2019.01.05

”国家”と自然、身体と言葉

Img_6779 年末年始は、〆切仕事、家事、家族のことでいっぱいで。それ以外の時間は疲れ果てて寝るか、泣くかで。。やっと今日になって、自分の時間が来た。何日ぶりかで、テレビの音やおしゃべりのないところで、ひとりで過ごせる、自由時間。耳が、すごく疲れていたんだと、気づきました。

思い返すとたぶん、12月初めから、ちょっと神経をやられてたもよう。

22日にシャマン・ラポガンさんの鉄犬ヘテロトピア文学賞の授賞式に行ったあと、近年体験したことのなかった「寄る辺なさ」を感じたこと。

ラポガンさんの文学がどれだけ中国語圏の人たちの無理解と無視にあってきたのかを初めてリアルに感じたあの夜。翌朝、ラポガンさんの「受賞の辞」という文章の中の「島嶼と海洋は、もともとわが民族の”国家”であり、風、雲、雨、陽光、波、星空、生物、植物などは私たちの教育者であり、」というところを読んで発作のように涙が出てきたこと。

わたしは自分の組成が何なのかいまだによくわかってないけど、嗚咽が勝手に起こるとき、何かを探り当てた感触は確かにあって、そちらのほうが一層(one layerという意味の)深いところにある事実なんだろうといつも想像する。

昨日海を見たら、ようやくちょっと、ひと心地がした。海はやさしい、と思った。ラポガンさんのお母さんは、海に入ってなかった頃のラポガンさんのことを「お前はずっと陸に吹く風にいじめられている」と言っていたそうだけど、これ、やけにリアルなフレーズ。。

年末から、十数年来なかった肩こりで身体が日増しにがちがちになっていくので、なんとか自分の身体と向き合ってこうと毎日試みてたけど、なにもまともな成果も出ず、ただ耐えるしかなかった。身体はほんとうに正直だから、わたしがどんな声をかけるか、どんな態度をとるかで、応答の質はまったく変わってくるのだけど、今回はほんとうに、何を言っても思っても何も起こらなかった。固く閉じたまま。年末に知った、ある人の性暴力のニュースの影響も大きかったかもしれなくて、昔の記憶が芋づる式に次々に浮上して、自衛するには閉ざすしかないのだ、安心できる場などないのだ、という想いに身体が憑りつかれたみたいだった。

昨夜はとうとう「これは身体が文字通り悲鳴を上げているんだな」と思った。くたびれ果てて服をきたまま布団にもぐりこんだ。それで今身体に起きていることすべてに「You have every reason to be this way」とだけ言って、その後はそれ以上の言葉を重ねず、ただここにいた。そしたら外で吹く風の、親しみのある音がして、家の中のベッドの上にいるのに外にいるみたいな気持ちが少しして。それから、なぜかトイレットペーパーの筒のようなもの(でも筒の壁は厚さ4センチくらいある)を持って覗き込むような映像が浮かんだのでそれをただ見たら、ついに身体からの応答があった。。身体が勝手に動いて緩みだした。

映像は瞬時にどんどん移り変わっていった。。草花や木々がうっそうと黒くびっしりとしげる中にあざやかなピンクやオレンジの花のようなものがそここに浮かんでいる図。それが最初で、なんだろこれ、と思ったとたんにまた次の映像になって、そんなふうにどんどん続いていった。まったくなんの意味もわからない。連想力だけは高いらしいわたしでも、なんの連想も意味も関連性も見つけられない映像の羅列が続くのを、価値判断やら意味判断やらしようとするのを全部放棄してただ見てた。まったく意味をなさないけど、映像を止めようとしないようにした。身体はどんどん勝手に動いて必要なプロセスを踏んでいるようだったので。上唇の裏側がびよーんと伸びをするように伸びたり、右の肩から腕までが遠山の金さんが決め台詞を言う直前に着物をはだけるような感じで外へ向かってどどーんと出て行ったり、両足がまるで手になったかのようにお互いをこすりあわせてさすりあったり足首まわりをさすったり、頭の中の奥のほうで「クックックッ」と規則的な間隔で極小のクリック音が鳴ったり、右腕が宙に上がっていって手首から先がゆっくりと動いて気が指先に満ちるような感じになったり、右ひざが宙に上がってからバタっと落ちたり。

こうやって身体がおのずと動いてくれると、やっと解放が始まった確信が得られて安心した。。。夜中なのに全然眠っていないし、意識は覚めきってるけど、「眠らなくちゃ」という焦りはまったくなく。この自然運動さえ起きていれば、意識は眠れてなくても、明日には身体がぐんと休まって自分の状態もよくなっていると経験から知っているので、となりの相方の寝息やときどき始まるいびきをききながら、ただ動いていく映像と身体を体験しつづけた。。。

ぼんやりと、昨夜読んだ、野口裕之さん(野口晴哉さんの息子さん)の文章の中の「我を捨てて迎え入れる物は<自然>であり」というところを思い出してた。

野口さんの「生きることと死ぬこと―日本の自壊―」という2003年の文章は、久しぶりに心に迫ってきた文章だった。。近代の日本がとった「欧化啓蒙政策」を見ていったもの。筆頭で例に上がっていたのが、ヤマザクラがソメイヨシノにとってかわられたこと。そして木造建築文化が、建築基準法によって破壊された経緯(木材を「干す」のと「乾燥させる」のの大きな違いも指摘されてた。彼は身体教育の専門家のはずなのになんでこんなに建築関係に詳しいんだろう?)。そこから近代学校教育の理知主義・客観主義偏向を語っておられて。「文化は道理の通らぬ領域」「人生が道理の通らぬ世界と共存していることを指すような啓蒙もある筈である」と語りつつ、「客観主義」についてはこんなふうにおっしゃってた↓。

物事に対して或る距離を措き、(この距離感こそが近代知の極意らしいが)、感覚経験の熱性から免れようとする。自らに発生した感覚に対してすら、絶えず牽制し続ける保身術の習得は近代人必須の教養である。佳いと言わずに悪くないと呟くことで自らを冷却する。自失する程の感動も情熱も永久に生まぬ冷静さこそ客観主義の到達する境地であろう。こうして客観的理知主義は、自らの人生の当事者にすらなろうとしないのである。

 この奇怪な人生に対する態度が、日本の近代精神として定着し得たのは<即天去私>や<無我>という伝統的な精神を曲解した結果であると思われる。伝統的に<自我>は確かに煩悩の一つであったが、我を捨てて迎え入れる物は<自然>であり、自然の意に身を委ねる道を日本人は求め続けたのである。

 対して客観主義は、我が身を卑少として何を迎え入れようとしたのか。正当性をもつ第三者とは何者のことであるのか。

 客観主義とは、つまるところ、多数と権威を正当な尺度とするのである。大衆の理知である常識と国家社会に認められている権威あるものに自らの思考の基準を求める。客観主義が自己を捨てて迎え入れるものは国家と社会であり、こうして自らの知性を国家の歯車の中に組み込もうとするのである。キルケゴールはここで呟く、近代にあっては<ひとり情熱だけが異教徒である>と。

国家。ラポガンさんは中国でも台湾でもなく、「島嶼と海洋」が自分たちの”国家”だとおっしゃってた。そこに立脚することができる、そのためには「文化を生きる」ことなんだと、そう示してくださってるように思えてる。

いっとき島を離れて、いったんはわすれてしまっていた「うた」を、どうやって取り戻したのか、という質問に対して、ラポガンさんの答えは、夜な夜な海に入って、素潜り漁の練習をした、というお話だった。1年目、2年目とだんだん深く潜れるようになって、3年目には10メートル、4年目には30メートル潜れるようになって、そしてやっと両親に、魚を取れる人、海の仲間として、認められた、こうして自分は自信を取り戻せた、と。

授賞式で、受賞のあいさつの最初にいきなりうたいだしてくださったラポガンさん。うたによって受け継がれていく文化では、言葉は紙でなくて、身体に宿ってる。

受け応えの一つ一つ、ラポガンさんの言葉がでてきている場所が、すごく具体的であること、心に残っていて。前回お会いした時も、そうだったんだけど、むしろ言葉に身体が宿っているというか、みしっと気が満ちているというか。それを東京の真ん中で聞くと、なおそうだった。。

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2018.12.18

笛づくり・フォークづくりと、生活の中でつくることについて

Img_6520 Img_6519 急にぐんと寒くなってきて、「猫の額庭」ではひまわりのタネが飛ぶように売れています、シジュウカラのみなさんに。そして私はよく眠くなるようになってきて……そういえばもすうぐ冬至、と思い出してナットク。

まるで冬眠するみたく、まるまって静かに眠っていたい欲求があること。冬はうちにこもる季節、なんだなあ、と。

それなのに、まちはクリスマスソングであふれてるし、パーティーの季節ってことでなんだかキラキラにぎやかめな気が満ちている気もしたりして、あわわ。

ストーブの前でもくもくと木削りや編み物をするのが、ちょうどいい感じであります。

Img_6468 仕事が忙しかったのがいったん落ち着いた数日前、割れたお盆や壊れた洋服掛けを直してたら、ふと木の笛をつくりたくなりました。こういう欲求はいつも、急にやってくる…。

で、手持ちのケヤキの枝で、さっそくつくってみました。グリーンウッドと言えるかどうかは微妙なケヤキ。今年5月に伐採されたのをうちの軒先で保管しておいたもの。

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Img_6471 10センチくらいに切って、中にドリルで空洞を開けて(底は残して)、音が出る穴を表面にドリルで開けて。空洞にしたときのドリル穴の径に合わせて、ラウンダーで粗く丸棒にしたケヤキをナイフで削り、さらにその丸棒の一面を落としてから差し込んで、唄口に。

指孔を開けるのとチューニングはこちらの動画を参考にしました: ロシア語?らしく、言葉はぜんぜんわかりませんが、図と画像がずいぶん参考になりました。(この動画の次に出てくる「How to make a wooden ocarina in the forest」もよいです!)

