お金のぎもん
こんなに世の中に「お金」というものが、たくさん出回るようになって、こんなに日々の暮らしに密着しているのは、なんでなんだろう。。と考えることがあります。
今のわたしの暮らしだと、お金がぜんぜんなかったら生きていけない。。そのくらい激しく大事なものになっているのに、意外とお金とどう接したらいいのかが、よくわからずにます。
お金をどうやったら得られるかは、とりあえず知っています。「労働」すればいい、人に喜ばれることをしたり、必要だとされていることを進んでしたりすればいい。。。
でも、なんらかの方法でお金を工面することを、「お金をつくる」とかいうけれど、お金は、出回っている中からわたしのもとに「回ってくる」だけで、わたしがなにもないところから新しく「つくって」いるのではないです。
お金を誰かに差し出すときは、ありがとうの気持ちの代わり、ということのようだけれど。。。
でも、ありがとうの気持ちは、どこかに出回っている中からとってくるのとは違って、人それぞれの中で、なにもないところから新しくつくれるのに。。お金で表すとなると、先にお金を持っていなくちゃならない。
お金を自分で新しくつくれたなら、どうなんだろう? というか本当のところ、お金はどこで新しくつくられているんだろう? 打ち出の小槌からお金を「振り出して」いるのは、誰だろう?
この疑問についての、この動画の解説↓はなかなかびっくりでした。「懐かしい未来ネットワーク」というメーリングリストで少し前に紹介されていた、Money As Debt という短いビデオです。
私たちが「お金ってどこからやってくるの?」と疑問を持つとき
造幣局が紙幣を印刷したり、貨幣を刻印している様子が心に浮かぶ。
私たちはお金が政府によって作られていると信じている
それは本当だ でも事実の一端にすぎない
大半の莫大なお金は 造幣局によって作られているのではない。。。
<↑上のビデオからの抜粋です>
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