2017.05.11

は~

昨夜あんなことやこんなことを思ったり書いたりして、一晩眠って、今朝起きぬけに思ったのは、ああ、ゴールデンウィークの合宿の日々を、オーガナイズ面で支えてくださってたスタッフのみなさまは、ほんとにすごい働きをしていたんだなあ、おかげさまだったなあ、ありがとうだったなあ、ということでした。

わたしは大変な思いをしている自分の体験に埋没していて、ほかのみなさんのことを振り返る余地もなかったのだなあ。ほんとうに深く埋没していたみたいです。

でも、出てこれたもよう。ようやっと。

まだ心の水面にはすぐ波風が立つ状態ではあるけれども、嵐はやり過ごしたのだと思う。

情けないけど、これが今の自分のありよう、力量、体質、気質、なのだなあ。。。

ありがたいことに、ゴールデンウィーク明けはまだお休みをいただけていて(翻訳仕事に切れ目ができたのは、もうほんとうにほんとうに久しぶりで。。!)、すごくゆっくり、休んでいます。家のことでやらなくちゃいけないことはいろいろあるけど、とりあえず、自分のリハビリを優先しています。

Img_0924 読みかけだった本を読了。『ユマニチュードという革命』。ユマニチュードは認知症の高齢者の方々のケアのためにフランスで考案されたメソッド。当事者の方々にとって、ほんとうに希望の光のようなメソッドだと思いました。

認知症の方は、認知の機能は欠けても、感情の機能は健やかに働いている、ということが、よくわかりました。怒ったりわめいたりすることがあるのは、感情の機能も損なわれているから、ではなくて、怒りたくなるまっとうな理由があるから。感情でわかることなら、伝えられるし、わかりあえる。そうやってわかりあえたときの、ご本人の喜びは、どんなに大きいだろう。。

コミュニケーションをするうえでの表現の仕方が、世間一般の人とは異なってしまうがために、人間以下のように見なされてしまうというのは、ほんとうに悲しいことです。

動物や虫に対してもそうだけれど。自分と同じ表現の仕方をしない相手の、存在のインテグリティと尊厳を、簡単に忘れないようにしたいです。忘れてしまいやすい状況であっても。。。違いはあっても橋をかけて、コミュニケートしたいし、少なくともお互いに平等な存在として、ただいっしょにいられれば、と願う。

自分が大事にしたいのは、そういうようなことなんだ、と改めて。上から目線でお世話したりかわいがったり指導したり、下から目線で従ったりあこがれたり教わったり、ということをしないですむ関係性の中に、身を置きたい気持ち。

そのためにはただ相手の存在の真実を見ることなんだろうけれど、それはなかなかにチャレンジだなあああ。。。

ユマニチュードのジネストさんが言っていた、奉仕の概念にはそもそもキリスト教的な影響があること、そこのところは、もうすこし自分の中でもよく見ていったほうがいいところだと思っているところ。相手のためになることをしているはず、という意識について。。

* * *

Img_0925 もう1冊、精神が大変なときに一番に手が伸びた本は、ホクレア号についての本、『星の航海術をもとめて』。再読。ページを開くだけで落ち着く。ナイノアさんの声を思い出すと、霞がかかった自分の思考がくっきりしてくる感覚が来ます。

自分が生きているなかで、関わっていきたいことが、どのあたりにあるのか、再検討してみているここ数日なんだけれど、ホクレア号が意味することは、たぶん、自分にとってすごくセントラルなのだろうな。

そこにどう取り組んでいったらいいのか、よくわからないけど、とりあえず、心のレーダーが反応していることは気に留めておく。

* * *

Img_0881 ゴールデンウィークの合宿でのお仕事には、会場から歩いて30分くらいのキャンプ場から通いました。それもチャレンジを増やした原因にもなってたけど(雨が降って地面がゆるんでペグがゆるんでテントが倒壊したらどうしよう、とか、会場に遅刻せずに行けるかな、とか)、でもチャレンジを上回る恩恵がやっぱりあった。

Img_0891 4泊したけれど、毎朝ろうろうとうたうオオルリの声で早くに目ざめました。今年は毎朝すっきり晴れて、ほんとにありがたかったです。朝日が木々のあいだから差し込むなかで、朝ごはん。1日目は慌ただしく食べて焦りながら出かけたけど、翌朝からは段取りも慣れて、早起きもできて、すこしゆっくりできました。持参したハワイコナのコーヒーをお外で。Img_0880

うちのテントのすぐ近くで毎朝うたってくれてたオオルリは、うたがほんとうに上手で、いい声で。しかもクリエイティブ。基本のフレーズがあって、そこにとてもさまざまに毎回違うバリエーションをつけてうたいついでいくスタイルです。ずうっと聴かせてもらえて、たいへんありがたかったです。

Img_0879 夜は早めにキャンプ場に戻って、キャンプ場となりのお風呂に入って早めに就寝する予定でいたけど、合宿会場を出るのが遅くなる日もあって、お風呂に入れなかったり、まっくらな夜道を歩いてもどってくることもありました。相方と別々に、ひとりで夜道を帰ってきた日は、膨らみつつある月明かりのもと、明かりなしでキャンプ場までずっと歩きました。いわゆるナイトハイク。

暗闇にまぎれて歩く自由を体感しました。暗さに慣れてくると、いろいろよく見えるし。闇にまぎれられるのは、安心感がありました。たまに車が通ってヘッドライトが近づくと身を固くした。つくづく、自分にとって怖いのは人間なんだなあ、と思いました。

とはいっても、キャンプ場でキャンプをしている他の家族連れなどは、怖くなかったです(あたりまえか)。テントの入口の扉を開け放って、木々を見上げながら寝ころんで、そのうち眠ったりしました。

キャンプ場のおじさんは、年に1度しか行かないけど、ほぼ毎年この時期に行っているせいか、わたしの顔と名前を覚えてくださっていて。。いつもちょうどいいタイミングでぽっと手を貸してくださるのだけど、今回も。撤収を始めて、事務所へ返しにいかなきゃいけないレンタル毛布をたたんでいたら、ふらっと「生きてる?」と言ってサイトに現れて、しばし立ち話。。そして「あ。じゃ、それ、もらっていくわ、ついでだから」と毛布3枚をかついで行ってくださいました。

あのさりげなさ、毎回不思議。どういうふうにしたらああなるのかな、と。

撤収をみんなおえて、事務所にあいさつに行って、「となりの温泉に入ってから帰りたいので、それまで荷物をサイト脇においておいていいですか、とられて困るものはないので」と言うと「いいですよ~、じゃ、おれがもらっとこう」。最後にお礼を言ってさよならを言うと、別れ際に一言、「じゃ、お風呂でおぼれないでね~」。まじめなのかふまじめなのかわからない抜け加減に、なんか救われました。

Image_xlarge3 Img_0894Img_0904 乙女の森の木々にも草花にも小川にも小鳥にもおじさんにも、ほんとうにお世話になっていて、ありがとうの気持ちです。Img_0898

今年は自分には大きめなチャレンジをして、神経がくたびれはててしまったけど、焚火のパチパチいう音や煙のにおいも心の鎮静剤になりました。Img_0912

あのキャンプ場が変わらずありつづけてくれていて、ほんとにうれしい。

あのキャンプ場も、やっぱり、皆が過ごしやすいように整備して、草を刈ったり枝を払ったり薪をつくったり(手で割っていました)、トイレや炊事場をお掃除してくださったりしている方々のおかげさまであんなに快適に過ごせるんだなあ。。。ありがとうございます。

さて、今度は、もうちょっとがっつり遊ぶキャンプに行きたいなあ。。



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2017.05.10

自由の体験

満月前夜。ウエサクの。

数日前、ひさしぶりに精神が壊れました。

たぶん神経がまいって、疲れがピークに達していたんだと思う。

120人の人と連日一緒に過ごした、合宿の日々。そもそも大人数の場が、わたしにとっては大変難しく、ただそこに居るだけでチャレンジでした。初日夜のセッションから合流して、2日の夕方には電池切れに。個室に避難させてもらって、少し眠りました。

一番苦手なことにチャレンジして、なんとかやれたけど質はどうにもこうにもという結果になって、悲しかったり。。。

通訳チームの一員として、みなさんの学びとコミュニケーションがなるべくスムーズになるように、自分が通訳を担当する時間以外のクラスにも出席して、内容を把握しておいたり、他の通訳さんがどんな訳語をあてているか学んだりしていたので、朝から夕方までは結構ぴっちりで。ぼんやりする時間をほぼつくらずに過ごしてしまった。そこにいることを楽しむとか、学びを楽しむとかのゆとりなどなく。。4日目夜には神経が参ってしまった。

大人数が集まるイベントの通訳がこんなに苦手になったのはいつからだったろう。こんなに過剰反応せずにできていた時期も、すごく昔はあったことを思うと不思議。作家さんたちのイベントとか。舞台の上に立ってマイク持って通訳もしていた。あれは若気の至りというやつだったんだろか。それともこの過剰反応は、やっぱりこの合宿を構成しているコミュニティにまつわるものなんだろかな。このコミュニティでの自分の立ち位置が規格外なことに起因しているのかな。20年関わり続けてきてしまったこのコミュニティが、自分にとっての”ホーム”でなくなってから久しいこと。。。?

精神が壊れたときのことを、振り返ってみる。主観的に体験したことを書いておいてみる。

まず、まわりの人のなぐさめやはげましの言葉が、ぜんぜん体に入ってこなかった。どうしようもなく。言葉をもらえばもらうほど、自分がただいま体験しているきつさは決してわかってもらえはしないんだという絶望感が募った。わたしの認識が間違っていることを教えてくれようとする言葉が、耳に入らない。わたしの認識が間違っているかもしれないという可能性を見るゆとりがなかった。自分はここにいる価値がない、という認識は岩みたく固くて、まったく揺らがなかった。

夜中、ふとんを抜けだして、そのまま外へ出て海まで歩いた。何も考えることも感じることもなくて、ただ、のっぺりとした絶望感の中で、体に運ばれるまま歩いた。このとき、いつもの自分の歩き方とはぜんぜん違う歩き方をしていた。腰の入り方がまず違っていて、そしてなんだかスタスタと歩けて、いつまでもどこまでも、疲れることなく歩けるふうだった。体が楽だった。いつもの緊張から解放されていたっけ。それに暗い夜道をひとりで歩いているのに、なんにも怖くなかった。恐怖心がみじんもなかった。そういう意味ではすごく自由だったな。不思議なほど。あとで相方にこれを報告したら「エゴがなかったからだ」と言われた。

海まで来て、月を見て、しばらく座った。向こう側へすでに旅立っている家族を思い出して、名前を呼んだ。もうやめさせてほしい、そっち側に連れて行ってほしい、と心底願った。

