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2010.04.18

水を使わないジャム

Img_6349にんじんと夏みかんのジャムをつくりました。
←ジャム瓶6兄弟の図。

アジア学院という、那須にある有機農業の学校(アジア・アフリカ各地の方たちが滞在して勉強しているところ)で、ことし豊作だったというにんじんをわけていただいたのでした。

そのままでも甘くておいしいので、ジャムにする際も、甜菜糖をほんの3割程度しか入れませんでした。

夏みかんは、父の家の庭の木になるみかんで、とってもすっぱいタイプ。

お水をいれずに、みかんとにんじんからでる水分だけでつくってみました。初めてのチャンレジ。

さいしょにみかんの実を、袋からだして、そこに甜菜糖をふりかけ、その上からにんじんをどんどんすりおろしていき。。すりおろしつつ、何回かまた上から甜菜糖をふりかけ。。。。にんじんを全部すりおろし終わる頃(30分以上はかかったな、一時間弱かな)には、ジワリと水分が出てきていました。

3回ゆでこぼしたみかんの皮も、少しだけすりおろして入れてみた。

これをそのまま火にかけて、ぐつぐつ。。以上終わりです。

あらかじめ蒸し器で蒸しておいた空き瓶に詰めて、さかさまにしても少し蒸したらできあがり。

めっぽう寒い、まるで冬にもどったここ2日間、ストーブをつける時間がふえると、ジャムをつくるか豆を煮るかしないと。。と貧乏心が出てきます。

でも水を使わないジャムは短時間しか煮ないから、ストーブの日だからってやるものでもないな、と気づきました。。

なのであったかくなってからでも、次はいちごでつくりたい、と思うけれど。。いちごの場合、そのまま食べたくなってしまう誘惑が強いので。。うーむ。

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2010.04.16

消える

Img_0164 仕事が忙しすぎて、にんげんらしい暮らしができてませんでしたが。。

ようやく終わって、今は、余波で、迷子になっているところです(毎度のパターン。終わった直後はふつうの暮らしに戻るまで、また時間がかかる。。)

そんななか、今朝は、正木高志さんと、一緒に、歩いている夢を見ました。

とても懐かしい感覚。。消えかかっていた感覚。

* * *

去年の暮れ、引越しの前後から最近までずっと、自分が大切にしているものほど、失くす、ということが多発しています。

ふだんものを失くすことはめったにないし、失くしたと思ってもすぐ見つかるので、なんだかこの展開は不思議です。

母が彫金でつくってくれた、大のお気に入りだったシンプルな銀のゆびわ、一番ヘビーユースだったホワイトゴールドのピアス、ともだちが編んでくれたお気に入りの手編みの帽子、まだ付き合い始める前に恋人がプレゼントしてくれた携帯ストラップの銀細工、いちばんの使い勝手が気持ちよかったハワイで買ったリップクリーム。。。。。。。

いずれもいつのまにか消えていて、そして失くしたと気づいてから探しても、出てきません。

あまりにも、多発するので、これはなにかのプロセスだなあと気づき始めた次第。でもなんのプロセスなのか、まだわからないです。

すこし寂しい気持ちになっています。。






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2010.04.02

reckless abandon

庭のキウイのつるが新芽を出してる。
つる棚の下は花畑状態。星のカタチをした白い花がいっぱい。

最近、考えていること。

自分の体に対する、自分のスタンスについて。

自分の体に刻まれてきた体験を、「なかったこと」にしようとせずに、とりあえず見ていこうとしていて、

不思議なのは、そうすると、その体験がどんなにネガティブなものでも、なぜか、体には、ふわんとした、たっぷりした、感覚がやってくる。

体から「その体験」を締め出し続けておくために、恒常的に体をこわばらせていた、のかもと思いました。

* * *

体なんかなくなって、意識だけになれればいいと思ってた。

それなのに、踊ることも好きだった。

踊ることは好きだけど、踊りを「鑑賞」されることはキライ。

踊っていると体なんかなくなって、銀色に輝くただの流れになれる、そういう境地がくる、と信じていて、そこを目指して踊っていた。

踊ることは、体をなくすためのことだった。体がなくなれば「鑑賞」されずに済む。

早くその「銀色の流れになる」境地に行きたくて、体の使い方、意識の使い方を勉強した。より軽やかで、より密度を下げた体になれる気がした。

でも、前より「体がある感」が減ることはあっても、「体がまるままなくなった感覚」はなかなかやってこなかった。

音楽だけになりたかった。ただの空気の振動になりたかった。いつか、一瞬でも、そこへ行けるはずと信じて、踊りの練習をしていた。「音楽が先生です」「音楽になるのです(Be the music!)」と教わっていたから。

でもいつまでたっても、音楽だけになることができない。

いつまでたっても初対面の人が恐ろしい。わたしに体があるために、それを傷つけられるかもしれない恐れがつきまとう。

お金を持っているがゆえに、泥棒をおそれる人みたい。

この体に安心して安住して、そのすばらしさを享受するってことができない。

というか、この体にほんとうに安心して安住するってどんな感じかな?と、想像をめぐらすことが、やっとでき始めた、ということ。。。

ほんとうは、天からお借りしたひとかどの土地であるこの体に、心から安心して住まっていたい、ってことが、わかった。。。!

そのためには、体を、自分を、もっと守らなくなる、ことが必要なのかな。

もう十分、自分でできる範囲できっちり守ってコントロールを固めてきたんだから、そうやって自分でできることをし尽くして行き詰まったんだから、これからはすこし、「自分」からはみ出るなにかに、まかせてみたらどうなんだろう。。。

Reckless abandon.




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