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2007.09.17

惚れました

UAのアルバム「Golden Green」を聴いていて、え?……お!……!!
となったのは、外山明さんという人のドラム。

なんとゆー自由さ。そして不思議なのが、彼が叩く音は凸に出てくるんでなくて、凹になる感じがあるところ。引いていくというか。

あー気になります、気になります。。。

UAの詩もなかなかよいです。
「誰かの戦争ゲームでは、僕らは絶対遊ばない」
「窓の外は空色と水色が交じり合う」
とか。。。

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2007.09.14

天国みたいな

Img_1201 予想だにしていなかっただけに、相当びっくりうれしかったのは、古レコード屋さんで食べた、パスタの味。。。

なんてこと。なんておいしいんでしょう。ローズマリー風味の野菜のぺペロンチーノ。。。

窓からは、下北沢の空がよく見えました。まわりにあまり高いたてものがなくて。となりのベランダの植物も見えた。ずっと昔行った、サンフランシスコのCity Lights Bookstoreを思い出しました。あそこも、となりのたてもののベランダに、ひもが渡してあって、洗濯物が、ユラユラたなびいていて、それを見ていてシアワセな気持ちになったのでした。

この、レコードを聴けてパスタも(どうかするほど)おいしいCity Country Cityというところ、4階だけれど、空に近い気がしました。天国みたいでした。「1万円のレコードも試聴できます」と書いてありました。何枚でもOKみたい。

気持ちいい音空間で。

後で違う喫茶店に入ったら、改めて、あー、音響が違うというのはこうも違うのだなー、City Country Cityがあんなに天国みたいに感じられちゃったのは、パスタがおいしいのもそうだったけど、メインはやっぱり音楽のせい、、、と思いました。

それとも、「みんな自分たちでつくった」というあの場所には、だからこその、いい「気」が満ちていたのかな。

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今日のできごと

夜道を歩くと
おしろい花がいい香りです。

今日、ねことケンカしました。

それで、ねこが「わー、わー」と大声で言っているのに、「買い物に行って来る」とクールに家を出てしまったわたし。

道を歩きながら、反省して、かつおの缶詰各種と、ねこが好きだと言ってたバニラアイスを買って家に帰りました。

今は、となりで寝ています。平和そう。

ケンカできて、前よりも、ねこと対等になれた気がしないでもないような。。。

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2007.09.12

新月

今朝の新聞の「9.11丸6年」という記事を読んでいて、昨夜の食の新月の時間(日本時間午後9時44分)が、6年前の米中枢同時テロのとき、最初の飛行機がツインタワービルに突っ込んだ時刻と、ほぼ同じだったことに気づきました(日本時間午後9時46分)。

しかも、6年前も火曜日だった、とのことです。

新月は、願いごとの種まきに一番よいタイミングとされているけれど、昨日の新月直後に、ニューヨークでは、大勢の人が黙祷をしてたんですね。

しかも今回は、日食の新月。。。

わたしもよく、新月の日には、これからの日々をどう過ごしたいかについての「地図づくり」をします。マインドマップと呼ばれるもので、中央から放射状に、絵をたくさん使って描きます。絵で描いていくと、わたしの中の、サイレントで「言葉を知らない部分」が、「あ、絵で描いてもらえば、わかるよ」と納得していく感じがあったりします。

絵やシンボルをとおしてしか、つながれない部分ってあるなあ、と思います。まったく違う言語システムの中で息づいている部分。夜、夢を見せてくれるのも、ここかな。

新月の地図は、後になって、忘れた頃にちゃんと実現していたりして、おもしろいです。

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2007.09.11

かけがえないみたい

食の新月を間近に控えた昨日の、夕空がきれいでした。

電車の窓から、久しぶりに、ずーっと空だけを眺めて、放心。至福の時間でした。

おゆうはんを食べに入ったかんのん食堂というところは、昔ながらのつくりで、大きいお座敷が陸地、小さいお座敷が小島、その間の黒い玉砂利を固めた海みたいなところに椅子席。神棚には立派な榊としめ縄、その横のテレビでは相撲中継。お魚のお料理がメインで、お客さんはほぼ全員、単身のおじさんたちでした。とてもはやっていた。女子はわれわれのみ。

「小島」のお座敷に座ったわたしたちに、となりの「海」の上の椅子席の、常連さん風のおじさんが話しかけてくれたので、ここは古いお店なんですか、と聞くと「昔は松竹の撮影所が近くにあって、そこの人たちがここへ来てた、寅さんの撮影とかね、してたんだよ」と言っていました。

タイムスリップした気分でした。「祝開店記念」と螺鈿で描いてある漆塗りの絵は、寄贈者が渋谷のどこそこのお店となっていました。この絵も、なにげなく引っ掛けてあるんだけれど、相当古そうでした。

お魚の定食、おいしかった。使い込まれた分厚い木のお椀で、お味噌汁を飲んで。。。くつろげました。

その後くるりのライブ会場に行くと、客層がまったく違う。。。かんのん食堂にいたようなおじさんは、見当たりませんでした。当たり前か。。。

年齢や趣味の違う人たちと接するだけで、時間や時代を行き来できるんだなあ、タイムマシンというのは、「人」のことなのかな、なんて思いました。

ひとりひとりの人の生きた時間や時代が、その人の中に住み続けて。物理的な時間や時代はどんどん動いても、それと平行して、別の時間や時代がちゃんとそこにあって、折り重なってる。。。人や場所の中にある、そういう内的な時間や時代に、触ることができるとき、どこかほっとします。