そうやってしばらく泣いて。それからまた家へ歩きだしたのだけど、歩いているうちに、ひらめいた。生きていることを「いいこと」とする信念が出回っていて、自分もそれを信じようとしてきたけど、自分の体感・実感は真逆だということ。まだ生きることを終わりにさせてもらえないのは、まだ年貢が明けないからで、自分がそもそも、とても悪かったからだ、だから今はまだ耐えて、ここで年貢を納めないといけないんだ、と。そういう想いが出てきて、それはとても自分の体感にしっくりくる想いでした。生きていることをポジティブにとらえたことは、やっぱり自分は昔からなかったみたい。ポジティブにとらえることがいいことだ、と考えて、そうしようと試みてきたのはあるけど。

ここにこうして生きていることが苦行に感じられる。なんとか苦しさから気を紛らすために、楽しいことをいろいろ見たり考えたりやろうとしたりしている自覚は、常にありました。でもときにほんとうに疲れはてていて、もう終わりにさせてほしいと切に願うときが来る。もう許してほしいと。

この世界は美しい、と人は言うし、そのように思える瞬間もあるけど。でもデフォルト思想としてそう思えるかというと、違うみたい。ほんとうに自分の感覚に正直になると。。。

軽やかに明るい人になりたくて、そうなりすましているつもりになったりしてもいたけど、自分はやっぱりそうとうな暗さを抱えているんだな。それについては、どうしようもないんだな。耐えることはよくない、好きなことをして生きていくのがみんなの幸せのため、世界平和のため、とされる風潮の昨今、耐えている実感がある自分を持て余してしまう。世界に対して申し訳なさが募ります。

居場所が、ないというか、肩身が狭い。

この肩身の狭さ、不自由さと、夜道をスタスタ歩いていたときのあの自由さは、対をなしているのかな。能面のような顔をして、てぶらで部屋着のまま、真夜中に浜のほうへ夜道を横切って歩いたわたしは、通りがかった車の人とかからみたら、おばけか、というくらいの気味悪さもあったかもしれないけど、そんなことも気にならなかった。めちゃくちゃ人が怖くておかしくなったのに、あのときはまったく人が怖くなかった。

あのときわたしは、社会の外へ出ちゃっていたんだな。ほんとうに外れ者になってた。そしてあの境地は、すごく自由だったな。

わたしは社会を気にし過ぎなのかな。まわりの人のことを。もっと人のことを気にせずに、ここにいてみたらいいのかな。外れ者なのは、どっちみち変わらないんだったら。

尊厳を持って生きたいという願いがありました。尊敬までされなくてもいいから、存在することは認めてもらいたかったというか。

それでせめて、みなさんのお役に立てれば、ここにいてもいいことになる、と思えて、一生懸命お役に立とうとしてきた。

ぼんやりと自分のままでたら、ここにいてはいけなくなる、というのがありました。お役に立っていないと、と。でもそうやってがんばっているの、つかれました。

役立たずのわたしのまま、ただ、ここにいるしか、いまはできなさそう。ちきゅうに、ごめんなさいとおもう。

今まで学んできたさまざまなツールやメソッドがあるのに、どれも使う気になれない。前向きに自分を振り向けるだけのエネルギーが、ない。うずくまってるしか、ない感じで。たぶん生き物としての自分の本能に、まかせるのがベストだと、どこかで思っています。

あらゆる小手先の工夫に背を向けて。自分の主観・体感だけに従う。そういうプロセスを欲してもいるんだと思う。主権の回復。あらゆる”正しさ””ふさわしさ”“望ましさ”から離れて、ただの自分がただいま体験していることを、ただ体験していたい欲求。

いまだけは、そういう時間なんじゃないかと思えています。翻訳仕事もちょうどいまだけ、少し空白をもらえているし。

そうやって自分の体験とただ共に居る時間を、ふだん、持ってこなさすぎたのかもしれなくて。いつでもすぐにどこかへ向かおうとしすぎてたのかもしれなくて。白旗を上げて、ただここにいる。

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2017.04.11

軽い手荷物の旅

20170410_16_45_23_1ここらへんでは桜が満開なこの頃。でも今日はまた2月くらいの寒さがぶり返し。。雨の中、風もあって、レインポンチョを着て長靴をはいて傘をさして歩いたけど、なかなか大変でした。

でも見上げると、満開の桜は雨にも風にも負けてなかった。すごいなーと思いました。足元の道草は、むしろ雨を受けて活き活きとしている感じで、どこかうれしそうでした。

わたしも最初はレインポンチョと長靴があれば雨も楽しいねえ♫と歩きだしたのだけど、風にあおられて途中からはひょえーとなって。。。パン屋さんに寄ってきてほしい、と言われていたのに、雨風に負けました。かわりに帰宅してから久しぶりにパン焼き。。。相方はめちゃくちゃにロシアの黒パンが好きなので、北欧の黒パンです。

20170411_20_00_01_1 めちゃくちゃ簡単な、黒パンミックスに水を入れて混ぜてやくだけ、というもの。イケアさんのです。焼き時間が1時間(!)というのにおののいて、ずっと実行できずにいたけど、今日のような寒い日は、オーブンを使うと暖房がわりに部屋もあたたまるし、よい!と思って決行しました。

パンだけ焼いておくのはもったいないので、オーブン料理も。。と思って、あるものでできるスウェーデン料理「ヤンソンさんの誘惑」(アンチョビ入りポテトグラタン)もつくりました。

そんなわけで、今夜はにわかにスウェーデン祭り。

黒パンミックスは、焼き時間が長いのがアレだけど、なかなかよいです :)

* * *

さて、先月の旅の話について。。もうすこし。今回自分としてもたいぶん新たな試みをした旅だったのでした。それは、「軽い手荷物の旅」にすること。

Img_0499_2回は7泊8日の旅だったけれど、19リットルの小さなソフトキャリーで行きました。相方は背中に背負えるタイプの40リットルのダッフルバッグ。

「軽い手荷物の旅」をすることになったきっかけは、どこまで行っても一律で2ドル50セントという、オアフ島のザ・バスという公営バスに乗って、島の反対側のノースショアに行けたらいいな、と思ったことでした。タクシーだと80-90ドルの移動になるし、バスにのって高さのある大きい窓からのんびり風景を見つつ移動するのが大好きだしで。。。。ただ、このバス、ハワイ島のバスと違って、大きい荷物を持って乗れない決まりがありました。大きさはひざに載せられるものまで、となっていて、飛行機の機内持ち込みサイズが最大限度のようでした。

それでいろいろ悩んだけれど、ほんとうに必要なものに絞って荷造りしてみたら、19リットルのかばんで行けてしまいました。我ながらこんなに軽い手荷物の連泊旅は生涯でも初めてで、不安もあったけど、やってみたら、すーごく快適でした。Img_0476_2

荷物が少ないって、そのままフリーダムに直結するんですね!

0135_xlarge 相方も自分のダッフルを背負うのは問題なかったみたいだけど、キャリーケースの上に載せて運んであげたら喜ばれました(写真の図)。

uber(民間ライドシェア)のドライバーの方にも「あなたたち、荷物それだけ?」とびっくりされたり。。。

* * *

19リットルのソフトキャリーは、相方が以前買ってあまり使わずにいた無印良品のソフトキャリー(小)です。1泊2日程度の旅行用に、というものらしく、さすがにきついかなーと思ったけど、大丈夫でした。

キャスターにストッパーが付いていないのが残念ポイントだけど、鍵をつけられるようなファスナーになっているし、ソフトなのでいざとなったら結構パンパンに詰めることもできるし、なかなかよかったです。

Img_0497 これに、相方の荷物を上に固定するために、アウトドア用ゴムという4mm径の丈夫なゴムを二重にぐるっと巻きつけて使いました(上部のハンドルと並行するように巻いてある黒いゴム紐です)。

ハンドルバーを上げて、相方のダッフルをのせたら、この輪っか状のゴム紐をダッフルの前に渡してハンドルバーにかけるだけ(下側は車輪のところで紐がひっかかるようになります)。

ちょっとしたものを挟んでひっかけておくこともできるので、重宝しました。

相方のダッフルは、オスプレーのパッカブルダッフル、トランスポーター40で、これも軽くてコンパクトなのに容量は40リットルで、背負いやすいし、ぱかっと開いて中身も取り出しやすくて、グッドチョイスでした。

わたしは無印のソフトキャリーに、あとは、昔手づくりした布のショルダーバッグと、ショルダータイプのエコバッグ(布ショルダーの雨よけ用)を持っていきました。それで帰りのおみやげも、出国前・帰国後の防寒着も、不自由なく持ち運べました。

20170407_16_49_28 布のショルダーバッグは、10年以上前に、セールになっていたランチョンマット2枚とコースター2枚、それから使い古しの自分の革ベルトで自作したものです。

20170407_16_50_32_2 基本的にただの袋状のバッグだけど、背面にコースターをくっつけてポケット状にしたので、ちょっとしたものを入れるのに便利です。

布かばんは軽くて、必要ならたくさんものが入れられて、いいです :)

* * *

Img_0056 それと、荷物の軽量化の一環で、今回初導入したのが、ワラーチ(走れるサンダル)です。わたしはランニングなどはしないのだけど、つくりがシンプルで、ソールが薄くて地面を感じられそうで、軽そうで、解放感がありそうなワラーチが前から気になっていました。それにワラーチなら薄いソールに紐がついただけだから、ぺたんこになって持ち運びにもかさばらないし軽量です。

ただ今回は、ビブラムソールを買って一から自分でつくる時間的余裕がなかったので、メルカリで手づくりワラーチを販売されている方から、シンプルなゴム紐タイプのものを購入しました。

でも若いころから、アキレスけんを圧迫するタイプのサンダルや靴が身体に合わなかったので、ゴム紐タイプのワラーチも、少し家で試し履きをしてみたところ、やっぱりむずかしかったことが判明。。。

急きょ、切り売りの真田紐を3m取り寄せて、付け替えてみました。はなおを手持ちのやわらかい革でつくってみました。そしたらこれが、すごく具合がよくって、あまりの快適さに、街も、海も、谷も、旅のあいだずっとワラーチで過ごしたほどです(行きと帰りの飛行機は、軽量スリッポンを履きました)。

ビーサンを別途持っていくべきか迷ったけれど、海ではシュノーケルをしたくてマリンソックスを持参したので、結局ワラーチで浜まで行って、浜についたらマリンソックスに履き替えておしまいでした。

0067_xlarge 足首にくるっとまきつけると足の一部になる感覚なので、谷を歩いたときも快適。地面の感触が分かるのもグー。コンクリの街ではさすがに、この薄いソールだと腰に来るかな、と思ったけど、意外と大丈夫でした。ビブラムソール、やってくれます。。。

脱ぎ履きも、おもったほど面倒ではなかったし、見た目も悪くないし。。。(おしゃれさんな姪っ子にも、かわいいサンダル、と言ってもらえたり)、開放感が半端なく気持ちいいし、持ち運びもぜんぜんかさばらないし、なにせ軽いし。。。言うことなしです。ワラーチづくりの元祖、メキシコのタラウマラ族のみなさまに、感謝しています。

