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2011.09.21

なぞの旅

Img_0512 いろいろに。。日々は過ぎていき。。書き留めておきたいことも、いろいろにあるのに、どうにも亀時間で生きるよりほか、あんまりなにもできなくなってきているこの頃。

時間が加速してるからなのか、自分が亀になっているからなのか、よくわからないのだけれど。。

とりあえず、こないだ、相方のお誕生日にプレゼントした、「なぞの旅」のことを。

事情あってお金がなくなってしまっている今月、上等なプレゼントは買えないので、「行き先不明のなぞの旅」をプレゼントするのはどうかな?と思いつきました。相方にきいてみると「どらえもんみたい!」と、なぞな喜び方をして、楽しみにしてくれました。

1週間以上前から、計画を練り始め。。調べたり、電話したり。これがとっても楽しかった☆

そして前日、秘かにおやつのスコーンを焼いて、コーヒー豆を煎って挽いて、持ち物の用意やテストをして、ちょこまかと準備。相方の携帯に明日の出発時間と、持ち物と服装の連絡メールを出しました(どらえもんの差出人名で)。

当日は、朝から電車にのって出かけました。最初に乗る電車の方向が、すでに相方の予想とは違っていたようでした。

アイマスクをしてもらって、駅を出て、ずうっと歩きました。ここまでくれば、もう今まで来たことのない場所のはず、というところで、アイマスクをはずしてもらうと。。。「ここはどこだ?」と。

Img_0568 そのまま少しあるいて、小さな映画館兼カフェに到着。

入ると、陽のふりそそぐカフェ。。でも時間がくるとカーテンが引かれ、明かりが落ち、スクリーンが前方の壁に降りてきて、映画が始まりました。Img_0561

「4つのいのち」という映画を見ました。人間と動物と植物とモノと煙と、主人公がどんどん移り変わっていく映画。せりふも音楽もない、それでいてストーリーはあざやかな映画でした。動物がたくさん出てきて、うれしかった :)

映画のあと、そのまま映画館のImg_0562窓際の席で、お昼ご飯を食べました。

この映画館、Cinema Amigoは映画のセレクトがよいなーと前から気になりつつ、なかなか来てなかったのだけど、ゆっくりお茶のみつつ映画が見れて、とって居心地よいところでした(映画代にお茶代が入っていたのもよかった)。

* * *

Img_7935 次は、バスに乗って、今まで行ったことのない場所へ。降りたことのないバス停で降りて、少し行くと、川沿いの遊歩道に入りました。

そこをどんどん川づたいに歩いていくと、ハイキングコースに。山登りのはじまりはじまり。凍らせて持参した水筒のお水をのみつつ。。

思ったよりハードな登りもあって、汗だくになって1時間ほど登りました。「たくさん歩きます」と案内状に書いておいたので、相方もハイキングかな、とは思っていたらしかったけれど、ちょっと汗だくになりすぎかな、大丈夫かな、と心配した。。。でも大丈夫だったみたいでした。汗いっぱいかいて、デトックスになったみたい。

頂上について、日陰のある芝生でひとやすみ。持参したりんごをむいて食べました。それから、お湯を沸かしてコーヒータイム。スコーンをお供に。Img_7942

コーヒーセットの包みと一緒に、ささやかな贈り物も包んでおいたので、ここでプレゼントしました。Tシャツ。汗だくになって「着替えをもってくればよかったなあ」と相方が言ったところだったので、さっそく着替えて、汗をかいたほうのTシャツはしばらく石の上で乾かすことに。

Img_7961 Img_7960 それから山頂でのんびりしました。

360度ぐるり広がる景色の中、とんびの飛行をながめたり。

頂上付近に洗濯物が干してあって、ここで暮らしてるふうな人がいるな、と思ったら、ここの展望台の開け閉めやなんかをしているおじさんがいた。

最初おじさんは寝ていたのだけれど、そのあと起きていたので、おじさんにもスコーンをあげたら、お返しにとお茶をくれた。おじさんの猫のくろちゃんもやってきて、ちょっとおしゃべり(くろちゃんという名前だけれど、キジトラ猫)。

