reckless abandon
庭のキウイのつるが新芽を出してる。
つる棚の下は花畑状態。星のカタチをした白い花がいっぱい。
最近、考えていること。
自分の体に対する、自分のスタンスについて。
自分の体に刻まれてきた体験を、「なかったこと」にしようとせずに、とりあえず見ていこうとしていて、
不思議なのは、そうすると、その体験がどんなにネガティブなものでも、なぜか、体には、ふわんとした、たっぷりした、感覚がやってくる。
体から「その体験」を締め出し続けておくために、恒常的に体をこわばらせていた、のかもと思いました。
* * *
体なんかなくなって、意識だけになれればいいと思ってた。
それなのに、踊ることも好きだった。
踊ることは好きだけど、踊りを「鑑賞」されることはキライ。
踊っていると体なんかなくなって、銀色に輝くただの流れになれる、そういう境地がくる、と信じていて、そこを目指して踊っていた。
踊ることは、体をなくすためのことだった。体がなくなれば「鑑賞」されずに済む。
早くその「銀色の流れになる」境地に行きたくて、体の使い方、意識の使い方を勉強した。より軽やかで、より密度を下げた体になれる気がした。
でも、前より「体がある感」が減ることはあっても、「体がまるままなくなった感覚」はなかなかやってこなかった。
音楽だけになりたかった。ただの空気の振動になりたかった。いつか、一瞬でも、そこへ行けるはずと信じて、踊りの練習をしていた。「音楽が先生です」「音楽になるのです(Be the music!)」と教わっていたから。
でもいつまでたっても、音楽だけになることができない。
いつまでたっても初対面の人が恐ろしい。わたしに体があるために、それを傷つけられるかもしれない恐れがつきまとう。
お金を持っているがゆえに、泥棒をおそれる人みたい。
この体に安心して安住して、そのすばらしさを享受するってことができない。
というか、この体にほんとうに安心して安住するってどんな感じかな?と、想像をめぐらすことが、やっとでき始めた、ということ。。。
ほんとうは、天からお借りしたひとかどの土地であるこの体に、心から安心して住まっていたい、ってことが、わかった。。。!
そのためには、体を、自分を、もっと守らなくなる、ことが必要なのかな。
もう十分、自分でできる範囲できっちり守ってコントロールを固めてきたんだから、そうやって自分でできることをし尽くして行き詰まったんだから、これからはすこし、「自分」からはみ出るなにかに、まかせてみたらどうなんだろう。。。
Reckless abandon.
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