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2009.11.17

つながるおいしさ

Img_0131 先週末。NVC(Non-Violent Communication:非暴力的コミュニケーション)というメソッドのワークショップに行きました。通訳のお手伝いを、ということでお声をかけていただいて。。

写真は会場だったおうち。庭にゆずの木が、たくさん実をつけて揺れていました。

初めてお会いする人が30人近くいて。またしても、対人緊張が出たわけなのですが。でも、2日間みなさんと一緒の場にいるうちに、なんでか、どんどんのびやかな居心地のよさを感じるようになりました。

おひとりおひとりと個人的にお知り合いになったりしたわけでもなく、ただそこにいる、というだけだったのに。。

NVCは数年前にに、2度ほどワークショップに出たことがあったんだけれど、そのときのわたしのリアクションは、「コトバが多すぎて、抽象的すぎて、ついていけない」でした。

でもたいせつなともだちの(る)さん、(け)さん、(し)さんがNVCを続けて勉強していて、彼らと接するなかで「はっ」とすることがいくつもあったので、もういちどトライしてみるといいかもなぁ、とばくぜんと思っていたのでした。

そうしたら、今回、NVCについてぐんと違う印象を持ちました。

自分や相手が感じていること、必要としていることを、コトバでいろいろ表していくのは、1つの手段で、その手段の目的は、「断絶」ではなくて「つながり」の中で、相手とコミュニケートとすることにある。。←これはわたしなりの理解だけれど、今回の先生、(ふ)さんは、そこを常にはっきりと伝えてくださっていました。

「つながる」のは、断絶に橋をかける、というようなんじゃなくて、もともと地続きになっている相手までの空間に、立ちはだかっている壁をどける、という感じ。

もともと地続きなのは、深いところでは、同じ人間、同じ生き物だから。。だから基本的に必要としているものは、おおむね共通してるんですね。ただその必要を満たすための手段が、おのおの違うだけ。。。

今、自分が、相手が、感じていること、必要としていることに、思いを馳せてみるのは、すべて、このつながりの場所に立ち返るためなのでした。

壁がなくなると、自分から相手まで、はばひろーい道がすうっと開ける感じがします。

そうやって、オープンに開いて「面」でつながるのは、細い紐を断崖に渡して「点」でつながるよりも、ずぅっとおいしいなぁ、と思いました。

* * *

ワークショップのあと2日たって、家でパートナーと接するときの感じが、ああ、違うなぁと実感しています。

誰もがみんな、必要があって今していることをしている。誰もがみんな、とってもいい理由で、今していることをしている。

相手に、自分に、今どんな必要があるのかな、どんな理由があるのかな、と一瞬思いめぐらすだけで、なにかが確実にシフトします。

ちなみに、猫の(にゃ)ちゃんと接するときの体験も、すごく変わりました。

「猫なんだから、わたしの言うこと思うことは伝わらない」と、どこかで思っていた私がいたんですね。。。でも(にゃ)ちゃんもわたしと同じ生き物。生きていくうえで、食べ物やあたたかい寝場所や、ほかの生き物との触れ合いなど、わたしと同じものをたくさん必要としてる。。

(にゃ)ちゃんとわたしのあいだに立ちはだかっていた、「猫だから」という決め付けの壁が溶けた、その瞬間、(にゃ)ちゃんは手足全部でわたしの手のひらを握ってくれました。

猫の場合は、コトバにして声に出して言ったりしなくても、Silent Empathy(無言で共感する)だけで、つながりがぶわっと通るんですね。。!

* * *

開いたつながり方をする練習をしているみんなと、同じ場に一緒にいさせてもらっていたとき、場にはなにか、気持ちいいエネルギーが満ちていました。

ワークショップの後、くたくたになってるはずの2日目の夕方、わたしはあきらかに、最初よりも元気で。。。あの気をいただいていたせいじゃないかな、と思います。

あの場のみなさんに、感謝です。

そしてお誘いしてくれた(け)さん(し)さんに、ありがとう :)

(ふ)先生、ありがとう。

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2009.11.16

ノンマイク・ライヴ

Lete_2 きのう。下北沢のleteにて。長谷川健一さんの、ノンマイク・ワンマン・ライヴに行きました。

20人、せいいっぱい入るか入らないかの小さな空間。ギターをもったハセケンの、3、40cm先に1列目のお客さん、という感じ。。。

でも不思議ときゅうくつ感はなくて、コージーな感じのする空間でした。とても居心地がよかった。

マグに入ったあったかいコーヒーを飲みつつ、マイクを通さないハセケンのうたごえと、ギターを聴いていたらば、

はりつめていた胸の中に、ふるふる&じんわりした、自由な空間がひらいていって、涙が出てきました。

詞のコトバとか、そういう、アタマで把握できるようなところとは関係なく、もっと違う次元が、反応しているふうでした。

 

