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2006.11.30

垂直性と水平性

垂直性(verticality)をキーワードにしている、アレクサンダー・テクニックの先生と、先週結構密にワークしました。質問をたくさんして、実験をたくさんして過ごしました。未知との遭遇でした。

そのあと、ひさしぶりに絵を描きに行って、タロットの6・恋人を描きました。3人のヒトが、地面に立っていて、背後に太陽、という古典タロットの絵柄を踏まえた構図で描いてみたところ、紙を横置きにしていたために、古典タロットのように太陽を丸く描けず、半円の太陽と半円の大地が、どちらも同じ大きさで、画面中央で出会っている図になりました。

描きながら、「紙を縦置きにしていたら、太陽をもっと丸く描けたのになー」とちょっと思いました。でも、遠藤さんによると、横向きに紙を置いたことは、絵を描き始める以前のおおもとのところでの、なんらかの無意識の反映だそうで。縦の配置は上下の意識、横の配置は水平の意識、と考えられるとのこと。それでいくと今のわたしは、水平の意識に気持ちが向いている、ということになるのでした。

そう言われると、確かに。わたしは、アレクサンダーで「垂直性」をかんがえるとき、線が細いものを想像しやすいようでした。細い線が1本上空へのぼるような。一方、「水平性」をかんがえるときは、線にはならず、たっぷりした、輪郭のないものが、全方向へ水平に拡散するようなイメージになって、その中で上下への動きも解放されるような気が。

絵を見ていた遠藤さんは、絵の中の半円の太陽と半円の地面のちょうど間に人物たちがいることから、「天・地・人」についてもお話してくださって、人というのは天と地をつなぐものでもありますしね、とおっしゃいました。

確かに、ここまで7枚描いてきたなかで、今回やっと、具体的にヒトの姿形をしたものをちゃんと登場させることができたので、ヒトというものに関心が向かっているのもありそうでした。

そうしてさらに、しばらくあとで、道を歩きながら、天と地をいちばん上下でつないでいるのは、木じゃないかなあ、と思い立ちました。人間は上下をつなぎつつ水平移動しちゃうけれど、木はとっても上下オンリー。それでいくと、犬とかはわりあい水平オンリーに見えるな、と思いました。

なにがどうつながるのかはっきりしませんが、そんなこんなで、アレクサンダーも、ヒトを対象にしたワークなら、垂直と水平が同居する意識でもかまわないのだろうな、と思いました。水平意識の強すぎる場合は垂直を思い出し、垂直意識の強すぎる場合は水平を思い出す、というように、どちらも「偏り」と「やりすぎ」を緩和するための相対的なコンセプトとして使っちゃっていいのかも。。。一人ひとりの傾向や状況に応じて、使い分け可なのかもなー、と思うに至りました。

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2006.11.29

日が短くなってきました

駅で、電車を降りて、ホームの階段を昇りつつ、ふっと、死にたくなりました。灰色の階段に、白い蛍光灯の薄明かり。

改札機はそのままで通してくれそうなくらい開けた路に見えるのに、チケットを入れずに近づけばバタンと閉まることをわたしは知っていて。

入れなければ通してもらえないチケットを、改札機が吸い込んでいき。わたしが今死んでも、なんとゆうこともない、焚火の煙が曇り空に吸い込まれるみたいに、すいっと消えるみたいなもの。そんなことを思いました。

寒い季節になってくると、ときどきふいっとこういう状態になります。夏場は大丈夫なんだけれども、冬場はどうも危うさがある。

楽しいことを考えたりやったりすることを、積極的にやらなければならない時期なのだけれども、どうも意欲もなくなってしまいます。あたたかい気持ちで寒い季節を過ごす工夫が、リアルに必要です。

近所の庭の木に、とりの餌台がしつらえられていたのに気づきました。

もう暗い夕方、小学校2,3年生くらいの男の子が、4歳くらいの妹にむかって、膝をすこし折ってかがみこんで、顔をのぞんきこんで、泣きそうになっている小さい子に両手をまっすぐ差し出して。小さい子は自分を放り出すみたいにそこに飛び込んで、男の子は小枝みたいな細い足をフラフラさせながら、からだいっぱいに妹を抱っこして、歩いていきました。

