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2018.06.22

一生き物として。。

うむー忙しい。。。仕事がどんぶらこっこと川をくだって次から次へと(?)、な日々です。フリーランスはこの川の流れの緩急だけは、自分でどうこうできないので、、この現象を興味深く眺めつつ、がんばっています。

このとこ唯一の息抜きはワールドカップの中継を見ること。今日はどこのカードが見れるかな、と毎日楽しみに見ています。おそらく猫科の血が入っているから(?)か、みんなが玉ころを追いかけてるのを見てるだけ楽しい、というようなところがあります。

わけもわからずサッカー雑誌を眺めていた小さいころの自分も懐かしい。。。当時拾ってきたねこ(両親から飼ってはいけないといわれ、内緒で物置にかくまい、ミルクを運んだりしてましたが、当然すぐにバレて、怒られた)の名前を、ドイツの選手の名前からとったりしていたこと。。。

* * *

今月に入ってから、自分にとって大きなことが重なったので、最近内向きなのも仕方ないことだと、日記を読み返して気づきました。

ねこの(ち)ちゃんのお見送りと旅立ちの直前には、存在を知ってからここ数年、ずっと大好きだったナキウサギに「もしかすると会えるらしい」と教わって、相方の仕事に合わせて北海道へ行っていました。”ナキウサギを求めるみなさん”(ネイチャーガイドさんいわく笑)が会いにでかけるという岩場へ案内していただいて、10分くらいそこにいたら、声が聞こえた。声が聞こえたってことはいまここにいるんだなあと思って、うれしくなって、姿は見えなかったけど、それで満足して、あとは苔や草花、樹木や地形について道々教わりながら、登山道の入口まで戻ったのでした。

入口まで戻ってきたら、ガイドの(あ)さん(Boreal Forestという屋号で活動されています)が、突然動きがスローモーションになって、後ろ手に小さく手招きしはじめて。見ると、車道にほど近いガレ場の斜面に、びっしりと苔や山野草や木々が生えているあいだに、ちょこなん、と座っていました。あまりに小さい(手のひらにのるくらいの大きさ)し、環境に溶けこむ毛色で、ぱっと見は、わからないほどなのに、(あ)さん、すごかった。

Dsc01568 じいっと、苔むした小さい岩穴の前に座って、しばらく身動きせず。。車道を車が通っても、岩穴に引っ込んだりもせずでした。こちらもしばらくじいっと身動きせず。そうやってどれくらいいたかな。。

Dsc01595 やがてぶるっと毛をふるわせたり、頭を後ろ足で掻いたりしだして、それから目の前のものを何かもぐもぐ食べたりしだした。そのうち岩場の斜面に登りだして、登りながら苔を食べたり、元気にたたっと苔の上を走ってこちらのほうの草を食べたり。のびのびと「自分事」をしだしてくれました。そうやってかれこれ30分近く、岩穴の外で過ごしてくれたのでした。びっくりした。。。

Dsc01583

ナキウサギは氷河期の生き残りと言われる繊細な野生動物だし、この国立公園はナキウサギの生息地としての限られた条件がそろう貴重な場所だし、、むやみやたらに会いにいこうとしてはいけない、と思ってきたのだけど、会う前からなぜかとても好きだったので、実際に会えるとやっぱりうれしく、、、なんだか変性意識状態(興奮状態?)が続いて、そのあと何日も地に足が付かない感じでした。。。

20年ネイチャーガイドをしてきたという(あ)さんも、こんな長いこと見ていられたのは初めて、とおっしゃってたほど、とにかく3人とも悠長にそこに突っ立って、眺めていました。後のほうではそっと動いたりおしゃべりもしたりしたけど、最初のほうはとにかくじいっとしていた。

後であの時間を振り返ってみて、ワイルド&ネイティブの(か)さんに以前教わった、自然の中に入ったら20分ほどじっとしてると、最初に乱した場の気が落ち着いて、ほかの生き物たちが自分事をしだす、というのを、思い出しました。渦中ではそんなこと忘れてたけど、期せずして実践してたのかもしれんかった。

