2017.05.11

は~

昨夜あんなことやこんなことを思ったり書いたりして、一晩眠って、今朝起きぬけに思ったのは、ああ、ゴールデンウィークの合宿の日々を、オーガナイズ面で支えてくださってたスタッフのみなさまは、ほんとにすごい働きをしていたんだなあ、おかげさまだったなあ、ありがとうだったなあ、ということでした。

わたしは大変な思いをしている自分の体験に埋没していて、ほかのみなさんのことを振り返る余地もなかったのだなあ。ほんとうに深く埋没していたみたいです。

でも、出てこれたもよう。ようやっと。

まだ心の水面にはすぐ波風が立つ状態ではあるけれども、嵐はやり過ごしたのだと思う。

情けないけど、これが今の自分のありよう、力量、体質、気質、なのだなあ。。。

ありがたいことに、ゴールデンウィーク明けはまだお休みをいただけていて(翻訳仕事に切れ目ができたのは、もうほんとうにほんとうに久しぶりで。。!)、すごくゆっくり、休んでいます。家のことでやらなくちゃいけないことはいろいろあるけど、とりあえず、自分のリハビリを優先しています。

Img_0924 読みかけだった本を読了。『ユマニチュードという革命』。ユマニチュードは認知症の高齢者の方々のケアのためにフランスで考案されたメソッド。当事者の方々にとって、ほんとうに希望の光のようなメソッドだと思いました。

認知症の方は、認知の機能は欠けても、感情の機能は健やかに働いている、ということが、よくわかりました。怒ったりわめいたりすることがあるのは、感情の機能も損なわれているから、ではなくて、怒りたくなるまっとうな理由があるから。感情でわかることなら、伝えられるし、わかりあえる。そうやってわかりあえたときの、ご本人の喜びは、どんなに大きいだろう。。

コミュニケーションをするうえでの表現の仕方が、世間一般の人とは異なってしまうがために、人間以下のように見なされてしまうというのは、ほんとうに悲しいことです。

動物や虫に対してもそうだけれど。自分と同じ表現の仕方をしない相手の、存在のインテグリティと尊厳を、簡単に忘れないようにしたいです。忘れてしまいやすい状況であっても。。。違いはあっても橋をかけて、コミュニケートしたいし、少なくともお互いに平等な存在として、ただいっしょにいられれば、と願う。

自分が大事にしたいのは、そういうようなことなんだ、と改めて。上から目線でお世話したりかわいがったり指導したり、下から目線で従ったりあこがれたり教わったり、ということをしないですむ関係性の中に、身を置きたい気持ち。

そのためにはただ相手の存在の真実を見ることなんだろうけれど、それはなかなかにチャレンジだなあああ。。。

ユマニチュードのジネストさんが言っていた、奉仕の概念にはそもそもキリスト教的な影響があること、そこのところは、もうすこし自分の中でもよく見ていったほうがいいところだと思っているところ。相手のためになることをしているはず、という意識について。。

* * *

Img_0925 もう1冊、精神が大変なときに一番に手が伸びた本は、ホクレア号についての本、『星の航海術をもとめて』。再読。ページを開くだけで落ち着く。ナイノアさんの声を思い出すと、霞がかかった自分の思考がくっきりしてくる感覚が来ます。

自分が生きているなかで、関わっていきたいことが、どのあたりにあるのか、再検討してみているここ数日なんだけれど、ホクレア号が意味することは、たぶん、自分にとってすごくセントラルなのだろうな。

そこにどう取り組んでいったらいいのか、よくわからないけど、とりあえず、心のレーダーが反応していることは気に留めておく。

* * *

Img_0881 ゴールデンウィークの合宿でのお仕事には、会場から歩いて30分くらいのキャンプ場から通いました。それもチャレンジを増やした原因にもなってたけど(雨が降って地面がゆるんでペグがゆるんでテントが倒壊したらどうしよう、とか、会場に遅刻せずに行けるかな、とか)、でもチャレンジを上回る恩恵がやっぱりあった。

Img_0891 4泊したけれど、毎朝ろうろうとうたうオオルリの声で早くに目ざめました。今年は毎朝すっきり晴れて、ほんとにありがたかったです。朝日が木々のあいだから差し込むなかで、朝ごはん。1日目は慌ただしく食べて焦りながら出かけたけど、翌朝からは段取りも慣れて、早起きもできて、すこしゆっくりできました。持参したハワイコナのコーヒーをお外で。Img_0880

うちのテントのすぐ近くで毎朝うたってくれてたオオルリは、うたがほんとうに上手で、いい声で。しかもクリエイティブ。基本のフレーズがあって、そこにとてもさまざまに毎回違うバリエーションをつけてうたいついでいくスタイルです。ずうっと聴かせてもらえて、たいへんありがたかったです。

Img_0879 夜は早めにキャンプ場に戻って、キャンプ場となりのお風呂に入って早めに就寝する予定でいたけど、合宿会場を出るのが遅くなる日もあって、お風呂に入れなかったり、まっくらな夜道を歩いてもどってくることもありました。相方と別々に、ひとりで夜道を帰ってきた日は、膨らみつつある月明かりのもと、明かりなしでキャンプ場までずっと歩きました。いわゆるナイトハイク。

暗闇にまぎれて歩く自由を体感しました。暗さに慣れてくると、いろいろよく見えるし。闇にまぎれられるのは、安心感がありました。たまに車が通ってヘッドライトが近づくと身を固くした。つくづく、自分にとって怖いのは人間なんだなあ、と思いました。

とはいっても、キャンプ場でキャンプをしている他の家族連れなどは、怖くなかったです(あたりまえか)。テントの入口の扉を開け放って、木々を見上げながら寝ころんで、そのうち眠ったりしました。

キャンプ場のおじさんは、年に1度しか行かないけど、ほぼ毎年この時期に行っているせいか、わたしの顔と名前を覚えてくださっていて。。いつもちょうどいいタイミングでぽっと手を貸してくださるのだけど、今回も。撤収を始めて、事務所へ返しにいかなきゃいけないレンタル毛布をたたんでいたら、ふらっと「生きてる?」と言ってサイトに現れて、しばし立ち話。。そして「あ。じゃ、それ、もらっていくわ、ついでだから」と毛布3枚をかついで行ってくださいました。

あのさりげなさ、毎回不思議。どういうふうにしたらああなるのかな、と。

撤収をみんなおえて、事務所にあいさつに行って、「となりの温泉に入ってから帰りたいので、それまで荷物をサイト脇においておいていいですか、とられて困るものはないので」と言うと「いいですよ~、じゃ、おれがもらっとこう」。最後にお礼を言ってさよならを言うと、別れ際に一言、「じゃ、お風呂でおぼれないでね~」。まじめなのかふまじめなのかわからない抜け加減に、なんか救われました。

Image_xlarge3 Img_0894Img_0904 乙女の森の木々にも草花にも小川にも小鳥にもおじさんにも、ほんとうにお世話になっていて、ありがとうの気持ちです。Img_0898

今年は自分には大きめなチャレンジをして、神経がくたびれはててしまったけど、焚火のパチパチいう音や煙のにおいも心の鎮静剤になりました。Img_0912

あのキャンプ場が変わらずありつづけてくれていて、ほんとにうれしい。

あのキャンプ場も、やっぱり、皆が過ごしやすいように整備して、草を刈ったり枝を払ったり薪をつくったり(手で割っていました)、トイレや炊事場をお掃除してくださったりしている方々のおかげさまであんなに快適に過ごせるんだなあ。。。ありがとうございます。

さて、今度は、もうちょっとがっつり遊ぶキャンプに行きたいなあ。。



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2017.05.10

自由の体験

満月前夜。ウエサクの。

数日前、ひさしぶりに精神が壊れました。

たぶん神経がまいって、疲れがピークに達していたんだと思う。

120人の人と連日一緒に過ごした、合宿の日々。そもそも大人数の場が、わたしにとっては大変難しく、ただそこに居るだけでチャレンジでした。初日夜のセッションから合流して、2日の夕方には電池切れに。個室に避難させてもらって、少し眠りました。

一番苦手なことにチャレンジして、なんとかやれたけど質はどうにもこうにもという結果になって、悲しかったり。。。

通訳チームの一員として、みなさんの学びとコミュニケーションがなるべくスムーズになるように、自分が通訳を担当する時間以外のクラスにも出席して、内容を把握しておいたり、他の通訳さんがどんな訳語をあてているか学んだりしていたので、朝から夕方までは結構ぴっちりで。ぼんやりする時間をほぼつくらずに過ごしてしまった。そこにいることを楽しむとか、学びを楽しむとかのゆとりなどなく。。4日目夜には神経が参ってしまった。

大人数が集まるイベントの通訳がこんなに苦手になったのはいつからだったろう。こんなに過剰反応せずにできていた時期も、すごく昔はあったことを思うと不思議。作家さんたちのイベントとか。舞台の上に立ってマイク持って通訳もしていた。あれは若気の至りというやつだったんだろか。それともこの過剰反応は、やっぱりこの合宿を構成しているコミュニティにまつわるものなんだろかな。このコミュニティでの自分の立ち位置が規格外なことに起因しているのかな。20年関わり続けてきてしまったこのコミュニティが、自分にとっての”ホーム”でなくなってから久しいこと。。。?