てきとうに指孔を1つ開けて、音程をチューナーで確認したら、ちょうどCだったので、次の穴を開けてDの音を出して。もひとつ開けてEを。順繰りにチューナーで確認しながら進めてましたが、途中から面倒になって、残りの穴はえいやっといっぺんに開けました。

Img_6473 そしたら、ドレミファまではなんとか鳴るけど、ソラシドはほんのり音階がきこえるけどほぼ空気音、というふうになりました(^^;

どこをどう改良すればいいか知りたくて、笛のつくりや構造をリサーチしている現在です。プロのフルート奏者の方にご意見をきいてみたり。ネットで手づくり笛の作り方をリサーチしたりしているところ。

一音階くらい出るようにして、曲を吹けるようにしたいなーという野望があります。

このプロトタイプ笛は、まだ仕上げはこれから(表面をきれいに削ったりしたいし、歌口に突っ込んだ丸棒を切り落としたいーー丸棒は、改良するときにまた抜いて微調整できるようにしたくて今のとこ残してあります)。

***

Img_6501 Img_6505 Img_6507 昨日は、一度お会いしてみたかった長野修平さんに、フォークづくりを教わりに行ってきました。木取りして粗く形にしたものをすでに用意してくださっていて、そこにフォークとしての形を施して整えていくという流れ。

材は、長野さんのおうちの裏山のナラの木とクリの木でした。わたしはナラで。匙面の浅いスプーンを作って、先端に切り込みを入れるとフォークになる、という感じでした。

小学6年の女の子とご一緒できたのが嬉しかったです。みんなそれぞれ味のあるフォークになって、どれもかわいかった!

生活の道具を自分でつくるときには、既製品のようなものを目指すのは違う、と長野さんがおっしゃってたのが心に残りました。

それで思い出したのが、今月初めにうかがった中野のモノ・モノさんで、たまたま手にとった秋岡芳夫さんの著書『工房生活のすすめ』。パラパラとめくっていったら、なんとも心がときめきました。そこで展開されていたのは「裏作工芸」というコンセプト。

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仕事としてつくるとなったら決してつくれはしないものを、「裏作工芸」でつくる愉しさが語られていました。時間をかけたいだけかけてつくる、好きなようにつくる、ということ。

これを「趣味」と呼んでしまえばそれだけのことになるけれど、秋岡さんはこれを「裏作工芸」と呼ばれた。表では別の仕事をしている人たちが、自分の生活の一部を自分の好きなように手づくりしようとする、自然な欲求、自然な動き、として。そういうように生きることのれっきとした一部として「裏作工芸」を位置付けている感じがして、妙にうれしかったのでした。

この本は残念ながら絶版でした。古本屋さんで見つけたら買っておかなくちゃ、と思う。。。

中野のモノ・モノへは、いつもお世話になっているグリーンウッドワークの先生、久津輪さんが、今年の夏行ってこられたイギリスのスプーンフェスの報告会をしてくださるので、うれしく聞きに行ったのでした。

お話はとってもすばらしくて、いつものように元気が出てくる内容だったのですが、自分でもふしぎと、モノ・モノの場にそこはかとない怖さを感じていました。何回かおじゃましてるのだけど、実は毎回感じています。

どうも、モノ・モノ自体は、工芸家でない人たちの「裏作工芸」が視野に入っていた秋岡さんゆかりの場なのに、なぜか秋岡さんのバイブスよりも、プロの木工家の皆さんの集い場という感じを、私が強く受けているからみたいでした。

少し立ち話をした男性は、木工に携わっておられる方みたいだったのだけど、スプーンづくりのワークショップをしたら30代の女性たちが、「刃物こわーい」と言ったりして、その場が彼の思うような場にならなかったらしく……。結論として受講者の彼女たちが「結婚もせず、子どもも持たずに30代40代になっちゃった人たち」で「ちょっと体験してみたいだけ」で、「オーガニックとかそういうのに興味があるふわふわした人たち」だからそうなった、と分析されていて。

彼はそのあとワークショップをしたくなくなってしまったようで、ご自身にとって「痛い体験だった」とのことだったので、お話を聞いていて、お気の毒に感じました。が、でも私の心のどこかで、その彼女たちはほんとうに彼が言うような感じなのかな?と疑問は湧きました。

「刃物こわーい」というのは、刃物を普段使ったことがなければ、当然の感覚です。私自身木削りを始めた当初はこわかった。今だって、こわいときがあります。だからこそ身を守るためのナイフグリップを学んで、より安心安全に刃物を使えるようになりたいと思って勉強しています。

その女性たちにしても、初めて握る刃物がこわくても、木削りがしてみたいと思った心の動きはあったわけだし、「刃物は怖くなく使える使い方があるんですよ」と教えてさしあげられたら、いっかいぽっきりの「体験」で終わらない、長く続く木削りの愉しみへとお誘いできたかもしれないんじゃ、と思ってしまいました。

独身のまま30代40代になった女性はこんなもんだ、と思考停止しないでほしかった、という気持ちが私の中にはあったみたい……なんだけど、ただでさえここにいることを場違いに感じていて、自分の感じているところを言葉にできなかった……プロの木工家の皆さんがどこか怖かった、というのが正直なところです。

木削りする人に心根の悪い人はいない、というのがわたしの持論ですけど(実際何をしてる人でも心根の悪い人はいない、とも思いつつ汗)、プロの木工家の皆さんは、もしかして、一昔前に音大に行った音楽家の皆さんのような、なんというか、つらい体験をお持ちなのかな?と想像してしまいました。

学ぶ過程で、とてもがんばらなくてはならなかった、師匠に対して質問をしてはいけないとか、だまって従わなくてはいけないとか、(だまって殴られたりとかも?)そういう厳しいことをくぐりぬける中で精神を鍛えてこられた人たちなのかも、と……。

そういうことを経て現在があるというところからみると、「結婚しないまま、なにかひとつことに打ち込まないまま30代40代になった”ふわふわした”女性たち」が軟弱の極みに見えるような見え方が立ち上ってくるのかな?と。

実際はどんな人も、結婚しようがしまいが、ひとつことに打ち込んだかどうかに関わらず、必ずみんながんばって生きてきて今がある、とわたしは思っています。その人なりの事情があって、その人なりの生きづらさを抱えながら、みんなやってきているんじゃないかと。そこを尊重しないかぎり、人として対等に向き合えないと思うのです。

客観的に見て、積んできた苦労の度合いが明らかに違う、ということはあるだろうけれど、それと主観的な苦労はまた別物……。

スプーンフェス報告会の中で、唯一、私の心がざわついたのは、久津輪さんがスプーンフェスの中で行われた「スプーン削りとメンタルヘルスについて」というディスカッショングループのレポートを始めたときのこと。会場で聞いていた方々のあいだから、ちょっと笑いが起きたときでした。

どういう意味合いの笑いだったのかな、と気になりました。精神を鍛え抜かれて木工を仕事にできるまでになった人にとっては、メンタルヘルスは笑えるコンセプトってことなのかな?と……。久津輪さんはそのまま説明を進めて、「イギリスの普通の成人は精神に問題を抱えてカウンセラーにかかったことがある人は4人に1人なんだそうです。でもスプーンフェスで講師を務めている人たちのあいだでは、この比率が2人に1人なんだそうです」と続けました。笑う話ではなく、ほんとに真面目な取り組みとして、自分たちが木を削ることに助けられてきた、そうした経験を広くシェアしていこうとしている、というお話でした。

私も自分自身、不器用な自分はこんなとこにいちゃいけない、とグリーンウッドワークのワークショップに出るたびに何度となく痛感して、でもその後またむくむくと木削りしたい気持ちが沸き起こってくる、ということを繰り返してきて、自分にとっての木削りは、精神療法の1つだと認識するに至っています。

いろいろ辛さが来てカウンセラーのところに通ってた大学時代、無性に木が削りたくなって建設現場に落ちてた木っ端を拾ってきて、彫刻刀でやみくもに削り出した自分がいたこと、今でもありありと思い出せるのです。

弱さがあるからこそ、木削りに救われるって、ぜんぜん普通にあるだろうと想像できてしまいます。

日本で木削りがブームになりつつあると、聞くことが増えました。そこにプロの木工家の皆さんが関わってくださることはすてきなことだけれど、木削りのこういう側面を笑ったり軽視したりしないでもらえたらいいな、と願っています。私のような人間にとっては、質の高いモノがつくれるかどうかよりも、つくるプロセスそのものにもっともっと大きな意味があるということを、知っていてほしいです……。

