ニジンスキーの「牧神の午後」
今日、図書館でなんとなく手にとった「愚者の機械学」という本に、ニジンスキーについての章がありました。ヴァーツラフ・ニジンスキー。1889年にキエフに生まれて、20世紀はじめのヨーロッパでバレエ・リュスのダンサーとして一世を風靡したのち、精神を病んで孤独な晩年を送った人です。
5,6年前の秋、友人と古本屋をのぞいていたときに、急に彼女から「ヘンなワークショップがあるんだけど、行かない?」と切り出されたことがありました。聞けば、ニジンスキーの振付作品「牧神の午後」を、舞踊譜から復元して実際に踊ってみる、というワークショップとのこと。
彼女は元バレエダンサーで、舞踊譜の研究者が集う会にも出入りしていたようで、その筋で企画されたワークショップだったようでした。会場はある大学の一室で、入場は無料、予約も不要。講師は、ニジンスキーが独自の方法で譜に残した「牧神の午後」を研究・復元した舞踊研究者のJeschke教授。
ちょっと場違いな気がしつつも、わたしは、そのワークショップに行って、復元された「牧神の午後」の振り付けを、自分のからだでたどっていきました。
驚いたのは、動かずにじっとしている時間がとてもとても長かったこと。そして全体を通して、ニジンスキーが演じた「牧神」役は、たった1度、ほんの短くしか跳躍しなかったこと。
超人的な跳躍力とオールラウンドな身体能力の高さで絶賛されたニジンスキーが、自分で作品を振り付けるにあたっては、こんなにも「跳ばない・動かない」ことを選んだのには、とても興味をそそられました。
あまり動かず、立体の人間をわざと平面に押しとどめるかのような振り付けでしたが、これがドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の調べと合わさると、じっとしている時間が「ただ立っている」とか「ただ座っている」というのでは到底なく、時とともにどんどん濃密になる、ものすごい身の充実感を伴うことが、わかりました。
ワークショップでは、舞踊譜から起こしたのではなく、記憶をもとに踊り継がれてきたバージョンの「牧神の午後」のビデオも見せてもらいました。そこでは、舞踊譜上は「じっとしていてなにもしない」ことになっているところで、大きなアクションが加えられていました(たとえば、一房のぶどうを手にしてじっとしている場面で、そのぶどうを高くかかげて下からかぶりつくようなジェスチャーが入る、など)。
人の記憶というのは、「なにもなかった」ところを「なにもなかった」ままにはしにくいのかな、「なにかあったはず」と考えてなにかで埋めようとしてしまうのかな、と思ったりしました。
あるいは、あの「牧神の午後」はすでに、当時のバレエの概念をあまりに突き破っていたために、ありのままの形で後のバレエダンサーに受け継がれることがなかったのかも。。。
動かない舞踊。跳ばない舞踊。物質レベルの身体をはみだしていかざるを得ない舞踊。
「牧神の午後」は、バレエとモダンダンスを経て、その後何十年もしてからユックリ出てくる日本の暗黒舞踏を、先取りしていたような気が、どうしても、します。
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