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2008.07.30

物欲

物欲。

ときどきどばっと出てきます。ふしぎです。

必要なものを欲しい、というのとは別で、必要でないけどそれが欲しい、と感じさせるモノに出会ってしまうとき。

そんなときは背後のドリーミングに気を向けてみたりしたほうがよいとは思いつつも、やっぱり、そのモノの、モノとしての魅力にうっとりしてしまうのでした。

今回の物欲の対象との出会いはこうでした。先日ある場所に行って、エスカレーターを降りる途中、音楽が聞こえてきました。乳白色のガラス壁越しに、となりの大きな部屋でセッションをしてるのかな?と思いました。(となりにそんな部屋があるとは、少し意外な感じだったけれど。)

ところが、エスカレーターを降りて後ろ側へ回ったら、エスカレーターの真下の空間に小さい箱型のものが4つ重なっていて、そこから音楽が流れていたのでした。

箱の大きさは、靴を買ったとき入ってくる箱よりも一回り小さいくらい。1つ1つの箱は、木枠に入っています。それが4つ重なっていて、1つはアンプ、そのほかはスピーカーらしかった。すごく小さいのに、そしてそこの場所はすごい広さのある空間だったのに、とても臨場感のある音を出していて、一瞬わけがわかりませんでした。

これはステレオがいいものなのか、それとも音源の録音がいいのか、どっちなんだろう、と思いつつ、箱の隅に書いてあったメーカー名を暗記。

自宅でググったら、サイトが出てきました。

Tivoli Audioというメーカー。Audio Hall of Fame (オーディオの殿堂)入りした、「オーディオ業界のパイオニア的な存在」の発明家の方が創設者だと書いてありました。

私が見たのは、Model Two と Model CD と Model Subwooherの組み合わせだったようです。

こういう小さいのにちゃんとしてる道具って、どうも偏愛の対象になりやすいみたい。

でも、4箱そろえたら、とうていわたしには手の届かない値段でした。。。 適正価格らしいのだけれどね、、、。

* * *

Tivoli_audioTivoli Audioの第一号製品は、モノラルのラジオなんだそうです←写真。これがModel One。ラジオの音をどうやって素敵に届けるかを、一生懸命考え抜いた、そこがこのメーカーの原点だった、というのも、なんだか気に入りました。

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2008.07.25

夏のつれづれ。。

Photo夏は、トマトがおいしい季節。

駅の改札口のツバメの子どもは、もう巣立ったみたい。姿を見かけなくなりました。

近くのものしか見てないわたしは、精神的な近眼なのだろうと思うこの頃。。

眠っている人、眠っている動物の顔を見ているのがすきです。昔から。

昨夜、寝顔を見ていて、限られた視野しかない、ド近眼な生き方してるのだとしても、それでいい、と思いました。

* * *

それで、夏休みにやりたいことリストは:

・繕いもの、縫いもの

・金継ぎ(ご飯茶碗)

エミリー・ウングワレー展を見に行く(いそがなくちゃ、今月末までだ)

・冬の毛布を洗って片付ける

・冬のじゅうたんを洗う

・おいしいトマトにあたったら、種を採取する

・梅干の土用干しを無事に終える(あと3日)

・海水浴に行く

・中学校の開放プールで泳ぐ

・実家に顔を出す

・踊りの自習の会に参加

・しごとの今後の方向性を考える(とりあえず手元の仕事はすみやかに終える!)