いろいろな気持ちがいったりきたりする中で、私はまだ自分が木削りワークショップをできる力量が十分でないけれど、できるようになりたい、と初めて思いました。女性や子どものみんなに、「自分でできることの愉しさ」を通じて力を返す方法として……。

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2018.12.13

たぶん自分史上最高に長いブログ記事。。。

ブログ、しばらくご無沙汰してしまった。。。ので少し前の記録から。

□11月3日記

今をときめく(らしい)人の言葉を訳してるんだけど、うまくチューンインできなくてすったもんだしまくってる。。。世間知らずだからだろかなー自分が。。で、夕方ごろ、ただダイニングチェアに腰掛けて、何もしない時間をしばらく過ごしてた本日。ただ、いるだけ、ひとりで、おやつも音楽も日記もなしに。それがなんだかしらないけど、しあわせだった。”理由なきしあわせ”。これって最強かも、と思った。

いつもならそんな状況はつまらないなーと思うはずなのに、不思議でした。

□11月9日記

Img_6292 なんだか最近、夜寝てる間にいろんなことがプロセスされて、夜な夜なインスピレーション祭り。。でもわたしのことだからこれは単なる一時的な気の迷い的な盛り上がりかも、と思ったりもしていました。そしたらきのう、ここ数年お世話になっている人のところへ髪を切りに行ったら、すぐさま「クリアーになりましたね!なんか、生きてる」と第一声で言われて、、びっくり。で、だまーって髪を切ってたかと思ったらふいに、「髪はほんとに正直だから。。。今日ははっきり見えるんです、重さがなくなってる」と。「重さって物理的な?ですか?」と質問すると、しばらーく沈黙があったあと「記憶です。記憶がかぶさると見えなくなるんです」。そして「こうやってクリアーだと、切る作業が早い(笑)!」とおっしゃって、たしかにいつもよりかなり早くカットが終了。

終わって「自分でもこれはお祝いしていいことなんだとわかったというか、はからずも、今日はここでお祝いしていただいたようになって、うれしいです、ありがとうございます」とお伝えしたら、目をキラキラさせて(文字通りに。。あんなに人の目がキラキラしたの、久しぶりに見た)「それはわたしもとってもうれしいです!!」と自分ごとのように喜んでくださって。この方がこんな表情をすることがあるんだー、とまたしてもびっくり。うれしかった。。。

クリアーになったのは、クリアーにしようとしてそうなったわけでなくて、結果としてなったことで、、、みんなそもそも与えられているんだなあ。。恵みに感謝するしかないことです。ほんとうに、入れちゃっていた邪魔をやめさえすれば、いいことだったんだー。。。学びは続くし、またころんだりひっくりかえったりするんだろうけど、今ひとときは、お祝いの時間にします :)

□11月17日記

Img_6315_2ここは自分をまともにしてくれる場所だとまた実感したー。

波打ち際にずっと座ってたら、思考がぐるぐるしているのが、やまった。そしたらふいっと、てんとう虫が飛んできてスカートにとまった。こんな植物のぜんぜんない浜辺にてんとう虫がくることがあるなんて、びっくりした。Img_6327Img_6329

それからふいっと、リードから自由になった黒い犬がやってきて、あいさつしていった。

そんでまた海を見たら、波が1波1波、キャラクターが違うことに気づいた。おもしろくて、次から次へとやってくる波をしばらく見ていると、ときおり立ち上がる波の向こう側から陽光がさして、波の中に魚の群れが入っているのが透けて見えたりもした。Img_6316

その魚をねらってるらしきトンビが上空にやってきて、しばらく旋回していたのだけど、トンビの飛行ぶりがすばらしくて感心した。尾と羽根の微細な動きで、風と重力にレスポンドしていく、一瞬一瞬。

それに見とれてたら、私が座ってたのの左10メートルくらいのところに小さい男の子がひとりで座ってたのに気づいた。遊ぶでもなく座ってる。しばらくすると彼はごろんと背中を海に向けて寝転んで、またじっとしていた。風がちょうどいいし、陽もあたたかいし、波音も気持ちいいよね、と思う。。。

私も気のすむまでそうやって、まわりと自分がぴたっとそろって何の違和感もなくそこにいる幸せを受け取っておりました。

1時間くらいたって、均衡をやぶって立ちあがって、歩き出してみた。そしたら砂の質感がここと一歩先でまた違う、温度も違う、砂粒の大きさ、乾き具合……どんどん変わるのがおもしろかった。

薄ピンクの桜貝が落ちていて、光をうけてつやつやに輝くようすがきれいだった。こんな完璧なものをつくる自然ってすごいもんだ、と思った。Img_6332

それから自転車を置いてたとこへ戻って、自転車にまたがったら、赤トンボが飛んできて右肩にとまった。

波のことも、トンビの飛翔のことも、砂のことも、そこに注意を向けてみましょう、と意図的にしたわけでなくて、ただたまたま気づいて、そしたらおもしろかった。てんとう虫も犬も男の子もトンボも気づいたらそばにいた。

ひとりだったけど、世界とデートしたみたいな午後でした。

□11月23日記

おととい、仕事へ向かう電車で、となりに乗ってきたおじさんが、めちゃくちゃ字の大きな本を読んでいて、ちら見したら「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」という老子の言葉をマンガで解説しているページでした。

これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

「知っている」は「好き」にはかなわない。
「好き」は「楽しんでいる」にはかなわない。

という感じの意味だそうで……なんかぐっときた。

知ってただけ、好きだっただけ、の時期がどんなにか長かったことか、を思う。。

□12月5日記


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昨日海に天使の滑り台がたくさん出てきてたので、あそこからわらわらと大勢滑り降りてきてるんだよーきっとと相方と言いつつ眺めていました。

風がわりと吹いてて、波の話し声がずうっと続いていて、それがどこか具体的で、もう少しで何を言ってるか意味がわかりそうって感じたのが、おもしろかった。

そしたら今朝がた、夢に亡き母と祖母が出てきた。存命中の父と、私と、母と祖母と、一緒に旅行してた。夢の中ではみんな普通に生きてるからふしぎ。

□12月6日記

近所でねこと新しくお知り合いになることになって、出かけてきました。そのおうちに向かう道すがら、どんなルックスのねこか想像してみようー、と相方と言い合って、なんか白地でキジトラ柄な雰囲気、白地なのにキジトラってどういうことだ?と思った。じゃあ、名前はなにかなー、名前の予想しあいっこしよう、と言い合って、相方は「しんのすけ」(女子だってことだけはこれまでのやりとりでわかってたのに)、わたしは「ちくわ、もしくは、こたつ」と予想。それから、ふと、今までのやりとりから1匹だと思い込んでいたのが、実は12匹とかいたりして!と思い立ち、相方に「さすがに12匹はないけど、まあ3匹いるなー、(ま)さんのことだからきっとそういうことあるよー」と冗談まじりで言ってたら、ほんとに3匹だったのでちょっと驚いた。

んでもって、1匹はキジトラで、もう1匹は三毛にややトラまじり、もう1匹はサビで、サビねこ意外の2匹の姿が重なって私のもとに届いていたみたいでした。

名前については、3匹とも女子だけど、うち1匹は男子名(人間だったなら)が付いていた(名づけたあとに女子だと判明したとのこと)。相方はそこをピックアップしていたもよう。「しんのすけ」ではなかったけど。。

で、ほかの2匹も予想した名前とは違ったけど、1匹は、ここのおうちにきたときの名前(前の名前)が「ちくわ」だったそうでした。

おもしろいなあと思った。で、ルックスについても名前についてもかすってなかった、サビねこさんは、元のらねこで、今もおうちの中で野良化しているというシャイさで。だから気のレベルでも姿を現してくれなかったのか??

これから少しお近づきになれるだろうかな、どうかなー。三毛さんは結局隠れたまま出てきてくれなかったけども、心を許してくれる時がくるといいなと思ってます。


□12月11日記

はちゃめちゃな急ぎの仕事、2本目が終わった。。はふー。
あしたはがっつり休むー。

今回はでも、急ぎの仕事のせいで、そのほかのことを犠牲にするのを最低限にしてみるという実験をして。。ダンスのクラスにも(日にちはずれちゃったけど)出たし、ジャズのライブにも行ったし、ねこシッターに行ってゆっくりねこじゃらしで遊んだー、そして結構出かけている間は、さっくり仕事のことは忘れていられたのが、ものすごく新しい。。(自分比)。しかも無事1本目の〆切も2本目の〆切も守れた(2本目は〆切より1日早く納品できた!)。 

徹夜と半徹のここしばらくだけど、なんとか元気である。。ありがとうありがとうとおもうー


***

Img_6465 さて、それで、今です。

自分の中では、10月末に、ひとつ、おっきな橋を渡った事件(?というか、一連の体験)があって、なんだかいろいろがとても大きく変わった感覚がありました。とはいっても具体的な生活上動きがあったわけでなく、わたしの心身の上でのことなので、うまく言葉にしようがないまま。。。

大きな変化があると、記憶に断絶が起きるような感じもあって。

変化のあとの処し方もむずかしかったりしました。今までと同じではないということになじむまでのあいだの狼狽とか、またもとにもどるのかなという不安とか。でもそれらもみんな食べ物にして進んでいける感じがしばらくあった。

のが、ここへ来て、急に疲れが出たような感じです。

昨日かおとといだったか、久しぶりに、こんな世界に生きていたくないなと思った。

何て後ろ向きなんでせう。。。

ただ、長く、長く、がまんしてきた自分に気づきはじめているからこその、感覚なんだとは思いました。

いつも、何をされても、相手にはなにか事情があってのことだ、と考えるクセがあって、それが仕込まれたのは一桁代の年齢だったこと。

特に相手が精神の病気の場合、つらくても怖くてもがまんするしかないということを学んだのが、早かったこと。

わたしはほんとうに、そんなに寛容でなくてはいけないのか?寛容であることはいいことだとずっと思ってきたけれど、ほんとうにそうなのか?

