む む む
先週は、久々に穴に落っこちてしまって、2日ほど使い物になりませんでした。今年は冬季鬱傾向も大丈夫みたいーと思ってスタスタ歩いていたら、ずぼっと落とし穴にはまった、という感じでした。。。なんの予兆もなく、思い当たる理由もなく、落っこちました。
でも鬱があけた後の今になると、この穴にも、お役目があったのかもしれないと思えたりしています。
鬱があけた後のおとといの真夜中に、半分目覚めて、なんだかぼんやりしつつはっきりと、べらべらしゃべっていたのを思い出しました。
なにか今の自分にとってこれは大事なことだ、という認識を持ちつつしゃべっていたような感じだったので、内容を書き出して、思い出そうと試みた。。
こんな感じのことでした↓
月のプロセス=反復してなじませていくこと、無意識化・自動化・安定化していくこと。
太陽のプロセス=気づくこと、意識を持つこと、意図すること。
太陽のプロセスがリードして、月のプロセスが始まっていく。そうやって始まった月のプロセスは上向きのスパイラルに乗っていく。
太陽がリードしない月のプロセスは、ただのクセとして固定化して、足かせになったりする。
太陽のプロセスが未発達な子供のころは、月のプロセスをリードするのは回りの大人たち。だから本人の太陽とは違う方向へ月のプロセスが使われていったりする。
出生時の場所(度数)はスタート地点。もしくは最終地点?
そこに自分の、そのときどきのアイデンティティを縛ってしまうのは、自分にのろいをかけるようなもの。
人間は、気づくことで、どんどん変わっていけるポテンシャルを持っている。
受身で待っているだけでは太陽の力は活性化されない。
空気や流れを読むだけでは主体的にうごけない。
それだと月のプロセスも、よどんでしまう。
自分が本当に望むものに自分から向かっていくことをはじめてもいい。
そろそろ私も。。
こうして気づいたときが、すでに変化のはじまり。
望むこと。
よりむしろもっと大事なのは、望みにぶらさがっている「負荷」を取り去ること。
負荷は、たとえば「こんなこと望んでいいはずがない」とか「わたしにはとうてい無理」とか、そういうのも含む。。。
うーん。。いいかげん(おそらく不正確)な思いつきや、お絵かきの先生から教わったことの断片とかがまぜこぜになっている感じだけれど、でも、それで、自分ももっと主体的に生きよう、とかって思ったのでした。
空気を感じて流れを読んで、摩擦のすくない場所に身を置きながら、そのうち未来からなにかがやってくるのを待っている。。。というようなスタンスそのものが、あまりにも「なじみ深いパターン」になっているので。。
でもこういう主体的にっていうのは、今自分にとってはなじみが薄いので、ちょっととまどう。。
でも自分のこころにまっすぐな道を行く勇気って、ときに必要かな。
わたしの場合は、道を最後まで歩かないというクセもあって。途中で歩みをとめておいて、「最後まで歩いていたならこんなふうだったかも~」というあいまいな「予感」のところにとどまっていたがるクセ。
最後まで歩いたならどうなっていたか、が、はっきりしてしまうのを避けたがっていたなんだなあ。
最後まで歩いても、なんにもいいことがないかもしれない。。。それが怖かったんだ、と気づきました。
そんなことを怖がって、旅する楽しさを脇へ押しやっていたのかー。。
(ていうか、わたしの太陽の度数のサビアンは「極秘会議」というものなんだけれど、わたしの場合、秘密裏に会議だけして、いろいろ予想を立てたり計画をねったりだけしていて、会議の結果も公表しなければ、実際的な行動もまだまだ先のこと、というイメージになってたことに気づきました。それってなんか陰気だなー。。同じシンボルでも、もっと風通しよくてさわやかなイメージを考えてもいいはず。。)
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