« ちいさい私 | トップページ | 嘘のあり・なしとは »

2008.11.10

「たのしくあかるい」

聖フランチェスコという、800年前の人に、このところすごく興味を惹かれていました(やっぱり、個人的な信仰とは直接関係ないのだけれど。。)

小鳥や狼と話ができたらしい、と知って思い出しました。
ブラジルで、コーヒー農場で働く人や、まわりの動植物、自然を思う気持ちから、コーヒーの有機栽培を広めようと力を尽くしていた故カルロス・フランコさんも、聖フランチェスコを敬愛していたらしいこと。

うーん、カルロスさんも、小鳥や狼と話ができそうなイメージがあるな、と(お会いしたことはないのに)思っていたら、

小鳥と話をしていた、茶色いローブを着た人の記憶がよみがえりました。

幼稚園の園長先生。

Photo_2園長先生は、茶色いローブで歩いてはいたけれど、ほんとに小鳥と話したりしてたっけたかな。。教室でカナリヤを飼ってはいたけれど。。。と思い出すうちに、幼稚園のバッジかなにかに、小鳥と話す茶色いローブの人の図柄があったような気がしてきました。

それで調べてみたら、わたしの行った幼稚園は、聖フランチェスコの始めた会(フランシスコ会)と直接つながっていたことがわかりました。

そればかりか、生まれ育った街も、20世紀初頭から、日本でのフランシスコ会の主要な活動拠点の1つだったことを知りました。

* * *

聖書の教えは、飲み込めないことが多いです。読むと胸がふさぎます。

でも聖フランチェスコには、胸がふさぐような感じはありませんでした。ほんの少し本を読んでみただけだけれど、彼から感じる一番のことは、歓喜でした。

「まことはたのしくあかるいのだ」(「青森挽歌」)とうたった、宮澤賢治を思い出します。。

聖フランチェスコも、考えでも行為でもシンプル(単純)であることを望んで、持ち物を持たず、自分を誇らず、質素な暮らしをして、歌が好きだったみたいでした。

太陽も、月も星も、風も、水も、炎も、大地も、みんな兄弟・姉妹だという歌をつくりました。

死を間近にした病床で、その歌の最後に「肉体の死」も姉妹だという節を付け加えています。

自分を誇らなかったのは、すべて神さまの業、神さまの恵み、と感じていたからのようです。だから誰かにしてあげたことで喜ばれたとき、その感謝の気持ちが自分に向けられたりしないよう、気をつけていたみたいです。

(これは現代に生きるエクアドルのシャーマンもそうだと、こないだ聞きました、病気を治してもらったりしたときに、シャーマンにお礼を言ってはいけないんだそうです)。

* * *

フランチェスコは「アッシジのフランチェスコ」とか呼ばれます。アッシジはイタリア中部にある小さい街。フランチェスコの伝記を書いた別の人の名も、「チェラーノ(地名)のトマス」とかいうふうにいわれています。

俗世で生きることをやめるときには、苗字を捨てて、「どこどこの誰」というふうに、土地の名前が苗字代わりになったようです。

どこに属してるかの意識が変わると、気の持ちようも、さぞ変わるんだろうと思いました。。

★聖フランチェスコは、1979年に、当時の教皇から「Patron of Ecology(生態系の守護聖人)」と宣言されていて、環境保護に携わる人を守っている、と受け止められているみたいです。

|

« ちいさい私 | トップページ | 嘘のあり・なしとは »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ちいさい私 | トップページ | 嘘のあり・なしとは »