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2010.09.28

とりとめもないこと

Img_6935←今日のにゃみちゃん。キッチンにいると保護色状態。

昨日だったか、今朝だったか。。なぜか突然「ハクリタバイ」という言葉が頭の中に出てきて、しばらくとどまっていました。

「薄利多売」のことかな。。

「コウリシュギ」ということばも、昨日くらいから、頭の中にあるともなくある。

「功利主義」のことです。

ここ数日特に、利益とか得とかいう面からものごを考えることってどうなんだろう、とギモンに思っているからだろうと思います。

役に立つかどうかとか、ためになるかどうかとか、そういう尺度が、あまりにも浸透しすぎなんでないだろか。。と自分の思考回路を観察してみています。

そこから離れた時間をもちたい。

* * *

今日はあかねいろの夕焼けを見に浜辺に行って、腰掛けていたら、サーファーが2人海からあがってきました。そのうちのおひとりの、女性サーファーの脚線美に見とれていましたところ、通り過ぎていったその人がわたしたちの背後で遠くの空を指差して

「あっちの空、あれ、雨だよ雨。。。ゲリラ雷雨?霧みたいにけむってる。。洋服着ている人は気をつけてください」

見回すと、付近にいた人のうち、洋服着ていたのはわたしと相方と、あと向こうのほうに1人だけ。あとはみなさんウェットスーツ。

洋服着ている人のほうがマイノリティなのっておもしろいな、と思いました。

そしてウェットスーツの彼女の「洋服着ている人は気をつけて」という、見も知らないわたしたちへの一言のやさしさを、思いました。

ウェットスーツ姿の人を見ると、アザラシの妖精が出てくるケルトの神話(民話?)をいつも思います。アザラシの妖精は、Selkieとか「アザラシ乙女」とかとも呼ばれる。

そのお話では、わたしの記憶によれば、のバージョンなんだけれど。。天女の羽衣みたいな位置づけで、アザラシの皮が登場するのです。このアザラシ皮を、地上の人間の男性に隠されてしまって、アザラシ乙女は海に帰れなくなる。

でも地上の男性との間にもうけた息子が、あるとき隠してあった皮を見つけて、これはなんだろうと不思議に思いつつ、母に渡すのです。母はそのアザラシ皮をまとって、喜んで海に帰っていく。。

以後、彼女が陸の生活をすることはもうなく。。でもかつての夫であった漁師が船で海へ出るときには、無事に漁ができるように、海からいつも見守ってあげているのだそう。

そして息子は海と陸、両方をホームにして暮らしていく、という。。。

そんなわけで、アザラシの皮に似た、黒っぽいウェットスーツには、どうにもあこがれがあります。

サーフィンはまだまだ、自転車でいうなら「三輪車にのって後ろから押してもらってる」状態だけれど、なんだかすごく「アザラシの皮」がほしくなってきたこの頃です。

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2010.09.27

足あと

眠りのタイミングを逃してしまって、珍しく深夜の時間をすごし中。外はしとしと雨降りです。

少し前に、たいぶん暗く後ろ向きなポストを書いてしまったこと、ちょっと後悔しています。

自分の中では、あれも自分なのだから、周縁化せずに置いとくことにする、と腑に落ちてはいるけれど、外に出すことはなかったかもな、と。。。

twitterもfacebookも、みんなそれぞれにこうして暮らしてるんだなってわかるのは、やっぱりいいな、と思ったりしてる今日です。

まあでもあれも、暮らしの中の、ひとつの足あとなだけだから、こう反省するまでもないか。。。

Img_6876 写真は先日、相方のバースデーを過ごした浜辺。

わたしのつけた足あとは、わずか3回の波で、ほぼ消えました。

なんだかうれしかった。

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2010.09.24

秋なので

Img_6863 数日前まであんなに暑かったのが夢のよう。。(写真は暑い日に庭を散歩して葉っぱの中に頭をつっこむにゃみちゃんの図)。

今年は夏になったときも急に暑くなり。。秋もこうやって急にどん、とやってくるのかな。。

すっかり、読書の秋になっています。

といっても、ここしばらくの「あたま使いすぎ状態」がやばい域に入っているので、頭を休めるためのものを読んでいます。

相方が図書館でひょいと見つけてきた1冊が、ヒットでした。

以前(4年前でした)、「新宿といえば、BERG」というポストをこのブログに書いたけれど、その当時から大好きだった、この新宿の小さな飲食店BERGの副店長、迫川さんが、この秋、出した本。

