2009.09.25
2009.09.22
天使はおじさんだった
曽我部恵一さんの書いた「天使」という曲のフレーズ:
♪天使はおじさんだった
冴えないおじさんだった
50代くらいの、サラリーマン風だった♪
この部分が、こないだのソウル滞在の最後の晩、わたしの頭の中をずっと流れていました。
なぜかといえば、まさに、そういう「天使」に出会ったからです。
出会った場所は、ソウルの街の中心を流れる、チョンゲチョン(清渓川)の川べり。
このチョンゲチョンは、つい2005年まで、流れの上にコンクリでフタがしてあって道路になっていた川。
その昔は、「下水道でありながら主婦の洗濯や子どもの遊び場、さらには祭事に使われる庶民の生活の場として親しまれ」ていたのが、
「1910年~40年代、日本の統治時代になると、農地を奪われた農民たちがソウルに流入し、河川の堤防に無許可で生活し始めた。都市貧民の増加は河川の汚染を深刻化させ、チョンゲチョンは伝染病や犯罪の温床と化した」(チョンゲチョン(清渓川)復元プロジェクトHPより)。
それでフタされたわけですが、今では元の清流が立派に復元されて、私がその川べりを歩いた夕暮れ時も、それはそれは大勢の人が、くつろいで語り合ったり、ぼーっと噴水をながめたりしていました。
宿の方角はこっちだ、と定めたほうへ、この川沿いを、ひとりで歩いていたら、ワイシャツにスラックス姿のサラリーマン風のおじさんが、突然、川の中を指さして私になにか声かけてきました(韓国語で)。
韓国語のヒアリング能力はほぼなきに等しい私は、おじさんの指差す方角をとにかくのぞいてみた。
そしたら全長5、60cmの魚が泳いでいました。
おおきいなあ。と思うと同時に、あぁ、ソウルの人にとって、この流れに魚が来ていることは、格別に嬉しいことなんだな、と想像しました。
ふと疑問に思って、「この魚、どこから来るんですか?」と聞いてみました。(もちろん超超カタコトの韓国語で)。
なんとか質問内容は通じたようで、おじさんは説明してくれました。わたしがほとんど韓国語がだめなことがわかると、カタコトの英語&身振り手振りで、一生懸命説明してくれました。
私に精一杯わかったのは、「ハンガン(漢江:市内を流れる大河)は東から西に流れている、このチョンゲチョンは西から東に流れている」ということでした。
うーん、つまりどういうことだろう?と思いつつ、後で調べてみればいいかな、と考えながら「ではさようなら」をしようと思ったら、「イルボン(日本)の方ですか?」とおじさんのほうから会話を続けてくださって、なんとなく、おしゃべりしつつ、川べりを歩き出しました。
途中、「つかれましたか?」と川べりに腰掛けて話をしたりしつつ、かれこれたぶん1時間くらい、一緒に川べりを歩きました。地下鉄の駅2つ分くらいの距離だったはずなんだけれど、とってもトロトロ歩いたので。。
おじさんのお名前は(ちょ)さん。(ちょ)さんは韓国語はもちろん、中国語もおできになる方で、でも英語はほぼ×、日本語はまったく×。
一方わたしは、日本語&英語はOKだけど、中国語がほぼ×、韓国語はまったく×。(でも「旅の指差し会話帖」というアンチョコ本とにわか勉強で、自分の言いたいことなら、少しだけ韓国語で言えたけれど)。
そんなわけで、ふたりの共通言語がない状態。韓国語・中国語・英語をつぎはぎして、そして多くは身振り手振りで、会話が成立するのでした。
(ちょ)さんがとても純真な人だということは、すぐわかりました。
表情や存在感からも、明らかでした。
伝統のものが好き、美術品が好き。
音楽はジャズや洋楽が好き。
(といいつつ、「日本のミュージシャンも好きですよ、Xジャパンとか!」と言ってた。。)
奥さんと娘さんがいて、郊外のアパートで暮らしている。
お仕事はテレコム会社でのエンジニア。
会社勤めをしながら、インサドンに美術品のお店を2件開いている。
娘さんは今アメリカに留学して、音楽の勉強をしている。
中国語学院という学校に通っていて、その当時の友人や先輩方と今もすごく仲良し。
アングク(わたしの宿のある地域)の伝統文化センターで友人が笛の先生をしてる。
いつかアングクに住みたいと思っている。。。
そんなようなことを話してくださいました。
(ちょ)さんがどう手を尽くしても私が理解できない内容もたくさんあって、そういうときに(ちょ)さんはとても残念そうに、左胸に手を当てながら「あー、イルボンマル(日本語)、アイ・・・ウォント・・・スタディー(勉強したい)!」と言ってくださるのでした。