やっぱり音楽がなかったら、生きていけないんだな、と思いました。あの大切な場所に、日常ではなかなかたどりつけない。。

ライヴが終わったあと、外に出たらば、足の裏がふわふわしていて、全身もほわわんとしていて、お酒なぞ飲んでいないのに、「できあがって」しまっていました。

ほんとうにしあわせな夜でした。遅い時間にパートナーとふたり、小さなお好み焼きやさんに寄ってから、家に帰りました。

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2009.11.10

富士の麓のグアテマヤさんオフィス

Photoこのあいだ、新宿から高速バスに乗って、富士の麓にある、マヤナッツプロジェクトの「グアテマヤ」さんのオフィス&住居に、遊びに行ってきました。

バスに乗っているときから、どんどん、緑いっぱいの山並みが見えてきて、すごくうれしくなりました。

高速バスだいすき。

高速のバス停で降りて、そこからちょっとわき道を行くと、もう畑、小川、それにものすごい流れの豊かな川。そして目の前に、ピカピカに光る富士山。

ベースにある自然が違う。と、京都からやってきていた(わ)さんも言ってたけれど、まさに、そうでした。

こころが、ぐんと羽を伸ばしているのがよくわかりました。

自然農の畑で、豆まきのお手伝いとかしたいなーと思っていたけれど、今度新しく売り出す、マヤナッツクッキーのラベルづくりが佳境で、そちらのお手伝いをしました。

Photo_2←これが、ラベルづくり会議が繰り広げられていたちゃぶ台 :)

お茶を飲み、クッキーをほおばりつつ、あーしよう、こーしたら、と会議は続きました。たのしかった♪

こんな働き方ができるグアテマヤさんはすてきだな。。これからはもっと、こういう働き方のできる場で、働いていきたいな。

ふだん独りで翻訳仕事をしていると、人と一緒にする作業が妙に楽しかったりします。

あ。そういえば! マヤナッツコーヒーと、マヤナッツパウダーの、パッケージが新しくなっています(すこし前からですが)。

最近は毎週土日、東京・青山の国連大学前のマルシェにグアテマヤさんが出店しているとのこと♪

富士の麓の福祉作業所さんに焼いていただいている、新作クッキーは、かなーりおいしいです! 遠足のお供にもいいと思う。

卵・乳製品なしの素朴なタイプと、くるみの入った香ばしいコーヒー風味と、2タイプあります。

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2009.11.03

石になっていました

Walk9_ Walk9・韓国巡礼のあいだ、やっぱり少し無理をしてたのかな、と気づきました。

帰宅したあと、昨日くらいから、こころのアップダウンをジェットコースターのように繰り返し、なにかがヘンだぞ、とうすうす気づきつつも、放置していたのですが、

今朝になって、涙がたくさん出て、それからしばらく、数時間のあいだ、ひたすらつげ櫛の手入れをしていたら、ようやく、心がおさまるところにおさまりました。

涙が出る夢は、Walk9の最中も2度見ました。夢の中で、とにかく悲しくて泣いていました。

チンジュ城でお参りしたときも、お参りの最中は平気だったのが、その後立ち上がってしばらく歩いたところで、いきなり涙の発作があって、なんも考えられなくなりました。。

* * *

この6日間は、自分の浅はかな思いや浅ましい考えが、くっきり手に取るようにわかる、という日々でした。

その上、集団生活や時間のプレッシャー、初対面の人が大勢いるという状況に対処するのが思っていたよりはるかに難しくて、

Walk9_7_2 肝心の、韓国の地と、そこにゆかりのある人や生き物、自然に、ごめんなさいを言う、というプロセスが、上手にできませんでした。

ようやっと集団生活にも慣れて、「大勢の初対面の人」がひとりひとり、顔と名前とどんな存在感の人なのかがわかるようになって、自分の中に落ち着きが出てきたと思ったら、もう最後の日になっていて。。

とっても残念でした。

でも、最後の日の朝、歩いたときには、ほんの少しの間だったけれど、自分の中がすっとそろって、しずかにこの地とお話することができた時間があったので、それだけでもよかったかな。。

