで閉じられることがなく、目の前で手をかざしても反応がなく、ものが見えていないようでした)耳は聞こえているはずだから、と声をかけたり、手を握ったりしました。

もうこれで最期だとみんなわかって、ありがとうね、と声をかけて。そして(ち)ちゃんは旅立ちました。

* * *

お別れの後で、かかりつけの動物病院でステロイドの注射をしてもらっていたことをはじめて聞いて、ちょっと気になって後でステロイド注射についてネットで調べていたら、こんな記事に出くわしました。

高齢猫の安らかな最期のための留意点と動物の来世

この記事で紹介されている本の中に、「猫はからだが弱って体温が下がってくると、風呂場のタイルなど冷たい場所にからだを横たえようとします。そんな時、飼い主としては『からだが冷たくて寒いだろう』と気遣って、温めてやりたくなります。しかし、温めると猫は喜ぶどころか非常に嫌がります。冷たいところで寝ているほうが気持ちがいいようです。からだが弱っている猫は、自分の体温を下げることによって、エネルギーの消費を最小限に抑えようとしているのかもしれません」とあって、(ち)ちゃんの姿とだぶりました。

確かに、(ち)ちゃんは温められるのを嫌がっているようだった。。。

ひんやりした場所にいることで、そのままゆっくりと衰弱して安らかな死を迎える、それが高齢猫本人がたどりたい道であるらしいこと。心のどこかでは知っていたこのことを、はっきりと伝えてもらって、また涙が出てきました。。

(ち)ちゃんの最期をつらいものにしてしまった、と。。 でも回復してくれるに違いないと、こんなにツヤツヤの毛並みで、血液検査の成績もいいのに、と、どうしてもあきらめきれなかったのも事実で。。逆向きの、回復へ向けての応援をしてしまった自分たちをいま責めても、(ち)ちゃんは喜ばないだろうことも、わかります。

もうひとつ、この記事で紹介されていた本にあった「動物は坂道ではなく階段を下りるように衰弱する」という記載も、とても腑に落ちるところがありました。つい昨日まであんなに元気だったのに、なぜ急に、というのが、にゃみちゃんのときも、その前の(し)ちゃんのときも、今回の(ち)ちゃんのときも、あった。それぞれ24歳、18歳、23歳の高齢猫だったわけですが、高齢猫の場合は、最期をなるべく楽に自然にしてあげることを考えてあげるやさしさが必要なんだな、と改めて思いました。

本人の希望があんなにもはっきりとしているときは、そのとおり、ひんやりした場所にいさせてあげたらよいんだな、ということ。。。

(ち)ちゃんの場合は、最初に遠隔愉気をしたときから、暗いところに居させて、というメッセージをキャッチしていたのに。。。自分の家族のこととなると、どうしても自分の望みが強く出てしまって。。。

ごめんね、(ち)ちゃん。次に会うときには、もっと一生き物として成長して、あなたと会うって、約束します。猫族のみんなにも、約束する。

だから、許してね。そしてきっとまた会おうね。大好きだからね。。今まで、ありがとうね。うちのみんなに、よくしてくれて、ほんとに、ほんとに、ありがとう。こんなにやさしくて、天然でおもしろくて、耳と目が大きくて口元はキュッとしている美人さんは、なかなかいないと、23歳なのにこんなにツヤツヤ毛並みな猫は、なかなかいないと、心底そう思うー。会えて、うれしいよ。

と書きつつ号泣してたら、久しぶりに野ねこのまごちゃんが、戸をノックしてくれた。。。まごちゃんの察知能力、ハンパない。。そして今夜ばかりは、まごちゃんと一緒に(ち)ちゃんがここに来てくれてるように感じます。ありがとう。まだ明日がお葬式なので、いましばらくは近くにいてくれてるんだろうなって、思う。。

と書いてから久々にSNSを開いたら、一番上に出てきた思い出し機能によるポストが、(ち)ちゃんの写真。母が他界した夜に実家に泊まったとき、眠れないでいたら、(ち)ちゃんが添い寝しに来てくれたときのことでした。。。。。びっくりしたし、(ち)ちゃんが、まだそばにいてくれてるサインだなあ、とまた涙出てくる。

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2018.03.31

春のつれづれと、One Tree講座

春です。なんだかずっとパツパツに仕事をがんばってきていて、久々にゆるんで「まどろみタイム」を楽しんでるここ数日です。

Img_4093_3数日前には近所の公園へお花見に。例年はわたしが生き急ぎすぎて、まだ開花してない中だったり、冷たい風が吹きすさぶ中になったりするのだけど、今年は珍しく満開の桜を前にピクニックできました。今年は和食のピクニック。お正月以来、すっかり和食党になって、体調もよくなってきてる感じです。

公園はお花見の人たちで大盛況で、ちびっこたちが縦横無尽に走り回っていました。飽きずに何度も同じ場所をぐるぐる走っていたり。。。「とりさんが転んだ!」というなぞの遊びをやってた子たちもいた。ルールがはちゃめちゃだったけど、本人たちはめちゃくちゃ楽しそうで、なにより。

お花見に行くと、花もいいけど、ちびっこたちを見てるのが楽しいです。。 :)

ここの公園は植物園という別名もあって、結構敷地の奥のほうはさまざまな樹種が植えられていて、すべてに名札と解説もついていて、とても勉強になるのでした。モッコクの枝で染め物ができると知りました。「猫の額庭」にも一本あって、毎年剪定をすると切り口が赤く染まるのは体験していたから、腑に落ちた。今度は剪定枝を取っておいて、染めてみたいです。

Img_4095 梅の実が小さくみのっていて、ピンクと黄緑のグラデーションがきれいでした。植物のみなさんは着々と、季節のめぐりと足並みをそろえて暮らしていて尊敬する。。