精神が壊れたときのことを、振り返ってみる。主観的に体験したことを書いておいてみる。

まず、まわりの人のなぐさめやはげましの言葉が、ぜんぜん体に入ってこなかった。どうしようもなく。言葉をもらえばもらうほど、自分がただいま体験しているきつさは決してわかってもらえはしないんだという絶望感が募った。わたしの認識が間違っていることを教えてくれようとする言葉が、耳に入らない。わたしの認識が間違っているかもしれないという可能性を見るゆとりがなかった。自分はここにいる価値がない、という認識は岩みたく固くて、まったく揺らがなかった。

夜中、ふとんを抜けだして、そのまま外へ出て海まで歩いた。何も考えることも感じることもなくて、ただ、のっぺりとした絶望感の中で、体に運ばれるまま歩いた。このとき、いつもの自分の歩き方とはぜんぜん違う歩き方をしていた。腰の入り方がまず違っていて、そしてなんだかスタスタと歩けて、いつまでもどこまでも、疲れることなく歩けるふうだった。体が楽だった。いつもの緊張から解放されていたっけ。それに暗い夜道をひとりで歩いているのに、なんにも怖くなかった。恐怖心がみじんもなかった。そういう意味ではすごく自由だったな。不思議なほど。あとで相方にこれを報告したら「エゴがなかったからだ」と言われた。

海まで来て、月を見て、しばらく座った。向こう側へすでに旅立っている家族を思い出して、名前を呼んだ。もうやめさせてほしい、そっち側に連れて行ってほしい、と心底願った。

そうやってしばらく泣いて。それからまた家へ歩きだしたのだけど、歩いているうちに、ひらめいた。生きていることを「いいこと」とする信念が出回っていて、自分もそれを信じようとしてきたけど、自分の体感・実感は真逆だということ。まだ生きることを終わりにさせてもらえないのは、まだ年貢が明けないからで、自分がそもそも、とても悪かったからだ、だから今はまだ耐えて、ここで年貢を納めないといけないんだ、と。そういう想いが出てきて、それはとても自分の体感にしっくりくる想いでした。生きていることをポジティブにとらえたことは、やっぱり自分は昔からなかったみたい。ポジティブにとらえることがいいことだ、と考えて、そうしようと試みてきたのはあるけど。

ここにこうして生きていることが苦行に感じられる。なんとか苦しさから気を紛らすために、楽しいことをいろいろ見たり考えたりやろうとしたりしている自覚は、常にありました。でもときにほんとうに疲れはてていて、もう終わりにさせてほしいと切に願うときが来る。もう許してほしいと。

この世界は美しい、と人は言うし、そのように思える瞬間もあるけど。でもデフォルト思想としてそう思えるかというと、違うみたい。ほんとうに自分の感覚に正直になると。。。

軽やかに明るい人になりたくて、そうなりすましているつもりになったりしてもいたけど、自分はやっぱりそうとうな暗さを抱えているんだな。それについては、どうしようもないんだな。耐えることはよくない、好きなことをして生きていくのがみんなの幸せのため、世界平和のため、とされる風潮の昨今、耐えている実感がある自分を持て余してしまう。世界に対して申し訳なさが募ります。

居場所が、ないというか、肩身が狭い。

この肩身の狭さ、不自由さと、夜道をスタスタ歩いていたときのあの自由さは、対をなしているのかな。能面のような顔をして、てぶらで部屋着のまま、真夜中に浜のほうへ夜道を横切って歩いたわたしは、通りがかった車の人とかからみたら、おばけか、というくらいの気味悪さもあったかもしれないけど、そんなことも気にならなかった。めちゃくちゃ人が怖くておかしくなったのに、あのときはまったく人が怖くなかった。

あのときわたしは、社会の外へ出ちゃっていたんだな。ほんとうに外れ者になってた。そしてあの境地は、すごく自由だったな。

わたしは社会を気にし過ぎなのかな。まわりの人のことを。もっと人のことを気にせずに、ここにいてみたらいいのかな。外れ者なのは、どっちみち変わらないんだったら。

尊厳を持って生きたいという願いがありました。尊敬までされなくてもいいから、存在することは認めてもらいたかったというか。

それでせめて、みなさんのお役に立てれば、ここにいてもいいことになる、と思えて、一生懸命お役に立とうとしてきた。

ぼんやりと自分のままでたら、ここにいてはいけなくなる、というのがありました。お役に立っていないと、と。でもそうやってがんばっているの、つかれました。

役立たずのわたしのまま、ただ、ここにいるしか、いまはできなさそう。ちきゅうに、ごめんなさいとおもう。

今まで学んできたさまざまなツールやメソッドがあるのに、どれも使う気になれない。前向きに自分を振り向けるだけのエネルギーが、ない。うずくまってるしか、ない感じで。たぶん生き物としての自分の本能に、まかせるのがベストだと、どこかで思っています。

あらゆる小手先の工夫に背を向けて。自分の主観・体感だけに従う。そういうプロセスを欲してもいるんだと思う。主権の回復。あらゆる”正しさ””ふさわしさ”“望ましさ”から離れて、ただの自分がただいま体験していることを、ただ体験していたい欲求。

いまだけは、そういう時間なんじゃないかと思えています。翻訳仕事もちょうどいまだけ、少し空白をもらえているし。

そうやって自分の体験とただ共に居る時間を、ふだん、持ってこなさすぎたのかもしれなくて。いつでもすぐにどこかへ向かおうとしすぎてたのかもしれなくて。白旗を上げて、ただここにいる。

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2017.01.21

夢と天のくに

今朝。印象的な夢を見ました。

すでに他界している母と、祖母が、わたしを迎えにきてくれた夢。夢の中ではふたりとも生きていることになっていて、ふつうに、最寄駅かどこかに降り立ったわたしを、車でピックアップしに来てくれたのでした。母が運転をして、祖母が同乗して。そして家に帰るまでの途中で、買い物に寄る、といって、みんなでイケアに行きました。

そこの地域のイケアは少し変わっていて、同じ建物の別のフロア、4階だったかな、は、イケアと関係のない別店舗になっていて、なにかディスカウントショップのような感じでした。ヨドバシカメラ風?な。

そこで、母が時計を買う、と言って、いろんな腕時計を見て回り始めたのでした。

わたしも最初はつきあって、一緒に見てたけど、そのうちに、なんだかものすごくくたびれてしまって、(というのも、わたしはこの最寄駅でピックアップしてもらうまでに、長い距離を旅してきていたし)、思わずふだんはしないことだけど、母に「ごめん、ものすごく疲れちゃってるから、あっちの駐車場の脇のベンチのとこで、休んで待ってていい?」と言いました。

母は、いいよ、と言ってくれたので、そちらへ行きました。駐車場脇には、小さな売店があって、ソフトクリームかなにかが売られているみたいで、ベンチもあった。そこに腰かけて、母の買い物が終わるまで、待っていました。

で、しばらくそこにいたけど、どうも母とはぐれたようだったので、ここにいることを伝えないと、と思うのだけど、考えてみたら、母はケータイが壊れたからこそ時計を買おうとしてたんだ!と思い出して、連絡手段がないことを思い至りました。

で、仕方ないから、姉のケータイに電話をした。そしたら姉が出て、「父が、(な)がくるのに掃除をしてなかった、といって今がんばってやっていて、3時間後に来てと言っている」と聞かされました。。。