* * *

Walk9の日々は、朝起きて、さっと身支度をして、朝食、朝のミーティング。

それからWalk出発地点へ移動して、あとは歩く→ランチ→歩く(あるいは、お弁当のおにぎり作り&掃除→遅れてウォークに合流して、歩く→ランチ→歩く)。

夕暮れ前に宿に戻って、おゆはん。

あとはギターやオカリナを奏でるメンバーのそばで聴いていたり、少し人とおしゃべりしたり、お風呂に入りに行ったり。そして寝る。

イベントがない日はだいたいこんなふうでした。

歩く以外は、必要最低限の衣・食・住のケアをするだけの感じで、なんだか日々がシンプルでした。

Walk9__2 歩く、という部分は、ずっと、お空の下。

ひょっとして、お百姓さんも、こういう感じの暮らしなのかな?と想像したりして(「歩く」を「農作業」に置き換えてみると。。)

パソコンもインターネットも、お金稼ぎのための仕事も、今後のスケジュール調整も、返事しなければならないメールも、そこにはなくて、デジタルな情報に触れずに日々を送れていて、

音楽さえも、いつも生で聴ける(プロのミュージシャンもいたりして)、とても恵まれた日々でした。。。

それなのに、大勢の初対面の人がいることと、時間のプレッシャー、みんなにメイワクをかけてはいけないというプレッシャーにカチンコチンになってしまって、自分の気持ちをどこか遠くへ置き去りにして、いつも急いで、必死にその場その場の「すべきこと」をこなしていくモードになってしまいました。

なんてさわがしいあり方だったろう。。

Walk9のみなさん、ごめんなさい。
ハイパーになってたわたしが「まるで知らない人みたい」で困っていたパートナーに、ごめんなさい。。

* * *

昨夜、Walk9での自分のあり方を振り返りながらカードを引いたら、ハワイ神話に出てくる小人族「ム」のカードが出ました。

お日様に当たると石になってしまうので、夜にしか外に出ない「ム」の人たち。でも「ム」の子どもたちは人間たちと一緒に遊びたくて仕方なくて、ある明るい月夜の晩、とうとうその願いがかないます。

夢中で遊びました。すると向こうの空に朝焼けが。あ!帰らなくちゃ!と思ったときにはもう遅く、「ム」の子たちの体はその場で石になってしまいました。。。

カードの解説には、「ほかのみんなと同じになりたい、という欲求に屈してしまうと、自分が石になってしまうよ」と書いてありました。。

短期間の参加でも、みんなと仲良くなって一緒に歩きたい、という欲張りな思いがありすぎて、それでがんばりすぎて、わたしは石になってたんだなぁ。。

たくさん泣いて、やっと石から元にもどれたみたい。

もう急がなくていいんだよ、もうがんばっておしゃべりしなくていいんだよ、と自分にいい聞かせたら、ほっと落ち着きました。

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2009.11.01

walk9・韓国巡礼

walk9・韓国巡礼にほんの少しの間だけ、参加させていただいてきました。

まだいろんなことが、うずまいていて、ちょっと混沌としてますが。。。

とてもとても印象深い旅でした。

フィジカルな意味での「歩くこと」は、思っていたよりも大変ではなくて、でも、こころの中は、とてもいろいろなことが起こって、大変でした。

でも、すべてが、おめでとうだったな、と感じています。

Walk9 Walk9_3 Walk9__7Walk9__8 歩いたのは正味3日半でしたが、まるで高速道路みたいな道や、たくさん車のとおる街道、山道、大都市の歩道、街中の住宅街の静かな道、田畑の広がる田園の中の道。。。と、いろんな道を歩きました。

Walk9_2Walk9__9 (ス)さん&(ひ)さんと、有志とで握るお昼のおにぎりは、毎日とびきりおいしくて、ありがたかったです。

walk9のメンバーの方たちは、それぞれに、さまざまな役割を分担しながら協力し合っていて、だからこそ、このウォークが成立していることをひしひしと感じました。

伴走車を運転してくださるメンバー、皆が歩いている間に次の拠点まで全員の荷物を運んでくださるメンバー。ルートを調べてくださるメンバー、ペースを維持して車に気をつけながらウォークの列の前後を守ってくださるメンバー。朝・昼・晩の食事のケアをしてくださるメンバー。みんなのまとめ役のメンバー、全体のウォークの進み具合や各地での勉強会・交流会を調整してくださっているメンバー。日韓の通訳をしてくださるメンバー。ビデオ・写真・ブログで記録を残してくださっているメンバー。お金のケアをしてくださっているメンバー。1日の終わりに音楽を奏でて空気をやわらかく整えてくださるメンバー。日本でバックアップしてくださっている事務局のメンバー。