ちゃんと自覚的に怒るということが、できたためしがなかったのだけど、今回の変化を経て、できるようになって。大変なとりくみでした。怒るということ。

でも、自分には怒るだけのまっとうな理由があるということを、ちゃんと受け取れた。

***

このところ、身体がどんなにか正直かを、日々ひしひしと感じています。

自分に対してふさわしい態度をとれたとたんに、身体が勝手にゆるみだすのを、もう何度も何度も体験していて、これは偶然だとかなんとか言っていられなくなりました。

頭でいくら理知的な結論を導いたところで、身体に響かないものはまったく響かないのだな、と。

いろんな感情が沸き起こってくるときに、それらの感情に対しても、頭で理知的に「そんな感情もたなくていいんじゃない、だって……」と説き伏せていなす、ってことはできるんだけど、それをやるとなお一層深いところにその感情が潜伏してこじれてしまう、と今は感じています。

いなしたり、説き伏せたりでなく、その感情が訴えてることは唯一、その感情にちゃんと耳を開くことなんだと、発見中です。それがどんなに非合理的なものでも、この状況でそんな感情持つなんて、というような感情だったとしても。

気をそらして建設的な活動に向かうことのほうがサクッと不快な感情を離れられていいように思ってたけども、そうすればそのうちそんな感情を持ったことさえ忘れるし、というのがあるけども、でもそれをやっていると身体がだんだん硬くなるのに気づいたからです。

硬くなっていないときは、すごくやわらかで、微妙なゆらぎが常にあって、脱水中の洗濯機に片手を置いただけで胴体全部がびりびり一緒に振動するくらいで、音楽を聴いただけで音楽が心臓あたりにどばっと入ってくるくらいで、ものに手で触るときも、出力に気をつけないと指先がものに接触しただけで痛いくらいで。

でも感情に耳を閉ざしだすと、身体は硬くなっていって、硬いのが当たり前の状態のようになると、まあ、ものを触ってもあんまり指先が痛くないのはいいことかもだけど、音楽が入ってこなかったり、あんなに豊かだった世界を感じ取れなくなってしまうという残念なことになりました。

がんばって、がまんする、という根強いデフォルトの態度があって、これが出てくると、もう世界とのかかわりが切れていくようです。

どんなに理不尽なように見える感情、幼稚なように思える感情も、「そう感じるに足る理由があったね」と100%肯定したい、自分はなにがなんでも自分の見方でありたい、とふかぶかと感じています。

で、これが大人になるってことなのかな、と思った。

大人になるのは、世間でいう「大人な対応」をして、感情を押し殺して笑顔をつくることでなく。まあ、その場ではそうするにしても、家に帰って自分とふたりきりになったときには、自分の感情のケアを自分でできるのが大人なんじゃないかー、と。

99%でなく100%、自分の気持ちを認めることができると、身体が緩みだしてくれる。なかなか100%に至るまでの道が簡単ではないのが今のところだけど、少しずつ、上手にそこへ行けるようになってきてるように思えています。

何をいけないと思い込んでいるかを見極めて、何を自分に禁止してるかを見極めて。何を理想だと思い込んでるかを見極めて。今がどんなにつらくても、どんなに理想から遠くても、それを「どうにかしたい」という気持ちに流されないで、そこにとどまって、ただ起きている現状を見て、それが今ここの空間・時間・関係性の全体の中にあることを見て、全部受け止める、そんな練習の繰り返し。。。

最初は身体的違和感や不快感があったときにこの練習をして、身体が勝手にどんどん緩んでいって(自分で止められないほどずっと続いたときもあって)びっくりしたけど、今は、感情レベルでの違和感と不快感にこの練習をするようになってきました。

で、よく、泣いてる。

そのたびに、大昔に起きた身の上の記憶がよみがえってきたりして、こんがらがった結び目が1つほぐれる感覚が。。

まだまだたくさん、こんがらがった結び目がいっぱいあることはなんとなくわかっています。

おもしろいのは、あんまりそういう過去の記憶とか、自分の感情に、どっぷり入っていっちゃうと(全体の中で見るかわりに、没入しちゃうと)、必ず(!)いまここの現実世界から知らせが降ってくることで。

天井からクモが1匹、シュタッと目の前の画面の上に飛び降りてきたこともあったし、お風呂の湯舟の中でそうなってたときは、お風呂の天井から水滴が1滴だけ、右肩に落ちて来て、ハッと我に帰ったり。

現実世界もとても雄弁です。感情も雄弁だけど。身体も雄弁だけど。

だからまだ信頼が根底から失われるってことにはなってなくて。。おかげさまだなーと思う。

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2018.10.04

”生活に必要な手仕事”をめぐって――「南の島の家づくり展」で思ったこと

こないだ電車の中で、編みかけの靴下を鞄から出したら、お隣に座っていた高齢の女性が「靴下?」と話しかけてきてくださって、「私も昔はなんでも編んだんです、子どもの靴下もセーターも。今みたいになんでもあるっていうんじゃなかったから、北海道だったから暖かいものが必要だったしで」と。「でも編みだすと楽しくなって、やめられなくなっちゃうのよね」とにっこりしておっしゃった。


やらなくちゃいけないことだったからという”つらい話”ではなくて、やらなくちゃいけないことだったけど楽しかった、というお話。で、そのうち、編み方はこうやる?それともこう?とか、編み物やる者同士でないと通じない質問をしてきてくださったりして、ちょっと楽しかった。


で、靴下の編み方は、はき口から編む派とか、つま先から編む派とか、いろいろなんだけれどもなんと、彼女は輪編みでなくて、足の裏側と甲側を別々に編んで、はぐ!とのことでびっくりした。お母さまから教わったのがこのやり方で、毛100%の糸は足の裏に穴があきやすいでしょう、だからほどいて底の部分だけ編みなおせるようにしていたのかもって今になって思うのよ、とのこと。このやり方しか私はできないのよ、と。


「生活の必要に迫られてやったことだったけど、楽しいことだった」というのと、「母に教わったやり方を自分もやってきた」というのと、今まで私がやってきたのとまた全然違うやり方があるって聞けて、うれしかったーと思いつつ、竹中大工道具館企画の「南の島の家づくり展」へ行きました。


Img_6007 で、ギャラリートーク「自然とともに生きる―バリの自然食文化」というのをまず聞いたのだけど、トークの内容は予想に反し、バリ島北部の小さな村へ移住して建築設計事務所を主宰しているグデ・クリシュナさんと、パートナーで伝統食の研究・教育活動などをされているアユさんが、「食=暮らしの根っこ&文明の行方を左右するもの」としてライフスタイルの在り方に抜本的なアプローチをかけておられるお話でした。


おふたりはインドネシアの自然に根差した昔ながらのライフスタイルを広範に調査していて、グデさんは『台所からの革命』というタイトルの本を書かれていて、さまざまな現代の問題への解決策として、まず台所から暮らしを見直していこう、と提案されています。みんなができることとして、インドネシアに特化した具体的アイデアをイラスト付きで伝える本。


本はシンプルでわかりやすい、イラスト中心の本だけど、台所の哲学的位置づけから始まっていて。台所は古来、インドネシアでは家を建てるとき最初につくる場所だそうで、心身両面にとって重要な、聖なる場所なんだそうです。


台所から始めて、

巨大産業に頼る→地元の農家を支援する

依存→自立

消費的→生産的(食材・生活道具を地場産の素材で自作)

輸入品→地場産品、自分でも育てる

生態系の破壊→環境にやさしく

貪欲→足るを知る

病気→すこやかさ

こういう方向へ動いていくために、「ミネラルウォーターの代わりにココナッツ水を」「ビニール袋の代わりにチークの葉を」「インスタントヌードルの代わりにキャッサバを」「合成洗剤の代わりに灰やソープナッツを」「プラスチックストローのかわりに竹のストローを」など、具体的な置き換え例が書かれています。Img_5962


グデさん自身が、土でできた炉で、薪で料理をして、そこで出る灰を土にまいて畑をして、灰で洗い物をして、水は汲んできたのを素焼きの水瓶で自分でろ過して、という暮らしを実践されているのでした。そして、自分がしていることは小さな簡単なこと、私たちはただ私たちがしていることを皆さんに見てもらっています、とおっしゃっていて、本の末尾にも「小さな簡単なことを、私たち自身のために」とありました。


