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2010.05.31

夏支度

ここしばらく、ずぅっとぱたぱたしてましたが。。。ようやくぼちぼち、ほかのことに手をつけられるようになってきました。ということで、夏支度、はじめました。

Img_6499夏支度その1。

緑のカーテンを仕込みました。

大家さんから、「この家は冬はあったかいけれど、夏はあっついですよー」とおどされているので、緑のカーテンは必須かと。。

ことしはゴーヤがメインです。シカクマメは残念ながら種をまいたけれど発芽しなかったので、苗をつくれず(涙)。

ヒマワリとフウセンカズラもついでにまいてみました。。でもまだ彼らの行方は不明です。

Img_6464 Img_6503 それと夏野菜の準備です。トマト、いんげん、大豆(枝豆)、じゃがいも、葉物など。

越してきたばかりで、軒先の土の状態も不明なので、とりあえず今年は、豆類をメインに植えるところからはじめます。。

豆を植えると、豆が地中にチッソを出してくれて、土がよくなるそうなのです。

昔の人は、大豆をまくとき、「1つは鳥のため、1つは虫のため、1つは収穫のため」と3粒ずつまいたそうです(スロービジネススクールのコーチョー、中村隆市さんが教えてくださいました)。

そんなわけで、わたしも3粒ずつ蒔きました。

Img_6505 じゃがいもは少し前に植えたのが、立派に大きくなってびっくり。

芽が出て、植物が育つ、というのを目の当たりにすると、それが「自然」なことなのに、やっぱり毎回びっくりします。

ミラクルだ、と思う。。

Photo 今回蒔いた大豆や葉物の種は、スロービジネススクールの仲間から分けていただいたものです。

すてきなイラスト入りで、蒔きどきなどの説明を書いた紙に包んで届けてくださって、封筒をあけたとき、「わぁ!」とうれしくなりました。

* * *

Img_6471 Img_6467 夏支度その2。

網戸を手づくりしました。はめこみ式の網戸。

初挑戦です。

近くのホームセンターで木やネジや網戸ネットを買ってきて、ノコギリと、ネジまわしと、トンカチを使ってつくりました。

ローテクすぎて、とっても時間がかかったけれど、難問をのりこえたり、工夫をしたり、汗をかいたりして、たのしいプロセスでした。

お金もあんまりかからなかったし、ちゃんと使えるものができたので、よかった☆

さらに設計を改良して、あと2枚つくりたい。。。。

* * *

Img_6477 Img_6478 Img_6481夏支度その3。

昨日、大家さんが、甥っ子さんと一緒に、庭のヤシの木から払った葉っぱを、サンルームの屋根の上にふいてくださいました。

これで夏場、ずいぶん涼しくなるとのこと。

なんだか南の島の家みたいになって、うれしい :) 

ものの10分もしないうちに、おふたりがヤシの葉っぱをふきおえちゃったのも、おどろきでした。

* * *

Img_6516 夏支度 番外編。

今日は梅干しの仕込みをしました。大家さんの家の前の梅の木から、もいでいいですよ、と言われていたので、お言葉に甘えて、ちょうだいした梅。初々しい緑色。

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2010.05.14

住み分けの工夫

Img_0178 少し前の暑かった日、アリがキッチンのはちみつのつぼに集合してきていました。にゃみちゃんのお魚の缶詰にも。

これは困るな、と思って、アリ用に、食べ残しの月餅を、通り道らしき場所などに置いて「これは食べてよいです、でもはちみつとにゃみのごはんは食べないで」というメッセージに変えました。

そして外出して、帰宅すると、屋外においた月餅はきれいになくなり、室内のにゃみのごはん皿の手前に置いた月餅は少し減っていた。でもにゃみのごはんには、やはりアリが集まっていました。

直接本人たちに伝えなかったから、わかりにくかったでしょうか。。

仕方ないので、減っていた月餅も屋外へ置き、にゃみのごはんに集まっているアリはチリトリとほうきで捕獲して、外に離しました。

翌日の朝まで、何匹かこうして捕獲しては外へ移動してもらうことを続けました。

そしてその後は、今のところ、再来はなし、です。気温が低くなったせいかな、とも思うのだけれど。。これからも定期的に屋外にアリ用のごはんを置いてあげればよいのかな、と思ったり。。