「ひとりでは、できないことでも、みんながひとつになれば、できます」。宿のお世話をしてくださった、ポッタリハッキョ(訳すと「ふろしき学校」)というフリースクールの(ソ)さんのお言葉を、思い出します。

* * *

わたしは歩き始める前に、まずプサン(釜山)でみなさんと合流して、音楽イベントと、釜山の歴史の勉強会に参加しました。

Walk9_4 音楽イベントは、想像以上の規模でびっくりしました。大学正門前の幅広い道に、大きなステージが2つ、設営されて、両ステージの間でふさがれた道路が、観客席。

韓国からのミュージシャン、日本からのミュージシャンが交互に舞台を交換しながら演奏して、地元の若者たち、Walk9のメンバーたちが、元気に踊りまくっていました。

湘南から来たハーフムーンさんのステージでは、「海、海、だいすき ありがとう」という詩のうたを、「パダ、パダ、チョアヘヨ カムサヘヨ」と韓国語にも訳していただいて、みんなで一緒にうたいました。ここ最近のわたしの気持ち、そのままの歌で、うれしかった。

釜山の歴史の勉強会は、町を歩きながら、先生が説明してくださいました。

「今立っているこの場所は、かつて、日本が現地の人たちに労働させて埋め立てたものです。龍頭山と伏兵山のそれぞれ半分くらいを削って、その土で埋め立てました」。龍頭山は、聖なる山だったのに、です。

そして龍頭山から連なっている龍尾山という山は、今現在、削られて、日本のロッテがその地に高層ビルを建てている最中とのこと。見れば、そこに山があったとはわからない工事現場でした。先生は「龍尾山を削って、ロッテがここに高層建築を立てるのは、それもそれで深い意味があるんです」と苦々しい表情でおっしゃっていました。

Photo_2 それから、浮島丸事件(第二次大戦後、日本からようやくふるさとへ戻ろうとした方たち、4千人近くを乗せた船が、舞鶴港で沈没してしまった事件)の犠牲者を追悼する碑にも案内してくださいました。

沈没せずに航海できていたなら、このプサン港にたどり着いていたはずだったそうです。沈没理由の真相は、いまだ不明な点が多いそうです。

最後に先生は、日本の資本主義が発達した根っこのところに、アジアの植民地化があったことを、お話してくださいました。日本が享受した平和や繁栄は、先人の努力のおかげももちろん大きいと思うけれど、他国の犠牲の上に成り立ったものでもあったこと。そこを忘れないようにしようと思いました。

このあと、東学革命、先住民文化、シャーマニズムなどについて詳しい先生の講義を聞く機会にも恵まれました。東学については、知らないことばかり。お話を聞いても、わからなすぎて。。。これから、ぜひ学んでいきたいことの1つです。

* * *

イベントの日々が終わり、歩きはじめたのは、キメ(金海)から。西へ、チャンウォン(昌原)~マサン(馬山)~ハマン(咸安)~カヤ(伽耶)と歩きました。このあたりは、大昔、伽耶の国があったところ。

チャンウォンでは、お寺に泊めていただいて、お夕飯のビビンバをごちそうになりました。さらに盛大な交流会も開いてくださり、チャンウォンにお住まいの元従軍慰安婦のハルモニおふたりにもお会いできました。

おふたりのハルモニは、かなりの高齢で耳が遠く、目も見えにくくなってらして、お話されることもなかったけれど、メンバーの1人が、ギターを弾きながらアリランをうたうと、一緒に手拍子をしてくださいました。

Walk9__11音楽は、言葉を越えるなぁ、と思いました。一緒に歩いている韓国のメンバー、(テ)くんのオカリナの演奏を聞いていたときには、内側が完全に自由になる体験をしました。。

交流イベントでは、このお寺でお茶を教えていらっしゃる先生のお手前もありました。お茶を立てる前に、舞うのです。

それはそれは美しかった。。!

* * *

Walk9_10 Walk9_5Walk9_6伽耶の国のあった一帯は、とにかく、とても懐かしい地でした。こころの奥底の場所が、静まるような、不思議な感覚がありました。まるで数百年前のふるさとに里帰りしたみたいな。。。

Walk9_8_2 カヤを歩いているあいだ、そこここで、収穫したお米の籾を道 端に広げて干しているのに遭遇しました。

雨がぱらついてきたとき、通りがかった村のアジュモニたちが干していた籾を袋に詰め始め。。。

私たちもみんなでお手伝いしました。掬っては入れ、掬っては入れ、結構な体力作業でした。Walk9__10

Photo_4全部終わったら、お礼にといって、柿をくださいました。田んぼ脇の道で皮ごといただきます。おいしかった!!