* * *

エミリー・ウングワレー展のことを思い出したのは、今朝の新聞記事。そこには、オーストラリアのアボリジニの人たちは、1967年に市民権が与えられるまで、およそ200年も、受難の歳月を送っていた、ということが書いてありました。

2年前、シドニーでプロセスワークのワールドワークがあったとき、思い切って初めてオーストラリアへ出かけていったものの、胸がずきずきうずいて痛む日々を送ったことも、思い出しました。

ずきずき痛くて、もうなにも言えなくなって、わたしは内面的に、プロセスワークでいわれるところの「テロリスト」のようになっていました。

280人もの人が世界各地から集まり、連日大きなホールでワークが進行するなか、外に飛び出した人を追って、わたしも外に飛び出した日がありました。同じように飛び出してきた数人と、外で話をしました。テロリスト的な役割に同一化してしまった自分の内面で起こっていることを、人にはっきり表現できたのは、このときだけでした。

もう今すぐ帰りたい、ここで交わされているコミュニケーションのやり方やスタイル自体が『彼らの』ものなんだ、ここではわたしはなにも言えない、わたしには声さえない、こんなところにいてもしょうがない、というようなことを、口汚く吐き出したのでした。

そしたら、年配のアボリジニの参加者の(ウ)さんが、「自分も前回のワールドワークではそう思ったんだ、そして本当に帰ってきてしまったんだよ、でも今はね、今はこのワークに希望を持ってるし、信頼もしてる」とおっしゃいました。「僕は過去には相当なワルだった、本当に悪いことをいっぱいしてきた、でもファシリテーションを学んでいくことにしたんだよ、このワークには意味があると思うから」と。

アボリジニの社会では、過去も、現在も、アルコール中毒が深刻な問題になっていると後から知りました。

土地や独自の暮らし方をうばわれ、決められた住居を与えられて、仕事をしても平均賃金の半分くらいの稼ぎしか得られず、もしくは仕事自体得られず失業手当にたよる暮らしで、なすすべもなくアルコール漬けになってしまうという構造があるようでした(もともと飲酒の文化がなかったところに、占領と同時に西洋からアルコールが入ってきたそうで、アボリジニの方たちは遺伝体質的にアルコールに弱いというのもあるらしいです。)

別れ際に、黙って握手をしてくれた(ウ)さんの目の力強さを覚えているけれど、わたしは結局、ファシリテーションを学んではいません。

自分はどこへ向かおうとしてるんだろう。

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2008.07.23

今日の夕暮れどき、ずーっと海を見ていました。

太陽がだんだん橙色になって、空の色や雲の模様がどんどん変わっていきました。

波の形、波の音。風の感触。

時間に制限されずに、黙ってただ景色を眺める、というようなこと、ここ最近、してなかったのでした。

こころの中ではいろんな考えが、とりとめなく浮かんでは消えました。

なにも生産的なことをしない時間。。。

でも帰りの電車、元気がからだの中に満ちているのがわかりました。

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2008.07.17

佃島の盆踊り

Bonodori今年も、東京・佃島に伝わる古い盆踊りに、おじゃましてきました。

ここの盆踊りは、実にすてきで、地元の方たちも「ご覧のとおり簡単な踊りですから、おみやげにどうぞ踊って帰ってください」と外部の私たちを快く輪の中に入れてくださいます。

隅田川に面した、民家の立ち並ぶ広い道に、やぐらを立てて、ぼんぼりを吊ってあります。おじいさんが1人、やぐらに登り、たいこをたたきながら、えんえんと、うたってくれます。ゆったりしたうた。踊りの振りは、とてもシンプルで、ゆっくりしていて、老若男女みんなで踊れます。

踊り場の、川に近い側の真ん中に、無縁仏を祭る小さな祭壇がしつらえられています。夏野菜がどっさりをお供えしてあり、そこでみんな手を合わせてから、踊りの輪に入ります。小さい小さい子供たちもみんな手を合わせる。祭壇の前には時に行列ができたりします。

曜日に関係なく、毎年7月13日から15日の3日間行われます。踊る人の都合で週末にずらす、なんてことをしないのは、やっぱり、無縁仏の供養として踊る、ということが大事にされているからだと思います。

佃島は隅田川の流れの分岐点にあるので、上流で災害があったときに死体が漂着したんだそうです。江戸時代にあった大火事や、東京大空襲のときに、被害に合われた方たちの亡骸が流れ着いて、ここで供養されたとのこと。

