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2007.01.23

今朝降ってきたのは。。。

わたしは近年、たくさんの人と長時間かかわりつづけると、調子が悪くなるというか、苦しくなることが多くて、そういうときは、ひとりの時間(もしくはヒトがいないところでねこや植物と一緒にいいる時間)を持たないとだめになります。

このあいだ気づいたのは、ある一定数以上の人数のヒトがいると、1人1人が人間に見えなくなる、ということ。

ヒトがそばにいると、どこか緊張し続けるみたい。

見られていると、緊張する。それは、間違いがあってはいけない、という「間違うことへの恐怖」から来ていた緊張だったんだー、という思いが、今朝、起き抜けに降ってきました。

ねこや、植物と一緒にいるときは、「間違うことへの恐怖」はありません。わたしがなにをしても、たとえ「間違い」を犯しても、彼らはそれを許してくれるか、じきに忘れてくれます。

ヒトと一緒にいるときは、なにか自分が「致命的な間違い」を犯すこともあったりしそうで、それがどんなことをすると「致命的に間違う」のかわからない、という部分もあって。

必死に「間違わないように、間違わないように」とつとめていたようです。でも、どうすれば間違わないようにできるのか、実はわかっていないなかで、ただ緊張している、というようなことになってたようです。

社会のルールとか、たしなみとか、常識とか、ヒトが考えていること、わたしに求められていること、そういうようなことが、どれも、曖昧模糊としていて、実はよくわかってないんですね。

わからないなかで、わかろうとする、憶測したりする、だってそれがわからないと基準がわからないから「間違い」をおかしてしまうかもしれない、「間違い」をおかしたら責任を取るよう責められたり、怒られたりいじめられたりするかもしれない。。。でもどうやっても「わかりきる」ことはできない。。。そんなような「不安ループ」ができあがっていたようです。

わたしが犯すのを恐れている「間違い」は、単に「間が違う」「タイミングが違う」というようなものだったりするんだけれど、でもそれがとても大きなことで。。。というのも「自然に溶け込んでるように見えること」が大事で、「間が違う」と浮いてしまうからです。

人から自分が「カンペキシュギ」だと思われているらしいことを知ったときは、気持ちよくありませんでした。「ちがうもん」と思って、こころのなかで否定したりしていました。「カンペキシュギ」なんてやだやだ、と。

でも、たしかに「カンペキシュギ」でした! ヒトがまわりにいるときの「まちがっちゃいけない」「まちがわないように」という衝動は、わたしをカンペキシュギにさせてました。

おもしろいな、と思ったのは、、、
わたしは自分の人生やものごとの流れにおけるいろんなあやまちや間違いは、大きな視点からみると、どんなに暗く悪く重くても「blessing in disguise」(一見そうはみえないけど実は祝福)で意味のあること、とごくふつうにそう思っているのに、自分が人と関わる段になると、そこに「間違いがあってはいけない」と信じ込んでいるんですね(ねこや植物となら間違いがあってもいいのに)。

人とのかかわりにおいてさえも、あらゆる間違いは、そこにあっていいことなんだなー、OKなんだなー、だからこそ人とかかわってくことに意味があるんだな、、、みたいなことを、今朝、思ったんだけれど、、、。まだなじんでないので、なんだかはっきりしてるようなしてないようなな。。。

学ぶっていうのは、間違いをおこさないようになるためにすることじゃなうて、なんでもアリの大きなプロセスをフルに生きるためにすることなのかな。

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