少し前に、ナキウサギのために活動している自然保護団体の方々の会合に参加して、ナキウサギの暮らしや生息地のこと、観察に行く場合の注意点など教えていただけたのも、もちろん大きいことでした。ナキウサギの観察と生息地の保護活動を長年続けてこられている団体で、生息地を分断する自動車道の建設を食い止めてきたりもしているすごいみなさんなのでした。「ナキウサギふぁんくらぶ」というやわらかい名前だけど、すごい団体で、代表の市川さんもほんとにすごい方。物腰もやわらかで自分は前に出ない、そういう方なのだけど、芯がほんとうに強くてゆるぎない行動派でいらっしゃって。(ナキウサギふぁんくらぶの経緯はこちらなどに詳しいです。ナキウサギふぁんくらぶのサイトはこちら。)

ナキウサギと会ったあとの帰り道、相方と2人で宿までの車道を歩いていたら、キタキツネにも会いました。なんでこんなところに?と驚いたのだけど、後で地元の人に聞いたら、ここのキタキツネは人からごはんをもらうことに慣れていて、車をとめるとそばにくる、とのこと。

同じ状況は帯広の公園のエゾリスにもあって、人を警戒することがなくなって、車にひかれたりする個体が増えていると、後で帯広のアイヌ民族文化情報センターの人から聞きました。

然別湖に棲む天然記念物のオショロコマという魚も、いろんなものをもらって食べているらしかったのが気がかりだった。。ここのオショロコマ(ミヤベイワナというオショロコマの亜種)は本来はプランクトンしか食べない魚で、そのために特殊なエラをしているので、雑食になったらこのエラが退化する可能性がある、と教わりました。(ミヤベイワナについては、こちらがくわしいです)。

ナキウサギは今のところ人からごはんをもらってはいないようだけれども、、、野生動物と人とが、なんらかの形で接するということについて、改めて、考えてしまいます。自分も接しようとした一人として。

お互い、生き物として、影響を与え合うのは、必然だし自然なことだとは思うし、それぞれの都合もあるわけだけど、どうするとお互いの生き方をじゅうぶんに尊重できるのかな。。。

相手の生き方について、知ることができるきっかけとか場とかがあると、いいんだろうな、とは思うけども。。

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2018.06.13

無言の行動で

ねこの(ち)ちゃんをお見送りしたときに持参したダウンのひざ掛けとウールのストールを、実家に忘れてきた!と思い出し、送ってもらうようにお願いしてたのが、さきほど届いて、包みを開けたら、父からの「岩合光昭のねこ」のハンカチが入っていました。

わたしはねこグッズが特に好きなわけでなくて(実在する、家族だったり知り合いだったりするねこが好きなだけで)、なのでちょっと微妙な気持ちでハンカチを広げてみたら、そこに写っていた2匹のねこのうち1匹が、亡きにゃみちゃんによく似ていて、なんかうれしかった。。。

うれしい、と感じたのが意外でした。

にゃみちゃんが、今回のことで気がふさいでる自分に、向こう側から気を送ってくれたサインのような気もした。

昨日の晩も気がふさいで、なぐり書きをしながら眠気に襲われて、そのまま寝たのでした。こんなこと↓を書いてたから、にゃみちゃんまで、わかりやすくサインを送ってくれたのかも、なぞと思う。まだ一緒にいるよ、いなくなっていないよ、とでもいうように? ねこのみんなはいつも、行動で示してくれるもんなあ。。。現実でも、夢の次元でも。