* * *

踊ることがメインなので、出店などはありません。道沿いの駄菓子屋さんと酒屋さんの軒先で、ビールやラムネが売られているだけ。

私とパートナーも、ここの盆踊りが好きで、ほぼ毎年、おじゃましています。今年は、はじめて、子供の踊る時間に間に合いました。はじめは小学3年生くらいの男の子1人とあと数人の小さい子が、踊るでもなく踊っているだけで、「わ、こんなに寂しいのかな?」と思っていたのもつかの間、川を眺めてからまた踊り場に戻ってみると、もう大勢の子供たちが列を作り始めていました。

そして日が暮れるとどんどん子供たちが増えてきて、最後には輪を最大限大きくしても、場所によってはきゅうくつそうなくらい。ものすごい人数の子供たち(就学前の小さい子から中学年くらいまでの子たちが100人近くいたかも?)が、合いの手を入れながら、えんえんと同じ踊りを踊り続けていました。あまりのにぎわいに、ひたすらびっくり。

めちゃくちゃに踊っている小さい子には、少し大きい子が教えてあげていたり。男の子も女の子も、友達同士でおしゃべりして笑いあいながら踊っていたり。色とりどりの浴衣もかわいくて。かと思えば、サッカーウェアみたいないでたちで、もくもくと1人、踊りに入り込んでいる小3くらいの男の子もいました(彼は踊りが本当にすきなんだろうな)。

かれこれ1時間以上、子供たちは休みなくずっと踊っていました(子供踊りではさすがに生うたではなくて、おじいさんのうたのテープに合わせて太鼓をならしてました)。ずっと見ていてもぜんぜん飽きなかったから、踊っている本人たちもずっと楽しかったんだろうなあ。。。

大人の踊りの時間になって、私たちも、休憩時間以外はずーっと、踊り続けました。振りのステップの関係で、なかなか前に進まない踊りです。でもじっくり踊っていると、左回りの輪でできた場が、だんだんと練りあがってくる感じがあって。それが気持ちいい。。。

9時までの予定が、おじいさんのうたがなかなか終わらず、世話人らしきおじさんが、マイクで「そろそろ時間ですので。。(汗)」となんどか催促。そんなやりとりも面白くて笑ってしまいます。確かおととしは、江戸っ子なおばさんたちがやぐらに向かって、冗談だか真面目だかわからない勢いで「もういいかげんにしなよっ」とか言ってた記憶があります。

「ここの盆踊りはいろいろやらないのがいいのよね」と話していた外部のおばさんたちがいたけれど、同感でした。

帰り道、ここだけじゃなくて、いろんなところでこの盆踊りをやったらいいのになあ、と夢想しました。

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2008.07.14

野菜のちからはすごい

Flowersよく行く公共温泉(鶴巻温泉)の売店に、先日、こんなかわいい草花の束が出ていて、衝動買い。

ここの売店では、地元の農家の方が持ち込む季節のお野菜も売っていて、これがほんとにおいしくて、お値段も手ごろで。うれしいのでした。ここの売店で買うときは、野菜が有機かどうかとかは気にしない癖が、いつのまにかついています。

それで先日買った、おいしそうなカボチャとズッキーニで、今夜はトマト煮風のものをつくりました。

鍋に、カボチャ、ズッキーニ、にんじん、たまねぎを1口大に切ってほうりこみ、塩をぱらぱら降り、にんにく1カケのスライスをほうりこみ、トマトをおろしがねでおろしてほうりこみ、少しの水と、少しの八方だしを入れて煮る。。

おいしかったです。野菜の力は、つくづくすごい。。。野菜から出るおだしがおいしいのだなあ、ありがたいことだなあ、とあらためて思う今夜です。

★「八方だし」というのは、おうちで簡単につくれる濃縮だしです。キヨズキッチンの南清貴さんの本の中に作り方が紹介されていたもので、パートナーが2カ月にいっぺんくらいのペースでこれをつくって、冷蔵庫にキープしてくれている、すてきな料理の友なのであります。

つくりかたは:

