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2015.10.30

実りの秋に、透明な循環について考えた

20151030_112145 事情あって庭で育ててきたジャスミンを一枝だけ、蕾のついたまま切り落とさなくちゃならなかったので、こんなふうに初めて花瓶にさしたらば、たくさんのつぼみが毎日次々と、テーブルの上で開いていくのでびっくり。元気いいなあ。。。なかなかに心を楽しくさせてくれます。パソコンの画面にお花が覆いかぶさってきてるなう。。。

昨夜まで通訳がたて続きにあったのと、先週末の消耗が抜けきらないのとで、なかなか翻訳仕事に戻れずにいたのだけど、今日はようやっと戻れました。そしてよく内容をみたら、自分の関心事ど真ん中の文書だった。。。いつもこういうお仕事を回してくださる担当の(み)さんに感謝の気持ちが募る。つくづく、ありがたいことだなあと思いつつ、下訳を終えた。

20151030_180146 夕方になって、今日は地元の農家さんが無農薬栽培しているお野菜が近所の自然食品店に入荷する日だ、と思い出して、慌てて自転車を走らせてくと、お店のおやじさんが自然農でつくったという「今年最後のゴーヤ」をくださり。。。わあ!ありがとうございます、といって店を出ようとしたら「あ!」と呼びとめられて、さらに、お店のお客さんがつくったというハヤトウリまでおみやげにいただいてしまった。。。買った野菜よりもたくさんのおみやげに恐縮してると、「今日はついてる日だね!」と笑顔のおやじさん。ほんとにいつもやさしくてしていただいてて、なんというか。。。ありがたいことです、ほんとに。

食欲の秋がわたしのとこにも確実に来ていて、いつもならケーキなど甘いおやつの引力が増すのだけど、今年はふしぎなことに、甘くないものを間食に食べたくなることが多く、真夜中にきんぴらごぼうを食べたり。。。どうなっているのかな?

20151029_144104 20151030_120349 サラダ祭りもまだ続いていて、とにかくサラダを1日1回は食べたいのでした。ドレッシングは相変わらず、粒マスタードにメープルシロップ少しとお酢を混ぜたやつ。もしくは黒酢とオリーブオイルを混ぜたやつ。

20151026_123802_2 相方が先日つくってくれた、いただきものの柿を入れたサラダも、ほんとうにおいしかった。

果物も本当においしくて。。。岡山のお知り合いのところで育ったぶどうが、今年はとりわけ大好きな秋の味。あと遠方から訪ねてくださった相方のお友達から、おみやげに地元産ブルーベリーをいただいたのも、ベリー大好きな自分にはたまりません。。。パンにのせると至福の朝ごはんです。20151029_130319

実りの季節ってやっぱりすてきだな。そして知っている人がつくってくださった野菜や果物をいただけることの、ありがたさ、尊さを思います。

よく知らないところで、知らないうちに人や生きものを搾取することになるたけ加担しないよう、できるだけ、身の回りで、自分の信頼する人がつくるものが生活のウエイトを占めるようにするとよいんだろうな。。と常々思ってるんだけど、なかなか難しいし悶々とする。。せめてできる範囲で少しでも、というふうにしてくしかないです。

でも少ない収入のなかから地元の無農薬野菜をがんばって買うと、(それを知ってか)買ったよりももっとたくさんおみやげをお店のおやじさんがくださったりする。。。なんかほっこりして、物理的にもこころの面でも助かります。こういう循環をわたしもまた次へと送りだしていきたいものだー。。。ただ、わたしのこうした金銭的「がんばり」は、もともとの野菜や果物を育ててくださってる人のがんばりと釣り合ってるかというと、やはり育ててくださってる人のがんばりのほうが大きいんだろう、とも思う。

