とりとめもないこと
昨日だったか、今朝だったか。。なぜか突然「ハクリタバイ」という言葉が頭の中に出てきて、しばらくとどまっていました。
「薄利多売」のことかな。。
「コウリシュギ」ということばも、昨日くらいから、頭の中にあるともなくある。
「功利主義」のことです。
ここ数日特に、利益とか得とかいう面からものごを考えることってどうなんだろう、とギモンに思っているからだろうと思います。
役に立つかどうかとか、ためになるかどうかとか、そういう尺度が、あまりにも浸透しすぎなんでないだろか。。と自分の思考回路を観察してみています。
そこから離れた時間をもちたい。
* * *
今日はあかねいろの夕焼けを見に浜辺に行って、腰掛けていたら、サーファーが2人海からあがってきました。そのうちのおひとりの、女性サーファーの脚線美に見とれていましたところ、通り過ぎていったその人がわたしたちの背後で遠くの空を指差して
「あっちの空、あれ、雨だよ雨。。。ゲリラ雷雨?霧みたいにけむってる。。洋服着ている人は気をつけてください」
見回すと、付近にいた人のうち、洋服着ていたのはわたしと相方と、あと向こうのほうに1人だけ。あとはみなさんウェットスーツ。
洋服着ている人のほうがマイノリティなのっておもしろいな、と思いました。
そしてウェットスーツの彼女の「洋服着ている人は気をつけて」という、見も知らないわたしたちへの一言のやさしさを、思いました。
ウェットスーツ姿の人を見ると、アザラシの妖精が出てくるケルトの神話(民話?)をいつも思います。アザラシの妖精は、Selkieとか「アザラシ乙女」とかとも呼ばれる。
そのお話では、わたしの記憶によれば、のバージョンなんだけれど。。天女の羽衣みたいな位置づけで、アザラシの皮が登場するのです。このアザラシ皮を、地上の人間の男性に隠されてしまって、アザラシ乙女は海に帰れなくなる。
でも地上の男性との間にもうけた息子が、あるとき隠してあった皮を見つけて、これはなんだろうと不思議に思いつつ、母に渡すのです。母はそのアザラシ皮をまとって、喜んで海に帰っていく。。
以後、彼女が陸の生活をすることはもうなく。。でもかつての夫であった漁師が船で海へ出るときには、無事に漁ができるように、海からいつも見守ってあげているのだそう。
そして息子は海と陸、両方をホームにして暮らしていく、という。。。
そんなわけで、アザラシの皮に似た、黒っぽいウェットスーツには、どうにもあこがれがあります。
サーフィンはまだまだ、自転車でいうなら「三輪車にのって後ろから押してもらってる」状態だけれど、なんだかすごく「アザラシの皮」がほしくなってきたこの頃です。









最近のコメント