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2010.07.28

今日は長い話です。。

Img_6716 今日はひさしぶりのお休みデイ。相方は都内で仕事なので、ひとりでおゆうはんをゆっくりつくって、食べて、今はキャンドルをともして、のんびりしています。

最近、物忘れが激しくなってきました。

そのうえに、この暑さ。思考が停止してしまうほど暑いので、なんだか人生がシンプルになります。(よけいなことをあれこれ考えられなくなるから)

でも、このところ、考えるともなく考えていること、というのがあって。

それは、こころの中に巣くう「コンプレックス」や「罪悪感」について。

* * *

わたしは、小学生のときに、複数の男性から、性暴力に合いました。
よく知っている人と、見知らぬ人の、両方です。

よく知っている人のほうは、その人のことを慕ってもいたので、誰にも言いませんでした。

よく知らなかった人のほうは、母にすぐ言いました。母は、わたしが被害にあった場所が「精神病院」の裏手にあたるから、きっと患者の人だ、そういうことをした人は精神の病気なのだから仕方ない、という意味のことを、小学生のわたしに言いました。

わたしは、だから、砂利道にわたしを寝かせて、その上に馬乗りになって、「声をあげたらぶっ殺す」と言って、こぶしをわたしの顔の前にふりかざしたその男性が、そういうことをしたのは「仕方ないことだった」と考えて、それ以上どうするでもなくすごしました(近所でその人を見かけたときには、相手に気づかれる前に逃げたけれど)。

よく知っている人のほうも、大人になってものごとがわかるようになると、「あの年頃の男の人は、そういうことに興味が沸いてどうしようもない時期なのだから、ほんの好奇心からだったんだ、あれも仕方なかったんだな」と思うようになりました。

「仕方なかった」ことだったから、どちらの人に対しても、恨みつらみは感じませんでした。もっとひどいことをされている人に比べてら、ぜんぜん大したことはされていないし、それに被害にあったときの事実関係をわりと細かく思い出すことができるし(どう感じてたか、という感情の部分だけは消えてるけど)、ごく親しい人になら平気で話すこともできるのだから、これはちっともトラウマではない、わたしにはぜんぜんトラウマ体験なんかない、と思っていました。

でも、ちょっとしたきっかけで自分がヘンな壊れ方をする、という場面に出くわして、自分でも「なんでこんなことで、こんなふうに?」と不可解だったり、人からも「あなたには記憶の闇に葬り去ったトラウマ体験があるに違いない」と言われたりして、どうもなにかあるらしい、と今になって思うに至りました。

それで数ヶ月前に、この過去を見直したいな、と思い始めて。。。そうしたらパートナーが『リンダの祈り』という、子どもの頃に性暴力に合った方の本や、そのほかの性暴力関連の本を、もらってきてくれました。

それらを読んだら、いろんなことの、つじつまが合い始めました。

どうして「自分は悪い人間だということを人にバレないようにしなくちゃ」と感じてきたのか、どうして初潮を迎えたとき、すでに生理について学校で教わっていたし友達も生理になっていたりしたのにもかかわらず、それが生理だとわからなかったのか(最初はすぐ血が止まるかと思い、でも止まらないので本気で病気になったと思い、しばらく悩んだ末に母に打ち明けたらその晩にお赤飯が出てきて面食らった)、どうしてしょっちゅう金縛りに遇っていたのか、どうして泌尿器系に疾患があったのか、どうして自分の胸が大きく見える衣類がキライなのか、どうして「知らない人」に対する過度の恐れがあるのか、どうして「この人はまっとうな理由があって怒っている」とわかる人でも誰でもとにかく「声を荒げる人」はニガテなのか、どうしてすぐ「死んだら終わりにできる」という発想をするのか、etc etc etc。

自分では「そんなに大したことじゃないし」とか「ぜんぜんトラウマなんかじゃないもんね」と思っていたことが、思いのほか全般的な影響を及ぼしていた(かもしれない)ことに、思い至りました。

* * *

子どもの頃に性暴力にあった、という事実は、「なるべく隠しておかないといけないこと」「恥ずかしいこと」だとつい最近まで思っていました。(図書館で、性暴力関係の本を借りるときも、タイトルを言うのが恥ずかしくて、ケータイの画面にタイトルを表示して、図書館スタッフに見せたりしました。)

でもこうして書いている今日は、なぜか、ちっともそう思わない。。。ので不思議です。

わたしの中で、「わたしはああいう目に合うのにふさわしい人間だったんだ」、「あれは自分のせいだったんだ」「自分は悪い、暗い、重い」という意識が、薄まってきています。

ほぼ無意識に、自分の中に巣くっていたそういう意識が、内側から自分を食い荒らしていたことに、どうやら気づけたみたいです。

食い荒らされたままになっていると、なにか「いいこと」「たのしいこと」「よろこばしいこと」があっても、それらをまるまま受け取りにくくなるようです。「自分はそれに値しない」、「なにかの間違いだ、あとでバチが当たるに違いない」、「かなりの苦労と努力と忍耐と引き換えない限り、そういうことは受け取れないはず」という考えになるから。。。

「自分はそもそも悪い人間だったから、そういう目に合ったんだ」と思う場合もそうだし、誰かに対してうしろめたいことをした人が「こんなことをやってしまった」と思う場合も、こころの中が「食い荒らされている」のは同じだと思う。。