がんばりのなかによろこびのある度合いも、やっぱり、育ててくださってる人のほうが大きんだろうなあ。。。

* * *

Photo さっき読み終わったばかりのこの本、台湾原住民作家のシャマン・ラポガンさん単独の短編集がついに去年翻訳版で出たものなんだけど、ぐいと引きこまれていました。シャマン・ラポガンさんはすべて実話しか書かないとおっしゃっているのだけど、台湾の蘭嶼島に暮らすタオ族のひとりとして、ご自身が16年台湾で過ごした後ふるさとの蘭嶼島にUターンした後の日々が印象的でした。

台湾での「漢人」の価値体系の中での暮らしから、
蘭嶼島でのタオ族の価値体系に、だんだんと回帰していくなかで強調されるのは、本物のタオの男性として社会に認められるためには、食べ物(魚)を自分で海に潜って、もしくは舟を出して、獲ってこれることが不可欠ということ。これは島の近海の潮の流れについて、季節変動について、地形について、魚たちの行動についてなどなどを、経験的に知っていかないとできないことだし、スキルと体力も培わないとできないこと。そのうえさらに、森で木を伐って、自分の手で舟を作ることも、大きな大きな要素。。。(シャマン・ラポガンさんも年配の方々と一緒にタタラ舟をつくったのでした、生木を削って、鉄釘を使わずはめ合わせて作る舟)。

海から食べ物を自分で得ることは、たいへんな苦労と危険を伴うことなんだけれど、素潜り漁に長けてくるにつれて、シャマン・ラポガンさんはそれを「労働」として行うというよりも大きな喜びに浸るためにやるようになっていきます。そこが本当に興味深かった。海に完全に心を奪われてしまって、家族からは漁ばかりしてお金になる仕事をしないと嘆かれ、親には心配されて引きとめられるようになるのだけど、それらを振りきって海へ行く。。。

90年代初めの頃がこういうふうだったそうなのだけど、私がお会いしたとき(東京海洋大学で講演されたときだから2008年)も、まず最初にご自身のことを「作家もしていますが、毎日家族のために魚を獲っています、だから今は(自分が東京に来てしまってるから)妻子は魚を食べられていません」とおっしゃっていたのを覚えています。(魚とタロイモ・サツマイモがタオ族の伝統的な毎日の食事です)。

日々の糧を得ることが、自分のど真ん中のよろこびと直結しているって、すごいし、それをずっと継続していけているってすごい。。

お金を介さずに糧を得るとと、お金を得ること。これらについてよく考えているこの頃です。

どちらにしても透明性のある循環と、よろこびが、そこにあればいいのだろうな、と思う。自分も一ミリずつでも、そちらの方向へ、近づいて行きたいひ。

恥ずかしいの
20151030_233128でめったに人にサインなどもらおうとしないのだけど、シャマン・ラポガンさんには講演が終わった後、勇気をだしてそばへ行き、手帳にサインをもらいました。あれは今からちょうど7年前だったのかあ。。。初めて蘭嶼島をたずねた翌年だ。

自分からサインをもらった人はと考えると、あとはサティシュ・クマールさん、マイク・アボットさん、カジヒデキさん。

その人たちのエッセンスを自分の暮らしの端っこに、なんとか刻印したかったんだなあ。。。7年前に刻印したシャマン・ラポガンさんのエッセンスは今もちゃんと自分の中に残っているみたい。これからは、どうなっていくんだろう。

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2015.10.29

道からそれつづけないように?

20151027_130755 最近なんだか時間が足りないなあ、という感覚がある。もしくは体力か。。? たっぷりと、やすらげる時間、というのがなかなか手元にやってこない感じがあって、少しやさぐれています。海を見ていたら、あの水平線の向こうの大海原に漕ぎ出していきたい、というむちゃくちゃな夢想がまた始まったり。。。

庭のジャスミンは毎日せっせと新しい花を咲かせているし、秋の光はぴかりと明るくて、風もさわやかなのにな。。なにか、時間泥棒にでもあったようなふうです。おちつけ、自分。。。