* * *

久しぶりに自転車で商店街まで走った午後

この世界にもう(ち)ちゃんがいないことがしみしみと感じられて

さみしさが、やってきた

ねこ族を家族に迎えてから34年

とうとう最後のねこ族の家族が旅立って

うちの家族の中に、ねこがいなくなってしまった

資質も姿も三者三様だったねこのみんなは

それぞれ18年、24年、23年、一緒にいてくれて

どんなにかお世話になってきたことか

それはもう、みんなに感謝しかありません

この先、ねこのみんななしでやっていけるのか、自信がないな。。。

でもいつまでも頼ってばかりいてはいけない、とも思う

生き物として、自分も、成長しないといけないよ、と

でもほんとうに、もう無理だよ、もう限界、という気分もあって

いつもなら、なぐさめになるはずの音楽さえも、受け付けず

仕事も山積みなのに、やる気も出ず

今はただ、眠っていたいような気分で

だめにんげんだなあ。。。

ここから見ると、人の世は、はなはだ浅はかに見えて

みんな一生懸命なんだなあってわかるけど

でもわけがわからない

わけなんてないのか。。。

ねこのみんなは

紐の一端を握ってくれていたかのようでした

迷子にならないように

この世がわけのわかる場になるように

ほかにはなんにもいらない、となんどもおもった

外の世界の全部

正直になれば、もともこもないくらい

ただただ頼りにしていたんだな

近くにいるときも、遠くでも

いつでも必ず、こたえてくれてたね

ありがとう

***

平常の意識の(ち)ちゃんと最期に会ったのは、ひと月前くらいに実家に寄ったときで、その数日前にごはんをあまり食べなくなっていると父から聞いていたので、だいじょうぶ?と聞きにいきました。本人は大丈夫そうにしていた。

で、大丈夫そうだけど、もしなにかあって、ケアが必要になったりしたら、うちに引き取りたいと思ってたので(兄ファミリーがずっとお世話をしてきてくれてたけれど、それ以上のケアが必要になった場合、義姉はねこアレルギーがあるからきびしいと思って)、(ち)ちゃんにそのとき、「大好きだからね、いつでもうちに来ていいからね」と声をかけたら、(ち)ちゃんはゴロゴロ喉をならして、わたしの手の甲と指をぺろぺろ舐めてくれました。

(ち)ちゃんに急な症状が現れたのは、金曜夜で(でもたぶん金曜朝から金曜夜まで同じ場所にいたらしいので、おそらく発症は木曜深夜から明け方かと)、木曜は母の命日でした。

その木曜日に、母が亡くなってからも実家で兄ファミリーと同居を続けていた父が、生活のメインの拠点を別宅のほうに移したい、それに伴って(ち)ちゃんを別宅に連れていきたい、と兄ファミリーにメールで伝えていたことを後で聞きました。

姪っ子や甥っ子は(ち)ちゃんをかわいがっていて、兄ファミリーとしては、(ち)ちゃんを別宅に連れて行くのだけは保留にしてほしいと返事をしたそうでした。

そんな中で、(ち)ちゃんの両脚の麻痺が起きました。血栓症の突然の症状で。

(ち)ちゃんは、父も、兄ファミリーも、どちらも大切に思っていたからこそ、どちらの側に行くわけにもいかない、と思ったんじゃないだろか。。。そう思えて仕方ありません。脚が動かなくなる、ということにもそれが端的に表れていたように思います。

亡くなる最期の晩、深夜に乱れた呼吸で力をふりしぼって、麻痺した後両脚をひきずりながらずり這いしては倒れ、しばらく休んでからまた這っては倒れしながら、彼女が向かっていこうとしていたのは、まず、父の部屋でした(父は別宅にいて不在でした)。父の部屋への引き戸の敷居をまたぐあたりまで行って、こんどは逆向きになって、反対側にある、階段へ向かうドアの方向へ(階段の上は兄ファミリーのみんなが眠っていた2階フロア)、同じように這っては倒れを繰り返しながら、向かっていました。

暗く涼しい所に行きたいという欲求だけで、ずり這いを繰り返していたのだったら、父の部屋の方向にたまたま向かっていただったら、そのまま部屋に入っていけばよいことでした。敷居はほぼバリアフリーだったし、フローリングは同じようにひんやりしていたはず。。