 Photo 『食の職  小さなお店ベルクの発想』(迫川尚子著)。

迫川さんは、写真家でもいらして、以前、いつも徘徊(?)して撮っているらしい新宿の写真集を出されたときも、ああ、いい写真だなあーと思ったものですが、

今回、文章も、やっぱりとても気持ちよかったです。

なんでしょうね、心意気と、バランス感、そのあたりでしょうか。。

4年前のわたしは、ただ漠然と、BERGは私的にNG要素がいっぱい(店内がごちゃごちゃしている、人がいっぱいいて隣席の人との距離も近い、タバコ吸う人がいるetc)なのに不思議とすごい居心地がいい、それに食べ物がなんか「きれい」だ、と感じてたのですが、

今回この本を読んでみて、なるほどなぁ、ここまでのことをしてたんだったら、居心地よく、食べ物も「きれい」に感じるはずだや~、と腑に落ちました。

少し前に、『お金のいらない国』(
長島龍人著)という本を読んだときに、仕事とお金を切りPhoto_2離して考えてみると、こんなに景色が変わるんだなぁと感じたんだけれど、

迫川さんの本も、そのあたりのところが、共通している気がした。(けっしてお金の現実を否定しているわけではないんだけれど、仕事をする意味、そのエンファシスをどこに置くかというところ)。

「お客様に『どうだ!』って出す、あれがやりたくてやってるとこがありますから、その快感がなくなったらやってる意味がないんですよね。ちょっとでも後ろめたいことがあったら、やってる意味がない。自分たちが満足できる最高のものを出す、という。それに尽きます」(本の中に出てくるBERG店長の井野さん談)

BERGに食材を卸している職人さんたちとの対談が、読み応えありました。

こういうふうに仕事に向き合って、仕事をおもしろがっている方たちがいるんだ なぁ。。。 大変な思いをしながら、(時に体を壊しながらも)、やっぱりおもしろいからなんだなぁ(こう書いてしまうときれいごとに聞こえるかもだけれど、きれいごとではなくって。。)

翻って、自分と自分の仕事の関係は。。。。どうかなぁ。。とか考え始めてしまいそうになるけれど、そこでストップ! 

今の自分は頭の中でぐるぐるしないようにして、頭を休める練習中なので。。材料を入れたら、いじりまわさず放っておいて、「時間調理」することにします。。。

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2010.09.17

暗さから

Img_6712 twitterやfacebookや、友人知人のブログを読み漁っているときのわたしは、なにかを求めていて、でも求めているものに出会うことはない、という感覚を持っていて。

今日もそうでした。

で、もうtwitterもfacebookもやめようか、と思ったのだけれど。

そんなとき、さきほど、1人の友人(と呼んでいいかな)が、今夜、書いていたことを読んで、あ、これ、と。。。

いつ会っても元気ハツラツな彼が、そこはかとない絶望感と、言葉にならない悲しさについて、彼ならではの正直さで書いていました。

こんなにもうすら暗くて重たく、胸つぶれた状態で今ここにいるのは、自分だけのような気がしていたから、少し救われた。

他にも、今日という日をこういう感覚を持って過ごしてる人がいるなら、ひょっとしたらなにか、わたし個人というよりはおっきな要因があるのかもしれない、とか、考えることもできたりするかも、と思うから。

+ + +

こんな自分の状況を、自分なりになんとかしようとはしていて、すてきな魔法の本やセルフヘルプの本を借りてるのを、読もうとするのだけれど、読もうとしてもものすごいだるさが襲ってきて、本を開くとすぐ眠りに吸い込まれる始末。

思ったことが現実になるから、思う内容を前向きな内容に変えればよい、と書いてある本。

どうしても読めない。。今日は、いちばんしていたいことはなにかといえば、おふとんの上で丸くなって、世界からひきこもって眠っていたかった。

でもそれができなかったから、かわりにエネルギーを仕事に向けて、一心に仕事した。

ずいぶんプラスに転化できたぞと、前向きな自分を喜んだけれど、でもやっぱり通低音。暗く低く絶え間なく響く音がそこにあって、どうしても振り切れないのでした。

その前向きな努力の感じも、それでもそこにあり続ける通低音の感じも、友人の彼とは共通してました。

自分に似た暗さを抱えた人がいることに、なぐさめを見出すのはどうかと思うけれど、でも、そこには、自分をわかってくれる人がいるかもしれない、という希望の感覚があるのも確か。。

求めていたのは、励ましでも、楽しい出来事でも、やさしさでもなくて、わかってくれる存在ということだったみたい。わかるよ、と言ってもらう必要もないくらい、近い体験を共有していることが感じられる人。


ねこのにゃみちゃんが今夜は自室にひっこまないで、わたしのとなりでずっと寝てくれていて、やさしいな、と思う。。

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