目ざめて、ああ、久しぶりに夢で母と会ったなあ、と思いました。祖母とも。母と祖母が一緒に出て来てくれるなんて、珍しいなあ、とも思って、ふしぎにも思いました。

ちなみに、この夢を見たのは、誕生日の翌日で、誕生日の朝も、印象的な夢を見ていました。

去年の誕生日は、富士山がでてきて、その富士山のまん中が縦に透けて見えていて、そこから龍が空へ昇って行くのが見えた、という夢でした。しかもその富士山を見た場所は、グリーンウッドワークの師匠、マイクさんの椅子のモニュメントが置かれた森の一角でした。

今年の誕生日の朝見た夢は、下北沢を相方と歩いていたら、ものすごく野趣あふれるすてきな場所に迷い込んだのでした。下北沢にこんなところがあったなんてね!と言って、人っ子ひとりいない、その里山を歩いて、「ここの土地の一角を買えたらいいよねえ」とかのんきなことを言いました。

でも道には迷っていたので、ほんのりとわだちのある道筋を「こっちかな?」という方向へたどっていきました。すると、前方に犬の散歩をしている年配の女性と、その姉妹らしき人がふたり、歩いていました。その3人の女性は、背後から私たちが来るのに気づくと、ものすごくハデに驚いて(ほぼ、おののいて)いました。

この野趣あふれる土地全体は、彼女たちの所有地で、どこからもアクセスできないようになっているから、誰もにも知られていないはずだった、ということのようでした。

迷い込んでしまったわたしたちを、彼女たちはとりあえず、自分たちの家まで連れて行ってくれました。古い日本家屋みたいな感じのところ。

でも歓迎された、という感じではなくて、招かれざる客が来ちゃったから、とりあえず帰り道(ここからの出口)を教えるためには家に通さないと、といったふうでした。

家の中には、姉妹以外の人たちがいて、若い男性が、先だっての選挙の運動についての反省を口にしながら、なにか話し合っていたのを見かけました。

この3姉妹は反原発運動に深く関わっていて、選挙運動もがんばっていたようでした。ただ、表立ってはそういうことが表明できない世の中になっていて、人目につかないこの敷地内で、さまざまに活動をしているようでした。

わたしはそういう努力をしている人たちとはまったくちがって、のんきに自分の関心時をおいかけて、おもしろがっているばかりだなあと反省しました。。。

そうこうするうちに、家の出口から外へ出ていました。手には3姉妹からのおみやげを持たされていました。ていねいに編み込まれた、金色の葦のような素材の手提げ袋の中に、なにか入っていました。

手提げ袋がいい手仕事だったので、すっかりうれしくなって、わたしは相方に「なんだか私たち、わらしべ長者みたいだね」と、またのんきなことを言いながら、歩きだしました。

家を出るときは、ほんとうにさりげなく出るという感じで、3姉妹も他の人も誰も見送りにきたりなど一切しませんでした。

この夢から目覚めたときは、ちゃらんぽらんな自分へのうしろめたさが、後味として残っていて、去年の富士山の夢のときのような、爽快さとおめでたさは感じなかったので、今年のお誕生日はこういう感じなんだな、と思いました。

それで、お誕生日そのものも、なにも特別なことはしないで、ふつうに過ごしました。とはいっても相方は、体調がしんどいのを押して、好物の手づくりコロッケを、むらさきいもで作ってくれて、夜ごはんにごちろうしてくれたので、これは十分特別だったのだけど。。!

* * *

それで眠って、今朝みたのが、亡き母と祖母が迎えにきてくれた夢だったのでした。

ひさしぶりにふたりに会えて、うれしかったな、と思ったりして、おふとんの中でしぶとく余韻に浸っていたら、先に起きて隣部屋に行った相方が「ええ・・?」と変な声を出していて、どうしたのかと思ったら、今朝がた、相方のお父さんが急に他界した知らせが来ていたのでした。

しばらく、現実味ゼロのその知らせを前にふたりしてぼんやりしていました。その後も少し思考は働くし、話もできていましたが、今思うと、やっぱりまだ事実が体に入っていってなかったんだな、と思います。

今日は1日、なんだか所在なく過ごしました。何をしているべきなのか、何をしておかないといけないのかetc.がわからなくなっていて、毎回、「待てよ、ええっと、今はこれをするんだったっけ」と自分に言い聞かせつつ、1日の中を通っていきました。

でもなにかというと、すぐぼんやりして、どうでもいいことを考え出したりして、どうもまともに考えられない感覚が続きました。それから、目玉の裏側に、涙がたまっている、例の感覚もずうっとあって。

お風呂に入って、今こうして今朝の夢だけ、書きとめておきたかったんだと思って書き出したら、少し、マインドの焦点があった感じです。そして、母と祖母が夢で会いに来てくれてたのは、ひょっとして、相方のお父さんのためでもあったのかな、と思い至りました。ここしばらく体調をくずして入退院を繰り返していて、今回の入院は、とりわけ気がかりな日々が続いていた、相方のお父さん。

天の国へ、お父さんはびゅいーと飛んでいったりしないで、歩いて行っていると思う、と相方が朝食を食べてるとき言って、涙ぐみました。わたしも、きっとそうだと思う、と言いました。お父さんは、歩くのが、ほんとうにお好きな人だったから。

病院での最後の日も、ずっとベッドで寝たきりだったところから、起きて車いすに乗ったり、つきそってもらいながら自分でお手洗いにいったりし始めることができるようになって、うれしそうだったと聞きました。退院に向かって、そうやってリハビリ的に準備をしていきましょう、とお医者さんもおっしゃって、退院できる日、おうちに帰ってこれる日が視野に入ってきた、と嬉しく思った矢先の旅立ちでした。

ふっと、安心させてもらって、そして「だいじょうぶだ、きっと」とこちらが思えた、そのタイミングで旅立たれるのは、以前も経験があります。どうしてなんだろう、と不思議に思いつつ、当然だと感じている自分もいます。。。

お父さん、まだ歩いている途中かな。景色や風を楽しんでいるといいな。長いあいだしんどかった体が、自由になって、颯爽と歩いているところかな。。。唄もうたっているかな。。。

相方は小さいころから、お父さんに山歩きに連れて行ってもらっていて、だから今でも野山を歩くのがこんなに好きでいてくれています。異文化の捉え方や、多様性や、平和に対する相方の感受性や視点も、お父さんゆずりなところをたくさん感じます。この世界の一角で、派手に目立ちはちなくても、ひとかたならぬ仕事を成し遂げた方だったことを、思っています。

お正月にパズルをたくさん出してきてくださったり、スクラブルを一緒にしたり、言葉や発音について談義をしたりも。。。楽しかったです。今までのようにはお会いできなくなると思うと、寂しいです。でも、苦しまずに穏やかに旅立てたことは、ほんとうに、よかった。。。

20170115_164103 数日前に、夕方ひとりで浜へ行ったとき、海に沈む金色の太陽と富士山がとてもきれいで、そのときに、病院にいるお父さんと、そのお父さんを毎日お見舞いに通っているお母さんに、これをお見せしたいな、と思って、そしたらなぜかわからないけど、涙がこみ上げました。

そのときは、様態も落ち着いていて、肝臓の値も上向いたと聞いていたし、希望をたくさん、わたしは持っていた時だったから、なんで涙?と自分でもわけわからなく思ったくらいでした。

でも夕日は知っていたのかな?富士山は、知っていたのかな。。太陽が沈む直前の輝きが、ほんとうに澄んでいて美しいことを。

天のくにで、どうぞ、すこやかにおられますように。

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2017.01.14

場が気持ちよくなることの、気持ちよさ

20161230_084259 おくればせながら、あけましておめでとうございます。今年は障子窓越しに寝床に差し込む朝日が、とってもあたたかなお正月でした。

この時期のあたたかな陽ざしと澄んだ青空がほんとうに好きだなあ、と思うことが増えた近年ですが、昨日はふと、もしかしてこの季節がいちばんすきかも?と思いました。冬はいつも鬱が来て大変だった頃から考えると、信じられないくらいです。

20161230_084420 年末年始は、山あいの父の家で過ごしました。毎朝目ざめると、窓から外へ出て、庭の水道で顔を洗って朝日に当たりました。気持ち良かった。。。ものすごくひさしぶりに霜柱を見ました。