Img_5995Img_5997_2 Img_5991 グデさんの所持品である、地域の自然素材でつくったさまざまな生活道具は今回の展覧会でも実物が展示されていて、どれも美しくて圧倒された。ヤシの葉のスプーンとか、MoMAとかにあってもいいようなすてきなデザイン。(写真2枚目はご飯やおかずを入れておくヤシの葉で編んだ籠。3枚目は炊飯デバイスで、これを水を沸かしたうえに置いて炊くため円錐形をしてる)。


***


「南の島の家づくり展」の建築のほうの展示も、現地で撮影してきた映像資料と、実物の素材や道具の展示と、自分で屋根をふいてみたりできるインタラクティブ展示もあって。屋根ふきのアイデアの数々は、目から鱗でした(後ほど詳しく書きたいので、ここでははしょります)。Img_5994_2


インドネシアのスンバ島の家づくりのドキュメントが見れたのだけど、森で木を斧で伐採して荒くはつり、ツルでゆわいて10人くらいで引っ張って山から運びだして、部材を成形(使う道具は斧と山刀だけ、計測ツールは植物で編んだ紐だけ)、クギ1本使わず組みあがるように細工して、仮組みしてから、現場へ運んで、組み上げて、チガヤで屋根をふく、そこまでを村のみんなでやるのです。村には大工さんという専門職はいなくて、昔ながらのやり方をよく覚えている人がリーダーシップを発揮するんだけど、この人は棟梁ではないし、特別な位でもないわけです。


Img_6026_2 そうやってできあがる建物は、屋根が高いところから地上近くまで降りている中に、高床構造の建物がすっぽり入っていて、内部は2階(というか3階か!)建てになっている独特な様式。


道具は、斧、山刀、木槌、ツルの紐だけ。材料は地元の森からのもの。で、ものすごい造形の建物を建ててしまう。これを建て替えるときには、山刀をそれぞれにもった男衆たちが2時間たらずでばらしちゃう。


ほんとに見事です。


(スンバ島の家づくりの詳細は佐藤先生のウェブサイトへ。ものすごい情報量で、写真・動画も豊富です!)

この、1人1本は持っているという山刀(ハチェット、ナタの立派なの)をつくっている映像資料も見たのだけど、鉄くずを焚火につっこんで熱して、鉄切り用の斧で形を切り出して、トウモロコシの芯を燃やした火につっこんで鍛冶仕事をしてました。


焼き入れは、竹筒に水を入れたものを炉の横にスタンバイしておいて、ジュッと。


刃を柄にすげるときは、森の木から樹脂をとってきて、細かく砕き、柄の穴に入れておいて、少し熱した中子を差し込んで、溶かしてから冷やし固めて。


砥ぐときはは石を使ってたけど「とくべつな石ではなく、そこらへんにあった石で平らっぽいものを使っています」とのことだった。仕上げ砥ぎにはヤシ繊維を使ってた。。


そうやってすばらしい山刀を完成させていて、すごいなーと思いました。刃の切れ味は、腕の産毛を剃って確認していた。この確認方法は万国共通なのだなあ。


で、トークと展示がよすぎて、その後の夜のシンポジウムにも、飛びこみで参加させていただいたのだけど、このスンバ島の家づくりだけでなく、インドネシアの離島を始め、オーストロネシアの島々でフィールドワークをして建築を研究しまくっておられる佐藤浩司さんのお話がやばかった。


紹介していただいた島々の家は、全部自然素材だけで、素朴な道具でつくっているわけだけど、どれも佐藤さんいうところの「住宅に対する常識をいともたやすく覆してしまう突拍子もない形態の数々」で。しかもそれが「飛び抜けた想像力をもったひとりの建築家の作品ではなくて、みなが共有している社会のデザイン」である、と。


そしてスンバ島の家の内部の一段高いところには、そこに住む人が入ってはいけない部屋が設けられていて、そこは祖霊の間なのでした。見上げてもいけないらしかった。佐藤さんいわく、この並々ならぬ造形の家は、そもそも人間の持ち物ではなくて、人間はそこに間借りしているというふうに理解するのがふさわしいのではないか、とおっしゃってました。


Img_6003_2 Img_6002 Img_6005 質疑応答のときに、ある人が「この社会では”成熟”という概念はどうなっていますか?建築の技術自体は粗削りというか、完成度が低いわけだけれど」というような質問をされて、佐藤さんはそれに対して「日本のように建築が造形的に形がきまってしまっていると、中にむかって細部の洗練を極めるしかなくなるけれど、それとは逆に、建築自体の造形が外に向かっているから。それ自体が成熟だと私は思う」とおっしゃってたのが印象に残りました。


Img_5999 Img_6001 型を決めて、その中で洗練を目指していく動きもひとつの成熟だけど、与えられた材料や土地などに臨機応変に対応しながらダイナミックに造形を展開させていく動きもまた成熟である、というのが、なんかぐっときた。


専門の職能として大工がいなくて誰もが大工仕事をするとか、デザイナーが個人でなく共同体であるとか、家はそこに住む人のものではなくてもっと大いなる流れの中にある場であるとか、この南太平洋を船で行き来してきた水の人々の文明がちらちら見えるような気がした(水の人々の文明については、わたしの印象でしかないので、根拠ないところですが💦)。


ご本人たちは生活の必要に迫られてやっているはずだけど、でも手を動かすことはやっぱり「やりだすと楽しい」って(電車で会った編み物のおばあさまみたく)あるのかなあ、と思ったり。


帰宅してから検索して出てきた、現地でスンバ島の家づくりを見てきた方の感想が大変興味深かったのでした。家をつくるという、集団でやる活動なのに、統制・統率という概念がなさそうなこと、「いいかげん力」がはんぱないらしいこと……!


生産者と消費者が同一っていうのは、今自分が傾倒してるグリーンウッドワークの、スウェーデンの木工の伝統(Slöyd)でもおんなじで。。そもそも生産者と消費者というふうに分けられはじめる前の時間は、今わたしに想像できる以上の、独特なクオリティがあったんじゃないか、となんとなく思っているところ。


「南の島の家づくり展」はこの後、神戸の竹中大工道具館へ行きますー。10月から12月始めまで。

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2018.09.26

いつか歩いてみたい道

スウェーデンのクングスレーデン(王様の散歩道、という名前のロングトレール)をついこないだ歩いてきたという、UPI Outdoor鎌倉店店長さん、横倉さんの報告会に先日行ってみた。ロングトレールは、自分にはきっと難しいだろうけど夢の次元ではいつか歩いてみた42518661_10215223708400088_66168947 いもんだーと思ってたので。

ところが!このトレールは、「自分にもきっとそれほど難しくないトレール」であることが判明してしまい。。。それどころか、野生のブルーベリーもリンゴンベリーも生えているし、おいしい湧き水がそこここで出ているし、人よりヘラジカの方が多かったりするし、山小屋にはサウナもあるし、セルフで使えるキッチンもあるし……とても幸せになれそうなトレールだということがわかってしまいました。

一番興味深かったお話は、このトレールができた経緯で、ジョンミューアトレールや日本のトレールなど、他の場所のトレールだと、トレールはもともと交易の道だったりとか、散策路とは別の目的でできあがった道だったりするのだけど、クングスレーデンの場合は、1800年代後半にスウェーデンの山岳地帯に人が入っていきやすくすることを目指したSwedish Tourism Associationという団体が、このトレールを構想したんだそう。限られた資金で山小屋を建てたり、湖を渡るためのボートを導入したり、とコツコツと進めていったらしい(1900年代初頭は、まだ道らしい道も整ってなかったそう)。

いずれにしても、もともと自然に親しむことを目的にできたトレール、というところが、他のトレールとは異なるらしく、そういう目的だったからこそ、ハードな道ではなく、老若男女が歩きやすい道になっているということのようでした。

(誰もが歩けるように、という道だから、もしかすると「王様の散歩道」じゃなくて、「散歩道の王様」っていうふうに訳す方がしっくりくるのかな、という気もします)。

スウェーデンでは自然を享受することは万人の権利とされていて、基本、どこででもテント泊できるし、ベリーも食べていいし、キノコもとっていいのだけど、それは昔から自然の森と関わり続けてきて、代々関わり方をわきまえてきた、そういう土壌があるからこそ成り立っているんだなーとしみじみ思った。そういう文化が受け継がれて今に至っているところ、うらやましい。。

これはフィンランドもそうで、スナフキンが「○○するべからず」みたいな看板とかが大嫌いなのも、自然をめちゃくちゃにしないための心得がそもそもあるから、そんな規制をくどくど言われることの意味がわからんってことなんだと思う。

それくらい当たり前のように、森とつきあうたしなみを身に付けてみたかった。。日本も国土に森林が占める割合からいくと、フィンランド、スウェーデンに次いで世界第3位だけど、森との付き合い方、森の愉しみ方、というところではだいぶ開きがあるように感じてしまいます。でも、そうでもないのかなどうなのかな。

写真は、スライドで見せていただいた、トレール上にぽつんとあるサウナ小屋。UPI Outdoor鎌倉店店長さん撮影。

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2018.08.19

めぐりの効用?

