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2007.12.29

骨休め

Img_1667_3 数日前に真鶴へ行って、以来、元気です。「魚つき林」と呼ばれる森へ、楠や黒松の大樹たちに、また会いに行きました。午前の森の中は、土もしっとりとしていて、ふかふか。

一度行った道を逆からまた行ったりと、森の中にある道をくまなく歩き回りました。

森に入って少しして、「顔がはっきりしたね」と言われました。自分ではわからないけれど、森に入ったらなんだか顔が変わったらしい。。。

でもほんとうに、なんてすてきな楠!あの森には、ため息がもれそうなほどすばらしい木々がほんとに多いのでした。

Img_1636_2Img_1643_2森から海岸へ出ると、海が光っていました。

海岸では潮の引いた時間帯だったので、岩のつたい歩きをさんざんしました。岩場でおじさんがしきりになにかを拾ってはバケツに入れているので、声をかけてみると、岩に貼りついた「はば海苔」という海草をつ んでいるんだよ、とのこと。

全長5、6センチの短い海草。これをあつめてシート状にして天日干しにするんだそう。「不純物もなんも入っていない、天の恵みだからね、うまいよー!」とおじさん。「うまいよー!」というところに実感がこもっていて、ほんとにうまそうでした。

後で調べてみると、この「はば海苔」のおいしさも、真鶴の「魚つき林」のおかげらしいことがわかりました。森から海へと養分が流れ出るからこそ、プランクトンがたくさん棲める、ゆたかな水中環境ができているそうです。

* * *

Img_1625海から切り立った丘の斜面にあるお宿に、またお世話になりました。ハーブをふんだんに使ったお風呂とお食事。。。お宿のまわりは果樹やハーブ、野菜の育つ畑に囲まれています。

ハーブのお風呂は、月桂樹、みかんの皮、しそなどがたくさん入っていて、うっとりするほどいい香り。濃い色が出ていて、まるで野草茶の中に浸かっているような贅沢さでした。1つ、鮮やかな黄色のゆずも浮かべてあって。冬至のときにゆず湯、というのは、この黄色の明るさが、太陽のかわりなんだなー。。。

このお湯に浸かっていると、ほんとに体の芯から「ほぐれてくる」感覚がやってきました。

Img_1621Img_16091品1品ていねいにつくってくださるお料理は、ハー ブとお野菜に、すぐそこの真鶴港の新鮮なお魚。意外な組み合わせのおいしさ体験もたくさんありました(ゆずのアイスのコーヒーリキュールがけとか、ガラムマサラと白味噌の野菜スープとか、干しぶどうとゆず入りのスコーンとか!)。

ほんとにお腹いっぱいで、もう食べられない!というくらい食べちゃったのだけれど、まったくもたれなくて、逆に翌日から体調がよくなりました。食べ物ほんらいのおいしさを思い出したかのようで、以来、あまりヘンなものは食べたくなくなり、小食になったようです。ゎぁぃ。

ヒルサイドハウスのオーナーさんは、さりげなく、隅々まで、気の満ちたおもてなしをしてくださって、しかも、なんだか楽しそうにそうされているので、ほんとうにしあわせになります。

すっかり骨休めができました。。感謝。

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2007.12.19

60通りの可能性

昨日、松浦理英子さんの小説『犬身』について、自分が感覚していることがどんなに世間の一般常識で理解されにくいものであっても、それを自分の中では、まったく疑ったり打ち消したりすることのない主人公に、「健全な明るさ」を感じると書きましたが。

その後少しして、作者はひょっとして意図的に、そういう天然で健全な明るさを主人公に持たせたのかも、と思い至りました。

なにかの状況について内で感じていることを、外から「あなたはこれこれこういうふうに感じているのだ」と別のストーリーで読み取られて、書き換えられていく。いつのまにか、そうなのだと「思わされて」いる。。。そういう体験に対して、この本は、頑固に「ノー」を言っているような気がしてきました。

