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2009.01.31

住まい方

このあいだ、「天然住宅」にお住まいの人のお部屋を見せてもらってきました。

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Photo_3Photo_4たたずまいはモダンなマンション。でも外壁が焼き杉の板だったり、共有部分に災害時などに水を確保するための、昔ながらのポンプがあったり、味がありました。

その方のお部屋は、南側に窓とベランダがあって、玄関を出てすぐ目の前には畑がありました。トイレはコンポストトイレで、そこでできた堆肥を畑に入れて使っているそうです。

暖房は薪ストーブ、冷房はなし。見せていただいた日はよく晴れていたので、ストーブもつけていなかったけれど、南の窓の足元にもうけた、床に素焼きタイルのようなものを敷いた一角が、太陽光を受けてよく蓄熱していて、あたたかかった。

お邪魔したときはしまってあったんだけれど、「反射板」というものもお使いになっているとかで、見せていただきました。半畳サイズくらいのベニヤ板に銀色のシートを貼っただけのもの。

これを陽が射している時間帯に窓辺に出しておいて、日差しをお部屋の天井に反射させて、そこに蓄熱するそうです(天井も壁も、クロス張りなどのないコンクリートなので、蓄熱できるとのこと)。

コンパクトでオープンな間取りなので、あたたかさもよく行き渡るのかな、と思いました。

あらゆる面で気持ちのいいお部屋で、300年持たせることを考えての、いろんなことの優先順位の付け方も、ほんとにすばらしいなあと感じ入ったんだけれど、しかしやっぱりこんな上等なお部屋には、とうてい予算的に手が届かない。。。そう思うと少しへこみました。

もっといろんな面で最低限の質素さでいいので、もう少し予算に合うお部屋があればなあ。。

でも、住まい方って工夫次第だなあ、ということが実感できたのは、とてもよかった。

* * *

蓄熱することの効果を体感できたので、うちでも真似してみることにしました。

70年代に建てられたわが家も、壁と天井はコンクリートそのまま。コンクリートは、蓄熱もできるけど、冷たさもためこむので、寒いときは壁からの冷気がひや~となるんです。。。

Photoそこで。毎日夜寝るときに、畳と敷布団の間に敷いている、銀色のサバイバルシート(数百円のもので、超薄くて常用するようにつくられてはいないんだけれど、常用しているのです)。

これを、お布団をしまったあと、日中は窓辺に出しておくことにしました。

Photo_5太陽が当たると、かなり、まぶしいくらいに反射します。

見てくれは悪いけれど、昼間出かけるとき、こうして広げておくと、外出中に天井に蓄熱してくれて、

日が沈んでからもしばらくは、天井と壁からの冷気がやわらぐみたいす。心持ち、あたたかな感じがします。

窓の足元の床を蓄熱エリアにすることも検討したいな。熱を蓄える素材だから、レンガとかがいいのだろうけれど、厚みがないとだめなのかどうなのか、そこらへんを調べてみたいです。

今は、窓の足元にウィンドーラジエーターという細身のヒーターを置いて、窓からの冷気をやわらげているんだけれど、蓄熱エリアがうまく機能すれば、ウィンドーラジエーターのかわりになるかも!

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2009.01.30

タロ芋の島

Img_3358このあいだ、朝、起き抜けに降ってきたのは、ハワイと、沖縄と、蘭嶼島(台湾の離島)が、どんなに似ているか、ということでした。

ハワイには、今も、米軍によって使われている土地がかなりあります。

ハワイ島のマウナケアの山腹にも、米軍の演習地があって、わたしが行ったときも、途中、道端に赤い旗が立てられていました。この赤い旗は、「ただいま実弾演習中です、ご注意を」というサインだと、ガイドの方が教えてくれました。

マウナケアは、ネイティブハワインの方たちにとっては聖地。ナチュラルなつくりの小さな祭壇があって、貝のレイとかお供え物がしてあるのも目にしました。そんな場所で、軍事演習が日々行われているわけです。。