夏の旅はワラーチに限る、と確信しました。あ、でも今回雨に合わなかったから、というのもあるかな。雨のときはどうなるか、試してみないといけません。

* * *

最小限とはいっても、細々としたものは色々と持参しました。

Img_0496 写真が(行き帰りに着てた服を覗く)全携行品です。

上段左から:薄手の長袖パーカー(折りたたみ式)。ストレッチシルクの大判ショール(防寒用。はおりものがわりにも。布屋さんで切り売りしてもらったのを、そのまま切りっぱなしでもう何年も愛用しています)。海水浴用帽子(かぶったまま水に入れて頭の日焼けを防げます)。麻混の日よけ帽。

2段目左から:ふでばこ。ワラーチの予備の替え紐(使わず)。日記帳。ワラーチ。マリンソックス、水着にもなるショートパンツ。水中メガネ、水着上下、長袖ラッシュガード。水中用スマホ携帯ケース(これは水が入っちゃった!スマホ入れずお札だけ入れて使用)。速乾ハンドタオル。カットソー生地の水色のロングスカート(飛行機に乗る前にこれに着替えると楽でした、あとビーチでの着替えにも便利だったり)。黄色い仕分けケースの中はその他の着替え(タンクトップ、半袖ブラウス、長袖シャツ、ビーチ用ポンチョ、パジャマ、下着、靴下類)。

3段目左から:髪留め(櫛を兼ねた)。水筒。コラプシブルタッパー(外食時のテイクアウト用)。携帯用お箸とスプーンフォーク。マヤナッツパウダー。携帯用はちみつ。充電コードセット。ソーラー式にもなるモバイルバッテリ。イヤフォン。ターコイズのネックレス(お祝いの食事の席用)。洗濯洗剤と洗濯ネット。虫よけスプレー。日焼け止め。シャンプー。かみそり。保湿クリーム。スティック状の日焼け止め(向こうで購入しました、便利でした)。薬類(レメディ、フラワーエッセンス、レスキュークリーム)。絆創膏セット(湿式・乾式両方)とマダニ取り具(山歩きなどのときのために)。レスキューチューインガム。レインポンチョ。

3段目左から:ティッシュ、バンダナ、手ぬぐい。布のショルダーバッグと折りたたみ式のショルダーエコバッグ。貴重品用ポシェット(お財布、パスポート、ボールペン、リップクリーム入り)。洗面用具ポーチ(歯ブラシセット、手鏡、耳かき、口紅、クリームなど)。布製マスクとウェットティッシュのポーチ。首枕。折りたたみ式ダウンブランケット(飛行機の中での寒さ対策、使わず)。折りたたみ傘。

あとは珈琲のドリップパック(向こうで飲んだり、おみやげにあげたり)と、モンベルの圧縮袋(使わなかった)、マヤナッツクッキー(旅のあいだのおやつ)も持参していました。レンタルwifi機器も。夜行バスでもらった不織布のスリッパも2人分持参してました(使い倒して帰り道にさよならしました)。

キャンプしないと、こんなに軽い手荷物の旅が可能なんだなあと開眼した次第です。旅先が夏の気候だからできることだと思うけれど。。

行き帰りの飛行機も機内に全部持ち込めて楽でした(そのかわりナイフは持っていけなかった)。

この小さいかばん1つ分の荷物で不自由なく日々を過ごせてしまうんだな、というのは、ちょっと感慨深いです。

今までは「念のため」と、すごくたくさんのものをいつも持って旅をしていました。今回は「持っていくかどうか迷ったら置いていく」というのを基本方針にしました。いさぎよさが必要だったけど、それだけのごほうびがあったように感じています。

どうせ非日常のなかで過ごすのだから、身の周りの品がいつもどおりに整っていなくても、そこまで気にならない、といのはあるかも。。?

Img_0445 念願のザ・バスにも乗れたし。。旅は身軽にかぎる、です :)

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2017.04.07

Alohaの伝統とハワイアン航空

当事者でないと、やっぱりわからないこと、というのが圧倒的にあるということを思う今夜です。わかりあいたい、わかりあえるはず、という夢もあるからこそ、がっかりするけど、でもまずはこれを認めるところから、はじめないとなんだなあ、と。。。

いろんなことを思って、心にいろんな波が立つけど。

ぜんぶわかりあえるわけではなくても、わかりあおうとするっていう方向へ向かうことはできて、それがきっと尊いことなんだろうな、と思う。

* * *

ハワイのお話の続きです。ハワイアン航空の帰りのフライトは、時差ぼけ対策でなるべくずっと起きていることがポイントだったので、映画や特集番組を見まくったのだけど、すばらしいことにすべてハワイ関連のコンテンツだけを見ているうちに着陸時間がやってきました。

映画は40数本から選べたのだけど、選択画面で出てくる画像だけを見て「これだ」と選んだ2本は、どちらも全然知らない映画だったけど、オアフ島が舞台の映画でした。

1本目は『ハウマーナ』という、男性のフラダンサーについての映画。ワイキキで観光客向けのショーの歌手をしていた男性が、子どもの頃からやっていたフラにひょんなことから向き合い直すことになって、紆余曲折を経てクムフラ(フラの師範)になる方向へと人生が切り替わって行っていく、というお話。

ハワイを題材にしたハリウッド映画かしらん、と思って見始めたけど、ハワイアンの人にとってフラを踊るとはどういうことなのかを、丁寧に伝えようとしていて、これはハワイの人が撮った映画かも、と途中で思い始めました。(※「ハワイの人」とは、民族的にネイティブハワイアンの人というだけの意味ではない、もっと広い意味でのローカルの人のことです。ハワイの人は民族的にいえばハーフ、クォーターよりももっとたくさんの混血であることが普通みたいだし、ハワイに生まれたり育ったり長く暮らしたりした人はみんなこの地の人なんだ、と今回実感したのでした)。

映画の途中、主人公率いる男子学生フラグループが出場するフラの大会のシーンがあって、その大会の様子を描写しているところで、ソロで踊る男性が出てくるんだけど、後でエンドロールを見ていたら、その踊り手を演じていたのが監督さんでした。なのでひょっとしてこれは監督自身の自伝的なお話?と思って、後で調べたら、生まれも育ちもハワイのケオ・ウールフォード監督がこの作品の脚本も書いていました。

監督自身のプロフィールを見たら、かつてBrownskinsというハワイのボーイズバンドのメンバーで、後に俳優に転じて映画や舞台、テレビで国際的にも活躍されていました。そして同時にフラの修行も積んでいたんだそう。

そしてクムフラ(フラの師範という意味の言葉だけど、伝統的フラの正統な継承者・指導者を指す位らしい)に去年の夏なられていて、そのあと11月に脳卒中で他界されていたと知りました。

監督のこの作品は、フラが単なる踊りではなくて、生き方そのものだということがよくわかる映画でした。文字を持たなかったハワイアンにとっては、古くからの叡智や価値体系の伝達手段であって、神々との交信手段でもあったんだ。。。

そしてクムフラになるということの、責任の重さも、伝わってきました。そういえば、今回の旅の間、家族のみんなと観光船にのって川下りに参加したときがあったのだけど、そのとき船上でライブ音楽とフラのパフォーマンスがちょびっとだけありました。そのダンサーの方とミュージシャンと一緒に、下船して、滝まで歩いて、また船に乗って帰ってくる、というコースだったのだけど、滝から船に戻るときに、わたしだけ皆に遅れてしまって、たまたまダンサーの方と2人だけで少しの間歩くことになりました。

0005_xlarge とてもきれいな方なので、どきまぎしましたが、「ダンス、とてもすできでした。長く踊っていらっしゃるんですか?」と話しかけてみたら、「5歳のときからです、だから45年」と。なるほど見事なダンスなはずだーと思って、「もしかしてクムフラでいらっしゃいますか?」と聞いたら、「いや、ちがいますよ!クムフラは責任が重すぎて、片手間でできるものじゃあ、ありません」とおっしゃって、それが印象に残りました。

クムフラは無償でやる仕事だ、とどこかで読んだのも思い出しました。みんながみんなそうなのかどうかわからないけれど。生徒たちにしっかりと伝統を受け継いでもらうには、実際大変な責任を伴うみたいです。

イプという大きなひょうたんのたいこをたたいてチャントをうたう、クムフラ。

ノースショアのワイメア渓谷で出会った小学生の一団が木々の下で踊ったときも、そういえば、方隅にイプを手にして地面に座っていた女性がいました。彼女の掛け声のもと、子どもたちはまず大きな声でチャントを唱えながら4つの方角を向いて、それから踊りだしたのでした。Img_0311

遠くから見てたけど、みんなの真剣さがわかりました。

* * *

もう1本、飛行機の中で見た映画が『ザ・ライド』です。こちらはサーフ映画とおぼしき映画だったので、軽い気持ちで見始めたのだけど、ハワイの英雄であり伝説のサーファー(&水泳選手)、デューク・カハナモクへのトリビュート映画でした!

『ハウマーナ』同様、ハワイ出身の監督(ネイザン・クロサワさん)が手掛けた映画で、『ハウマーナ』同様、役者として活躍していたわけではなかったハワイ出身者を大勢キャスティングしていました。「リアルな人と、リアルな場所で」この映画をつくることを旨としたそうです。

この映画、サーフィンというスポーツの原点をたどれる映画です。そしてそもそもサーフィンが生活の一部だった、1911年当時のハワイの人たちのあり方。。。ハワイの伝統や価値観も、ひしひしと伝わってきます。デューク・カハナモク役の方の存在感のジェントルさは、ほんとうにすてきでした。「板に乗るんじゃない。波に乗るんだよ」というデュークの名言も。

* * *

ハワイざんまいのインフライト・プログラムで、映画の他にはハワイのトランスジェンダーの方についてのドキュメンタリー番組も見ました。

男女両方のスピリットを持つ人(トランスジェンダーの人)は、古代ハワイでは「Mahu」と呼ばれて、ケアテイカー、ヒーラー、古くからの伝統、聖なる知恵をフラやチャントを通じて伝える教師として尊敬されていたんだそう。

見たのは現代のトランス(FTM)の小学生ホオナニさんについての25分版番組で『A Place in the Middle』というタイトル。実は77分版のドキュメンタリー映画の部分を再構成したものらしいと後でわかりました。長編のほうは、『Kumu Hina』というタイトルで、ホオナニさんの学校で先生をしているトランス(MTF)の先生、Kumu Hina(ヒナ先生)が中心の内容。長編のほうも見たいな。。。

25分版のほうは、ほんとうのAlohaのスピリット(お互いを尊重しあって調和の中に生きること)を考えるための教材として、ハワイの学校で使われたりしているみたいです。Youtubeでも見られます(ちょっと不完全だけど、日本語の機械翻訳字幕を表示することも可能です)。

ヒナ先生も、ホオナニさんも、唄が、チャントが、うまい。。! ホオナニさんはウクレレもすごくうまい。。。

チャントがうたえることが、伝統を受け継ぐことの大きな部分を占めていることを、改めて思った次第です。

それと、ヒナ先生が11歳のホオナニさんに「わたしはあなたが男子の列に入りたいのがわかっているし、入ってもらってOKだけど、他の人は、あなたが女子の列に入るのが当然と思ったりするかもしれない。そんなとき……若いうちはね、ただ流れに任せるのよ。わたしくらいの年齢になったら、もう他の誰かのために動かなくてもよくなるからね」と諭していたのが印象的でした。

「さいしょはがまんをしなくちゃいけないけど、いずれは他の誰かのために動かなくてもよくなる」というのが、ハワイの伝統文化のたどった道と重なるようにも思えました。

* * *

インフライトプログラムには、私と相方の憧れのかたまりである、ハワイの双胴カヌー、ホクレア号についての番組もありました。ポリネシアの伝統航海術の継承者、ナイノア・トンプソンさんのお話も聴けて、すごくよかったです。

今ホクレア号は世界一周航海の真っ最中。番組では、ホクレア号が寄港した先での様子をドキュメントしていました。

ホクレア号のはじまりに関する映像は、オアフ島滞在中に行ったビショップ・ミュージアムのプラネタリウム番組「Wayfinder」でもじっくりと拝見することができて、至福でした。(短いバージョンだけどみられるが動画がありました↓)。

Wayfinders: Waves, Winds, and Stars (Fulldome Preview) from Daniel R. Rogers on Vimeo.