自分は悪い人間なのだ、という意識がこころのどこかに巣くっていると、どれだけがんばっても、「自分にやさしく」とかするのは難しいし。。。なにかがうまくいったあとには、それを打ち消すようなことをしたり思ったり、苦労や犠牲をほかのところで払いたくなってしまいます。

苦労しないと恵みを受け取ってはいけない、という意識はつまり、いつでも「取引」の意識でいるわけで。。。「ありがたいなー」と「感謝して、受け取る」のも難しくなる。。。

* * *

Img_6691 思ったことは叶う、だから「悪いこと」でなく「いいこと」を考えよう、自分の望みに意識を合わせよう、というふうに、よく言われます。自分にやさしくしよう、ということも。

でも、自分の望みに、ほんとうに曇りなく疑いなく意識を合わせられるようになるのは、「自分は悪い人間なのだ」という思いがふっきれたあと、なのじゃないかな、と(自分の場合に照らして)思います。

コンプレックスや罪の意識は、ハワイのカフナに伝わる教えでは「thing eating inside」(内側を食い荒らすもの)と呼ばれます。これがあると、自分の神々しい部分との接触を断たれてしまうそうです。だから罪の意識やコンプレックスを、被害者の中にも加害者の中にも残さないようにすることが、とても重視されていて、それを「きれいにする」方法論がハワイでは発達していたそうです。

ホ・オポノポノという手法は、そもそも、加害者は心から相手に謝って許しを請い、被害者は相手を完全に許して、すべてを水に流す、そうすることで双方の中に罪の意識、恥の意識、コンプレックスなどを残さない、というものだったようです。

キリスト教では、許しは神が与えてくれるもの、とされますが、ホ・オポノポノでは許しを与えられるのは実際の相手だけだ、という認識。とても実際的でパワフルな手法だったことがうかがえます。

日本では4人に1人が、性暴力に合っているという統計があります。グレたり犯罪者になったりする人が子どもの頃性暴力に合っている割合も、ものすごく高いそうです。そして性暴力は世代間で連鎖する(被害を受けた人が、今度は加害者になる)ケースも多いそうです。

自分が受けた暴力を、ほかへ連鎖させないこと。自分が犯してしまった罪を、繰り返さないこと。その両方のために、被害者・加害者双方のこころの中に「thing eating inside」を残さないことが、ものすごく大事だということを、いにしえのハワイの人たちは知っていたんだなーと思います。そもそも誰もが、加害者でもあり被害者でもあることを。。。

* * *

Img_6470 わたしの中の「thing eating inside」はまだ暴れるけれど、でも少しずつ、ほんとうに虫も動物も植物も人もみんなが幸せに共存するとこへ行きたいと、自分の中で横ヤリを入れずに、そう思えるように、なり始めたこの頃です。

「これは悪いことだ」とわかっていながらなにかをやるのも、知らずにやっていたことが誰かを傷つけていると知ったのに、それに目をつむるのも、「罪悪感」という「thing eating inside」を残すだろうな。。。

自分は被害者だ犠牲者だ、というアイデンティティを持ち続けるのも、「コンプレックス」という「thing eating inside」を残すだろうな。。

どちらも、わかっていてもやめられない、という部分があるのだろうな。。。

そこをどうするかが、工夫のしどころなんだろうな。。。。。。

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コメント

なきそうになってしまった…。
「わたしは悪い子なんだ」と子供のときに意識づけてしまった人、すごく多いと思う。
それを抱えたまま生きるのをやめるにはどうするか、意識の向け方の癖でもあるから、少しずつ修正していくしかないのかな。
いろいろ考えさせられました。「モンスター」作用だったとしたらごめんね…。

投稿: さっちゃん | 2010.07.30 07:57

さっちゃん、
ありがとねん。
そう、ほんとに「意識の向け方の癖」だからね。。少しずつかなぁ。
わたしの場合は、いろんな本を読んで、「あれはほんとうに、私が悪いんじゃなかった」ということを繰り返し繰り返し(本から&相方から)言い聞かせてもらうことが、ヘルプになった気がするよ。
あとはホ・オポノポノのクリーニングをずっと続けてきたこともかな。。

このことはここ数ヶ月ずっと取り組んできたことだったんだけど、そうだね、こうして思っていることを外に出そう、となったきっかけは、こないだの、イラクでの米兵のレイプ殺人事件の記事と、さっちゃんが教えてくれた映画「モンスター」のことが、両方あったかも。

教えてもらえて、よかったよ。。! ありがとね。

投稿: な | 2010.07.30 11:50

そうなのか…。
あたしはまだ外に出すにはものすごく勇気がいる。
「いい子じゃないと嫌われる」みたいな観念が、まだまだ強いから。それを自分の子に無意識に伝えていると思うとものすごく可哀相になる。
あと、自分が虐げられたとき、ちょっと安心するというか、やっぱりな、みたいな気分になるんだよね。それって絶対間違ってるのにね。
ホ・オポノポノのことも知っていて、時々ためしたりしてるよ。ほんとに少しずつ、やっていくしかないのね。

投稿: さっちゃん | 2010.07.30 21:49

さっちゃん、
(み)ちゃんは、だいじょうぶだよ :)
そう思う!

だってさっちゃんはこんだけすでに気づいているんやもんね

投稿: な | 2010.08.01 13:06

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