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2006.11.28

夢状物質でできた保護膜

悲しさのまんなかで、はっと目が覚めたような感覚がやってきました。一瞬のことでした。

いままでぼやーんとくもりガラスをかけていたかのような世界の風景の輪郭が、妙にくっきりと、ありありとして、

電車の中で、前に立っている人なんかが、きちんと実体をもってそこにいるのがわかりました。

というよりか、その、前に立っている人とわたしの間にある空間が、きちんと実体をもってそこにあるのを実感したというか。

酔いが覚めたような。一抹のさみしさがあるような。

現実しかなくて、夢状物質のオブラートが消えていて、でもそうすると、夢見がちないつものわたしは、「ああ、どうしよう」となって、すぐに眠りが誘発されます。防衛反応のようです。

自分にとって、ありのままの、物理的な、現実に接触するのは、こうも抵抗があって。亀のように手足をひっこめてそこに「さわらない」ようにしたくなっちゃうらしいこと。でも、

保護膜を突き破って、なんでもいいから、じかに接触してみたいな。

数日前にひいたタロットでは「無意識」を示す位置に「0・愚者」が。保護膜の中にいることの意味を失って、突き破って、無防備に、ステップアウトしようとしている、という印象でした。

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2006.11.25

涙の中で泳ぐ亀

昨日、おととい、さきおととい、たくさん涙がでたのだけれど、おもえば、泣いたのは久しぶりでした。

とても痛い、つらい、と感じられることが起こって、はじめは対処するのに全力を傾けていたので、泣いているヒマもなく、その後も仕事をしなくてはならなかったので、鬱になってしまってはいけないと思って、ちょっと自分の好きなこと楽しめることを積極的に考えたりして、それでその日はとってもよくやり過ごせたけれども、翌朝、

電車に乗っているあいだの時間に、いろいろ思いがめぐってきて、それで、それまでがんばって気を張っていたけれど、やっぱり泣いてしまいたいー、ということがわかりました。

家で、たくさん泣きました。
そして眠り、夢をたくさんみました。

虫のように小さい小さい、カマキリのような色をした亀が、プールの脇で乾ききって、仰向けになって足をジタバタしていて、それを小さい子ども2人が見ていました。そこを通りかかったわたしは、子どもたちに、あそこにある手桶に水を入れてきて、この亀をそこに入れてあげよう、といいます。桶の中にいれると、はじめ亀はじっと動かず、それからゆっくり、泳ぎ始め、そのうち桶のふちに突きあたってまた方向を変えて、また別のふちに突きあたって、どうやら自分のいる水の境界を手探りしているようでした。それを上から眺めながら、もう少ししたら、もっと広いとこへ放してあげないといけない、と思いながら、人がいっぱいに泳いだりしている隣の25メートルプールに目をやったりしていました。

わたしは、現実に、亀のようにゆっくりと、歩いていました。もうあきらめよう、歩きつづけるのをやめよう、と思ったりもしていました。

痛いこと、つらいことは通らずにいたい、と思うけれども、実際にそれを通過するときというのは、変われずにいた部分が変わるきっかけを、実際に、もらっているのかもしれない、気がします。

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2006.11.23

昨日響いた言葉

バックミンスター・フラーさん:
「わたしは自分に向かってこう言いきかせた。『すべて自分自身で考えねばならない……さらに、これまでの確信を捨て、今後は経験的証拠のみを根拠にすること』と。」
(1989年にP3が主催したバックミンスター・フラー展のカタログより)

ちなみに彼がこう思い至った1927年、彼は自分が「特殊な、個人の、家族の、会社の、国家の、一方的な優位競いゲームにおける落伍者だったのだ」と認識したそうです。「自殺を考えた」年だったそうです。