* * *

松田聖子がむかーし歌っていた曲の中に「キッスはいやと言っても反対の意味よ~」という詞がありました。子供として、これを聞いたわたしは、へえーと思ったものでした。

でも大人になってから、いやと言ってるのに「ほんとはいやじゃないんでしょ」と受け取られる場面を体験したりして、そのときには「この人は松田聖子のあのうたを聴いて育ったのかしら」と思ったり。。。

もちろん、実際「いやと言っても反対の意味」なときだって、多々あるわけで。。ひとつの状況や言動には、はたからみれば、いろんな説明があてはまる。。。

こないだ聞いたのだけれど、『知恵の三つ編み』 (ポーラ・アンダーウッド著・星川淳訳)という本の中に、こんな一説があるそうです↓

形をとったすべての現象について、
その現象をきちんと説明できる説明を少なくとも六通り考え出すこと。
説明は六十通りあるかもしれないが、
もし六通りでも考えだすことができれば、
宇宙の複雑さと知覚の多様性に気がつくだろう。
そうすれば、最初に思いついたもっともらしい説明を「真理」に祭り上げて、
それにしがみつくことを防げるにちがいない。

自分が「真理の押し当て」という暴力をしているかもしれないことを、視野にいれておきたい、わたし自身はなにを感じているのかを、もっとちゃんと大事にしたい、そんなふうに思う今日です。

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2007.12.18

小鳥と本とブランデー入りココア

月桂樹にたわむれるメジロを見ていた翌朝、夢の中に、小鳥が5~6羽出てきました。みんなカラフルで、インコだったと思う。どうやらわたしがみんなお世話をするようでした。。。

松浦理英子さんの新刊「犬身」を読みました。よかったよー、とパートナーに言うと「どのへんが?」と聞かれて、そのとき口を突いてでた返事は「問いかけが」。

Kenshinそんなにたくさん小説を読むほうではないのだけれど、確かに、ほんとうに好きな小説って、読んだ後も、いろいろな問いかけが意識の水面に波立つような小説かもなー。

このお話は、犬が大好きで、自分は「種同一性障害」かも、犬になれたらいいのに、と感じている主人公が、本当に犬になる、という展開をします。

「種同一性障害かも」という気持ち、わたしも持ったことがあるけれど(犬ではないけど)。。。松浦さんのお話に出てくる主人公は、自分が生理的に「感覚していることがら」に対して、ものすごく素直に生きていて、「これは間違っているのでは、ヘンなのでは」と疑ったり、思い悩んだり、否定したり、なんとか変えようとしたり、とかそういうすったもんだがぜんぜんないのが特徴的。。。

そこのとこに、なんだかものすごい明るい健全さを感じます。

そういう主人公のあり方も含め、いろいろな問いかけが、水面にぷかぷかしている感じが続いていて。そのこと自体、気に入っています。

もひとつ、ここ数日のお気に入りは、ブランデー入りココア。普通にココアをつくるときに、途中で小さじ1杯ほどのブランデーを入れる。どうかするほどおいしくなります! 

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2007.12.15

想像しはじめる

寒くなっていっそう家にこもりがちなのだけれど、そうするとよりいっそう、外へ出たときに出くわす植物のリアルな存在感に圧倒されます。

濃い緑色の小さい葉をびっしりとつけたつつじの植え込みに、吸い込まれそうな感覚を覚えたり。

そのたびに、ああ、これはほんものだ、という実感を得て。そういうときには、冬季特有の精神的な危うさもすーと引いていって、目が覚めたようになります。

Meziro02今日は、おふとんをとりこもとうとしたときに、目の前の月桂樹にたわむれるメジロたちが見えました。かわいい鶯色のボディーと、白く縁取りした丸い目が特徴的な小鳥。

トュルルル、トュルルルとさかんに歌いながら、木のまわりを忙しく飛び回っていました。木から離れて遠くへ飛ぶときは、ピイッピイッと別の歌い方をしたりする。。。(さすがに動きが早くて写真は撮れず。。。この写真は参考写真です。)

