2017.07.10

飛んでしまった

Img_1341 北海道に、相方が仕事で出かけるのに合わせて「一緒にきちゃえば」と冗談まじりに言われたので、まさかーと思いながらLCCのチケットをちょっと見てみたら、意外とお安いんだ、とわかって、相方が出発した翌朝にわたしも航空券を買って、そのまますぐ荷造りをして、仕事とパソコン持って空港へ向かってしまいました。LCCの初体験。急に決めたので、LCCに独特の、荷物の個数や重量制限のこととか、ぜんぜん知らずに行ってしまったけど、3月に軽い手荷物の旅をしてからそのスタイルになじんでたので、ふつうに荷造りして行っても手荷物の制限にひっかかったりせずに済んで幸いでした。。。

飛ぶこと自体に不安はなかったけど、ほんとに行っていいのか、不安だったし怖かった。とにかく、ここしばらくこころに乱気流がしょっちゅう起きて疲れ果ててたので、飛行機の中ではひたすら眠りました。

新千歳空港に着くまでのことだけ把握して家を出たので、空港に着いた後のことはまったく白紙でした。とりあえず空港の案内所のお姉さんにここからどこへどういったらいいかを教えてもらって、札幌駅へ。

日中の仕事の邪魔をしちゃいけないと思って、空港に着いた後に相方のケータイに「来ちゃった」と連絡。「おー」という返信が帰ってきました。迷惑になるようなら、一人旅をしよう、と心に決めていたのだけど、その夜から合流させてもらえました。札幌在住の相方の友人(み)さんと会って、お茶とおゆうはんをご一緒しました。彼女はわたしのお気に入りの人で(こういう言い方すると妙ですが)、相方を家で見送ったとき「(み)さんによろしくね」と言ってたのに、自分がご本人とこうしてお会いしているのが不思議でした。(み)さんには、つらいときは薬に頼ることも考えていい、と教わりました。彼女も経験者だったのでした。。

Img_1348 翌朝は、また相方は仕事だったので、私もどこかカフェで仕事しようとパソコン持って出かけたのだけど、カフェがみあたらず、とりあえずちょっと寄ってみた円山公園の公園事務所で、円山公園に"原始林"があると書いてあったので、パソコンはロッカーに入れて森へ歩きだしました。

公園らしく整えてある一角には、エゾザクラ((かわいい赤い実をいっぱいつけていました)や白樺やハルニレ、アカナラが。

Img_1349 Img_1354 Img_1379 でも森へ少し入ったら、カツラの巨木のオンパレードでびっくりしました。あっけにとられて立ち尽くしてたら、エゾシマリスとヒガラが1メートルくらいのとこまで走り(飛び)寄ってきた。なんかチェックされたみたいでした。

Img_1358 Img_1363 その少し先へ行くと倒木のうろに、ヤマガラとエゾシマリスがかわりばんこに入っていって、ごはん食べてるとこに出くわしました。

エゾシマリスはほっぺたパンパンに膨らまして食べていた。。。そしてエゾシマリスは尻尾がうさぎみたいだったのが意外でした。エゾシマリスはみんなうさぎ尻尾なんだろか?Img_1361

精神のコンディションはかなりあやうかったときだったので、森の生き物や草木のみなさんにはとても助けられました。

おひるごはんを、相方と合流して、関東から北海道へこの春引越しされたばかりの(な)さんとご一緒しました。久しぶりに会えて、お話聴けてうれしかった。お元気そうで、なによりでした。

午後は相方は仕事に戻り、わたしも今度はカフェで仕事。今回は小さい19リットルのキャリーケースにパソコンを入れてきたのだけど、それでも必要な荷物はみんな入って、不自由なかったです。3月にやってみた軽い手荷物の旅のおかげさまで、身軽に旅に出ること自体は楽になりました。

仕事が終わるころ、会場の(な)さんのおうちへ伺って、相方と合流したのだけど、この(な)さんは天使のような方で。初めてお会いするのに、なんだか心の奥がちょっとほどけました。不思議でした。

翌朝は、目ざめて顔を洗っていると、相方が「こちらに住んでる(か)さんが朝ごはんの時間なら会えるそうなんだけど、どう?」と。初対面の人に会うのがとーても苦手な自分だけれど、なんとなくこのときは、うん、と返事をしていて。朝早くからやっているというおしゃれなカフェに連れていっていただきました。ご縁あって、親子2世代で同じことをお勉強されているというお話など、興味深かったです。

この(か)さんは、円山公園の“原始林”とつらなっていてもっと広大な原始林が広がっているという藻岩山のほうにお住まいとのことで、そちらのほうにキャンプできるところやログキャビンに泊まれるところがあるんですよ、と言われたとき、少しこころがわくっとしました。

朝ごはんの後お別れして、相方と登別へ行きました。相方はいつも仕事のあと最終日に虎杖浜の温泉宿に泊まって体を休めることにしていて、今回もその予定だったのでした。虎杖浜に直行してもよいけど、その手前の白老というところにアイヌ民族博物館があると耳にしたので、ちょっと行ってみたい気もしました。

じゃ、とりあえず電車に乗って、白老の駅を見てから降りるかどうかきめよう、ということにして、電車に乗り込み、白老の駅について「どうする?どうする?」と少しまよってから「降りようか!」と降りてみました(電車は本数があまりないので、ここで降りるか降りないかで1日の計画がだいぶん左右されるのでした)。

Img_1400 Img_1397 19883520_10213451912831178_12756058 白老の駅のロッカーに荷物を預けて、さらに身軽になって、アイヌ民族博物館のあるポロトコタンまで歩きました。湖畔にカヤでできたアイヌの伝統家屋、チセが何軒も立ち並んでいました。白樺の木立が美しかった。

一軒一軒のチセは中が異なっていて、うたとおどりを披露していただけるようになっているチセや、草木から繊維を取り出して織る手仕事の展示があってお二人の女性が普通に(見せるためとかではない感じで)服を縫っているチセ、暮らしの道具が展示してあっていろりで鮭がいぶされているチセなどありましたが、どこのチセにいる係の方も、お互いに仲良しそうで、楽しそうに談笑されていて、ここのコタンのコミュニティの雰囲気を感じました。

しばらくゆっくり過ごしました。アイヌ民族博物館は見ごたえのある展示だったけれど、一番印象に残っているのは、昔の暮らしを再現した大きいサイズのジオラマのような展示です。手前に森、奥にチセがあって、そのまわりでアイヌの人たちが生活のさまざまなことをしているんだけど、その人形たちは比較的小さくて、手前側のほうには、人形たちよりもずっと大きいサイズでクマやテン(?)や、ウサギなどが躍動感みなぎる動きのあるポーズで配置されていました。動物たちの展示が本当に生き生きしていて動きを感じさせたし、大きかったのです。

アイヌの人の自然観が、この展示に表れているようにも思いました。自然の中で人の占める位置や割合を照らし出しているのかもしれない気がした。こんなふうに人の暮らしを立体展示しているものは、これまで見たことがなかったです。

Img_1410 博物館を出て、カフェに入って、野草茶とじゃがいもを凍らせたあと練って焼いたおもちをいただきました。おいしかったので、「これ冷凍庫でじゃがいもを凍らせたら、うちでもできるかなあ」とつぶやいたら、お店の方が「できますよ」と答えてくださって、作り方を教えてくださいました。北海道では冬場屋外で凍らせるそうなんですが、家庭の冷凍庫でもできるそう。

店内に、アイヌの伝統食についての本や、アイヌの方々が草木をどう利用してきたかについての本などが置いてあったので、興味深く読みました。そのうちの1冊が博物館の売店にあったので、買ってきました。野草をどんなときにどう利用してきたかを、複数の方々への聞き書きと、文献とから、抜粋している内容。わたしのいただいた野草茶のエントは日本語名ナギナタコウジュ。道端によく生えている草です。アイヌの方は風邪をひいたときや二日酔いのときによくお茶やお粥にして摂ったそうです。

19894118_10213451908591072_10444126 相方はここのコタンでつくっている、鮭の燻製をいたく気に入って大人買いしていました。サッチェプと呼ばれるもので、白老沖で獲れた鮭をひと冬のあいだ軒先に吊るして干して、そのあとチセの中のいろりの煙に毎日あてて2か月のあいだじっくり燻製にしたもの。サッチェプのアイヌの人たちにとっての意味合いや詳しい作り方はこのサイトに詳しいです。一番大切な保存食なんだそうです。

ポロト湖の奥には、ポロトの森キャンプ場というのがあるらしかく、看板を見かけました。北海道でキャンプ、してみたいな、とまたちょっと思った。

このポロトコタンのすぐ隣に大規模な造成工事が行われていたので、どうなるんだろう、と心配になったけれど、あとで駅で見かけたポスターで、わけがわかりました。「2020年、白老ポロト湖畔に. 国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園、誕生」とのことでした。「アイヌの尊厳を尊重し、アイヌの歴史・文化等を復興するナショナルセンターとして、. 北海道白老町に『民族共生象徴空間が整備されます」とありました。

* * *

Img_1425 夕方には登別駅へ行って、温泉宿へ。宿についたら目の前の木立の合間に鹿が1頭、立っていました。きれいだった。夕食後に、部屋から海をボーっと見ていたら、部屋の真下のミニゴルフコースに、ハクセキレイがずうっと遊んでいて、そのうちそこに鹿も来て、しばらくなにか食んでいました。

ここの虎杖浜のお宿は海を見下ろす露天風呂のお湯がすばらしくて、夕食前と、真夜中と、朝と、3度も入ってしまいました。昔ながらの温泉宿というふうでしたが、ロビーや廊下にはとてもすてきなアートが掛かっていて、調度品や家具も無垢の木製で、気持ちよかったです。

Img_1476 アート作品はどれもキャンバスでなく、板に描いてあった。国松希根太 さんという方の作品。後でググったら、宿と同じ白老町にある飛生アートコミュニティーを拠点に制作活動をされている方でした。どれもとても惹かれた。

* * *

Img_1448Img_1456 Img_1452_2翌朝、宿のまわりを散歩してみようと降りていくと、ミニゴルフをしていたおじさんたちが「遊歩道はあっちだよ」と教えてくれて、言われたとおりの方向へいくと草木のあいだにほそく踏みしだかれた道があったので、歩いて行ってみました。海をもっと近くで見下ろせるところまで歩いていけて。アカナラの木(かな?)や野草、きれいでした。

