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2006.10.31

「5」の絵

タロットの「5・法王」を描きにいってきました。
今回は事前になにもビジョンも降ってこず、なにかと気ぜわしいまま、なんだか呼吸も速くてあっぷあっぷしているような状態で、「こんなんで絵なんて描けるのかな」と思いつつ出向きました。

うそはつかずに、ありのまま、今の自分を描けばいいです、と言われて、なんだかドロドロしたエネルギーが炸裂するかと思ったのに、描いていると思いのほかサンサンと明るい感じに。太陽のような明るくてむこうみずなエネルギーが、ぶわっと、放射しつつ、周囲のヒトを取り込みつつ、浮世のうえに浮かんでるような絵になりました。

占星術でいうと、わたしはアセンダントがしし座なのですが、そのアセンダントの度数を、現在の土星が一ヵ月半前に越えたばかり。アセンダントは「自分自身をこの世に割り込ませていくエネルギー」をあらわすそうで、しし座=5ハウス、そして、しし座の支配星は太陽。五角形の膜に包まれた太陽が「着床」したような、太陽エネルギーが物質界にどぶんと入った直後のような構図になった今回の「5・法王」の絵は、きしくも、わたしのアセンダントの状況をわらわす図だったようです。

それにしても、どぶんと入ったその物質界というのが、まだわたしにとっては相当「未知」らしい、未知ゆえに手探りしているらしいです。これは絵のリーディングをしてくださった遠藤さんのフィードバック。

後でじーーーっと見ていたら、「アフリカの草原」を描いたつもりの場所(失敗してぜんぜん草原に見えず、あきらめて放置した場所)が、魔物の顔のように見えてきました。すごい怪しげな笑いを浮かべているような。。。構図のうえでは、この場所は、「口」とか「鼻」とかを意味するそうなので、この魔物はいわば「外界の取り込み口」として描かれていることになります。この世とのかかわりでは、まだよくわからないへんてこな状況が展開しているようです。

そんな課題にいま体当たりしているのも「若さだよね~」と遠藤さん。自分自身を青くさく感じるときが確かにあるので、なにも言えませんでした。

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2006.10.30

安息香

今日は、友人の(り)さんのアロママッサージを受けに行って、帰りの電車の中でとなりのおじさんによっかかって爆睡してしまい、ようやっと家にたどり着いたら、おふとんへ直行。まだ日暮れ前なのに、ぐっすり眠ってしまった。

自分を「強制終了」したみたいな、どっと深い眠りでした。

マッサージを始める前に、どんな精油をブレンドするか2人で相談しているとき、「最近気が頭にのぼっちゃって、休まらない感じ」と言ったら(り)さんは「グラウンディングが必要なんだね」と言って、いくつか選びだしてくれました。

その中のひとつ、安息香の香りをかいだとき、そのバニラのような甘さにノックアウト。安息香をベースにブレンドしてもらいました。ベンゾインとも呼ばれる安息香の精油は、色がコハク色で、トロッとしていて、ベースオイルにスポイトで1滴落とすと、丸いしずく状のまま浮いてました。そんなふうになるのは「重い精油」とのこと。グラウンディング系の精油には重いものが多いとか。

他の精油は数滴落とすとすぐなじむのに、安息香は丸い粒のまま。(り)さんはベースオイル全体をぐるぐるかきまわして、やっと拡散しました。

(り)さんのマッサージは、タッチの瞬間がほんとにやわらか。このタッチの安心感、重すぎず軽すぎない快さは、(り)さんがアレクサンダー・テクニークの先生でもあるからなのかな、と思いました。特に、「thousand hands(千の手)」と呼ばれる手技がよかった。とぎれることなく両手を交互に動かして、ひとつの方向にだんだんと進んでいくこの方法。どこであってもこれをされると後頭部にじわーんと快さが走りました。千手観音様がもしマッサージをしたら、こういう感じだったりして。。。