20151026_093127 20151026_094903先週末は、ひさしぶりのお仕事でかなり消耗してしまったこともあって、リカバリーに時間がかかっています。。。こういうときは楽しいことをしないといけない、と翌朝は起きてすぐ、保管していた桜の枝のストックをひとつ、半割にして、(パジャマのまま)削りだしました。

20151026_113315 20151026_113321 それでスプーンをまた削ったのだけど、今回は、心身のリカバリー目的だったので、だれかあげたい人を思い描かずに、ただ削っていて。そしたら最近お勉強したスプーンのあれこれ(木取りの工夫やら、どこに強度がいるか、やら)をできるだけ考えてやってみよう、という気持ちになってきて。そこに没頭していっちゃった。

勉強になったのは良かった気もするけど、当の桜の枝には悪いことをしたな、というのが残っちゃった。。それがはっきり自覚できたのは、その晩こんな夢をみたから。

背の低い毛深い男性(のおそらく死体)を、自分の前に横たえて、わたしはナイフでその人の皮膚から毛を削いでいた。すごく事務的に、ニュートラルな気持ちで、そうするのが当たり前なように。ほかの動物みたいに毛深かった。きれいに削ぎ終わったら、解体する、という次の作業に入るはずなのだった。けど、そこで我に帰って、どうしても頭を落とすのはできないな、と夢の中で思って、毛を削ぐまでで手を止めた。削いだ毛を入れていたビニール袋には、フィンランドで買ったプーッコナイフが入っていた(このナイフは現実の世界では、1月くらい前に、かごの材料にと蔓植物を切って以来なぜか行方不明になっているもの)。

目覚めて、平然とヒトの死体を解体(しかもごく普通に、「自分の生活のために」という感じで)するだなんて!と思ったけれど、ああ、そうか、あの毛を削いでいってたときの質感って、昨日、半割にした桜の枝の樹皮をナイフで削いでいった、あれと同じだ、と気づきました。(それにプーッコを失くす直前に蔓植物を切っていたときの感じとも同じ気もする。。)

桜の枝の、蔓植物の、そもそものbeingのことを、想うことなく、事務的にモノとして対処していた自分がはっきりわかりました。スプーンという機能的なデザインのモノをつくる、というほうに意識が傾くと、かごという有用な道具をつくる、というほうに意識が傾くと、なにかこういう反動が奥深くからやってくるみたい。

植物をいただいてものづくりをする初期動機を、毎回、問い直されるような。。?

20151028_102949 左側のが今回のスプーン。右のはそのひとつ前に、ともだちの子どもさんのために、と思ってつくった子ども用スプーン。

その前につくっていた2本(子ども用スプーンとコーヒースクープ)はもう旅立っていきました。できばえは納得いってないのだけれど、その人たちのことを考えながらつくったのだし、思い出の岐阜のコシアブラだしで。
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* * *

いろんなことが、自分には難しいや。。。それで今夜はなんだか無意味にネットサーフィンなんかをしていて、そしたら薪と炭で吹きガラスをやっている人のブログと出会った。

この方がロケットストーブに興味を持った、というのが自分と共通していたことがあるのだけど、そこから薪と炭で吹きガラスをやることになっていった過程も興味深かった。そして、最後のほうに読むに至ったこの投稿が、また興味深かったな。「吹きガラス作家は本当に食べていけるのですか? 」というタイトルの投稿。

ガンジーが言っていたという、「自分が世界によって変えられてしまわないために」行動する、ということを、思い出したりもしました。

Dsc00643 そこのところ、切実さがあるな。最近。

少し前だけど、カヤトと呼ばれる、山の中でカヤがわーっとしげっている場所を歩きたくてハイキングに行きました。相方いわく、昔は春のお花見と同じくらい、秋はカヤの鑑賞がさかんだったとか。。それでぱっと想い付きで、ふたりともの休日が重なった日にでかけて、誰も来ないカヤトできのこスープをつくって、山のふもとの古いパン屋さんの「なま酵母」のバターロール(おかみさんには「天然酵母」という言葉はなじみがないらしかった)をおともに、遅いランチを食べた。