* * *

おとといはようやっと今年のお味噌の仕込みをしました。国会中継が気になってはいたのだけど、お味噌にはよい気を入れたい、と思って、ラジオをかけたら、シューベルトの、なんだかのどかな曲がかかってたので、そちらを聞きつつやりました。

Img_4106 とんとんと、すりこぎで、煮た大豆をひたすらつぶす作業のときに、グリーンウッドワークの斧使いを思い出していました。

一週間前まで、岐阜で5日間のグリーンウッドワークの合宿講座に参加していたのでした。そこで、割った木を、斧ではつるときに、はつりたい場所を「ねらうけど、ねらいすぎないこと」と教わったのが心に残っていて。

人類は斧という道具を使いだして、もう数千年経っているんだし、みんなのDNAのどっかにそのときの記憶が入ってるんだから、力まないでやれば、ちゃんとできるものなんだよ、というふうに言われて、やってみたら、前よりもずっと思うように斧ではつれるようになったのでした。

Img_3859 今回の岐阜での講座は、またしても、日がな木を割って、はつって、削って、樹皮をはいで、切って、編んで、おいしい手作りごはんをいただいて、みなさんとおしゃべりして。。というしあわせな日々。アメリカ・ウィスコンシン州から来てくださった、ジャロッドさん&ジャズミンさんに、1本の木から手道具だけでさまざまな生活道具をつくることを教わりました。森林文化アカデミーの久津輪さんとグリーンウッドワーク研究所の加藤さんが開催してくださった、One Treeという講座です。

山桜と朴と、実際は2本の木を切ってくださってあったので、その2本のいろんな部分から、お箸、まな板、ふた付き容器、ナイフの鞘、スプーンをつくっていきました。

Img_3869Img_3889Img_3921メインの道具は斧とナイフで、斧がますます好きになりました。ナイフワークも、ジャロッドさんのおだやかでていねいな指導のおかげさまで、前よりも体にやさしくやれるようになった気がしています。木工用ナイフでの作業のポイントが、また少し腑に落ちてきた感じがしていて、うれしいです。

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Img_4039 いつものごとく作業が遅い自分は、お箸は1組の片割れしかできないし、まな板も最後まで完成せず、ふた付き容器もスプーンもみんなの半分の大きさ(おなじ大きさにしたら作業が追いつかないので)。。。でもそんなことも気にならないくらい、ものをつくるプロセスが楽しくて仕方なかったです :) 

ふた付き容器は、shrink potと呼ばれるもので、生木をくりぬいて筒にしたものに底板を差し入れて、生木の収縮を利用して底板を締めあげていくのです。最初はゆるゆるの底板が、毎日、筒の乾燥が進むにつれて締っていくのが、おもしろい。。!まだ乾燥が進み中なので、仕上げはこれからです。たのしみ。

アメリカ北部の先住民の方たちがかつてつくっていた箒(peeled broomというもの)の作り方もざっくり教わったので、これも近いうちにやってみたい。。。

Img_4017 生木の持つたくさんの可能性にわくわくします。木とまたもすこし、お近づきになれた気がしてうれしい。。。それから、グリーンウッドワークが好きなみなさんと、またもすこしお近づきになれた気がして、とってもうれしいです。

お世話になったみなさま、ご一緒したみなさま、ほんとにありがとうございました。。!(写真はみんなの作品の一部。本の形をしたふた付き容器を作った方もいたのです、かわいい!)。

***

講師のジャロッドさんのことは、元大工さんの、アメリカのグリーンウッドワーカーということ以外、何も知らないまま講座に参加したので、彼が実はウィスコンシン州のスペリオル湖(北海道よりも大きい、世界最大の淡水湖)の湖畔地域に住んで、ネイティブアメリカンのオジブウェ族(オジブワ族、チペワ族などとも呼ばれます)のコミュニティの中で長く暮らしてきた、スウェーデン系の方だったと知ったときは、うれしかったです。

ジャロッドさんは物腰がおだやかで、説明やデモンストレーションもていねいに、ゆったりと時間をかけて行ってくださるのが印象に残りました。それでいて、アプローチは科学的というか、「このようにする理由は、ここにある」ということも教えてくださり、同時に実用重視で、型ばかりにこだわるようなところはないのでした。興味深かったし、わかりやすかった。。。

ナイフ使いのベーシックを覚えた1日目、「目を閉じて、ナイフが材にどうあたっているかをゆっくり感じとりながらやってみて」と言ってくださったときのことが、心に残っています。体がおのずと刃と材の当たりを繊細に調整していることに、気づけるように、促してくださっていました。そのあとも、特定の作業のときに、「ここはゆっくりやってみて、時間をかけて」と言ってくださったりしてた。時間との付き合い方、ていねいな姿勢、そういうところが、私の中の”欧米人”の感じ(一般的な印象です、すみません)と違うなあと思いました。

作業工程を最初にやってみせるとき、予定どおりにいかないところがあったときも、「これは今手にしている材が、こういう材だっていうことだから」と言って、淡々と受け入れて、その材と関り続けていってらしたのも心に残りました。(「もし売り物用にものづくりをしていたなら、この材は使わないことにするかもしれない。。けど、今はみなさんも投げ出さずにこの材でやってみてほしいと思うんです」「むずかしいところはあるけど、美しい木だから」というようなことをおっしゃってた)。

Img_3904 Img_4117 Img_4018 彼のパートナーのジャズミンさんも、静かな雰囲気の、手仕事を愛してやまないのが伝わってくる方でした。インディゴブルーがとりわけ大好きらしく、藍染めに心を奪われているらしかった。ジャズミンさんには、樹皮の編み細工で、ナイフの鞘をつくるのを教わりました。とてもクレバーなデザインです。楽しかった!(右の写真は、ジャズミンさんが知らぬ間に完成させていた、桜の樹皮細工の筒。継ぎ目が美しい。。)