それにしても、わたしにとって初めての安息香。香りも大好きだったけれど、その名前も気に入りました。

安らかに息する、の略かな。
悠々と息をして、安心して生きているようすが浮かんできます。

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2006.10.29

手仕事とネット検索

いとこの(の)ちゃんは手仕事が大好きで、糸をつむいで、染めて、織って、とっても美しくて実用的な品々を作り出します。彼女のデザインは、ごくシンプルなのに、あたたかさというか天性のあかるさがあって、彼女の人柄そのもののよう。センスよく工夫されたディテールを見るといつも、あ、今回もすみずみまで気を通して楽しく作ったんだなあ、と感じます。わたしもマフラーとかばんをもらって、どちらもとっても愛用中です。

パートナーは(の)ちゃん作のブックカバーを使っています。こよりにした紙と糸とを織り上げた独特の質感のブックカバーで、好みによっては柿渋を塗って耐水性をもたせることもできるというもの。もともと文庫本用だったのだけれど、「ほぼ日手帳」にぴったりサイズだったので、日々愛用するにいたっています(来年のほぼ日手帳はカバーなしで注文したらしい)。

そんなものづくりの達人の(の)ちゃんは、インターネットを使いません。「調べたいことがあったらどうするの?」ときくと「本で調べる、本屋さんへ行ったりしてね」。

調べたいことがあると、まずはちょっとgoogleでケンサク、というわたしとは大違い。なにかすごい健全さを覚えました。

今の生活にはなにかと情報があふれすぎて、うまく泳がないとおぼれてしまうから、わたしはなんとなくその対策(?)としてテレビをみなくなったのだけれど、ネットはわりと使います。翻訳という仕事柄、インターネットで調べものをするのは必須でもあったり。テレビや新聞から一方的に情報を受け取らされるよりは、探している情報に自分からアクセスしていくほうが好き、というのもあります。

でも(の)ちゃんに久しぶりに会った昨日、「今の人たちがしているのは『思索』じゃなくて『検索』だ」とどこかで(どこだったっけな)読んだのを思い出していました。

「思索」なのか「検索」なのかはまあ置いといて、とりあえず、足や手を動かして、時間が経過して、そうやって得た情報には、手仕事のかばんみたいな質感があるんだろうな、と思いました。

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かぼちゃのクッキーから甲本ヒロトまでの時間

父が畑で自然栽培したかぼちゃをもらって、机の上にずーっと乗せて、おいしくなるのを待ってたのだけれど、今日、食べました。

それでさっきさらに、かぼちゃのクッキーを焼いていて、ふいっと、

あ、最近、やらくちゃいけないことばかりやっていたなあ、「やらなくちゃいけない」わけじゃないことをぜんぜんやってなかったなあ、

と気づきました。

ここ1週間半くらい、物理的に仕事がたくさんあって忙しくて、プレッシャーがあって、体も疲れてきていて、それで家でも、時間があるときは「休まなくちゃ」と思って、積極的に休んでるつもりでいたのだけれど、実は「休まなくちゃ」も「○○しなくちゃ」の回路でやっていたことでした。

だから休んでるつもりなのに、休まらなかったのだー。。。

クッキーを作ろうと思い立つ前、ゴロンと横になって、音楽を聴いていたとき、やっぱりはじめは、仕事のことが頭の中をかけめぐり、「あの件はあそこまで行ってるから、今度はあれをしないと」とかほぼ脅迫観念のようにイロイロと考えが高速回転してたのだけれど、

それが止んで、ぼーっとして、

足の裏まで気がとおって、

そばで寝てたねこの寝息が大きくなって、

そうしたら、わたしの手元から離れていた時間が、みんなまた、わたしのところに戻ってきた。たっぷりしていて、安心しました。

。。。と、こんなことを今書いていたら、横でパートナーが見ていたコンピュータから甲本ヒロトさんの声がきこえて、

「ロックンロールのすばらしさを知ってしまった人達は…やりたいことを、やりたいことだけを、やり続けるしかできなくなる、そういう生き方しかできなくなるんだと思う」

と言っていました。

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2006.10.25

「開発」という暴力と、フェアトレード

SBS(スロービジネススクール)というちょっと風変わりな学校に、ほんのりゆるーく学生として在籍しているのですが、その「コーチョー」、中村隆市さんから今日届いたお知らせに、にわかに汗。