ああいうふうに過ごしているときも、ほんとうに、「変えられてしまわないため」というか、自分の中のなにかを守っている感じがある。カヤトとつながることが、そのための具体策、というような。

ほかの生きものやbeingsとのseparation sicknessをなんとか乗り越えていきたいんだなあ。。

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2015.10.16

スプーンづくりいろいろ&グリーンウッドワークの「森をみる」講座

20151013_091559 お天気もまだ寒すぎないし、蚊は減ってきたし、ハンモックを持ってお散歩に行きたい今日この頃であります。。。

昨日1冊分の赤字入れを終えて、しごとが一区切りついたので、うれしくうれしく。そしていそいそとつくってみました。赤ちゃんがやってきた友人に親子で使ってもらえたらなあと、フィーディングスプーンを、桜で。20151016_213535

フリーハンドで、「ここ、ここ」と言われるままに削る方式。果たしてこんなので、使い物になるのか?は謎です。。。だからプレゼントというよりは、使ってみて意見を聞かせてください、とお願いする次第。というのも、フィーディングスプーンやベビースプーンについてのリサーチを、作り始める前にしておけばよかったのに、作り終わって、「こんなのになった。。。けどどうなんだ?」と思って、ようやっとリサーチして。。。 

20151016_21350820151016_21344220151016_213411どうなんだ?という謎は残りつつ、せっかく一生懸命つくったので、とりあえず使ってみてもらおう、と開き直った次第。

そんなことばかしやっています。これまでも、わたしのつくったものをもらってくださったみなさま、ほんと、ありがとう&お世話になっています。どうかどうか、その後の使い心地については、率直におしえていただけたらうれしいです。。(ただダメ出しはやさしくお願します、打たれ弱いので。。)。

* * *

Dsc00606 ここしばらく、しごとの合間にちょこちょこと、コーヒースクープと、こども用スプーンもつくり進めていました。前回の岐阜でのグリーンウッドワーク指導者養成講座で、参加者みんなで裏山からアラカシとコシアブラを1本ずつ切り出したのですが、そのコシアブラのほうで。

じつは講座でのお題目は、切りだした木から各自で樹種標本をつくることだったのだけど、一緒に参加させてもらった相方は、削り馬にまたがって削り始めると思わず、以前マイクさんのとこでやったように、スツールの横木みたいなものを削り始めていて。。。結局そのまま時間オーバーになり、樹皮を剥かれ、まるっぽい棒状に削られたコシアブラは「これは一体なんだろう?」状態でした。

でもせっかくそこまで削ったのだし、とそのまま持ち帰ってきていました。あの日のために自分の身をわけてくれた21歳のコシアブラ。もしかして、コーヒースクープを欲しいと言ってた(た)くんのために、ひとつできるかな?、(あ)ちゃんに子供用スプーンもつくれるかな?と削り始め。。。これら3個のスプーンになりました。左右ふたつは、立つようになっています。Dsc00594

コシアブラはやわらかな木で、色白で、削るのがとっても楽しかったです。

Dsc00602 子ども用スプーンに、と思ったほうは、柄のさきっぽに猫のモチーフをつけようと思ってやってみたのだけど、あんまりかわいくできなかった。。。ので、結局耳を削り落し、ただの玉状の飾りになりました。

むむ残念、と思ったけれど、こうやって彫ってみて、あ、ここにこの切れ込みが入ると、紐をゆわいて吊り下げることができる、と気づきました。柄に穴を開けて吊るせるようにするのとはまた別の方法になるんだな、と。そんな学びもあったので、これはこれで、よしとします。。

