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2011.12.27

みかんず & love & joy

Img_1174 昨日は午後、この写真の右奥にある小さいみかん畑で、大好きなともだちと一緒にみかんをもいで過ごしました。文字通り鈴なりになったみかん。放射能検査で安全を確認してもらったみかんたちです。

Img_8138Img_8148Img_8158木に登って、もいでもいで、日が暮れるまで楽しみました。

そして家の軒先に運び降ろしたたくさんのみかんのヘタを短く切る処理を、暗くなって手元が見えなくなるまで楽しみました。

(頭の中で流れてたのはスピッツの「みかんずのテーマ」。。。♪がんばってやってみよう、上向いて。。ミカンズ、俺たち、虹の橋をわたろう。。。♪)

楽しかったな。みんなでそのあと食べたおゆうはんも、おいしかった :)

今日は午後から、珍しく少しベッドで横になって休みました。

体調が、ゆらんゆらんしていて、いろんなことをやらなくちゃ、と気持ちは焦るものの、体が動かず、ギブアップ。意識にまとまりがなくなって久しく。。自分の人生(?)が毎分ちれぢれに散っていくのを眺めているようなところがある。。

来月から青森・六ケ所村の核燃再処理工場の試運転が約3年ぶりに再開する運びだというニュースを今日、見ました。

気持ちが折れそうになる。やめてほしいと願う。どうしたらいいのか焦る。きっと止まる、大丈夫と思う。。いろんな感情がまぜこぜにやってくる。。

放射能関連のニュースもそうだけれど、触れるたびに、いろんな感情がまぜこぜに湧き上がってきてしばし息が止まる。胸にたまったそれらを、ぐっと下腹に気をこめて支え、よーし大丈夫となるまでホールドする。そしてまた気を取り直していく。そういう段取りになっているこの頃。。。

* * *

Img_1165 今年のクリスマスの礼拝で聞いたお話。(相方のお母さんが通う教会に毎年クリスマスにだけおじゃましているのだけれど、今年は初めて、イブではなくてクリスマスデーの礼拝に参加させていただいて)。

一度死んで、また復活するという、あのモチーフはつまり、罪の中にある自分が死んで、信仰の中に生き返るということなのだと知りました。

イエスさまのたどった奇跡を、ほんとうに心から信じて受け入れることができるかどうか、に信仰がかかっている。奇跡を受け入れることができることがつまり、まどろみの中に、罪の中にあった自分が死んで、目覚めの中に、信仰の中に生き返ることになる、ということ。。

わたしはクリスチャンではないけれど、「奇跡を信じることができるかどうか」(放射能にかんする奇跡、原発や核の再処理工場にかんする奇跡)が今の自分の生活にとってリアルで大きなウェイトを占めていて、なぜかこれは同質のことのような気がしたのでした。

牧師さんが祈りの言葉の中でおっしゃっていたこと、正確な言葉は忘れたけれど、おおよそこんなようなことでした↓。

「今年は原発事故を通じて、わたしたちひとりひとりが犯してきた罪が明らかになった年でした。神さまどうぞ、科学技術を過信して多くの犠牲を強いてきたこの生活を私たちが改め、素朴に手を動かし天の神さまのほうを向いて日々を送ることができるよう、私たちをお導きください。」

じつは、「わたしたちはみな罪の中に生まれてきた」というキリスト教の前提がずっと好きではなかったし、厳格な教えや怖い情景描写や、光をたたえ闇をさげすむ思想も今も好きではないのだけれども、すべて、そのような言葉遣いになっていった文化的背景があっただけのことで、教えのエッセンスには、へんな裏暗さも厳しさもジャッジメントも価値の偏りもなかったのかもしれない、と初めておなかの中でそう感じました。

むしろ、罪を悔い改めれば、必ず許される、という部分に、おおらかさを感じました。ハワイのフナに近いものを感じた。というか、フナとキリストの教えは、もともと同じルーツのものだったようにも思う。。。(フナの教えの上にキリスト教が後からかぶせられた、と思っていたこともあったけれど)。

罪の中に生まれた、というのは、無明の中に生まれたというだけのこと。。。気づかずにいることの多さを、知らせてくれているだけなんだろう。。闇も無明を指しているメタファー、光は気づきのメタファーでしかないんだろう。。。だから白いものが優れていて黒いものが劣っているとか、光や意識が優れていて闇や無意識が劣っているというような図式になる必要も、そもそもなかったんだろう、と。。思うことができそうです、今なら。