夏になって暑くなったときにそなえて、アリにやさしい対策はないものか、と今しらべていたら、ハッカの結晶を通り道に置いておく、というのを見つけました。

これはよさそうです。忌避剤として働くそう(タンスの防虫剤にもよいそうです)。共生と住み分けを上手にできればよいな、と思っています。

* * *

でもじつは、虫は話がわかるような気が、最近しています。

出くわしたときにわたしが反射的に「虫だ!駆除だ!」という反応をしないで、落ち着いてコミュニケートできると、虫のほうも、住み分けに協力的になってくれるような。

最近は、落ち着いて、ひとときのあいだ、虫と空間を共有できるようになりました。外への出口がわからず困っていそうな虫にも、落ち着いて手を貸せるようになってきました。

でもまだ心のどこかに、刺す虫は怖い、刺されたくない、という思いもあったりします。

ああ。でもそういえば、前の家でノミが出て、困って、ノミと遠隔コミュニケーションを図ったとき、「ペパーミント」という文字が白板みたいなところに書いてある映像が送られてきたことがありました。

「ペパーミント?はて?」と思ったけれど、後で調べたら、ペパーミントがノミの忌避剤になることがわかりました。ノミとしては殺すよりは忌避剤を使ってもらいたい、ということだったんですねきっと。(でも結局ミントなどの精油は猫の体にはよくないので、使いませんでした)。

ハッカとミントは一緒だし、ハッカの結晶なら精油ほど揮発性が高くなさそうだから、猫がそばに寄らない限りは大丈夫かも。。

刺す虫とも上手に住み分けできるとよいな。

* * *

追記(6月15日)

もうアリたちはすっかりやってこなくなりました :) 薄荷水を吹きかけ、薄荷の結晶を通り道らしきところに置いて、あとははぐれアリがいたら外へ移動させるのを、1週間くらい続けたでしょうか。。

米飴のつぼは、外にまだ置いています。そこにはみんな来てる。うれしいです。

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2010.05.04

すきな理由? その2

連休中ですが、家でのーーーーんびりしているのがこのうえなく幸せな今日です。

この島は今全般におやすみデイズで、遊んでいる人が多い、と思うと、こころが安らぎます。(遊べないで逆に忙しくなっている人もいると思うのですが。。。そして自分はGW明けの締め切りがあって、そんなにあそべないのですが。それでも、まわりの空気がユルくてお天気もいいので、たいへん機嫌がよいです)。

Img_6444 さて、猫もだいすきですが、ミュージシャンのカジヒデキさん。すきなのです。

自分のアイデンティティからすると、なんで?と思ったりもするんだけれども、やはりどうしても幸せになるのでした。

先日、幸運なことに相方がチケットをとってくれてたので、カフェライヴに行きました。開場時間より少し早く着いたので、近くのカレーやさんでカレーを食べていて、ボンヤリしながらふととなりのテーブルをみたら、カジくん本人がそこにいてびっくりしました。

あまりにびっくりしたので、まるでなにごともなかったようにしてしまいました。。(シティーカントリーシティーで曽我部恵一さんに出くわしたときは、びっくりしつつちゃんとあいさつもできたのになぁ。。)。

カフェライヴでは、ある1曲のとき、「ずいぶん楽しそうに演奏してるなぁ、なにがあんなに可笑しいんだろうなぁ」とほほえましく見てたら、じつはギターを演奏する左手の指がつっていた、ということがありまいした。

曲の途中で、にこにこしつつ「みんな、あいしてるよ~」とかなんとか言いながら左手を上にあげて振ってくれてた(正確には指をシェイクしていた)のは、つった指をどうにかしようとしてのことだったと後でわかったんだけれど、ああいうときのとっさの対応まで、なんだかいいなあと思うのです。

(あいしてる、といいうのはちょっとベタ過ぎるのだけれど、カジくんがいうと、泡の立つソーダくらいの軽さしかありません)。

存在感も楽曲も、泡の立つソーダみたいに軽やかで、言葉遣いや人への配慮には愛と尊敬と礼儀があって、そしてブリティッシュな、パンクなところもあって、とにかく自分のすきなこと・人がたのしいことを、周囲に迷惑かけず、自分の中での葛藤も特になしに、楽しく機嫌よくやっているように見えます。