頂上で夕日を見てから下山するのでも大丈夫かどうか、おじさんに聞いてみたら、上がってきた道とはもう1つのルートで降りるなら、道も広いし足場も悪くないし、今夜は満月の翌日だから明るいはず、大丈夫、と。

Img_7974 Img_7976 そこで、夕日を見てから下山することに。シルエットになった木々越しに、オレンジとピンクの夕焼けがきれいかった。

ものすごい声量の、虫の声のトンネルをくぐりながら薄暗闇を下りていきました。

数メートル先はまっくら、な状態になってきて、ヘッデンを点灯。足元を照らしつつさらに降りて。。。

Img_0579最後の目的地の灯りが、木々のあいだからちらほら見え始めました。

山を降りきる少し手前、ハイキングルートを少しそれたところに、農園を切り開いて、畑をやりつつ、アウトドア食堂を開いているショクヤボ農園さん。

Img_0581写真ではわかりずらいけれど、森と畑のあいだ、ところどころセンスよくライトアップしてあって、とってもいい雰囲気でした。

テーブルにアルコールランプを置いてもらって、とれたてのお野菜とおいしいお味噌で味付けしたおかずやごはんを、おなかいっぱいいただきました。

ふだんお酒は飲まないけれど、今日はお祝いだから、と地元産の「自然酒」というのを1人分だけ頼んだら、コップになみなみとつがれてきて、2人で飲んでも多 いくらいで。。でもお酒は得意でないわたしでも、おいしく飲めてしまった。頭も痛くならなくて、ポワンとほどよく気持ちよくなりました :)

最後にたのんだお味噌汁も、1人分がボリュームたっぷりで。。しかもものすごくおいしかった。

食後、大きな木に隣り合わせて吊り下げてあったブランコに座って、ゆらんゆらんしつつ、虫のオーケストラをしばらく聴いてから、帰途につきました。

帰り際、ショクヤボ農園の方が、「お誕生日の人は、どちら?」と尋ねてくださって、お祝いに、と今日とったばかりの茄子やししとう、オクラをくださいました。固定種のお野菜。うれしすぎました☆

今度はまた、明るい時間にお昼ご飯を食べにきたいなあと思いました。

* * *

はじめての、なぞの旅。自分にとっても初めての場所に行ったので、おもしろかった☆下調べするなかで、いろんなルートを考えるのも楽しかったです。

相方は、誕生日の2日前にパソコンのハードディスクが壊れてしまうというまさかのアクシデントに見舞われて、打撃を受けていたところだったんだけれど、この日は1日、だいぶんリフレッシュできた、と喜んでくれました。

プレゼントといいつつ、旅の費用は割り勘になってしまったのだけれど。。(自分の分の費用は、日々の生活費を節約して捻出。。節約ライフもまた、工夫くんで楽し♪)。

お誕生日がきっかけで、近所にもまだまだ知らないところ、行ったことないところがたくさんあるなあと、改めて知った次第。おかげさまな感じです :)

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2011.09.11

10年前と半年前と

Img_0526 10年前の今夜は、まだ私は実家暮らしで、二日後にお誕生日を迎える現在の相方(当時はまだ一緒になってなかったけれど)に、プレゼントするものを、縫い縫いしていたのでした。

たまねぎの皮で黄色ぽく染めた布に、針を運んでいたときに、テレビのニュースで、WTCにヒコーキが突っ込む映像が流れました。

わけがわからなかったし、同じ映像が何度も流れるばかりで、くわしいことがわからずだったけれど、目を離せなくて、そのまま徹夜してテレビを見続けました。縫い物をしつつ。。。