ハワイ島からも近い、マウイ島のとなりの小さな島カホオラヴェ島にいたっては、第二次大戦中から50年もの間、米軍の管理下におかれて、一般の人が立ち入ることもできなかったそうです。爆撃演習のために、島の自然はぼろぼろにされて、森もなくなってしまったらしい。

カホオラヴェ島は、島自体が、ハワイの4大神のひとつ、Kanaloa(海と海風の神)そのものが化身したものだと信じられていたのに、です。

カホオラヴェ島は長年の返還運動の末に、1994年にハワイ州に返還されて、その後、地雷や不発弾の撤去などの作業期間を経て、2003年にはようやく島へのアクセス管理権限も米軍からハワイ州に返さたそうなんだけれど、

島が元のように緑を回復するまでは相当時間がかかりそうです。(Protect Kaho'olawe 'Ohanaという市民団体のHPに詳しい経緯が書かれています)。

ハワイの小さな島々は、ちょうど日本でなら沖縄のように、台湾でなら蘭嶼島のように、他の地にとって不都合なことをかなり多めに「負わされて」いる、そういうところがあると知りました。。

ハワイも、沖縄も、蘭嶼島も、南国の透き通る海と、紺碧の空と、生い茂る緑のすぐ隣りに、軍事演習場や、軍事基地や、(蘭嶼島の場合は)核廃棄物貯蔵所があるんですね。

* * *

Img_3545もともと、ハワイの島々は、さとうきびやパイナップルの大量生産が始まる前は、蘭嶼島のようにタロ芋の栽培が一番大切にされていたそうです。漁業や魚の養殖もさかんだった。

蘭嶼島のように、両端になだらかに角が立つような形の舟をつくっていて、舟にまつわる神事があったり。。。

環太平洋海洋文化が花開いていたんだろうな、と思います。当時のネイティブハワイアンの人たちは、星のこと、風のこと、夢のお告げのこと、いろんなことに相当精通していたようでした。

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2009.01.29

幻実感

あたまが猛烈にぼおーーーっとしっぱなしなこの頃。。。

われながら心配になってきました。なんというか、今まで「これが現実で、こっちが幻想ね」としてきたものが、さかさまに入れ替わって、「これは幻想で、こっちが現実だね」と、感覚的にはそんなふうになっています。。

でも、この「入れ替わり」に対して、「そんなはずはやっぱりないのだ、気の迷いだ」と思っている部分もちゃんとあるし。。

昔々、手書きで書きものをしていたころ、ある日書いたものを後で読み返していて、「現実」を「幻実」と書き間違えていたことに驚いたのを思い出しました。。

そうだ、あの日は、同じページで「真実」を「信実」と書き間違えてもいたんだった。。

* * *

Photo_2

Photo_3久々に「タミさんのパン焼き器ミニ」でパンを焼きました。冬には、ストーブのとろ火がタミパンミニにちょうどよいです。

材料を出して量って混ぜるのに10分、焼くのに10分で。。。繊細な味にはならないけれど、小腹がすいたときにはうれしい手軽さ&素朴さです。

牛乳を切らしていたので無糖ヨーグルトをかわりに使いました。

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2009.01.25

植物

Photo公共温泉の売店で、シクラメンのミニブーケが売られていました。

「お花屋さんでは売っていない、シクラメンの切り花です。切り戻して、水が上がれば3週間はもちます」と書いてありました。

赤いの、ピンクの、縞の入ったの、いろとりどりです。シクラメンを見ると、今は冬なんだなーと実感できます。

* * *

曇り空が続いていたここ数日だけれど、昨日は、うちのほうでは一瞬のあいだだけ初雪がちらつきました。

それが、はじめて見る「天気雪」でした。

北の空はにび色に雲って、そこから雪のフレークが斜めに降っていて、でも南西の空は明るくて、雲間から太陽が透けていました。だからそっち側を見ると、明るい中に雪が舞っていたのでした。