***

それにしても。。わたしは、ふだん黙々と暮らしてる時間が長いので、大勢の人とずっと時間を一緒に過ごすのは一大チャレンジだし刺激も大きかったりして、、、はしゃいでしまったり、落ち着きがなくなったりすぐしてしまって(涙)。いつでも淡々とマイペースでいられる人たちが、うらやましいなーと思うばかりです。こんなはしゃぎがちな自分でも、木とじっくり向き合って作業ができた時間もあって、そうさせてもらえたこと、感謝しています。

できないなりに、やらせようとしてくださり。。やや時間がかかっても自分でやってみること、発見していくことを、見守ろうとしてくださったこと、ありがたかったです。

ただ、自分ももっとほかのみなさんくらいに器用だったり握力・腕力があったらよかったのに、とやっぱり思います。そしたらもっと講座がサクサク進んで、みんながもっといろいろ学べたのかも、と思うので。。。。。

Img_3951_2Img_4009_2 今回の講座では、家で自分で続けていけるベースのところを、また少し、育てていただいた感じがしています。講座の時間内に完成したのは、スプーンだけだったけれど、作業のプロセスそのものががひたすらに楽しくて、シンプルな手道具と関わりを結んでいくうれしさがありました。スプーンの粗削りを終わりまで斧でやってみれたのも収穫でした(時間はめちゃかかったけど)。

つくったものが未完成でもこんなにうれしいのは、初めてかも。。。材と関わるときの心のありようとか、道具とのつながりを育ませてもらえたことが、今もうれしいです。

ジャロッドさんのつくる作品は、人柄を表してか、控えめな中に広範な研究心とこだわりと研ぎ澄まされた技術とがぎゅぎゅっとつまったようなものたちでした。ネイティブアメリカンの伝統工法のカヌーや橇、バスケットから、スウェーデンの昔ながらのスプーン、器、ふた付き容器まで、暮らしの中で生まれてきた道具の歴史も尊重しながらものづくりをされていて、深みがあります。

別れ際、握手してくださりつつ、唐突に「See you later」とおっしゃって、でもまた会う予定などなかったので私的には「???」でしたが、また会えたら、うれしいな、と思いました。今回は作業中の質問以外、お話がほとんどできなかったけど、もしまたお会いできたら、今度はゆっくりお話をお聞きしてみたい。。。

(ジャロッドさんの職人魂のようなものに、やっぱりぶっ飛ばされてもいるのだけれど、これもなんどもぶっ飛ばされているうちに、慣れるのかも。。。)

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2018.02.15

日常的な異界

Apollon 昨夜は相方と坂口恭平さんのレコ発ライブへ行ってきて、帰りの電車で熟睡。おうちに帰ってからまたやけにいっぱい眠りました。先月坂口さんの個展に行った後もやたらとぐいーっと眠りに引っ張り込まれたけど、この眠気はなんでせう。

坂口さんの絵も、うたの詩も、声も、旋律も、じかに心の特別な領域(顕在意識でない領域)にコミュニケートしてくれるみたいな気はしてるのだけど。

昨夜は、WWWという好きな箱(音がいい)だったせいもあってか、あー声が―!と何度も思ったし、一瞬は別の境地に連れてってもらった。言葉にしようがないのだけど、ああ、ここ、ここは、坂口さんだからこれるところ……と。

春風みたいにおだやかな幸せ感のある、普通ぽい(トラッドぽい?)旋律に、普通ぽいけど時にいっちゃってる詩が乗っている、そういうところが自分にとっては、今回のアルバム「アポロン」のツボどころでもあって。日常の中にぽっと異界が垣間見えると、なんか安心する。

アンコールで、1週間前に他界された、親友の石牟礼道子さんの詩に旋律をつけたものをうたってくださいました(生前の石牟礼さんと一緒に坂口さんがこの曲をその場で作って、ふたりで歌ったときのバージョン、ここで聴けます、とてもいいです)。そのあとボブ・ディランさんのA Hard Rain's a-Gonna Fall(坂口さん訳の日本語版)をうたってくださって。この曲はなんどもなんども聞いているのに、昨夜はじめて、この曲でうたわれてる「雨」の意味合いがくっきりしました。そういう曲だったのかー、と思った……。石牟礼さんの詩の中の「雨」と響き合ったからかな。

アンコール前のラストにうたってくださった「月のうた」という曲は、とりわけ詩が大好きな曲でなんども聴いてたんだけど、昨夜聴いていたら、去年夏に坂口さんの個展で、相方が生まれてはじめて「絵を買う」ということをして、その買った絵を持ってお堀端を歩いて帰った、あの夜のことが思い出されてきました。絵をつうじて、相方のお父さんやわたしのひいおじいさんのこと、いろいろが思い出されて。そういう長い連なりや目に見えない連なり、”現世”の外(貨幣経済や資本主義の世界の外)にあるものごとのことを、思い出せてよかった、と思ったあの夏の日のこと。

***

で、今朝は母方のおばあちゃんの持っていた小物雑貨が出てきて、それを「捨てないで!」と泣きながら言ってる夢を見た。その小物雑貨(お相撲関連の記念グッズ)を見て、とても懐かしい気持ちになって。おばあちゃんのこと、すごく思い出していました、夢の中で。

でもおばあちゃんは、いつもは生きたまま夢に出てくる。今年に入ってからも何度か出てきてくれたっけ。

お誕生日の日には、母が夢に出てきてくれました。一緒にバス旅行していた。1週間くらい前も、また母と夢で逢いました。なんかすてきなごちそうを食べていました(わたしだけ食べて、母はとなりでうれしそうに見ていた)。ごちそうの中に、プラスチック製のスイッチボタンみたいなのがあって(食べ物ということになっている)、それを手に取って口に入れようとして、「あ、これは食べちゃだめだ、帰り道がわからなくなっちゃう」と思って、食べるのをやめました。スイッチボタンの中央のスロットに文字が表示されてあって、それが帰りのバスの停留所の名前で。スイッチボタンはチケットでもあって。どこで降りるかはわかってるけど、乗る場所はあやふやだったから、これを食べちゃったら帰れなくなってたのでした。

