さいきんは
〆切呪縛がないので、普段ならなかなかできないようなことをいろいろしています。
昨日は、友達が家に来てくれて、ご飯を食べました。気持ちの上では近しく感じているのに、普段会ったり連絡を取り合ったりするチャンスがあんまりたくさんはなくなってしまった友達たちです。
けっこう久しぶりなので、なんとなく恥ずかしいような、ちょっと距離があるような感じがあったんだけれども、ピンポンが鳴って、「わー、なんか親戚の家に来たみたいだー」といいながら入ってきた友達の顔をみたとたん、なにかスッと余計な想いがみんな取り除けられて、会えてうれしい気持ちだけになりました。。不思議でした。
うちのリビングには小さい赤いソファがあるんだけれど、もう1人の友達が、半日の間、おしゃべりしつつそこに腹ばいに寝そべったり、仰向けに寝そべったり、上に座ったり、床に座ってソファに上半身だけなだれ込ませたり、いろいろな形になっていたのが、妙にうれしかった。
こういうことは、覚えておきたいと思うのでした。
やっぱり生身の人と会うのは、いいな、と思う。。。(ヘンな言い方になってしまうがー。。)
* * *
おとといは急に、今夜泊まりに行きたい、と友達がやってきました。いつもはネット上でやりとりをしている人なので、久しぶり感はないけれど、でも実際に生身の彼女を会うのはやっぱりずいぶん久方ぶりでした。
連絡をもらって、わあ、来てくれるんだ、じゃあお布団を干しておこう、夕飯はなににしよう?といそいそとしていると、だんだんわくわくしてきました。
夜になって、やってきた彼女は玄関を入るなり「今日は久しぶりにここに来るなーと思ったら、なんか嬉しくなっちゃったんだよ~」と言ってくれて、「わたしも今日はなんかわくわくしちゃってたんだよ~」と言いました。
お夕飯を、パートナーと3人で食べて、お茶を飲んでおしゃべりしていたら、気づいたら12時を回っていて、あわててお風呂をわかして順々に入りました。
いつもネット上でやりとりをしていても、やっぱり生身で会うのはいいな。。。
ネット上でなら取りこぼされるような、その人の存在感の縁回りにあるいろんなあわやいものも、生身で一緒に過ごすときには、削除されずにすむというか、
生身で一緒にいるときは、そういうあわやいもののほうに気を向ける時空間的余裕ができるのを体感しました。
パソコンとか携帯とか、四角い箱に向かっていなくちゃできないコミュニケーションは、集中が求められるし、この四角い箱と向き合っていられる時間に限度があるから、なんとなく急いでしまう。
生身で同じ場所にいるときのコミュニケーションには、今コミュニケート中のこと以外のことも視野に入れたり、自由に脱線したりできる余裕というか、遊びがあるのですね。。そこで広がっていくものに、福福しい感じを覚えたのでした。
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このお休み期間を使って、長い間ほったらかしにしていたことにも取り掛かりはじめました。
ひとつは、木製品のお手入れ。
こないだの晴れた日、窓を開け放してベランダにお風呂椅子とお風呂すのこを持ち出して、紙ヤスリでこすりました。
カビで部分的に黒ずんでいたところを、ヤスリがけ。
ヤスリ中は、落ちているのやらどうなのやら、という感じだったけれど、ヤスリ後、水とたわしでゴシゴシ洗ってみると、結構落ちていてびっくりしました。
がぜんやりがいを感じ出して、キッチンにある木製のスプーンとかもお手入れしてみた。
音楽をききながら、晴れたベランダで紙やすりをするのは、なかなか楽しかったです。
スプーンのほうは、あとは、胡桃油を塗ってあげればOKです。これはいまのところ宿題です。
(スプーンをつくってくれた友達から伝授されたこのほうほうは、なんと「胡桃タンポン」と呼ばれています。。。胡桃をガーゼにくるんで、金槌でちょっとつぶして、そのままスプーンにポンポンと押すように塗っていくのだそう)。
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