ちょうどそのとき、ハワイ島での涙の疑問を解こうとして、マウナケア山に棲むという「雪の女神」ポリアフについて調べていたところだったので、その女神がこっちにまで雪を降らせたのかと思いそうに。。

ハワイ島では、キラウエア火山に棲んでいるという「炎の女神」ペレが有名らしいのだけれど、わたしは今回キラウエア火山には行けませんでした。

自分で決めたのではないのだけれど、もう1つの高いお山であるマウナケアに行きました。山頂は一面真っ白な雪。そこがポリアフの棲みかとは知らず、ごあいさつもしなかって、わるいことをした。。

Photo_2山の中腹に、銀剣草という珍しい植物の生えている場所があって、そのそばで休憩したとき、どうもここにいると落ち着くなー、と感じていました。

(写真の手前と中央にある、輝いているのがそれです。輝いていないほにょほにょした草もかわいいんだけれど、それは銀剣草ではありません)。

この銀剣草は、人が手を触れると、その体温によって「低温やけど」のようなものを負ってしまって、そこだけ枯れてしまうんだそうです。だからぜったいに触れてはいけない、とのことでした。

いくら寒い場所に生息する高山植物だからって、人肌の温度でやけどするなんて、と驚いたんだけれども、雪の女神の地に生える植物ならそれもありかも。。

本当に葉っぱの1本1本が剣の形をしていて、銀色に光っていて、イメージとしては、タロットの「剣の王妃」みたいです。

この植物は、ハワイ島のほかには、マウイ島とヒマラヤにしか生えていないそうです。数十年かけて育っていって、たった1度だけ花を咲かせ、花が終わると一生を終えるんだとか。。

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2009.01.23

ハワイ島写真帖

Photo_20真っ黒な溶岩石が、あちこちででこぼこに地を覆っているんだけれど、そこに白い小石をならべたグラフィティ(落書き)がしてあるのをよく見かけました。(「○○ちゃんが好き」とか、「メリークリスマス」とか、そういう内容)。かわいらしい落書きでした。

Photo_21溶岩石からは意外と植物も育っていました。

溶岩石には小さな空洞がたくさんあって、そこに根を張ることができるそう。

石はミネラル成分も豊富なんだそうです。

Photo_23いにしえのハワイアンの人たちが、岩に彫りつけたペトログリフ。

これは海亀。よく描けています。

トライブごとに決まった絵柄があったようです。この地にこのトライブの人が来てキャンプしましたよ、とか、ここで儀式をしましたよ、と知らせる目的があったらしい。

Photo_38海亀といえば。。。サウスコハラのビーチに行ったら、すぐそこに海亀が泳いでいて、すごくびっくりしました。

いるらしいと聞いてはいたけど、ほんとに普通にいるとは。。浦島太郎ってほんとうに海亀の背中にのって竜宮城へ行ったんだ、きっと。

Photo_25これは昔のハワイアンの王族が使っていた舟(再現したもの)。環太平洋海洋文化。。台湾の蘭嶼島を思い出しました。

この舟にはアウトリガーが付いています。(アウトリガーについてはこちらなどを)。

Photo_26島の西側の海沿いは、カラッと晴れる日が多いそうです。どこでも青い海。ビーチも大小たくさんありました。

土曜日の午前中、バスで通りかかったビーチでフラの練習をしているのを見かけました。女の子たちが十数人、並んで踊っていました。もっと見たくて急いでバスを降りたけれど、間違って1つ手前のビーチに行ってしまった。。。