コーヒーのフェアトレードを通じて、中村コーチョーがもう長いことおつきあいしている、南米エクアドルの有機コーヒー生産者のお宅が襲撃されたというのです。その地方ですすめられている鉱山開発に反対している人のお住まいです。

エクアドルのコタカチ郡インタグ地方で、鉱山開発による破壊から森を守ろうと、土地の人たちはアグロフォレストリー(森林農業)と呼ばれる持続的な方法でコーヒーを生産しているそうです。そのコーヒーを適正な価格で継続して買うこと、つまりこの方たちとフェアトレードをすることが、森を守ることにつながっているわけなのですが、鉱山開発派は、住民をお金で買収しようとしたり、さまざまにプレッシャーをかけているようです。それで今回はついに、襲撃事件まで起こったらしいのです。

そのインタグ地方のフニンという村を中心に、鉱山開発をすすめようとしているのは、日本の政府と企業だそうです。

反対し続けている人たちだけでなく、開発推進派になった住民の方たちもの痛みも、想像するにあまりあります。

襲撃されたカルロス・ソリージャさんのお住まいは、インタグの森深くにあり、生活は高い率で自給自足だった、とのこと。

開発は、誰のための、なんのための開発なのか、よく考えてみなくては、と焦ります。鉱山で採れるモリブデンなどの鉱物を、最終的に使うことになるのは、自分…? わたしが知らず知らず、「開発」という形の間接的暴力をふるっているのだったら…。

鉱山開発問題の概要は↓
http://www.sloth.gr.jp/ecua/intag_basic.htm

今回の事件の詳細と、後方支援の手段は↓
http://www.sloth.gr.jp/ecua/report.htm#junin

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2006.10.24

旅先で髪を切る

先日京都に旅したとき、フイに髪を切りたくなり、パートナーの友達の友達にひとりで美容室をやっている人がいると聞いていたので、連絡先を教えてもらいました。パートナーの友達のことを信頼しているので、わりと確信があったけれど、「美容室うわのそら」という名前を聞いてなおさら確信が深まりました。宿にしていた「小世界旅社」から自転車で5分もかからない場所にあることが判明したので、さっそくその日に行くことにしました。

外壁は淡いグリーン。中に入るとほっこりしたこげ茶の板の床。ちょっと高くなった一角に、靴をぬいで上がれる畳の間があって、本棚いっぱいの本。全体的にそう広くはない空間だけれど、なにもない「余白」のスペースがたっぷりあって、通りに面した大きな窓からやわらかな光が入っていました。

髪を切ってくれたナツコさんは、大野一雄さんのところに5年(だったかな)いたことがあって、その後ひとり立ちし、最終的に美容師になったという方で、それを聞いてなおさら、あ、この人に切ってもらうならどうなってもいいや、という、妙な安心感を覚えました。

あれこれお話しているうちに、わたしが想定していた分量を上回る量の髪が切り落とされていき、想定していたような髪型とはすこし違う自分が鏡に映っていました。頭が軽くなって、気持ちも軽くなりました。たいてい髪を切った後は、以前の長かったときの自分への未練がすこーし残るのだけれど、今回は、未練ゼロでした。

思えば、わたしの兄も、もうずいぶん前、学生の頃、一緒にヨーロッパを旅してたときに、バルセロナで髪を切りました。「今日は別行動しよう」ということになった日に兄は、英語もスペイン語もおぼつかなかったのに、ひとりでぽっと理髪店に入ったのでした。

あのときのヨーロッパの旅も、今回の京都の旅も、これといった目的や用事のない旅で、どこかエアポケットに入ったような気分だったけれど、日常から離れた、これといった目的意識のない時空間というのは、髪を切るには最適だなーと、改めて思いました。