身動きがあんなに大変なときに、わざわざ逆方向へ向きを変えて、階段の方へとずり這いしていったのが、偶然だったとは思えずにいます。体の逆の側面を下向きにしたい、という欲求で、逆向きになった、ということも考えられるけど、それならその場で左右の向きをかえればよいことで、後脚と頭を入れ替える形で逆向きになるほうが大変です。(実際、階段へ向かって這っていく長い過程の中で、左右に向きを変えてはいました。となりで寝ていたわたしのほうを向いたり、壁のほうを向いたり。壁のほうを向いたときには、わたしは(ち)ちゃんの背中に愉気をしていました)。

最後は、階段へ向かう入口(開け放してありました)まであと少しのところで、こちら側を向いて、息絶えました。

ねこは死ぬときにはひとりになりがたる、と言われるけれど、それは違う、涼しい地面、涼しい場所を探しているだけで、旅立ちのときは家族と一緒にいるほうが安心する、と書いてある記事を、後になって読みました。(ち)ちゃんが、あんなに息苦しいなかでとった行動を振り返っても、わたしたち家族に最後まで、心を開いてくれていたような、気がしています。

まあ、ほんとのところは、本人のみぞ知るところだけれど。。わたしはやっぱり、ねこのみんなのやさしさの深さに、いつも驚かされて、いつも助けられてきて、ただありがとう、としか思えないです。

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2018.06.10

猫の(ち)ちゃん、旅立ちの日に

いろいろなことがあって、書きたいことがたくさんあるのだけれど、書くゆとりがない日々が続いていました。なぜかすごく、忙しかったり、地に足が付かない感じが続いてたり。。。

でも今日は、書かずにおれなかった、今日のこと。

Chobi 実家の猫の(ち)ちゃんが、今朝明け方、旅立ちました。

23歳でした。

でも、よほど23歳には見えないほどツヤツヤな毛並みときれいな表情の彼女だったので、わたしはてっきりまだ16歳くらいだと思い込んでいた。避妊手術でお世話になった動物病院のカルテに、避妊手術を受けたのが95年とあって、今回改めて彼女が23歳になってたと悟りました。

でもほんとうに若々しい姿だったので。。つい昨日まで元気に一緒に遊んだりしていたという(ち)ちゃんが、急に失禁して後ろ両足がだらんと麻痺した状態になっている、と兄から電話をもらったときも、もしかしてもしかするかも、とは思ったものの、まだまだ若いしなんとかなりそうに思えたのでした。

それで、兄にはとりあえず、お世話になっている動物病院の夜間急患対応のところに電話をしてみては、と提案しました。私の心づもりとしては、電話で容態を説明して、家での対処方法を教わって、それを家で実践したらどうか、と思ったのでした。

兄にそう伝えてから、わたしは久しぶりの遠隔愉気を試みました。以前友人のわんちゃんがしんどかったときにやった以来やってなくて、できる自信があんまりなかったけど、わたしが実家にいたころ、紙袋に入って我が家にやってきた(ち)ちゃんは、私が実家を出てからは一緒に暮らしてないけどでもやっぱり大切な家族なので、やれることはやりたい、と思った。

それでやってみると、なんかあついな、と思いました。友人のわんちゃんは遠隔愉気をしたときに眠った、と感じたのだけど、(ち)ちゃんは眠ることはなく。それでどんなことを今(ち)ちゃんが望んでるかなーと、聞いてみると、暗いところに居させてほしい、、お水だけ置いておいてほしい、という感じでした。

この後兄に電話をして、どうなったか聞いてみると、いつもの動物病院は夜間の急患対応をしてなかったので、別の病院に連絡をしたら、後ろ脚の麻痺は血栓の可能性が高いから、血栓なら早めの対応が肝心、ということで、今その病院に向かっているところ、と。それでちょっとびっくりして、(ち)ちゃんの暗い所でじっとさせておいてほしいというのとは正反対になってしまったな、と思いつつ、でも血栓なんだったら早い対応で助かるのならよかった!とも思ったのでした。

(ち)ちゃんはその夜、病院で検査を受けて、血栓が見つかり、それと肺にたくさんの腫瘍があることもわかりました。血栓に対処するための注射を打っていただき、脱水症状もあったので点滴もしていただいて、家に帰ってきたとのことでした。先生からは、翌朝かかりつけの動物病院へ行って、今後の方針を検討するといい、とのこと。

