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2015.11.20

手を動かす、注意を広げる

20151119_123233 このとこいろいろぱたぱたしてたので、久々にちゃんと自分を幸せにすることがしたいな、と思って、桜の枝を削りました。あんまり時間はたくさんとれないので、小さい枝を少しだけ、だけども、しばらくナイフ持ってなかったから満足でした。ちびちびスプーンになった。

木を削るのは、お外にいるときと、自分ちにいるとき以外はやれないので、仕方なく出先(電車やカフェとか)では編み物をしてますが(靴下専用の短い棒針で)、そしたら尊敬する木工 家の方が、著書の中で、「いつでもどこでもやれるのです、エプロンの上に削りかすを落とすようなやり方を身に付けたらいいんです」みたいなことを書いてい て、しかもその本の著者写真は、実際に電車の中でエプロンつけて削ってらっしゃるお姿で! およよ、と思って、今回は「エプロンの上だけで削る」という練 習もしてみようと思ったのでした。やってみたら以外とやれないこともなかったけども(こんなちびたものを削る分には)。でも電車の中でナイフ出してたら やっぱりまわりの人は怖いよね。。。

* * *

今月に入ってから、仕事や用事にきうきう追われてましたが、はからずも、おべんきょうもそこここでできて、書き留めておきたいことがいくつかあったのでした。

ひとつは、箱根の畑宿というところを訪ねたこと。いつも体調管理のために日帰りでお世話になっている温泉があるのだけど、なんとそこからバス1本で畑宿に行けることが判明したのでした。

箱根寄木細工の由緒ある場所として、いつか行ってみたいと思いつつ、公共交通機関でアクセスするのは大変な場所だ、というイメージを持ってたのが、あっさりくつがえされた。

Dsc00694blog この写真は、リボンみたいにきれいなもようの鉋くず。というかほんとは、無垢の木を模様になるように貼り合わせて鉋で削ったものは寄木細工のパーツで、「くず」を逆まにして「ずく」と呼ばれるそう。薄さ0.25ミリくらいに削って、貼り付けて使うのです。

畑宿寄木会館の係のおばさまによると、箱根の寄せ木細工の職人さんは、いちばん充実するのが70歳代になってからだそう。その人たちが鉋をかけると、もう音からして違うのよ、と。80歳代でも現役、と聞いて、お歳を召すと視力や手先の器用さが衰えたりはないんですか?とたずねると、逆よ逆、視力は落ちないどころかあ たしたち(中高年)よりずっといいの、老眼にもなってないのよ、指の運びももう体に浸み込んでるから狂いはないのよ、とのこと。職人さんの凄さを垣間見 た。。。

Dsc00699blog 一番難しい模様のパターンは麻の葉模様。二番目に難しいのが、紗綾形模様(写真左下の大きめの)。「それだけでも覚えていって!」とおばさまに言われた。。麻の葉模様は、若手できっちり出来る人はまだあんまりいないみたい。

刃ものの砥ぎだけで3年、という修業をやるような若手がいなくなっているから、ということだった。時代も移り変わって、好まれる商品も変わってき ているんだそうで、名人からすると「寄木とは言えないくらい、カンタンにつくれる」もののほうがよく売れている、という現実がある。。

技はこうやって失われていっちゃうのかな。。。と危惧したけれど、でもこの地域に5人くらい、ちゃんと受け継いでいる若手がいる、とおばさまは言ってたので、まだまだ大丈夫なはず!

今は寄木は専用の木工用ボンドで接着しているということでしたが、かつてはクジラの骨からつくったをつかったそう。さらにその前には、続飯(そくい)というご飯粒からつくる糊でくっつけていた時代もあったそうです(寄木会館の係のおばさま談)。続飯の糊も、そのうち自分でもやってみたいです(松脂の糊も、やろうと思っててまだなのだった。。)。

20151120_202216 帰宅してから相方が、『箱根細工物語~漂泊と定住の木工芸~』(岩崎宗純著)という本の存在を教えてくれました。近所の図書館にあったので、さっそく借りてきた。

箱根の木工のこれまでをかなり詳細にドキュメントしているすばらしい本なんですが、それを読んでいて驚いたのが、箱根・小田原地方にも木地師の祖といわれている、惟喬親王の伝説があったこと。

木地師の使う「ろくろ」を思い付いた人として木地師、木地屋の祖とされてきた惟喬親王は、近江国(現在の滋賀県近江市)の蛭谷というところと君ヶ畑というところに由緒があるという説が一般的で、木地師のルーツの地はそこだ、という認識をわたしもこれまで持ってました。

箱根・小田原地方に伝わる伝説では、流罪になった惟喬親王が家臣とともに舟で相模国に漂着(海上の風浪荒かったため)し、そこから伊豆に行き、親王はやがて亡くなって、その後、加藤、小倉らの家臣は相模国の早川に住み付き、そこで木地挽きを生業とした、とのこと。

ただこれは史実の確認がとれない「伝承」で、もっと確実に裏が取れるような史料から木地師の存在が確認できるのは、この地方だと箱根畑宿のほうだと書いてありました。

岐阜で円空さんの足跡を訪ねて粥川村のふるさと館や関市の円空館をたずねたときも思ったのだけど、かなり昔の出来事で確実なことがわかっていないことになると(たとえば円空さんの出生地など)、地元では、「ここです」と断言しがち。諸説あるけれども~、とはならず、「もうそうなんだ」ということになってしまうのは、やはり地元愛なんだろうな、と思う。