■美容室うわのそらについての記事がありました(写真つき)http://www.roommarket.jp/koramu_kyoto_shinbun/kyoto_shinbun_koram12.htm

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2006.10.18

新宿といえば、BERG

新宿の人込みはニガテだけれど、なぜか東口地下にある立ち飲み処&カフェ「BERG ベルク」は大好き。

そもそも小さなお店だ、というのもあるけれど、いつ行ってもわりと混んでいるし、立ち飲みカウンターのほかに数席ある椅子席は、テーブルが小さいうえに、テーブルのあいだがほんとに狭くてキチキチなんだけれど、不思議と、あそこでは、せまいところにおおぜいの人がいる感じがすごく心地よいのです。

場というか器(うつわ)として、あのお店にはおそらくとても包容力があるんだと思う。そこを訪れる人が、それぞれみんな自分らしくいられる、そういう場になっている気がします。

食べものも飲みものも、ほんとうにおいしいです。おいしいだけでなく、なんか、きれい。見た目ではなくて、質が、です。へんな混ざりものの入らない、いい素材のものを出してくれて、しかも、そこに気が入っている。「気取り」がないぶん、気が満ちているのかもしれないです。しかも価格は良心的すぎるほど良心的。

今日は、めずらしくハーフ&ハーフを飲んでみたら、軽やかな口あたりでとってもおいしかった。

人込みもビールも、どちらも大変ニガテなわたしが、ベルグならどっちも楽しく味わえてしまう、というのはほんまに不思議です。

http://www.berg.jp/

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♪ I am that I am ♪

寒くなってきました。
うちの猫も、おふとんをカマクラのような形にしてあげたら、そこに入っています。なんてかわいいんだろう。

今日は、普通に昼間電車に乗っていたら、まるで旅先のような感覚になりました。陽の光に、秋の澄んだ軽やかさがあって、景色がみんなあたらしかった。

そのとき、たまたまヘッドフォンにかかった音楽が、Peter Toshで、

I'm not in this world to live up to your expectation
Neither are you here to live up to mine

I don't owe no one no obligation
No one owe me none, so everything is fine

I am that I am, I am I am I am I am

ときこえてきて、ふあーっと

一瞬、ものすごく、解放されました。自由の感覚がきた。

Ptosh
Peter Tosh
「I Am That I Am」

アルバム「Equal Rights」(1999年)より

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2006.10.17

タロットを絵にする前のイメージ

今日はこれから、タロットの4・皇帝を描きにいきます。
3・女帝を描いたあと、つぎの4は、いつになるかな、と思ってたけれど、10月の12日の起き抜けに、4についての画像がひらめきました。

はじめ、目をつむっているのに内側で再度まばたきしたようにいったん暗くなり、そして明るくなってから、見えました(目はつむったままです)。

映画館の図でした。杉本博司の、スクリーンがまっしろに抜けた、映画館内部の写真のような。

でも、それだけのことなので、実際に描くとどうなるかわかりません。2・女教皇を描く前も、道を歩いていたときに、なんとなく、線路のイメージが浮かび、だから漠然と「線路かな」と思いつつ、遠藤さんのところへ行ったのですが、遠藤さんがテキストにしている本の2・女教皇の部分を読み上げてくださっているのを聞いているうちに、ぼーっとしてきてほかの画像も浮かび、結局線路だけではないような絵になりました。

