台湾に行ってきました。台湾は近いように感じていたけれど、行ってみると、とても遠くにきたんだな、と感じました。地理的にも、時間的にも。
久しぶりに、言葉がほとんどわからない中でコミュニケートする体験をして、とってもそれが楽しかった。。。おそらくわたしたちの側は、よほど幼稚な、文法もめちゃくちゃな中国語を繰り出し続けていたのだけれど、土地の人たちはみんなやさしく、寛容に、対応してくださって。
台北から入って、列車(あちらでは火車といいます)「自強号」で本島の東側を南下して台東へ。台東からは小型飛行機で、タオ族の島、蘭嶼へ。蘭嶼から台東に戻り、台東から今度は「南廻線」の列車に乗って、高雄へ。。。という旅でした。
台東、蘭嶼、高雄といった南部の地は、南回帰線を越えるので、ほんとに熱帯です。それでも今は冬なので、長袖シャツくらいは着ていたけれど、日中、陽が出ているときは半袖Tシャツ1枚で快適でした。でもおしゃれな若者なんかは、結構厚手のジャケットとか着たりしていたな。
なにより一番印象に残っているのは蘭嶼島です。バイクに二人乗りして、宿のおじさんに島を案内してもらいました。おじさんは、タオ族の人で、中国語を「書く」ほうはあまり得意でないようで、島の案内をどうするか相談するときは、おじさんの娘さんと筆談して、娘さんがおじさんと口頭でやりとりする、というスタイル。娘さんはほんの少し英語もできて、「My father says」と言って、紙に書いた中国語の文章を指差ししてくれたりしました。チャーミングでやさしい女の子。
とにかく、誰もが、気の感じがやさしかったのが印象的でした。
島は、どこもかしこも緑が茂り、海は青く、バイクで走っていても、すれ違うバイクや車はまばらで、エンジンを切れば、鳥や蛙の声、風に木々の葉がゆれる音、波が浜に寄せる音が聞こえてきます。
沿岸の道を走ると、右手にはあおあおと緑に覆われた山々がそびえ、左手には海が広がります。手入れされたきれいなタロイモの水田。そこらじゅう自由に歩いているヤギやニワトリ。実をつけたパイナップルの木。浜には白と赤と黒を基調にペイントされている美しい小舟、タタラが並んでいます。島に点在する村々には、小ぶりの家やお店が並び、人々が涼み台や開け放した戸口でくつろいでいます。
宿のおじさんの出身部落、野銀村では、おじさんの家にもおじゃましました。地面に四角く穴を掘った中に、高さ半分の平屋を建てたようなつくりです。伝統的なタオ族の建築で、築100~200年と聞きました。家屋を囲む穴の壁面は石壁になっていて、この石壁は2000年くらいたっているとのこと。家の中は涼しくて、黒光りするすべすべの木の床が気持ちよかったです。台風がきても大丈夫なように、こうして半地下になっているそうです。住み心地がよさそうで、台湾政府が同化政策をとったとき、コンクリの家を建てたのにタオ族の人がなかなか住みたがらなかった、というのもうなづけました。
夕方、パートナーとバイクに二人乗りして散歩にでたとき、モダンなインテリアの小さなコーヒーショップを発見しました。テーブルのガラストップの下が木箱になっていて、珊瑚や貝殻がしきつめられています。そこで出てきた中国語オンリーのメニューをのぞきこんで、解読を試みていたら、赤いTシャツを着た女の子が店に入ってきて、となりに座り、江戸っ子のようなノリの英語で話しかけてきてくれて、メニューを解説してくれました。
彼女は、このコーヒー店をやっている女の子2人のお姉さんにあたる人でした。解説してもらって注文を終えた後も、彼女は同じテーブルについたままで、あれやこれやと話に花が咲きました。英語は少しあやふやなので、わからなくなると、紙に漢字を書いて筆談です。見た目はこんなにモダンなコーヒー店なのに、こういう気さくな人の出入りがちゃんと健在だったのが、嬉しかったわたしたちでした。
彼女もタオ族の人で、しばらく台北に住んたあと、こっちに帰ってきた、とのことでした。台北では、「台北一0一」(東京なら、サンシャイン60と東京タワーと渋谷の109が合わさったような場所?)で働いたりしたこともあったそうで、トレンディな”現代生活”を謳歌したようでした。でも自分の「内側」をもっと大事にしたい、自分の文化を大事したい、だから帰ってきた、と言っていました。台北の人については、「歩く時前しか見ないのよー!」「お金のことばっかり頭にあるの」と。
そんな彼女に、後でうちに来ない?と誘われて、すぐそばにある彼女の家におじゃますると、コンクリの壁いっぱいに大胆な色使いのペインティングが。ものすごくポップでクールです。すべて彼女がデザインや配色を考えて自分でペイントしたのだそう。
聞けば、絵を描いているときが一番充実する、とのこと。頼まれて、宿の外壁のペインティングなども手がけているそう。
そして、翌日、台東へ帰る飛行場の待ち合いラウンジで、さらに驚きました。彼女は空港のチェックインカウンターで働いているのだけれど、その彼女の絵画作品が、ラウンジの四面の壁に、ざっと12点、かかっていました。1メートル近くある大作から、ポスター大のものまで。色彩が踊り、ほとばしるエネルギーがある、岡本太郎を彷彿とさせる作品たちでした。
江戸っ子のような勢いのある話しっぷりと、チャーミングにはじける笑顔。でもそれだけでない彼女の内面が、かいまみられました。中国語の作品タイトルには「音楽的感動」「大地震」「母」といった文字。
後でわかったのだけれど、彼女は、島の核廃棄物貯蔵場についても、具体的なかかわりをもっていたみたいでした。島の路上や道端に「反核廃」とスプレーペイントで書かれていたし、このことについて彼女にも聞いてみようとしたけれど、タイミングを逃がしてしまった。。。また追って彼女に聞いてみたいな、と思っています。
でも、事前に読んだ核廃棄物貯蔵場関連の新聞記事から想像していたよりも、ずっと、島の人たちに元気があるように感じられて、ちょっとほっとしたのでした。小学生くらいの子供たちが、夜遅くまで屋外で走り回って遊んでいたり。早朝、何人もの中学生が、思い思いのかばんをもって登校していたり。水田では朝早くから大人たちが畑仕事をしていて、午後には畑の隅のひさしの付いた休憩処で休んでいたり。港には、船を出す人々の姿。牛肉麺店のおばちゃんの表情も、宿のおじさんの表情も、どこか輝きがあるように思いました。
帰国したら、家のポストに、本が届いていました。タオ族の作家、シャマン・ラポガンさんの小説が収録された念願の一冊です。そして帰国の翌日には、タオ族の舟作りをドキュメントした映画の上映会がありました。
しばらく、蘭嶼島がこころから離れそうもなく。。。すっかり時差ボケです。
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