Photo_27Photo_39サフラン色の小鳥になんどか会いました。この鳥はいつでもペア行動なのでした。

白い花は、いい香りです。地面に落ちたあとも、このままの形でかわいいです。

Honuexpressカイルアコナの街には、HONU EXPRESSという無料の小さいバスが走っています。窓ガラスのないオープンエアのバス。海沿いを走ります。

交通の足としては、自転車やスクーターをレンタルすることもできます。でも自転車レンタル屋さんでは、自転車が壊れている率が高かった。。。

Photo_28街の一角にあるファーマーズマーケットでは、フルーツや野菜、お花、焼き菓子やパン、おみやげものなどが売られていました。レイを作って売っている人もいた。

パパイヤと、ハワイ島の高原地帯であるワイメア産のイチゴが抜群のおいしさでした。

Photo_36表通りからちょっと入ったところにかわいい墓地がありました。

写真は墓地の真ん中にあった祭壇。

お墓には色とりどりの南国の花がたむけてありました。

Photo_30ユースホステルのテラスから、海が見えました。夕日もいい眺めでした。

街の中心まで歩いてすぐのところなのに、静かでいいところ。テラスの天井に吊ったスピーカーから、レゲエがソフトに流れていました。若いお兄さん2人で切り盛りしています。

こんなに清潔で安心でフレンドリーで居心地のいいユースホステルは、今までの旅人生で初めて。また行くことがあったらここに泊まりたいです。

Photo_37街から少し山のほうへ上がる、中腹の地域では、コーヒー栽培がさかん。ここのコーヒーは、あっさりさわやかな味でとてもおいしくて、やみつきになってしまったんだけれど、

後で本で見たら、ハワイ王朝がなくなるよりも前、日本から最初の移民が到着するよりも前から、ハワイ島のコナ地域ではコーヒー栽培が始まっていたんだそうです。

Photo_31マウナケア山頂へ向かう途中のところには、銀剣草という珍しい高山植物がいます。

近くで見るとほんとに銀色に輝いていて、葉っぱが剣の形にそっくり。こんな植物がこの世に存在するなんて。。。

Photo_32Photo_33マウナケアは、本当に高い山なので(標高は富士山よりも高い)、雲海が見下ろせてしまいます。

上のほうは雪が積もっていました。斜面には、スキーで滑った跡が! こんなところで直滑降している人がいるなんて、どういう心臓をしているのかな。。。

Photo_35 山頂は強風で、ものすごい寒さ。美しい夕日を見るのもたいへんな体力がいりました。耳はちぎれそうだし、指先は凍りそう。。。でもこの後見た星空は、言い尽くせないくらいきれいでした。

 

* * *

ハワイ島から帰ってから、パートナーがハワイの歴史の本をたくさん図書館で借りてきてくれました。

それで、わたしたちがハワイ島にいた最後の日、1月17日は、白人のクーデターによってハワイ王朝が倒された日だったことがわかりました。1893年のことでした。

その後、ハワイの統治は白人の手に渡り、アメリカへと併合されたのでした。

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2009.01.21

涙のハワイ

Photo_19冬季鬱傾向の対策に、暖かいところへ旅してきました。たまたまのご縁があって、ハワイ島(ビッグアイランド)へ。

ハワイというと、芸能人がお正月に行くような、ワイキキのイメージがまっさきに思い浮かんで、最初は積極的に行きたい場所ではなかったんだけれど。。。ハワイ島は素朴で静かなところで、とっても気に入りました。

また行きたいな、すぐにでももう一度行きたいな、と思うくらいです。

しかし不思議なことに。。。毎日、大量の涙が出ていました。。。だいたい悲しい涙なんだけれど、理由は日々さまざまでした。

Photo_17着いた最初の晩から、深夜に目覚めて泣きました。リゾート開発されて人工的に整えられて、仮想現実みたいになってしまう前の、この溶岩の地を想像していたら、涙がいっぱい出てきた。。