Kakizome元旦は、書き初めをしよう、と姪っ子が書道セットを広げてくれたので、今年の抱負を一生懸命考えたけど、野宿の安全を祈願することが第一に思い浮かんでしまいました。。わたしも、どうぶつや虫のみなさんも、快く野で眠れる平和な世界を願いまする。

20170102_091525_2父の家はWi-fiが届きにくい立地なので、おかげでほぼオフラインで過ごしていました。例年は年末に父の家につくと、おせち作りに専念する日々になるのだけど、今年はおせちの量が半量でよかったので、わたしは家じゅう目についたところのほこり取りを楽しくやって、相方のほうは「窓を見るとつい拭きたくなる」くらい窓ふきがブームになっていたので、父の家の窓をみんな拭いてくれました。

父の家に行く前にも、自宅の大掃除を例年よりも楽しくやれた去年でした。というのも、来年の日記帳を買おうと入った書店で、ふと目に付いたお掃除の本がおもしろくて、本は古本を買うか図書館で借りるかがデフォルトな私が、珍しくその場でその本を買ったのです。で、この本に書いてあるテクニックを使ってみると、おもしろいようにきれいになったり、楽に汚れが落とせたりして、ふたりともすっかり楽しくなってしまったのでした。

中国残留孤児2世として、17歳まで中国で暮らした新津春子さんのご本『そうじは「ついで」にやりなさい!』です。中国にいたころは、「日本人は日本へ帰れ」と言われ、日本に来てからは「中国へ帰れ」と言われ、そんななかで家計を助けるために、日本語ができなくてもできる仕事として清掃を選んだという春子さんの視点は、ご苦労された生い立ちのせいなのか、とてもニュートラルなのでした。清掃のプロである彼女には「汚れを完璧にきれいにできた」とか、「自分がここをきれいに保ってあげているんだ」とかというような自分を軸にした視点がないようで、その場がきれいになることそのものが喜びで、きれいになるとみんな気持ちよくそこにいられるでしょう、とおっしゃるのでした。

彼女のドキュメンタリー番組があって、それがきっかけで生まれた本だったようで、元の番組もYouTubeで見てみました。彼女の笑顔、きれいでした。清掃は世間では見下されている職種だということも承知しつつ、でも自分の仕事にプロとしての誇りをもって、利用者への思いやりを全開に、日々努力と学びを続けながら臨んでいる彼女の姿は、本当にかっこよかった。

そんな彼女のおかげさまで、お掃除がわがやでプチブームになった年末でした。あのときは春子さんに影響されて、お掃除するときの気の持ちようが変わっていました(今はまた元にもどっちゃったけど。。(^_^;)。苦労感よりも、お掃除することでその場が気持ちよくなること、そのものが喜びになっていたっけ。。。

この「気持ちのよさ」のほうにチューニングするって、大きそうだな、と思う。お掃除してその場が気持ちよくなるっていうことや。アレクサンダーテクニークを生きて、自分自身が心地よいあり方で日常を暮らすってことや。わたしはとかく「正しくあろう」としてしまいがちなんだけど、「気持ちのよさ」を主眼に置くほうがきっとこじれないし、ややこしくならないし、そうすると結果的に「正しくあれる」ことになるんだろうという気がする。

20170106_163516 年始に来日してくれたアレクサンダーの先生、デビさんが、「最近実験を始めたプロセス」をシェアしてくれて、それがすごくおもしろくて、インスパイアリングでした。おかげさまでアレクサンダーテクニークでいうinhibition(抑制)の意味あい、undoing processの意味合いが、自分の中でまた更新されつつある最近で、それは気持ちのよいことだし、おもしろいことなのでした。

気づくということの、パワーを思う。大切なのは、気づけるかどうか、なんだな、と思う。問題だと思うことを変えられるかどうか、解決できるかどうかではなく。単純に、物ごとに気を向けるのと同時にそのとき自分自身がどこにいるのかにも気を向けていること。。。ものごとと自分の両方に気づいていること。。。

気づいたことがらへの良し悪しの判断や定義を保留して、まずは「ふむ、おもしろいね」と言ってみて。。。そして自分にはほんとうに選択肢があると思い出すこと。。。「イエス」にも「ノー」にも「その他」にも、どの選択肢にも平等の重みがある、あの境地へ。

「イエスに決まってる」というくらいそちらへのエネルギーがぱつぱつなときには、とくに、敢えて「ノー」を思い切り自分に許してみて、ぱつぱつのエネルギーをゆるませて、他へ動ける余地をあげてみること。。。そしてそのあいだもいつも、時空間からのサポートを受け取っていること。。。

誠実に、こうしていると、問題だったことは自ずと、間接的に、解決されるんだ、という信頼が育まれつつあります。

言葉で書くと抽象的に聞こえてしまいがちだけど、こうしたプロセスをすごく具体的に、観念だけではないわたしのまるごとで体験しているところ←今ここ。

20170106_102225 今年は、チャレンジングなことも多そうな予感があるけれど、どんなときも、今居るところに、まわりとの関わりのただなかに居て、くつろぎ冴えて居たいなと願う。。。そういう瞬間が多ければ多いほどいいなぁ。

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2016.09.28

グリーンバスケットの1年後と、心身の輪郭

20160928_125142 1年前の今日、編んだ籠のことを、フェイスブックが思い出させてくれました。はっとして、このバスケットの1年後の状態をチェックしてみた。グリーン(生の状態)のつるで編んだので、乾燥したらどうなるか経過をみないとと思ってたので、ちょうどよいリマインダーでした。(フェイスブックは定期的にあまり見なくなるけど、見ると、ときどき便利だなって思う……)。

1年前に書いてた記録→「帰宅してから、昼間とちゅうまで編んだかごの仕上げ作業。土曜日に海岸林のお手入れボランティアで切った蔓を、少しもらってきたので、それらがグリーンなうちに編んでみた。カラスウリ、クズ、ヤブガラシ、ヤマイモなどいろんな植物の蔓がまぜこぜ。耐久性は不明なので、これから検証していくです。乾くとどうなるかな。。。」

思えば、このバスケットを編むきっかけの一部には、ヤブガラシという植物とのご縁があって。ヤブガラシのおかげで自然再生士の矢野さんに会いに行くことができて、うれしいことが連なったのでした。ご縁をとりもってくれたなかに、このバスケットもいたのだなあ。。と思うと感慨深いです。

このバスケット、陳皮(みかんの皮を乾かしたスパイス)をカラカラに乾かすための入れ物として、ある程度乾いた後のみかんの皮をまとめて入れて、日当たりのいいとこにずっと置いていました。

20160928_112207 中身を出してみると、バスケットそのものは、うんと軽くて、編んだ当初よりももちろんカラカラ、すかすかになっているけど、入れ物としての用途はちゃんと果たせていて。編んだのがほぐれてくるかな?と思ったけど、細いつるが1本はずれた以外はそうでもなく、ヤワに見えて、そうでもなく。。。ということで、生の蔓でもほどほどに使えるものが編めるみたいだ、とわかりました。20160928_121921

さて。今年は海岸林ボランティアにも行きそびれていて(汗)、でも手元には半年以上乾かしてある蔓ものがすこしばかりあるので、乾いた蔓を湯戻しして編む、というのを試みにやってみたい気がしてきました。乾いてもスカスカにならない籠が編めるだろか。

いろいろぼんやりするばかりのここしばらくだったので、気持ちが少し、手仕事のほうに動いたのがうれしい。。昨日、久しぶりに相方にゆっくり話を聞いてもらえたおかげ、と思えています。ぼんやりするばかりのなかに、はっきりしたものがちょっと見えてきたというか。

なにか、やはり外のものや人と触れることで、自分の心身の輪郭がはっきりするっていうことはあるんだな、と改めて思いました。ひとりであれこれ考えているときは、思考が霧のようにぼんやりしていて。まるで自分の考えではないかのような、どうも自分の考えができなくなっているかのような感覚がここしばらく続いていました。

外からの情報をいっぱい心身に入れるばかりで、自分がしたかったことまで思い出せなくなっていたようでした。

20160928_125420 昨晩は久々につくろいものもはかどりました。(相方はくつしたの片っぽの足の決まった場所に穴を開け続けるので、わたしも繕い続ける……)。

