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2007.07.01

空白に身をゆだねること

川べりをずーーーーーっと歩きました。日が暮れるまで。

ただのなんにもない川べりなんだけれども。。。歩き疲れて、夕方、知らない街の市バスに乗って、車の揺れに身をまかせて眠りました。

そうやって過ごした日、機嫌がすごくよくなっているのに気づきました。「あ、こういうことがやりたったんだな」と思いました。ふたりでえんえんと草の繁る川べりを歩いたりして、行き当たりばったりの小さな旅をすること。

自分にとっての幸せがここらへんにあったんだ、と気づいて、ちょっと意外だったのでした。

くるりの、アルバム「ワルツを踊れ」を聴いています。すごくいいなー。ニャッキーさんのドラム、すきです。やっぱり広さを感じる。

あー、こういう感じでダンサブルっていうのは、、、と思っていて。これは、このあいだのキセルのライヴでも、意外な体験だったんだけれども、なんだろう、拍とは違うところで踊っていて。今までとは違うものに身をゆだねている感覚。

個人天体(水星とか金星)じゃなくて、トランスサタニアンの天体にチューニングしてるような感じ、というか?

今回のくるりのアルバム、わが家のねこにも好評です。結構な音量でかけても逃げないし、スピーカーのよこですやすや寝ている。。。

今日は、昼下がり、ベランダのよしずが、木陰みたいに、部屋の中に涼しい日陰を作っていて、気持ちよい風が吹いて、ぼーっとしていたらいつのまにか眠っていました。時間が止まったようで幸せでした。

階下に昨日引っ越してきた家族の、小さい男の子の声が聞こえてきて、目を覚ましました。

*  *  *

義理の兄からもらった、古いレコードプレーヤーを、アンプにつなぎました。レコードが回り出してから、針が盤の上にぐーんと動いていって、ふっつりと降りていく、この瞬間は、独特の気持ちになります。懐かしいのと、ちょっとわくわくするのと。

それで、レコードをしばらく聴いたあとCDを聴くと、こころもち、「四角い」印象があるのがおもしろいです。レコードの音っていうのは、どこか丸みがあるような。。。

ちょっと小耳にはさんだことがあるのが、レコードには、CDの場合完全に欠落する20KHz以上の高い周波数の部分(人間の耳には「音」として認識できない域)がたくさん含まれている、とか。それはもとからレコードに録音されているというよりは、再生の過程で発生するノイズがアンプで増幅されたり、といった要素らしいのだけれども。いずれにしても、その「混りじけ」があるのが、よいみたい。

薬草の薬効成分をつきとめて、その成分で構成した薬よりも、薬効が認められない成分も含んだ「混じりけ」のある状態の薬草のままのほうが、なぜか効き目がよい、と製薬会社に勤めていた父から、昔、聞いたことがあるけれど。

「音」として認識されない域、なにも聞こえないように感じられる部分って、音楽を担っている大事なところ。。。なのだな。

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