野口整体の野口晴哉さん:
「私は以前は病気を治療しようと思って体を観ておりました。けれどもある時から、病気をどんなに上手に治しても結局は便所掃除と同じで、人の不摂生の後始末をするだけだ、ということが分りました。
……一人一人が自分で自分の健康を保つような考え方や方法を教えていかない限りは、他人の糞をいくらこちらが気張っても無駄だということに気づきまして、治療ということを全部捨ててしまって、体育としての整体指導という方向に移ってきました。」
(昭和40年の整体指導法初等講習会にて。全生社の「月刊全生」平成17年3月号より)

治療を「便所掃除と同じ」と思った、その感覚が、すごいと思いました。

本人のかわりに力を出してあげたら、本人が自分で自分の力を出すのをふさいでしまうこと。。。本人が自分で力を出せるようにサポートすることと、本人のかわりに力を出してあげることは、正反対なのだなーと、改めて思いました。。。

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2006.11.21

あったかくする工夫

寒くなってきました。わが家は70年代の建物なので、厚さ30cm近いソリッドなコンクリの壁で部屋が仕切られていたりと、つくりはしっかりしていますが、気密性は高くありません。サッシが古風なのです。

気密性がありすぎるよりはいいな、と思って気に入っているけれど(夏はとても涼しいし)、でも冬になると寒さが滲み入ります。丘の上に建っているので風の通り道でもあり、冷たい風が建物そのものを冷やす日には特にこたえます。

でも、チームネットの甲斐さんの「まちに森をつくって住む」という本との出会いから、暑さ・寒さに対するアナログな工夫をいろいろ知って、以来、上手に外の環境とつきあうことで家の中が快適になるよう工夫するのが、たのしくなりました。

体感温度と温度計の温度はずいぶん違う、というのがまず大きな発見でした。あらゆるものは電磁波(遠赤外線)を放射しており、温度の高いものから低いものへ熱が移動しているので、気温にかかわらず、体の近くに冷たい物体があれば体の熱が奪われて寒く感じるのだそうです。

寒い外と触れている窓は、表面温度がとっても低くなります。だからそれだけで、窓辺は部屋のほかの場所よりも寒い。さらに、冷たくなった窓に室内の空気が触れると、空気も冷やされます。冷やされた空気は重くなるので、下へ降りてきて、カーテンの下のすきまから冷気を部屋の中に送り出します。

なのでわが家では、床にひきずるほど長いカーテンを引くことと、ストーブやオイルヒーターを窓辺に置いて使うことで、窓辺を暖かく保ち、冷気が部屋の中にめぐらないようにしています。窓辺の冷気をストーブで暖めて軽くして、上昇気流をつくることで、部屋全体にあたたかい空気をめぐらせる、というわけです。ストーブを部屋の中央で使うよりも、ぐっと暖かさが増しています。

本には、その他にもいろいろヒントが。。。チームネットさんからは、「冬の快適術」という冊子も出ていて、これもちょっと参考になります。
http://www.teamnet.co.jp/teamnet/book.html

あと、最近の発見は、アルトサックスの入っている音楽をかけると、部屋があたたまる、ということ!ジャズとかボサノバがあたたまりやすいと、個人的には思っています。

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2006.11.18

有機的なリズム

昨日、仕事に向かう朝の道すがら、「トントン、トントントン、トン」と軽やかな乾いた音が上空からきこえてきました。機械の音じゃない、人の手仕事の音でもない、と瞬時にわかるような、なんともいえない有機的なリズムを宿していました。

立ち止まって見回すと、道に面した家の庭にある背の高いシイの木の幹に、鳥がとまって、くちばしで幹をたたいていました。

垂直の幹にどうやってあんなにラクラクとつかまっているのかも不思議だったけれど、軽快な響きを立てて幹をたたいている、そのリズムの快さ。一カ所をずっと突くのではなくて、数回つついて、ピョンピョンと幹の別の場所に移動して、またそこをちょっとつついて、またピョンピョンと移動、というのを繰り返していました。