ビショップ・ミュージアムのプラネタリウムは、ナイノアさんが伝統航海術を学ぶ過程で、星空を勉強するために通い詰めた場所だったんだそうです。

長編のほうでは星の航海術の一端をバーチャル体験できるしかけもあって、星をつかって東と西を見極める方法も教わりました。ホクレア号の名前の由来は、ホク・レア(ハワイ語で喜びの星)と呼ばれる星、アークトゥルス。このアークトゥルスとスピカが水平線近くにあるときに、2つの星を結んだ中間点が真東になる、んだったと思う(記憶が正しければ)。西も同じように2つの星を結んだ中間点だったんだけど、どの星だったか思い出せない……。

それにしても星がわかれば方角も緯度もわかるってすごいな。地図が頭上に広がっているようなものだなんて。。。

星が見えないときでも、潮の流れや波、風、鳥などでナビゲートしていくのが伝統航海術なんだそうです。

この伝統航海術をハワイに蘇らせることになったきっかけとなった人は、実はミクロネシアのサタワル島のマウ・ピアルグさん。伝統航海術を受け継いでいた人でした。ハワイでホクレア号が完成したとき、ハワイには航海術がわかる人がいなくて、1976年にマウさんがホクレア号をハワイからタヒチまで、機械類を使用せずにナビゲートしてみせたのでした。これを見て感動したナイノアさんが、マウさんに弟子入りして、ハワイに伝統航海術が蘇ったのでした。

そういえば。。。ビショップミュージアムへ行くのにuberという民間タクシーを使ったのだけど、そのドライバーの方がミクロネシアのコスラエ島出身の方で、ホクレア号の話になったときに「うちの国の人が伝統航海術をホクレアの人に教えたんだよ」と誇らしげに言っていました。サタワル島とコスラエ島は同じミクロネシア連邦に属する島。「彼はもう亡くなったけど、彼の子孫に、伝統航海術は伝わっているよ」と言っていました。運転手さん自身も海軍に入るためにオアフ島に越してくるまでは、生活の一部としてカヌーに乗っていたそうです。

* * *

ホクレア号はハワイの伝統文化とアイデンティティを取り戻す動きのきっかけをつくったけれど、今はもっと先へと歩みを進めている、と今回実感しました。

オセアニアの海域からこんどは世界一周航海へと出発することになった2014年に、ナイノアさんがおっしゃった言葉。泣けた。

「この航海は……自分たちのためにするのではありません。3年間旅に出るのは、地理や国家、民族によって定義されるのではない文化を見つけるため。この地球上に出現する必要がある新しい文化、全人類に関わる文化です。その核心にあるもの、その文化を定義するものとは、価値観です。”富”の新しい定義、それは、貯めたり自分たちのものにしたりできるもののことではありません。”富”の新しい定義、それは、みんなに贈れるもののこと。私たちはそう信じているし、そのために航海するのです。」

ホクレア号は現在世界一周の終わりに近づいていて、ラパ・ヌイからタヒチに向かう途中。4月中旬にタヒチに到着予定です。そこからハワイへと帰路につき、2017年6月にハワイに帰って来ることになっています。現在位置などのリアルタイム情報はPolynesian Voyaging Societyのサイトから見られます。

サイトを見てわかったんだけど、Mālama Honuaと名づけらたこの世界一周航海の公式スポンサーがハワイアン航空でした。ハワイアン航空はベジメニューがないという残念ポイントもあったけど、それを上回るすてきさがあるな!

Mālama Honuaとは、シンプルに訳すと「この地球という島のお世話をすること」という意味なんだけれど、ハワイ語の意味合いとしては、「この世界を構成しているあらゆるもの、大地、海、生き物、文化、コミュニティを大切にして守ること」なんだそうです。

Aloha。。

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2017.04.05

Kokuaのスピリット

記憶力がガタ落ちしてから、わたしのメモリーデバイスになりつつあるこのブログです。。。

いろいろ書きとめておきたいことがあった今回の旅だったのでした。記憶があるあいだに、順繰りに、少しずつ書いておこうと思っているところ。。。

* * *

Img_0236 ノースショアのハレイワの、(きゃ)さんのおうちで私たちが泊まらせてもらった部屋には、小さな机があって、その上に、Tシャツの胸のロゴ部分が見えるように折りたたんで小さな額縁に入れたものが置いてありました。額縁もTシャツもくたびれていて、見たところ年代物みたいだった。

無地のTシャツの胸のところに「KOKUA」とい文字がただ書かれているだけのシンプルなTシャツです。

あまりにさりげなくそこに置いてあって、相方はその存在に気づかなかったほど。

わたしも額の中でTシャツの右端がへにょっとずれたまま、ホコリもちょっとかぶってそこにあった、そのくたびれ加減に、そこまで深くは気を留めずにいました。

帰りの飛行機で、時差ぼけ対策で一切寝ずに過ごそうと、インフライトの映画や番組を見まくっていたのだけど(ハワイアン航空はハワイ関係の映画や番組が充実していて、最初から終わりまでハワイ関連のものだけ見ていられて、すばらしかった!)、ハワイの伝統食を掘り下げるのがテーマの番組で、ホストを務めていたハワイ出身の有名シェフ、エド・ケニーさんが、あの額縁に入ってたTシャツと同じのを着ておられたシーンがあって、あ、と思いました。

日本に帰国してから、そういえばあのTシャツはなんだったんだろう?と思ってしらべたら、ジャック・ジョンソンさんがKokua Hawai'i FoundationというNPOのためのチャリティイベントとして音楽フェスをやっていたときの記念Tシャツだったみたいでした。

Kokua フェスの音源を集めたアルバムも出されていて、そのアルバムの表紙がTシャツのロゴと同じでした。Kokuaとはハワイ語で「助け合い」とか「エイド」とか「へルプ」を意味する言葉。

ノースショアといえばジャック・ジョンソン。。だから(きゃ)さんのおうちにあのTシャツが飾ってあったのも不思議はなかったわけでした。

そんなわけでKokua Hawai'i Foundationのサイトにたどりついたのだけど、そしたらサイトのカバーページに見覚えのあるロゴがありました。「Plastic Free Hawaii(プラスチックのないハワイ)」というロゴ。

(きゃ)さんちの近所の自然食品店で見つけた、持ち運び用のカトラリーセットに、おんなじロゴがついてたのでした。

20170405_10_47_59 20170405_10_49_38 お箸とナイフ、フォーク、スプーンがみんな入ってるけどすごく軽くて、コンパクトで、なかなか秀逸なこのカトラリーセット。

よく見ると、空色の袋はリサイクルPET製で、ゴミとして埋め立て地行きだったペットボトルを再利用していると書いてありました。

20170405_10_48_07_2 袋のふた部分の「Plastic Free Hawaii」というロゴの下には、よく見ると「A program of the Kokua Hawai'i Foundation」と書いてありました。

Kokua Hawai'i Foundationは環境教育の支援・推進活動をしているNPOだそうで、プログラムの1つとして、プラスチックのないハワイに向けて活動していたんですね。プラスチック製品の使い捨てを最小限にしていくことの健康面・環境面のメリットを知らせるためのツールやトレーニングを、学校や企業、地域コミュニティ向けに提供しているそうです。プログラムの一環で、ビーチクリーニングや、こうしたリユーザブル・カトラリーの販売もしていたのでした。

このカトトラリーセットを一目見たとき、軽くて小さくてキャンプに便利だなあ!と思ったけど、本体には「TO GO WARE(テイクアウト用カトラリー)」と書いてあって、ごはんをテイクアウトするときなどの普段使いが想定されているようでした。

思い返すと私もオアフ島滞在中、外食やテイクアウトをする中で、なんどもプラスチックのフォークやスプーンを使い捨てするはめになりました。博物館や公園内の食堂などでご飯を食べると、プラスチックのフォークと紙皿などで出されて、食べ終わるとまるごと全部、大きなゴミ箱へ入れるのです。プラスチックと燃えるゴミの分別もなしでした。。。

20170405_12_00_54軽い手荷物の旅にしたくて、荷物を最小限にしてきちゃったので、お箸だけは持ってたけど、今回は野宿しないし、と思って、持ち運び用のフォークやスプーンは置いてきちゃっていました。でもたまたまハワイ到着翌日に小さな売店でアウトドア用フォーク兼スプーンを見つけて(ドイツのメーカーのだったけど)即買い……。

なのでその後はお箸も、スプーン兼フォークも、いつも持ち歩いていたわけだけれど、お店で当たり前のようにプラスチックのカトラリーを出されると、ついもらってしまって、自分のを使いそびれてしまってました。。。(後悔)。よその地で、まわりに溶け込みたい、と思うと、つい、みんなと同じようにしてしまうへなちょこな自分です。

ほんとに、このへなちょこは、どうにかしたい。。。

Kokua Hawai'i Foundationの活動を、これからも応援したいし、自分のへなちょこ改善活動にも、もっと取り組みたいです。

愛と尊敬をもってお互いに接するハワイのAlohaのスピリットは、地元の人と接する中でほんとうに身に浸みたけれど、AlohaのスピリットにこのKokua(助け合い)のスピリットが連なっていることは、そうだよな、うんと自然なことなんだな、と思いました。

Img_0454Img_0459 Img_0456 余談:ハワイアン航空はインフライトプログラムも充実していたけれど、シートベルトや非常口の案内動画もイケてました。すべてハワイの風光明媚な場所で、ハイカーやフラダンサーやカヌーの漕ぎ手やサーファーの皆さんとロケ撮影されていて! 非常口の場所は砂浜に描いた飛行機の上で示されたり。非常口の方向をフラダンサーの方が踊りながら示してくれたり。とてもよくできていて感心しました。

