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2012.04.23

はるか昔へ、SOS

Img_2240草が元気にあおあおとしてきて、うれしいこの頃。自分にとっては、なかなかに難しい日々が続いていますが。。

うれしいことが、ありました!

数日前、ながながとやっていた仕事がやっと終わって、お祝だ♪と、うきうきしながら市民図書室へ行きました。そして、今日はなんでも好きな本を読んでいいのだな~と思って棚を見まわし、なにげなく目にとまった『大人の友情』(河合隼雄さん著)という本を借りました。

Img_2251 図書室を出ると、桜の花びらが風に舞っていて、手のひらをひらいたら、乗りました。毎年、風に舞う花びらをキャッチできたら、その1年は幸せ、とゲームのようにやってきたのだけれど、今年はほんとうにあっさりと、手のひらに乗ったのでした。

その夜、友達がブレンドしてくれた薬膳茶を「お祝茶」として飲みつつ、借りてきた本をさっそく読みました。エッセイなので、か るーく読める本でした。本の終わりのほうに、「人間以外のものとの友情」について取り上げた章があり、その中で、鎌倉時代に「島にラブレターを書いた」という僧侶のことが書かれていました。

あらゆる生き物や自然を愛する宗教者と言えば、最初に思い浮かぶのがアッシジの聖フランチェスコですが、この明恵上人という僧侶も、聖フランチェスコみたいだなー、と気になりました。しかも明恵上人は、夢日記をつけていた、とも書いてあり。。。

数日後、近所の図書館(市民図書室よりも収蔵書が多い)へ行き、明恵上人の本を探すと、同じく河合隼雄さんが、明恵上人にフォーカスして書いた本がありました。『明恵 夢を生きる』という本です。読み出したら、夢中になりました。

明恵上人にはいろんなエピソードが残ってますが、蜂が水に落ちて困っていたり、雀の子が蛇に食べられそうになったりしているところを、遠隔で察知して、助けを出したりしたそうです。

Photo_4 お弟子さんの筆による、明恵上人が木の上で座禅している絵が残っていますが、まるで自 然の一部のように描かれていて(人物以外の風景が画面に占める面積が多い)、明恵上人の足元ではリスが興味深そうに見上げていて、背後には小鳥が飛んでいます。

肖像画としても、肖像がこんなふうに背景に溶け込んでいるのは珍しいと思いますが、座禅像としても、小動物が一緒に描かれているのは異例だそうです。

ますます、聖フランチェスコみたいだ、と思っていたところに、明恵上人が晩年に本拠地としたお寺(栂尾山の高山寺)が、1900年代になってから、アッシジの聖フランシスコ教会と「ブラザーチャーチの約束」を結んでいたことを今しがた知って、またびっくり。

仏教とキリスト教とが、こうやって手をつないでいただなんて。世界で初めて、異宗教間で兄弟関係となっていたんだなんて。。!

実は自分は、祖父が仏教の僧侶で、でも幼稚園はフランシスコ会(聖フランチェスコの教えに基づく会)に属する幼稚園に行き、自分の宗教観はこのせいで早くから混乱させられてしまったのだと思っていたけれど、混乱から「つながり」へ行く道が、あるのかも、という気がしてきました。

* * *

人間が動植物よりも上、みたいなふうに言うところや、本当の神様は1人だけというところが苦手で、キリスト教は今もやや苦手です。

仏教も、やや抵抗があります。万物に神を見る神道のほうがしっくりきますが、その神道を壊してしまったのが仏教だと感じているからです。(でも神道もいろいろに利用されてきた歴史があって、軍人を神様にしたりするところはどうしても好きになれません。。)。

でも聖フランチェスコと明恵上人には、ものすごく惹かれます。

Photo_3 聖フランチェスコは、その風貌(腰紐に3つの結び目をつける、茶色のローブを身に纏うなど)がまさに古典タロットの「隠者」そのものですが、明恵上人もやはり、隠者を志向しつづけた人のようでした。一時期はじっさいに俗世を離れて隠遁しつつ修業したそうです。ただそれを続けたい想いとはうらはらに、人の世に戻らなければならないというプロセスが彼の人生に大きく働いてきて、それを観念して受け入れるんですが。。

聖フランチェスコがキリスト自身を慕ってやまなかったように、明恵上人もブッダ自身を慕ってやまなかった。。。それに2人とも、うたをつくるのが好きでした。しかも2人は同時代に生きていました。明恵上人は1173年~1232年。聖フランチェスコは1182~1226年。

興味深いです。

* * *

でもって、実は、この2人よりもさらに昔の人、老子が気になっています。。。
なかなか老子には簡単に近づけなくて、遠回りしていますが。。。

老子は。。。仏教に先んじて足るを知ることと殺生しないことよしとし、キリストに先んじて弱い者を尊び、ガンジーに先んじて非戦をよしとし、シューマッハーに先んじて小さきをよしとしてたことを、今さら知って、びっくりしています。

まだ端っこをかじっただけですが、老子の自然観、女性観も、おお、と思うことが多いです。

今をどう生きたらいいのか、途方にくれるばかりの自分は、はるか昔の人に助けを求め中のようです。。

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