「わたしこそ、韓国語がわからなくてごめんなさい、次はもっとちゃんと勉強してきます」と英語と韓国語のちゃんぽんで言いましたが。。
川べりを歩き終えたら、インサドンにある、(ちょ)さんのチング(友達)がやっているお店に、お夕飯を食べに連れて行ってくれました。中国語学院の同級生らしかった。
店内では(ちょ)さんの顔見知りの方たちと次々に出会って、そのたびに「この人は日本からの(な)さんです」と紹介してくださいました。
隣のテーブルでは、大きな紙に筆と墨汁で、韓国語の詩のようなものをサラサラと書いている老人がいました。もっと若い男女が、そのご老人とときどき話をしつつお酒を飲んでいて、男性のほうは、プロっぽい感じで、そのご老人がしゃべっているときの写真を何枚も撮っていました。(ちょ)さんに聞くと、このご老人は詩人だそう。なにかの取材だったもよう。
壁を隔てたとなりの一角では、10人くらいで宴会をしていて、そのうち、ギターの音がぽろんぽろん、と聞こえ出しました。ちょっとのぞいてみたら、やはり身の細いご老人が、席で立ち上がって、ギターの調べに合わせて詩吟のようなものを始めました。ギターと詩吟の組み合わせが新鮮でした。(どうやら送別会かなにかのようでした)。
そんな、あちこちでいろんなアクションが起こっている、とっても活気のあるお店で、マッコリ(カルピス味みたいな韓国のお酒)と、チヂミ(お好み焼きみたいなもの)と、川の貝の入ったスジェビ(すいとんの一種)、それに野菜の小皿のおかずをたくさん、ごちそうになりました。(というか(ちょ)さん自身、おかみさんに「ツケ」にしてもらってた)。
おかみさんがとてもきれいな方で。。。最後に記念に写真をとってもらうとき、「おかみさんも入ってください」というと、おかみさんはわたしの隣にきて、何度かシャッターを切ってもらう間ずっと、わたしの手をむぎゅーっとにぎりしめてくださって。。。うれしかった。
(ちょ)さんとは、なぜか、その日お互いが筆談に使っていたペンを、記念に交換しました。
そして住所を交換して、お手紙を書く約束をしました。
遅くなってしまったら、最後に宿の近くまで、送ってくださいました。最後までとてもジェントルマンでした。
* * *
今回の初めての韓国行きで、わたしは実は、韓国の方と、1人でいいから、お友達になりたい、とひそかに思っていました。
ソウルにはかわいい女の子が多いので(!)、若くてかわいい女の子のお友達ができたらいいな~♪と思っていたのですが(実際そういう子たちにも出会えましたが。。)、
でも最後の晩に神様がつかわしてくださったのは、おじさんの天使さんだったのでした。
いつでも、神様のお願いのかなえ方には、サプライズがありますね :)
2009.09.21
しばらくぶりに。。家でくつろぐ日
久々にタミパン(ミニ)でケーキを焼きました。お世話になってるプロセスワーカー、(ひ)さん伝授のレシピで、まったく糖分を加えないのに自然の甘味がおいしい!さつまいもとバナナのしっとりケーキ。
今日は敬老の日。。。偶然にも(?)パートナーは今ごろ、岐阜の奥山でおばあちゃんに昔ながらの手仕事を習っています。。。
わたしも尊敬している、映像人類学者の姫田監督が関わってる日本山村会議という3日間のプログラム。初日は地元の漁師の方と一緒に、かがり火での夜網漁を体験させてもらった、と短いメールが届いて、
「夜網漁!!台湾の蘭嶼(ランユイ)島のトビウオ漁みたい。。!」と興奮してしまいました(ランユイを舞台にした、大好きな小説『黒い胸びれ』の中で読んだだけなんだけど、イメージが焼きついてて。。。まあ、ランユイは海で、岐阜は川ですが)。
さらに昨日は生演奏で郡上踊りをみんなで踊ったとのこと。生演奏の盆踊りもまた、私がたまらなく好きなもので。。。(東京では佃島でしか経験できないのです)。
はあ。。パートナーはきっと、家に帰ってくるときには、すっかり元気になって、なにか新しくなっていることだろうな~!
一方わたしは、このところ〆切に追われて、なかなかしんどい日々でしたが、昨夜でひと段落ついて、今日はほんとーうにゆったり :)
久々にハワイのコナコーヒー(しかもピーベリー!)を手煎りして淹れました。おいしい☆
そしてここしばらくを振り返ると。。(気づけば1月もここに書いてなかった。。)
なんだか暮らしの根底にあったものが、様変わりしているような感覚があります。
1つには、海とのつながりができてきたせいで。。。
もう1つには、お隣の国、韓国とのつながりができたせいで。。。



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