おちゃめでかわいらしくて美しい動画でした。これもAlohaのスピリットだなあ。。。と思った。

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2017.04.04

(きゃ)さんの自然な暮らしと、カヌーと、ワイメアの谷

遠出の旅から帰ってそろそろ1週間です、ようやく身も心もおうちに戻ってきた感じです、ほんとにゆっくりだ。。。そして旅を振り返りつつ仕事してます。

Img_0414 ハイビスカスでシャンプーがつくれること、オアフ島のノースショア(ハレイワ)でお世話になったおうちの(きゃ)さんに教わりました。玄関先に咲いてた赤いハイビスカスの新芽や葉っぱをひとにぎり摘んできて、水を張ったボウルに入れて、もみもみ。。。 そうやっていると、とろんとした成分が出てきて。。。あわい緑がかった、とろんとした液体になったら完成です。Img_0231

頭を洗う時は、これをつけて髪をもみもみしたあと、洗い流す前に少し置くのがポイントだそうです。やってみたら、髪がふんわりソフトになったのを実感しました。

Img_0232 ハイビスカスのシャンプー、いいです。しかも、もみもみしたあとの新芽や葉っぱや花は、まるでゆでたモロヘイヤそっくりで、お醤油なんかで和えてみたらおいしく食べられました♡ 無駄がない。。

Img_0243 Img_0421 Img_0339 (きゃ)さんちは、裏庭にバナナやココナツ、カカオ、マンゴー、パパイヤ、パンの実(ブレッドフルーツ)なんかがなっていて、少し離れたところにある畑では大根なども育てているそうで、朝ごはんにはパンの実の炒めものや、カカオとバナナのデザート、マンゴーとココナツとスピルリナとライスミルクのスムージーなどをつくってくださいました。Img_0410顔をあらっていたら、裏庭で「ゴンッ」と音がして、なにかなあと思ったら、(きゃ)さんがココナツを取ってた音だったり。。。Img_0408刃物で割って、中の白いところをかき出して、スムージーに入れてくださいました。

生ゴミはみんな、庭を駆け回っている鶏にあげるというシステム。これも無駄がない。。庭にはコンポストトイレと、アウトドアお風呂も手づくりされていました。 Img_0425Img_0423_2

  家の裏手には川と池があって、泊まった最初の晩は、春休みの近所の子どもたちが夜遅くまで川でカニとりをして盛り上がっていました。くたびれてなかったら見に行きたかった。。

不思議と日本通で、家に帰って来ると「ただいまー」と言う(きゃ)さん。「ただいま」だけを習って「おかえり」は習わなかったらしく、私たちが帰ってきて「ただいまー」と言ったときも「ただいまー」と返してくれてました^^; なんで日本語そんなに知ってるの、と聞いたら、以前ピースボート乗船者向けのプログラムを担当したことがある、とおっしゃってた。

友達が釣ったというAkuという大きな魚(サバみたいな魚)を持って帰って来ると、まるごと特大の鍋にごんっと入れて、水と大根と薬草とを入れてことこと煮てスープもつくってくれました。海の人の料理、という感じ。。。朝ごはんに海苔と一緒にいただきました。

(きゃ)さんは食とヨガのスペシャリストでもあって、朝起きて顔をあらってリビングに行くと、すでにリビングにヨガマットが敷いてあって、(きゃ)さんと、ヨガの生徒さんらしき女性が1人いらしていて。あと2枚余計にマットが敷いてあったので、「他にもっと生徒さんがいらっしゃるんですか?」と聞いたら「これはきみたちのぶん、さあ」と。いきなりヨガセッションの始まりでした。宿泊代に朝食とヨガセッション代が込みだ、というのはなんとなく知っていたけれど、前夜に何もそういう話もなかったので、突然でびっくりした。(きゃ)さんは何時からこうしますよ、とか言う人ではなくて、その場の流れに合わせて、とてもイージーにものごとをやっていく感じの人。口数が少なくて(少なすぎてこの突然のヨガセッションみたくいろいろびっくりしたけど)、静かな存在感で、でも笑うときはカラッと笑うのでした。ヨガの指導もゆるやかで的確で、とても気持ちよくできて、休まりました。

空色のビーチクルーザーも貸してくれて、浜までの気持ち良い道を走りました。ピストバイクは初めてで、緊張した。。けど慣れるとかえって快適でした。ペダルでブレーキできるって楽です。片手にサーフボードもってたらなおそうなんだね、きっと。

Img_0324ノースショアはサーフィンで有名な街だけど、この2月にはノースショアコミュニティのみなさんと、ホクレア号のキャプテンとナビゲーターをつとめたカマキさんとでつくった新しいアウトリガーカヌーも処女航海をしたばかりだそう。

アウトリガーカヌーはハワイの伝統そのもの。ホクレア号は私と相方にとっても大きな存在で。。。歩いていたら、たまたま浜でこの新しい双胴カヌーに出くわして、うれしかったです。

Img_0321Wanana Paoaというこのカヌーの名は、ノースショアのワイメア湾沖の小島から命名されていて、これからのノースショアはサーフィンと観光だけでない、もっと大きなものを体現する場になっていくんだ、という地元のみなさんの心意気を、後でネット上の記事で知りました。

そんなこんなで、たまたまAirBNB(民泊)で見つけて泊まらせてもらうことにしたおうちだったけど、いろいろうれしいおうちでした。歩いてすぐのところに大きな自然食品店もあるし、居心地100点のベジカフェもあるし、バスでちょっと行ったところにはワイメア渓谷という美しい渓谷があって、滝つぼで泳ぐことができました。

Img_0300 この滝と谷全体は、いったんテーマパーク化されてしまっていたのを、ハワイアンの人たちががんばって土地をトラストとして買い戻して自然公園に戻したそうです。それがつい2006年のこと。

滝つぼで泳いで、この谷の風に吹かれたときが、実は今回のオアフ島滞在の中で、一番幸せを感じた時間でした。なぜか泣けた。。。

帰国してからググったら、この谷はもともとワイアンのカフナ(古代ハワイの神官)が代々統治してきた場所だった、とありました。800年近く、カフナがこの谷を守り続けてきたそうです。別名「カフナの谷」として知られるほどの聖地に、かつては軍用施設がつくられたこともあったとわかってびっくりしました。テーマパーク時代もかなりな使い方をされていたみたい。

この谷は、今はハワイの自然や文化について学べる場になっていて、広大な敷地の中をさまざまな植物に会いながら歩いていけるようになっています。昔の暮らしを偲べる復元住居などもあったり。ヘイアウ(神殿)も、かつての場所に復元されていて。

遊歩道には途中「Cultural Practitioner」と書かれたブースがいくつかあって、そこで係の人にハワイの伝統文化についてデモンストレーションしながら教わることができるようになっていました。

滝へ向かう手前のところで、以前博物館で目にして気になっていた、昔のハワイのキャンドルがブースにあるのが見えて、お話を聞いてみました。

Img_0291 石うすのような入れ物の中にさしてある、このおだんごみたいなのは、ククイの木の実。これは展示用なので殻をはずしてないけれど(はずすと小鳥が来て食べちゃうから)、本来は殻をはずして使います。上端の実に火を灯すと、1粒3~6分くらいのあいだ灯って、下の実に燃え移り、そうやって串1本でしばらく燃えるようになっているそう。

実際に灯してみたいなあ。。!どのくらい明るいんだろか。ククイの木は英語ではキャンドルナッツ・ツリー。そのまんまな名前だし、やっぱりキャンドル並みに明るいのかな。と思って調べたら、実際に実を灯してみた動画がありました。ほんとにキャンドル並みでした。この実はじゅずつなぎにして正装のときのネックレスや腕輪にも使われていました。気持ちのいい手触りの実。

Img_0292 ククイキャンドルのとなりにもいろいろ並べてあったので、尋ねてみると、ただの丸い黒い石に見えたものは、フラを踊るときのカスタネットでした。2つの石を片手に持って打合せると、なるほどいい音がしました。帰りの飛行機で見た『ハウマーナ』というフラがテーマの映画で、たまたまこの石のカスタネットを鳴らしながら踊る人たちを見ました。ゆったりした踊りだった。。。

この石は、そこらへんのてきとうな石でいいわけではなくて、フラの踊り手一人ひとりが、自分で探しに出かけて、自分の手に合う石に出会わないとなんだそうです。

Img_0297 小さいたいこは、腿にゆわいて固定して、草を編んだバチで叩くもの。たいこの革は昔はサメの革を使っていたそうです。

ほら貝も、ほんとうに貝のはしっこを切り落としただけのものだけど、立派な音が出ました。

シンプルで美しい道具ばかりでした。

Img_0302 テーマパーク時代はエンターテイメントのためのダイビンングショーが行われていたこの滝。今は地元のみなさんに大切にされていて、静かで穏やかな場所でした。

滝つぼで泳いで上がったときに、地元の小学生らしきグループが、先生らしき人たちに連れられてやってきたかと思うと、ひとしきり滝に向かって熱心にチャントを唱えて、それからみんなで水に入っていくのに出くわしました。

しばらく後で、またこの子たちのグループに遭遇したのだけど、そのときは大きな緑の木々に囲まれたところで全員でフラを踊っていました。男の子も女の子も大きい子も小さい子もみんな。踊るってこいうことなんだな、とちょっと思った。

Img_0315 ほんとうに美しくて、ゆたかさを感じる谷でした。

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2017.04.02

オアフ島の海に

Img_0302 ひさしぶりに遠くへの旅に出ていました。ハワイのオアフ島へ、大家族でのお祝いの旅行で、最後に数日間パートナーと2人で延泊しました。

オアフ島は若い頃に1度行ったきりで、そのときのワイキキの印象があまりよくなくて、格別行きたい場所ではないと思ってきたのだけれど、今回、その先入観が溶けたのでした。ワイキキは確かに自分にとって大変な場所だけれど、オアフ島のほかの場所、海や谷や滝や田舎街は、とても広大で、やすらかで、ゆたかでした。

それとやっぱり、地元の方々が、朗らかでやさしい。。。これも身に浸みました。ハワイの地にはやっぱり、アロハのスピリットが根付いているみたい、と思いました。

旅の前までかなり仕事が忙しくて消耗しきっていたので、旅の間もともするとすぐ頭が緊張しがちになったりしたけれど、でもやっぱり、海に、谷に、滝に、風に、花に木に人に小鳥に魚に海亀にイルカに、よくしてもらって、助けてもらったように感じています。

Img_0518 海は、なかでも、とくべつでした。以前、ビッグアイランド(ハワイ島)のホナウナウにあるツーステップスというポイントで泳いだときもそうだったけれど、今回も、海に入ると、すごくやすらぎの感覚がやってきました。

足が全然つかない深さの海なのに、まったく不安感が出てこないばかりか、むしろ安心感が増すという不思議。。。

今回入ることができたのは、ハナウマ湾と、ワイアナエ港からカタマラン船で出た沖、そしてノースショアのワイアルア湾でした。

* * *

Img_0515 ハナウマ湾は人気のシュノーケルスポットだけれど、ビジターに対しての入水前のオリエンテーションも徹底していて、この湾の自然を懸命に守ろうとしている方々の想いを感じられたのがよかった。。