「キツツキかなー、ほんものを見るのは生まれて初めて。。。」と少し感激しつつ眺め/聴いていたら、とおりすがった中年の女性も立ち止まって一緒に眺めはじめ、もうひとり別の方角からやってきた別の女性も立ち止まって一緒に眺めはじめました。

「キツツキでしょうか?」とわたしが言うと、女性のひとりは「いや、キツツキはあんなに小さくないんじゃない?」。もうひとりも「一箇所をずっとつついてないものね、虫を取ろうとしてるだけなんじゃない?」。それにしてもその鳥のからだに宿るリズムが魅力的なので、3人ともあとは黙って上空を仰いでいました。

あとで調べたら、「コゲラ」というキツツキの一種とわかりました。一番小さいタイプのキツツキだそうです。いわゆる「キツツキ」のイメージよりはすずめに近い印象だったので、キツツキと違うんだな、と思ったけれど、キツツキにもいろんな種類がいるのを初めて知りました。。。

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2006.11.15

いと

なにかするときの「いと」は大事だなあ、と思う。自分では「こういういとです」というつもりでも、なかに違う「いと」が混じっていたりする。

そういういろいろな「いと」は、結構はっきりと、なんとなく、周囲に伝わるものみたい。

天は、打てば響くような反応のよさ。

だから、自分の「いと」がごちゃごちゃになってるのに気づかないままだったわたしは、天からかえってきたわかりやすい反応のおかげで、自分を省みることができます。

とてもよくできてる。

やっぱりすべてに気がめぐっているから、成り立っているんだな。
だから表面的なことをどうこうするよりも、気を澄ませるようにしているのが、いちばんなんだろうな。

いとが、こんがらがっているかどうか、よくよくみてみるといいんだろうな。。。

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2006.11.14

ニジンスキーの「牧神の午後」

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今日、図書館でなんとなく手にとった「愚者の機械学」という本に、ニジンスキーについての章がありました。ヴァーツラフ・ニジンスキー。1889年にキエフに生まれて、20世紀はじめのヨーロッパでバレエ・リュスのダンサーとして一世を風靡したのち、精神を病んで孤独な晩年を送った人です。

5,6年前の秋、友人と古本屋をのぞいていたときに、急に彼女から「ヘンなワークショップがあるんだけど、行かない?」と切り出されたことがありました。聞けば、ニジンスキーの振付作品「牧神の午後」を、舞踊譜から復元して実際に踊ってみる、というワークショップとのこと。

彼女は元バレエダンサーで、舞踊譜の研究者が集う会にも出入りしていたようで、その筋で企画されたワークショップだったようでした。会場はある大学の一室で、入場は無料、予約も不要。講師は、ニジンスキーが独自の方法で譜に残した「牧神の午後」を研究・復元した舞踊研究者のJeschke教授。

ちょっと場違いな気がしつつも、わたしは、そのワークショップに行って、復元された「牧神の午後」の振り付けを、自分のからだでたどっていきました。

驚いたのは、動かずにじっとしている時間がとてもとても長かったこと。そして全体を通して、ニジンスキーが演じた「牧神」役は、たった1度、ほんの短くしか跳躍しなかったこと。

超人的な跳躍力とオールラウンドな身体能力の高さで絶賛されたニジンスキーが、自分で作品を振り付けるにあたっては、こんなにも「跳ばない・動かない」ことを選んだのには、とても興味をそそられました。

あまり動かず、立体の人間をわざと平面に押しとどめるかのような振り付けでしたが、これがドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の調べと合わさると、じっとしている時間が「ただ立っている」とか「ただ座っている」というのでは到底なく、時とともにどんどん濃密になる、ものすごい身の充実感を伴うことが、わかりました。