戻ってきた後、ここのミニゴルフの係の人らしきおじさんに、「あそこの道を行っちゃったの?今は閉鎖されているんだよ」と言われました。「え!ゴルフのおじさんたちに言われたとおりに行ったんですが」と言ったら、「今は危ないから閉鎖しているの、草も刈ってなかったでしょう」と。でも無事に帰ってこれてよかったと思いつついたら、おじさんは別に怒っていたわけでもなくて、いろいろとお話をしてくれました。

おじさんは登別の方ではなく、伊達の出身とのことでしたが、ここらへんは昔は馬で舟を引いて陸に上げていたこと、宿の敷地になっているこのあたりは馬が草を食べる場所だったこと、など教えてくださって。特にそういう質問をしたわけでないのに、教えてくださって興味深かったのと。。。

あとふいに、この虎杖浜は夏はキャンプ場になる、と話し出されました。夏には浜で水道も通るからテントを張ってキャンプできる、と。まるでキャンプ好きの私の脳内を読んでいるかのよう???でした。夏以外の季節も、そこの浜の手前に家が一軒見るでしょう、あそこの(ま)さんはやさしいから、水がない時期は(ま)さんからもらえる、とおっしゃっていました。後でネットで虎杖浜のキャンプ場について検索してみたけど、見当たらなかった。ローカル限定のキャンプじょうなんだろか?と思いつつ、いつかここでテント泊してみたいなあと夢想しています。

Img_1478 この日はこの後、バスで登別から空港へ。バスの出発時間までしばらくあったので、バス停の横の券売所のおばさんに荷物を預かってもらって、となりのスーパーでアスパラやしいたけなどをおみやげに買いこみました。この券売所にはきれいなディスプレーがあって、その真ん中には昔の大鋸(おが)に、森で過ごす子どもたちの絵を描いたものが、飾ってありました。

* * *

疲れ果てた精神状態で、毎日泣きすぎてまぶたがふくれたまんまの顔で飛んで行った北海道だったけど、お会いした動物や草木や人や、温泉のお湯や海の幸や、アートのおかげさまで、だいぶん持ち直せた感じでした。ほんとうに、みなさま、ありがとうございました。

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2016.11.11

旅とグリーンウッドワーク

急に寒くなってきて、にゃみちゃんの命日に毎年吊り始めるバードフィーダーに、今朝は「補充まだですかー」と催促するかのようなシジュウカラの声がきこえて、あわてて補充しました。

いつも近所のペットショップのおじさんのところで売っている、ビニール袋一杯に入ったひまわりの種を買って、フィーダーに入れています。これをシジュウカラはじょうずに殻を割って食べるので、見ていて楽しいです。

少し前まで、また岐阜へ行っていました。グリーンウッドワークのお勉強と、相方との小旅行が合体した、いつもよりちょっと長い滞在になりました。

Dsc01260 お世話になったおうちは窓を開けると鮎が跳び跳ねるあおい川面がすぐそこという、パラダイスのようなところ。夏場はここで泳げるそう。お隣のおばあちゃんから、鮎が数尾跳ねるときにはその下に2、3千尾いるんだよ、と教わり、びっくりしました(あれ、もしかしたら2,3万だったかも!記憶がおぼつかない。。)。

朝、太陽がふりそそぐお外のもの干し場所にテントのグランドシートを敷いて、ちょっとだけ太陽礼拝をしました(太陽礼拝は8月下旬から毎朝欠かさずやっていたのだけど、さすがに岐阜への夜行バスを降りた朝はできず、残念だったので、人のおうちにお世話になっているときだったけどちょっと失礼してやらせてもらいました)。

ひとしきり動いてから、あお向けに横になって青空を見上げながら休んでいたら、もの干しのとこにヤマガラが飛んできました。「あ、ヤマガラだなあ」と思ってそのまま休んでいたら、ふっとそのヤマガラがこちらのほうへ飛んできて、わたしの顔の数メートル上の空中で数秒静止しつつ羽ばたいて、それから左手の大木のほうへ飛んでいきました。あんなこと小鳥にされたの、初めて。朝のあいさつをしてくれたみたいな気がして、うれしかった。。

Dsc01292川べりではハクセキレイが何羽も飛び交っていて、かわいかった。

あと、おもしろかったのは、家にあがりこんできたカメムシ。川べりのおうちなので、季節になるとたくさんのカメムシがあがりこんできたがるそうなんだけど、もう秋も深まって、ほんの数匹がやってきていました。で、見つけたら、とりあえずうちわに乗ってもらって、お外へ運んだのだけど、その中で1匹、すごくおもしろいのがいました。うちわをそばへ敷いて、はいここへどうぞ、と言っただけなのに、すぐさまたたみの上でひっくりかえって足をバタバタさせるんですね。で、見てるとまたばっとひっくりかえって元の向きになって。そしてまたばっとひっくりかえって仰向きになってみせる。。。なんか、これ、遊んでいるのか?と思いました。カメムシは危険を感じると臭いにおいをだすそうだけど、臭いにおいは出していなかったし。。。この個体のこの行動は謎でした。でも最終的にはうちわに乗ってもらって外へお見送りしました。

この川べりのおうちでの時間はとても幸せでした。その環境だけでなく、(ほ)さんの使っている生活道具やそのしつらえがどれも美しくて、心たのしくなる。。。(ほ)さんはグリーンウッドワークのお仲間なのだけれど、グリーンウッドワークのほかにも陶芸や鍛金などもされていて、そうやって手づくりされたものたちが、(ほ)さんに一目ぼれされてやってきた、厳選されたものたちと一緒に、日々活躍しているのでした。

鍛金ってはじめて聞いた言葉だったのだけど、銅を打って形にしていくもので、すごく美しかった。銅の色がとりわけ好きなので、銅のボウルを見せていただいたときは舞い上がってしまいました。

そして先日海辺のキャンプ場で出会ったおばさんの娘さんが昭和村のからむし織を継いでいてびっくりしたわけだけど、なんと(ほ)さんは数年前に昭和村でからむしの収穫と糸作り体験をされていて!またしてもびっくりしました。。。

Dsc01279 そんなこんなで、おうちの中でもさまざまにおもしろく幸せだったのに、さらに、いつか行ってみたいと思っていた岐阜の奥地・石徹白にも連れて行ってもらえて、その道中で(ほ)さんのなじみの(?)滝にも連れて行ってもらえました。先日の海辺のキャンプ場でも管理人のおじさんに「海が好きなんですか?」と聞いたら「滝が好き!」と言われて、それがすごく印象に残ってたのだけど、なんと(ほ)さんも地図上で滝があるのがわかると行きたくなってしまうほどの「滝好き」だったのでした。わたし自身は滝は自分の生活圏の外にあってなじんでない感じがあったのだけど、行ってみたら、なるほど、滝の味わいは独特だと感じました。水しぶきの形、それがフリーフォールで落ちていくさまは、まるで時間が止まってるみたいなのに、流れは永遠に止まることがないという事実。。。

Dsc01272 滝のすぐ横が洞窟状になっていてそこに入ると天井から水がつーと滴っていたのも不思議な光景でした。滝にはどうも主がいるような感じがするけど、ここもやっぱりほのかにそんな感じがした。大好きな桂の大木もあって、甘いおしょうゆ風味の香りがした。

きわめつけにびっくりしたのは、関東に帰ってからフェイスブックを見たら、私が見たのとちょうどおんなじ景色を(け)さんが投稿してたことで。。一瞬「あれ?わたしこの写真もうアップしたっけ?」と思いました。。。関東に住む者同士なのに、同じタイミング(1日ちがいでした!)に岐阜・白鳥の滝に居たこと、摩訶不思議でした。

* * *

そんなこんなでいつになくたくさんの刺激をいただけた今回の岐阜行き。。。お世話になったみなさま、ほんとにありがとうございました…!

20161103_103151 グリーンウッドワークでは幸運なことに木の器づくりを2通りのやり方で教われました。足踏みろくろで器を挽くのは初体験。ろうきん森の学校の講座で、グリーンウッドワーク協会の小野さんに教わりました。グリーンウッドワーク協会でお世話をしている白鳥の森で育ったブナの木を挽かせてもらえました。微妙な刃の当て具合の感覚がつかめるまでいかないまま終わってしまったのだけど、難しいんだなあということが実感できてよかった。

20161103_145812 20161103_163110 20161103_154733木造の小さい駅みたいなお外の工房で、コスモスと長良川鉄道の線路をながめつつ1日ろくろを踏んでいるのは、すごく気持ちいい時間でした。ほぼ同じ状態からスタートしたけど、3人3様の器になっておもしろかった。ちょっとしたシルエットの違いで印象がだいぶん変わるんだな!

Dsc01285後でわかったのだけど、わたしの(小野さんに全面的にヘルプしていただいてできあがった)器は、なんと、野営やピクニックでよく使っているコラプシブルなふた付き器とぴったり重なるサイズでした☆ うれしいサプライズでした。

そしてもう1つ、銑やノミで削る(刳る)やり方の器のほうは、森林文化アカデミーのグリーンウッドワーク指導者養成講座で、森林文化アカデミーの久津輪さんと、グリーンウッドワーク研究所の加藤さんに教わりました。

20161106_102708アイヌの方たちがつくってきたニマという器をヒントにした小鉢と、平皿と、2つから選んで取り組みました。小鉢は少し縁周りに樹皮を残すのがニマ風みたいです。森林文化アカデミーの裏山に生える、カラスザンショウという山椒に似た木の小径木を削らせてもらいました。

14980670_1173916942697260_773955251 20161106_115833 Dsc01351皮の近くと芯の近くとで材の色がちがっていて、バニラとココアみたいなツートンカラーになった。かわいい。。。カラスザンショウの生木はとても削りやすくて、削っていると我を忘れるのはいつものことだけど、彫り進めていくのが楽しかった!小さいコップになりました。

Dsc01338_2 この日は材が3種類あって、しかもみんなそれぞれのデザインでつくっていったので、平皿(角皿や楕円皿)、深鉢、小物入れ、キャッシュトレイなど、ほんとにさまざまなものがさまざまな質感でできあがって興味津々でした。