Img_0511 おちゃめな顔をしたフムフムヌクヌクアプアア(ハワイの州魚)、ポーヌフヌフ(パロットフィッシュ)という大きな虹色のお魚、モアという水玉の小さいフグ、プアルという淡い青のボディがきれいなお魚。。浅いところでもほんとにいろんなお魚が泳いでいまいした。縦じまのひらひらしたマニニというお魚の群れとはしばらく一緒に泳ぐはめにもなったり。。。魚たちは人が居ることに慣れっこになっているのか、ほんとにマイペースで。。。居合わせてもらえて楽しかったです。

相方も、最初水に慣れるまでは不安そうだったのが、最後には「楽しかった!」を連発していました。シュノーケル好きの兄もよろこんで、水中で使えるカメラでたくさん写真を撮ってくれました。

* * *

Img_0516 ワイアナエ港の沖は、イルカと会うツアーに参加して、行くことができました。野生のイルカ(スピナードルフィン)に会ってもいいらしいことに、まずは、どきどきわくわくしましたが、オアフ島の西側の地域にあたるワイアナエ地区は、ハワイアンミュージシャンのIZさんゆかりの地域でもあって、行ってみたい気持ちがあったので、それもツアー参加の動機になっていました。

ワイキキを出て、西へ西へと車が走っていくにつれて、空が広くなって景色が大きくなっていきました。背の高い建物が1つもなくなって、緑色の山肌の丘が見えてきました。もともとのハワイはこんな感じだったのかな?という風景。

ワイキキは、最初王族の保養地で、タロ芋が育てられたり、池で養殖がされたりしていた場所だったのが、中国からの移民の時代には水田になって、そのあと、西洋の人たちが埋め立ててリゾート地にした場所だと聞きました。ワイキキのビーチの白砂はカリフォルニア州から運んだ、とのこと。

ハワイが西洋人の手に渡るまでの経緯をたどればたどるほど、胸つまされる自分がいるけれど、そういう過去の歴史だけじゃなくて、現在も同じ構造は続いていて、富裕層の移住者がハワイの土地を高騰させているらしく、地元ハワイアンの人たちの暮らしが圧迫されて家のない人たちが出てきているそうで、そうした人たちが少し前まではワイアナエのビーチなどで家族でテント暮らしをしていたと聞きます。が、テントは見当たりませんでした。今は当局の政策で、人目につくところで野宿できなくなっているらしく、内陸部のほうに移動しているか、シェルターに入っておられるとのこと。でもシェルター暮らしは不自由が多い、と聞きました。(このに、詳しく書いてありました)。

そして自分もやっぱり外からの訪問者としてここにいるわけで……。野生のイルカに会うツアーについても、ワイアナエ沖の浅瀬を休息の地として好んでいるイルカたちにとって、そこへ連日人間が乗り込んでくるのは、どうなんだろう、というのがありました。イルカには会ってみたいと思ったけれど、野生動物の生息地に入り込んでいいのかどうか……。気になって少し調べたら、Wild Dolphin FoundationというハワイのNPOが、イルカツアーのあり方についてかなり懸念を示している文書があって、イルカツアーの認証システム(イルカにやさしいツアーであることを示す認証)が機能していないことを憂いでいたので、イルカツアー参加は見送ろう、と一度は思いました。

でも、いくつかのツアーが載った雑誌をぱらぱらと見ていて、シーハワイというツアーオペレーターが気になりました。認証マークがついていないツアーをしていて、NOAA(アメリカ海洋大気庁)が制定した基準を守って野生のイルカに接している、と書いてあったのと、ツアー内容がイルカウォッチングと、イルカのポイントとは離れた場所でのシュノーケルのみで、カヤックとか他の派手なアクティビティを盛り込んでなかったので、もしかしたらここならいいのかも?と思いました。

シーハワイの会社のサイトを見たら、オアフ島のイルカツアーのオペレーターのうち唯一ハワイ出身者が経営する会社だとありました。あと、ツアーの収益の一部がシーハワイ財団に寄付されて、海洋科学の分野を専攻していきたい地元の高校生向けの奨学金に充てられるとあったので、それも大きかった。。。

いつも相談している、ハワイの動物たちのカードに、このツアーへの参加についてたずねると、そのまま「イルカ」のカードが出ました。アロハという意味のカード。

そんなわけで、実際に参加してみたのでした。船の上からでもイルカに会えるみたいだよ、ということで、泳げないし足のつかない海はNGな姪っ子たちも、みんな一緒に参加しました。泳ぎの得意な甥っ子と姪っ子は水に飛び込んで、甥っ子のほうは特に水を得た魚のようにのびのびと泳いで、生き生きとしていたっけ。。。

Img_0519 陽気なガイドさんたちに率いられて、開放感いっぱいのカタマラン船に乗り込み、ワイアナエ港を出てしばらく行くと、まずはシュノーケル・タイムでした。船の上から海亀が泳いでるのが見えました。ときどき頭を水上にもたげる様子がかわいらしかった。。

船のはしごを降りて海へと入ると、ふわりと開放感に包まれました。

こんなに沖で海に入るのが初めての相方は、最初不安だったみたいだったので、慣れるまで、しばらくそばについて一緒に泳ぎました。

Img_0506まわりには、あざやかなレモン色のお魚(レモンバタフライとも呼ばれる、ハワイ固有のバタフライフィッシュらしかった)がいっぱ泳いでいました。フムフムヌクヌクアプアアもいた。

たっぷり30分もそうやって泳がせてもらえました。そのあとはイルカのポイントへ移動です。

イルカポイントでのふるまい方の注意事項を聞いて、今度ははしごではないところからぽちゃんと飛び込みました(早くみんなで入水するためみたいでした)。

Img_0509 1度目のときは、ちょっと忙しい感じでしたが、2度目に入ったときは、下の方をゆるやかに泳いでいくイルカのみなさんをぼおっと見ていることができました。イルカのみなさんとこうしてそこに居合わせていると、自分の両足も交互に動かすのでなくて、ゆるゆる版ドルフィンキックみたいなふうにしたくなりました。両腕を背中のうしろで組みたくなりました。そしてなるべく静かにしていたくなりました。

Img_0508 野生動物なのに、ぜんぜんそういう感じがしないし、怖くない、というのが不思議でした。ハナウマ湾のお魚同様、人に慣れている、というのがあるのかな。それともこれは、昔からのハワイの人とハワイの生き物とのつながりのおかげなんだろうか? もしかして船長さんやガイドさんたち(ハワイ出身の方も多そうでした)の中に、海洋動物をアウマクア(先祖)に持つ人がいる、とか。。。?

ほんの束の間だったけれど、同じ水の中に居合わせてさせてもらって、つくづく美しい存在だなあと思いました。

でも、日本に帰ってから振り返って、このツアーがNOAAの基準に則していたのかな、大丈夫だったかなと不安になりました。

で、気になってもう少し調べたら、「NOAAの基準」がそのままイルカツアーの認証マークの基準だったことを知りました。てっきり2つは別物だと思いこんでしまっていた。。。でもさらに調べていたら、こんな記事にも出くわしました。なるほど、こういう見方もあるんだな、と思いました。このツアーのやり方がイルカを十分尊重しているからこそ、過去30年、ここでこうしてやれてきているわけで、これはエコツーリズムのひとつの成功例なんじゃないか、とこの水中カメラマンの方はおっしゃっていました。

シーハワイの船長さんもガイドのみなさんも、どの方もとてもやさしくて朗らかで、海を、イルカを、傷つけるようなことをしたいはずがないのは明らかでした。シーハワイではツアー参加者全員に、NOAAによるスピナードルフィンの生態についての文書を翻訳したものも配っていました。そこには、日中はイルカにとって休息時間であることもちゃんと書いてありました。

NOAAは野生のイルカとの接触を規制しつつ、「イルカと泳ぎたければ捕獲されたイルカと泳ぐように」と言っているらしいけれど、イルカの側からすると、これは誰かしらが犠牲にならないといけないことを意味しているわけで。。。バードウォッチングを全面禁止して、かわりに1羽を捕獲してそれを見るように、となったら、やっぱりそれは違う気がします。私が鳥だったら、仲間の1羽が捕えられてしまうよりは、自分たちの本来のあり方を尊重してくれる人がガイドをつとめるなかで、生活圏に少しの間入ってこられるほうがいいような気がする。自分たちの身に行動の自由がある中で、その場を束の間共有する、というほうが。。。

Img_0507 イルカのコミュニティがどう感じているか、なにが、どこまでがハラスメントになるのかは、ほんとうのところは各自のイルカに聞くしかないけれど。。。海で少しだけ一緒に居させてもらえたこと、とてもうれしかったし、ありがとうの気持ちです。イルカのみなさんも、贈り物をくれるみたいにそこにいてくれたのなら、そこまで耐えがたきを耐えていたわけではないなら、いいなあと思う。。

そしてイルカ以外の、ハワイのみなさんにも。。おじゃまさせていただいて、ハワイのいろんな部分を見せていただいて、感じさせていただいたことに、ありがとうの気持ちです。

* * *

Img_0361 最後に行った海、ノースショアのワイアルア湾は、冬の時期は波が大きいことで知られる屈指のサーフスポットです。もちろん、この時期にサーフィンできるのは腕のあるベテランサーファーだけ。

すごい大波だと聞いていたので、ノースショア滞在中は海に入るなんて無理だろう!と思い込んでいたら、お世話になったおうちの(きゃ)さんが「いや、泳げるところあるよ、このへん」と地図で教えてくれました。

すぐ向こうは大波エリアなのに、同じ湾の逆側は静かで、小さい子どもたちが大勢、楽しそうに泳いでいました。

週末だったせいか、地元の人らしき人たちがテントを建てて浜辺のそこここでのんびりしていました。いい感じのゆるさ。

Img_0341 大波に乗るサーファーのことは、いつまででも見飽きませんでした。ぼーっとながめてしまう。。

Img_0215 オアフ島は小さい島なのに、ほんとうにいろんな表情があって、懐が深いなあと思いました。海と、緑の山々と、谷と、人と、生き物のみなさんに、ありがとう。

次は谷の話でも。。。








* * *

前回ビッグアイランドのホナウナウで泳いだときの記録がふと出てきたので、ここに貼っておくことにします(自分用防備録)。

旅から帰って、半日ともだちとえんえんおしゃべりして過ごして、やっと落ち着いてきた。。。旅のあいだは感じることが多すぎて、ことばにも絵にもならない日々でした。

最後に滞在した有機農園のコナコーヒーの豆を挽いて、コーヒーを飲んでるなう。他の植物に混ざって斜面に植わって、たわわに緑の実をつけていたコーヒーの木々を思い出しつつ。。。いろんなことがあったけど、あのエリア(ビッグアイランドのサウスコナのホナウナウ)は、ふしぎとピースフルで、ものすごく休まった。農園のおかみさんにそう言ったら、自分も最初ここに来たときにそう感じたのよ、同じように感じているんだね、と言われた。

ホナウナウの湾で、日焼け止め不要の遅い午後に少し泳いだとき、水から顔をあげるたびに目に入って来る陽の光がキラキラきれいでした。ツーステップとよばれる場所で、文字通り岩が2段、階段状になっていて、その先はぐーんと深くなり、海底にはごろごろとサンゴ。地元の子どもたちらしき子たちがおおはしゃぎして岩から飛び込みをしたりバシャバシャやったりしてたけど、はしゃいでいてもちっともうるさくなくて不思議だった。かなり深いところを泳ぐときは、いつも最初は少しびびるのに、この湾では最初からおおいなる安心感の中で泳いでいて、ちっとも怖くなかったのも不思議でした。