ワークショップでは、舞踊譜から起こしたのではなく、記憶をもとに踊り継がれてきたバージョンの「牧神の午後」のビデオも見せてもらいました。そこでは、舞踊譜上は「じっとしていてなにもしない」ことになっているところで、大きなアクションが加えられていました(たとえば、一房のぶどうを手にしてじっとしている場面で、そのぶどうを高くかかげて下からかぶりつくようなジェスチャーが入る、など)。

人の記憶というのは、「なにもなかった」ところを「なにもなかった」ままにはしにくいのかな、「なにかあったはず」と考えてなにかで埋めようとしてしまうのかな、と思ったりしました。

あるいは、あの「牧神の午後」はすでに、当時のバレエの概念をあまりに突き破っていたために、ありのままの形で後のバレエダンサーに受け継がれることがなかったのかも。。。

動かない舞踊。跳ばない舞踊。物質レベルの身体をはみだしていかざるを得ない舞踊。

「牧神の午後」は、バレエとモダンダンスを経て、その後何十年もしてからユックリ出てくる日本の暗黒舞踏を、先取りしていたような気が、どうしても、します。

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2006.11.12

タイムカプセル

大正11年(1922年)に、42歳で他界した山地白雨さんの本を、憑かれたように読んでいます。当時「漢城」と呼ばれていた土地(現在のソウル)で彼が暮らしていたころの雑感を記した文章が主で、あとは詩と句、それと、土地に古くから伝わるお話を白雨さんが紹介している文章も少しだけあります。

昔のスタイルの文体がすっかり体になじんできて、ふつうに読めるようになってくると、筆の勢いや、こころの動きが鮮明に伝わってくるようになって、当時の人たちの存在の質が今までになくありありと感じられて、長い月日ののちにタイムカプセルを開けたような気持ちです。

あの時代の朝鮮半島と日本との関係を、改めて、見直しました。中学校の教科書で少し習っただけの「事実」は、生身の人のことばを読んでやっと、わたしのからだに「事実」として入ってきました。実際に、朝鮮半島が「日本化」されていった時代が確かにあったことが、はじめて実感として迫ってきました。

白雨さんが漢城へ行ったのは、勤め先の郵便局で転勤の辞令を出されたからでした。迷い迷いして、行かないことを上司に告げようとするのに、結局上司の勢いに押されて言い出せず、あれよあれよという間に転勤が決まっていった経緯もつづられていました。

漢城へ引っ越したあとは、「半島が日本化さるるにつれてこの国特有の趣味はダンダン失はれてしまう。『今のうちに古い朝鮮を見ておかねば…』かう思って、私は暇さへあれば古るいもの珍らしいものを尋ねて歩いた」そうです。そして目に映ったもの耳に聞こえたものを記録に残しました。

その後東京に帰って、もともと不本意だった郵便局づとめをやめて、「白雨詩社」という看板を出したときには、「まづしければ英語教授の看板もかけてみむなど思へるさびしさ」という句を残しています。東京に帰ってからほどなくして発病して、亡くなりました。

白雨さんは、死ぬ間際に、「うたは焼き捨ててほしい」と妻に告げたそうです。でも彼の親友の細井肇さんは、焼かずに本に収めることを選びました(自費出版かと思ってたけれど、「鮮満叢書第4巻」として出版されていました)。社会派でも政治的でもなく、無名に等しい一詩人の目に映ったものを、ありのままに、自由討究社から出版した細井さんは、どんな人だったんだろう。。。

この本を読んでいると、当時の思いに自分が染まってしまうみたいで、現在の世の感触にちょっと違和感を覚えます。浦島太郎が玉手箱を開けたあとも、こんな感じだったのかな。。。今の日本という国のありようが、気がかりです。

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2006.11.11

白雨詩社

ずっと前、仕事の請求書を出そうとしたときに先方から「個人名ではないほうがいいのですが」と言われたことがあって、そのときに、翻訳屋としての屋号を「白雨詩社」としました。

それというのも、若くして天に召されたひいおじいさんが、白雨詩社という看板を出して、ちょっと英語を教えたり翻訳をしたりしていたことがあったらしいことを知ったからでした。