昨夜、相方がおなかがいたいというので、ひさーしぶりに愉気をしました。自分の背骨に気をとおしながら手を当てていただけなのだけど、自分の中にもいろんなことが起きて、終わったあと目をあけると、自分の目がすごくラクになっていた! 最近目が常時疲れてかすむような感じがあったので、びっくりしました。

相手に差し出したつもりが、お互いにいいことが起きるのだなあ、愉気は、と改めて実感しました。

気というのは、そういうものなのですね。。世の中の多くのものも、じつはそういうものなのかも?

***

お金というのも、気と似たようなものにも思えるけれど、どうなんでしょう?

まだそこらへんの悟りが開くような境地には至ってない自分だけれど。とりあえず、お金の持ち運びと出し入れが、今までよりもハッピーになって、もうすぐ3カ月くらいになります。

お財布を、新しくしたのです。

Img_4554 今年5月に、名刺サイズのちいさなお財布を買いました。こんな小さいのでまかなえるのか?とドキドキしつつ、前のお財布から引っ越しをして、6月1日に、はじめて一緒に外出しました(地元商店街へ買い物へ)。

コイン入れが小さすぎて使いずらいーとか、紙幣の出し入れがむずかしーとかいうふうになるかな?と思ったけれど、逆でした。コイン入れ、むしろ小さいほうが使いやすい。。。自分は手が小さいほうなので、狭いところから取り出すのが苦にならないっていうのもあるかもなのだけど。この小さいお財布は、小さい手の人用にわざわざ開発してくれたんじゃ?とさえ思えた。。

何より、ポッケに入れてもストレスのないサイズのお財布ってよいです。荷物が軽く小さくなると、自由度がぐんと上がる、というのは旅のときにも実感してきたけど、日常も、もっと自由になっていいんだなー。。なんでもかでもお財布に入れがちだった自分のため込み体質(?)も、ちょっと変わっていきそうな。。そんな予感を持ちました。

で、現在も依然として、快適です。おつりなどでコインがたまったとき、ときどきあふれるのでは、と心配だったけど、今まで一度もそんなことになってません。クレジットカードや電子マネーは普段使いしないタイプで、普通に現金で生活してるのだけど、不自由ないです。

Img_4556 小銭入れの部分は、お財布をとじれば自動的に密閉される仕組み。これが、特に気に入ってます。開ければ小銭入れが自動的に開くので、ワンアクションで小銭が出せる。

カードが数枚しか入らないから、ショップカードなどはよく使うものだけ厳選して、ほかは別の入れ物に入れて、必要なときだけ持って出ています。現在はこの小さいお財布には、Suicaとクレジットカード、保険証、緊急時連絡先カード、銀行のキャッシュカード、あとショップカード3枚。メーカーさんの想定よりも、たくさん入っています。不自由ないです。

私のお財布はストラッチョというお財布の柔らかい革のバージョンなので、伸びがいいからこんなに入るのかも?だけど。。

Img_4557 札入れ部分も大きく開くので、お札を見やすいし、出し入れしやすいです。下のほうにお守りも入れてるので、ときどきお札を入れるときに、お守りにお札がつっかかるけれど。お守りは入れときたいので、それくらい別にいいのです。

とにかく今も小ささ・軽さはピカイチ。とても気に入っています。

今までと変わったのは、レシートを早め早めに自宅の「レシート箱」に移すようになったこと。レシート箱は帳簿に付けるまでの一時置き場です。まめにそこに入れて、前よりはまめに整理するようになりました。お財布の中にレシートを貯めることがなくなりました。

あと、今までは旅に出るときは、別の軽いお財布に、旅先で必要なカード類と現金だけを入れ替えてたのだけど、このお財布になってからは、入れ替え不要になって、このまま出かけられるようになりました。

Img_4560 お財布デザイナーさんの、薄く小さくしつつも使い勝手を考えたデザインの工夫、しびれますー。尊敬する。

買うときは、これは本当に必要な投資だろうかーなど、いろいろ考えてしまったけれど(今までのお財布はくたびれてはいたけどまだ使えるレベルではあったし、母が仲良くしていた人が、わたしに、とくださったもので思い入れもあったので)、でもこれだけ機嫌よく使えるようになると、思い切って変えてよかったかな、と思えています。

小さい生活改革から、じわじわ変化していくものがあるのかもしれない気もしています。

* * *

小さい生活改革、もひとつあった。。

腕時計は元から好きじゃなかったので、ほとんどしたことがなかったのだけども、仕事上の必要に迫られて、少し前から、必要なときだけするようになっていました。で、安物だけど気に入った時計を買って使っていたら、バンドが、肝心の仕事の最中に、切れた。。。

Img_4817 で、その仕事は、キャンプ場に滞在しながらの仕事だったので、空き時間に手持ちのガイロープで、急ごしらえでバンドをつくりました。トートラインヒッチで結んで。

そしたらこれが、ふつうの時計バンドよりも気に入ってしまった。

Img_4816 腕にはりつく面積がより小さくなって爽快で、つけてるのを忘れるくらいラクだし、着脱も前より面倒でなくなりました。

そのまま今も快適に使っていて、仕事以外のときにもそんなに嫌じゃなく腕時計ができるようになりました。そしたら、腕時計って便利なんだな、と再認識したりもしています。電車に乗るときとかは、とくに。

前はいちいちケータイを鞄から出して時間を確認していたので。。。

小さなことだけど、なんだか流れがスムーズになったというか、ストレスフリー度が上がっています。

そんなわけで、お金と、時間との、おつきあいが、ちょびっとだけ、変わってきている感触があります。

***

これは、この話と関係があるのかわからないけれど、何かに取り組むとき、以前は先を見据えて、「まだあとこんなにやらなくちゃいけないことがある」と果てしなさをよく感じていて、それをストレスにも感じていたのが、このところ(数カ月前くらいから?)それが全然苦にならなくなっています。

仕事をしていても、今までは「まだ5分の2しか終わってない、まだまだだー」とかよく思ってへこたれそうになったのが、この頃はごく淡々と、今やっているところをやる、というふう。そうやってやっていればいつか終わるのでした。「まだまだだー」といって自分に負荷をかける、というのが、なくなっているので、わりとすんなりと最後までできてしまうというか。

Img_5486 今朝も、たくさんセンダンの枝を落としたのだけど、センダンは枝を落とした後、葉っぱのあとかたづけが大仕事。おとなりのおばさまが、わたしがあたかたづけ作業をひとりでやってるのをながめて「ふう」とわたしのためにため息をついてくれたりもしました。「この枝を切った後のかたづけがたいへんなのよねえ」と、同じセンダンの木がお庭にあるおばさまは実感を込めておっしゃってた。。

で、わたしも以前は、かなり「ふう」と思いながらやっていたっけ、と思い出しました。今日はでもやっぱり、淡々とやっていて。カラッとした風がときおりスカートの中を吹きすぎていったり、日差しも透き通っていたり、なんだか気持ちいいな、と思いながらやっていました。

努力して、そのようにしよう、としてきたわけでないのに、いつのまにか起きていた変化です。不思議。人に愉気したら自分の目がラクになった、というのと同じくらい、不思議です。

星めぐりのせいかなーと思ったり。一緒にいる人や場のおかげさまもありそうです。小さな生活改革のおかげもあるのかもだけど。。?

自分のこころがけ、としては、唯一、なにか行動を選択するとき、自分の中に気持ちよさが残るような選択をするように(言い換えると、「うしろめたさ」が残るような選択はしないように)すること。あとは全般に、やさしさを、ということ。でもこれらも、ちょいちょい自分を裏切ってしまっていて、絶対的に守れているわけでもないです。

やっぱり、なにかいい変化が自分の身の上に起きているのだとしたら、それは星も人も物も場も含めたまわりのおかげさまなんだろうな。ありがたいです。。!