大人になって、自分が大きくなる過程で「普通」と感じてきたことが、じつはそうでもなかったのかも、とちょっと客観視できるようになってきました。

思えば、都市郊外で子供時代を過ごし、引越し先も都会ばかりでした。だから子供時代に培ってきた「これが自然というもの」という感覚も、とてもやせ細っていたのだなー。。今よりは家のまわりに豊かな自然が残っていたとはいえ。

大きくなるにつれ、山や森や海へのあこがれが募り、家族とは行けなかった場所へ友人と行くようになったけれど、それも行った先では一時の夢を見ているようで、日常生活からは完全に切り離された体験になっていました。

木々や鳥、獣、虫、魚。。。について、よく知らないことばかりです。わたしが知合ってきたのは、都市部の宅地に植えられた植物や、そこに集まる生き物ばかりで。。。それでもこれだけこころの支えになってもらっていて、ほんとにありがたいことで。。

でも、もっとゆたかな自然にあっては、どれだけ充実した気持ちになるのだろう。。。そういうとこで他の生き物との共同生活すると、どんな感じがするのかな。。。

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2007.12.12

害獣?

「有害鳥獣特措法」というものが、昨日、衆院で可決されてしまい、明日13日の参院で成立する見込みだそうです。

里にクマやイノシシなど、野生動物が出現して、農作物を食べたり、お年寄りを脅かすようなことがたくさん起きていて、その対策として出された法案でした。町村職員にライフル銃を持たせ、市町村に「有害鳥獣捕獲隊」をつくる、ということです。

鳥や獣たちを「有害」と呼んで、「駆除」するという対症療法的なアプローチ。

でも、どうして鳥や獣が里に降りてきてしまうことになったのか、といえば、その原因をつくったのは、わたしたち人間でした。。

実のなる木やねぐらになる巨樹のあったゆたかな自然林を、林業のために杉やヒノキしか生えていない人工林にどんどん変えてきました。その結果、動物たちは住処や食べ物がなくなって、困って困って里へ降りてきて、撃ち殺される。。。日本のクマはすでに絶滅寸前だそうです。

Kumamori日本熊森協会さんの「クマともりとひと」という小さな冊子を読んで、このことが、よく、わかりました。

(この冊子は、このことについてよくわかる、というだけではないです。わたしには、ひとつの大きなドリーミングが立ち上がった瞬間のストーリー、POPでいう「myth」のようでした。。。涙なしには読めませんでした。)

正直に言うと、わたしは、数年前まで、緑色の植物があればなんでも「自然」だと思っていました。ずーっと広がる牧場でも。杉ばかり生えている山でも。

でも生物の多様性がなくなって、人間が決めた生き物だけがそこにいる(牛や杉)という場所は、たとえ緑色をしていても「緑」ではなく、「自然」でもないのでした。

生態系を壊して、生き物の多様性を損なっていけば、人間も遅かれ早かれ生きていけなくなりますね。。。動物たちが住めるような奥森がなくなれば、やがては水が細って枯れます。。。

実際ブラジルのあるところでは、紙の原料にするユーカリのプランテーションが拡大した結果、大きな湖がまるまる干上がっていました。土地の人の暮らしも厳しくなっていました。これはユーカリがとても成長の速い木なので、水をたくさん吸い上げてしまうためでもあるけれど、ユーカリの林にも、ほかの生き物は不在でした。(岡村淳さんのドキュメンタリー『緑の砂漠か緑の再生か』で見ました)。

* * *

「駆除」ではなく、里での「被害を防ぐ工夫」を考えて、そして、放置されて荒れているばかりの人工林の木を切って、広葉樹を植えて、動物たちが帰れる森が再生するプロセスを手伝う、という活動が広がりをみせているところに、こんな法律ができてしまうのは、ほんとに残念です。

どうか、法律ができてしまっても、「駆除」の方向にことが進んだりしませんように。森に自然なあり方を返せるほうに、向かいますように。

森と、動物や虫は、お互いに依存しあっていて、動物や虫のいない森は、森として機能できなくなる、ということ。。。「害獣」と呼ばれる動物たちは、森にとって、本来は生命線だったはずで。。。