削りかつお  20g
昆布      20g
干ししいたけ 20g
醤油      3カップ
酒                1カップ
みりん     1カップ

これをすべて鍋に入れて一晩おいてから、翌朝そのまま火にかけて、煮立ったら弱火で約3分煮て、すぐに漉すだけ。(これで1番だしがとれます)。

漉した後の材料を鍋に戻して、水6カップほど?(レシピでは8カップだけれど我が家では少なめ)を加えて煮ると、2番だしができます(薄味になります、濃縮だしでなく、そのまま使う感じ)。

1番だしも2番だしも、煮物やつゆ、野菜の和え物、納豆、パスタやスープ、隠し味、などなど、なんにでも使えて便利です。

ただ2番だしは、水が加わるぶん、足が早いので、早めに使い切らないといけないです。1番だしは冷蔵庫に入れておけば、1~2カ月は余裕で日持ちします。

あと、だしをとった後の干ししいたけは、だしの味がしみこんでいておいしいので、スライスして冷蔵庫に保存しておいて、チャーハンの具に少し混ぜたり、これまたいろいろと使いまわせます :)

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2008.07.08

昔のことを思い出すこと

今朝、北海道の森に入っていく夢を見ました。なかなかワイルドな森。

別のシーンでは、なんだか古い建築現場のようなところにいた。そこに新しい人たちが入って作業をしているのだけれど、古い現場にそのまま放置されていた道具やなんかは使わずに、近くのホームセンターとかで新しい道具を買ってきて使っているらしかった。なんだかムダな感じでした。だってただ「新品」というだけの違いしかなくて、古い道具と構造やなんかはおんなじだったから。。

それで、わたしは、外部の人間だったけれど、その現場にいて、そこに放置されている道具や資材を自由に使ったり、もらったりしていい、ということになっていて、現場の人から「これも、あれも、いいよ」とか説明を受けていた。古いひしゃくとか。ずっと動かされることなくそこに放置されてきたものなので、ちょっと動かしただけで下から虫が出てきそうで、少し不気味だけれど。ところどころ、草が伸び放題でした。

* * *

そういえば、おとといのプロセスワークのセミナーで、すこーし変性意識に入った中で繰り返し出てきたメッセージが、「昔のことを思い出すこと」というものでした。

先のことをイメージしたり考えたりしても、これから先のことについては「前例がない」から、イメージしようがないのです、だからそこは考えなくてもいい、でも昔のことを思い出すのはためになる、というような感じのことでした。

昔といっても、わたしの個人史や家族史の「昔」ではなくて、もうすこし、おおきい集合体の歴史の上での昔みたいでした。

で、わたしの体の足の裏にある”智慧”と、この昔の記憶とが、1つになると、大きな釣り針で胸のところから吊り上げられて、C地点からA地点にひょいっと運ばれる。そんなプロセスが出てきました。

自分的にはとってもハテナなプロセスですが、釣り針で吊られて運ばれる道では、意志や意図や個人的な努力は不要というか、むしろないほうがいい、というのは明確でした。あほうになっていていいらしかった。

日常のわたしは、あほうになって運ばれるがままでいる、なんてすごくイヤなんだけれど。。(汗)

あと、人や動物や植物と「握手をするといい」というのも出てきました。異種間交流、というテーマも。これから自分がしていくとよいのは、そのあたりのお勉強、ということみたいでした。

* * *

そういえば、セミナー当日の夜見た夢では、高尾山で出会ったアブラチャンという木が出てきたんだった。

アブラチャンの青々とした葉が窓ガラス越しに、こちらへむぎゅっと押されていて。窓を開けてみると、アブラチャンに実が着いていた。その実をとって、種を絞ると、ジュースができた。そのジュース、飲んで大丈夫なのかわからなかったけれど、わたしの心配をよそに、友達の(あ)ちゃんはゴクゴクと飲んだ。イチゴ味のジュースでした。

なんとなく、アブラチャンはやさしいんだな、と思いました。ジュースを飲む前の(あ)ちゃんは少し元気がなかったので。

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