くるりのライブ会場には、また全然別の風が吹いていて、また全然違うわたしの部分が、生き生きとして、自由になりました。

どんどん折り重なっていくものも、軽やかにどんどん飛ぶものも、両方、かけがえないみたい。

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2007.09.10

お気に入りのカップ

お気に入りのカップが割れました。。。なんということもない瞬間に、手から滑って、床に落ちました。

このショック感。自分の一部が、割れたかのような気分。

厳密にいうと、二番目のお気に入りだったのだけれども、ちょうど今朝、朝食を食べつつ、このカップを目の高さに持ち上げて、カップの横についている、繊細な手描きの花々を、ぼんやりと見ていて、「ひとつの花はつや消し仕上げ、もうひとつはつやを持たせてあるんだな」と思っていたところでした。もう2年くらい使っているカップなのに、まだ飽きないし、見るたびに、すてきな焼きものだな、と思っていたものでした。

どこに書いてあったんだか忘れてしまったけれど、自分の体から抜け出して、”アストラル体”になって部屋の中を見回すと、あったはずのものがなくなっていることがあるとかで。そういうものは、物理的にはそこにあっても、部屋の持ち主との関係性がないために、「気の体」という「第二の体」がない、だからアストラル体には認識されない、ということでした。

その、物体の「気の体」は、持ち主の気の注ぎ方によって育ってくるようなことが書いてあったと思います。

これがほんとなら、お気に入りのカップには、なみなみならぬ「気の体」があったんだろうと思いました。

それでふいっと、ずっと昔、当時つきあっていた恋人の家でおそろいで使っていたマグカップのことを思い出しました。わたしが1週間ほど外国に行って帰ってくると、恋人から「なにもなかった?大丈夫だった?」と聞かれました。なんでも、わたしが不在のあいだに、わたしのマグカップが、ふいに割れてしまったのだそうです。割れた日はいつか聞くと水曜日とのことで、自分の日程を振り返ると、その水曜日には、たしかに、まごうかたなき心当たりがありました。それで、ちょっと怖くなったのを覚えています。

今朝割れてしまったあのカップがわたしの”分身”なら、わたしの中の「ああいうような感じ」の部分が割れちゃったのかな、と残念に思って、パートナーにそう言ったら、「もうあなたの中にそれを取り込んで、一部になったってことなんだよ、きっと」と言われました。

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2007.09.04

数字と仲良くなれたなら

最近、意識がちょと、浮遊しているみたいです。涼しくなったこともあってか、とりとめなく、時空について、考え続けているようなふうです。

久しぶりに図書館へ行って、気が惹かれた本は
「世界の調律」という、音や聴覚に関する情報がふんだんに載っている本と、
「光の箱舟」という、意識と幾何学と素粒子に関する本でした。。。

「光の箱舟」のほうは、時空や次元の説明に、視覚的な表現が多いです。「観察者」としての「あなた」が「モノ」を「見る」とき、というところから出発することで、多次元で展開する幾何学を理解しやすくなっていて、理数系でないわたしでも楽しく読めました。

ただ、「世界の調律」で音と沈黙と聴覚にちなんだ事柄のオンパレードを体験した直後だったので、この視覚をメタファーにした表現(「見えている世界」とか)に、とまどいを感じてしまったのも事実です。

実際のところ、視覚はあくまでメタファーなので、肉体の五感の1つとしての視覚と混同してはまずそうです。

それにしても、言葉で表現すると、どうしても五感の視覚とオーバーラップするのでまぎらわしい。。。このあたりを、すっきり五感と切り離して表現しようとすると、数式をえんえんと書いていく抽象表現になるのでしょうかー(理数系ではないので、これはまったく未知の世界なんだけれど。。)

視覚をメタファーにするとこんがらがるなー、と思ったのだけれど、この本を昨日読んで、眠ったら、今朝の明け方には、自分の目の前の世界がニ重に重なり合ったものでできている、という映像の夢を見ました。

夢の世界は、もともとメタファーだらけ。。。

でも、タロットを描く、ということをとおして、数の原理を学びはじめて以来、無味乾燥だった「数字」にも、たっぷりした奥行き感が出てきました。数は、抽象概念だけれど、数自体がメタファーでもあるということを知りました。たとえば、
1は「始まり」のメタファー、
2は1で始まったことへの「反動」のメタファー、
3は2で現れた二極を俯瞰する「パースペクティブ」のメタファー、
などなど。

数字そのものに、「量」だけを測るのでない、「質」を表現することのできる面もあるのだな、とタロットの絵を描く中で、知りました。数字ともっと仲良くなれたなら、数式の語る内容も、たっぷりと豊かに響くようになるのかなー。。

*タロットのお絵描きをするときのテキストには松村潔さん著「数の原理で読むタロットカード」(星和書店 2003年) を使っています。

*タロットのお絵描きでお世話になっているのはアトリエえんどうまめさんです。

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