その晩は(ち)ちゃんの容態はかなりきびしかったらしく、兄ファミリー一家(とくに姪っ子)は一晩寝ずに看病をして、(ち)ちゃんの体温を上げるよう温めて、翌朝一番にかかりつけの動物病院へ行ったのでした。そこで点滴の注射とステロイド注射を打っていただいて、翌日また行くことになったのでした。

わたしはその朝、家を出て実家へ向かい、動物病院から帰ってきた(ち)ちゃんに会いました。ステロイド注射を打ってもらっていたせいか、前の晩よりもかなりしっかりとはしていて、でも何も食べられず、水だけはたくさん飲みました。そして呼吸が浅く、速かった。

後ろ脚の麻痺の原因になっている血栓は、全部をふさいでいたわけでなく、血流はわずかに通っている、という朗報を受けて、脚のマッサージと脚の付け根をあたためるとよいという先生のアドバイスどおり、みんなでかわるがわるマッサージして、カイロをタオルで包んだものを両脚の間に挟みました。

ただ、わたしも最初に脚を手で包んでマッサージしたときには、(ち)ちゃんは顔をふりむけて、わたしの手の甲におでこをこつんとつけてしばらくじっとしていたので、気持ちいいのかな?と思えたのだけど、次第に、マッサージから逃げるようなそぶりを見せるときもときどき出てきました。

そして前足でずり這いをして、部屋の隅の暗がりのほうへ、少しずつ、行きたがりました。

部屋の隅の暗がりへ行きたがるのは、前に他界した猫のにゃみちゃん(24歳)の最期の日にもあったことです。にゃみちゃんのときは、そのまま本人が行きたいところに行ってもらって見守りました。部屋の中を転々と、移ってはしばらく横たわるを繰り返し、最後は自分からいつものベッドへ、力を振り絞って上がってきて横になって、旅立つまでそこで過ごしました。

(ち)ちゃんは、脚をあたためていたカイロを置き去りにして、どんどん暗がりのほうへ移っていき、ついには裏口のたたき(コンクリの)の上に横になったので、さすがにそんなところに横になっていたら、ただでさえ異常に低くなっている体温が下がってしまう、と、みんなで心配して引き上げたり、たたきにカゴをおいてその中にはいってもらったりしました。

「体温が下がっているので、あたためること」というのが動物病院からのアドバイスでもあったのでした。

血栓で両足麻痺になった猫さんが回復して半年生きた、というブログ記事を見つけたこともあって、回復に向かっての対応を、わたしも一生懸命していました。

カイロでは重たいから脚を圧迫してつらいのかも、と考えて、ペットボトルにお湯をいれてタオルでくるんだものを、背中やおなかのそばに置くように切り替えたけれど、(ち)ちゃんはそれでもやっぱり、それらを置き去りにする形で場所を移動したがるのでした。上にかけていた軽いウールのストールも、置き去りに。

温まりたくない、と、彼女は行動で示していました。

それなのに、そのたびに、またペットボトルゆたんぽをあてがってストールでくるみ、そうやって丸一日すごし、そのまま一晩すごし、今朝の明け方、ふっと彼女の呼吸が変わったのに気づいて。それまでもとても呼吸が早くて、しんどそうに胸を上下させていたのだけど、とつぜんその胸の上下動がなくなって、口を大きくひらいてカッと息を吸ったかとおもうとじっとして、しばらくのあいだ口を開けたままゆーっくり吐いて、またカッと吸っては、じーっと長い時間をかけて吐く、というふうになりました。

一度吸ってから、次に吸うまで、とても長い間があって、もうこれで息がとまってしまったのかも、となんども思うほどでした。

みんなで見守って、今は目は見えてなくても(もうまる1日半、目は大きく見開いたままで閉じられることがなく、目の前で手をかざしても反応がなく、ものが見えていないようでした)耳は聞こえているはずだから、と声をかけたり、手を握ったりしました。