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2018.08.18

自由の感覚/砂の虹

<自由の感覚>

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水の生きものだったときの自分は
今もちゃんとここに居る

その証拠に浜でしばらく過ごして
海に入ったり出たりして陽が傾いてきて
水面に金色の光の粒がこぼれだす頃には
その光の粒をかきわけて沖へ向かって泳いでいくのが
なにより なにより 気持ちいい

しばらく行ったら、片っぽの腕をぐーんと伸ばして
そのまま仰向けに反転して
空を眺めてひとやすみ
そよ風が顔の上をさらさら吹きぬけるあいだ
手足を投げ出してプカプカ波に体をあずけるのが
なにより なにより 心地いい

仰向けのまま方向転換して
浜に向かってこんどは背泳ぎの平泳ぎ
金色の光が目の中を浸して
流れる水が首の後ろをなでていくあいだ
ときおりぐーんと手足を好き勝手に伸ばしてみたりするのが
なにより なにより 自由だ

陸上生活に慣じんできた歴史が長いから
いつも思い出すのに少し時間がかかるけど
思い出せたときの たしかなよろこびは
れっきとした証拠だ

いくつもの層が重なり合ってできている自分
現れては消え
思い出しては忘れるのも
大事にしてみたり
うやむやにしてみたりするのも
みんな 自然で
みんな 自由だ
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+ + +

<砂の虹>

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昨日 砂浜に虹がかかったのを見た

あかく染まる夕空の下
波打ち際に
赤から黄色 黄緑 水色 青 紫と
あわい光の帯が伸びた

浜での夕暮れどきは
いつもいつも 違っていて
いつもいつも マジカル

こんなにきれいなものは見たことがないなー
と いつもおもう

海の中の生きもののみんな
水の粒子のみんな
空 砂つぶ 風 まわりの山々
夕日 月 一番星
居心地いい海の家を営んでくださってるみなさん
一緒に今日を過ごしてくれただいすきなひとに
ありがとう と
こころのなかでいいました

なににもかえがたいことを
海はいつも 思い出させてくれます

(2018・8・17 一式海岸 (ゆ)ちゃんと)

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2018.08.11

海と音楽

Img_5104 新月になりました。

短い夏休みはあっという間に終わってしまったけれど、その次に来た仕事を超特急で(別名”徹夜”で)やっつけて、金曜夕方から週末の自由時間を確保しました。うれしい。。。

で、金曜夕方から、相方が楽しみにしていた念願の海へ。今年はまだ1度しかこの浜へ泳ぎに行けてなくて、その日は朝から行って夕方に帰ってきたので、こんどは夕日をゆっくり眺めたいーとおもっていました。(午前中の海はまた格別なんだうけど。。写真はこないだ行ったときの、いやにおしゃれに撮れて笑えたランチと、昔ながらの海の家で借りた黄色いパラソル)。Img_5017_2Img_5022

今回は、台風一過+大潮で、波はざぶんざぶん。波打ち際で「洗濯機の中の洋服ごっこ」ができる日和でした。

でもあおむけに波間に浮かぶ「ウキウキ遊び」もやっぱりやりたくて、波のセットがおわった一瞬にちょっとだけ、無理やりあおむけに浮いてみたりしていました。3秒くらいで次の波をざぶーんとかぶるのだけど。。。でもそれはそれで楽しい! 

3かきくらいだけ(?)平泳ぎもできました。夕暮れ前の、かたむいた太陽の光が水面にキラキラするのに向かって平泳ぎするのが、いつもだいすきです。波がざぶんざぶんでなかったらゆっくり泳げるんだけどなーと思いつつ。徹夜明けなので、無理しないように気をつけました。

Img_5294 ひとしきり遊んで、海の家でお茶を飲んで、日記を書きました。そうこうしているうちに夕日がぐんぐん落ちていって。

Img_5309

暗くなるころ、ピーター・バラカンさんの生DJが始まりました。

この海の家で今日やるとは知らずに来たのだけど、なんだか最近ピーターさんと遭遇率が高いような気がしたので(こないだホットハウスフラワーズのクアトロのライブでも、1メートル左前方にいらしたのを見かけたし、6月に帯広に行ったときたまたま泊まったホテルヌプカでも、ピーターさんはなにかイベントをされてたらしかって)、聴いてくことにしました。

そしたらこれが、かなりよかった。。。音響もよくなってた。前はひょうたんスピーカーをたくさんぶらさげてたけれど、今年は屋根の2か所にざるが据え付けられていて、その中にいいスピーカーが仕込んであるらしかった。ピーターさんの選曲が、かなりよくて、アフリカのミュージシャンの曲もたくさんかけてくれて、相方も喜んでいました。私はR+R=NOWの曲が気に入って。もっと聞きたいと思って家に帰ってから検索したら、今年デビューアルバムが出たばかりのユニットだった。

「R+R とは‘Reflect’(じっくり考える、自分と向き合うなどの意味)と ‘Respond’(応える、対応するなどの意味)」なんだそう。かつてニーナ・シモンが政治的発言をして批判を受けて、黙って歌っていれば良いのにと言われたときに「私は、時代と向き合うことがアーティストの使命だと思っている」と答えたという、その言葉に端を発しているネーミングとのことで、「自分の生きている時代と向き合い、応じると、その時代と深く関わる事になる。だから’R’ + ‘R’ = ‘NOW’(現在:いま)なんだ」(ロバート・グラスパー談)。ここのページから音源もちょっと聞けます。相当いい。どれもその場で作曲して一発録りしたらしい。。!

Rrnow 「バンドメンバー全員が6フィート(約183cm)を超える黒人男性で、決して裕福な家庭で育ったわけじゃない。だから、あの部屋に集まって音楽を作れるようになるまで、それぞれがそれなりの地獄を見てきたし、戦って、鎧を身にまとってやってきた。現実を曲げてでも、今の地位まで上り詰めてきた。皆、その状況を理解しているから、集まれた時は、とにかくお祝いだ!という気分なんだよ」(クリスチャン・スコット・アトゥンデ・アジュアー談)。

サッカーのベルギー代表チームのフォワード、ロメル・ルカク選手のことと重なった。。。

久しぶりにニーナ・シモンのアルバム出してきて聴きたくなったけど、処分してないはずなのに、見つからない。。。

***

ともだちが、海には「エキス」がある、というようなことを言っていて、おもしろいなーそうかなーと思ったのだけど、海にちょっとでも身を浸すと、確かに元気が出るような気がします。徹夜明けだったのに、不思議とぜんぜん元気で、なんだかいい気分でした。

波打ち際に立ってみると、新月前夜の夜空は星がいつもよりたくさん見えた。帰り際、少しだけ砂の上にあおむけにねっころがって星を眺めました。

新月の時期は波は高くなっちゃうけど、月がないぶん星はたくさん見えるので。。暑いとき、夕日と星を見て涼しい風に吹かれに行くのはおすすめです。。

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2018.08.05

マイリトル夏やすみ

Img_4968_2 長かった忙しデイズがやっと一区切りついて、ほっと緩んで、その後2日は試験が終わったばかりの学生みたいに、何したらいいかわからないでぼーとするだけだったのが、3日目になって「好きなことしていいんだ!」という悟りがじわじわやってきた。

そしてまず思い出したのは藍のこと。この酷暑にもめげずになんとか成長してくれたので(種をくださった(み)さんありがとう!!)、ぜひとも生葉染めをしたいと。。。

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まず染め方をリサーチしてみたら、生葉染めだけでも3通りあって、どうしようかと悩み。。。そのうちそういえばピンク色が出ると聞いてからずっと貯めてあったアボカドの種も染めてみたいと思い出し。。。そしたらアボカドの葉っぱでも赤系の色になると知って鉢植えのアボカドの葉っぱも気になりだし。。。そしたらびわの葉っぱでもおもしろい染めができると知って、鉢植えのびわの葉っぱも気になりだし。。ついでに板染めや絞り染めにも魅力を感じ出し。。。そうこうしているうちに、去年の初夏につきひほしさんで教わたハナイロ染めもまたやりたくなってきて。。。という感じでもう何から手をつけていいかわからなくなって、困ってしまった。ノートに全部書き出して頭の中を整理して、さて、どうしよう(←いまここ)。

Img_4971_2 忙しかった最中にモチベーションにゲットした新しい斧も、砥いで試したいのもありありなのにー。。急に解き放たれてとっちらかってる望みたち。。

落ち着け―私、ということで。

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とりあえず全然違うトピックにいったん頭を切り替え。(き)先生の本、早くも到着した!アマゾン川の流れ、すごい。。

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んで、今ラジオからはHothouse Flowersの”I can see clearly"!! 先日のクアトロでのライブを思い出し―また興奮してしまう。。マイ夏休み、さく裂中。。。

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2018.06.10

猫の(ち)ちゃん、旅立ちの日に

いろいろなことがあって、書きたいことがたくさんあるのだけれど、書くゆとりがない日々が続いていました。なぜかすごく、忙しかったり、地に足が付かない感じが続いてたり。。。

でも今日は、書かずにおれなかった、今日のこと。

Chobi 実家の猫の(ち)ちゃんが、今朝明け方、旅立ちました。

23歳でした。

でも、よほど23歳には見えないほどツヤツヤな毛並みときれいな表情の彼女だったので、わたしはてっきりまだ16歳くらいだと思い込んでいた。避妊手術でお世話になった動物病院のカルテに、避妊手術を受けたのが95年とあって、今回改めて彼女が23歳になってたと悟りました。

でもほんとうに若々しい姿だったので。。つい昨日まで元気に一緒に遊んだりしていたという(ち)ちゃんが、急に失禁して後ろ両足がだらんと麻痺した状態になっている、と兄から電話をもらったときも、もしかしてもしかするかも、とは思ったものの、まだまだ若いしなんとかなりそうに思えたのでした。

それで、兄にはとりあえず、お世話になっている動物病院の夜間急患対応のところに電話をしてみては、と提案しました。私の心づもりとしては、電話で容態を説明して、家での対処方法を教わって、それを家で実践したらどうか、と思ったのでした。

兄にそう伝えてから、わたしは久しぶりの遠隔愉気を試みました。以前友人のわんちゃんがしんどかったときにやった以来やってなくて、できる自信があんまりなかったけど、わたしが実家にいたころ、紙袋に入って我が家にやってきた(ち)ちゃんは、私が実家を出てからは一緒に暮らしてないけどでもやっぱり大切な家族なので、やれることはやりたい、と思った。