だから今日も、どんなふうになるか、たのしみです。

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2006.10.15

分けるとくたびれます

「無心がよいです。心を二つに分けるとくたびれます。」
これは野口晴哉さんの言葉。

分けて、分けて。分かろうとして、分析して、考えて、「分かった」と思って。予想して、計算して、意図して。そんなこんなの毎日なので、ぐっときました。

「生くることは考へることより重大也。

しばしば考へる為に生くることを忘れる人あり。

考へてつくりしことに生命以上の意義を見出さんとする人あり。

されどその人為故に健康を失ひ王冠を頭にして頭痛を病む也。」

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2006.10.12

「すきま」考

すごく仕事ができるんだろうな、という人に会いました。フレンドリーで人柄もよさそうで、容姿もかわいくて。指示の出し方もスピーディーで簡潔で、無駄がありません。

若さだなー、と思いました。そんなにものすごく若い方ではなかったけれど。自分もそんなに年寄りではないけれど、自分は歳を重ねたんだな、と思ったりしました。

今の自分には、人と和やかに接しつつ、仕事は仕事として無駄なく隙なく効率的に、というのはなんだか難しいです。

知らず知らず、無駄というか、余白というか、生産性や有意義性がないような<すきま>を、生活の中に囲いつつ暮らすようになったみたい。

ねことの暮らしにも似ています。

「仕事は仕事」と割り切ると、ほんとうに自分を「割って」「切って」しまうような気分になって。そうしたくはないみたい。なにをしてるときでも、まるごと無事でいたいみたいです。

仕事の世界では、効率性が尊ばれるし、仕事をしてもらう側としては、効率的に働いてもらうほうが喜ばしいはず。でももし「それだけ」だったら、なんというか、胸がつまります。

わたしはできれば、「人材」ではなく、「ひと」という生き物として、仕事をしたいです。

これは歳うんぬんでなく、ひょっとすると、わたしの場合、そもそも自分が「仕事は仕事」と割り切れるタイプではなかったことに気づくまでに、長い年月がかかっちゃっただけなのかもしれないけれど。。。

でも幸いなことに、今月は、「これは仕事なんだけど、仕事だけ、とも言い切れない」という、いろんなものが混じる<すきま>があるお仕事もいただいたりしていて、うれしいです。

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2006.10.10

タロットの3を描いてから。。。

ことしの6月から、遠藤洋子さんのところで始めたタロットのお絵かき。0・愚者、1・魔術師、2・女教皇と、3ヶ月かけて描いて、先日、3・女帝 を描きました。

女帝の「帝」の字がイヤで、「女帝」という像にはまったくリンクできず、ひたすら数字の3にリンクして描きました。

描いた日の朝まで、ちょっと鬱の足音が聞こえるようなふうで、朝、お布団の中で涙が出たりしてたのだけれど、それでお絵かきなんてこんな気持ちでできるかな、というふうだったけれど、(しかもものすごい暴風雨の日だったし)

でも、描いているうちに、なんというか漠然と明るい気持ちになりました。描いた絵自体は、どこか中途半端というか未完な感じがしたけれど。

で、3を描いてから今日まで、お夕はんやお昼ごはんに今までつくったことのなかったものをつくったり、カーテンを縫ったり、洋服ハンガーのカバーを縫ったり、このブログのデザインをつくって、こうしてブログを始めたり、

気がついてみると、ずいぶん楽しくいそいそと、あたらしくなにかつくってばかりの4日間。。。

3は「つくって、つくって、つくって」いくカードらしいのだけれど。

意識しないうちに、本当にそんなふうになってしまったのでちょっと驚き。しかもつくること、その作業自体がほんのり楽しくて、まったく苦にならないし、気がついたら体が動いてるような感じで作業が始まるので、周到に計画して「さあ、はじめるぞ」というのでもなく、なんとなくやっていて。めんどうくさい、と思いがちだったことさえ、めんどうくさくないのだから不思議です。

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2006.10.09

詩集「9月」より

みどりいろの田んぼに降りたった
しらさぎ1羽
きゃしゃな首すじと小枝のような脚で
みどりの縞模様の間を
ゆるやかにうつろう  ふと静止する
ましろく まろやかな しずく形

食べものをさがしているのかな

透きとおる空には氷砂糖の雲が
雲間からはあちらへもこちらへも光のすぢが
風に葉裏は輝きながらひるがえり
草むらいっぱいに虫たちの呼び声が

ほかになんにもいらないな
幼い子が眠りを惜しむのも当然な
すこやかな現実

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