* * *

半年前の今夜は、午後の地震のあと、うちの地域に出ていた大津波警報と余震とにおびえながら、いそがしくいろいろしていたっけ。。

出先で足止めされてしまった相方や、そのほかの人に、とまれる場所情報や電車運行状況をツイッターで拾って送ったり、ごはんをいつもの倍量炊いて、おにぎりをたくさんつくったり、お風呂に水をためてあるのを確認したり、飲み水をいろんな容れものに入れて準備したり、アウトドア用品を押入れから出してきて、避難することになったら必要になりそうなものをリュックに詰めたり。。。

そしてインターネットのライブカメラで江ノ島の海の様子をちょくちょくチェックしていた。。大きく潮が引くようなことがあれば、その後津波がくる可能性がある、と思って。。暗くなって海が直接見えなくなっても、江ノ島の橋のところにとまっていたパトカー(?)の明かりは見えて、あの車がいるうちは大丈夫、と思っていたっけ。。。

ガスの元栓を閉めて、玄関に近いリビングにおふとんをしいて、懐中電灯とヘルメットと靴を枕元に置いて、コートを上掛けふとんの上からかけて、ほんとになにかあったら、すぐ家を飛び出せるようにして、ふとんの中でパソコンから江ノ島ライブカメラをチェックしつづけていました。。。

気づいたら緊張高まりすぎたのか、強制終了チックに眠っていたのでした。

あの晩、寒い中、真っ暗闇の中、余震に震えながら、ほんの少しの食べ物を分け合いながら、救助を待って過ごした人たちがいたこと。。あのときにはすでに津波に。。飲み込まれていた場所が、あったこと。。。あとから知りました。

あの晩は、自分と家族と友達とご近所さんのことを考えるだけで精一杯だった。

翌朝目覚めて、まずテレビをつけて、飛び込んできたニュースに号泣したのだった。

* * *

Img_0527 お祈りしました。今日。

他界されたみなさまが、やすらかに、おられますように。

生きているみなさまが、すこやかに、いられますように。

虫たちのオーケストラが、今夜もつつましやかににぎやかに、空気を震わせています :)

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2011.09.07

息。。

Img_0528_2 夏の一番あつい盛りが過ぎて、風がカラッとして、光がすきとおってきて。。。9月は、特に好きな季節  :)

先月末、陸前高田へ、そして、再度石巻へと、駆け足でめぐった1週間を経て、自分の中を吹く風の感じも、変わったな、と思うこの頃です。

前回、石巻に行ったときは、津波の被害を目の当たりにして、激しい頭痛に見舞われ、絶句するばかりになってしまいましたが、今回はもう少し気持ちをしっかり持っていることができました。地元の方に、大丈夫でしたか、とたずねて、お話を聞かせていただくことも、少しですが、できました。。

Nec_0039_2 陸前高田では、震災後しばらく救助がどこからも来なかった地域で、津波でやられた東京ドーム2,3個分の広さの土地を、最近までお一人で片付けておられた、という方の田んぼ・畑で、瓦礫撤去をお手伝いしました。

生い茂る草を刈ってから、みんなで瓦礫を撤去。散乱していたのは、立派な家屋を構成していたのがわかる柱などの木材、こっぱ微塵にくだけた木片、畳、ひしゃげたシャッター、へなりと折れ曲がったスチールやアルミのフレーム材、衣類がびしょぬれで入ったままの箪笥、ファクス付き電話器、子ども用の赤い下駄、写真帖などなど。。。それに大量の網、ロープ、貝殻など、養殖の道具類。。。ここは海が直接見えるわけではない内陸部なのに。

ヘドロ化した一帯もあったり、中身がなんだかわからない、異臭を放つ大袋が転がっていたりもしました(こういうものは、工場などからの化学薬品系のものだったりする場合もあるので、プロに任せること、と言われました)。