翌日の夜も、また全然別の理由で、ものすごく悲しくなって泣きました。

その翌日は、午前中から泣いてしまい。。。その夜ベッドに入ってからも、いろんなことを思い出して涙がとめどなく出て。。。

真夜中に目覚めて泣いて、でも日中は早朝から朝ごはんをつくったり、夜まで出かけたりして、恒常的に寝不足状態。なのに、昼間は不思議と眠気も来ず、元気に泳いだり歩いたりできるのでした。わたし的にはこんなこと、到底ありえないはずなのに。。

Photo_64日目の午後、小さい海岸で椰子の木陰に座って海を眺めていて、家族のことを考えていたら、やっぱり涙が止まらず。。さすがにこれはなにかヘンだなーと思い始めて、5日目の朝、出会った現地の方に、とうとう尋ねてみました。

「この島に来てから、ものすごくたくさん泣いているんですけど。。。この地にはなにか涙を出させるようなものがあるんでしょうか? こういう体験をしたっていう話、聞いたことありますか?」

答えはこうでした。

「ここにはエナジー・ヴォルテックス(エネルギーの渦)があるといわれていてね、この島のエネルギーは確かにヘビー。ここに新しく越してくる人は、最初の4,5ヶ月くらいのあいだ毎朝4時とかに目が覚めちゃう日々を送るんですよ。このエネルギーになじむまでしばらくかかるんですね。まあ、だから、影響が感情面で出る人がいても不思議はないかも。。。」

その方自身も、アメリカ本土のご出身で、ハワイ島に引っ越したのは2000年。ご本人も越してきてしばらくは、うまく眠れなかったそう。

そういわれてみると、なんだか目覚めているときも、ずっと神経がヘンな感じで、休まっているんだけれど休まっていないというか、休まっていないけれど休まっているというか、

とにかく、ずうっとプチ変性意識状態になっているような日々でした。

普段ならできる判断ができないとか、日記を書いたりすること(振り返ったりする作業)がどうしてもできなかったりとか。

* * *

海は青く透きとおってとても美しいし、風はからっとさわやかだし、人はおだやかでやさしいし、花々は明るくていい香りだし、小鳥たちはかわいくていい声だし、夕日も星空もびっくりするほどきれいだし。。

ファーマーズマーケットでは地元のおいしいフルーツが買えるし、食堂では地元産の野菜サラダやお魚の料理が豊富だし。。

そんなうれしい場所なのに、やり場のない悲しみがすぐやってきては泣いて泣いて。

Photo_5でも最後の日、「逃れの地」と呼ばれるいにしえの聖域のある、プウホヌア・オ・ ホナウナウ歴史公園の海辺を、金色のたそがれどき、歩いていたら、さあーっと海からの風に椰子の木々がゆれて全部が金色になりました。

その瞬間、なんとなくだけれども、「許された感じ」がして、爽かな、ピースフルな気持ちになりました。

(といってもその後、夜寝る前にまた泣くんだけれども。。。)

* * *

「逃れの地」の隣の入り江では、地元の人らしきサーファーが3人、すぐそこでサーフィンをしていました。見ているのがたのしかった。サーフィン、やってみたくなりました。

なんだか彼らのしていたサーフィンは、すごく静かで、淡々としていて、波に挑戦する感じがなくて、波とゆっくりのんびり話をしているみたいでした。

浅いところでは子供たちやティーンの子たちがいっぱい遊んでいました。

旅のあいだ、いろんなところで嬉々として遊ぶ子たちをたくさん見かけました。

2、3歳ぐらいの浅黒い肌の男の子は、プルメリアの花を片手に走り回っていて、ころんで、ころんじゃったらそのまましばらく地面の感触をじいっと楽しんで、プルメリアの感触を楽しんで、そのうちおもむろに立ち上がって、持っていたお花も忘れてお母さんのほうへ駆けて いきました。

