朝摘みばら水
なんともいい香りのする「朝摘みばら水」を、もらいました。ほんとうに豊かな、薔薇の香り。水と薔薇(ダマスカス・ローズというオールド・ローズ)のみからできた、純粋な自然の芳香蒸留水です。
調合したものとは違って、香りの持続力はないけれど、とにかくいい香りで、幸せになります。。。
モロッコのムゴナという地域でつくられたものです。ムゴナには、モロッコや北アフリカ一帯の先住民、ベルベルの人たちの集落があるそうで、ベルベルの人たちは、アラビア語とは違う独自の言語と文化をもっていて、古くから畑の作物を守るための垣根として薔薇を植え、薔薇の香りを楽しんだり薬草として役立てたりしてきたそうです。
「朝摘みばら水」のウェブサイトからは、自然と共生する伝統的な暮らしを守り支える、という姿勢や、土地の人たちと一緒にていねいにものづくりをしている様子がうかがえます。
http://www.naiad.co.jp/eauderose/index.html
↑ムゴナの土地のこと、ダマスカス・ローズのこと、薔薇水ができるまでの様子がわかる、目にも美しいホームページです。
このホームページに、芳香蒸留水のばら水というものは、10世紀頃に、錬金術の発達と共に蒸留の技術が発達して実現した、とありました。
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それで、昨日読んだ本に、薔薇の芳香はタマシイの食べ物になる、というようなことが書かれていたのを思い出しました。
「内なる惑星」(トーマス・ムーア著)という本でした。占星術について知りたくて借りてきたところが、いざ読み始めてみると、マルシリオ・フィチーノという、ルネサンス期にプラトン全集をラテン語に翻訳した人についての本でした(「ヘルメス文書」と呼ばれる錬金術の書を、プラトンよりも優先して訳したことでも知られています)。
この本によるとフィチーノは、人間には肉体と知性と、そして魂があって、からだに食べ物が必要なように、魂には精気が必要で、その精気は、芸術(特に音楽)や芳香や光として摂取できる、と考えていたようでした。
著者のムーアさんが紹介していた、フィチーノの「病」の定義は、特におもしろくて、病とは、単一の神(というかその神が支配する惑星)の影響下に入って、「一神教的」になってしまうときの状態を指す、と。。。
そうした単一な影響を緩和するために、他の神々(が支配する惑星)の精気を取り込むことが大事、というのがフィチーノの考えで、金星の精気が宿る薔薇の芳香も、土星の支配下で鬱的になってしまうようなときに、その影響を緩和するのに良いらしかったです。
でももっとおもしろかったのは、フィチーノはそれぞれの惑星のはたらき、その多様性を保つことを大事にしようとしていたらしいことです。だから鬱やメランコリーを引き寄せる土星のはたらきも、周縁化しない。
ある次元でのネガは別の次元でのポジ、ということも視野に入っていたようです。
まだフィチーノのことは未消化なんだけれど、アーニー・ミンデルさんのプロセスワークに、アプローチというか前提がとっても似ているなあ、という印象でした。
魂と自我は目指す方向性が逆、とか言っていたのも、妙に記憶に残っています。。。
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