2通りやってみて、自分はどうも挽くよりも削る(刳る)ほうが性に合っているのかも、と思った。ろくろで挽くのは、とても精密な形に仕上げることができるところに良さがありそうだけど、足でひと踏みした時にろくろがびゅんと回る「速さ」の部分に、自分はどうもついていききれてないような感じがあって。削る場合は、ひと削りずつ、ゆっくりやれる感覚があって。体内スピードの速い人はきっとろくろとペースが合うんじゃなかろうか、と想像しました。でも道具のスピードと自分のスピードとの相性は、慣れや訓練で変わるものだろかな? まだ結論を出すのは早いかと思うので、また機会を見つけてやってみたいです。

しかし将来的(?)に足踏みろくろと、ろくろ用の刃ものを自作するのは、なかなかおおがかりなことだよなー無理だよね。。。と思う。と同時に、ああこれは、椅子づくりの道具としてパイプクランプが出てきたときに「こりゃだめだ、こんなのは自分の手に余る。。。」と思ったのと似てる、と思ったりもしています。

自分には無理、と思うのが、いつでもデフォルトだけど。。。これからどんなプロセスが展開するかはわからないもんだーと、ほんとはそう思っていたらいいのだろうな、と客観的には思う。

* * *

Dsc01335森林文化アカデミーでの器づくり講座では、今回お昼休みの時間にみんなでグリーンウッドワーク協会の竹部会の展覧会を見に行こうということになって、おかげさまで行くことができました☆竹細工は、日本のグリーンウッドワークだし、やっぱりとても惹かれます。

Dsc01317_2 展示は、竹部会の皆さんがつくられた作品と、美濃市の民俗資料調査事業で集められた民具で構成されていて、とっても興味深かった。。何に使われていたのか確実にはわかっていない、このピーナツ型の道具は、左右で深さが異なっていました。編みのすきまもセクションによって異なっていて、とても美しかったな。

Dsc01331 竹のざるのふちまわりをよくみると、裂いた竹ひごのふしがきれいに斜めになっていて、これはわざとこのようにずらすのかな?と思ったら、近くにいた竹部会の方が説明に来てくださって、ふちまわりを湾曲させていくうちに自ずと最後のほうではこのように少しずつずれていく、と教えてくださいました。最初のところは、ひごは裂かれていなくて、少し行ったところから裂かれていました。なるほど、必然的にこんなふうに美しくなるんですね。。

20161106_211325_2 この方がつくられたという竹かごを、1つ購入させていただいてきました。皮つきの竹で編んだ、かろやかで丈夫なかごです。すごくうれしかった!(竹細工展は美濃市うだつの上がる町なみで11/13日まで。詳しくはこちら

* * *

Dsc01315 今回の岐阜行きでは、相方が1日早く帰って、最後の夜は野営しました(許可を取って泊まりました)。それというのは、去年から森林文化アカデミーでのグリーンウッドワーク指導者養成講座にとびとびで参加してきて、今回が自分にとっては一応最終回だったから。。。去年の1回目のときに野営したので、初心に帰る、という意味でも、お世話になってきた岐阜のこの地の地面の上で眠りたかったのでした。(2回目以降からは、毎回違う宿にお世話になりました、どこもそれぞれに味わいがあって、岐阜のいろんなところへ行くこともできて、とてもよかったです☆)

ただ、11月の野営は自分も初めてのことで、寒さがだいじょぶだろうか、とちょっと心配でした。装備も移動があるのであまり大荷物にはできないため、ミニマルにまとめないといけなくて、あったかグッズを優先して、食材は軽めに。

ところが心配してたほど気温が下がらなくて、日が沈んだ後にテントを設営したのに汗ばむほど。眠るときも、着こみすぎて暑すぎて眠りにくいほどで、寝袋の中で履いていたぶあついウールの靴下を脱いだらやっと眠れました。

蒼い空に木々の黒いシルエットと細い上弦の月がきれいでした。星空も。入口を開けたまま少し寝て、途中で閉めて朝まで。イノシシやサルがいるよと地元の人に聞いてたのだけど、生き物の気配がぜんぜんしなかった。枯れ葉がおっこちてくる音がするだけでした。

翌朝は山の向こうに朝日がのぼってしばらく影になってたけど、山の上に太陽が出たらぽかぽかになって、気持ちのいい朝でした。オートミールとドライフルーツを茹でて朝ごはんを食べて、コーヒーを淹れて。お昼のお弁当に、干し飯を戻してお弁当箱に詰めて、おかずに干し野菜を戻して、そこに茹で豆ミックスを混ぜてサラダをつくりました。

テントを撤収してグランドシートをかわかしたりしてたら、あっという間に講座の始まる時間が近づいてあわてて向かいました。

ゆっくり朝を過ごせたら、なお楽しかったろうなあ。。。秋の野営の気持ちよさに開眼しつつあります。空気も光も透き通っているし、今回はしなかったけど焚火の暖かさがほんとにうれしいのもこの季節から、とつくづく思うし。。。

仕事をちゃちゃっとやる術を身に付けて、野山にもっと出たいな。。。!

* * *

20161108_113623 あ、今回の旅のもひとつのサプライズ。。 相方とレンタル自転車で走っていたとき目に付いた古道具屋さんの店先で、理想のフライパンに出会ってしまいました。ステンレス製で、小さめで、薄くて、軽い。「無料でお持ちください」と札が立ててあった箱に雑多に入っていたのの1つで、うれしくいただきました。

はだかで持ち歩いていて、「これ持って温泉にいくのかーわたし。。」と思っていたら、美濃市駅の駅員のお姉さんが「ちょっと待って!」と言ってちょうどいいサイズの丈夫な袋をくださいました。ありがとう、お姉さん!(彼女はお母様がこちらの生まれなのでこちらに来た、と言ってたけれど、ご自身はうちの近くのお生まれだったので、それもびっくり)。

このフライパン、帰宅してからリサーチしたら、千趣会というところが昔頒布会形式で販売していた製菓道具シリーズの1つで、ほんとうはクレープパンでした。ヘラもあったので、それもセットでもらってきつつ、このヘラとフライパンはどうもセットではないようだ、と思っていたのだけど、実はクレープを焼くときこのヘラを使うんだったのでした。

野営やピクニック用に、軽い鉄製(アルミやテフロン加工、鋳鉄ではなく)のフライパンがずっと欲しいと思ってたのだけど、今回のはサイズも形も質感も思い描いていたとおりのもので、びっくりしました。。。思い描いていると現実化するって、ほんとだなあと(規模小さいけど)思いました :)

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2016.02.21

スツールづくり実験&削り馬プロジェクト(5)

20160216_193820 岐阜でのグリーンウッドワークの椅子づくりを終えて帰宅して数日後、おとなりさんが庭木の剪定をされていて、うちの伸び放題のセンダンも「ついでに切りましょうか?」と言ってくださり、どどーんと切ってくださいました。

2月になったらセンダンの剪定をしないと、と自分も手帳にずっと書いてたのですが、でも岐阜から帰った後は仕事がぱつぱつで動けずだったので、助かりました。

20160216_204951 それで、仕事がひと段落した翌日、大好きなセンダンの枝たちがフレッシュなうちに椅子づくりのおさらいもかねて、小さいスツールを作ってみようと思い立ちました。夕方から寝るまで、スツールのパーツ(貫と座枠)を削り。。。

その晩はおふとんに入ってからも一晩中、岐阜で体験したような筋肉痛をまた体験できて、うれしかった。。。痛かったけど。

スツールは、手持ちの道具でできる範囲のもの、になるので、岐阜20160216_215051で教わった椅子のようにはできないし、センダンの枝もそれほど径が大きいものが多くはないので、丸いままの枝も一部使ってみることにしました。丸いままの枝を使うと、強度が弱くなるなど問題はあるのだけど、今までセンダンの枝とつきあってきたここ数年を経て、丸いままのセンダン枝は乾くと結構しっかりするように思えたので、トライしてみることに。

センダンは成長がとっても速くて、剪定枝の年輪は2ミリ~5ミリくらい。グリーンウッドワークを最初に教わったマイク・アボットさんは、使う材の年輪は「できるだけ2~5ミリくらい」のものを狙うように、とおっしゃっていて、その基準においては、いい感じになってしまうのでした。ただセンダンは成長が速すぎてやばくないか?と思う。まあ、やってみて、調べてみるしかありません。。。

生木の枝を丸いまま使って家具作りをしているアリソン・オスピナさんのやり方と、生木を割って椅子づくりをしているマイクさんのやり方と、岐阜の森林アカデミーで教わったこととを、ごちゃまぜにして実験です☆

* * *

20160217_091735 20160216_215325 ひさしぶりに使ったマイ削り馬は、まだ改良途中のままだったので、ちょっと使いづらかったのでした。。なのでパーツを削り終わって、干物のように吊るして乾かしているあいだに、改良を試みました。

全体の「やわさ」をもう少し何とかすることが最大の課題。ボディがぐらぐらすることは、脚の長さや角度を調節することで、だいぶん大丈夫なレベルになりました。

20160220_094320_2 あとはボディがもうすこし細いと自分の脚の動きが楽になるなあ、と感じたので、ボディをもう少し削り落しました。のこぎりで、ここまで、というところに切り目を入れて、鉈で叩いて割り取ってから、銑でけずりあげ。

20160219_104219 フレームも、穴の高さと押さえの高さを両方、もうちょっと上げて、あと、フレームにペダルをかませました。穴あけは、鏡で角度をみながらがんばりましたが、やっぱり少しまがった。。。前よりはだいぶましになりましたが!