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2009.01.10

セーターのリメイク

昔々。。母がお誕生日のお祝いにカシミヤのセーターを買ってくれたことがありました。

Before末永く着れるものだから、無難な色を、と思って、キャメル色を自分で選んだんだけれども。

でもどうも着ると昔のおじいちゃんのような雰囲気になってしまい(キャメル色が悪かったかな)。。もう少し大人になったら似合うかな、と思いつつ、毎年衣替えのときに眺めるだけの関係を、もうなん年も続けてきました。

でもせっかくお誕生日にもらったものなのに。。。それにせっかくあるあったかい材質のセーターを着ないで、寒がっている自分もおかしいな、と思って、気持ちよく着れそうな形にリメイクしてみることにしました。

このままずっと着ないかもしれないくらいなら、多少の冒険はしてみるべき。。と自分に言い聞かせ。。

丸首セーターというものがとにかく似合わないので、首元を思い切って。。。

Afterスクエアにしました(首周りは少し寒くなっちゃうけれど。。)

ハサミを入れるのは、はっきり言って怖かった。いいのだろうか感に襲われ。。。

ほつれないように端を始末しなければなので、布テープを裏から、細かい縫い目で縫い付けました。そして表側から布テープで端をくるんで縫いました。

そして、胸のあたりがたっぷりめにつくられている昔のセーターなので、スクエアの角にすこしプリーツを寄せてみた。

Photoプリーツを寄せたところは、目隠しもかねてボタンを。

あんまりまっすぐきっちりしたスクエアネックにはできなかったけれど、気にしなければ大丈夫かな。。

持っているだけでずっと使っていなかった、というものに、日の目を見せてあげられれば。。。

いろんな考えがぐるぐるして元気が出なかった日に、思い切ってリメイク作業をはじめたら、ちくちく縫っている間はまったく考えの風がやんで、かけている音楽だけが聞こえてきて、ラクになりました。

針仕事は冬季鬱対策にもいいかもです。

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2009.01.09

冷たい雨の日

今日は、まだ暗い早朝に、泣きながら目覚めました。悲しい夢でした。夢の中で泣いていて、目覚めてからも泣いていて、そのままぼんやりしていたら、また眠り、別の夢を2つ見ました。そのどちらも、またまた悲しい夢でした。

ということで、悲しい夢の3本立て。こんなことって、はじめてかも。

でもその悲しさは、みんな個人的な理由でのもので、世界にある悲しみとリンクアップしたのでなく、自分のお腹の底にある恐れとリンクアップしたものでした。

昨夜は、ほんとうにひさしぶりに、寝る前の”おまじない”を1つもしないで寝たので、そのせいもあって、今まで遠ざけてきたものが一気に押し寄せてきたのかもなぁ。

昨日はゆうがた、Coccoのドキュメンタリー映画『大丈夫であるように』を見に行って、ヘロヘロになって、そのあとパートナーとお友達と3人でたくさん歩いたり、えんえんおしゃべりをしたりしているうちに、ヘロヘロ頭痛が治って帰宅したのでした。

『ガーダ』というパレスチナ人女性のドキュメンタリー映画を見終わったときのことを、ちょっと思い出していました。あのときも大変だった。。

* * *

おととい夜道を歩いていたら、酔っ払ってフラフラのおじさんを、もう1人のおじさんが支えて歩いているのにすれ違いました。すれ違いざま、酔っ払っていたおじさんのおでこに、大きな傷があって血まみれになっているのが見えました。

その一瞬、背筋がざわっとして、身震いしていました。生々しい傷を見ることなんてほとんどない私の毎日。酔っ払ったおじさんがころんで負った傷を見ただけで、あんなに背中がざわっとするんだなんて。