ひいおじいさんは、詩や俳句を愛した人だったようで、郵便局につとめていたのですが、お金はほとんど全部本につぎ込んでいたとか。着るものも夏の着物と冬の着物を1枚ずつ持っていただけで、いつも同じものを着ているのを見かねて人が着物をくれたときも、それを売って本を買ったとかいう話がありました。

死後、彼の友人の方たちが遺稿を自費出版(慈悲出版?)してくれていて、その本を、わたしは、一人娘にあたるおばあちゃんからもらいました。おばあちゃんも、もう他界しています。

本は「悲しき国」というタイトルで、大正11年10月にまとめらたもの。「自由討究社蔵版」と書いてあって、装丁はシンプルだけれど、背表紙に、灯りのともったロウソクと星をモチーフにした、自由討究社のロゴらしきものがエンボスされています。

今日、ひさしぶりに、この本を開いてみたとき、最初に目にとまったのは、こんな句でした。

皿にもりし菓子の七色七色の中に黄なるはレモンの香あり

最近、ひいおじいさんのことや、あの時代の感触について、なんとなく考えています。

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2006.11.10

輪の中、輪の外

夜の闇の中、ガラス張りの壁越しに光を放つ、シンプル&スタイリッシュな空間。計算された空間プロデュースで、おおげさすぎず、控えめすぎず、趣味よく洗練されている。。。そんな美しいギャラリーでのパーティーでの、軽やかなジョークが飛び交う話の輪から、やんわりとフェイドアウトするみたいにして外へ出たら、

街灯もおぼろな夜道の薄暗闇で、路上生活者らしきおじさんが、自作のねこじゃらしを揺すぶって、しずかにのらねこと遊んでいました。

そのねこじゃらしが、とてもよくできていたので思わず、「それ、いいですね」と声をかけたら、「そう、これね、ねこのストレス発散にね」というお返事。

視力が良いせいもあると思うけれど、たいてい、明るいところよりも、暗いところにいるほうが、自由な感覚を覚えます。

でも、パーティーが苦手なわたしとしては、今日は、苦手な場所に行ってみることができて、そしてその場所の感じを落ち着いて肌で感じながら、自分がどうしたいかを決めることができて、よかった。苦手感を乗り越えて、会いたかったともだちに一目会えて、嬉しかったです。

あのおじさんと、夜道で言葉を交わせたのも、嬉しかった。

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2006.11.08

だまっていた日

書きたいことが、ふわーり、と浮かんでこない日、というのが出現しました。

たくさん浮かびすぎて選べない、というようなほうが多かったこの頃なのに、昨日から今日にかけて、なんというか、自分の内側が、妙に寡黙です。

昨日、秋の陽射しがほんとにきれいで、ひとりで電車に乗って、郊外のほうへどんどん行って、ずーっと、電車の窓越しに、収穫を終えた田んぼや山の端なんかを眺めていたときも、自分の内側がだまっているのがわかりました。

人気のあまりない駅で降りて、市営の小さい温泉へ行って、そこの、こざっぱりした小さい露天風呂に入って、湯船の水面に金色のみずたま模様がゆらんゆらんするのを眺めていたときも。こころの中がしんとしていて、あんまりなんにも考えていませんでした。

小学校4年生くらいの、白人とのハーフのような女の子が、おかあさんと一緒にやってきて、露天の湯船につかるまでのあいだ、外気に裸のからだをさらすのを、ちょっと恥ずかしそうにしていました。

内風呂では、小柄でまんまるとした、ほっぺの赤い中年の女の人が、友達らしいやはり中年の女の人に、ていねいに背中を洗ってもらっていました。なんやかやと世間話をしつつ。。。

お風呂から出て、瓶入りのフルーツ牛乳が売っているのを見てすごく飲みたかったけど、1本飲み干せそうもなかったので、かわりに小さいヨーグルトドリンクをグイッっと一気飲みして、温泉の売店で、ちょうど地元の農家のおじさんがそのとき運んできた野菜を買って、また電車に乗って家に向かっていたときも、ずっと、自分の周囲がしんと静まり返っていました。

無音の映像を見ているような。

ただ、秋の陽射しのきれいなのを眺めているだけのような日でした。どうしてこんなに静かなのかな、秋というのは、収穫を終えた後は、こうやってなにもかもがいったん小休止をする季節なのかな。。。?