20160221_145547 ペダルは、森林アカデミーの久津輪さんとグリーンウッドワーク研究所の加藤さんがデザインされている削り馬「オリガミ・ホース」のアイデアを参考に。足のリーチが少なくて済むので、楽になります。以前、近所のガラス屋さんが閉店するときに、前を通りがかって、ごみになろうとしていた古い棚のパーツがあったので、おかみさんにもらってきたのだけど、そのときの板がペダルにぴったりでした。切ったりする必要なく、ピタッときた。

作業台に高さを出す「ライザー」の部分は、いままでは、「角」をつき刺してボディとつないでいただけで、ときどきぐらぐらしたので、これもボディの鼻先にちょうつがいで接続しました。取り外し可能なちょうつがいが、たまたま手元にあったので、つけてみた。安定感が大分増しました。

あとはライザーをもっと短く切るかどうかが迷いどころです。当初「膝乗せ型削り馬」としてつくった部分なので、今後も膝乗せ式で使えるようにしときたい気持ちもあったり。でも膝乗せ式は腰にしばりつけなきゃなので、一度作業を始めると、取り外しが面倒で。。やっぱりあまり使わないかなあ、とも思ったり。

とりあえず当面はこれで使ってみて、短くしたくなったときに、また考えようかと思います。短くした場合は、その上の作業台と、ちょうつがいで連結してもよさそうで(「オリガミ・ホース」の作業台のように)それはそれで、あこがれがあります。。。

20160221_150245 現状だとこう折り畳まるのだけど、ライザーを短くすれば、もっとコンパクトになるかも、とも思っています。

20160221_154421 ライザーをボディに固定するための「角」は、こんなに長い必要はまったくないのだけど、楽しいので長いまま使っていました。今回、「もしかしたら何かのときに使えるかも」といろいろなものをとってある引き出しを開けてみたら、前の家でつかっていたトイレットペーパーホルダー(今の家では使えない形だったのでしまいこまれていました)が発見されて。これってもしかして、と角に付けてみたら、ツールホルダーになりました。ひょっとして便利かな?鉛筆や定規、ナイフ、削り馬の作業台調節用ブロックなんかを、ほうりこんでみました。「角」はなぜか右に大きくまがっているので、それも、ツール入れを下げるにはちょうどよかったような?

こんなして手持ちのものや身の周りのもので、ああでもない、こうでもない、とやりながらグリーンウッドワークのものづくりや道具づくりをするのが、とっても楽しいです。「ムーミンパパ」状態、と自認しています(汗)。でもわたしにできるなら、普通の人にできることなので、人体実験といいますか、「体力なし、車なし、手先の器用さ今ひとつ」で、予算も最低限でも、そんなにおおがかりなものをつくるんでないなら、そこそこ楽しくグリーンウッドワークができることを、身を持って示せたら楽しいかな、と思っています。

しかし木工の素養もないまま、パッションだけでグリーンウッドワークにとび込んで、いまだにパッションだけでほそぼそと学びと実験を続けていて。。。あいかわらずノコギリもまっすぐ切れないし、穴をあけてもなぜかまがるし、これは自分の人生の縮図のようだ、と思います(汗)。どうもいつも「大丈夫かな」とそろりそろりとやっていて、思い切りが足りないというか、腹が座っていないというか。ここっと決めたら、あとは腹を据えて一気に最後まで穴を開けていく、とかそういうふうにやるほうが、うまくいくんだよなあ、という体験を何度かしています。グリーンウッドワークを通じて、すこしずつでも思い切りのよさ&おおらかさが身に付いたらうれしい。。

おおらかさの部分は、グリーンウッドワークは指し物細工みたいな正確さは要求されなくて、アバウトでも大丈夫、という部分があるためです。生木から繊維をなるべく断ちきらずに割って削ってパーツを作った構造物は、しなかやさがあって、多少の誤差にも対応できるみたいです。そういうところがすごくすきです。

バレエはぜんぜん好きじゃなかったけど、イサドラ・ダンカン・ダンスはあんなにも大好きだった、それと似ているなあ、と思うこともあります。バレエは振り付けという動きを体に押し当てる感じがあって、人工的に感じられていました。やりたいと思ったことはなかった。。イサドラ・ダンカンのダンスは、振りはあるのだけど、動きは中から出てくるようでないといけなかった。そして「体が違えば動きも違って当然」、「動きは自然界から学びなさい、葉っぱが揺れるようす、浜辺に寄せる波、風に乗る鳥などなどをよく観察して」「音楽が体に作用するのを感じてから動くこと」と教わって、ほんとうによろこびの中で音楽とひとつになる経験が(ほんの少しだけど)ありました。

普通の木工はやりたいと思えずにいるのだけど、グリーンウッドワークはこんなにも大好きなのも、グリーンウッドワークは、こちらが決めた形を材に押し当てるというよりも、実現したい形はありつつも、そのなかで自然の摂理にゆだねる部分が大きいからなのかなあと思います。そして身近な木とも一緒にできるところが大きい。。。剪定した後のセンダンとも、こうしてさまざまに一緒に過ごせることは、ほんとうにうれしいことです。

森とつながりたい、というのはもちろんあるのだけど、その一歩として、自分の部屋のすぐ外に生えている、このセンダンとつながる、というのが、自分にはしっくりきています。

ほんとうに楽しい緑の木工のことを教えてくれたともだちの(わ)ちん、知識や経験を分かち合ってくださってるグリーンウッドワーカーのみなさん、ありがとうございます :)

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2015.10.05

トトロのおなかの上で

20151003_130726 最近、夢のような次元であわやーく思う「願い事」が、叶うスピードが加速しているように感じます。これは世界的な現象なんだろか。。。

というのも、ついこのあいだ、ヤブガラシという植物と知り合いました(近所の森のお手入れのボランティアで、「つる切り」という作業をして、その帰りみち、バスケットづくりのために「野葡萄の蔓があそこらへんにあるから切っていいよ」と言われ、喜んで切って帰ってきたら、野葡萄と思ったそれはヤブガラシだった、という事件があって)。

そしたら、その翌日に、ヤブガラシのことを「とっても素直な植物なんですよ」と語り、蔓を切ったりすることなく、くるりと輪に丸めてそっと地面におくだけで、「藪を枯らす」ほどのヤブガラシの勢いをおさめる方法を伝えていらした矢野智徳さんのお話が、Facebookづてに流れてきました(矢野さんのご活動については小耳に挟んではいたのだけど、こうした具体的な手法を伝え聞いたのは初めてでした)。ネットで調べるとみんながヤブガラシを厄介者扱いしてるようだったのに、そのヤブガラシを「とっても素直」と語るその人に、「お会いしてみたいなあ」と、そのとき思って、そうしたらその1週間後、矢野さんがわが家のある地域のほうで、森のための「水脈づくり」を指導される現場に、参加させていただくことができてしまいました。

イギリスでグリーンウッドワークの合宿コースをやってらしたマイク・アボットさんのウェブサイトがネット検索で出てきて、素晴らしいコンポストトイレや、焚火での料理、テントでの寝泊まりという森での生活そのものに魅せられて、いつか行ってみたいもんだなあ、と思っていたら、半年しないうちにほんとうに行けてしまった、(しかも春に行けて感激してたら、イギリスでのお仕事のお話が舞い込んで、同じ年の秋にもう一度行けてしまった)、あのときも、こんなに非現実的な願い事がこうも早く叶うなんて、どうしたことだ、と心底びっくりしたのだけれど。。。今回もそうでした。

しかもお金のないわたしにとって、今回の参加費無料は、ありがたすぎました。。。(マイクさんのとこに行ったときも、春のはワークエクスチェンジ的なものだったので食費だけで森に1週間滞在させてもらってしまい、秋にちゃんとコースを受講したときは受講料をフルで払ったけれど、渡航費はイギリスでのお仕事をいただいたおかげでまかなえたのでした)。

ほんとうに、有難いことです、文字通りです。

(グリーンウッドワークは、その後、日本で学びを続けたくて、マイクさんにわたしよりもうんと早くから教わってきたグリーンウッドワーカーの方おふたりに、散発的ペースではあるけれど教わっていて、その講座も、受講料がものすごく、ものすごく、良心的で、内容は特濃で、ほんとにまたしても文字通り、有難いのでした。先月の講座もインスパイアリングで、そのことも書き留めておきたいのになあ。。次の回だ。。)

今日は、まず、矢野さんご指導の水脈づくりのことを。。

でもうまく内容を伝えられる自信はないので、自分が感じたこと・理解したことのみになってしまうのだけれども。体験としては、ひとことでいうと、これまでになく、草木、土、水、空気のつらなりを3Dで垣間見た、というような感じでした。

20151003_125358 雨となって地面に注ぐ水の動きが、本来の自然の動きに近いものになるよう、すでに人間が傷をつけてしまった地面を養生する、そんな作業が、「水脈づくり」の作業でした。具体的に言うと、宮脇昭さんのご指導で森林再生しようとしている場所があって(宮脇さんも植樹の方法論が有機的で、すごいなーと思っていた方なのですが、今回宮脇方式の森づくりと矢野さんの取り組みとが合体するのは初の試みなんだそうです)、そこに人が通るための道がつけてあるのだけれど、雨水が、道に集まって流れて地表を走ってしまう、その勢いをおさめて、水が縦に地中に浸透できるようにしていくための作業です。(写真は作業後のようす)。

道をつけてそのままになっていたところは、両サイドよりも低いために両サイドからも水が集まり、地表の土は、道の両サイドの地面の土も、道の土も、水と一緒に流され豊かな表層が育っていかないし、集まった水は早く斜面を駆け降りるため縦に浸み込まず表面を走るばかりで、雨が降っても地中は潤わない。地面の表面にはテカった膜が張ってしまっていて、空気も地中に入れなくなっていました。こうなると草木が茂れず、草木の根が元気に伸びられないために、地中のなかの隙間はさらになくなり、空気も水もなおさら地中に入りにくくなり、土がどんどん硬くしまって、なおさら草木にとっては生きにくくなる。。という悪循環。

一筋水が早く流れるルートができると、そこに向かって、さらに周辺の地の水も引き込まれていくんだそうです。水の習性。。なのでこの道の両側に広がる植樹地の健やかさが、かかっていることになる。

20151003_130719 そもそも草も生えていない裸地というのは、地球にとっては傷口のようなものなんだそうです。この傷口をなんとか塞ごうと草たちは一生懸命、生える。草木の根が、土留めになって、地表の土が流れるのを防ぐし、地中の隙間をつくって空気・水が地中に入っていけるようにして、地下水脈を育てるんだそうです。大きな樹の根は、地中でほんとに大活躍しているのでした。

本来の自然の地はどこもすべて、水が横に流れる動きと、縦に地中に浸透する動きは、常にバランスを保っていて、どちらかに偏ったりはしていないんだそうです。

それが過去50年の、コンクリで固める土木などで、地中はぎゅっと押し固められたまま、水も空気も通らないような状態になっているところが増えてしまった。窒息し、血脈である水脈がおとろえてしまった大地に草木ががんばって生えても、草木も元気に成長するのは大変だし、草木が元気でないと虫や動物たちも苦労を強いられて、暴れ出したりする。