おせち料理といえば、おととい、相方が起きぬけに「あなたのお母さんがおせち料理をつくってくれてる夢を見た」と言ってた……。

夢で逢えるっていいです。安心します。

相方のお父さんの命日に、みんなでお鍋を食べた夜、相方のお父さんも私の夢に出てきてくれたのも、ものすごくうれしかった。元気そうに、バレエを踊ろうとされていて、わたしもくるくるピルエットしました、9回くらい。相方のお父さんが夢に出てきてくれたのは、初めてでした。生前、私のことを受け入れてくださっていたのかどうか、わからなかったから(感情の表現が控え目な性格だったのもあって)、亡くなられた後もずっと、そこがわだかまりのようになっていたのだけど、今回夢で逢えて、大丈夫みたい、と思えました。

* * *

今朝は、おばあちゃんの夢のあと、もひとつ、すごいインパクトのある夢を見ました。今借りてるおうちの中に、7年間知らなかった部屋があったのを発見した夢。その部屋には恐竜の骨格がいっぱいならんでいて、骨格の上に土がうっすら積もっていて、遊びにきた(み)ちゃんがそこを見つけて、入っていったのが、いつもいる部屋の側から見えて、「どうやって入ったの!?」と声かけると「向こうから回った」と。で向こうへ行くと、大きな開口部があって、そこから真下に3メートルくらい下がったとこに、土の地面の巨大なキッチンが。このキッチンの部分は今の家の天井まで吹き抜けになっていた。

下のフロア(というか地面)に降りる階段などはなくて、(み)ちゃんは側面にあった棚の引き出しを少しずつ引き出してそこを足がかりにして降りたらしかった。相方と私も降りてみた。

「この家のメインキッチンはこっちだったんだ!今使ってるキッチンは簡易キッチンだったんだ!」と思いました。桁違いに大きなキッチンでした。でもそのキッチンから180度振り返ると、今使ってる部屋の床の下にあたるところ(吹き抜けになっていないところに)さらに空間が広がっていて、そこに大きな横長のソファが3台。

ソファにはチベット仏教の柄(?)みたいな、知らない文字のようなものが入った柄の布がかかっていて、どうやらこの空間はなにか宗教団体(?)のリトリートとして使われていたようでした。サイドテーブルのひとつには、封が開いたままのおせんべいが残されていた……。

* * *

意味不明だけどわけありな感じの夢だなーと思いました。心の奥底に何かがあるな、と。

顕在意識に入ってきていない何かがあるよ、と夢はいつも教えてくれる。こないだはものすごい剣幕でシャウトして怒っている夢をみたのだけど、英語でシャウトしていて、なんで英語になるかなーと思ったけど、相方によると、わたしは定期的に英語で怒鳴ってる夢を見るらしかった。英語圏で暮らしていたときの自分が、まだ心の奥底にいるみたい。そこから、まっとうなアジア人にあこがれて、努力してきて、英語圏に越す前の、テンポ遅めな自分を無事思い出すこともできて、今の自分にはもう英語圏に暮らしてたときのようなところはないように感じているけど、まだちゃんと居る。

もうここにいないと思っている人も、もうここにいないと思っている自分も、ずっとちゃんと居るようです。

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2018.02.07

手仕事がくれること&ミルクスツールプロジェクト(2)

Img_3145Img_3146_2 友達の(エ)さんがつくってくれたこの白いお皿がほんとーうにお気に入りになっていて、使わない日がない、というふうです。

泡みたいなもようがぽよよんと入っていて、ぽってりした輪郭がかわいくて、だけど全体に厚ぼったくなくて、持ったときのバランスもよくて、とても使い心地がいいのです。(うちにやってきてもらって、2か月使ってみての、実感です)。

彼女のとこでランチをごちそうになったときに使われていたお皿に一目惚れして、その場でわたしにもつくって、とお願いしました。そのときは事情あって作陶がすぐにできる状況じゃなかったので、いつになるかわからないけどいい?と言われ、ぜんぜんオーケーと気長に待っていて。届いたのは9か月後くらいだったかな?

このスローなデリバリーテンポもまたいいもんです。お皿のサイズは、わがやの手づくり食器棚にぴったり入るサイズにお願いできて、それもまたとてもうれしいことでした。

こういう、使い心地よくて目にもうれしい、毎日使うのが楽しい身の回りの手づくりの道具って、ぐっときます。

自分もそういうものをつくれるようになりたいな。。と切に思う。。!

(前は、多少ZP=残念ポイント=欠陥や癖があっても、それを踏まえてケアしながら使うっていうのもありだよなーと思ってたのだけど。やっぱりストレスフリーに使えるっていいし、いいデザインってそういうものなんだなーと思うようになりました)

しかし家のことと生活費稼ぎの仕事とで手一杯で、木削りの勉強と実践の時間がなかなか。。。なんとかほそぼそとでも続けていきたいー。

木と親しんで、木との豊かなつながりを取り戻して、自然の大きな輪のなかの一員として、木だけじゃない多様な種や存在のみなさんと一緒に、思いやりとわかちあいの気持ちをもって、生きていくです。

明日は偶然ツォルキン暦の新年にあたる日だったので、改めて意図を宙に放ってみました :)

* * *

Img_3008_2 最近の自分の手仕事は、このサクラの板と檜の枝のミニミルクツール。11月初旬にパーツをつくって、座面の乾燥具合を見て、12月に穴あけ&組み上げをしたものです。

