きっとふつうに
ときどきこの世に生きていることのわけがわからなくなることがあって、どうしようもない気持ちになるのだけれど
そんなときにゃみちゃんの顔を見ると、
「あ」
と、生きていることの意味を知るのでした。
わたしはもうほんとうに、にゃみちゃんを尊敬しています。
+ + +
今回の選挙は、もう投票に行かなくてもいいや、というくらい、最初から不思議となんの期待も持てずにいて。
でもやはり清き一票であるよ、と思って、ざざぶりの雨の中、傘さして投票に行ったのですが。
そのあと、開票結果を知りたいと思う気持ちさえなく。翌日の新聞の一面の大見出しで、結果を知りました。
なんてことだろう、とがっかりしましたが、でも最初から、もう「人」に向かってなにかをやる、願う、思う、伝える、ことは飽和している、と感じてたのでした。
この感覚は少し前からあって、働きかけるべき対象というか場所(自分にとって、ですが)は、ほかにある、と思っているようなふうです。
たとえば、虫とか。
食べ物とか。
そして相手を敬うことと、すべてを明け渡すことは違う、ということを、最近、学び中のような気がしています。
敬いながら、線引きして、共存する、といような。
動物や植物や微生物だったらきっとふつうにやっていそうなこと。。
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