真鶴の森と海
戦後復興で木材がいろんな場所から切り出されたときも、ここの森からは切り出されなかったんだ、と地元のタクシーのおじさんが教えてくれました。
江戸時代からずっとある、木々。楠と黒松が、とくにびっくりするほど大きいです。
ほんとうにおおーきくて、美しい楠。どれだけ背の高い木だか、こ
の写真から伝わるかな。。?
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真鶴の森と海には、いつも助けてもらっているなあ、と実感します。今回も。
何度行ってもなにか新しい発見があって、何度行ってもおもしろいです。
今回は初めてこの入り江でランチ。ときどき大きな波が引くときに、大きい石ころが一斉に海の中に運ばれていく音が、合唱みたいできれいでした。
夕方には向こうのほうに大島、式根島などが見えました。土地の人は「空気が澄んできた」と言っていました。
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ひさしぶりに、中川一政美術館へ寄りました。真鶴の森のすぐそばにあります。
閉館まぎわに滑り込みセーフをして、見せてもらいました。前にみたときもそうだったけれど、やっぱり、絵の中の花やお魚が手前に飛び出て見える。
物理的に膨らんでいないかどうか、絵を横からみてチェックすると、やっぱり膨らんではいないのでした。
最後にもう一度だけ、と急いで第一展示室の岩彩の絵を見に行くと、館内スタッフのおじさんが「そこの向こうから2枚目の魚の絵の、目玉を見たまま、何歩か向こうへ行ったりこっちへ来たりしてみてごらん」と話しかけてくださいました。
言われたとおりにしてみると、不思議。絵の中のお魚の目玉が、ずーっと追っかけてくる。。。
「これは『生きた絵』なんです」とおじさん。中川一政という画家は、ものの命を描くことに一生懸命だったから、そういう絵になったんです、と閉館時間が過ぎようとしているのにもかかわらず、興味深いお話をしはじめてくださいました。
明治から平成までの時代を生きた人。そして65で自分の描きたい絵の方向を見つけて、97歳まで、どんどん絵がすごくなっていった人。
20代から描いてきた若い頃の絵は、その際、ほぼ全部焼き捨てるか上から重ねて描いてしまったんだそうです。だからほんの数枚しか現存していない。
生きている間、一枚も絵を売らなかったんだそうで、「絵は今でいう『趣味』として描いてたんですね。本の装丁画や新聞の挿絵の仕事のほうで生計を立てていて、絵はお金にしたことがなかったんですよ」とのことでした。
お弟子さんも一人もとらず。唯一、書では緒形拳さんのことを「弟子のようなもんだから」と、かわいがっておられたようで、墨や硯をあげたりしていたようですが、別になにも教えるということはしなくて、書いてきたものを見て、いいね、と言うだけだったとか。
風景画はすべて現場で描ききる人でした。アトリエにもどって記憶にたよって筆を入れたりは絶対にしなかったそうです。記憶の再現では決してものの命は描けないから、とのことでした。
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記憶の再現の再現とか、コピーのコピーばかりをし続ける私の癖も、
真鶴の森と海にいるあいだは、少しは静まったかも。。。
ひたすら浜で焚き火をしていたら、いつものごちゃごちゃした考えが離れていって、休まりました。
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