見守る
今年の夏は、いつにもまして、海のうつくしさが、身に染みます。ね。
このところ鬱の波、だいぶんかぶりましたが、海と太陽と相方とともだちに、助けられて、今日に至ります。
ありがと、です!
前回書いた指先のこと。あのあと、腫れがマックスに達しましたが、そのマックスに達しはじめる前の朝、目覚めてふと「やった、もう峠は越した」と感じました。つまり、痛みの峠。
それ以降は、見た目はどんどんひどくなっていきましたが、「もう大丈夫」と、落ち着いて、見守る日々でした。
マックスに腫れていき、いままで知っていた形の指先ではなくなり。。。そして局所的に色が少しずつ、緑。。緑っぽい黒。。にかわり、そのエリアがだんだんひろがり。。。健全なエリアとそうでないエリアの境目がくっきりしだし。。
と面白い経過を経て、昨日から、とうとう、皮がべろりんと剥けて、その下にあたらしい皮膚がお目見えしました。
膿があったと思うんだけれど、いつのまにか、膿は脱出していたようで、出た瞬間の自覚はなかった。
今回この指先の経過を見ていて、あらためて、からだが治ろうとする力はすごいな、と思った。。。
そして、ビジュアル的に、目に見えてヤバそうなときというのは、もう折り返し地点を過ぎた後だったりする、ということを、体感しました。
わたしは特に介入せずに、からだが自然に治る力に沿って経過してくのを、ただ見守ってたのだけれども。。。いや、ほんと、すごいね、からだ。
* * *
見守って、Let it be。
というのは、かなりアクティブな意識状態ですね。
そして、Let it be の be というのも、一見静的だけれど、かなり動きのある状態だったんですね。。。
Let it be doing what it needs/wants to be doing.
ということなのであって。。だって be することって、じつは、ぜんぜん静的なんかじゃないく。。なにであっても、なにごとであっても、be するなかで変わり続けているからね、わたしのこの指先の細胞たちみたいに。。。
beって、だいぶんダイナミックです。
最近、この見守るということに、関心があります。モンテッソーリの子育ち観でも、アレクサンダーテクニックの自分の使い方観でも、ここのところが、肝かな、と。
見守る、それでもって手を出さない。
もしくは、手を出す(貸す)なら、まずそのまえに、よく相手を見て、どういうふうに手を貸せば、相手の命の流れを尊重できるかを、考える。。。
そこをもうすこし、研鑽したいです。ほんとにわたし、「よかれと思って、エトセトラ」となること多し。。
見守る、気を向ける、という行為の中にあるエネルギー(気)、ほんとはそれだけでも実はすごく有効なんだろうと思う。




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