今回は毎日少しずつサンディングして、つるつるにしていってます。まだ途中。。。このやわらかいコシアブラの材を、どこまで薄手にして大丈夫かどきどきです。

* * *

それにしても、前回のグリーンウッドワーク指導者養成講座は、ほんとうに楽しかったのでした。「森を見る」というテーマで、日本の森の概要から始まって、伐採するときの服装や季節や注意点、樹木の見分け方(その「いろは」の基本のき)の座学を経て、実際に裏山を歩きながら、そこに生えている木々について植物愛満載の先生から教わり、それから材としての質が対照的な2本の木を伐採して、それらを実際に割って削って、樹木標本をつくっていく、という内 容でした。20758931824_e375eb2959_m

森から始まる、グリーンウッドワークの最初から最後までの流れを一息でたどったような1日でした。すごい講座だった。。。

裏山に入ったときは、数歩歩くたびに、そこにいる植物についてのお話がぶわーっと始まって、ほんとうに楽しく、うれしかった。それぞれについて、お話だけでなくて、さわってみたり香りをかいでみたり、虫の存在を感じてみたり、五感を通じてお近づきになれるように導いていただけました。

20151004_124311 あのときお知り合いになったそれぞれの木々について、帰宅してから復習してノートに整理したのだけど、それがまた楽しかった!お勉強みたいなことをして、こんなに楽しかったのって近年なかった。。。

体験を通じてお近づきになった木々を、これからも、こうやって記録に残して、マイ樹木図鑑&樹種標本をちょびっとずつつくっていけたらいいなあ。

Dsc005371 今回つくった樹種標本は、生木のときのサイズを紙に写しとっておいて、1カ月近く乾燥させたあとと比べました。乾燥したときの収縮率、収縮方向は、グリーンウッドワークでは特に大事になるところかなあ、と思う。樹種によってどのくらいの差があるんだろうな?

そんなこんなを、あれやこれや見ていくのが、楽しいです。ほんとにいろんな木があって、いろんな植物があって。。!

学びを、助けてもらっているさまざまな人、存在に感謝します。。

PS そうだ、今回の岐阜行きでは特に、旅館のおかみさんに大変お世話になったのでした。。。今回は相方のお誕生日でもあったしで、テント泊でなく美濃の古い旅館にお世話になったのだけど、そこのおかみさんは、ご高齢なのと最近しばらく入院もしていたとのことで、いろいろに「上手 にでけんけれど」と言いつつ泊めてくださって、そのうえ、明日はどこへいくの?と聞かれて森林アカデミーで山へ入るんです、と言ったら、翌日の朝食のとき 「のら仕事するなら、お弁当がないとね」と、おおーきなおにぎりと、梨をむいたのを山盛りと、炭酸せんべいのようなおやつまで、持たせてくださったのでした。(おやつはなんと封が開いていて「「これは食べかけだけど、持って行って」と、自分で食べようとしていた分までくださって!)

実は朝ごはんを食べているとき、お昼のお弁当にと、ごはんと梨を少し残して、お弁当箱に詰め ていた私たち。おかみさんがその様子を遠くから見ていた、という可能性はゼロなので、おおーきな袋におにぎりと梨とおやつを入れておかみさんが部屋にやっ てきてくださったときは、ほんとうにおどろきました。超能力があるのかな?と思ったくらい。。。

ありがたかったです、そしてほんとに、おいしいお弁当でした。。!ごちそうさまでした。おやつも、帰りの電車を待つホームで、ほんとうにおいしくいただきました。ご恩、忘れません。

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2015.10.05

トトロのおなかの上で

20151003_130726 最近、夢のような次元であわやーく思う「願い事」が、叶うスピードが加速しているように感じます。これは世界的な現象なんだろか。。。

というのも、ついこのあいだ、ヤブガラシという植物と知り合いました(近所の森のお手入れのボランティアで、「つる切り」という作業をして、その帰りみち、バスケットづくりのために「野葡萄の蔓があそこらへんにあるから切っていいよ」と言われ、喜んで切って帰ってきたら、野葡萄と思ったそれはヤブガラシだった、という事件があって)。