それでも動植物たちは、みんなでがんばって、なんとかバランスのとれたところへ戻そうとしていて、だから草も木も生えてくる。そうやてみんながんばってるなかで、人間だけがマイナス方向に邪魔をしがちなのですね。。。草木を抜いて地面を丸裸にしたり、コンクリで表面を固めたり、土地の四方を囲んだり。。。

だから人間が邪魔をやめて、自然のみんながやろうとそている方向に協力的になっていくようにすれば(そしてその取り組みも、できるだけその場にある有機的な材料で行えば)、バランスのとれたところへ向かう動きは必ず加速するんだそうです。そしてそれは目にみえる結果が出るんだそうで、矢野さんはご自身の目で実際に見てきてわかったことを、シェアしてくださっているのでした。

20151003_111831 今回の作業のあと、どんな変化が期待できますか?という質問に、まず矢野さんは、近くにあった草の葉っぱをちょっとちぎって、陽に透かしました。「こうやって陽に透かすと、葉っぱって、こう、ぽうっと光りますよね」とおっしゃって、「今もこの葉っぱは、まったく光ってない、ということではないけれど、今日の作業で大地の水脈が育ってくると、この光り方がね、強くなります、もーっとこう、ぽうっとね」。

それから道の両サイドに生えている木々については、今黄変をおこしている葉っぱが緑になってきます、と(黄変と紅葉は違う、と説明したうえで)。あとは木々の芽が、もっと充実した感じになるし、全体に、みんな元気になってくる、それが体感としてわかるはずです、とのことでした。この説明のどれもに、ぐっときた。。。

20151003_111854黄変については、樹のどのへんで起きているかも見るといいそうで、黄変が起こっているのが下枝の場合は地面の表面近くの問題、上のほうの枝の場合はもっと深い地層の問題なんだそう。わたしの横に立っていたトベラは、まさに一番下の枝に黄変が起きていました。

矢野さんが強調してらしたのは、地中の水の動き(地下水脈)には、空気の動きが先行する、という点でした。これを何度もおっしゃっていた。目にみえないから見過ごされがちだけど、まず、大気中の空気、これが土中に入っていって動かなければ、水は動かない、と。

ストローの中に水があっても、片方の口を指で押さえたら、中の水は動かなくなる。あれと同じこと、と。

20151003_131156大地全体が呼吸をしていること、それを阻害しないことの大切さを、しみじみ、思いました。そしてそれがどれだけ、全体(草木、動植物、わたしたち)にとって、大きいことか、を。あと、地表をカバーする草や落ち葉枯れ枝、みんなが大切な役割を担っている、ということも。

たくさん雨が降ったとき、川を見ると、水は澄んでなくて泥水になっている。それをわたしは当たり前だと思っていたけれど、自然本来の状態ならば、たくさん雨が降っても地表の泥が川に連れ込まれることはなく、川の水は澄んでいるんだそうです。そして豊かな森では土はかならずふかふかに柔らかい(これは自分も体感として知っています)。

自然の仕事を邪魔しない、ということを、ミクロレベル(自分の庭)からマクロ(地球全体)まで、もっと考えて、実行していきたいな、と思ったのでした。はからずも、この「邪魔をやめる」とか「本来のデザインに協力的になる」というのは、自分自身(の心身)のレベルでは、アレクサンダーテクニークで、ずっとすったもんだしながら学ぼうとしてきたことで、(いまだにすったもんだしてるけれども)そうなんだ、もっと尊敬して信頼して協力していくことなんだよね、わたしがああだこうだコントロールするんでなくてね、とまた別の側面からヒントをもらっているようなふうです。

矢野さんのおっしゃる「水の動きには空気(風)が先行している」というのも、心身の感情の方向には思い(込み)が先行している、ということを思い出させるな。。。

20151003_125408それに、今回の作業で、雨水が道の表面を高速で走っていかないよう、小さな横木で堰をつくり、さらに地面の表面に炭をまいて、枯れ草をたくさん敷き混んだのだけど、こうして水の速度をちょっと緩めることで、本来あるはずの水の動き(縦に浸み入る部分)も起きるようになる、そのしくみも、アレクサンダーでいうところの「抑制」に近いように感じました。

地球をひとつの大きな有機体ととらえることが、なんだかリアルでした。矢野さんが最初に「みなさん今日は、トトロとかゴジラとかのおなかの上でこの作業をしているんだ、というようにイメージしていただくと、わかりやすいかと思います」とおっしゃったときは、「??」と思ったけれど、作業が終わるころには、なるほどそうか、と体感が来た。。。

生きものの上に暮らしているんだ、という自覚を持つこと。。それってかつてネイティブアメリカンの方や土地に根差した暮らしをしていた人たちはほんとうに普通に持っていたんだろうなと思う。

 

* * *

20150928_150301_2 20150928_164714_2 話しは大きく戻るけれど、矢野さんとのご縁をとりもってくれたヤブガラシという植物(野葡萄と間違えて連れ帰ってきちゃった蔓)は、結局、バスケットに編み込んでみました。

森のお手入れボランティアの「蔓切り」作業中に、切った蔓の中でしっかりしたのを少しもらって帰ってきてたので、それらとヤブガラシを組み合わせて、編みました。カラスウリ、ヒヨドリジョウゴなどとのまぜこぜバスケットになった。

Dsc00558 蔓でバスケットを編む場合、まず蔓を一度乾燥させてから、編む前に水に少し浸しておいてやわらかくして編む、というのが一般的だと思うのだけど、前回同様、またしてもグリーン(切った直後)の状態で編んでみた。

20150928_204520 20151005_145535乾燥するとどうなるか、見てみようと思ったのでした。1週間経って、だいぶ乾燥して、蔓の太さがやせました(写真左はできたて、右は1週間後)。結果的にバスケットの編み目にすきまができた。

前回グリーンな状態でジャスミンの蔓で編んだほうのかごは、みだれ編みにしたので、隙間の変化がわからなかったので、今回はっきりわかっておもしろかったです。

20150207_104438_2 20151005_145419 ジャスミンかごの場合はこんなふうでした。左が出来たて、右が現在(7ヶ月後)。

ああ、ひがな、有機土木や身近な生活道具の手づくりとか、そういうことを学んだり実験したりできる暮らしだったらいいのにな。。

仕事に戻らないと。。でもお金のための仕事と暮らしが切り離されてなくて、全部まるごとただ生活する、というふうになれたらなあと思う。。。お金の要らない暮らし、ゼロ円経済圏、などとつらつらと考える今日です。

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2015.06.19

鳥たちとほたると、夜のクラフト

20150521_113536 鳥の声についての勉強をちょこっとかじりはじめたら、家の中にいるとき外から聞こえてくる鳥の声が、今までとちがう。。。ひと声ひと声、あ、いまのはだれがどんな感じでないたのかな、と考えるし、かんしゃくをおこしたみたいに鳴いている声に、なぜだかむしょうに嬉しくなったり。

ばくぜんと「鳥の声」というふうに聞いてた声が、いまやいろんなバラエティとバリエーションで展開していて。そして家のまわりになんとたくさんの種類の鳥たちがいるかがわかる。。。世界はこうやって豊かになっていくんだなあ。ふつうの住宅街の一角でも、やっぱりここは自然の中なんだと実感する。

そして自転車で川沿いを上流に走って行くと、ほたるのいる谷戸もあって。先日相方が大急ぎで仕事から帰って来て、今夜ほたるを見に行こう、というので、自転車のタイヤに空気を入れて、川沿いの暗い夜道を、片道小一時間、走りました。

毎年おじゃましているこの谷戸には、ほたるを保存するボランティアのおじさんたちが、小道沿いに竹のキャンドルランタンをともしてくださっています。谷戸のエリアに入ってすぐ、ほたる、いました。

ふわふわ飛びながら、長い息で呼吸するように、ふーっと明かりを灯しては、消すのでした。じっと見ていたら、どうも、ぐーっと加速して飛ぶあいだは明かりを消している事が多くて、空中で一休みするときに灯す感じ。飛びながら灯すときは、ぐーっと加速する飛び方ではなくて、ふわあと飛ぶ。

そして二匹がくっついたり。木の枝先の葉っぱの上でずーっと休んでいるほたるもいました。休みながら、ときおり葉っぱの陰で光るのでした。

かえるの大合唱をききつつ、ただそこに立って、ほたるたちに、今日はこんなに楽しい想いをさせてもらっています、ありがとうね、と心の中で言ってたら、そのうちにすごくそばまで飛んでくるほたるが表れて。わたしの右足首にとまりました。

後で思うと、右足首には自転車に乗る時のリフレクターをつけっぱなしにしていたからかもしれなかった。なにも反射する光のない暗がりだったから、リフレクターは光ってはいなかったけど、ほたるとしては、「これはどうやら光りそうだぞ、なんだろな」と興味をそそられたのかもしれないです。

あっという間に一時間くらい経っていて。また自転車を走らせてもどってきて、おそいお夕飯をたべました。相方はかえるの声がなによりも好き、という人でもあるので、ほたるとかえるの両方に会えて、ものすごく満足だったようでした。

あまりしゃべらずに、じっとかえるの声をきいて、暗がりの中をほたるの光だけながめていたら、耳も、目も、それから気持ちも、なんだか休まりました。

* * *

涼しいうちに仕事をこなしておこうと、がんばった今週だったのだけど、今の仕事はスプリントではなく、マラソンのように、たんたんと進めるタイプのものだったので、夜には息抜きをしたりしつつやっていて、昨日は仕事を終えてとつぜんひらめいて、夜のクラフトタイムに突入しました。

懸案だったスプーンナイフのシース(カバー)をつくってみた。フィンランドでつくっていただいたスプーンナイフは、これまで、まともなシースもつくらず布でぐるぐるまきにしていたので……。

20150618_222720 20150618_225257 木工愛好家の皆さんが、スプーンナイフにどんなシースを手づくりされてるか、ネットでいくつか画像を見てみたあと、手元にあった、お役御免になったバブーシュの甲の部分だった革(比較的きれいだったから、何かに使えるかもととっておいたもの)を手にもって、こっちを折ってみたり、あっちを折ってみたりしていると、あらなんと。このスプーンナイフにジャストサイズのシースが表れたのでした!20150618_23064920150618_23070820150618_231619