もうこれで最期だとみんなわかって、ありがとうね、と声をかけて。そして(ち)ちゃんは旅立ちました。

* * *

お別れの後で、かかりつけの動物病院でステロイドの注射をしてもらっていたことをはじめて聞いて、ちょっと気になって後でステロイド注射についてネットで調べていたら、こんな記事に出くわしました。

高齢猫の安らかな最期のための留意点と動物の来世

この記事で紹介されている本の中に、「猫はからだが弱って体温が下がってくると、風呂場のタイルなど冷たい場所にからだを横たえようとします。そんな時、飼い主としては『からだが冷たくて寒いだろう』と気遣って、温めてやりたくなります。しかし、温めると猫は喜ぶどころか非常に嫌がります。冷たいところで寝ているほうが気持ちがいいようです。からだが弱っている猫は、自分の体温を下げることによって、エネルギーの消費を最小限に抑えようとしているのかもしれません」とあって、(ち)ちゃんの姿とだぶりました。

確かに、(ち)ちゃんは温められるのを嫌がっているようだった。。。

ひんやりした場所にいることで、そのままゆっくりと衰弱して安らかな死を迎える、それが高齢猫本人がたどりたい道であるらしいこと。心のどこかでは知っていたこのことを、はっきりと伝えてもらって、また涙が出てきました。。

(ち)ちゃんの最期をつらいものにしてしまった、と。。 でも回復してくれるに違いないと、こんなにツヤツヤの毛並みで、血液検査の成績もいいのに、と、どうしてもあきらめきれなかったのも事実で。。逆向きの、回復へ向けての応援をしてしまった自分たちをいま責めても、(ち)ちゃんは喜ばないだろうことも、わかります。

もうひとつ、この記事で紹介されていた本にあった「動物は坂道ではなく階段を下りるように衰弱する」という記載も、とても腑に落ちるところがありました。つい昨日まであんなに元気だったのに、なぜ急に、というのが、にゃみちゃんのときも、その前の(し)ちゃんのときも、今回の(ち)ちゃんのときも、あった。それぞれ24歳、18歳、23歳の高齢猫だったわけですが、高齢猫の場合は、最期をなるべく楽に自然にしてあげることを考えてあげるやさしさが必要なんだな、と改めて思いました。

本人の希望があんなにもはっきりとしているときは、そのとおり、ひんやりした場所にいさせてあげたらよいんだな、ということ。。。

(ち)ちゃんの場合は、最初に遠隔愉気をしたときから、暗いところに居させて、というメッセージをキャッチしていたのに。。。自分の家族のこととなると、どうしても自分の望みが強く出てしまって。。。

ごめんね、(ち)ちゃん。次に会うときには、もっと一生き物として成長して、あなたと会うって、約束します。猫族のみんなにも、約束する。

だから、許してね。そしてきっとまた会おうね。大好きだからね。。今まで、ありがとうね。うちのみんなに、よくしてくれて、ほんとに、ほんとに、ありがとう。こんなにやさしくて、天然でおもしろくて、耳と目が大きくて口元はキュッとしている美人さんは、なかなかいないと、23歳なのにこんなにツヤツヤ毛並みな猫は、なかなかいないと、心底そう思うー。会えて、うれしいよ。

と書きつつ号泣してたら、久しぶりに野ねこのまごちゃんが、戸をノックしてくれた。。。まごちゃんの察知能力、ハンパない。。そして今夜ばかりは、まごちゃんと一緒に(ち)ちゃんがここに来てくれてるように感じます。ありがとう。まだ明日がお葬式なので、いましばらくは近くにいてくれてるんだろうなって、思う。。

と書いてから久々にSNSを開いたら、一番上に出てきた思い出し機能によるポストが、(ち)ちゃんの写真。母が他界した夜に実家に泊まったとき、眠れないでいたら、(ち)ちゃんが添い寝しに来てくれたときのことでした。。。。。びっくりしたし、(ち)ちゃんが、まだそばにいてくれてるサインだなあ、とまた涙出てくる。

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