(存在感としては、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』の主人公コランのようです。『日々の泡』から、コランについて少し抜粋:「女の子にはやさしく、男の子には明るく話しかけるのだ。彼はいつでも何となく上機嫌だったが、そうでない時間は眠っていた」

そしてなによりも、曲がすごいです。アルバムをヘッドフォンで聞くとハイになります、ポップでかろやかなのに、細部まですごく密度というか精度の高い音楽だ、と思います。

あとはやはり、人間だとは思えない、というか、人間臭がしない。。。 ひょっとしたらほんものの天使なのかもしれないぞ、と思うことがあります(『日々の泡』のコランについてもそう感じる。。まぁあちらは小説の中の人だけれど)。

なんか『日々の泡』を久しぶりに読み返したくなってきました。。。お天気もいいし、散歩がてら!

 

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2010.05.03

すきな理由?

Img_6139 相方によく似た顔の野良猫に会った、と知人からメール。

それを読んで、前もほかの友達が、「知り合いの家の猫が(ゆ)さんに似てる」と言ってたのを思い出しました。

そう、たしかに頭に耳をふたつつけたら、かなりの猫顔だなぁ、と思いました。

それで思い出したのが、先日、あるカフェで会った犬のこと。

わたしは猫好きで、基本的に犬にはそこまでときめかないほうなんだけれど、その犬にはとてもときめきました。こげ茶のまだらな短毛で、中型で、スラっとしていて、ちょっと野良犬みたいな風貌のある犬。話をすると、話したことばが額にすうっと入っていくような感じがしました。とても落ち着きのある、かわいい犬で、「こういう犬となら一緒に暮らしたいな」と思ったのでした。

翌日、道を自転車で走っていたら、犬の散歩をしている人がいて、そのゴールデンリトリバーみたいな犬を見たときに、「昨日のカフェの犬にあんなにときめいたのは、あの犬は垂れ耳じゃなくて、耳が猫型だったからだ!」と気づきました。

つまり、犬なのに、猫顔だった、ということ。。。 猫に似ている犬だったから、ときめいたのだなと自覚したのでした。

ひょっとすると、相方も「猫顔」だったことが意外とポイント高かったのかもしれないです。。

猫、好きです。小さいころ(はっきり記憶のあるのは小学校低学年くらい)から、ずっと好きで、今になっても好きで、毎日一緒に暮らしていて毎日うれしい。。。思えば、物心ついたときから今まで一貫してずっと好きだったものって、そうたくさんはないよなぁと今朝考えていました。

小さいころ家には犬(マルチーズ)と小鳥と九官鳥いました。だから猫が飼えるハズもないのに、わたしはなんどか、学校の帰り道に会った野良猫の子猫を家に連れ込んで、内緒で物置で飼おうとしたりしていました(犬も鳥たちも好きだったんですけれど。。なぜか)。

ミルクをお皿にいれて物置に持っていくのだから、当然母にバレて、遠くに捨ててきなさいといわれ、泣いたものでした。おふとんに顔をうずめて泣いたときのことを覚えています。

犬と小鳥がいるんだのに、どうしてあんなに猫と暮らしたかったのか。。。

父の転勤で引越したとき、犬と鳥と兄と姉と祖母と離れ離れになりました。父と母はきょうだいと引き離されたわたしをかわいそうにおもってくれたらしく、このときついに、我が家に猫がやってきました。わたしが14歳のときでした。両親の知り合いのところで生まれたという雑種猫。

わたしにとって、手乗りサイズの小さな子猫は、見知らぬ土地でいちばん最初にできた友達でした。うれしかった。。!

カーテンによじのぼったり、植木でオシッコしたり、やんちゃほうだいだったけれど、目にいれても痛くないほどかわいくて、うれしかったです。わたしのところに来てくれてありがとうってなんども思いました。

おいしいものも毎日食べたら飽きる、というけれど、猫の顔だけは、毎日見ても毎日かわいさがぜんぜん薄れないのが常々不思議でした。今でも不思議。

ある雨の日、おふとんで猫とくっついていたとき、猫の毛の感触があって、外の雨の音が聞こえていて、ほかになにもいらないと心底思ったこともありました。

あのピンと立った完璧な耳の形に今も日々みとれます。

毎日、今日も元気でいてくれてありがとう、と猫に言っています。



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