そしたら、その翌日に、ヤブガラシのことを「とっても素直な植物なんですよ」と語り、蔓を切ったりすることなく、くるりと輪に丸めてそっと地面におくだけで、「藪を枯らす」ほどのヤブガラシの勢いをおさめる方法を伝えていらした矢野智徳さんのお話が、Facebookづてに流れてきました(矢野さんのご活動については小耳に挟んではいたのだけど、こうした具体的な手法を伝え聞いたのは初めてでした)。ネットで調べるとみんながヤブガラシを厄介者扱いしてるようだったのに、そのヤブガラシを「とっても素直」と語るその人に、「お会いしてみたいなあ」と、そのとき思って、そうしたらその1週間後、矢野さんがわが家のある地域のほうで、森のための「水脈づくり」を指導される現場に、参加させていただくことができてしまいました。

イギリスでグリーンウッドワークの合宿コースをやってらしたマイク・アボットさんのウェブサイトがネット検索で出てきて、素晴らしいコンポストトイレや、焚火での料理、テントでの寝泊まりという森での生活そのものに魅せられて、いつか行ってみたいもんだなあ、と思っていたら、半年しないうちにほんとうに行けてしまった、(しかも春に行けて感激してたら、イギリスでのお仕事のお話が舞い込んで、同じ年の秋にもう一度行けてしまった)、あのときも、こんなに非現実的な願い事がこうも早く叶うなんて、どうしたことだ、と心底びっくりしたのだけれど。。。今回もそうでした。

しかもお金のないわたしにとって、今回の参加費無料は、ありがたすぎました。。。(マイクさんのとこに行ったときも、春のはワークエクスチェンジ的なものだったので食費だけで森に1週間滞在させてもらってしまい、秋にちゃんとコースを受講したときは受講料をフルで払ったけれど、渡航費はイギリスでのお仕事をいただいたおかげでまかなえたのでした)。

ほんとうに、有難いことです、文字通りです。

(グリーンウッドワークは、その後、日本で学びを続けたくて、マイクさんにわたしよりもうんと早くから教わってきたグリーンウッドワーカーの方おふたりに、散発的ペースではあるけれど教わっていて、その講座も、受講料がものすごく、ものすごく、良心的で、内容は特濃で、ほんとにまたしても文字通り、有難いのでした。先月の講座もインスパイアリングで、そのことも書き留めておきたいのになあ。。次の回だ。。)

今日は、まず、矢野さんご指導の水脈づくりのことを。。

でもうまく内容を伝えられる自信はないので、自分が感じたこと・理解したことのみになってしまうのだけれども。体験としては、ひとことでいうと、これまでになく、草木、土、水、空気のつらなりを3Dで垣間見た、というような感じでした。

20151003_125358 雨となって地面に注ぐ水の動きが、本来の自然の動きに近いものになるよう、すでに人間が傷をつけてしまった地面を養生する、そんな作業が、「水脈づくり」の作業でした。具体的に言うと、宮脇昭さんのご指導で森林再生しようとしている場所があって(宮脇さんも植樹の方法論が有機的で、すごいなーと思っていた方なのですが、今回宮脇方式の森づくりと矢野さんの取り組みとが合体するのは初の試みなんだそうです)、そこに人が通るための道がつけてあるのだけれど、雨水が、道に集まって流れて地表を走ってしまう、その勢いをおさめて、水が縦に地中に浸透できるようにしていくための作業です。(写真は作業後のようす)。

道をつけてそのままになっていたところは、両サイドよりも低いために両サイドからも水が集まり、地表の土は、道の両サイドの地面の土も、道の土も、水と一緒に流され豊かな表層が育っていかないし、集まった水は早く斜面を駆け降りるため縦に浸み込まず表面を走るばかりで、雨が降っても地中は潤わない。地面の表面にはテカった膜が張ってしまっていて、空気も地中に入れなくなっていました。こうなると草木が茂れず、草木の根が元気に伸びられないために、地中のなかの隙間はさらになくなり、空気も水もなおさら地中に入りにくくなり、土がどんどん硬くしまって、なおさら草木にとっては生きにくくなる。。という悪循環。