Img_2748_2

パーツは、座面はグリーンウッドワークのお仲間の(は)さんにサクラの丸太を4.5センチ厚にチェンソーで挽いていただいたものを、(は)さんちのお庭で削り馬&ドローナイフでなめら かに成形したもので、脚は檜の枝をドローナイフ(銑)で成形したもの。ほんとは南京鉋で仕上げるとさらにつるすべになりそうだけど、持ってないのでドローナイフだけで仕上げました。

Harasanchi

南京鉋もいつか欲しいな、と思いつつ、マイクさんから譲ってもらったドローナイフの使い心地が今も好きすぎるのと、ドローナイフだけで仕上げた最初のダイニングチェアの手触りもお気に入りなので。。。南京鉋やサンドペーパーはまだ探求するに至ってないのでした。サンドペーパーは必要性がいまひとつわからない、というのもある。。

Img_2799_3 座面の端のほうに虫食い穴があったので、そこを落としていったら、ミニサイズになってしまったのでした。。

今は使い心地を自分でモニター中。脚の檜がスポルテッド材だったので、強度への影響が未知数なのです。けども今のところ愉快に使えています。

板材の扱いは初めてで、おもしろかった。。またチャレンジしてみたいです、小さいものから。

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2018.01.31

ひまわりの種

Img_3318_2 「猫の額庭」にくるシジュウカラのみんなが、「ひまわりの種がもうないねえ」と話している気がして、今日は近所にある、古い店構えの小動物用品店へ自転車を走らせました。

いつも店先の一番目立つところに積んである、なんのラベルもないただの透明のビニール袋にどさっと入ったひまわりの種を1袋もってレジへ。

おじさんは「だれにあげるの?りす?」と言うので、「いえ、シジュウカラです」と言ったら、すぐさま思い出したように「そうだね、シジュウカラだったね!」と笑顔に。野鳥にあげる、と聞くといつもおじさんは特にうれしそうな顔をする。。

おじさんとこのひまわりの種は1袋300円なのにどっさり入りすぎていて、一度買うと、次に買うまでしばらく間があくから、そのあいだにおじさんの記憶はちょっとあやしくなるようだったけど、すぐ思い出してもくれるのでした。

「お代は3万円です」などと冗談をおっしゃって、わたしの300円を受け取られた。

こないだホームセンターで見た、市販のきれいなパッケージに入った小鳥用ひまわりの種は、280円くらいでおじさんとこの半分も入ってなかったのを思い出しつつ、お支払い。。。

「また買いに来てね」と言われて、「はい、それまでおじさんもお元気に」と言ったら、「いやあ、もういつまでもつか、わからないよ」と笑いながらおっしゃった。

おつりをくれたときのおじさんの手指が腫れぼったかったこと、ちょっと気になった。。。

前に、わたしの自転車を見て、若いころは僕も自転車が好きでねえ、こんなのやあんなのに乗ったんだよ、と話してくださったことがあったっけ。

控え目なのにおちゃめなおじさんは、こじんまりとしていて空気の通りも悪い、このお店の奥で、カウンター向こうのせまいすきまに座って、ラジオを聞いている、たいてい。

おじさん、好きなスポーツ自転車に乗ってぱーっと風の中を走ったりできたらよいのになあ。。

と思って、すぐ、異種間コミュニケーターのアンナ・ブレイテンバックさんから前に教わったこと、思い出しました。

動物園の動物に対して、不憫に感じたりした場合に、こうするといいですよ、と教えてくれたことなんだけれど。

不憫の気は、ほんとうに不憫な境遇にいる動物にとって、さらに負担になっちゃうから、快くてほっとするような気で自分を満たしてから、それを相手の頭上めがけてアンダースローで放り投げるようにしてみましょう、と、うろ覚えだけど、そんな感じのことでした。

これを応用してみると、私自身が、その風の中を自転車で走ってるときみたいな爽快感、愉快感、快適さを思い出して、その感じを自分の心身全体にめいっぱい満たしておいてから、それをほいっと、おじさんの頭上めがけてアンダースローで放り投げてみたらよいのかな。

受け取られるかどうかはわからないけども。。

* * *

で、気ってやっぱり、そういうふうに作用するんだろう、となんとなく確信する。

Img_3582 こないだ行った坂口恭平さんの個展で、やっぱり、500枚の原画の束を1枚ずつ繰ってみていくうちに、だんだんごはんをもらってる感覚がやってきました。

来場者が増えてきたので、相方が見ている束のほうへ移動して、相方が繰っていくのを隣で見はじめたんだけど、次々と自分の前に絵が差し出されてくる、それが、次々と料理の乗ったお皿が目の前に置かれるのとちょうど同じような感じになっていって。

しまいには、わんこそば状態で、ちょっとくらくらした。

今回は坂口さんにお目にかからずに帰ってこよう、と思って、ほんとに絵だけ見に行こうと思ってたのだけど、絵の枚数がありすぎて、見終わらないうちに坂口さんがギャラリーにやってきてしまって。ご本人がいらっしゃるとまた、うたもうたってくださるし、もうたいへんです。

んで、あんまり長居せずに、帰ってきたのだけども。家に帰っておゆうはんを食べた後、久しぶりにぐったりしてソファでがっつり宵寝しました。強制終了かかった感じで。

たくさん宵寝したのに、夜もしっかり眠って。そしたら翌日から、なんか、関心と興味のアンテナがまたちょっと働き始めた感じになって、しんとしてるようで心の奥のほうではなにか動き出してるような感覚が来ていて。

あのぐったりは、好転反応みたいなものだったんだろか、と思うにいたりました。

やっぱり気の交感っていうのは、あなどれないんじゃないだろか、と思う。。

坂口さんの絵、ひまわりの種と同じくらい、1粒万倍、なところがありそうな。。?