それとも満月の直後っていうのは、いったんちょっと呆ける時期なのかな?

満ち足りてる(おおげさな感じでなく)、ような、感覚があり、夜、寝る前に、おふとんの中で、「いろんな人がいて、いろんなことをしていて、そうやって日々があって、そうやって続いていくんだな、生きるとはそういうようなことなんだな」と思ったのだけ、ほんのり覚えています。

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2006.11.06

no music no life

ここのところ、「まちのねずみ」を介しての未知との遭遇から、なかなかに進撃(?)な「探求モード」が続いてました。
で、追いかけて煮詰めて転がしてみたいなことばかりしていて(止められず)、朝起き抜けに新しい洞察がドカドカ降ってきたりと、意識がハイパー気味だったようで、ここ数日は物理的に音楽も聴けずでした。

で、今夜は、はーーー、つかれたぞー、となって

聴きました。今旅に出ているパートナーが、旅先から(?)送ってくれたbonobosの新譜、"standing there"を。

あーーーー、これが、いいーーー。。。。

こうやって音楽が沁み入って、空に向かって胸がひらくようなときには、やっぱりちょっと思います。

音楽がなかったら、生きていられないだろうーなー。。と。。

Standing There  by ボノボ 
(日比谷野音でのライブトラックがとっても充実しています、あのライブ、めちゃくちゃよかった。。)

*ライブトラックの「beautiful」のアレンジ、ものすごい気持ちよいです、とくにはじまりのところ、パーーーッと周囲へ拡散する瞬間。

*「光のブルース」もものすごくいいーー。まあ、いい、いい、と言い出したらキリがないのだけれど。。。

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「まちのねずみ」から学んだもの、その2

「まちのねずみ」、ザビエさんとお昼を食べていたとき、彼が話してくれたなかで印象にのこった、チャートに表れていない「ファクターX(エックス)」について。

そもそもその話になったのは、カフェ・ヌースフィアのおいしすぎるランチにすっかり気分が軽くなって、「わたし、用もないのに不動産物件を見るのが大好きなんです、それってわたしの4室の海王星と関係あったりしますか?」「いや、どちらかといえば、かに座の月の関係じゃないかな」などというやりとりをしていて、「なにを訊いてもOK、バカっぽい質問もOK」みたいになっていたなかで、

「そもそもどうして、ハウスもサイン(星座)も12コなんですか?」と訊いたときでした。

「12もあって、トゥーマッチだよね!」とザビエさんは笑って、それから、「実際は13だよ」と言って、それを「チャートに表れていないファクターX」と呼びました。

テーブルの上の紅茶のカップをソーサーから取り除けて、白のシンプルな丸いソーサーを指差して

「これがチャートだとするよね、この中心点、真ん中、コレが13番目」

と言いました。わたしが「ん?」と思っていると、

「点だよ。わたしたちみんな、点みたいなものだよね? この時空間の中にいるひとりひとり、1つの点。このチャート(ソーサー全体を指して)自体も1つの点だけど。(ソーサーの上空からソーサーの中心へ人差し指を落としていって)こうやって点として生まれ落ちて、そこからまわりに拡散する、それがチャートなんじゃないかな」。

記憶がアイマイになっているけれど、とにかくそんなような内容のことを話してくれました。しろうとのわたしには、どうついていったらいいかわからない類のお話だったけれど、これを聞いてから、「チャート」というものに対する感じ方が変わった気がしています。