優劣は関係なくて、ただ、気づきを持てば思いも行動も現実も変わる、というその現象自体をゆび指してるだけなんだろう、と感じました。

これまでずっと、真っ黒な宇宙空間の中は、ベルベットのような、やわらかくてあったかい質感の闇で満ちてるんだろう、と想像していて、なにもかもを照らし出す透徹した光には、冷たくて近寄りがたい厳しさを覚えていたようなところがあって、生きていくなら闇の生き物たちと生きていきたいと、思ってきました。光の国に生まれて永遠の命をもらうなんて、遠慮したい、と。それで長い長いあいだ、キリスト教とは距離を置いてきたけれども。

偏見と解釈と手垢のついた言葉の中に埋もれているなかに、なにかもっと違うものがあるのかもしれないと思う。。

もう偏見に侵されたまま、世界を切り刻んでるわけにはいかないというような気持ち。かたくなになにかを拒みつづけていられないような気持ち。

いとしさの中にいることのほうを、選びたいみたいです。

ラブジョイという名前の彗星がいま、さそり座方向に今、光の尾っぽをなびかせてるそうで。。。loveとjoyが導く突然変異が、起きてるってことだったりして? (写真は国際宇宙ステーションから撮影されたラブジョイ彗星、下方に見えてるのは地球の大気圏)。

ちなみに、今月16日には、lovejoy彗星は灼熱の太陽の大気圏に突入後、無事に生き残って、天文関係者を驚かせたそう。

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2011.12.24

冬のごあいさつ

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2011.12.17

色水

小さい頃、好きだった遊びのひとつが、色水づくり。ケイトウとか、近所の花を摘んできて、とうめいの瓶に、いろんな色の色水をつくったものでした(考えてみれば、お花たちに対してザンコクな遊びだ…)。

で、大人になってもやっぱり、植物の色に染まった液体には、えもいわれぬ魅力を感じます。

ほうれん草を茹でた後のお湯とか。もったいなくてどうにかしたい。

Img_1072 先日、今年の冬から食べ貯めてきた有機みかんの皮で、みかんピールをつくることにしたときも、最初に2度ほど、みかんの皮を茹でこぼす工程で、みかん色の液体が出ました。

捨ててしまうのはもったいない、お風呂に入れるのはどうだらうと、とりあえず、瓶につめて保存。ハーブの宿のマスターも、ハーブを煮出した液をお風呂に入れてくれてたので、いけるんじゃないか、と思ったのだけれど、なんども入れ忘れが続き。。。

そうこうしてるうちに、ともだちが、みかんの皮の煮出し汁は、スプレーボトルに入れておくと、手軽な汚れ落としとしてお掃除に活躍すると教えてくれました。

なるほど、ほんのりいい香りの汚れ落としになってくれます。浴槽洗いなどによさげ。

Img_1071 肝心のみかんピールのほうは、石油ストーブをつけてた日にコトコトしてたら、どういうわけか、いつものようにピール状に仕上がらず、ジャムみたいになってしまった。ので、ジャムとして消費することにしました。

Img_1101パンに練りこむと、オレンジ色が楽しいし、おいしいです :) りんごの芯から起こした酵母で、パンを焼くのも、このところの楽しみに なってきました。

* * *

先月は、父の庭のざくろの木に鈴なりになったざくろ、他の誰も欲しがらないとかで、わたしが「ざくろ大好き」といったら、ダンボールにつめて「しこたま」送ってくれました。

Img_8043_2 Img_8087そのときは、ざくろの実をひたすら皮からはずすこと4時間。。。さすがにひょえーとなりましたが。。その実を絞ってジュースにしたら、とってもきれいなピンク色のジュースになりました。楽しかったし、おいしかった。

Img_0988そして、おとといは、大家さんの庭のゆずを、去年と同じく、ほうきの柄でつついて落とす方式で収穫。半分痛んでしまってるようなのは、すぐ絞っておきました。こちらは、黄色いジュース!