もすこし、ここらへんのことを大切にしながら暮らさないとだなあ、忘れっぽいじぶん。



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2018.01.29

雪と、めぐり

Img_3466 去年の真夏の暑いときに、こんなの書いてたのが出てきた。。。

* * *

寝る前のおふとんの中で、中谷宇吉郎さんの、昭和11年頃の随筆集を楽しく読んでいる、今回の水星逆行な日々です。雪の研究のお話とか、外の雪の中にものを置いておいたらまず濡れることはない(水分は凍るから)十勝岳でのお話とか、蒸し暑いときに読むと涼しくていいです。

なかでも十勝岳の山林監視人であるO老人のお話が、とても興味深かった。12月から2月いっぱいまで、犬の毛皮と塩一升と猟銃だけを身につけて、十勝連峰から日高山脈までを1人で歩き回った、というお話。

「この老人の話をきくと零下二十度の雪の中で二カ月も寝ることが何でもないことのようなのである」「雪の中で寝るのに一番大切なことはたき火をすることであるそうである」「鋸と手斧とマッチが食料品と同様に雪の山では必需品であることを実例で教えてくれたのはこの老人であった」

昭和初期の、日本の北の地にも、やっぱりブッシュクラフターがいたんだなああ。

* * *

Img_3467_3

で、この冬はほんとうに、南関東のうちらへんでも雪がたくさん積もったし、このところ寒さがキビシイです。ヤシの木と雪のツーショット撮った。なんか不思議な景色。

寒いときは家の中であったかくしてるのも楽しいけど、思い切って外に出ちゃうのもいい、と身をもって学びました。

雪の翌朝、雪だるまつくった。Img_3458_7

その数日後は箱根へ、いつもの温泉へ入りに行ってから、足をのばして元箱根港へバスで出て。箱根神社のほうへ行くみちに入って、湖畔をずうーっと箱根園まで、歩いてみました。

Img_3519_2 Img_3522_2 雪だらけ。下り坂は滑りそうになるし、かなり、リアル・フィールドアスレチック状態でした。たのしかった!

箱根園って初めて行きました。そこからロープウェーで駒ケ岳山頂へ。

Img_3549Img_3540_2

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山頂はひろびろとしていて、相模湾も芦ノ湖も丹沢のほうも、富士山も見渡せて、雪も積もっていて、とっても爽快でした。つもった雪が風にふかれた跡もきれいだったし、木の枝につもった雪が風に吹かれた形で氷柱になってたのも、きれいでした。フェンスの柵にもおんなじようになってて、とりはずしたら、まっすぐきれいな剣みたいだった。

Img_3535 山頂の神社(箱根神社の元宮)へお参りして。かつてここにスケートリンクがあったという、昔の写真を見てたまげて。

Img_3529_2 それからロープウェーでまた降りてきたんだけれど、われわれと、もひとり、ここにしょっちゅう仕事でお客さんを連れてきているというバスガイドさん(お客さんたちより一足先に降りていくところだった)と、3人だけの貸し切りになったゴンドラ内で、「長く来てるけど、こんなに晴れ渡って遠くまで見はるかせたことは、初めて。いつも山頂あたりはガスが立ち込めてぜんぜん見えないんですよ、お客さんたち、もってますよー」と聞かされて、びっくり。ほんとにうつくしかったです。生き返る。

* * *

土星先生に弟子入りしている現在、なにか、しんとしている自分を見ています。

雪の野を見ているみたい。

Img_3583 まわりはいつもにぎやかだけど、今はノイズをなるべく減らして、静かにしてたい気持ちです。この雪の下から、なにかまた芽がでてきそうな気配が、すこし。

(写真の絵は、坂口恭平さんの絵。こないだまでまた東京で個展「アポロン」を開いてくださっていて、またお邪魔させていただいて。買わなくても写真撮っていいよーとおっしゃっていただいて、撮ってきた中の1枚。しみじみすき)。

伸びることと、めぐること。そのバランスだなーと。。ずっと伸び続けてなくていいし、ゆっくりめぐっていてもいいんだなって、おかげさまで思えています。

土星先生、植物先生、季節先生、みんなすき。




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2018.01.27

土星先生

このあいだはくらい文章を書いたなーと我ながら思っていたのだけど、そのあと友達の(た)さんに会って、今の自分の状態がほぼ「土星先生」のおかげだったもようーとわかって、すとんとラクになりました。またしても、われら星の子って実感しました。

今の土星の度数から言って、わたしは「土星先生」に「ちょっとここへいらっしゃい」と言われて、正座してる感じなのだそう。

でも土星先生、なんだか好きになってきました。おかげさまで年明けから食生活の乱れがすっかり収まっているし、はしゃいだり興奮したりは減ったけどすごく平穏です。平穏すぎて、まだそれになじめてなくて不安が出たけど。しばらくは平穏を受け取って、日々地に足をつけて歩むことになじむ時期としてみます。

ものごとに地道に取り組むことはできている感じで、少し前には、パソコンのお引越し後に、古いプリンターが使えなくなった事件が起きたけど、無事解決できました。

ことのしだいは。。パソコンがwindows10に変わったら、今まで使ってたプリンタ(EPSON PM-A850)が古すぎて、Win10用のプリンタドライバがもうメーカーサイト上に存在していなかった。。。

もう製造停止になっているプリンタなので、致し方ないことだけど、でもまだ(一応)使えるし、あきらめきれずネットで少しリサーチ。「あきらめて新しいプリンターを買いましょう」というコメントが大半で、一度はあきらめかけました。

が、別の日にまたネットサーチをしたら、あたらしくメモ書きのような記事がみつかって、そこにあったヒントをもとにやってみたら、ドライバが無事インストールできて、プリンタも使えました!

Win10よりも前のバージョン(Windows7)のドライバをダウンロードして、そのexeファイルを実行する前に、ファイルのプロパティを表示→互換性タブを開き→「互換モード」のところの「互換モードでこのプログラムを実行する」をオンにして、「Windows7」を選び→「適用」クリックしてから、ファイルを実行すると、うまくいきました!