今のガザの光景を日々見ている人たちのことを思いました。人口の60%が18歳未満だというかの地で、小さい人、若い人たちの目の前で起こっていること。

* * *

でも、相手の立場には到底なれない、だからなろうとしようとなんてするな、といわれたことも思い出します。

自分であることを引き受けていかなくちゃなのに、ぶれるばかりで情けない。。

Photo写真は父の庭のはっさく。樹が3年目に初めて実をつけました。机に置いておくと太陽みたいに明るい。こういうものが、心のよりどころになるな。

すごくすっぱいのに、おいしい、とパートナーは言ってくれます。

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2009.01.07

新聞記事とコーヒー豆

今朝、就職先からの内定を卒業間近になって取り消されている学生さんが増えている、という新聞記事を読みながら、コーヒー豆を煎っていたら、また深煎りに。。。

「『派遣切り』から農業へ」という記事も、後のほうのページにありました。これは一見とっても朗報のように見えたけれど、読んでみたらまたずしっときました。

農業も量産システムになると、働く人がただの「労働力」にされてしまうのは工場とおんなじで。。トマトは、海水を与えて根にストレスを加えることで人為的に甘くしたりしているそうです。そんなふうにして甘くなったトマトが高価で売れるんだそうです。。

そんなこんなで深煎りになった今日のコーヒー豆。

深煎りといっても、普通のお店で出るコーヒーと同じくらいがわたしにとっての「深煎り」です。というのもウィンドファームさんの生豆を浅めに煎ったのが好きなので、デフォルトが浅煎りだからです。。

Photo_2「コーヒー豆を煎る」というのは、この穴のあいたへんてこな器具でやります。「煎り上手」という名前のついたコーヒー焙煎器です(汚れはお手入れを怠っているせいで、ほんとうは銀色一色です)。

穴から中に生豆を、豆用スプンで3杯くらい入れて、ガスコンロの火にかざしてシャカシャカ振ります。

たいてい、軽めの音楽を1、2曲聴いているうちに、中からパチッパチッとはぜる音がしてきて、煎りあがります。

新聞とか本を読みながら煎ると、深煎りになるので注意です。

Photo煎ったあと、ちいさいざるにあけて、ざるを振り振りすると、こまかい皮が落ちていきます。振りながらふーっと吹けば、大きい皮も飛ばせます。

(遠くの地で「煎り上手」デビューした(あ)ちゃん、ざるが欲しかったら送るから言ってね!)

Photo_3煎った後の豆は、密封するんでなく、すこしだけ空気に触れられる状態で何日か置くと、おいしくなる、と聞いたので、最近はそれを実践しています。瓶に入れて、紙をかけて置いています。

煎りたてよりも、少し置いた後のほうがおいしいんだとか。

でも正直、私には違いを語る自信がないんだけれど。。。なんとなく検証中です。

「煎り上手」にちょっと関心を持った方には、ぜひ「煎り上手の発明裏話」を読んでみてほしいです。

非電化工房の藤村さんが「煎り上手」を発明した背後には、コーヒー農場で働く人を「ただの労働力」にせずに、人としていつくしみ、そして自然を本当に大事にした、ブラジル・ジャカランダ農場の故カルロス・フランコさんとの出会いがあったんだそうです。

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2009.01.06

ガザからの声

ガザへの攻撃で、劣化ウランが使われている疑いがあるそうです。

(ガザに入っている)ノルウェーの医師らがPress TVに語ったところによると、イスラエルによる攻撃で12月27日以降に負傷した一部のガザ市民の体内から、劣化ウランの痕跡が認められているんだそうです。

詳しくはこちらを。。(Press TVの記事です、英語ですが)

* * *

NPO法人パレスチナ子どものキャンペーンのウェブサイトでは、連日ガザに住む人たちの声を伝えてくださっています。

以下は1月5日付けのもの。

地上戦が始まってから1日半が過ぎました。
パレスチナ子どものキャンペーンでは、
ガザに住む市民の声を、今日もお伝えします。

一人でも多くの方に、ガザの声をお伝えください。

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★飢えている子どもたちが無差別の犠牲に
==================