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2007.12.07

Cafe Squall

相変わらず、羅針盤を落っことしたままだけれど、お天気が晴れていて、お茶をいれたカップから湯気が立ち上っていれば、なんとかなりそうな今日です。

そんなこんなで、気づいたら最近はまちのカフェによくお世話になっています。

おとといは用事のついでに、国立のカフェ、「スコール」に立ち寄りました。去年の夏だったか、道を歩いていて気を惹かれ、入ったらとっても居心地がよくてついつい長居してしまい、終電をあやうく逃しそうになったことがありました。

冬にはストーブがあたたかく燃えていて、からだがあたたまるホットワインなんかもあって、やっぱり今回もとても居心地がよかったです。

食事やドリンクのおいしさ、内装の空間感覚、音楽のチョイス、店員さんのかわいらしさなど、どれも気持ちよく。。。なぜか混んでいても他のお客さんのことが気にならないし、自分の居場所で「隠れて」いられる感覚があって(ぜんぜん物理的には隠れてなんかいないのだけれど)のんびりくつろげます。フシギです。

店員さんの応対がいいのかなー。。。それとも空間の整え方のバランスかな。。なんかほうっておいてもらえる感じと、ケアしてもらえる感じとがちょうどよくって、そういうちょうどよさは、わりとあまり体験できないので、うれしかったです。

なにもお店の側から押し付けられることもなく、それぞれの人がそれぞれのあり方でそこにいられる、というような場で、そういう意味では新宿のBergとも共通しています。Bergより広々としているのが違いかなー。

近所に行くことがあったら、おすすめです。お食事はアジア系で、フォーやパッタイやグリーンカレーなどなど、いろいろありました。夜はお酒もいろいろあるようでした。

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2007.12.02

偶然

曽我部恵一さんの日記を久々に読んでみたら、どうも、11月の最後の日あたりに、やはりとっても似たような心持ちになっていのだとわかって、はっとしました。

偶然同じようなおもいを持った人がいたことに驚きながら、ほっとしました。。。

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2007.12.01

からだ、という方角

Xmastree1もう12月。去年のエントリを読み返していたら、去年の今頃も、やはり、ふいに精神が不安定になっていたりしました。

この季節はどうやら、そういう時期なのかも、と思った次第。。。

疲れ果てて、ちょっと泣いて、そして久しぶりに実家へ一晩、泊まりにいきました。

小さい甥っ子、姪っ子が、無条件に、わたしがそこにいることを喜んでくれて、遊ぼう?と言ってくれるので、あたたかい気持ちになりました。疲れ果てて、泣いたあとに、こうしてこどもたちのとこへ行って救われたことが、前にもあったっけ。。。

そして12月になると、晴れ渡る空を見て、「12月の東京の空が好き」と言っていた、昔の同僚の(き)さんを思い出すのだけれど。。。その(き)さんは、去年の暮れに、末期がんだったことがわかってほんの3ヶ月後に、他界したのでした。

今は、羅針盤を落っことしてしまったような感覚があって、どちらを向けばいいのか、なにをしたらいいのかが、よくわからない。。。

昔やっていたことに一度戻ってみようかと思ったり。

とにかく家でひたすら手仕事でもしてようかな、と思ったり。

でも、どれも、違うようでもあり。

なにをしたいのかが、わからずで。

こんなにブレたのは、ひさしぶり。。。

今日はひたすらに、テレビでサッカーの試合を見ていました。プレミアリーグの試合とJリーグの試合を続けて。緑のピッチのうえで、華麗にパスがつながるのに見入っていて。

電車の中では、水中写真がたくさんのった水泳の本を読みふけりました。こないだ習ったショウ・メソッド(アレクサンダー・テクニックを水中活動と水泳に応用したもの)の本で、体感したものをひたすらイメトレ的におさらい。

そうか、どうも、からだを思い切り動かしたくなってる、というか、からだにどっぷりと入りたくなってるような。。。

それが精神不安定の処方箋なのかも。

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