* * *

あ。籠編み話のついでに。3カ月くらい前に、籠編みについて読んだ本が、とてもよかったことを思い出しました。

20160722_121003 関島寿子さんの『バスケタリーの定式』と『自然を編む』です。どちらの本も、ノウハウではない、ものづくりへの心的態度に対する指針のようなものが満ちていて、そこにとても心が満たされました。

子ども向けに書かれている『自然を編む』のほうも、とてもクリアーに、「自分で考えて、観察して、工夫して、やってみる」ということに重点が置かれていて。「これはこのようなやり方でするのです」というメッセージではなくて、素材を見つけるところから、編んでいくところまで、プロセスを体験するなかで、「自分の心身で発見し続けていってほしい」という願いのようなものが、感じられる本でした。

もちろん、そういうことを踏まえたうえで、具体的な編み方もちゃんと教えてくれる本です。

20160718_145549 ずっと編んでみたいと思っていた、カンボジアのおみやげの胡椒が入っていた、砂糖ヤシの葉を編んだ小さな入れ物。これをお手本に、関島さんの本を見つつ、紙帯で試し編みしたことがありました。

なるほど、こうなってるのか!と納得。いい帯状の素材を見つけて、そのうち本編みをしたいな。

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2016.06.16

水の中の風

今夜はひさしぶりの、しずかな、ひとりの夜で、そとは雨。今日まで、ぎゅぎゅぎゅっと、いままでになくチャレンジなスケジュールで仕事がつまって、だいじょうぶかーと自分でも思うほどでした。でも、なんとか、ここまでこれた。。。よかった。

今朝は疲れていたのと、追われて逃げるときにうまく前に走れないという典型的な悪夢を見たのとで、少し家族にやつあたりしそうになったけど、そこまでひどい出方はしないですんで。。。がんばったし、つかれてるんだな、と気づけたのはよかったな。

濃密で大変だったけど、収穫やよろこびもいっぱいあった。海底の岩棚が少し動きだした、みたいな感覚もある。それはグッドニュースな感じもややする。。。

若かったころは、いつも、窓にかかっているカーテンをあけても形ばかりの窓枠があるだけで、枠の中はコンクリの壁がはまっているような、そういう感覚にとまどっていたっけ。「現実」に閉じ込められてしまっている感覚が常にあったというか。でもいつのまにかすっかりなじんで、「現実」のなかで楽しく過ごせるようになって、「大人になるってこういうことだったのかな」「大人になってラクになったなあ」と思うようになっていたので。。。このたびひさしぶりに、「現実」の向こうに世界があることを忘れてない人が訪ねてきて、「外はこんなですよ」と話を聞かせてくれたような、そんな日々でした。。。

いろんなことについて、考えが(思い込みが)動き出したなあと観察中。

ひさしぶりに、ほんものの未知と接点をちょっともっているようなふうだ。想定内の未知でない、ほんとうにどうなるかわからない未知。

そこの接点のとこから、ほそく、風が吹いてきてるような感じがある。

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2016.05.21

植物力、というか

20160504_095212 玄関先で今年はアーチ状に茂ってくれたノバラは白い花を咲かせ終えて、知らぬ間に生えていたスズランや、ワイルドストロベリーも(どちらもやっぱり白い花だな)花をひととおり咲かせて。

20160426_112437 麦なでしこ(父が種をくれて秋にまいたもの)やクリスマスローズなど長く咲き続けてくれていたのが終わりにさしかかって、

20160521_150451 ここしばらくはハクチョウゲが満開で、キウイは薄オレンジ色の花をつけているところ。

20160521_150251 そして何年か前に相方が生徒さんからいただいた鉢植えの紫陽花も、数年ぶりにかわいい花をつけていて、うれしい。きれいだな。挿し木からすっかり大きくなったランタナも、地道にロングランでぽつぽつ花を咲かせてくれています。

20160521_150306 少し前に、なぞの芽が出た、と思って大事に様子を見ていたのは、シソでした。今やどんどん大きくなっていて、頼もしいかぎり。ヤツガシラも、プルメリアもまた新たな葉っぱをぐんぐん伸ばしだしました。

20160521_150413 20160521_1503004月終わりに種をまいたミニトマトもしっかり育ってきていて、5月になってからまいた藍と風船かずらも芽出しが始まりました。

季節のめぐりは、ほんとうに着々と、とまることなく進む。。。わたしが生活に追われてあっぷあっぷしている間に、みんなは着実です。

わたしも生活なんかに追われているより、もっとちゃんとみんなとめぐりの歩調を合わせていけたらいいのにな。仕事がぱつぱつなのと家事や夏じたく、いろいろ押し迫っているように感じていて、すぐしんどくなってしまいやすいこの頃でした。昨夜仕事のヤマを1つ超えられて、今日はひさびさに少しくつろいで、心の羽根を伸ばしてみれている感じです。

* * *

今朝は、ずっとうちに来なくなってひさしかった、野ねこの(さ)さんが、再びやってきました! しかし痩せこけて、ただでさえ小さめの体が一層小さくなってしまっていた。猫ミルクと猫ご飯をあげたら、すごい勢いで飲んで食べてたけれど、見たら食べながら目から涙を流していた。

食後、少し落ち着いて、顔を洗ってくれて。わたしもちょっとほっとしました。でも何があったかわからないけれど、だいぶんつらい日々だったのだろうと思う。商店街へ自転車を走らせて、消化しやすく栄養価の高い、子猫用のごはんを買ってきました。(さ)さんはもう子猫ではないけれど、今の状態にはふつうのごはんは負荷をかけそうに思えて。

そして(さ)さんを、うちの中で暮らしてもらうようにしてはどうか、とまた考えが走りだしています。どうも、外での暮らしを楽しんでいるようなタイプには感じられず、安心できる場所でのんびりしているのが好きそうに思えてしまうのだけど、それは自分の投影かな。

わたしもつい先日、とても悲しいできごとがあって、その記憶がなかなか薄まらなくて、対人恐怖がいままでよりも、やや大きくなっていて、電車で見知らぬ人の隣に座っているだけで危険を感じて緊張する、というような出方をしてしまっていました。通訳仕事で出かけなければならないので、出かけるけれど、仕事がすんだら飛ぶように家に帰ってくる、というこの頃でした。

知っている人、なじみのある人と会うと、心からほっとするのでした。なじみのある場所も安心する。

こんなとき、今までいろいろ学んできたこと、役立つツールがいっぱいあるはずなのに、それらを使うことすら思い付かなくなるのは興味深かった。ただひたすら膝をかかえてうずくまっている(心理的に)ことを、していたい感じでした。そうやっているあいだに、わたしの意識のとどかないところで、知らないうちに何かがプロセスされていて、そしてふたたび普通に元気になる、ということがあるように思えていて。

そして実際なにも工夫も対策もせずにいるうちに(ただ相方には話をきいてもらったりしました――ありがとう)、今朝の起きぬけに、全身の磁場(?)がそろうような体感が来て、大丈夫感がやってきました。この大丈夫感は、なんというか、ハラが決まった、みたいな感じでもありました。なにかが、無理なく自然と、きっぱりとして。なにか大きな全体像が見えた感じで、その全体において、わたしの中のなにかがはっきりしたような。うまく言えないけれども、とにかくもう翻弄されている感じはなくなったのでした。

あ。これは、居なおる、という感じなのかもしれない。

季節のめぐりとともに、確実に着実に変化して、生きるということをまっとうしていく、そういう植物のようなところが、自分の中にもある、ということなのかな。そのように、できているのかな、生き物として。

野ねこの(さ)さんも、やせこけちゃったけど、生きていて、うちに来てわたしに声をかけてくれたんだから、生きる力は、きっとだいじょうぶ。。損なわれていないすこやかなところがちゃんと活躍してくれているはずなのを、信頼しようと思います。

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2016.04.10

今、ここ

おととい、川べりでコバルトブルーの小鳥を見かけた。カワセミではなかったので、誰かなーと思って、帰宅してから記憶を頼りに調べると、どうやら、コルリかルリビタキのようでした。この川沿いは、ハクセキレイとキセキレイも大勢いるし、カルガモやシラサギ、アオサギもいて、大変たのしいのでした。河鹿蛙もいるらしく、シーズンになったら声を聴きにまた行きたいな。

