言葉の出どころ・さらなるぐるぐる
今朝はめずらしく朝6時ちょうどに「ぱちっ」と目覚めました。猫もなにも言わず寝てたし、目覚ましも鳴らなかったのにヘンだなぁと思いました。そしてからだがじーーんとなっているなあ、としばらく観察していました。
今調べたら、今朝は6時01分に、魚座26度で新月だったんですね。。。
今は人生でいうと火星期の年齢に当たる、わたしの出世時の火星は、魚座の27度にあります。新月と、この火星が重なり合ってたのが「ぱちっ」と目覚めたゆえんだったのかな。。
* * *
起き抜けいちばんに考えていたことは、やっぱり、先日の吉本隆明さんの講演内容のことでした。
「自己表出」「指示表出」という言葉の2つの側面のほかに、彼が言っていたことで、こころにのこっているのが、
「表現によって、自然は必ず変化する。同時に人間も変化する。表現する人間は、自然から変化させられる。人間と自然の相互作用である」
表現することで、わたしは自然から変化させられている、って。。。そうなのかー、と。。。
ここでいう「表現」というのは、たぶん、公にするかどうか、口にするかどうかとは別の、あの「自己表出」の次元でのことだと、思います。
* * *
その、沈黙の中でも起こる「自己表出」について今朝考えていたとき、NVC(非暴力コミュニケーション)で教わった「サイレント・エンパシー(無口の共感)」というのを思い出しました。
相手に対して、「あなたは今こういうものを必要としているから、こういう気持ちなんだね」と口に出して共感するのでなくて、共感しつつも黙っていることができる。
そして黙っていても、それは相手に伝わる。。。特に子どもや動物には、如実に伝わる気がします。
サイレント・エンパシーの存在を思うとなおさら、「指示表出」用途ではない、沈黙の中での言葉の役割が、わたしの中ではっきりしてくるように思えました。
沈黙の中でわたしがなにかに気づいたり、思ったりするだけで、わたしは変化させられていくんですね、そして子どもや動物は、そうした「変化したわたし」にすばやく感ずく。。
それなら。。自分は踊っているとき、言葉と断絶していると思っていたけれど、そうではなかったのも。。。。。。
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