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2015.03.15

くつろぎ

20150309_111252 クロッカスが咲いています。おととしの秋に植えてみた球根から、昨年に続いて今年も咲きました。ムスカリも芽出しを始めていて、季節のめぐりを感じます。20150309_111357

クリスマスローズの苗も、何種類かいるうちの1つが、3年目に突入して、初めてつぼみをつけました。

20150309_111321 原種のクリスマスローズもそこそこ元気。このクリスマスローズは、みどりのぼんぼりが、お花の部分。

* * *

毎年ぐわん、とふだんの日常から意識がリープする「2月病」も、だいぶんおさまってきたように感じるここ数日。少し落ち着きがとりもどってきたというか。(あ、でも、もしかしたら、ただの風邪引きかもしれないけれども)。

やりたいことにまっしぐらにいって大丈夫、といつもお世話になっている野口整体の(ひ)先生には言っていただいていて、仕事をがんばりつつ、グリーンウッドワークにまっしぐらに向かっていた日々だったのだけど、ちょっと、また疑念が湧いていました。

「今はこんなに夢中だけど、そのうちに熱がさめるのかな」と。自分は気分屋で、集中するものごとにも移り変わりがあるので…。

これにエネルギーを傾け続けていっていいものかなあ、と心配になりはじめていたし、あとは仕事に関して揺れが起きている感じもしていたのだけど、そうしたら、星読み&カード読みのプロのともだちに、そこらへんをみてもらうことができました。(た)さん、ありがとう…!

木工については、やっぱりずっとやりたかったことなんではないのかな?というリーディング。そして最後にカードを引くと、富士山のカードと、「おおやびこのかみ」という、髪の毛がそのまま樹木になっている絵柄の神さまのカードが出てきました。O0800045013228251022

「おおやびこのかみ」については、まったく知らなかったので、あとで調べてみた。「五十猛」という神さまの別名だということでしたが、日本書記によると、天上から地上にやってきたときにたくさんの樹木の種を持ってきていて、それを九州から始めて日本列島全土に植えていって、緑あふれる土地にしていったのが、この神さまとその女きょうだいたちだとのこと。

それで林業の神さまとして大事にされてきたそう。ついでに、船を作り海を渡った経歴もあったので、造船、航海安全、大漁の神さまとしても信仰されているそうで、森にひかれつつも海も大好きな自分に、「それでいいんだよ」とこの神様が言ってくださってるようで、すごくうれしいです。

なにより、こんなに木工に惹かれてていいのかなあ、という不安に対して、木々の神さまが出てきてくださったというのは、心強かった…。

「ずっとやりたかったことなんじゃないかな?」と言ってもらえて、思い出したのが、寮の相部屋で暮らしていた学生時代に、ふいに木が削りたくて仕方なくなって、近くの工事現場に落ちてた木端を拾ってきて、夜な夜な彫刻刀で削っていた日々があったこと。このときは、新しく入った学校やクラスメイトになじめず(人種差別的なものも初めてあからさまに体験して)、もしかしたら、ひきこもりたかったのかもしれない。

ルームメイトがいるので、暗くした部屋で自分のデスクランプだけつけて、そのオレンジの光の輪っかの中で、ひたすらただ手が削りたいように、木端を削っていました。あの数日は、食事もろくにしなかった気がする。コーヒーだけ入れて。そうやって木を削っているのがこのうえなく幸せでした。

手が動くままに削っていったら、片側には流れと曲線、もう片側は角と直線のある、小さなオブジェ(?)になりました。まんなかに碧いおおきなビー玉を入れました。今も持っていたっけな?と探したら、奥の方から出てきた…。ビー玉がなくなった状態で。20150315_000149_2   

入ったばかりの学校を辞めて、イスラエルのキブツで働くか、ジンバブエの遺跡発掘のボランティアに行こうと真剣に考えてリサーチをしたりもしたけど、このミニオブジェをつくって気がなぐさめられたのか、新しくできた少数の友人のサポートがあってか、中退はふみとどまったのでした。

それから何年も経って、日本のあるインスタレーションアーティストの海外プロジェクト担当秘書に応募したとき、「自分でつくった作品を提出」しなければならなくて、作品なんてなかった自分は、仕方なくこのミニオブジェを持参しました。

面接のとき、アーティストである先生のお付きの人に、「なんですかこれは?お守り?」と聞かれたのを覚えています……(汗)。

先生は、代々植物を使うことに長けてきた家柄の人でもあって、竹をメインにかなりおおがかりなインスタレーションをつくったり陶芸で大きな彫刻をつくってらした方でした。そんな大御所の芸術家に、木端をやみくもに削っただけのものを持参してしまって……、面接のそのほかの質問にもしどろもどろにしか答えられず、ああこりゃ絶対だめだ、と思ったのを覚えています。若気の至りというか、無知だからこその大胆さというか。それが予想外の展開で、受かったのでした。あのときはほんとにびっくりした。

オブジェになってくれたこの木のおかげだったんだろか。工事現場に落ちてた木端なので、たぶん材はSPFです。ほんとうになにも考えず、ただ「ここ」「ここ」と呼ばれるままに削りました。楽しかった。

20150313_120312 20150313_120728今も、何にも考えずに、ただ削っているのが楽しい……。こないだも、削り馬づくりで出た生木のきれっ端を無目的に削っていたら、やっぱり愛おしくなってしまって、それで革ひもをつけてキーホルダーにしてみた。どう、ということのないキーホルダーですが、自分にはうれしい使い心地です。

先週から今週まで、代替医療・統合医療の道を歩まれているプロセスワーカーのともだちにヘルプをいただいて、ひさしぶりに自分のからだのことをみていったのだけど、そのときに出てきたのも、ごろんと寝ころんで、砂でクジラの像かなんかをつくってくつろいでいる、南の島の海の民でした。なにか、つくることが休むことになるような、休みながら手を動かすような、材と交流しながら環境の一部になってくつろぐような、そういうことが必要なのかもです、今の自分に。(ひ)さん、ほんとにありがとう。

木々の神さま、おおやびこのかみのカードのメッセージも、いかしていました。

「樹木はただそこにあり、体験し、自らを悠久の時の中に知るのです。

 

天と地の間で調和をとりながら、外に起きている出来事を個人的に受け止めはしません。

日照りが続いても、それを自分のせいとは思わないでしょう。 

大きな木のように、大地に根を下ろして、自己中心性という眠りから覚める時がきています。

外の出来事に対して、自分が反射的にとってしまう行動を観察してください。 

 

古い習慣を手放し、自由を手に入れましょう。

 

大屋毘古神は、自分が世界の中心であるという幻想から目を覚ますお手伝いをしてくれます。

野外に出て、大きな木に触れてみましょう。

 抱きついて、その樹木と話してください。木は偉大な教師です。」

(日本の神様カードより)

古い習慣、といえば、わたしのくせは、外の出来ごとに対してわりとすぐ「自分が悪いのだ」と考えがちなところで、まさに「自己中心性」がありすぎるところ(新幹線が止まっても、自分のせいだと考えるくらい)。これが幻想なのだと悟れたら、だいぶんほうっとくつろげそうだなあ。

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