今朝は、腹を据えて今を生きる、ということについて、起きぬけのおふとんの中でいろいろ体験的情報を受け取りました。痛みがあるとき、問題があるとき、その痛みや問題がなくなる未来の時間を目指して突き進んでいくかわりに、痛みや問題がある「ただ今」をちゃんと体験して生きてみる。それさえすれば、痛みも問題も、おのずと、自然に、変容し始めるんだということを、改めて。未来への逃避をやめさえすればいいんだった。。。なかなかどうして、今がくるしいとすぐに未来へと意識が抜けだしてしまって、今を生きられなくなることが多いのだけれど。その未来逃避の中であれこれ考える解決策は、ある程度功を奏するけれど、おのずと起きる変容に照らすと、ずいぶんと小手先感が否めない。。。自分のわかっている範囲内、知っている範囲内、考えられる範囲内での解決策にしか、ならないからかなあ。。

たとえばからだの痛みの場合、この地球ができて、生き物ができて、そこからずうっと長い時間をかけて「ひと」という生き物になった、その末裔である自分を思い出してみると、たぶん、数十年しかここに生きてきていないわたしの記憶や考えよりも、何万年もの体験をうけついで今にいたっているわたしの体のほうが、きっとどうしたらいいかを知っていて当たり前なのだった。この地球という重力場の中でのあり方について、この自然環境のなかでのあり方について、体はたくさんのことをすでに知っていて、わきまえているはずなのでした。

わたしの偏狭な知識でもって、あれこれからだに指図することは、本末転倒というか。そもそも、ほんとうに、わたしが意識でもってやれる最善は、「余計なこと」をやめることのみ、なのだった。。。「指図」はすべて、自分がどうしてもくせでやってしまう「余計なこと」をなんとかやめさせてもらうための工夫でしかなかったのだったっけな。

安心してまかせればよかったことだった。。。わたしが今ここにこうしているために「こうしてなくちゃ」と思ってやっているいろんなこと、自分で自分を支えようとしてがんばっている努力、「これはやめたらやばいよ」と思っているその努力こそを、思い切ってやめてみると、

からだがおのずとふわーりと動き出して、ふだん気づかず固めていたところがどんどん解放されていって、おもしろかったのでした。そしてただここにいる、というのは、こんなに努力のないことだったのか、というか、こんなに気持ちいいことだったのか、と気づき直したというか。

何かを「耐えて」いつづけてしまいがちな自分にとって、「耐えている」のがなじみの感覚になっている自分にとって、この気持ちよさにとどまるのもまたチャレンジなんだけれども。

でも「耐える」というのは、要はやっぱり未来逃避だったな、と思った。「今だけ耐えれば、そのうち終わる」と思って、「今」をなんとかやりすごそうとしている、「今」が終わるのを「待っている」意識は、苦労がなくなる未来のある時点をめざしちゃってる。「受け入れる」のは「好ましいと思う」こととは違う、と言われるたびにはっとするのだけれど、好ましくないことを「耐えて」いるかわりに「好ましくないまま受け入れる」ということなんだろうな、「今」をほんとうにただ体験して生きるっていうのは。。。

最近体感したのだけど、「待つ」という行為は、ほんとうに、連続する今を生きているときは消滅してしまいますね。踏切の手前で、電車が通過するのを「待つ」あいだ、まわりの世界への興味が一瞬一瞬持続しつづけて、今を生き続けていると、「待っている」感覚はなくなってしまって、ずっといろいろいろんな体験をし続けていて、あるときぱっと踏切が開いて、「あ、開いた」と思って、持続する今の中でただ渡っていく感じになるのでした。「待つ」という感覚になるときは、もう「今」を生きていないときなんだなあ、と思った。

誰かを待ってあげられることが、やさしさだと、考えていたことがあったけれども、もしかしたら、待ってるつもりもなく、持続する今の中でそこにいられたら、なおさらいいのかもしれないな。。。

アレクサンダー・テクニークの先生のトミーがこのあいだ、人と出会うシーンについて不思議なワークをしていたのを思い出しました。2人の人が出会うにあたって、お互いに「わたしは(な)です、この出会いには始まりも終わりもありません」と声に出して言ってみる、というワーク。そのときは、なんだか「はてな」と思いつつ見ていたけれど(わたしは通訳だったので参加せずに)、でも。

「今」は、ただ連続していて、ほんとうに「今」にいると、始まりも終わりも、ない。。。!ということが、後になってじわじわと、私の中に浸み入りました。トミーは、「今」の連続性について、伝えようとしてくれていたんだなあ、と。。。

ほんとうに、「今」にいることが少ない自分。。。いつも逃げ腰で腹が据わっていないのだなあ。おもしろいな。

* * *

「今」の連続性とおなじくらい、トミーから今回はっきり伝わってきたのは、私は「ここ」にいるんだ、ということ。

誰かと話をしているとき、相手のところに注意がぼっと出向いていくけれど、そのときに「This is me having the experience of talking to her(彼女に話すという体験をしているこれが私)」と自分に言ってみると、自分のいる「ここ」に戻ってこれるのが、物理的にわかります。トミーはかつて、「あっち(there)をこっち(here)にしてみて」という言い方もしていて、「はてな」と思ったときもあったけど、あれも「ここ」に居続けるためのものだったんだなあと思う。0.1ミリも、出て行かないで、ちゃんと「ここ」に居続けるということは、0.1秒も未来へ先走らないで、連続する「今」の中に居続けることとおんなじ。

なにをしているときでも、今、ここ、にただいればいい。のだけれど、物理的に実践するとなると、言葉で言うほど全然かんたんじゃないのはなんでなんだろうな。おもしろいな!

今、ここ、から自分をはじきとばす「余計なこと」を自分に対してしている自分に、ただ気づいていく練習を、忘れたり思い出したりしながら、続けるだけかな。いろんな刺激に反応して、スグ今ここから自分をはじきとばすわたし。。はじきとばし行為にジェントルに気づきやすいのは、自分がなにかをし始めるとき、なにかをしようと思いついた瞬間だから、とりあえず、そこを視野にいれよう、今、ここで。。。

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2016.03.21

長いときの果てに

20160314_102338 昨日で、ここしばらくのぱたぱたデイズが一区切り。ぱたぱたしているあいだに、ずうっと前にまいた種がいつのまにか芽を出してました。すごいうれしい。でも、何の種だったか思い出せない(^_^;) 大きく育つまで、誰なのかわからないままです。。。

この2週間強のあいだ、家仕事の納品のために完徹夜・半徹夜を4度(もう徹夜はしないことにしていた近年だったのに)、外仕事の前夜にナーバスになってうまく眠れなかったことも2度あって、睡眠サイクルはめちゃめちゃで、そしてゆっくり座って出来事を消化したり、自分の気持ちをたどったりするひまがほとんどない日々で、こんなこと自分の生活上まれなんだけど、と思いつつ過ごしていました。

ただ、エネルギーをばんばん消耗しつつ、でもその渦中で同時にエネルギーがチャージされている(ときにはチャージが消耗をうわまわってたかもしれないくらい)というふうで、それもなんというか、あたらしかったです。

家仕事も、外仕事も、とてもチャレンジだったし、ときに苦しかったり怖かったりしたけど、でも自分にとってはうれしい学びとよろこびを伴う内容だったからかな。。。ありがたいことだな、と思います。

ただ、ふだんよりもたくさんの刺激をずっと受け取りまくっていた、ということでもあるので、やっぱり疲れや揺り返しがこれから出てくるかもしれないことも、心の片隅において、自分への接し方に工夫をしようとしている今日です。終わり方を工夫する、というのが最近のテーマなのでした。

まだ家仕事は未納のものが残っているし、家事もてんこもりにあるのだけど、今日はまずは少しゆっくりした自分を時間にあげることにしています。

* * *

そして、昨日は春分の日でした。おめでたいな!