こんなにジャストサイズとは、びっくり。

先端をちょこっと縫って閉じ合わせて、あとはくるっと巻きつけるだけ、という簡単工作。あっという間に完成です。

さすがに毎日履いて、底が抜けてお役御免になったバブーシュだったので、一応殺菌(?)のつもりで、アルコールとゼラニウムのエッセンシャルオイルを含ませた布で、拭いて。

これで古いバブーシュもすっかりアップサイクルされて、スプーンナイフにもしっかりしたシースができて安心になりました♪

木工に関心が出てから、刃物についても、はじめて知ることばかりで、学ぶことが目白押しで。とりあえずここまでのところ、刃物の刃は、とってもデリケートだと知りました。ちょっとかたいものにコツンとさわっただけで、鈍くなっていく。。鈍くなった刃物は、より力をいれて使おうとしちゃうから危ないし、削った木の表面も美しくなくなるし撥水しにくくなる(よく砥いだ刃物でつるっと削った表面は、水もつるっとはじかれて、滴がすべり落ちていく)。

でも砥ぎはあいかわらず難しくて(汗)、大工道具館の砥ぎ講座で教わってきたことを、なかなかやれずにいるので、まずはせめてシースで刃先を守ることくらいはちゃんとやろうと思いました。

Img_9375 Img_9376 イギリスのMikeさんのところで椅子づくりを教わったあと、譲っていただいたドローナイフ(銑)には、以前、SPF材に切れ込みを入れて簡易シースをつくったのだけれど、これも、こんなんでいいのか。。。という疑問が。。。

砥ぎは、どうも刃をもっとひどい状態にしやしないかと怖がって腰が引けてしまうのだけど、アイルランドのグリーンウッドワーカーのAlison Ospinaさんも「砥ぎは怖がらずにどんどん実験するといいよ!」と書いてらしたし、大工道具館の北村さんにも、安い道具で練習をたくさんしたらいい、と言っていただいたので(安もののカンナとノミしか持ってない私にお心遣いくださったのもあったと思うのだけど)、ここはひとつ、がんばりたいところ……。

暑くなって心身が働かなくなる前の、涼しい今は、手仕事にいい季節だし! 

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2015.04.20

落ちた

夜3時くらいまで仕事をして少し寝て、朝は8時~9時台から仕事を始めて、ごはんをつくるのも洗濯もおやすみしてコーヒー飲み続けてひたすら仕事をしつづける日々、今日で4日目。ようやっと先が見えてきた。

今回のはたのしい本の仕事なので、こういうペースでもがんばれて、ありがいな、と思っているけれど、体のほうは意外と困っていたみたいで。。。今朝は起きぬけに、ひさしぶりに気持ちがずずず、と落ちました。。。

ここ最近の自分自身のありようが、ほんとにはずかしくて、おばかぶりに身が細る思い。なにをやってるんだ、わたし、と。。。

こう書くとなんてことないけど、ただなかでは、かなりやばい感じだった。圧倒的な自己否定感。

とくに木工のことを考えたときが、それが強かった。翻訳の仕事に関しては、そういう疑念はうかばないのに。と考えると、やってきた時間の長さがぜんぜん違うことに気づく。

ほんとうにビギナーである、ということをこの年齢になって体験中なのだった。ビギナーなんだから、できない、わからないは当たり前だし、それでいいじゃない、と思う。ただ、「それでいいじゃない」と思えないのは、自分が教わりたいなと思ってそれが実際に叶ってご縁ができてしまった人がすごすぎて、自分なんかが教わったのではいけなかった、と思うこと。もっとあとになってから教わりに行くべき人たちだったんじゃないか、と思うこと。。。

自分はそういう人たちに教わるに値しなかったのに、と、思うこと。

はあ。。。

それで、今朝の起きぬけの、「落ち」が起きたらしかった。つらくて、ほんとにひさしぶりに、助けをもとめました。

「かみさま、たすけて」という感じで、なぜか、「青馬、たすけて」、と心の中で言っていた。

青馬は、昔、学校の帰り道にあった、知らない人の家の庭に立っていた、木(ずっとクスノキだと思ってきたけど、最近木のことを勉強したら、あの木はやっぱりスダジイだったんじゃないか、と思うにいたった。。)。

青馬は、もう切られてなくなっているし、引っ越してしまったからなかなかその場所には戻れていないのだけど。

当時から青馬のところに行くと、独特の身体感覚が来て、それで交流していることがわかったのだけど、今朝、おふとんのなかで、青馬を呼んだら、あれに似た感覚が来た。

それで、いつもならさらなる深みに落ちるところを、ちょっと持ち直せた感じ。

たわごと、妄想、思い込み、とかいろいろな名前で呼ばれる現象なんだろな、これは、と思うけれど、自分にとっては、それがなんであっても、助けになったので、ありがたかった。個人的には、ほんとうに、青馬はそばまで来てくれていたように思う。断言はできないけれど。

精神の危機みたいなものは、そうなってはじめて求めることができるものがある、という意味で、大切だしありがたいものなんだな、と思った。。。

さて、もう一仕事。。。

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2015.02.24

うれしいこといろいろと、海岸林のクロマツのこと

20150221_143847 春の陽気が感じられるようになってきました。少し前にまいたルッコラなど葉野菜たちが、かわいい芽を出しています。うれしいな。

そして今しがたお知らせが来て、あきらめていた日本野鳥の会の「野鳥鳴き声講座」に、キャンセルが出て行けることになりました\(^o^)/ うれしいうれしいうれしい。。。こういうところに参加するのは、対人面に苦手意識がある自分にはチャレンジなのだけど、チャレンジ以上に内容が楽しみなので、がんばれます。

興味があると、チャレンジをすっと乗り越えられるんだな、としみじみ思うこの頃。そういえば、少し前に参加した森林ボランティアもそうでした。

グリーンウッドワークに親しみ初めてから、日本の木のこと、森のことをもっと知りたい気持ちが大きくなって、そうしたら目に入ってきたのが、近所の浜からの砂の飛散を防ぐための「海岸林」を整える森林ボランティアでした。

いつもお世話になっているのに、よく知らないままだったこの海岸林についてまず知りたい、と思ったけれど、参加を決めるまでは、ちょっと時間がかかりました。申し込みをするには勇気が要った。。。

20150214_093333 でも自転車で1時間ほど浜辺のサイクリングロードを走ると行ける海岸林での作業だったこともあって、思い切って申し込み、前の晩にお弁当をつくって、朝早起きして、自転車を走らせ向かいました。向かい風だったけど、富士山がきれいでたのしかった。

今回の海岸林のボランティアは「剪定作業」と書かれていたので、庭木の剪定のようなイメージを持っていたけれど、行ってみたら、もっと本格的(わたしにとっては)な間伐作業でした。

20150214_144752 の こぎりを各自持たされて、腰にひもで装着。ヘルメットをかぶって出発した先は、クロマツの森。市の土木事務所から専門の方が指導とヘルプに来てくださっ ていて、ここのクロマツはこの方たちがまつぼっくりから4年かけて育てた苗を、ここに植えて、そして10年くらいたったところです、と教えてくれました。海岸林にはアカマツでもカラマツでもなく、クロマツがいちばん向いているんだそうです。

20150214_134430 今回の間伐は、森全体にもっと光を入れて、一本一本が太く健やかに育つようにしてあげるため。このままだと茂りあった枝葉で暗くなったまま成長が滞って、みんなで共倒れになってしまうから、とのことでした。

地 面から2,30センチのところに受け口という切り込みを入れてから、反対側から切っていき、倒します。まだ径の小さいクロマツたちなので、2人組で。14 年分の時間を切っていくことになったのだけど、切られてしまうクロマツから、悲しげな気はなぜか感じませんでした。ここ一帯のクロマツは一体感があるよう に感じられた。思いこみかもしれないけれど。。。

フレッシュな切り口はとても年輪がうつくしかった。それに清浄な、いい香りがしました。輪っかをかぞえると、なるほど14くらいある。そして見てるそばから、じわっと汗をかくように、透明な松脂がにじみ出てきました。クロマツは松の中でも特に松脂が多いそうです。

20150214_141350切 り倒した後、最後に、切り株を地面すれすれのところで切り取る作業があって、そのときに出た2,30cmの丸太を、だめもとで、土木事務所の(ひ)さんに 「これ、記念にもらってかえってもいいですか?」と聞いたら、快く「いいよ」と言ってもらえました。よろこんでいたら、「なに、木工やるの?それならもっ といいやつを選りすぐってもってったらいいよ、ほら、これとか」と別のも差し出してくださり……さらに感激していると、「どうせあとは処分するものだから、すきな だけもっていったらいいよ」とのお言葉が。

びっくりしてしまいました。別の団体の森林ボランティアにの説明を読んだときは、伐採したものは持ち帰れません、とのルールが書いてあったので、まさか好きなだけもらえるとは思っていませんでした…。

お昼休みになって、作業していた隣の敷地にいろんな大木がたくさん チェーンソーで伐採されたまま転がしてあるのが見えたので、「ここの木も、このあとは処分されるんですか?」と聞いたら、そう、処分するのだけ ど、生木は水分があって重いから、しばらくこうやっておいておいて、あるていど乾いてから持って行く、とのことでした。樹種はエノキなど。こんなにたくさんの大木の丸太、欲しい人はたくさんいそうなのに。。。などと思っていたら、「ここのも、 もっていっていいよ」とのお言葉が。

ちょうど、作業をするときの台になる丸太の輪切りがあったらなあ、とここしばらく思っていたので、それはそれはうれしかった!。。。のですが、自転車だし、これほど大きい丸太はさすがに持って帰れない。。

20150224_134510 そうしたら、わたしが自転車で来ていたことを見ていた(ひ)さんは、「どのくらいの大きさの輪切りがいいの?チェーンソーもってきてるから、昼休みのあいだに切っといてやるよ」と! 