ついでに、大家さんの庭のキウイの木からも、収穫。こちらはとってもすっぱくて小さい、緑のキウイ。今年は不作で、数はあんまりありません。これは絞ると緑のジュースになるんだろう。。

* * *

放射性物質のことは忘れていないけれど、体に気を向けて、様子をみながら、お祈りしながら、果樹の恵みをいただいています。みんなに、とか、妊婦さんや小さなお子さんがたに、おすすめできることではないけれども。。。一応、庭をガイガーカウンターで測定して、よしと判断しています(数ヶ月前の測定なので、今はどうかわからないけれど。。)。

早い時期にガイガーカウンターの共同購入を提案してくれて、そしてどーんと出資までしてくれた、ともだちの(ゆ)さんと(き)さんには、ほんとに感謝しています。。!ありがとう。。

(き)さんちは、みかん畑の放射性物質濃度を、ちゃんと業者に頼んで測定してもらって、無事を確認してから収穫していました。でもだいぶん費用がかかったそうでした。

Img_0991 自然の恵みを、無邪気にいただくことができなくなってしまった今年。。。でもそれでも、大家さんの庭の果樹たちは生きてるし、わたしも生きてる。草むらのバッタくんも、なめくじのなめちゃんも、ひまわりの種を食べにきてくれてるシジュウカラにゃみちゃんも、野ねこのマゴも、今この地で一緒に生きています。海では、魚たちも。。

日々たいへんな思いをしている方々が大勢大勢いらっしゃるなか、そういう今のなか、行きつ戻りつ、自己矛盾にさいなまれつつ、それでも、生きているという流れを、まるまままっとうしたいような、そんなような感覚が来ています。

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2011.12.13

火鉢くん

Img_8089 少し前に、火鉢を使い始めました。

春先に、ご自宅の大掃除をしていた大家さんが突然「火鉢、いりません?」と譲ってくださった、長火鉢。

しまいこんでいたのだけれど、先日、友達が火鉢いいよねーと言ってたのを耳にして、「あ、そういえば」と思い出し。。。

石油ストーブが活躍する季節になって、気になりはじめました。

相方が都心のスタジオへ教えにいって留守の日は、わたしひとりで過ごすわけですが、ひとりでいるときに部屋全体を暖めるのはもったいないな、と思っていたので。。

ただ、火鉢が暖房器具として成立するのかどうか、と、一酸化炭素中毒は大丈夫かどうか、について、だいぶん考えました。

いろいろ調べて、ひょっとして暖房器具として使えそうだ、と思うにいたり。。。一酸化炭素中毒のほうは、中毒防止に窓を開けて風を通すのがやっぱり必須で。。。それじゃ寒いやん!と思いましたが、火鉢のあたたかさは普通の暖房器具と違って、遠赤外線で体を芯から暖めるので、少々室内に風が通っていても大丈夫かも、と思うにいたり。。。

そして、よく晴れた日に、いただいた火鉢をきれいにお掃除しました。一緒についていた灰も、新聞紙に広げて乾かしました。

そして、近所の金物屋さんに行き、「火鉢で使える炭、ありますか」といつものおばちゃんに聞くと、おばちゃんちの住居部分になっている店の奥の畳部屋に入っていって、そこから一包み出してきてくださいました。「この炭で具合が悪いようだったら、言ってね、私もまだこの炭は使ったことないから」と。

ナラの炭でした。着火しやすくて、はぜたりもせずで、とてもよかったです。

* * *

朝起きて、最初の着火は、「火起こし」という、底が網状になった小鍋みたいな専用器具に炭を入れて、ガスレンジの火で10-20分あぶる、というのが定番の方法みたいでした。

「火起こし」を買うかどうか悩みながら、とりあえずグリル網に載せてガスレンジで炙ってみましたが、ガスがもったいないな、と思い。。。

Img_1088 今は、少し前に自作した「ロケットストーブコンロ」で着火しています。前日の消し炭2,3個をロケットストーブコンロの煙突の中に仕込み、小さくちぎったダンボール2片に火をつけて、1片を煙突の上から落としいれ、即座に煙突の手前からもう1片を入れます。そうすると上昇気流がすぐできて、「ゴオー」という風音とともに炎が煙突の中を駆けていき、炭をあぶります。