ニッチなネタすぎるとは思ったけれど、同じように悩んでる人がもしいたら。。あきらめることはないですよー!とお伝えしたいです。

で、今日は、同じ方法で、Speed Stick U01(データ通信端末)のドライバをWin10用になんとかインストール完了! よかった。。。 取説には対応OSはWin8までとあって、KDDIのサイトを見たら、このデータ通信端末はWindows10のFall Creators Updateでは作動しないことを確認しました、というお知らせがあって、絶望的な気持ちになったけど、とりあえず、Fall Creators Updateのバージョン番号を調べて(1709でした)、自分のPCのWindowsのバージョン番号を調べて(左下窓マーク→「ファイル名を指定して実行」→"winver"と入力すると出てくる)、知らぬ間にFall Creators Updateになっちゃってたのを前のWin10に戻すところから始めました。アップデート後10日以上たっていると戻せない、という記載があったので焦ったけど、大事なファイルのバックアップを取ってから、ここにあったやり方のとおりにやったら、すんなり戻せました。

で、バージョンが戻ったところで、Speed Stickを刺してみたけど、普通にAutoRunファイルが実行されず。。。一度は困り果てたけど、あれこれいじったあげくに、ファイルのエクスプローラー画面からデバイスのアイコンをクリックして中身を開いて、AutoRun.exeファイルを発見。右クリックしてプロパティ画面の「互換性」タブから設定を変えて実行してみたら、なんとか無事に行きましたー。

途中でエラー出て有無をいわさず再起動になるし、どうなることかと思った。。今回はなかなか綱渡りでした。。。再起動した後に、もいちど端末を刺したら、うまくいったのでした。

最初、電話で端末メーカーにお問い合わせしたら、通信会社へ聞いて、と言われて、通信会社へお問い合わせしたら、もひとつの取り扱い店にきいて、とたらいまわしで。。ネットで調べてもおんなじ状況の方がいなくて、自力でやってみるしかなくて。。とほほでした。(auさんの対応が特に残念でした、Hwaweiさんはすごく感じよかった!同じたらいまわしでもニュアンスが違って……)。

しかし最初から自力でやったほうが早かった。。。

なんにせよ、古いものが好きだとこういうとき根気が試されますね。土星先生が目の前にいなかったら、匙を投げてたかも。。

新しい葡萄酒は新しい皮袋に、ということなのかなーとも思うけども、古い葡萄酒を新しい皮袋に入れつづけておる。土星先生も古いものがお好きでよかったな。

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2018.01.23

尊重したいことは

なんとなく、もやもや。体調もややぐらぐらしてるのもあるけど。

心から楽しい、という瞬間があまりなくなっているこの頃で。
いろんなヘルプのおかげさまで、焦りはなくなってるけど、うすらぼんやりした不安が心の空全体を覆っている感覚が続いていて、どうしたことかなあと思っています。
快適さはあるんだけど、心からの愉快さがない。。。
心からほっと安心する、というのも、あんまりなくて。こないだ、ジョニー・マーの自伝を相方と一緒にソファで読んでいて、途中でつかれて相方の肩に頭をもたせかけて、ちょっと目をつぶっていたときに、久しぶりに、瞬間風速的に、心からほっとする感じが来たけれど、そのときに、もうそれがすごく久しぶりだったんだーと実感した。
このところ落ち着いてるんだけど、そこはかとなく安心がないんだな。。。
どこか、宙ぶらりんな感覚で、節目の季節だけど、いまひとつ、節目の感覚はキリッとしていなくて。自分と世界や事象のあいだに分厚い透明の壁があるみたいな感じ。
この感じ、ときどき来ていたな、今までも。
いやだな、とか、ひどいな、とか、乱暴だな、と思うことが、人との関わりや、仕事上のことや、世の中のことで、いくつかあったのでした、このひと月くらいのあいだに。
うれしいな、ありがたいな、と思うことも、いっぱいいっぱいあったんだけど、いやだな、ひどいな、乱暴だなと思ったことのほうが後を引いちゃうし、気になってしまう。
たぶん、うれしいなやありがたいなは、その場でその気持ちをぱあーっと生きることができたけど、いやだなひどいな乱暴だなは、その場でその気持ちを生きることができなくて、だから後に残るんだろな。。
森山大道さんが、ご自身の写真を擦過傷に例えていたことがあったけど。事物と接したときにどうしても擦過傷的なキズを負う感覚があるのを、どうしようもできない場合、どうしたらいいんだろか。
大したキズじゃないんだから、そのままほうっておく、というふうにしてるけども。ほんとはもっと安心していたいし、痛くないほうがいい。
そのためにどう工夫したらいいのか、わからない。
でも、「わからない」って、あんまりむやみに言ったらいけないみたい、と最近思うようになった。わたしが「わからない」っていうときは、自分の中にあるわからなさと今は一緒にいる、その状況を描写しているだけなんだけど。ひとにはそれがただの状況描写として受け取りにくいみたいで。
わたしは状況を描写しつつ、待つ、とか、さらに見続ける、とかを、自分でしようと思っているわけなんだけど(今は「わからない」けど、それを「わからない」という言葉にして置くことで、そのうちにおのずと何かが開けてくると、漠然とした信頼がある)、でも「こうしたらいい」というふうに急いで答えをくれようとする人、はげましてくれようとする人がいたりする。
そういうアドバイスがすごくおかげさまで助けになることもあるんだけど、でもじつは私には自然(”大きな”私ともいえるもの)への信頼が究極的にはあって、たった今はしんどくても、ときを待つ、ということをほんとはしたいみたいで。答えは自分の中にある、とよく言うけども。。。
そんな受け身の態度が悪しき精神的習慣なのだーと言われたら、そうかーとも思うけども。
ものごとには、それ自体の、テンポというか、バイオリズムというか、季節というか、そういうものがあるもんだ、と、これは高校生くらいのときからそう思っていて、そのリズムを尊重しつつ暮らしたい気持ちがあったりします。
往々にして、大切にしたいと思っていること(自分の価値観というものかな)を、うまく表現できなくなると、”分厚い透明壁”が出現しだすみたいな気がしてきた。。。
なにか劇的な変化、っていうのにも、あこがれるし、変化にはそういう時期もあるんだろうけど、それがないときだって、植物が育つように、知らないあいだに目にみえないくらいちょびっとずつ自然に変わっている、っていうのが、ほんとうのところなんじゃないかと、思っています。そういう些細で目立たない中に、本質があるように感じる。
ざっくりまとめたら、こぼれおちるものの中に。ぱっとつかんだものの、影の中に。1でも0でもないところに。