うれしかったです。ただでさえ、はじめての間伐作業ができてうれしく、クロマツと、海岸林とに体全体で親しめてうれしかったうえに、おみやげまでいただいて、しあわせでした。

お昼休みには、大学生で結成している森林サークルのみなさんが、海岸林についてのクイズをしてださって、クロマツの根の張り方と地下水との関係など、興味深いことを教わりました。森が大好きな大学生のみなさんは、みんなかわいくて、いいエネルギーが出ていて、日本の森の未来は明るいな、と思いました。それもうれしかった。

20150214_144734 森林サークル以外の大学生もたくさん参加していて、もりもり間伐作業はすすみ、どんどん森は明るくなっていきました。思いのほか作業が早くすすんだので、午後は追加で、枝打ちの作業も少しさせいただけました。

作業は、圧倒されるほどの作業量でない、ほどよい量で、作業時間もくたくたになるほど長くはなく、休み時間もしっかりとるスタイルになっていて、最後まで楽しく気持ちよくできました。朝から夕方まで外でこうやって過ごすのも、気持ちよかった。ボランティアという呼び名になっているけれど、これは緑化のための教育・啓発活動なんだな、と思う。企画してくださっている方々には頭が下がります。

作業のおわりに、のこぎりについた松脂をごしごし落としていたら、(ひ)さんがおもむろにそばにやってきて「これ、荷物になるけど、もうひとつ」と、切ったばかりの桜の小径の丸太をぽんと置いて去って行きました。

ほんとうにびっくり&うれしかったです。クロマツは生木の木工には向かないことを(ひ)さんは当然わかってらしたはずで……マツなんか、しょうがないだろ、と言いながらさりげなく桜をくださったのでした。でも自分で切った記念に、クロマツのほうも、やっぱりいただいてきました。

そうしたら、帰りの自転車旅がすごくチャレンジに……。最初はすいすい走れたのが、だんだん、前かごが重みでゆがんでいき……。どうしよう、と思っていたら、相方がおゆうはんを、この海岸林の近所にある、前から行ってみたいと言っていたネパールレストランで食べたい、と言ってくれて、自転車でそこまで来てくれることになり、最後は手分けして持ち帰ることができました、ありがたかった!

クルマもなく、電動工具もないまま、木工道をなんとか歩み出すことができているのは、この日の(ひ)さんや相方のように、助け舟を出してくださるいろんな方々のおかげです。ありがたいです。

* * *

その後、持ち帰ったクロマツで、なにかつくれないかと調べたら、松脂の多い松を使った美しい工芸があることを知りました。なんでも松脂のおかげで、仕上げに上塗りをする必要がないんだそうです。そして使い込めば使い込むほど美しくなるそうで、器や盆は、松脂の部分に光が透けて、ほんとうにきれい。

クロマツに特化しものは、下田脂松細工と呼ばれいて、静岡におひとりだけ職人さんがいるそうです(指物系)。香川県、広島県にも脂松細工をなさる方がいて、こちらは器なども手掛けていらっしゃるようです。

しかしグリーンウッドワークを松脂の多い松でやるのは、やはり無理だよね、と思っていたところ、松脂で糊をDIYしている人を知りました。

松脂と、パウダー状に砕いた炭を混ぜるだけ。一度くっつくと離れない、強力な糊になるそうです。

20150120_171155 実は、お誕生日の日に届いたアイルランドのAlison Ospinaさんのこの本(『Green Wood Chairs』)に、とてもわくわくしたのだけど、唯一、ホゾ継ぎにPVC糊を使っているところが残念ポイントでした。かわりに松脂糊を使えたらいいな、と思っています。時間ができたらトライしよう…。

でも、もしなににもならなくても、やっぱりこのクロマツの木切れは、愛おしい。机の上にごろんと転がしておくだけでも、十分幸せになります。好きみたい。20150224_135428

次回の海岸林ボランティアも楽しみです。次回はまきついたつるなどを払う作業になるそう。今回間伐したところは、また何年かたったら、さらに間伐することになると(ひ)さんは言っていました。木々の成長に意識を合わせている林業の人は、時間間隔が違いそうだな、とちょっと思った。興味深いです。

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2014.02.14

対話へ、

Img_6280 最近、二羽のメジロが、「猫の額庭」に吊り下げた「小鳥のお風呂」に入りにきます。写真ではお風呂に入る一羽が映ってますが、わかるかな?

東京都知事選挙が終わって、とても濃密な日々が過ぎて、今すこし、ぼーっとしています。

宇都宮けんじさんを応援をする中で、ほんとうにいろんなことがあって、みぞおちの中がぐちゃぐちゃにかきまわされたようになっていた日々もあったし、とても満ち足りた幸せを感じたこともありました。一生懸命考えたし、たくさんの気づきがありました。

そして先週の日曜に選挙の結果が出て、自分の中からさまざまな想いが出てきたのだけど、そのなかでも大きかったのは「もっともっと、話を聞きたい、話を聞かせてほしい人たちがいる」ということでした。

この世界は、ほんとうに、ひとりひとりにとって違うんだなあと、痛感しました。それぞれの人にとって、この世界がどんなところなのかは、ひとりひとりが見てきたもの、体験してきたものによっても変わってくる……。

宇都宮さんにとって、選挙は「人権のための運動」の一環だったのでした。投票日までの期間中、宇都宮さんは、自分の選挙運動の場を通して、さまざまな人の声をみんなに届けようとされていました。福島の原発事故の被災者の方、東京生まれの在日朝鮮人の方、筑地市場で働きながら市場の移転反対運動をしている方、小さなお子さんを持つお母さん方、セクシャルマイノリティーのカップルなどなど……。

それぞれの人に、それぞれの視点があって、それぞれの想いや苦悩や希望がありました。そうした声が、ふだん届かないような多くの人に届いた、そのことがとても心に残りました。

Img_6177 そして多くの人、「ふつう」の若者たちが、それぞれに思っていることを「自分の言葉で話す」ということを始めたことも。お互いにていねいに対話する、ということが大切にされ始めたことも。

そういう意味で、この選挙には、ほんとうに元気づけられました。

* * *

同じことが、人間と人間以外の存在のあいだでも、起きたなら……。それが、さらにもうひとまわり大きな願いとして、自分の中にあります。

わたしの本職は、人間の言葉(日本と英語)の通訳や翻訳ですが、心の中でずっと望んできたのは、人間以外の存在の声を聞くことでした。

311の震災後、特にこの願いが強まって、具体的な一歩踏み出そうとしてみたものの、逡巡が多くて、なかなか勇気も出ないまま、「願い」だけを抱えてきました。

でももう少し、願いを地上にアースしたいと思って、小さい扉を開けてみることにしました。

異種間コミュニケーションの練習帳」という場を開いてみました。ここからなにがどうなるのか、なにか芽が出るのかどうかも、まだぜんぜんわかりませんが……。ちょこっとした、きっかけになれば、と思っています。

今後ともよろしくお願いしマウス :)

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2013.02.10

春節新月に

新年好!蛇年快樂!旧暦のお正月、あけましたね。おめでとうございます。

新月の正確な時間は午後4時20分でした。新月から8時間くらいのあいだに、お願いごとを書いておくと、叶いやすいそうです。それ以降でももちろんよいと思うけれど!

20130210_140116 新月になる前の、今日の午後、ひだまりで本を読んでいたのだけれど(蛇年新年にちょうど蛇の神様の話を読んでいたところでした!)とっても眠くなりました。少し居眠りして、目覚めて、読了して、夕方、図書館へその本を返しに行き、予約していた本をピックアップ。そして新しい本を読み始めたら……途中に書いてあったことがみぞおち深くにズシンと来た。

そこに書いてあったこととは、著者が子どものころ、無邪気に動物をいじめた時のこと。本は、「異種間コミュニケーションへの招待」という副題も付いていて、動物を尊重する姿勢が貫かれた内容なんだけれども、その著者の子どもの頃の記憶は、かなり厳しいものでした…。でもあえてそれを告白したところにこの著者の誠実さがある、ともいえなくもない、かどうかな…。

著者は、自分の体験を2人の人にシェアしたら、その2人ともが、やはり子どものころ虫をいじめて遊んだ記憶を話してくれた、と書いていて、「忘れている子どものころの記憶をたどっていけば、ほとんどの人に同じような体験があるにちがいないというのが三人の結論だった」と結んでいました。

それですぐさま、わたしも自分の記憶をたぐりよせ始めました。最初に思い出したのは、子どものころ、虫カゴにたくさんカナブンを集めたこと。でも集めただけで、いじめた記憶は出てこない…。むしろ、気づかぬうちに窓のサッシのところに挟まってつぶされて死んでしまった一匹のカナブンを見た時に、カナブンをつかまえるのをやめようと思ったことを思い出しました。

クワガタやカブトムシもだいぶ林に取りに行ったし、お墓で虫取りあみでセミをとったり、チョウチョをとったり、用水路でザリガニを釣ったりして、遊んだけれども、いずれも、つかまえたあといじめたという記憶はなくて、そのままごはんをあげて育てるか、放すかしていた。

おまつりのあと家に連れてきた、ひよこや金魚も、いじめて遊ぶことはしなかったけれど、でもどれも、育てたかったのに死なれてしまって、悪気はなかったけれどやっぱり連れ帰って我流で育てようとしたことは悪かったと思う。
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植物に関しては、一時期、お花で色水をつくる遊びが好きで、ケイトウやら、きれいな色をした花を摘んで色水にしてしまったっけ…。

小さいころの生きものとの接触の記憶は、どれもおぼろげなんだけれど…。外で、梅か桜の木の下にある石に腰かけてすわっていて、手の甲に毛虫を這わせていた、というぼわやんとした記憶があります。母か、だれか大人がそれに気付いて慌てて振り払ったような気がします。

あとは、庭先にピクニックシートを敷いて、室内で一緒に暮らしていた白いマルチーズのロッキーを、そこに連れ出して、「お犬さま」と呼んで、おままごとの一員に加わってもらったり、雪の日に、ロッキーの足に自作の靴下(タオルを小さく切ったもので足を包み、輪ゴムで留めたもの)を履かせて、ふたりで散歩に出かけたりしました。ロッキーは完全室内暮らしの犬だったので、雪の日の散歩はいじめに近かったかもしれない…けれど、自分の意図としては「雪やこんこん」のうたで「犬はよろこび庭かけまわり」とあるので、雪の中を走らせてあげればロッキーがよろこぶだろうと思っていたのでした。

ゴキブリについては、母や姉が不在だったある日、キッチンの引き出しの奥に、全身真っ白のゴキブリがいるのと出会ったのを覚えています。中学生くらいになってから、黒いゴキブリを、母や兄が殺虫剤やスリッパで追いつめるのに参加したことを記憶しています。あれは集団リンチでした。でも遊びで虐待していたのとは、ちょっと事情が異なるかもしれないけれど…。兄がひどくゴキブリ嫌いで、わたしもゴキブリが怖い、と大人になってもずっと思っていました。ゴキブリを見かけたら、窓を少し開けて、早めに出て行ってください、と念を送るというふう。今は、ゴキブリとバッタリ会うとやっぱりドキッとするけれど、落ち着いて、ゴキブリが触角のお手入れをするしぐさなんかを見ていると、かわいいな、と思う。