そんなこんなで、これまで信じ切っていた、「木地師の近江国ルーツ説」も、ひとつの説として、とらえていく視点がもらえました。ただ惟喬親王の伝説の是非は別として、やっぱりこのあたりの地域が日本列島の中でもいちばん早くから木地挽きをやっていたらしいことは別の分析(化石としての「地名」や「文化」の分析)からわかっているらしいです。そちらはこの『ろくろ』(橋本鉄男著)という本に詳しいです。今楽しみながら熟読中。20151114_172235

でも!木地挽きのルーツがどこなのか、とかそういうことが本当に知りたいのでなくて、わたしが本当に興味があるのは、どんなふうに木地挽きを実際に行っていたか、のほう。生木でどこまで加工したのか、どんな樹種を使ったのか。道具は?季節は?山での暮らしは?etc。

自分はまだ、ろくろで木を削ることはしたことがないので(イギリスのマイクさんのとこでも削り馬だけで椅子づくりをしたので)、イギリスのろくろ(pole lathe)と日本のろくろ、両方に興味津々です。

イギリスのろくろは、はね上げ式の足踏み式で、立った姿勢で、片足で踏んで操作するタイプ。日本の古来のろくろは、手回し式で、座った姿勢で、2人組の1人がろくろを回すようになっています。

この日本のろくろが、初めて足踏み式になったのは、箱根でのことらしい(上の2冊の本によると)。ただ、日本の足踏み式ろくろは、跳ね上げ式ではなく、両足で交互にバーを踏む形式で、ちょっと機織り機みたいな大がかりなデバイスです。

箱根の職人さんがこれを東北の地に伝えたそうで、こけし作りで有名な宮城県鳴子にもこの職人さん(伊沢為次郎さん)は行っているのだけど、現代の鳴子のこけし職人さんがかの地に伝わっていたという足踏みろくろをデモンストレーションで使っている写真があったので、見てみたら、やはり両足で踏むタイプでした。

* * *

マニアックな話になってしまったけれど。自分はなんだかんだ言って、ただ木を削ることが好きなので、ナイフ1本でやっていく境地にあこがれもある。円空さんもそういう意味ですごいと思うし、北欧のブッシュクラフトに大いに惹かれるのも、そこらへんかもしれなです。ナイフ1本持って森に入って、それでできる範囲のことをしたいというか。。。森とつながりたいだけというか。。。

そういう意味では、自然環境再生士の矢野さんに、今月また学べる機会をいただけたことは、自分的には大ニュースでした。今回は場所が自宅から結構遠かったのだけど、助成金が降りる講座となったそうで参加費免除になり、自分の予算内で行ける機会だったのでがんばりました。

20151115_123701 おじゃましたのは、藤野。トランジションタウン藤野の森部のみなさんがお手入れしてきたこのフィールドは当初は篠笹がびっしりおいしげり倒 木が散乱し、立木も枯れかけていた場所だったそう。矢野さんの指導のもとお手入れをして3年経った今では、立木(ツゲ、スギ、クリ、カキ、エノキなど・・・ヒノキぽいのもあった気が)は葉っぱが元気につい ていて、カキは鈴なりに実がついていて、フィールドにはさわやかな微風が。

20151115_124151 かつて土砂や倒木でつまって流れがなくなっていたという小川にも、水が流れてま した。しかもこの日は雨上がりだったけど、澄まし汁のようなちょっと白濁した澄んだ水で、泥水ではないのでした。水脈整備による森林の再生、すごいな、と改めて思った。

お手入れがまだの、奥のほうへと作業をしていくと、なるほど、最初こんな感じなのが、こんな感じになって、すると風と水が通ってそこにいる生きものたちに とってさわやかなふうになるんだな、というのがちょっと体感できました。そして早くも、あらたに整備した水脈の水量が増し始めたのにはびっくりした。

かつて人が手を入れて、そのまま放置された人工林や里山が、どんな窮地に陥っているか。日本列島の自然は天然のままだったらどんなふうか。知りたかったことが少しずつわかってきていて。もういちど、そうした場を生きものの皆にとって喜ばしい場にするために、できることがあると知っていっていくのは、ほんとに嬉しい。人としての責任を果たすことにつながるし、作業自体に喜びもあるし。。。しかもそれは、グリーンウッドワークとおんなじように、昔の木工とおんなじように、手道具(移植ゴテやノコ鎌)で、手作業でやっていくことなのが、本当にうれしい。(機械を使うにしても、手道具での作業をとおして、やったことへの自然からの反応、フィードバックを感じ取る、ということをしていれば、機械も手道具と同じやさしさを持って使うことができます、と矢野さんがおっしゃってたのも印象的でした)。

20151115_123513 矢野さんのお話にはどれも、心がわいわいわおわおとなって、メモをとりまくってしまうけれど、でも肝 心なのは言葉での学びでないところなんだなあ、と最後はそれが残りました。あの場にみなさんと一緒に身をおいて、よくわからないなりに身体を動かして、空 気や水や木々や自分たちを含めた生きものみんなの様子を自分全部で感じることのほう、そっちのほうを重ねてくことなんだろな、と。

大勢の初対面の人と会う のはめちゃくちゃ緊張するけども、それでもだな、がんばりどころなのだな。やすみやすみ、がんばる。。。

おしみなく伝えてくださる矢野さんと、こういう場をつくってくださっているみなさま、ほんとにありがたいです。

自分と、自分をとりまくもの(時間=歴史や、空間=森林・里山など)と、両方を意識の視野に入れながらやってくこと、注意の場をつなげて広げてくことに、最近は関心が向いています。。。(アレクサンダーテクニーク的にも)。

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