今日もやっとの思いで、ガザ市に住むNGO職員のアムジャドさんと電話がつながりました。

「イスラエル軍は、ガザ北部のジャバリヤとベイトラヒアを占領してしまいました。多くの人々が取り残され、外部の監視や保護が全くない状態にあります。民家が破壊され2家族が全滅したと聞いています。

また以前ユダヤ人入植地のあったネツェレムも占領され、人口50万人のガザ市は北と南の両側から攻撃をされています。
70軒の村落が破壊されたと聞いています。

学校、モスク、医療機関も攻撃され、救急車やNGOのクリニックも破壊されました。

ガザ南北は寸断され、ガザ市の住民は孤立し、物資は全く入ってこないうえ、ガザ市の中央市場も破壊され、子どもを含む5人が殺傷されました。
停電が続き、水もなく、パン屋の多くも閉まっています。

私自身にも子どもがいますが、子どもに食べさせるものを入手できません。
子どもたちは夜も眠れず、皆で身を寄せ合っています。
いま起こっていることは、虐殺というほかありません。
飢えに苦しんでいる子どもたちまで、無差別に殺されているのです。

一人でも多くの日本の市民に、この状況を伝えてください。」

=============
 ★ガザ緊急募金のお願い★
=============


パレスチナ子どものキャンペーンでは、緊急募金を呼びかけています。
キャンペーンでは、ノルウェーの医療チームと連携をとってガザのシファ病院の支援を検討中です。

募金の送り先:

*郵便払込* 
加入者名: パレスチナ子供のキャンペーン
口座番号: 00160-7-177367

*銀行振込*
みずほ銀行 高田馬場支店 普通8030448
口座:パレスチナ子どものキャンペーン

キャンペーンのホームページからもクリック募金やクレジットカード募金ができます。
http://ccp-ngo.jp/bokin.html

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2009.01.03

2009年

Photoあけましておめでとうございます :)

ことしが、みんなに、いい一年になりますように。。!

ここ東京のはずれでは、ことしの元日も、いいお天気でした。

歩いて10分ほどのところにある近所の八幡さまは、木々の中にこっそりとあるような、小さな小さな神社ですが、大晦日の夜になると「テンテントコトコ」と軽快な太鼓の音が聞こえだし。。。

真夜中の参拝客は、お獅子に頭をぱくっとやってもらえたりします(代々伝わる古い獅子舞があるんだそうです)。

Photo_3去年と今年は元日の朝に行ったので。。もうお獅子は中に並んで座っていました。緑色の河童も混ざって並んでいました。

おおきな焚き火のよこで、冷たいお神酒がふるまわれたりして、なかなかたのしい神社です。

近年、神社に行くと、本殿の裏手にまわってみるクセがついています。本殿の真裏には、すてきな木が生えていることが多いので。。。(上の写真が、その、八幡さまのところの木)。

あと、裏にはたいてい本殿よりもずうっと小さいミニチュアのようなお社があって、そこにお参りするのも好きです。

* * *

ことしのおみくじは19番。。こんな句が書いてありました。

はなされし
かごの小鳥のとりどりに
楽しみおおき
春ののべかな

(かごの中にいた小鳥が放されて自由に飛び歩く様に苦しみを逃れて楽しみの多い身となる運です。
世の為め人の為めに尽くしなさい。)

特におもしろいなあ、とおもったのは、「願い事」の欄に「他人を助けよ 人の助けにて叶います」と書いてあったことです。こんなのはじめてで、うれしいです。

少し前までは、「うれしいな」と思うような内容のおみくじのときは、持ち帰ってお財布に入れておいたりしましたが、最近は、木に結わいて、離すようになりました。お財布にいれたままだと、私の場合、気づいたら薄汚れてシオシオになっていたりで。。いさぎよく離すようが、よく気がめぐるような感じがしています。

* * *

それにしても、1999年当時、2000年代が本当に来るのかなあなんて思っていたのが、はやくも、2000年代になって10年目。。。

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