Img_5073_2 意図的な虫殺しといえば…、もっとずっと大人になってからのことだけれど、ノミ。前の家に住んでたころ、老猫のにゃみちゃんの体にノミがついたことがあって、にゃみちゃんの体を櫛ですいて、出てきたノミを熱いお湯に漬けて殺しました。

でもこのときのことがあって、ほんとうに、こんなことをしないで済むようにしたいと願ったのでした。ちょうどその時期に、脈絡なく、友達が異種間コミュニケーションの本を貸してくれて、なのでさっそくノミたちを相手にコミュニケーションを試みました。ノミたちに問いかけたら、白板のような画面にひとこと「ペパーミント」と文字が書いてある映像が浮かびました。

そのあとネットでしらべたら、ペパーミントはノミの忌避剤になり、そのためワンちゃんはノミよけにペパーミントのスプレーなどを体にかけているとわかりました。(ただ、猫の場合は、精油を分解する能力がなく肝臓に負担がかかってしまうと聞いたことがあったので、この案は採用しなかったんですが)。ただこのときのことがあってから、異種間コミュニケーションの可能性に目が開き始めた気がします。

* * *

遊びで「動物に対する残忍な行為」を子どものころした経験が「ほとんどの人に同じようにあるにちがいない」というのは、どのていど本当なのかな……。でもどちらにしても、大人になってから、いちどゆっくり、振り返ってみるのは、よいかもと思いました。

20130202_163336 長々と書いてしまったけれど、どの生きものも、有機物も無機物も、自然の一員として尊重される世の中を願います。食べるためや生活道具をつくるためにいただくときも、当たり前のようになるのでなくて、毎回、感謝しながらいただくようにしたいです(これは特に自分への防備録)。

ふぃ~。今回の春節新月のお願いごとのいちばんめを、ここに書けました(^^)

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2012.09.02

涼しい日のつれづれ

まだまだ暑さが続いていて、体がしんどいですが、今日はほんとうに久しぶりに雨が降って、涼しくなって、ほっとしています。涼しい窓辺に寝ころんで本を読んで、そのまま眠ったりして、至福の日曜日でした。

真夏の暑さのときは、とにかくただ存在する、ただ行動する、というふうだったけれど、涼しくなると、ぐんと落ち着いて「考える」とか「振り返る」とかができるようになりますね。勢いよく拡散するような獅子座のエネルギーから、まとまっていくような乙女座のようなエネルギーへの移行って、こういう感じなのかな、と思ったりしています。

夏の日Img_2918_2差しを浴びてできあがった今年の梅干し。今、夜のお茶タイムに、ほうじ茶といっしょに口に入れると、ちょっと落ち着きます。この感じも、獅子座から乙女座?

* * *

少し前から、また、異種間コミュニケーションのワークを、もっと積極的にやっていきたい気持ちが頭をもたげていて(これ、周期的に来る)、でもまたい つものように、出る杭が打たれる感じで、「わたしには、できない」と書いたトンカチに、頭を打たれたようになっていました。

知人の知人の、「アニマル・コミュニケーター」のお仕事をされている方のブログを目にしてしまって、なおさら、自分には無理と思ったのでした。

というのも、その方のブログからわかるのは、動植物自然界とコミュニケートするのは、「その能力、そのお役目を授かった人がすること」という前提があること。子どもの頃からそういう子でした、というようなお話もあったりして、ふつうの子どもだった自分には、そんな能力やお役目があるはずもない、と思いました。

ただ、わたしが異種間コミュニケーションを学んだ先生は、口をすっぱくしてなんどもなんども、「コミュニケートする力は、万人にある」と言っていて、「そうなのだという確信を持つことで疑念に打ち勝つのを自分は手伝っているだけ」という人でした。

(でも、その先生にして、わたしは「固い殻(=疑念の殻)に閉じこまってるね、割るのが大変だわ」と言われてしまったんだけれど)。

先生のところの合宿で集中的に教わってから、あとは自分で練習を重ねていきなさいと言われて送りだされたのに、ぱったり練習できなくなって久しい…。

当たり前のように、「そうなのだ、これはそもそも、もともとの、昔ながらのコミュニケートの仕方なのだ」と思い出せればなぁ、と願う…。

* * *

数日前、自然農で田畑を始めたともだちが家に遊びに来てくれて、おしゃべりしていて、その人が「肥料を入れなくて、なんで育つんだろうって、やっぱりいまだに不思議なんですよね」と言ったとき、自分の中には「それは、意外だな」というリアクションが出てきました。

それでわかったんだけれど、自分の中で、自然農については、「肥料をあげなくても、植物は育つ」のは、もう「当たり前」のこととして納得がいってること。だから それを「不思議」とは思っていないこと。人間の裁量で肥料を入れないで、自然の大きな裁量にまかせるほうが、全体としていいと得心しているのでした。

それでいくと、動植物自然界とコミュニケートすることについては、「生きものとして、それができるのは当たり前」というふうに納得するまでにはまだ至っていないのだな…。だから、自分にそれができたときは「不思議」だと思ってしまうし、当然のように「できます」という人に出会うと「すごいなー」と思ってしまう…。

野口整体の創始者、野口晴哉さんが、10代の頃、手を当てて(愉気して)人の病をどんどん治してしまったとき、まわりは驚いて、それで口コミでどんどん病 人が押し寄せてきたらしかったけれど、息子さんのひろすけ先生は、「野口晴哉がすごかったのは、この能力が『自分だけにある』と思いこまなかったところですね」といつもおっしゃる。「手をかざして人をいやすことは、歴史を通じて、徳を得たえらい人だけにできること、とされてきていた。それを、万人に返そう としたんですね。誰でもできる、と。それがよかったんだと今も思っています」と。

わたしは愉気については、「誰でもできる」と、頭では疑っていないのに、いざ実践する段になると、不思議だな、とか、自分にもほんとにできてるのかな、とか思うときもあったりする…。だからまだ中途半端な確信具合…。

異種間コミュニケーションは、まだ頭のレベルでさえも疑念があって、だからできたとき(コミュニケートできたことを実証出来るようなやり方で練習した時に成果が あっても)も、「偶然だよね」などと考えてしまいます。「偶然」と片づけるには具体性がありすぎるような場合であっても、「なかったこと」にしがち。

異種間コミュニケーションは、誰にでもできることとして教えたり実践したりしている人の数が、自然農や愉気に比べて、まだ身の回りに少ないっていうことも、関係しているのかな?

ただ、意外にも、最近関心を惹かれている世界各地の先住民の文化から、疑念をほどくきっかけをいくつもいただいています。科学的な方法(実験を通 して実証していくやり方の練習)で成果が出ても、やっぱり割りきれないわたしの「殻」が、遠回りだけれど、先住民の人たちの世界観と触れることで、開き始めてるような……。

それよりなにより、先住民のみなさんの、円い世界観に触れるたびに、いいようのないうれしさに包まれます。

Img_3045 昨日も、ブラジルのインディオ、アユトン・クレナックさんとの旅の記録を書いた長倉洋海さんの本『鳥のように、川のように』を読んでいて、なんども、なんども、うれしかった。

この本の扉にあった、アユトンさんの言葉です↓

「私たちは子供たちにこう教えるのです。『地上にやってくる時には物音をたてずに鳥のように静かに降りたち、やがて何の跡も残さずに空に旅立っていくのだ』と。『人は何かを成すために存在する』という西側の哲学は銅像を作り、人の偉業を記録に残そうとしてきた。だけど、”人は何もしないために存在してもいいじゃないか”と思うのです。生命を受け、生きていること自体が素晴らしいことなのですから」

本の中に載っていた、アマゾンの熱帯雨林の中にぽつんと見えるドーナツ型のヤノマミ族の家の写真も、心に残りました。20家族、100人あまりが暮らすこの家の中には、壁はなく、真ん中の大きな広場は「人間の根っこ」と呼ばれていて、村人たちのへその緒が埋めてあるそうです。自分たちがどこから来たのか、忘れないため、とのこと…。

西側諸国の、壁に囲まれた四角い家とは、あらゆる意味で対照的…。

* * *

自然農を始めたともだちとおしゃべりしてる中で、もうひとつ、畑や田んぼをみんなでワイワイやるのことへの苦手意識についても、ヒントがありました。

わたしが農的なことに関わりたいいちばんの理由は、なくしたつながりをとりもどしたいからなんだ、ということ……虫や植物や動物や風や雨やそういうみんながめぐっている場に身をおいて、そこの一員にさせてもらいたい気持ちがあるからだということが、改めてわかりました。

自然のめぐりの場では、じっと静かにしていて初めてみんながそばに来て姿を見せてくれます。こちらが心身ともに、わさわさにぎやかにしていると、出会えない…。出会えなければ、仲間に入れてもらうことも叶いません。(人間社会だと、にぎにぎと華やかにしているほうが、みんな興味を持ってそばに来てくれる印象があるので、対照的ですね…。)

人間同士で楽しくワイワイというのも、好きだし、すてきなことだと思うけれど、農的なことに関わる場面では、そっちに引っ張られちゃうと、自分の今の望みからは離されてしまうんだな、ということがクリアーになりました。

社交的になれない自分にうしろめたさを感じていたけれど、そう感じなくてもいいんだな、と思った…。

* * *

Perloyster 異種間コミュニケーションについては、「ほんとにわたしにできるの?」と、なかば叫ぶように問いかけて、ひさしぶりに動物たちのオラクルカードを引いたら、真珠貝のカードが逆位置で出ました。

このカードの逆位置の場合のメッセージは「出し惜しみしないで。真珠の美しさは、殻が開いてこそ。さあ殻を開いて」というもの。

できるよ、とか、できないよ、という答え方でなくて、「それはすでにあなたの中にあるよ、殻を開いて」という答え方をされたことが、うれしかった。

こういう答えなら、「それはすでにみんなの中にあるよ」と言われているのとも同じ…。

切り離されているところから、輪の中に戻ること。そうしたら、大いなる安心も戻ってくるんだということが、頭では、すでによくわかっています。あとは心でわかることだなぁ…。

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