チェロキーのネイティブアメリカンの方々も、春分の日にはお祭りをするそうなんだけど、そのお祭りで大事な役割を果たしてきたという、十字石という石が、数日前にわたしのもとに 突然やってきた、というのもあって、昨日はちょっと、地軸が太陽に向かって90度だということに想いを馳せていました。

Wc_equinox1920master_ipad_1920x0180 秋分~春分~秋分の地球を宇宙から見た動画をみつけました。「太陽にむかって地軸がいちばんふんぞり返っている時が冬至、いちばん深くお辞儀している時が夏至、直立の時が春分・秋分です。」という表現もみかけて、おもしろいな、と思った。

人間が長い進化の過程を経て二足歩行になった、そして手でいろんなことをするようになった、その進化のたまものである、わたしたちの中の直立性、垂直性について、アレクサンダー・テクニークの恩師、トミーが昨日までたくさん話をしてくれたのが、春分と地球と太陽とにつらなって、思い出されていました。

トミーにまだ面識がないときに、いきなりメールを書いて、突撃で彼の学校に教わりに行ったのがちょうど13年前の3月で、以後、間があいたりしながらもある程度コンスタントに会ってきて、これまで毎回いろんな複雑な気持ちになってきたけど、今回は本当にシンプルに、トミーから学びたいことがたくさんあるな、と思いました。というか、わたしが学びたいことは、こういうことなんだ、と腑に落ちたというか。

アレクサンダー・テクニークでは、レッスンの中で相手に手を触れる、という要素があって、それがどうしても自分には抵抗のある要素でありつづけてきたけれど、今回、はじめて、自分の奥のほうから、「その触れるというのを学びたいな」という気持ちが出てきた。それで、その気持ちを先生に表明して、教わるための実際の一歩を踏むこともできたのでした(でもその一歩の最中では「わー、できない、わからない、できない!」という激しい反応が出ちゃったけれど)。でも、自分の中では、ものすごく革命的なことだったのだし、この一歩は、自分にとっては、お祝いだなあ、と今、思っています。(そして「できない」という私にトミーが言ったのは、「誰でもできるんだよ、ただ慣れてないだけ。練習すればいいだけだよ」)

アレクサンダー・テクニークを仕事にしたいとか、教師になって人に教えられるようになりたい、とかそういう欲求とままったく無縁のところで、こういう「触れ方」を、ただそれ自体のために、身につけたい、と思ってもよかったんだ、と気づいたのは大きかったです。

わたしがアレクサンダー・テクニークをもっと深く学びたいと思った当時、レッスンをしている先生が東京にいなくて、それで教師養成校にいきなり入ったのだけど、そこでは「教師になるために」という前提がいつもついてまわっていました。自分も願わくば教師になれたら、いいなあ、と思ったりもしていたけれど、8年やってみて、自分は教師になりたくない、というか、ならなくてもいいんだ、そこは本当に自由に選んでいいんだ、と知ったときは、すごく自由を感じた。その後は、「人に教えるため」という前提のないなかで、ほんとうに自分自身のために(いったりきたりしつつ)学びを続けてきたのだけど、その「自分自身のために」という前提への切り変わりが、逆に「教えるために必要なこと」だとわたしが考えていた「手で触れる」という要素を自分からどんどん遠ざけたのでした。そうやって「自分自身のために」学び続けるなかで、思考に重きをおきまくっていました。

思考も、体も、まるごとのわたしの部分でしかない、その部分のひとつでしかない思考を、ずいぶん偏って使おうとしてたのかもしれないです。

あと、「自分自身のために」学び続けるなかで、自分をまわりの場や世界と切り離してとらえてもいました。このことは数年前から気づいていて、「かかわりの中にいるということ」についてもっと見て行きたいと思ってきてたのだけど、「かかわりの中にいること」の当時のわたしの定義の中には、「相手と物理的に触れあう」という部分は不思議と含まれてはいなかった。

やっぱりずっと、抵抗があったのでした。「触れること」へのこのおおきな抵抗感は、アレクサンダー・テクニークの教師養成校で学ぶなかで体験したことがベースになっていたのかな、とも思うけれど、実際はもっと根は深そうだな、とも今は思っています。

自分が物理的に触れられることが、好きではない。これはアレクサンダー・テクニークに出会うよりもずっと前に、わたしの体に深く刻まれていたことだったと思う。触れられることが、自分の尊厳や自由を損なうこととイコールだった体験が、あるからだと、思います。

アレクサンダー・テクニークの先生なり同級生なりに触れられるときは、もちろん、わたしの尊厳や自由を損なうのとは反対に、それらをより尊重したいがためだとわかっているし、そうだと伝わってもきます。それでも、それでも、、、わたしは自分が「受け身」になっているという状況のなかで、自分の自由がわずかに損なわれるのを、毎回感じていました。みずから選んで、そういう状況に入っていて、その体験から得られる学びのすてきさもわかっているのにもかかわらず、その「自由が損なわれる感じ」はかすかに、だけど根強く、残っていました。

今これを書いていて、おなかのそこのほうのかたまりが動く感じがしていて、泣きそうになってきた。。。

わたしは、その「自由が損なわれる感じ」に慣れているし、耐えるのも上手でした。ちょっとのことだから、がまんしていた。でも自分の側に、そんなふうな、かすかな「がまん」がある限り、わたしがすすんで、誰か他者に、手を触れたいと思えないのは、当然だったな、と今はわかります。(教師養成校に通い出した当初は、興味本位で、やみくもに触れてみたりすることもできてはいたけれど、でもそのときの関心は、単純に、自分が自分にワークしながら「触れる」と相手に何か変化が起こるのかなどうなのかな?というような好奇心で、「触れる」ための意図がめちゃくちゃでした。だから「レッスンをする」という状況の中で手を使う、というときには、まったくつかいものにならず、極力、手を使わずに、伝えられることを伝える、というほうへ向かうしかなかったし、なにより自分自身へのワークが十分でないから、そこをもっと見て行かないととずっと思ってきたのでした)。

わたしのなかにある、この、わだかまりが、とけてなかったことと、わたしが他者になにか働きかけをするとか教えるとかいうことをしたくなかったことは、つながっていたんだな、と今は思います。自分で実験して発見していくプロセスのほうに意義を見出してきつづけていたことも。

今でも、誰もが自分で実験して発見していくことが大事だと思うし、安心してそうできる場を提供するような学びの場がいちばん好きだけれど、そこのニュアンスが、ちょっと変わった気がしています。みんなが自力で独学でそれぞれにやってみる、ということのなかに、なにか「自」が「他」と切り離されているさみしさを感じるようになってきたかのような。。。

もうすこし、お互いにかかわりあって、支え合ってもいいんでないか、という感覚が来ています。なんでもできるだけ自力で、と思ってきたわたしには、相当あたらしい感覚です。「かかわりあうこと」には「相手の、自分の、自由や尊厳を損なうこと」が伴うと感じてきたのが、なんか、ほぐれてきたからかもしれないです。「かかわりあうこと」の意味が、「自由を尊重し合って、いまここにいるお互いの存在そのもののすてきさを味わいあうこと」や「ほんとうにお互いを支え合うこと」にもなり得ると、納得できたからかもしれないです。

言葉にすると、陳腐だけど。。。

でも、これがわたしが学びたいことだったんだな。。。お互いの自由と尊厳を踏みにじることなく、お互いになにかを押し付けたり期待したりすることなく、それぞれが、それぞれの、すっくと垂直したサポートの中に安心して居て、オープンマインドでいまここのお互いの存在のすてきさやありがたさを味わって、いっしょにいるということ。動物のみなさんや、植物のみなさんや、ひとのみなさんや、モノのみなさん、地球という惑星と、そうやってかかわりあうこと。。

それは意図や気持ちやこころざしだけでなくて、身体も含めた、まるごとのかかわりあいであっていいんだな、というか、まるごとであってこそコンプリートなんだな、と今、思っています。

そういうあり方が、可能だと、身をもって示してくれているトミーに、ありがとうと思う。トミー自身の体験談を話してくれる「おはなしの時間」や、科学的見地からの考察や、ポエティックなたとえや、身体での直接体験や、思い方での実験などなど、そのときどきでどこへ行くかもわからないものが飛び出す、まるでストラクチャーがないかのような多角的な教え方をする人だな、と思う。解剖学も脳神経科学も、物語もスピリチュアリティも、トミーの中には等しくあって、まるく(葛藤なく)統合されているのを感じる。74歳にしてあんなにすっきりとかろやかかつ、ごく自然な身のこなしをしていること自体、すごいなと思う。“白人”の人からはもう学びたくない、と思うことが多い自分もいるのだけど、「白人」というのも、うわべを見ているだけなんだな、とも思う。

うわべを通り越して、相手を見る/相手に触れる、ということのたとえに、トミーが「波じゃなくて、その下の海を見る/海に触れる」と言ってたのを思い出します。なるほどすてきなたとえだな、と最初思っていたけど、後から、これはたとえ話でなくて、トミーがカヤックにのって漕いでいたときの実体験から来ていたと知りました。パドルしていてもうまく進めなかった時、波じゃなくてその下の海に意識を至らせてパドルを握ったら、握り方が変わり、自分の背中で腕をささえてたのが、逆に腕が背中を支えるようなあり方に変わったこと。

