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2008.11.24

クリスマスツリー

冷たい雨のおやすみ日です。家で工作をしています。

ワインのコルクでモミの木をつくろうと思い立ったのは、おとといの夜でした。

コルク1コを、カッターで縦に半分に切って、それをまた半分に切って、それをまた半分に切って。それをいろいろいじりまわして、どうしようか考えていました。

Photo_2ビーチコーミングの収穫箱に、短い流木を見つけて、糸口が見つかりました。切ったコルクの端を斜めにカット。流木を幹にして、グルーガンで 貼り付けていきました。トップには落とした端の部分を利用。もう1つのコルクを輪切りにしてスタンド部分にしました。

一応ツリーの形になったけれど、これだけだと少しさみしかったので、シーグラスをあいだに挟んでみました。ビーチコーミング収穫箱の中から、ちょうどいい形のシーグラスを選んで、バランスを見ながら挟むように貼り付けていきました。

Photo_5Photo_6 最後は、光る薄い貝がらを一番上に飾りつけ。赤い貝と、白い貝の2枚。

手でちょこまかするのがたのしいこの頃です。

* * *

昨日おじゃましたお宅で、クリスマスツリー売り場に人が絶えないのを見た、とある人が言っていました。

それに対して、幼児洗礼を受けているという方が「どうして人はクリスマスツリーを買うんだろう?」と言いました。

飾り付けるためでしょ、とその人のパートナーは即答したけれど、ご本人はなにかもっとほかのことを考えていたようでした(でもわたしにはよくわからなかった)。

なんとなく気になって、わたしも「どうしてなんだろう」とあとで考えました。

ツリーはクリスマスのシンボルで、そしてクリスマスはクリスチャンじゃない人にとっては、ひとつの楽しい季節行事になっているということ。

クリスチャンの人にとって、もしかしたらこれは不快なことなのかもしれない、大事なことがケイハクに扱われているようで。。。?

でも同時に、もしわたしがクリスチャンだったら、クリスチャンかどうかにPhoto_8 かかわらず、人がこの喜ばしい季節に、木に飾り付けをしたりして楽しいひとときを過ごすのなら、それはそれで、と思うかもしれないなあ、とも思いました。

けど人それぞれ、いろいろありそうです。。

* * *

フランシスコ会(聖フランチェスコが始めたという会)に入ると、そのしるしにいただくタウの字をかたどったペンダントがあるそうです。タウのペンダントは、聖地アッシジではおみやげもの屋さんの軒先でもたくさん売られているそうで、会に入らなくても手にすることができます。

外国のサイトの掲示板で見たんですが、ある、フランシスコ会に入っていない男性が、聖フランチェスコのことを慕っているのでこのタウのネックレスを身に着けたいんだけれど、フランシスコ会会員の方たちに対して失礼になるでしょうか?と問い合わせていました。

会員の方たちの反応はさまざまでした。おおむね、はっきりとした信仰を持っているんでないなら身につけないでほしい、という感じでした。

1人、会の公式見解を聞いてみます、という人がいて、その転送された返答は、聖フランチェスコを慕う気持ちのある方なら、どなたでも自由にタウのペンダントを身につけていただいてかまいません、という内容でした。

結局問い合わせをした男性は、よく考えてみてから決めることにしま す、会員の方たちの気持ちを損ねるのは避けたいので、とおっしゃっていました。

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コメント

うろ覚えなんですが、
そもそもクリスマスツリーとかって、
イエスキリストと関係なかった気がする。

ケルトとか(この辺がよくわからない)
土着の信仰の行事から借りたもの、みたいな・・・

キリスト教とは別の、日本の「冬至」的な考えというか
要するに、
「太陽のエネルギーが一番弱まって、でも明日からはまた太陽のエネルギーは復活して日がだんだん長くなる」
みたいな。

今住んでる集合住宅は、広場のモミの木にクリスマスのライティングが施されておりまして、
うちの3歳児が
「どして、きらきらしてるの?」って訊くんですが、
「冬の夜は、寒くて暗くて、はぁ~~って気持ちに
なっちゃうけど、きらきらしてたら、嬉しくなるからだよ」
って答えてます。

投稿: あさこ | 2008.12.07 03:48

そっかー、土着のお祝いなんだったら腑に落ちるね。

わたしも実は、これを書いたとき、クリスマスツリーてほんとにクリスマスと関係あるんかな、聖夜のミサと関係あるんかな、て疑問がちょっと頭をよぎったんです。

いろいろごっちゃになって今に至る、ということなんだね、きっと。。

でもほんと、きらきらしてると嬉しくなる! 駅からの帰り道に、キラキラライトを木につけてる家があってね、木にとっては落ち着かなかったりするんかなーと思いつつ、やっぱりなんか嬉しくなるです。

投稿: な | 2008.12.08 14:53

木につけられたライトは、私も気の毒に思った・・・
NYの街並みを歩くと、胸が痛んだよ。
木が夜を感じられないものね。

モミの木も、イエス・キリストとは関係なかったはず。
モミの木を飾るのは、ヨーロッパの寒い地方、ドイツとかの習慣だったんじゃないかな。
モミの木に小人さんがいて・・・みたいな。

イエスが生きていた(と、いうのもヘンかもしれませんが)地域は、
オリーブとかイチジクとか、そういう木のほうが多かったはず。

常緑樹は冬でも葉を落とさないので、めでたい(日本の松みたいに)
・・・という思いは、きっと万国共通なのだと思う。
それでヨーロッパの寒い地方ではモミ(おそらくモミではなくトウヒ)を飾りつけるようになり、
「冬でも葉が緑」っていうのがキリスト教の「永遠の命」とマッチしたので、取り入れられたのではないかと。
もともとの習慣を全否定してからの布教より、受け入れられやすいものね。

「冬に常緑樹」って気持ちは、冬のある国に住む人々にとって共通の思いなのでは?

投稿: あさこ | 2008.12.10 08:14

なるほど!
「クリスマスツリーごちゃまぜ進化」の経緯が見えてきた感じです。

モミの木に小人さんがいるのはいいなあ。ああいう小さいプレゼントの包みとか、小さいステッキとか馬とかの飾りは、みんな小人さん向けのものだからあのサイズなんだね。

わたしもここ数年は、12月のご挨拶を「メリークリスマス」のかわりに「冬至おめでとう」みたいなふうにしてきたけれど、モミの木だけはやっぱり大好きで。冬に常緑樹っていうところでの反応だったのかも、と腑に落ちました。

投稿: な | 2008.12.10 13:51

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