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2013.08.05

ビジョンの大きさと、3人のインディアン

20130805_121059 今日はひさびさのお休み日。自由な一日。今年最初のトマトが赤くなってるのに気づきました。そしてその向こうの庭に、とつぜん、ミニミニのティーピィー(インディアンのテント)が出現していました。木工アトリエをしているおとなりさんのところに夏休みで来ている子供たちが作ったものらしい。

ティーピーは丸いとんがりテント。かつて一族が野営するときには、これがたくさん、輪を描くように丸く並んだそうです。『ブラック・エルクは語る』という本に、そうありました。丸いものには力が宿るとのこと。ブラック・エルクは後年住まうことになった西洋文明の「四角い家」について「円と違ってよい気がめぐらない」と言っていました。

『ブラック・エルクは語る』という本は、1930~31年に、ネイティブ・アメリカンのスー族の老人ブラック・エルクが、白人的教育を受けた自分の息子を通訳に、白人の詩人ジョン・ナイハルトに語って聞かせた彼の生涯の記録です。

ブラック・エルクは誰にでもこうした話をした人ではなく、人生の終わりにこの詩人が「昔のことを語り合いたい」と訪れたとき、この人に語ることにしたのは、「自分の見たヴィジョンをこの世に残す」のが目的だったのであって、それは「ぜひとも果たさなければならない義務のように感じていた」ことだったらしい。

本には、ブラック・エルクの生涯が具体的な史実のディテールとともに収録されています。が、中でも特に、9歳の夏に彼が得たビジョンの部分はパワフルで、本を読み終わっても、まだ本を図書館に返せずに、そのヴィジョンの部分を読み返しています。

特に気になるのが、「赤い杖」と「白い杖」のこと。ブラック・エルクが9歳のときに見た「おおいなるビジョン」では「赤い杖」1本を大地に突き刺すものだったのに対して、後年彼がゴースト・ダンス(というトランス状態に入るような盆踊りのようなもの)の中で見た「より小さいビジョン」(と年老いたブラック・エルクが振り返って呼んだ)ビジョンでは「赤い杖」と「白い杖」の両方を「必要になるはずだから」と差し出される。

ブラック・エルクはこの「より小さいビジョンだったほう」に従ってしまったことが自分の過ちだった、と後年、悔んでいました。「あの大いなるヴィジョンの教えに頼るべきだったのにそれをせず、より小さなヴィジョンの中で見た二本の杖に頼った。この世界にあっては、とかく大きなヴィジョンの告げる教えに従うのはむずかしい。なにしろこの世界には暗黒がのさばり、多くの不気味な影がうごめいている。このような影の中で、人間は道に踏み迷ってしまうのだ」(P251)。

もう1点、気になっているのは、やっぱり「ビジョンの大きさ」に関わることなんだけれども、それは、9歳の夏の「おおいなるビジョン」の一部分、「四つの坂道」(P49~)の「第三の坂道」で起きたこと。

おおいなるビジョンでは、「良きオヤテ(ネーション)が聖なる作法にのっとって良き土地を歩む」様子を見る場面があって、その進む道は「四つの坂道」になっています。

ブラック・エルクは「四つの坂道は私が知るべき四つの世代だった」と言っていますが、その第一の坂道では、「土地は、見渡すかぎり緑におおわれていた。年老いた男女が一斉に手を上げ、手のひらを前に向け、遠い空のかなたに向かって手を差し伸べ、穏やかな声で歌をくちずさみはじめた。……第一の坂道の終わりに来ると、われわれは以前と同じように聖なる輪の中に野営を張り、輪の中心に聖なる木を立てた。まわりの土地はまだ見渡すかぎりの緑だった」。

やがて第二の坂道に向かって出発し、前と同じように進んだ。相変わらず緑だったが、傾斜は急になってきた。前方を見ると、人々は、エルクやバッファローなどあらゆる種類の四本脚に姿を変え、中には鳥の姿になったものもいて、いずれも聖なる作法のとおりに良い赤い道を歩いていた。……しかしその坂道の終わりに近づき、そろそろ行進をやめて野営を張ろうかというころから、四本脚たちは落ち着きを失った。自分が以前と違う姿であるのが気になるらしく、不安そうな声を出して首長たちに呼びかけはじめた。坂道の終わりで野営したとき……聖なる木が葉を落としはじめていた」。

やがて人々はふたたび野営を解いた。彼らの前に、黒い道が日の沈む方角へと伸びていた。そこには黒い雲が湧いていた。人々は前へ進みたくなかったが、その場所にとどまることはできなかった。そして彼らが第三の坂道を歩むとき、人間の変身した四本脚や鳥たちはみな、あちらこちらを駆けまわった。それぞれが自分だけの小さなヴィジョンを持ち、それぞれが自分だけの規則に従いはじめたようだった。天地のいたるところで、風の吹きすさぶ音が聞こえた。まるで、野獣たちが争っているような音だった」。ブラック・エルクは1930年代に「いま、われわれはちょうどあの場所の近くにいるように思える。世界じゅうで何かひどく悪いことが起きるような気がする」と言ったそう。

この第三の坂道で、「それぞれが自分だけの小さなヴィジョンを持ち、それぞれが自分だけの規則に従いはじめたようだった」というところが、すごく気になっています。2010年代の今も、やっぱりこの場所にいるんではないのか、と…。

ヴィジョンはこう続きます。
われわれが第三の坂道のてっぺんに着いて野営したとき、オヤテの輪は壊れた。広がって消えていくタバコの煙の輪のようだった。聖なる木はぐったりとして生気を失い、木に宿っていた鳥たちはすっかりいなくなった。