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2006.11.05

満月記念

ここの場所をつくって、今日で満1カ月です。
前回の満月のときに、ふいっと思い立って、そしたら、するりするりとデザインができて、書き始めました。

自分自身を、こんなふうに、ささやかながら「外」へ出していくことは、とっても大変で、なかなかこれまでできなかったことでした。とくにインターネットというのは、見知らぬ大勢の人に対して、無防備な小窓を1つ開けてしまうことになるように思えて、怖さがありました。

今後どうなっていくかは、わからないけれど、今のところは無事で、そう悪くはない気分です。やっぱり怖いのは怖いけど。。。

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2006.11.04

「まちのねずみ」から学んだもの

先日、ザビエ・ベトコートさんのセッションの通訳に、田町のカフェ「ヌースフィア」まで行ってきました。ザビエさんは、メキシコシティ在住で、映画評論家もされていて、香港・東京・ニューヨークといった都市をこよなく愛する「まちのねずみ」です。同時に占星術や錬金術、シンボリズムについての深い知をお持ちで、その深さは、わたしには「はかりしれない」としか言いようがありません。

セッションは、それぞれの人の現時点での生き方にとってキーとなる情報を、出生時の天体配置図(チャート)から取り出してくるというか掘り起こしてくる、そしてそれと向き合う、そんなような作業です。いま起こっていることにはこんな意味がある、こういう気づきが促されている、というようなことのを、チャートからひもといていくわけです。

占星術にぜんぜん詳しいわけではなかったわたしは、今回このお仕事をして、その過程で、実にさまざまなことを学びました。

いわゆる「占い」としてではなく、自分自身を知るためのツールとして、とても役に立つものなんだなあ、というのが素直な実感です。

自分を知るために、自分の「内側」に入っていくのではなく、自分の一番「外側」に位置する天体を見ていく、というところが特に気に入りました。おかげで自分をとっても客観的に見ることができるのです。

世界と自分は切り離されてはいない、というのはかねがね感じていたことですが、これほど深く、天体の動きが自分と関わりを持っているとは思いませんでした。

はじめは、ザビエさんの周囲にあるアカデミックな「きちんとした」雰囲気というか、都会的な感覚というか、そんなようなものに圧倒されて、きゅうくつ感や抵抗感を持ったりしたのですが(なにせわたしは「いなかのねずみ」なので)、どうにもザビエさんの言われたことが気になってきて。

だんだんと、いくつもの惑星やサイン、ハウス、アスペクト、その他もろもろの組み合わせがどう関連するかについて、全体的なしくみがぼうっとわかってくると、占星術というのは、まさしくチャートを「読む」ものなんだな、占星術家はあてずっぽうを言っているんではないんだなー、と実感するようになって、にわかに興味が湧いてきました。

通訳をしていて、おひとりおひとりがとても違っていたのも、よかったです。ザビエさんに「ふたごやみつごはどうなるの?」と聞いたら、「やっぱりひとりひとり違う、そのチャートに表れているものの”出方”が違ってくるよ、というのもチャートには常に”X-ファクター”があるんだ、そこに見えていない、13番目の要素とでもいうものがね」とおっしゃってました。

チャートに表れているもの=その人のベースにある傾向や資質を、どう展開させるかは、ひとりひとり違っていて、環境や時期、本人の自覚によっても違ってくるんだそうです。でもチャートに表れている傾向や資質を読む読み方は、やはり一貫しているのです。

おもしろいです。

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2006.11.02

赤い実

今日は、物理的には音楽を聞かなかった1日でした。

なのに頭の中では、ずーっと同じ曲がかかっていた。
今日聞きかじったわけではない曲。

ハシケンの「赤い実」でした。

無音の部屋で、無言で並んで座っているふたりが、
やがて木になって、
秋になると赤い実をつける

というような内容のうたです。その赤い実。

「女たちはそれを食べ、『おいしい』などと言う。
男たちはそれを食べ、知ったようなことを言う。」

という詞がなぜか好きです。

自分が木になって、赤い実をつけて、女たちや男たちがそれを食べているのを、黙って眺めているのを想像していました。

ふたりで木になって、そうやって立っているのを。

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