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2018.01.11

節目の季節

Img_3302遅ればせながら、2018年新暦新年あけましておめでとうございます :) 

写真は昨日、川べりで水玉もようを形成していたユリカモメのみなさん。猛烈に風に吹かれていた。。わたしも猛烈に風に吹かれながら自転車こいでたところだったので、なんか連帯感もちました。

PCを新しいのにお引越しをして、しばし今までやっていたとおりにはいろんなことができなかったりで、ブログを書くまでになかなか至らなかったけれど、元気でした。

先月は通訳仕事と翻訳仕事しつつスプーン削ったり、バスケット完成させたり、家の外壁塗りしたり、庭木の剪定したり、網戸の張り直したり、常緑リースつくったり、と駆け抜けました。。なんかいつもよりハイパーな12月でした、どうしたことだったろう。。。

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年末は父の山間の家へおせちづくりを手伝いにいって(八つ頭の面取りしてたら木削りモードに入っちゃったり……)、父手打ちの年越しそばをいただきながら、きょうだいや姪っ子甥っ子たちとツッコミを入れつつ紅白を見て。元旦は相方のお母さんのおうちでスクラブルをしたり、天皇杯を見たりして過ごして。

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珍しく1月2日夜には我が家にいったん戻りました(ここ何年も、三が日に自分の家に帰ってきてなかったのでした)。

今年は新年早々、流れにまかせて予定外の展開に身をゆだねてみたら、ちょこちょこ意外な発見がありました。

まず初売りセール初体験@神保町のスポーツ用品店では、相方が買ったズボンのすそ上げをしてもらっているあいだに、近場でさくっとおゆうはんを食べようと、入ってみた小さな中華料理屋さんで、何気なく飾ってあった色紙たちをよく見てみたら、丸木位里さん俊さん(丸木美術館の原爆の図を描いた画家の)、吉永小百合さん、菅元首相、村山元首相、青島元都知事などなどのサインだったことがわかってびっくり。

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丸木さんの色紙には「ひろしまの子は鳩になった」とあって、鳩の絵が描かれていました。お店のスタッフは全員中華系の方なのだけど、色紙はどれもだいぶん古そうで、いろいろ不思議でした。もちろんお料理も良心的なお値段でおいしくて、よいお店でした。神保町の北京亭というお店。

もひとつ、3が日の間に映画を見に行く、というのも相方に誘われるままに、初体験。3日に伊勢佐木町にある小さいインディペンデント映画館、ジャック&ベティへ行きました。館内フロアところせましと、次の上映開始を待つ人があふれていて、またびっくり。お正月に映画を見に来る人ってこんなにいるんだーと知りました。大好きなカウリスマキ監督の新作「希望のかなた」を見たのだけど、この映画、見れてよかった。今、この時勢に。。

カウリスマキ監督の”難民三部作”の1つで、主演はシリア出身・フィンランド在住のシェルワン・ハジさん、カウリスマキ作品初登場の俳優さんです。インタビューみつけました。カウリスマキ監督の撮影へのアプローチが垣間見えて興味深い。。

お正月のあいだに母のお墓参りと、相方のお父さんのお墓参りに行けて、相方のお父さんのお墓は富士霊園にあるので、旅行がてら、相方のお母さんと弟くんとみんなで行って、帰り道に箱根の温泉旅館に1泊してきました。相方の家族との旅行も初体験で(相方はわたしの家族とはなんども旅行に行ってるのだけど)、神奈川県民共済の組合員だけが利用できる宿へ行ったのだけど、リニューアルしてとってもすてきになっていて、お食事もすごかった!ふぐ鍋、初めて食べました。

相方の一家は、お父さんがもともと歩くのが大好きな人だったのもあって、みんなそろって山歩きやハイキングが大好き。で、1泊した翌朝、弟くんが、山登りしようと言い出して。宿の近くからトレイルに入って、みんなで小高い山を登りました。時折マイクロサイズの雹がちらついたりもして、木々のはっぱにしゃらしゃらと音を立ててたのが愉快でした。温泉の滝にも出くわした!

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新年早々山歩きができるなんて思ってなかったので、予想外の展開に心躍りました。ただ77歳のお母さんにとってこの寒さと山歩き、大丈夫なのかな?と思った。。けど、ご本人はとても元気に歩かれて、最後トレイルが終わるころにも「歩けてよかったわあ、ハイキング大好き、またみんなで行きましょう」と :) これもかなりびっくりした。すごくうれしかったです。

帰りは箱根登山鉄道で下山。鉄道の「スイッチバック」を初体験して、これもとっても愉快でした。

* * *

Img_3292 いつもみなさまにいろいろに助けていただいていて、ありがたいなあ、と思うお正月でした。

自分でできることはなるべく自分の手でしていくように、そこはかわらずにやっていきたいと今年も思うのですが、いろいろにヘルプをいただいたりヘルプしたりできることのすてきさを今年はとくに味わいつつ過ごせたらと思っています。

旧暦では今は師走、じゃないまだ霜月だ!ということは、これから一か月あまり、もう一段、心身まわりを新しく整えるチャンスでもあり。。節目の季節、もう少し楽しんでいきたいです。

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