Walk9__3さらに、おうちのお庭にお招きいただき。。。火をおこして大鍋にお湯をわかして。。。19人分のラーメンづくり。

このお宅の自家製キムチと、辛いラーメンをお庭でごちそうになりました。汗をかいた体に、ラーメンの塩味がうれしかったです。

このお宅のキムチは、少しシュワッとした食感があって、とってもおいしかった。キムチと柿は、おみやげにもくださいました。

Walk9__2カヤの近くで宿泊場所として提供していただいた建物は、まわり一面が田んぼ。小川があって、ぐるりを小高い山々に囲まれていて、ほんとうに落ち着けました。

ポツリポツリと民家があって、たくさんの農地が広がる一帯でしたが、宿の建物から歩けるところに、チムジルパンがありました。

石造りのドーム状のサウナで、炭火であたためられているものです。わたしは日本でサウナに入ると、すぐ息ができない感じになってつらくなるのだけれど、このチムジルパンは、とても気持ちのよい暑さで、2晩連続で入り浸ってしまいました。

チムジルパンの小さい石室の中で、ねっころがって話をしていると、いつもの対人緊張も出ず、ふしぎと落ち着きました。

私にとっての最後の夜、チムジルパンの中で、メンバーの(ソ)さんに、アリランを教わりました。なかなかにきびしい(?)特訓で、なんとかそらで歌えるようになって、うれしいです☆

Walk9__5 最後の日、カヤからチンジュ(晋州)の方角へ、ナンガン(南江)という川沿いの一帯まで歩いて、わたしの今回のウォークは終わりになりましたが、その後、帰りのバスに乗るために、車でチンジュまで送っていただきました。そして少し時間があったので、チンジュ城にも寄れることに。

チンジュは、 1590年代、秀吉の朝鮮出兵の際、特に激戦が繰り広げられた場所の1つだそうです。

Walk9__6 「1593年に殉難した7万の官・民・軍の忠魂を慰霊するため」に建てられた慰霊碑と、その戦を指揮した方たちを祭るために建てられたお堂に、お参りしてきました。

お城の敷地内はとても広くて、その一角には1919年の三・一独立運動で犠牲になった方たちのための碑もありました。偶然通りかかって、お参りできて、よかったです。

三・一独立運動も、本当に痛ましいことでした。

日本による統治下にあった1919年当時、独立と自由を訴える宗教指導者らによって始められたこの運動は、全土に広がり、一般大衆にまで浸透して、老若男女が参加する独立運動になりました。

わたしはこれまで知らなかったのです。

この運動は、非暴力を原則としていたこと。独立宣言の文言は、「人類平等の大義」と「民族自存」の原理を説いていて、”敵国”にあたる日本に対してさえも、「正しい友好関係を築くべき」としていこと。

でも日本の当局は、運動に参加する人たちを「暴徒」だとして、弾圧しました。丸腰で、両手を天に上げて独立を訴える、一般の方たちに対して、日本兵は銃弾を放ち、建物に火を付けました。

この地の犠牲者の方たちを思うと、胸が痛みます。同時に、銃弾を放たなくてはならなかった、日本兵の方たちのことを思うと、胸が痛みます。。

* * *

でもいろんな重たい歴史の事実に、どうしていいかわからなくなって固まるわたしとは対照的に、この地で生まれ育った方たち、日本で育ったけれどこの地にゆかりのある方たちは、とにかく、とてもあったかくて、フレンドリーで、思いやりのあるお人柄の方たちばかりでした。

Walk9_1若い(フ)くんは言ってました。「男性と女性とか、韓国人と日本人とか、分けて考えることそのものがもう違うと思う。おんなじ人間なんだから」

独りで歩く、ということが大事です、と正木さんも、東学の先生もおっしゃっていて、わたしもそれを実行した(つもり)だけれど、

老若男女、国籍も生い立ちもさまざまなみなさんと、一列になって歩いていたとき、みんなと一緒に歩けることがうれしいなー!という思いで胸がぽっとなった瞬間も、何度もありました。

韓国では行く先々で地元の方に宿や食事のお世話をいただき、日本からも、一緒に歩かなくともさまざまに応援していらっしゃる方たちがいて、そうした大きなサポートの中で、ほんの少しだけれど一緒に歩かせていただけたこと、本当に感謝しています。ありがとうございます。

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