一筋水が早く流れるルートができると、そこに向かって、さらに周辺の地の水も引き込まれていくんだそうです。水の習性。。なのでこの道の両側に広がる植樹地の健やかさが、かかっていることになる。

20151003_130719 そもそも草も生えていない裸地というのは、地球にとっては傷口のようなものなんだそうです。この傷口をなんとか塞ごうと草たちは一生懸命、生える。草木の根が、土留めになって、地表の土が流れるのを防ぐし、地中の隙間をつくって空気・水が地中に入っていけるようにして、地下水脈を育てるんだそうです。大きな樹の根は、地中でほんとに大活躍しているのでした。

本来の自然の地はどこもすべて、水が横に流れる動きと、縦に地中に浸透する動きは、常にバランスを保っていて、どちらかに偏ったりはしていないんだそうです。

それが過去50年の、コンクリで固める土木などで、地中はぎゅっと押し固められたまま、水も空気も通らないような状態になっているところが増えてしまった。窒息し、血脈である水脈がおとろえてしまった大地に草木ががんばって生えても、草木も元気に成長するのは大変だし、草木が元気でないと虫や動物たちも苦労を強いられて、暴れ出したりする。

それでも動植物たちは、みんなでがんばって、なんとかバランスのとれたところへ戻そうとしていて、だから草も木も生えてくる。そうやてみんながんばってるなかで、人間だけがマイナス方向に邪魔をしがちなのですね。。。草木を抜いて地面を丸裸にしたり、コンクリで表面を固めたり、土地の四方を囲んだり。。。

だから人間が邪魔をやめて、自然のみんながやろうとそている方向に協力的になっていくようにすれば(そしてその取り組みも、できるだけその場にある有機的な材料で行えば)、バランスのとれたところへ向かう動きは必ず加速するんだそうです。そしてそれは目にみえる結果が出るんだそうで、矢野さんはご自身の目で実際に見てきてわかったことを、シェアしてくださっているのでした。

20151003_111831 今回の作業のあと、どんな変化が期待できますか?という質問に、まず矢野さんは、近くにあった草の葉っぱをちょっとちぎって、陽に透かしました。「こうやって陽に透かすと、葉っぱって、こう、ぽうっと光りますよね」とおっしゃって、「今もこの葉っぱは、まったく光ってない、ということではないけれど、今日の作業で大地の水脈が育ってくると、この光り方がね、強くなります、もーっとこう、ぽうっとね」。

それから道の両サイドに生えている木々については、今黄変をおこしている葉っぱが緑になってきます、と(黄変と紅葉は違う、と説明したうえで)。あとは木々の芽が、もっと充実した感じになるし、全体に、みんな元気になってくる、それが体感としてわかるはずです、とのことでした。この説明のどれもに、ぐっときた。。。

20151003_111854黄変については、樹のどのへんで起きているかも見るといいそうで、黄変が起こっているのが下枝の場合は地面の表面近くの問題、上のほうの枝の場合はもっと深い地層の問題なんだそう。わたしの横に立っていたトベラは、まさに一番下の枝に黄変が起きていました。

矢野さんが強調してらしたのは、地中の水の動き(地下水脈)には、空気の動きが先行する、という点でした。これを何度もおっしゃっていた。目にみえないから見過ごされがちだけど、まず、大気中の空気、これが土中に入っていって動かなければ、水は動かない、と。

ストローの中に水があっても、片方の口を指で押さえたら、中の水は動かなくなる。あれと同じこと、と。

20151003_131156大地全体が呼吸をしていること、それを阻害しないことの大切さを、しみじみ、思いました。そしてそれがどれだけ、全体(草木、動植物、わたしたち)にとって、大きいことか、を。あと、地表をカバーする草や落ち葉枯れ枝、みんなが大切な役割を担っている、ということも。