みんながいよいよ第四の坂道をのぼる準備をしていると……彼らはみな元の人間の姿にもどっていたが、体は痩せ細り顔はげっそりとこけていた。彼らは飢えているのだった……。聖なる木はもうどこにもなかった。

でもこのあと、「飢えた野営地の北側に体中を赤く塗った一人の聖なる人が立っているのが見えた。聖なる人は槍を持ったまま、人々の真ん中に歩み入ると、地面に横たわり、ごろごろと転がった。起き上がったとき、彼は一頭のよく肥えたバッファローになっていた。そしてバッファローのいる場所に、聖なる薬草が生えてきた。そこはちょうどオヤテの輪の中心、聖なる木の立っていた場所だった。薬草は見る見るうちに伸びて、一本の茎の先に四つの花を咲かせた。――青、白、緋、そして黄色の花だった。四つの花の放つ四色の光が輝き、まっすぐに天までとどいた。

薬草が伸びて花を咲かせると、人々はみな生気を取り戻し、馬たちは尻尾を立てていななき、跳ねまわった。北の方角からそよ風が吹いてきて、人々の間を亡霊のように通り抜けるのが見えたかと思うと、突然、あの花咲く木がまた立っていた。そこはオヤテの輪の中心、薬草が花を咲かせ、四色の光線を天に投げた場所だった」。

このあと、ブラック・エルクが聖なる力をたたえる歌を歌い、「声」の示すとおりにすると、西のほうに表れた一頭のやせ衰えた馬が、「ひひーんといななき、地面をごろごろと転がった。やがて起き上がった姿を見ると、大きくつややかな種馬になっていた。……彼はすべての馬の長なのだった。鼻をならすと鼻孔から稲妻が走り、目は宵の明星のように輝いていた」。

そして馬のオヤテがあらわれ、その中心でこの長の黒馬が歌を歌います。「このうえもなく美しい声だった。あまりにも美しかったので、あらゆる場所のすべてのものたちが踊りださずにはいられなかった」。

そして人間たちの様子を見ると、「その上を雲が流れ、彼らの上に恵の雨を降らせていた。やがてその雲は東の空に流れて、その上に燃えるような虹が出た」。

馬たちはみな、歌いながら第四の坂道のてっぺんを越え、その向こうのそれぞれの場所へと、もどって行った。すべてのものたちは馬たちの声に合わせて歌いながら歩んでいた。そのとき声が言った。『宇宙のあらゆる場所で、彼らは幸せな一日を過ごした』。見下ろすと、幸せの一日の、大きな広い輪が見えた。その輪は美しく緑色で、いろいろな果実が豊かに実り、すべてのものは優しく幸せだった。また声が言った。『この様子を見なさい。このような暮らしをお前がつくるのだ』」。

ブラック・エルクはおおいなるビジョンの中でこの後、「大地の中心に立って見てみよう」といざなわれ、山々の中でも一番高い峰に立ちます。このとき「私の足もとを取り巻くように、全世界の輪が広がっていた。そこに立って私は、言葉になる以上のものを見、見た以上のものを理解した。私は、聖なる作法に則って、あらゆるものの形を、そのスピリットの姿において見ていたのだ。あらゆるものの形を、それらが一体となって共に生きる、一つの形の中にとらえていたのだ。そしてまた私は、民の聖なる輪がたくさんの輪の中の一つの輪であり、それらのたくさんの輪が、日の光や星の光のように輝くおおきな輪を形づくっているのを見た。その輪の中心には一本の木がたくましく育って花を咲かせ、その木陰に、共通の父母から生まれた、すべての生きものたちが集っているのだった。これらのすべてが聖なるものなのだと私は思った」。

* * *

このヴィジョンを、白人を通して、後世に残したブラック・エルクと、自然とともに生きるインディアンの生き方を、白人の子供(トム・ブラウン)に教え伝えることで後の世に残した、リパン・アパッチ族の古老ストーキング・ウルフ(通称「グランドファーザー」)。迫害した相手である白人に、伝える、ということをした背景にどんなビジョンがあっただろう。おそらく、「民の聖なる輪がたくさんの輪の中の一つ」「すべてが聖なるもの」という境地だったから、できたこと…。

ストーキング・ウルフがトム・ブラウンに教えたのは、1957~67年。ブラック・エルクが語りだしたのは1930年。

インディアンとしての生き方を貫きながら白人と交友関係を持って、自分のあり方を伝えたのは、ブラック・エルクに先だって、ヤヒ族で最後の一人の生き残りだったイシ(本名は不明)もいました。1911年に白人の屠畜業者の囲いに迷い込んで保護されてから、1916年に亡くなるまでの日々、人類学者のアルフレッド・クローバー、トマス・ウォーターマンらととても友好的な関係を築いたイシ(白人によって自分の身内も一族も目の前で虐殺されているのにもかかわらず)。彼も、そのものすごく柔和で優しく寛大な人柄に、人類学者たちがすっかり打たれてしまったことが記録に残っています。

イシも、意図的ではなかったにせよ、クローバーの妻による伝記『イシ』と、クローバーの娘の作家ル・グウィンの作品を通じて、インディアンのあり方と世界観を西洋世界に伝えました。

20130727_140826この橋渡しが、「その輪は美しく緑色で、いろいろな果実が豊かに実り、すべてのものは優しく幸せだった」といえるような暮らしがこれからやってくるための、助けになってきているように思えています。

そうやって撒かれた種が、世界のいろんなところで芽を出しているようにも感じる。

それぞれの小さなビジョンに立て籠っているところから、輪の思想へ…?

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