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2013.07.05

母のこと…大地のこと

20130520_120002 ひと月、ふた月くらい前のこと、ある朝起きて、思いました。

どんな人生も、ほかの人生とくらべて、「こういうほうがよい」「こういうほうがエライ」「こういうほうが素晴らしい」うんぬんはないんだな。

人の一生だけでなくて、ほかのものも(無機物も有機物も)、そうなのだな…。

* * *

20130622_185157 母を亡くして、世界がもう今までとは同じではないと、心底そう感じました。

こんなふうに感じるとは思ってなかったから、意外でした。

少し前から、もう旅立ちのときなのではないか、と覚悟はしていて、でもずっと最後まで、心の半分ではまた病状が回復に向かってすべてよくなって元気な母が戻ってくると思っていて、その両方がどちらもリアルに感じられて、どちらがほんとうの現実なのかわからなくて困っていました。

母が旅立つほんの2日前も、どちらが本当の現実なのかわからない、と泣いてた。

母が旅立つ前夜、私は母のもとに向かおうとしていたのに、体が地面の中に引きずり込まれるように重くなっていて、起き上がれませんでした…。この地面に引きずり込まれるような「引き」の感覚は、311の震災前日、渋谷にいた時に体験したものに近かった…。立っていられなくて、渋谷駅のホームでしゃがんでいた自分と重なります。

起き上がれず動けないまま、私はその晩、夢の中で、母の寝ているベッドのそばに行きました。すると母は、顔をこちらに向けて少し身を起こし、二言三言話をして(現実の母はこの頃はもう失語症状が出ていて話をしなくなっていました)、さらに体を起して、ベッドを出て、ソファのところまで歩きました(現実の母にはこれももう難しいことでした)。

ソファのところで、母は、嬉しそうにわたしに赤ちゃんを見せてくれました。赤ちゃんが「初めて寝がえりを打った」ことを喜んでた。私が見ている前で、赤ちゃんはゆっくりと寝がえりを打ったのでした。

夢の中では、母だったはずの人が亡き祖母になったりもしました。途中から2人ともがその場にいたりもした。とにかく、2人とも、赤ちゃんのことですごく喜んでいるふうでした。

この夢を見て、目覚めて、ほんわりと嬉しくて、これからすべてよくなる、大丈夫になる、と思ました。そうしたら、その直後、母は旅立ったのでした…。

今も、どちらが「本当の現実」なのか、わからないままでいます。あれからすべてよくなって、大丈夫になった母が、実際にいる、と思っているし、亡くなったとわかっている私もいる。

亡くなることで、すべてよくなって大丈夫になっている母がいる、というのが、たぶん大きな意味ではいちばん「ほんとうの現実」なんだと、思う。

お別れは、言葉にならないくらい、寂しいことだけれども、この事の運び自体は、悲しいことではないんだと、信じています。

* * *

母を見送ってからの数週間、感情の大波小波に翻弄されて、助けを求めて久しぶりに以前よくお世話になっていた占星術の先生のとこへ行きました。

いろいろお話を聞いて、おなかのあたりがほっこりとした。

帰宅して、自分の星のチャートを改めて見ていて、アセンダントの度数に目が行きました。サビアン占星術では「ズーニー族のインディアンが、太陽にむかって儀式をしている」という度数。

手元の本(松村潔さんの本)を開いてみたら、この度数の解説に目を見張りました。

自然のエネルギーの賛美へと回帰すること。現代人が長いあいだ否定してきた人類の根っこの力に対する回帰と、自分が崇拝するものへの自己同一化することで、生命を回復する技術を示す。

社会生活のなかでの一時的な逃走によるリラックスが、本格化して趣味のレベルではとどまらなくなり、自由な暮らしに自分の根拠をおくようになってきた。そして文明人が忘れてしまった、いにしえのインディアンのような、本能的な生活基準を本格的に取り戻す行為を模索しはじめる。

ここ数年の自分を文字通り表してる!

070 思い返せば……模索する中で、おととしの5月には、動植物との失われたコミュニケーション回路を回復しようとカリフォルニアへ「直観的コミュニケーション」を学びに行き、それが可能だという体験をしました。山の中の小さい小屋に一人で寝泊まりしながら1週間過ごす機会にもなって、夜、カーテンのない窓の向こうに木々と夜空を眺めて眠るのが好きでした。最初の晩は、山のふもとの管理人さんさえも訳あって不在になり、この山全体の中に人間は私だけ、という状況で過ごす機会もいただいたのでした。

Img_2421 去年の5月には、ネイティブアメリカンの教えを実践的に教えている先生の合宿に参加して、自然の中でのあり方(意識の使い方や目の使い方、大地との接し方)や、焚火の作法、木の葉のテントの作り方、火起こしを教わり、夜空の下、草原で寝袋だけで横たわり、今までにないほど心から安心して熟睡しました。目覚めて横を向けば、すぐそこに蟻や蜘蛛たちがいることの喜びをかみしめました。

Img_9083 去年7月には、グアテマラのマヤの祈祷師、ファビアナさんとペドロさんと一緒に、富士のふもとの地で大地に祈りをささげる儀式に参加させてもらうことができました。ファビアナさんとペドロさんが、すべて植物だけで、カラフルで美しい円形の祭壇を作ってくださり(私たちも少しお手伝いさせていただきながら)、円の中心で焚き火を焚いて、みんなで輪になって地面にひざまづいてお祈りしました。そのとき初めて、地面に口づけをしました。

20130504_174418 そして今年の5月は、アレクサンダー・テクニークの合宿に合わせて、合宿会場の近くの森の中で3日間テント泊をして、なにもない地面に、一から焚火を起こして、自炊しながら生活しました。地面に寝転がって木々を見上げていたら眠りに落ちて、しばし昼寝をしたとき、目覚めたら体中にエネルギーが満ちているのが具体的にわかりました。手のひらの真ん中、足の裏の真ん中を貫通して全身に気が通っていました。

20130504_224613_2 木々の間を風がとおる音を聞いて、無心で火のお世話をしているときの充実感。そこにある木々が落とした枝葉で火を焚いて、その火を通した食べ物や飲み物をいただくことで、その場のエネルギーを体の中にまでいただいたこと。

その場の木々と風と地面に支えられた火が、夜には明かりにもなり、暖にもなったこと。

20130506_123603あのときは、始終、あの場所に守られている感覚が、ありました。

* * *

あのアセンダントの度数を土星が通過したのが、ちょうどこのブログを始めた頃でした。

土星は「問題箇所をあぶりだし、修正して、全体を安定させ、確実にしていく」作用を持つといわれる天体。わたしのアセンダントも着実にそうやって土星に導かれていたのかな…。

あれから7年近く経って、今土星は、私のチャートのIC近くまで来ています。ぐるりの1周の4分の1くらい来たところ。

母を見送ったあと少しして、なにがなんだかわからなくなってしまっていたけれど、自分の中には「こちらへ」という方向が、流れとしてまだそこにある、と思い出せて、よかったです。。。

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コメント

こんにちは

今、冬です
毎年冬はバラの剪定で大忙しです

バラは、古い枝を切ると新しい枝が出てくるよ
新しい枝のために、古い枝とお別れするんだ

夢の中で、お母さんとおばあさんが赤ちゃんのことで
すごく喜んでいた
そういうことだと思う

投稿: あさこ | 2014.01.16 14:10

あさやん、
そうだね。
ありがとう :)

投稿: な | 2014.01.18 17:06

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