ビッグアイランドにはいろんなことがあるけど、それらをおおいなるなにかが、ものすごく寛容に包み込んでいるような気が、やっぱりした。


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2017.01.30

色板づくり

20170128_115027 うまく、ものを考えられない日が続いています。

体調が相当に悪い。。のもあります。冬季鬱は海のそばに引っ越してからすっかりなりを潜めていたのに、今年はどうも、うまくやりすごせず、すったもんだな感じです。

でも手を動かしているあいだは、すべてを忘れられる。

こないだは、それで、一時帰国中の3歳の姪っ子のために、色板づくりを始めて、丸一日作業していました。仕事やらなにやら、やらねばなことを全部ぶっちぎって。。。。。。

色板とは、モンテッソーリ教育で使われている感覚教具の1つです。でもモンテッソーリの正式な教具って、木製で仕上がりも完璧に美しく、とてもいいものなので、お高いのです。

だから、同じような用途のものを、家庭用に自作できたらいいのにな、と思うことは多かったのでした。いろんなもので代用したり、工夫されている方も多いみたいです。それに、モンテッソーリ教育のことを教えてくださっている深津高子さんから聞いたなかで、私にとって印象的だったことはいっぱいあるんだけれど、そのうちの1つは、高子さんが最初にモンテッソーリ教育に出会った、ある途上国の幼稚園では、竹など現地で手に入る素材で感覚教具を手づくりしていた、というお話。

完璧に美しい教具でないといけない、というわけではないと私も思うのでした。でも子どもにとって扱いやすいことは大切だ、と思うのだけど……。

20170127_161419 20170127_110828_2 そんなこんなで、わたしなりに考えて、色板をつくりました。材料は、花札2セット、100色折り紙、セロテープ、両面テープ。あと、出来上がった色板の入れ物用に、木箱と、アクリルの仕切り箱(この木箱と仕切り箱は関係ない品同士だったけど、まるでセットかのようにサイズがぴったりでした!)

100円ショップをよしとしない気持ちはあるのだけれど、こういうときに頼りになるのは、100円ショップだったりします。100色折り紙は文具店で買いましたが、その他はCan Doという駅前の100円ショップで見つけました。花札は見当たらず、店員さんに「ありますか?」と聞いたら、奥から在庫を出してきてくださいました。

黒地の花札。イメージしてたとおりのお品。

これを2枚、中表に合わせて、そこに折り紙をまきつけて、留めるわけです。(せっかくきれいな花札につくってくださった業者さんには、申し訳ないですが……)。

<こうやって作りました>

20170127_110805 ①まず100色折り紙から、7色×7つのグラデーションの折り紙を選びました。(最初は9色×7グラデーションにしたけど、考えてみたら花札の枚数が足りませんでした(^_^;)

20170127_174302_3 ②折り紙の対角線上に線を引いて、その1ミリ右にもう1本線を引きます。(1ミリ=花札の厚み)。


20170127_174356_4 ③右の線に沿って花札を縦に置いて、右端にはみ出る3角形の部分を、折り上げます。

 

20170127_174459_5 ④折り上げた線に沿って、花札の短辺を置きます。花札の右隅が③で折り上げた3角形の右角と合うように。そして花札の長辺から右側にはみ出る部分の折り紙を、折り上げます。花札を縦に2枚並べて、向こう端まで一直線に折り上げます。

 

20170127_174550_4 ⑤同じように、③で折り上げた三角形の逆側(左)の角に、花札の左隅を合わせて、花札の長辺の左側にはみ出る部分の折り紙も、折り上げます。

 

20170127_174611_5 ⑥ ④と⑤で折り上げた線から外側5ミリくらいを残して切り落します。

 

 

20170127_174633_4⑦切り落とした耳を、きっちりと折りたたみます。

 

20170127_174721_2 ⑧ ③で折り上げた3角形の部分に、縦に花札を合わせます。花札の柄の中央(上から2.75ミリのところ)に折り紙の3角形の頂点がくることを確認して、テープでとめます。

20170127_174920_220170127_174843_2⑨ 向きを逆さにしてから、この花札の上に、もう1枚の花札を、中表に重ねて、そのまわりをぐるりと、折り紙をひっぱるようにしながらくるみます。角の部分にしっかり折り目をつけながら。

 

20170127_175037_2⑩最後に逆側の3角形が余るので、そこもしっかり折り目をつけてから、2枚目の花札の表側に、3角形の頂点を当てて、テープでとめます。

 

20170127_211613⑪2枚の花札のうち、1枚の表側に、両面テープを貼って、端がそろうように気をつけながら、2枚の花札を中表に留め合わせます。

 

20170128_114122

できあがりはこんな。7×7で49枚の色板をつくりました。

花札は1セットに50枚入っています(白札2枚含む)。なので2セットで100枚あって、98枚使ったので、ちょうど2枚だけ余りました。

入れ物の木箱の中に、さらにアクリルの仕切り箱を入れましたが、アクリルの箱は、底の四隅にちょっとだけ高さがつけてあったので、色板を入れたら高さオーバーになってふたがしまりませんでした……。ので、この四隅の足の部分は、ノコで切り落としました。

あと、色板は7色分あるけど、このアクリル箱は4つにしか仕切っていないので、木の細い丸棒を切って、仕切りを作りました。

7色なので、8等分すると1カ所余るので、そこにはなんとなく、「あしたの森」のブロックを入れてみた(^^)。

20170129_220504 色板をしまうときに、わかりやすいように、アクリル箱と木箱の底の間には、色紙を挟んでみました。

これでいちおう、完成です。でも色板の本体部分の花札も紙製、色の部分も折り紙だから(折り紙基準を満たした丈夫な折り紙ではあるけれど)、遊んでいるうちにすりきれたりしてしまうだろうなあ、と思う。。。

耐久性はそこまでないだろうな。。。耐久性を上げる工夫をまた、考えたほうがいいかなあ。。。

遊び方は、こんなふうにするみたいです。

20170128_114729 ①布の上に(このランチョンマットはちょっとシワシワやけど(^_^;)、1色分の7枚を、濃淡をランダムに並べて出します。色板を持つ時は色の部分でなく、端を持つようにします。

20170128_114819_4 20170128_114745_4 ②布の端に、濃淡の順に、並べていきます。濃淡の判断は、本人の主観でしてもらうのみ。「正解」はありません。どんなふうに本人が並べても、「今のこの子は、こういうふうに濃淡をとらえているんだなあ」と思って見守ります。

20170128_114929 ③次の色の7枚をランダムに出してから、また濃淡の順に並べます。そして他の色も繰り返し。

20170128_114053 今回の来日中に姪っ子と一緒に遊ぶのは叶わなかったけど、次回は一緒に遊べたらいいなあと思っています。

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2017.01.21

夢と天のくに

今朝。印象的な夢を見ました。

すでに他界している母と、祖母が、わたしを迎えにきてくれた夢。夢の中ではふたりとも生きていることになっていて、ふつうに、最寄駅かどこかに降り立ったわたしを、車でピックアップしに来てくれたのでした。母が運転をして、祖母が同乗して。そして家に帰るまでの途中で、買い物に寄る、といって、みんなでイケアに行きました。

そこの地域のイケアは少し変わっていて、同じ建物の別のフロア、4階だったかな、は、イケアと関係のない別店舗になっていて、なにかディスカウントショップのような感じでした。ヨドバシカメラ風?な。

そこで、母が時計を買う、と言って、いろんな腕時計を見て回り始めたのでした。

わたしも最初はつきあって、一緒に見てたけど、そのうちに、なんだかものすごくくたびれてしまって、(というのも、わたしはこの最寄駅でピックアップしてもらうまでに、長い距離を旅してきていたし)、思わずふだんはしないことだけど、母に「ごめん、ものすごく疲れちゃってるから、あっちの駐車場の脇のベンチのとこで、休んで待ってていい?」と言いました。

母は、いいよ、と言ってくれたので、そちらへ行きました。駐車場脇には、小さな売店があって、ソフトクリームかなにかが売られているみたいで、ベンチもあった。そこに腰かけて、母の買い物が終わるまで、待っていました。

で、しばらくそこにいたけど、どうも母とはぐれたようだったので、ここにいることを伝えないと、と思うのだけど、考えてみたら、母はケータイが壊れたからこそ時計を買おうとしてたんだ!と思い出して、連絡手段がないことを思い至りました。

で、仕方ないから、姉のケータイに電話をした。そしたら姉が出て、「父が、(な)がくるのに掃除をしてなかった、といって今がんばってやっていて、3時間後に来てと言っている」と聞かされました。。。

目ざめて、ああ、久しぶりに夢で母と会ったなあ、と思いました。祖母とも。母と祖母が一緒に出て来てくれるなんて、珍しいなあ、とも思って、ふしぎにも思いました。

ちなみに、この夢を見たのは、誕生日の翌日で、誕生日の朝も、印象的な夢を見ていました。

去年の誕生日は、富士山がでてきて、その富士山のまん中が縦に透けて見えていて、そこから龍が空へ昇って行くのが見えた、という夢でした。しかもその富士山を見た場所は、グリーンウッドワークの師匠、マイクさんの椅子のモニュメントが置かれた森の一角でした。

今年の誕生日の朝見た夢は、下北沢を相方と歩いていたら、ものすごく野趣あふれるすてきな場所に迷い込んだのでした。下北沢にこんなところがあったなんてね!と言って、人っ子ひとりいない、その里山を歩いて、「ここの土地の一角を買えたらいいよねえ」とかのんきなことを言いました。

でも道には迷っていたので、ほんのりとわだちのある道筋を「こっちかな?」という方向へたどっていきました。すると、前方に犬の散歩をしている年配の女性と、その姉妹らしき人がふたり、歩いていました。その3人の女性は、背後から私たちが来るのに気づくと、ものすごくハデに驚いて(ほぼ、おののいて)いました。

この野趣あふれる土地全体は、彼女たちの所有地で、どこからもアクセスできないようになっているから、誰もにも知られていないはずだった、ということのようでした。

迷い込んでしまったわたしたちを、彼女たちはとりあえず、自分たちの家まで連れて行ってくれました。古い日本家屋みたいな感じのところ。

でも歓迎された、という感じではなくて、招かれざる客が来ちゃったから、とりあえず帰り道(ここからの出口)を教えるためには家に通さないと、といったふうでした。

家の中には、姉妹以外の人たちがいて、若い男性が、先だっての選挙の運動についての反省を口にしながら、なにか話し合っていたのを見かけました。

この3姉妹は反原発運動に深く関わっていて、選挙運動もがんばっていたようでした。ただ、表立ってはそういうことが表明できない世の中になっていて、人目につかないこの敷地内で、さまざまに活動をしているようでした。

わたしはそういう努力をしている人たちとはまったくちがって、のんきに自分の関心時をおいかけて、おもしろがっているばかりだなあと反省しました。。。

そうこうするうちに、家の出口から外へ出ていました。手には3姉妹からのおみやげを持たされていました。ていねいに編み込まれた、金色の葦のような素材の手提げ袋の中に、なにか入っていました。

手提げ袋がいい手仕事だったので、すっかりうれしくなって、わたしは相方に「なんだか私たち、わらしべ長者みたいだね」と、またのんきなことを言いながら、歩きだしました。

家を出るときは、ほんとうにさりげなく出るという感じで、3姉妹も他の人も誰も見送りにきたりなど一切しませんでした。

この夢から目覚めたときは、ちゃらんぽらんな自分へのうしろめたさが、後味として残っていて、去年の富士山の夢のときのような、爽快さとおめでたさは感じなかったので、今年のお誕生日はこういう感じなんだな、と思いました。

それで、お誕生日そのものも、なにも特別なことはしないで、ふつうに過ごしました。とはいっても相方は、体調がしんどいのを押して、好物の手づくりコロッケを、むらさきいもで作ってくれて、夜ごはんにごちろうしてくれたので、これは十分特別だったのだけど。。!