津波でご主人を亡くされたあと、おひとりでここを片付けようとされていたなんて。。と作業をさせていただきながら、身につまされました。

作業はそれぞれができることを無理なくやる、というスタンスが貫かれていたし、熱中症予防で休憩時間がこまめに設定されていて、思ったよりも大変ではなかったです。ちょっと大物をひとりで抱えて持って行こうとすれば、すぐさま、体の大きな方が助け舟を出してくださったり。歩きにくいぬかるみには、いつのまにか、力持ちの方が手近な板や木材を渡して道を作ってくださったり。みなさんの連携が、ほんとにすばらしかったです。

定年退職後の元小学校の先生と、定年退職後ボランティアが生きがいになったという元サラリーマンの男性おふたりが、ほがらかに笑いながら作業をしたり、声をかけてくださって、個人的にとても救われました。エルダー/長老がコミュニティにいると、こういうふうに違うんだなぁと思いました。

お昼休憩で、近くの中学校の体育館の階段で、持参したおにぎりを食べました。体育館は、壁が津波で破れていました。海から離れた場所に来てさえも、鉄骨もひしゃげるほどの津波の威力。。。校舎の時計は3時15分で止まったままでした。

中学校から道を挟んで向かいにある小学校は、ほんの少し高いところに校舎があったために、小学生には犠牲者が出なかったとのことでした。それでも小学校のプールのフェンスはひしゃげ、プールの中に流木が入ったまま、まだ片付いてはいませんでした。

ここは、半島の内陸部で、両側から津波がやってきて、ここで出会ってしまったんだそうです。震災時小学校にいて、高台に避難されたお母さんは、片側からの津波は見えたけれど、背後からくるほうのは音しか聞こえず、見えていなかった、とおっしゃっていました。

両方の津波が出会うところを目撃された方によると、2つの津波が出会った場所では10mくらいの水柱が上がったそうです。

* * *

Img_0454 被災動物のシェルターも、再訪して、前回たずねたとき気になっていた猫さんたちと再会しました。だいぶん元気になっている猫さんもいれば、まだちょっと大変そうな感じの猫さんもいました。。

一番気になっていた、身元不明のキジトラ猫さんは、すでに里親さんの元へ行っていました。極度に人も猫も寄せ付けず、誰も触れないといった状態だった彼女は、里親さん募集が始まっても最後まで残ってしまうんじゃないと気がかりだったので、ほんとよかったです。

一緒に作業させていただいたボランティアさんは、今回は地元の方が多くて、ご自身も被災されて仮設住宅に暮らしながら通ってきてくださっている方もありました。。

「家は流されていないから、自分は被災したうちに入らないからー」と笑いながら話される方もいました。でもその方の今の家の状況は、とうてい笑えるようなものでなく。。。1メートル半も床上浸水して、家財道具一切と、壁の断熱材も水浸しになったのが、壁紙だけを変えてそのまま住んでいるとのこと。断熱材の交換は、大工さんの手が足りず無理で(仮設住宅の建築が優先で)、夏の暑さで壁からカビや悪臭が。床下も、なにが入り込んだかによって、臭いが違い、缶詰工場からのものが流れてきた地域の家は、生ものの魚介類が床下に入り、腐ってウジがわいて、と。。

猫さんたちについても、震災後飼い主さんが亡くなり、そのまま3ヶ月間のら化して生き延びた末に保護された猫たちや、首輪をしていたけれどいまだ身元不明な猫さん、みんなけなげに、元気にやっていますが、相当怖い思いをしたんだろうな、と思います。

飼い主さんと一緒に難を逃れた猫さん、震災後別れ別れになっていた飼い主さんが分かった猫さんたちも、前の家で複数一緒に暮らしていた場合、仮設住宅では1頭が限度、ということで「所有権放棄」され、里親さんを募集されていたりします。お年寄りの飼い主さんに、こうしたケースが複数あるようでした。。。「所有権放棄」という言葉も切ないですが、飼い主さんのお気持ちを考えると、もっと切ないです。。

(シェルターには猫だけでなく、犬も、かつては鳥もいましたが、わたしが担当したのが猫だったので。。。猫のお話だけ書きました。)