たくさん雨が降ったとき、川を見ると、水は澄んでなくて泥水になっている。それをわたしは当たり前だと思っていたけれど、自然本来の状態ならば、たくさん雨が降っても地表の泥が川に連れ込まれることはなく、川の水は澄んでいるんだそうです。そして豊かな森では土はかならずふかふかに柔らかい(これは自分も体感として知っています)。

自然の仕事を邪魔しない、ということを、ミクロレベル(自分の庭)からマクロ(地球全体)まで、もっと考えて、実行していきたいな、と思ったのでした。はからずも、この「邪魔をやめる」とか「本来のデザインに協力的になる」というのは、自分自身(の心身)のレベルでは、アレクサンダーテクニークで、ずっとすったもんだしながら学ぼうとしてきたことで、(いまだにすったもんだしてるけれども)そうなんだ、もっと尊敬して信頼して協力していくことなんだよね、わたしがああだこうだコントロールするんでなくてね、とまた別の側面からヒントをもらっているようなふうです。

矢野さんのおっしゃる「水の動きには空気(風)が先行している」というのも、心身の感情の方向には思い(込み)が先行している、ということを思い出させるな。。。

20151003_125408それに、今回の作業で、雨水が道の表面を高速で走っていかないよう、小さな横木で堰をつくり、さらに地面の表面に炭をまいて、枯れ草をたくさん敷き混んだのだけど、こうして水の速度をちょっと緩めることで、本来あるはずの水の動き(縦に浸み入る部分)も起きるようになる、そのしくみも、アレクサンダーでいうところの「抑制」に近いように感じました。

地球をひとつの大きな有機体ととらえることが、なんだかリアルでした。矢野さんが最初に「みなさん今日は、トトロとかゴジラとかのおなかの上でこの作業をしているんだ、というようにイメージしていただくと、わかりやすいかと思います」とおっしゃったときは、「??」と思ったけれど、作業が終わるころには、なるほどそうか、と体感が来た。。。

生きものの上に暮らしているんだ、という自覚を持つこと。。それってかつてネイティブアメリカンの方や土地に根差した暮らしをしていた人たちはほんとうに普通に持っていたんだろうなと思う。

 

* * *

20150928_150301_2 20150928_164714_2 話しは大きく戻るけれど、矢野さんとのご縁をとりもってくれたヤブガラシという植物(野葡萄と間違えて連れ帰ってきちゃった蔓)は、結局、バスケットに編み込んでみました。

森のお手入れボランティアの「蔓切り」作業中に、切った蔓の中でしっかりしたのを少しもらって帰ってきてたので、それらとヤブガラシを組み合わせて、編みました。カラスウリ、ヒヨドリジョウゴなどとのまぜこぜバスケットになった。

Dsc00558 蔓でバスケットを編む場合、まず蔓を一度乾燥させてから、編む前に水に少し浸しておいてやわらかくして編む、というのが一般的だと思うのだけど、前回同様、またしてもグリーン(切った直後)の状態で編んでみた。

20150928_204520 20151005_145535乾燥するとどうなるか、見てみようと思ったのでした。1週間経って、だいぶ乾燥して、蔓の太さがやせました(写真左はできたて、右は1週間後)。結果的にバスケットの編み目にすきまができた。

前回グリーンな状態でジャスミンの蔓で編んだほうのかごは、みだれ編みにしたので、隙間の変化がわからなかったので、今回はっきりわかっておもしろかったです。

20150207_104438_2 20151005_145419 ジャスミンかごの場合はこんなふうでした。左が出来たて、右が現在(7ヶ月後)。

ああ、ひがな、有機土木や身近な生活道具の手づくりとか、そういうことを学んだり実験したりできる暮らしだったらいいのにな。。

仕事に戻らないと。。でもお金のための仕事と暮らしが切り離されてなくて、全部まるごとただ生活する、というふうになれたらなあと思う。。。お金の要らない暮らし、ゼロ円経済圏、などとつらつらと考える今日です。

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