* * *

それで眠って、今朝みたのが、亡き母と祖母が迎えにきてくれた夢だったのでした。

ひさしぶりにふたりに会えて、うれしかったな、と思ったりして、おふとんの中でしぶとく余韻に浸っていたら、先に起きて隣部屋に行った相方が「ええ・・?」と変な声を出していて、どうしたのかと思ったら、今朝がた、相方のお父さんが急に他界した知らせが来ていたのでした。

しばらく、現実味ゼロのその知らせを前にふたりしてぼんやりしていました。その後も少し思考は働くし、話もできていましたが、今思うと、やっぱりまだ事実が体に入っていってなかったんだな、と思います。

今日は1日、なんだか所在なく過ごしました。何をしているべきなのか、何をしておかないといけないのかetc.がわからなくなっていて、毎回、「待てよ、ええっと、今はこれをするんだったっけ」と自分に言い聞かせつつ、1日の中を通っていきました。

でもなにかというと、すぐぼんやりして、どうでもいいことを考え出したりして、どうもまともに考えられない感覚が続きました。それから、目玉の裏側に、涙がたまっている、例の感覚もずうっとあって。

お風呂に入って、今こうして今朝の夢だけ、書きとめておきたかったんだと思って書き出したら、少し、マインドの焦点があった感じです。そして、母と祖母が夢で会いに来てくれてたのは、ひょっとして、相方のお父さんのためでもあったのかな、と思い至りました。ここしばらく体調をくずして入退院を繰り返していて、今回の入院は、とりわけ気がかりな日々が続いていた、相方のお父さん。

天の国へ、お父さんはびゅいーと飛んでいったりしないで、歩いて行っていると思う、と相方が朝食を食べてるとき言って、涙ぐみました。わたしも、きっとそうだと思う、と言いました。お父さんは、歩くのが、ほんとうにお好きな人だったから。

病院での最後の日も、ずっとベッドで寝たきりだったところから、起きて車いすに乗ったり、つきそってもらいながら自分でお手洗いにいったりし始めることができるようになって、うれしそうだったと聞きました。退院に向かって、そうやってリハビリ的に準備をしていきましょう、とお医者さんもおっしゃって、退院できる日、おうちに帰ってこれる日が視野に入ってきた、と嬉しく思った矢先の旅立ちでした。

ふっと、安心させてもらって、そして「だいじょうぶだ、きっと」とこちらが思えた、そのタイミングで旅立たれるのは、以前も経験があります。どうしてなんだろう、と不思議に思いつつ、当然だと感じている自分もいます。。。

お父さん、まだ歩いている途中かな。景色や風を楽しんでいるといいな。長いあいだしんどかった体が、自由になって、颯爽と歩いているところかな。。。唄もうたっているかな。。。

相方は小さいころから、お父さんに山歩きに連れて行ってもらっていて、だから今でも野山を歩くのがこんなに好きでいてくれています。異文化の捉え方や、多様性や、平和に対する相方の感受性や視点も、お父さんゆずりなところをたくさん感じます。この世界の一角で、派手に目立ちはちなくても、ひとかたならぬ仕事を成し遂げた方だったことを、思っています。

お正月にパズルをたくさん出してきてくださったり、スクラブルを一緒にしたり、言葉や発音について談義をしたりも。。。楽しかったです。今までのようにはお会いできなくなると思うと、寂しいです。でも、苦しまずに穏やかに旅立てたことは、ほんとうに、よかった。。。

20170115_164103 数日前に、夕方ひとりで浜へ行ったとき、海に沈む金色の太陽と富士山がとてもきれいで、そのときに、病院にいるお父さんと、そのお父さんを毎日お見舞いに通っているお母さんに、これをお見せしたいな、と思って、そしたらなぜかわからないけど、涙がこみ上げました。

そのときは、様態も落ち着いていて、肝臓の値も上向いたと聞いていたし、希望をたくさん、わたしは持っていた時だったから、なんで涙?と自分でもわけわからなく思ったくらいでした。

でも夕日は知っていたのかな?富士山は、知っていたのかな。。太陽が沈む直前の輝きが、ほんとうに澄んでいて美しいことを。

天のくにで、どうぞ、すこやかにおられますように。

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2017.01.14

場が気持ちよくなることの、気持ちよさ

20161230_084259 おくればせながら、あけましておめでとうございます。今年は障子窓越しに寝床に差し込む朝日が、とってもあたたかなお正月でした。

この時期のあたたかな陽ざしと澄んだ青空がほんとうに好きだなあ、と思うことが増えた近年ですが、昨日はふと、もしかしてこの季節がいちばんすきかも?と思いました。冬はいつも鬱が来て大変だった頃から考えると、信じられないくらいです。

20161230_084420 年末年始は、山あいの父の家で過ごしました。毎朝目ざめると、窓から外へ出て、庭の水道で顔を洗って朝日に当たりました。気持ち良かった。。。ものすごくひさしぶりに霜柱を見ました。

Kakizome元旦は、書き初めをしよう、と姪っ子が書道セットを広げてくれたので、今年の抱負を一生懸命考えたけど、野宿の安全を祈願することが第一に思い浮かんでしまいました。。わたしも、どうぶつや虫のみなさんも、快く野で眠れる平和な世界を願いまする。

20170102_091525_2父の家はWi-fiが届きにくい立地なので、おかげでほぼオフラインで過ごしていました。例年は年末に父の家につくと、おせち作りに専念する日々になるのだけど、今年はおせちの量が半量でよかったので、わたしは家じゅう目についたところのほこり取りを楽しくやって、相方のほうは「窓を見るとつい拭きたくなる」くらい窓ふきがブームになっていたので、父の家の窓をみんな拭いてくれました。

父の家に行く前にも、自宅の大掃除を例年よりも楽しくやれた去年でした。というのも、来年の日記帳を買おうと入った書店で、ふと目に付いたお掃除の本がおもしろくて、本は古本を買うか図書館で借りるかがデフォルトな私が、珍しくその場でその本を買ったのです。で、この本に書いてあるテクニックを使ってみると、おもしろいようにきれいになったり、楽に汚れが落とせたりして、ふたりともすっかり楽しくなってしまったのでした。

中国残留孤児2世として、17歳まで中国で暮らした新津春子さんのご本『そうじは「ついで」にやりなさい!』です。中国にいたころは、「日本人は日本へ帰れ」と言われ、日本に来てからは「中国へ帰れ」と言われ、そんななかで家計を助けるために、日本語ができなくてもできる仕事として清掃を選んだという春子さんの視点は、ご苦労された生い立ちのせいなのか、とてもニュートラルなのでした。清掃のプロである彼女には「汚れを完璧にきれいにできた」とか、「自分がここをきれいに保ってあげているんだ」とかというような自分を軸にした視点がないようで、その場がきれいになることそのものが喜びで、きれいになるとみんな気持ちよくそこにいられるでしょう、とおっしゃるのでした。

彼女のドキュメンタリー番組があって、それがきっかけで生まれた本だったようで、元の番組もYouTubeで見てみました。彼女の笑顔、きれいでした。清掃は世間では見下されている職種だということも承知しつつ、でも自分の仕事にプロとしての誇りをもって、利用者への思いやりを全開に、日々努力と学びを続けながら臨んでいる彼女の姿は、本当にかっこよかった。

そんな彼女のおかげさまで、お掃除がわがやでプチブームになった年末でした。あのときは春子さんに影響されて、お掃除するときの気の持ちようが変わっていました(今はまた元にもどっちゃったけど。。(^_^;)。苦労感よりも、お掃除することでその場が気持ちよくなること、そのものが喜びになっていたっけ。。。

この「気持ちのよさ」のほうにチューニングするって、大きそうだな、と思う。お掃除してその場が気持ちよくなるっていうことや。アレクサンダーテクニークを生きて、自分自身が心地よいあり方で日常を暮らすってことや。わたしはとかく「正しくあろう」としてしまいがちなんだけど、「気持ちのよさ」を主眼に置くほうがきっとこじれないし、ややこしくならないし、そうすると結果的に「正しくあれる」ことになるんだろうという気がする。

20170106_163516 年始に来日してくれたアレクサンダーの先生、デビさんが、「最近実験を始めたプロセス」をシェアしてくれて、それがすごくおもしろくて、インスパイアリングでした。おかげさまでアレクサンダーテクニークでいうinhibition(抑制)の意味あい、undoing processの意味合いが、自分の中でまた更新されつつある最近で、それは気持ちのよいことだし、おもしろいことなのでした。

気づくということの、パワーを思う。大切なのは、気づけるかどうか、なんだな、と思う。問題だと思うことを変えられるかどうか、解決できるかどうかではなく。単純に、物ごとに気を向けるのと同時にそのとき自分自身がどこにいるのかにも気を向けていること。。。ものごとと自分の両方に気づいていること。。。

気づいたことがらへの良し悪しの判断や定義を保留して、まずは「ふむ、おもしろいね」と言ってみて。。。そして自分にはほんとうに選択肢があると思い出すこと。。。「イエス」にも「ノー」にも「その他」にも、どの選択肢にも平等の重みがある、あの境地へ。

「イエスに決まってる」というくらいそちらへのエネルギーがぱつぱつなときには、とくに、敢えて「ノー」を思い切り自分に許してみて、ぱつぱつのエネルギーをゆるませて、他へ動ける余地をあげてみること。。。そしてそのあいだもいつも、時空間からのサポートを受け取っていること。。。

誠実に、こうしていると、問題だったことは自ずと、間接的に、解決されるんだ、という信頼が育まれつつあります。

言葉で書くと抽象的に聞こえてしまいがちだけど、こうしたプロセスをすごく具体的に、観念だけではないわたしのまるごとで体験しているところ←今ここ。

20170106_102225 今年は、チャレンジングなことも多そうな予感があるけれど、どんなときも、今居るところに、まわりとの関わりのただなかに居て、くつろぎ冴えて居たいなと願う。。。そういう瞬間が多ければ多いほどいいなぁ。

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«すごい喫茶店