一番好きだった木のこと
ふいっとしたきっかけで、交流できるようになった1本の楠がありました。学校の帰り道、人の家の庭に立っていた木です。
幹の途中までは塀の向こう側だったので、下の3ぶんの1は見えませんでした。そんなに大木ではないけれど、若木でもないような木でした。ねじれた枝が縦横無尽に周囲に伸びていました。
はじめはその木からちょっと離れたところで咲き乱れていたミモザの黄色い花がまぶしくて、それに誘われてそばまで行ったら、右手のほうから気を惹かれて、そちらを向いたらその木がありました。
なんどか交流するうちに、「青馬」という名前で、その木を呼ぶようになりました。名前の根拠はよくわからず。。。幹に青い感じあって、どこか馬の感じがあったから、かな?
青馬のところへ行くと、からだじゅうにはっきりと、流れが満ちるのがわかりました。ゆびのさきっぽまで、足のさきっぽまで。
あるとき、つらいことのあった日に、青馬のそばへ行くと、ある言葉というかアイデアというか思念が、ぽこっと意識の中に現れました。その「考え」があんまり意外で、とうてい自分で思いついたものとは思えなくて、あれ?と思いました。青馬のそばでなんどかそういうことがあって、「これは青馬の考えなんだな、青馬はこういうふうにコミュニケートするんだ」とわかるようになりました。
一度、ほんとにしんどいことのあった帰り道、青馬の下で思わず「わたし、人間じゃないほうがよかった!」と(こころの中で)言ってしまったことがありました。
こんなダダをこねると、青馬はたいていは静かに現実を指差すようなところがあるから、「でもきみは人間なんだよ」とかそういうふうに言われるかと思ったら、そのときの青馬は違いました。ただだまって、わたしを、抱きとめてくれました。
あんなふうに、胸の奥の奥の奥まで、全的に、受け止めてもらったのは、生まれて初めてでした。
青馬は、ある年の暮れに、切られました。学校がしばらくお休みだったあとに行ってみたら、青馬が立っていた庭も、その庭のあった家もなくなって、更地になっていました。
ほどなくしてその土地に、新しいテラスハウスが建ち、夜には窓辺に明かりがつき、ローマ字書きの新しい表札がかかりました。
青馬の立っていたあたりは、今は、コンクリで埋め立てられて、駐車場兼ポーチになっています。
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