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2012.05.09

新しい先生♪

Img_6679 例年のように、南側の窓の向こう側にゴーヤを植えました。毎年ゴーヤのふさふさの緑のカーテンがサンルームを涼しくさわやかにしてくれていて、今年もぜひお願いしたいと、地場野菜をつくっているおばさんの手になる苗を植えたのでした。(写真は去年の夏)

ところが今年は1つ問題が。

同じ庭を中庭のような形で3軒の家が共有していて、その右隣のお宅の大型犬のわんこさんが、この冬あたりから、庭に誰かが入ってくるだけで激しく吠えたてるようになって。

そのおかげで、飼い主にあたるお隣さんの女性が大変困っているとのこと。立ちあがるとわたしの背丈ほどになる大きなアフガンハウンドの(み)さんは、窓の外を見て興奮して吠えたてるとき、カーテンをひきずりおろしたりしてしまうほどのパワーがあるそうで。。。

ゴーヤの水やりをしに外に出るなら、必ずや、ずっとわんわんわんわん、と吠えたてられるはず。

Photo前は(み)さんと庭で会うと、こちらへわーっと来てくれて、とてもラブリーで、わたしは(み)さんが庭を走る様子を眺めるのも大好きで、隣に暮らしててくれてることが、すごく嬉しかったのですが、最近はサンルームで洗濯物を干しているだけで、わんわんが止まらなくなる(み)さんに、お隣さんがどう思ってるかが心配になり。。。私の目下の目標は、お隣さんの感情の波風を立てないように、(み)さんになるべくわんわん言われないよう行動することなのです。

幸い、川口由一さんのところへ自然農の合宿へ行って教わったことのおかげで、水やりの回数を抑えることはできていますが、それでもまだ苗が小さいうちは、少し気をつけてあげないといけない。昨日は1日暖かくて雨が降らなかったので、今朝はじょうろをもって外へ出て水やりを開始しました。

案の定、(み)さんは窓辺に来て私を見つけると、わんわん!とあの低い大きな声で吠え始めました。

(み)さんは最近、目を見据えられるとなおさら吠える、ということはすでに知っていたので、顔はゴーヤのほうに向け、水やりを続けながら、心の中で親しみを全開にして「おはよう、(み)さん」とあいさつしました。

そうしたらとたんに、静かになりました。

ここ数日、大好きな本『動物はすべてを知っている』を久しぶりに読み返して、忘れていたことをたくさん思い出させてもらっていたところでした。動物は人間がことばや行動に表す以前の想念を、まるまま感じ取っている、ということ。動物の前で人間の想念は丸裸なのだということ。

すぐさまそれが証明されたような展開に、「これは単なる偶然か否か」と思ったりもしましたが、想念が丸裸なのだから、動物の前では最善の想念でいるように、と思いだし、そのまま親しみを全開にしたまま、水やりを続けました。

(み)さんはわたしが水やりを最後までやり終えるのを、だまって見ていました。

部屋に入る前に振り返って、(み)さんと目を合わせました。じっと顔を見つめたけれど、(み)さんのほうもわたしをおだやかな表情で見返してくれていて、吠えなかった。自分のチャレンジは、これが本当だと信頼することなんです、今日はそこをサポートしてくれてありがとう、と心の中で言いました。

「1年前には、このことが本当だと学ぶために、はるばるカリフォルニアまで行って勉強や練習をしたのに、ぜんぜんだめだめな自分です、ごめんなさい。どうかこれから、わたしの先生になって、わたしがこれを学べるように助けてください」とお願いすると、(み)さんはひとつまばたきをしました。

なぜか、その後、その場に立ったまま、涙がこみ上げてきて、(み)さんに見守られたまま泣きました。

* * *

習慣的反応というものが、あるということが、ひどくはっきりとわかりました。「本能」と言い換えられたりもすること。

わたしがデフォルトで疑ってしまう傾向、はっきりした事実が起きているのにそれを「偶然だ」「気のせいだ」「思いこみだ」と思ってしまう傾向。「動物や虫に高い知性や霊性があるなんて、気持ちが通じるなんて、夢物語り」と思う傾向。それは根深い習慣的反応なんだ、自分がそうしようと選んでいるつもりもないうちから、すばやく立ちのぼってくる習慣、すばやく立ち上ってくる衝動なんだと、わかりました。

『動物はすべてを知っている』の中に、蠅との友情談があるのだけれど、そこで著者のアレンさんが蠅のフレディーと交流するにあたって、1つだけお願いしていたことがありました。
顔、手など、肌の露出している部分を歩き回らないでほしい、ということでした。

そのお願いをするとき、アレンさんはフレディーに「ヒトの表皮上をそのように歩くと、わたしの種のメンバーたちの暴力的な気分と行動を誘発する傾向があることを、注意深く彼に説明した」そうです。そしてフレディーは1回たりとも、このお願いにそむくことはなかったとのこと。

アレンさんも、自分の中にある、生き物に対する古い固定観念や衝動が立ち上ってくることがよくあったと、本の中に書かれていました。そういうものが自分の中にある、ということを認めたうえで、上手に回避する方法を探したようでした。

わたしに必要なことも、そこのところの工夫だ、と心底思いました。

わんわんと吠えたてる(み)さんをうらめしく思ってしまったことがあったことを、謝りました。

同時に、もし、(み)さんやわんこ族のみなさんが、見慣れない人影を庭に見た時に思わず吠えてしまう、ということがあるとしたら、それも、種としての習慣的(本能的?)傾向のせいなんだと思いました。そういう習慣的反応をする時があるからといって、その生き物に、それ以外の高貴さや知性や霊性がないと断定するのは、やっぱりおかしい。

そうつくづく思いました。

人間のみなさんに、「人間以外の生き物やものには、人間と同等かそれ以上の知性や霊性がある」と言ったら、頭がおかしいと言われそうな雰囲気が、まだ実際にあるけど。。。

アレンさんが教えを乞うた、ネイティブアメリカンの方がきっぱりと言ったように、それは、人間以外の生き物やものに関する、人間のみなさんの「意見」です。「意見」を聞きたいなら、人間に聞いたらいい。けれど、人間以外の生き物やものに関する「事実」を学びたいなら、その生き物やものに聞くしかないです。

聞けば、今朝の(み)さんのようにみんな答えを示してくれる。。。昨日のてんとう虫や、のらねこのくろちゃんもそうでした。

すぐに人の「意見」にぱっと染まりやすい自分なので。。。行ったり来たりだけれど、見失ったらまた思い出す、を繰り返していこうと思います。

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