「自分の体験から、伝えるんだよ」と何度も口にしていたけど、ほんとうにそれを実践しているのを知ると、毎回びっくりする。伝えてくれていることがらが、空気中に舞うだけの思考のかけらでなくて、ほんとうにすべて身をもって体験したことに根付いているって、シンプルだけど、パワーがあるなあ。。。

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2016.03.07

春の雨と涙

20160304_112242 クロッカスが咲いています。今朝は、涙がいっぱい出て、ひさしぶりにほっとゆるみました。

ずっと、張り詰めていたものがあったみたい。相方からは、「言葉に勢いがあって怖い」「怒らないで」などと言われていたこの頃でした。自分でもなぜかわからないけど、焦燥感に襲われていて、ティーンのころから繰り返している「ザ・ストレスフルな夢」No.1の、飛行機に乗り遅れそうになる夢を見たり、あとはここしばらくは、なぜか、さまざまな猫が夢に現れていました。顔見知りでない猫たち。今朝もうすいグレーの無地の毛の自由猫がいて、掃きだし窓を大きく開けて、家の中に入ってもらう、という夢でした。

思えばこのところ、仕事もチャレンジの多いもの(訳出に工夫の必要のもの)が続いているし、あとは、春の雨が多くなる前に、家の外壁のペンキ塗りをしなければ、とずっと焦っていました。

20160227_121236_2 ペンキ塗りは、何をどう塗ればいいかさえまったく手探りだったせいもあって、素地を整える作業を始められたのは、暦の上でもすでに雨水を過ぎてしまった2月25日。。。何日もかけて、ウッドリバイバージェルという、灰色化した木材をよみがえらせるジェルを塗ってブラシでこすって洗って、素地を整える作業を、もくもくとやりました。20160226_152607大変だったけど、ひとかわ剥けて、みずみずしいもとの木目が現れるのは、楽しかった。お化粧直ししたみたいになるのです(写真の一番左のパネル以外は、作業が済んだところ。明るい色になって木目もあざやかになるのです)。そしてようやっと先日、塗料を塗るところまでこぎつけました。

(塗料はペンキというよりは、オイルステインみたいな自然塗料で、塗った後も木は呼吸を続けられるタイプのものです。中に浸透して耐候性を発揮するんだそうです。お世話になっている岐阜の森林文化アカデミーの、学校説明会を最初に聞きに行ったときの東京会場が、その塗料のメーカーのショールームだったのと、森林文化アカデミーのすばらしい木造校舎がみんなそこの塗料で仕上げてあると聞いたのとで、そこの塗料に決めました。オスモというメーカーです。メーカーに電話でお問い合わせをしたら、サンプルを送ってくださり、今の壁の状態を細かく尋ねたうえで「これを塗って大丈夫です」と教えてくださり、よかったら現場を見に行きましょうか、とまで言ってくださって、とても丁寧に対応してくださいました)。

20160226_103429大家さんは、ファンキーな方だということもあって、外壁に塗り直しが必要だけど、何を塗ってもいい、色も好きなようにしていい、失敗してもいいです、とおっしゃっていたので、はじめはわたしもごく簡単に考えていました。ホームセンターに行って透明なニスでも買ってきて塗ればいいのかな、雨さえはじけばよいのだものね、と。でも少しネットで調べていくうちに、家の外壁の塗装はそう簡単に考えて素人仕事をしてはいけないらしいことや、木の壁にとって何がハッピーそうかがわかってきて、うんと慎重になりました。

慎重になると同時に、プレッシャーも半端なかった。。。サンプル塗料を試し塗りして色選びをして、面積を測って計算して、作業手順を考えて、どんな場所にどんな養生が必要かを考えて、実際の作業日程を考えて、道具を集めて。。とやっていくなかで、どんどん大ごとになっていき、失敗はゆるされない、とまで思うようになっていました。古いとはいえ、借りているおうちで、だいすきなおうちだから、万一自分たちが引越さなくちゃいけなくなっても次の人に気に入ってもらえるようにしておきたい、と先々のことを思うとなおさら。

素地を整えてから、塗料を塗るまでの間に雨が降ってほしくないし、塗料も2度塗らなければなので、1度塗りと2度塗りのあいだや、2度塗りした後しばらくは、雨が降ってほしくない。。。なのに、素地を整える作業が思いのほかタイヘンで、何日もかかってしまって、もたもたしてるうちに、予想通り雨の多い季節になってしまったことも、大変さに輪をかけました(涙)。

一雨ごとに暖かくなって春らしくなってくるのは、いつもは歓迎したいことなのに、ペンキ塗り作業の今年は雨の予報を見るたびに気持ちがずん、と沈む始末。

20160304_112303 でもなんとか2.5日は晴れが続きそうだった先週終わりに、ようやく一番劣化の激しかった東の壁と北の壁の一部は、なんとか塗料の2度塗りまで終えました(写真はそのときの途中経過)。

ようやく全体の1/4くらい終わった感じです。そして今日も雨。残りは、もう乾燥した季節のあいだに一気にやるというのは無理かな。。梅雨入り前までに、天気をみつつ気長にやるしかないのかな、と思い直してします。自分の精神の健康のためにも、そうしないといけないかも、と今朝の涙とともに思いました。

仕事のプレッシャーに、季節とのおいかけっこも加わって、とにかくいつも追われているような気ぜわしさでした。こうして自分の感じてることを「書いて消化する」という作業もずっとしたかったのに、そんなの書いてるひまがあったら仕事をしないと、とずっと思っていました(実は今も少し思ってる)。

でも無理して仕事に自分を追い込んでも、精神のコンディションがいまいちだと、言葉の出も悪くて、遅々として進まず。。。それでもそこを押してがんばって、長時間画面を見続けて目からは涙が出てくるし、長時間椅子に座りつづけて腰がしんどくなるし、ごはんを作る時間ももったいないから適当なものをかじりながら翻訳作業を続けるしで。。さらにコンディションは悪くなる一方だったみたいでした。つらさのなかで家族に当たっていたみたいでした(無自覚でした、自分はつらさをわかってほしかっただけでした)。

極まって反転するところまで、落ちていかないといけなかったのかーと思うと切ないけれど、そんな感じだったみたいです。ほんとうにせっぱつまって視野狭窄が起きていたなーと思う。「これをやらなくちゃいけない、はやく」というふうに一点集中して頑張り続けてしまって、ほんとうにいけなかったなあ、と思っています。

仕事は人為的な〆切とのせめぎあいだけど、ペンキ塗りは季節という自然のプロセスの進行とのせめぎあいで、自然が相手だと、なおさら不可逆的なのでせっぱつまるのでした(ペンキ塗り以外にも、おとなりさんに剪定していただいたセンダンの枝が乾きすぎすぎる前にいろいろに活かせる形にしてあげないと、とこれも、季節&時間とのせめぎあいになっていました)。

焦るなかで、ないがしろになることが、いろいろにあったな、と思う。家族への思いやり、自分の精神のコンディション、季節のめぐりへのリスペクト、家(&外壁)やセンダンの枝たちの声を聞くこと、などなど。

20160304_112153 クリスマスローズのあとにクロッカスも咲きだして、気温も上がってきて、雨がたっぷり降るようになって植物のみなさんにはうれしい芽ぶきの気節。

涙が出てくれて、自分の中にも雨が降って、自分の中の草木も一心地ついてよろこんでいそうに思う。走り続けていたのを、やっと立ち止まって、仕切り直せそうな今日です。

大好きなことほど、不安をもったり焦ったりしながらやってしまうことは、したくないな、とふかぶかと気づきました。これからは、不安になったり焦ったりしなくてよくなるようにできるだけ工夫しようと思う、そのためにやれることはやっていこうと思う。家の壁塗りも、生木の木工も、家族との暮らしも。

「心」が「亡」くなると書いて「忙」という字になること。ネット上の情報は不安になりやすいものも多いこと。そこを覚えておけるといいなと思う。考えたり感じたりさえもできないくらい時間に追われてる、不安に覆われてる、みたいになっちゃってるときには、早めに気づけるようになりたいな。

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