1回、A4サイズにして1~2枚の量のダンボールを使っています。結構、あっという間。

炭全体が赤々とならなくても、一部が赤くなれば良しとしてます。2つの炭の赤くなった部分同士を向かい合わせて、間にちょっと隙間をあけて、火鉢の中に立てておく。そうすると相乗効果で火力が増していくようです。火力が増してきたら、隙間を広げて消し炭の小さいかけらとか、新しい炭の端を差し込んでおく。。。そうやってほかの炭にも火が移ったら、また配置替えをして、さらにほかの炭に火を移してく、というふうにしています。

火鉢初心者なので、勝手がわからず、手探りでやってるけれど。。。隙間の明け具合と、赤くなった面の向かい合わせ方具合が、火が安定するかどうかの決め手、といった感じをつかんできたところです。

炭3,4本が勢いよく燃えている状態になると、かなりの熱量に。。。灰が入っている銅製の箱そのものもあたたまります。

Img_1098 Img_1083 Img_1067 お湯を沸かしたり、朝ごはんにトーストを焼いたり、昼ごはんにジャガイモスライスを焼いたり、おやつにお餅を焼いたり、夜ごはんのおかずを温めなおしたり(ミニ土鍋に入れて)。。。いろいろに便利です。

肝心の暖房機能だけれど、なかなかイケます(自分比)。火鉢のそばに陣取っていると、じわわーんと、体の中から温まる感じです。

外気温にもよるけれど、ここ数日は、通気のために室内を風が通るのも逆に心地よく感じてしまうほどでした。

冷たい雨の日も、火鉢だけで1日過ごせてしまったりしました(あ、厚着もしたけれど)。。。でも相方は換気のために窓を開けるのが寒い、と言うので、相方のいるときは、おとなしく石油ストーブをつけています。(こういうのの体感は個人差がありますね。。)

火鉢、大好きになりました。炭火のお世話をしていると、なにかそれだけですごく満たされるものがあります。折々に炭の様子を見て、配置替えしたり、炭を足したり、お世話しないといけないのだけれど、それも楽しいのです。うまい具合に火加減を保てると、達成感があったり :)

Img_1060 仕事を1本終えた週末に、火鉢のそばで日がな本を読んで過ごしたときは、ほんとに至福でした。

「火鉢、いただいてしまったけれど。。。実用性は低そう」と思い込んでいたところから、思い込みを外して「ひょっとしたら?」というところに行ってみたらば。。。意外と楽しい展開が待っていました。

ただ地震もまだ多いので、万一のときのために水の入ったやかんをそばにスタンバイしておくとか、火の始末(消し炭入れはコンクリの床の上に置くとか)には、気をつけています。あと、換気にも。

つけるのも消すのもスイッチひとつの暖房器具に比べたら、つけるのにも消すのにも手間がいるし、つけている間もお世話がいるのだけれど。。。なるべくアナログに、生活のために必要なことに必要な時間をかけることができると、自分の中の生き物が、うれしいみたいです。

そうできる境遇にいさせてもらっていること、ありがたいな、と思います。。

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2011.12.01

月の道

Img_0949 これが最後かもしれない。と、うっすら思いつつ、普通にさよならを言って、遠方へ帰っていく友達と別れたのでした。今夜。

これが最後かもしれない、といううっすらした思いには、まるで根拠はないのだけれども。その根拠のない感覚のために、どうやら腹が据わっている、というヘンな状態。

そして、みぞおちに穴が開いてしまわないように、鉢植えにお水をあげるようにして自分に音楽をたくさん降り注いでおる。。。

「生きることの目的は?」の質問に、ダライ・ラマは即座に「幸せになること」と答えた、という話を今日聞いて、その幸せの質というのは、今のわたしのように、こんなに刹那的なものでもいいのかな?と疑問がよぎった、少し。

「記憶力ががた落ちして、いろんなことをすぐ忘れちゃうようになったし、難しいことをずうっと追って考えていくことができなくなった」と話したら、ぱちぱちぱち、と拍手されて「それはとってもいいことだよ」と言われた。ほんとかなぁ?と思った、少し。

わからないや。。。

わからなさの中に、いる。この頃。それでもって、そうしていると、わりとすぐ、わからないことがなんだったかも忘れる。。。

わからないことは、わかろうとするとか、深追いするとか、前ならもう少し、そういう衝動があったはずなんだけどなぁ。

こんなふうでいいのかなぁと、かすかな不安があるんだけれど、でも全体的にはかなりラクです。。

これは、月の道かな。。。?




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