かけがえないみたい
食の新月を間近に控えた昨日の、夕空がきれいでした。
電車の窓から、久しぶりに、ずーっと空だけを眺めて、放心。至福の時間でした。
おゆうはんを食べに入ったかんのん食堂というところは、昔ながらのつくりで、大きいお座敷が陸地、小さいお座敷が小島、その間の黒い玉砂利を固めた海みたいなところに椅子席。神棚には立派な榊としめ縄、その横のテレビでは相撲中継。お魚のお料理がメインで、お客さんはほぼ全員、単身のおじさんたちでした。とてもはやっていた。女子はわれわれのみ。
「小島」のお座敷に座ったわたしたちに、となりの「海」の上の椅子席の、常連さん風のおじさんが話しかけてくれたので、ここは古いお店なんですか、と聞くと「昔は松竹の撮影所が近くにあって、そこの人たちがここへ来てた、寅さんの撮影とかね、してたんだよ」と言っていました。
タイムスリップした気分でした。「祝開店記念」と螺鈿で描いてある漆塗りの絵は、寄贈者が渋谷のどこそこのお店となっていました。この絵も、なにげなく引っ掛けてあるんだけれど、相当古そうでした。
お魚の定食、おいしかった。使い込まれた分厚い木のお椀で、お味噌汁を飲んで。。。くつろげました。
その後くるりのライブ会場に行くと、客層がまったく違う。。。かんのん食堂にいたようなおじさんは、見当たりませんでした。当たり前か。。。
年齢や趣味の違う人たちと接するだけで、時間や時代を行き来できるんだなあ、タイムマシンというのは、「人」のことなのかな、なんて思いました。
ひとりひとりの人の生きた時間や時代が、その人の中に住み続けて。物理的な時間や時代はどんどん動いても、それと平行して、別の時間や時代がちゃんとそこにあって、折り重なってる。。。人や場所の中にある、そういう内的な時間や時代に、触ることができるとき、どこかほっとします。
くるりのライブ会場には、また全然別の風が吹いていて、また全然違うわたしの部分が、生き生きとして、自由になりました。
どんどん折り重なっていくものも、軽やかにどんどん飛ぶものも、両方、かけがえないみたい。
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