「そういうことじゃないんじゃないか感」
ここのところ、カンヅメで仕事をすることが続いたせいか、すっかり足腰が弱ってしまいました。思えば、1日中家にいるので、家の中を数歩歩くくらいしかしていないのでした。昨日、ひさびさに遠出をしたら、かばんを持って半日過ごしただけで、今日は右肩が筋肉痛です。。。ああどうしよう。
あいからわず体調も不安定。みぞおちの奥にぽっかり穴があいている感覚です。そしてちょっとした気候の変化が、ずいぶん大きく体にこたえます。
こんなに体が弱った感覚を持ったのは、たぶん、生まれて初めて。今までは、なにがあろうと、(悩んで悩んで死にたくなっていても)、体だけはピンピンしていて、頑丈だったのです。
なにか大幅な変化が起きているのは、わかるのだけれど、変動がありすぎてちょっとあわあわしています。ただ、もしかすると、これは、環境に対して体が開いてきた、ということでもあるのかな、とも思います。閉ざした状態で良好に維持する、というのは、鎖国したまま安定を保つようなものかもしれない、とか。。。
でも、こんな体調なのに、このところ、またダンスに戻ってみたい気がし始めている自分が、うーむ、信じられません。。。とうてい無理だよなー、という気持ちもあります。
なのだけれど、昨日、大野一雄さんのドキュメント映画「ひとりごとのように」を見に行って、なにか、漠然と、「そういうことじゃないんじゃないか感」を抱きました。
この映画、大野さんが95歳のとき(2001年)のドキュメントです(現在は100歳)。大野さんは2000年に公演で腰を壊してしまわれて、以来、ひとりで立って踊ることはなくなりました。椅子に座って、とか、床に座ったりつっぷしたり、とか、息子の慶人さんに腰を支えてもらって立って、とか、そんなふうにして踊ります。
映画のワンシーンで、「もう踊らなくてもいい、と言われた。もういいですよ、どうぞ家へ帰ってください、と。それはなぜなのか、私は知りたい。私は踊るために、山を登ってここ来た。私は、踊りたい。なのに、踊らなくていい、と言う。それはなぜなんだ? こうやって(腰を)支えてもらっているからなのか?」と、言葉にも支障が出始めていた大野さんが、ずいぶんハッキリと、言うところがありました。
腰を支えてもらって立ち上がったときの、大野さんの一瞬の身振りに、圧倒された瞬間がありました。
あきらかに、体の輪郭からはみだして、はちきれる、なにかがありました。自己完結からはほど遠くて、それはなにか、自分というものの比率がとても小さいからのように見えました。自分というものが、ダイヤモンドのように硬くしっかりとそこに確かにあるのだけれど、その大きさは、比率としてとっても小さい、なぜかそんなふうに、感じられました。
■ドキュメンタリー映画「大野一雄 ひとりごとのように」(2005年)
ポレポレ東中野で公開中。くわしくは↓
http://www.queststation.com/oono/
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コメント
踊りたいときは、踊っていいんだと思うよー。
春だし。こんな体調といっても、な♪ちゃんは、まだ若いし(?)。
体の不調は、エネルギーがありあまってるから起きることもあるし、ってことを最近知ったわたくしです。
投稿: さっちゃん | 2007.04.07 00:49
ありがとうー、ほんとにね、エネルギーがありあまってるからの不調ってことが、ありそうな気がしたよ。。!
昨日、踊りに行ってみたら、おけいこ場へ行く途中の電車のホームの階段を昇るだけで心臓バクバクして大変だったんだけど、いざ、踊りはじめてみたら、逆になんか体がしっかりしたよー。踊り終わった後のほうが、体のスカスカ感が減ったような感じがしてる。。ふしぎふしぎ。
投稿: な | 2007.04.08 10:06
踊りに行ったんだ☆ よかったねー♪
わたし「エネルギーがありあまってて不調」を、解消すべく、朝の散歩を始めてみたよ。3日坊主になるかもしんないけど、今んとこ気持ちよくって快調♪
車で移動している時には知らなかった、家やら植物やらと、友達になれるといいなーって思ってる。
投稿: さっちゃん | 2007.04.09 22:25