それでやってみると、なんかあついな、と思いました。友人のわんちゃんは遠隔愉気をしたときに眠った、と感じたのだけど、(ち)ちゃんは眠ることはなく。それでどんなことを今(ち)ちゃんが望んでるかなーと、聞いてみると、暗いところに居させてほしい、、お水だけ置いておいてほしい、という感じでした。

この後兄に電話をして、どうなったか聞いてみると、いつもの動物病院は夜間の急患対応をしてなかったので、別の病院に連絡をしたら、後ろ脚の麻痺は血栓の可能性が高いから、血栓なら早めの対応が肝心、ということで、今その病院に向かっているところ、と。それでちょっとびっくりして、(ち)ちゃんの暗い所でじっとさせておいてほしいというのとは正反対になってしまったな、と思いつつ、でも血栓なんだったら早い対応で助かるのならよかった!とも思ったのでした。

(ち)ちゃんはその夜、病院で検査を受けて、血栓が見つかり、それと肺にたくさんの腫瘍があることもわかりました。血栓に対処するための注射を打っていただき、脱水症状もあったので点滴もしていただいて、家に帰ってきたとのことでした。先生からは、翌朝かかりつけの動物病院へ行って、今後の方針を検討するといい、とのこと。

その晩は(ち)ちゃんの容態はかなりきびしかったらしく、兄ファミリー一家(とくに姪っ子)は一晩寝ずに看病をして、(ち)ちゃんの体温を上げるよう温めて、翌朝一番にかかりつけの動物病院へ行ったのでした。そこで点滴の注射とステロイド注射を打っていただいて、翌日また行くことになったのでした。

わたしはその朝、家を出て実家へ向かい、動物病院から帰ってきた(ち)ちゃんに会いました。ステロイド注射を打ってもらっていたせいか、前の晩よりもかなりしっかりとはしていて、でも何も食べられず、水だけはたくさん飲みました。そして呼吸が浅く、速かった。

後ろ脚の麻痺の原因になっている血栓は、全部をふさいでいたわけでなく、血流はわずかに通っている、という朗報を受けて、脚のマッサージと脚の付け根をあたためるとよいという先生のアドバイスどおり、みんなでかわるがわるマッサージして、カイロをタオルで包んだものを両脚の間に挟みました。

ただ、わたしも最初に脚を手で包んでマッサージしたときには、(ち)ちゃんは顔をふりむけて、わたしの手の甲におでこをこつんとつけてしばらくじっとしていたので、気持ちいいのかな?と思えたのだけど、次第に、マッサージから逃げるようなそぶりを見せるときもときどき出てきました。

そして前足でずり這いをして、部屋の隅の暗がりのほうへ、少しずつ、行きたがりました。

部屋の隅の暗がりへ行きたがるのは、前に他界した猫のにゃみちゃん(24歳)の最期の日にもあったことです。にゃみちゃんのときは、そのまま本人が行きたいところに行ってもらって見守りました。部屋の中を転々と、移ってはしばらく横たわるを繰り返し、最後は自分からいつものベッドへ、力を振り絞って上がってきて横になって、旅立つまでそこで過ごしました。

(ち)ちゃんは、脚をあたためていたカイロを置き去りにして、どんどん暗がりのほうへ移っていき、ついには裏口のたたき(コンクリの)の上に横になったので、さすがにそんなところに横になっていたら、ただでさえ異常に低くなっている体温が下がってしまう、と、みんなで心配して引き上げたり、たたきにカゴをおいてその中にはいってもらったりしました。

「体温が下がっているので、あたためること」というのが動物病院からのアドバイスでもあったのでした。

血栓で両足麻痺になった猫さんが回復して半年生きた、というブログ記事を見つけたこともあって、回復に向かっての対応を、わたしも一生懸命していました。

カイロでは重たいから脚を圧迫してつらいのかも、と考えて、ペットボトルにお湯をいれてタオルでくるんだものを、背中やおなかのそばに置くように切り替えたけれど、(ち)ちゃんはそれでもやっぱり、それらを置き去りにする形で場所を移動したがるのでした。上にかけていた軽いウールのストールも、置き去りに。

温まりたくない、と、彼女は行動で示していました。

それなのに、そのたびに、またペットボトルゆたんぽをあてがってストールでくるみ、そうやって丸一日すごし、そのまま一晩すごし、今朝の明け方、ふっと彼女の呼吸が変わったのに気づいて。それまでもとても呼吸が早くて、しんどそうに胸を上下させていたのだけど、とつぜんその胸の上下動がなくなって、口を大きくひらいてカッと息を吸ったかとおもうとじっとして、しばらくのあいだ口を開けたままゆーっくり吐いて、またカッと吸っては、じーっと長い時間をかけて吐く、というふうになりました。

一度吸ってから、次に吸うまで、とても長い間があって、もうこれで息がとまってしまったのかも、となんども思うほどでした。

みんなで見守って、今は目は見えてなくても(もうまる1日半、目は大きく見開いたままで閉じられることがなく、目の前で手をかざしても反応がなく、ものが見えていないようでした)耳は聞こえているはずだから、と声をかけたり、手を握ったりしました。

もうこれで最期だとみんなわかって、ありがとうね、と声をかけて。そして(ち)ちゃんは旅立ちました。

* * *

お別れの後で、かかりつけの動物病院でステロイドの注射をしてもらっていたことをはじめて聞いて、ちょっと気になって後でステロイド注射についてネットで調べていたら、こんな記事に出くわしました。

高齢猫の安らかな最期のための留意点と動物の来世

この記事で紹介されている本の中に、「猫はからだが弱って体温が下がってくると、風呂場のタイルなど冷たい場所にからだを横たえようとします。そんな時、飼い主としては『からだが冷たくて寒いだろう』と気遣って、温めてやりたくなります。しかし、温めると猫は喜ぶどころか非常に嫌がります。冷たいところで寝ているほうが気持ちがいいようです。からだが弱っている猫は、自分の体温を下げることによって、エネルギーの消費を最小限に抑えようとしているのかもしれません」とあって、(ち)ちゃんの姿とだぶりました。

確かに、(ち)ちゃんは温められるのを嫌がっているようだった。。。

ひんやりした場所にいることで、そのままゆっくりと衰弱して安らかな死を迎える、それが高齢猫本人がたどりたい道であるらしいこと。心のどこかでは知っていたこのことを、はっきりと伝えてもらって、また涙が出てきました。。

(ち)ちゃんの最期をつらいものにしてしまった、と。。 でも回復してくれるに違いないと、こんなにツヤツヤの毛並みで、血液検査の成績もいいのに、と、どうしてもあきらめきれなかったのも事実で。。逆向きの、回復へ向けての応援をしてしまった自分たちをいま責めても、(ち)ちゃんは喜ばないだろうことも、わかります。

もうひとつ、この記事で紹介されていた本にあった「動物は坂道ではなく階段を下りるように衰弱する」という記載も、とても腑に落ちるところがありました。つい昨日まであんなに元気だったのに、なぜ急に、というのが、にゃみちゃんのときも、その前の(し)ちゃんのときも、今回の(ち)ちゃんのときも、あった。それぞれ24歳、18歳、23歳の高齢猫だったわけですが、高齢猫の場合は、最期をなるべく楽に自然にしてあげることを考えてあげるやさしさが必要なんだな、と改めて思いました。

本人の希望があんなにもはっきりとしているときは、そのとおり、ひんやりした場所にいさせてあげたらよいんだな、ということ。。。

(ち)ちゃんの場合は、最初に遠隔愉気をしたときから、暗いところに居させて、というメッセージをキャッチしていたのに。。。自分の家族のこととなると、どうしても自分の望みが強く出てしまって。。。

ごめんね、(ち)ちゃん。次に会うときには、もっと一生き物として成長して、あなたと会うって、約束します。猫族のみんなにも、約束する。

だから、許してね。そしてきっとまた会おうね。大好きだからね。。今まで、ありがとうね。うちのみんなに、よくしてくれて、ほんとに、ほんとに、ありがとう。こんなにやさしくて、天然でおもしろくて、耳と目が大きくて口元はキュッとしている美人さんは、なかなかいないと、23歳なのにこんなにツヤツヤ毛並みな猫は、なかなかいないと、心底そう思うー。会えて、うれしいよ。

と書きつつ号泣してたら、久しぶりに野ねこのまごちゃんが、戸をノックしてくれた。。。まごちゃんの察知能力、ハンパない。。そして今夜ばかりは、まごちゃんと一緒に(ち)ちゃんがここに来てくれてるように感じます。ありがとう。まだ明日がお葬式なので、いましばらくは近くにいてくれてるんだろうなって、思う。。

と書いてから久々にSNSを開いたら、一番上に出てきた思い出し機能によるポストが、(ち)ちゃんの写真。母が他界した夜に実家に泊まったとき、眠れないでいたら、(ち)ちゃんが添い寝しに来てくれたときのことでした。。。。。びっくりしたし、(ち)ちゃんが、まだそばにいてくれてるサインだなあ、とまた涙出てくる。

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