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2012.04.07

楠の木

Img_2108 3月が終わるまでずっと、うすぼんやりとした意識のまま、まともなことがほとんどなにもできないまま、過ごしていました。

普通の生活に戻らなくちゃと、もがいてはいたのだけれども、仕事はほとんど手につかず、家事もほとんど手につかず、人と会いたくなく。

3月11日は、でも、近所のお寺が出発点の、地元のピースウォークに参加しました。午後2時46分の前から、大勢のお坊さんが、ずうっとお経を唱え続けていました。一緒にお祈りをさせていただいて、そのあとで、大勢のみなさんと一緒に、鈴を鳴らしながらピースウォークを歩きました。

子どもさんたちも一緒に元気に歩いていて、明るく言葉をコールしながら歩くよう促されもしたのだけれど、自分はほぼずっと声も出ず、意識は大変に内向きになったまま、歩きました。目玉の裏側が、涙でいっぱいになっているような、妙な感覚があり、涙は目玉の裏側に溜まることができるのか、と初めて知りました。

それから3月が12日、13日、と続いていく中で、いちねんまえの記憶が、バックグラウンド再生を続け。。。海の底にうずくまっているような日々が続きました。

* * *

4月に入って、ようやく、水面にまで浮上して、浜へ、上陸できました。

そういう星周りだったのかもしれない(水星も逆行していたし)とも思うし、でも、浮上のきっかけも、思い当たったりしています。

まだ風が寒いけどよく晴れていた4月1日、あてもなく自転車に乗って、外へ出ました。なんとなく、近所の神社に足が向きました。ふだん神社めぐりなどはしないほうなのだけれど。。

そこの神社は、今年に入ってから初めて行ってみた神社。場の気配がひろやかで、すがしくて、湧水も出ていて、すごく気に入ったのでした。特に、奥のお宮にお参りして頭を下げると、頭がスッとした空気のかたまりに浸される感じで、気持ちよかったのでした。

Img_2075 あそこの神社、気持ちよかったんだよなと思って、ふたたび立ち寄ってみると、本殿にお参りしようとしたときからもうすでに、左の向こうにある奥のお宮を囲むように立っている楠の幹が、日の光に美しい縞模様を見せていて、惹きつけられました。

本殿にお参りをして、奥の、小さい小さいお宮のほうへ行くと、楠の木々が立っているあたりはやっぱり、空気がスッとしていました。

海の中で、突然に違う温度の水の流れに出会ったときみたいに、はっきりとした違いがあります。

楠の幹に、手を当ててじっとしていると、ぼわんぼわんと手のひらに響いてくるものがあって、ものすごく暖かい。なんて暖かい。。 

涙が出てきて、そのままぼおっとしていたら、背後に7歳くらいの男の子がひとりでお参りにやってきていました。

気づいて、道をゆずったら、男の子は柏手を打って、正式なやり方でお参りをして、また小走りに去っていきました。

わたしもお参りをして、また楠に少しくっついて、それから帰りました。

おかしなことだけれど、楠と一緒にいると、最近ずっと感じることのできなかった、感謝の気持ちが体の奥深くから、次々に湧いてきました。

Img_2084 境内を出て、自転車置き場に戻ると、その隅に黄色いミモザが咲き始めていました。

ミモザ、すごく好きな花。

ミモザのそばにあいさつに行き、思い出していました。

何年も前、ある1本の楠の木と、出会ったとき、橋渡しをしてくれたのが、満開に咲き乱れたミモザの木だったこと。。。

その楠の木とは、それからずっといろいろな相談ごとにも乗ってもらい、なぐさめもらったり元気づけてもらったりしたのだけど、あるとき切られて、そのあとは、その土地に新しくテラスハウスが建って、地面はコンクリートの下になり、その木が建っていた場所は、駐車場になったのでした。

あれから、切られた木はどこへ行くんだろう、と何度も考えた。

その後、都心の職場で働いていたときは、そのそばにあった公園の楠たちや、前に住んでいた町では、家の近くの大学構内の楠たちと、なにかが通じるような瞬間が数回あって、そのたびに、あの切られた楠の木を想いました。

そして、夢の中でだったか、プロセスワークのワークをしている中でだったかで、「楠ネットワーク」のことを知らされました。

地球上の楠はみんな、楠ネットワークでつながっていて、みんなで協力し合っている、と。

少し前に読んだ小説に出てきたサボテンが、「サボテンネットワーク」みたいなものの中にいるという記述があって、この小説家はどうも好きになれない、けどこの部分は、私が知らされたこととおんなじだ、と思ったことも、思い出しました。

今の家の、寝室の窓からは、隣の家の楠の木が見えます(というか、その楠しか見えない)。朝目覚めてカーテンを開けると、いちばんに目に入るのは、空とこの木。去年、放射性物質をはらんだ風が吹いたとき、どこにも逃げられないこの木に、申し訳ない、と心底思ったことも、思い出しました。

でも、神社の楠に触れて、だいじょうぶなんだなぁと感じた。。

絶望感だけがどこまでも広がっているような日々に、気力を取り戻すきっかけを、逆にもらってしまいました。

感謝しています。

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