Img_0512_2 でも、猫も、人も、それでもこうして、顔を上げて、生きてるんだ。。自分も、そうしよう、と、おかげさまで、そんなふうな気持ちが生まれてきました。

* * *

岩手、宮城でたずねた地は、とてもゆったり息ができる、すてきなところがいっぱいでした。

Img_7879 一関のボランティア宿泊センターからほど近いところにあった、猊鼻渓という美しい渓谷では、舟くだりを楽しみました。

舟から川の中の鯉や鴨にパンをあげたのがたのしかった。みんなわかっていて、舟と並走するのです。

ひょうひょうと駄洒落を連発する面白い船頭さんが、舟をこぎつつ謡ってくださった「げいび追分」は、うたの節と、舟を進める竿がつくる水音とが調和していて、きれいでした。

猊鼻渓では川べりをぷらぷらしたり、日記を書いたり、ほんとうにのんびり過ごすことができて、元気でました。

Nec_0047 夜行バスの停車駅だった一関駅近くでは、電車の時間に追われつつ、名物のお餅のご膳をいただきました。小さなお皿に入ったお餅1つずつに違う衣がついていて、甘いのもあり、そうでないのもあり。。。どれもこれも、おいしかったです。一緒に出てきたお雑煮も、やさしいおだしで、絶品☆でした。

Img_0429Img_0434 石巻へ通うベースタウンに選んだ仙台では、商店街の充実ぶりに驚きました。

立派な屋内商店街の真っ只中に、短い仲見世通り付きでお不動さんがあって、これまた驚きました。

お参りをするところのすぐ横には、このお不動さんが入っているビルのエレベーターがあったりするのですが、ろうそくのあかり、お線香の煙、真剣にお参りする人また人が続き。。。地元の方から愛されているらしい立派なお不動さんでした。

別の商店街でも、「○○神社」という立派なのぼりが道の両端にいっぱい立っていて、どんだけすごい神社があるんだろうと思ったら、道の一角にこじんまりとしたほこらが。

こうして神社やお寺を大事にしているからこそ、この商店街の盛況ぶりがあるのかなあと思いました。

Img_0436商店街をずんずん行くと、いろは横丁というすてきな路地に出くわしました。

個性的なお店がたくさん軒を連ねる中、「レイション」というマクロビ食堂を発見。カウンター席5つ(かな?)だけの、小さな小さな食堂ですが、十数年前、「マクロビ」という言葉もなかったころにこの道に入られて「当時は変人扱いされた」というオヤジさんの、こだわりの玄米ごはんとおかずが絶品でした。店内にかかるJazzもよかった。。

豆の煮物も、おこうこも、シソがアクセントに入ったお味噌汁も、どれもこれもおいしかったです。若い頃は船乗りで、遠洋に出ていたというオヤジさん。こわいのかなー。。と思っておそるおそる話しかけたのだけれど、にっこり笑っていろんなお話聞かせてくださって、うれしかったです。

* * *

前回石巻へ行ったときは、短いスケジュールでめいっぱいボランティアをやり、津波の現場をたずねる以外はわき目もふらずで緊張しまくっていましたが、今回は、そこここで、ゆったりした時間をもてて、よかったです。

自分がパンパンでいると、入ってこなくなるもの、ありますね。。受け取ること、もっと重ねていきたいです。。土地の声を聞くことや、お話を聞かせていただくこと。

野口整体でいう、「どんなときも悠々と息をして生きていく」。そんなのんきなことを、と以前の自分なら思ったかもしれないこの言葉に、今までと違う奥ゆきを感じています。

復興へ向かって、少しずつでも前へ向いていける印象があるのが津波の被災地だけれど、原発事故・放射能の被災地はいまだに先行きが不透明。原発・放射能で被災された方も、顔を上げて生きていけるように。。。できることをしていけたらと思う。。。

なにをするのでも、深く息を整えて。。

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