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2006.11.12

タイムカプセル

大正11年(1922年)に、42歳で他界した山地白雨さんの本を、憑かれたように読んでいます。当時「漢城」と呼ばれていた土地(現在のソウル)で彼が暮らしていたころの雑感を記した文章が主で、あとは詩と句、それと、土地に古くから伝わるお話を白雨さんが紹介している文章も少しだけあります。

昔のスタイルの文体がすっかり体になじんできて、ふつうに読めるようになってくると、筆の勢いや、こころの動きが鮮明に伝わってくるようになって、当時の人たちの存在の質が今までになくありありと感じられて、長い月日ののちにタイムカプセルを開けたような気持ちです。

あの時代の朝鮮半島と日本との関係を、改めて、見直しました。中学校の教科書で少し習っただけの「事実」は、生身の人のことばを読んでやっと、わたしのからだに「事実」として入ってきました。実際に、朝鮮半島が「日本化」されていった時代が確かにあったことが、はじめて実感として迫ってきました。

白雨さんが漢城へ行ったのは、勤め先の郵便局で転勤の辞令を出されたからでした。迷い迷いして、行かないことを上司に告げようとするのに、結局上司の勢いに押されて言い出せず、あれよあれよという間に転勤が決まっていった経緯もつづられていました。

漢城へ引っ越したあとは、「半島が日本化さるるにつれてこの国特有の趣味はダンダン失はれてしまう。『今のうちに古い朝鮮を見ておかねば…』かう思って、私は暇さへあれば古るいもの珍らしいものを尋ねて歩いた」そうです。そして目に映ったもの耳に聞こえたものを記録に残しました。

その後東京に帰って、もともと不本意だった郵便局づとめをやめて、「白雨詩社」という看板を出したときには、「まづしければ英語教授の看板もかけてみむなど思へるさびしさ」という句を残しています。東京に帰ってからほどなくして発病して、亡くなりました。

白雨さんは、死ぬ間際に、「うたは焼き捨ててほしい」と妻に告げたそうです。でも彼の親友の細井肇さんは、焼かずに本に収めることを選びました(自費出版かと思ってたけれど、「鮮満叢書第4巻」として出版されていました)。社会派でも政治的でもなく、無名に等しい一詩人の目に映ったものを、ありのままに、自由討究社から出版した細井さんは、どんな人だったんだろう。。。

この本を読んでいると、当時の思いに自分が染まってしまうみたいで、現在の世の感触にちょっと違和感を覚えます。浦島太郎が玉手箱を開けたあとも、こんな感じだったのかな。。。今の日本という国のありようが、気がかりです。

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