2018.09.26

いつか歩いてみたい道

スウェーデンのクングスレーデン(王様の散歩道、という名前のロングトレール)をついこないだ歩いてきたという、UPI Outdoor鎌倉店店長さん、横倉さんの報告会に先日行ってみた。ロングトレールは、自分にはきっと難しいだろうけど夢の次元ではいつか歩いてみた42518661_10215223708400088_66168947 いもんだーと思ってたので。

ところが!このトレールは、「自分にもきっとそれほど難しくないトレール」であることが判明してしまい。。。それどころか、野生のブルーベリーもリンゴンベリーも生えているし、おいしい湧き水がそこここで出ているし、人よりヘラジカの方が多かったりするし、山小屋にはサウナもあるし、セルフで使えるキッチンもあるし……とても幸せになれそうなトレールだということがわかってしまいました。

一番興味深かったお話は、このトレールができた経緯で、ジョンミューアトレールや日本のトレールなど、他の場所のトレールだと、トレールはもともと交易の道だったりとか、散策路とは別の目的でできあがった道だったりするのだけど、クングスレーデンの場合は、1800年代後半にスウェーデンの山岳地帯に人が入っていきやすくすることを目指したSwedish Tourism Associationという団体が、このトレールを構想したんだそう。限られた資金で山小屋を建てたり、湖を渡るためのボートを導入したり、とコツコツと進めていったらしい(1900年代初頭は、まだ道らしい道も整ってなかったそう)。

いずれにしても、もともと自然に親しむことを目的にできたトレール、というところが、他のトレールとは異なるらしく、そういう目的だったからこそ、ハードな道ではなく、老若男女が歩きやすい道になっているということのようでした。

(誰もが歩けるように、という道だから、もしかすると「王様の散歩道」じゃなくて、「散歩道の王様」っていうふうに訳す方がしっくりくるのかな、という気もします)。

スウェーデンでは自然を享受することは万人の権利とされていて、基本、どこででもテント泊できるし、ベリーも食べていいし、キノコもとっていいのだけど、それは昔から自然の森と関わり続けてきて、代々関わり方をわきまえてきた、そういう土壌があるからこそ成り立っているんだなーとしみじみ思った。そういう文化が受け継がれて今に至っているところ、うらやましい。。

これはフィンランドもそうで、スナフキンが「○○するべからず」みたいな看板とかが大嫌いなのも、自然をめちゃくちゃにしないための心得がそもそもあるから、そんな規制をくどくど言われることの意味がわからんってことなんだと思う。

それくらい当たり前のように、森とつきあうたしなみを身に付けてみたかった。。日本も国土に森林が占める割合からいくと、フィンランド、スウェーデンに次いで世界第3位だけど、森との付き合い方、森の愉しみ方、というところではだいぶ開きがあるように感じてしまいます。でも、そうでもないのかなどうなのかな。

写真は、スライドで見せていただいた、トレール上にぽつんとあるサウナ小屋。UPI Outdoor鎌倉店店長さん撮影。

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2018.06.10

猫の(ち)ちゃん、旅立ちの日に

いろいろなことがあって、書きたいことがたくさんあるのだけれど、書くゆとりがない日々が続いていました。なぜかすごく、忙しかったり、地に足が付かない感じが続いてたり。。。

でも今日は、書かずにおれなかった、今日のこと。

Chobi 実家の猫の(ち)ちゃんが、今朝明け方、旅立ちました。

23歳でした。

でも、よほど23歳には見えないほどツヤツヤな毛並みときれいな表情の彼女だったので、わたしはてっきりまだ16歳くらいだと思い込んでいた。避妊手術でお世話になった動物病院のカルテに、避妊手術を受けたのが95年とあって、今回改めて彼女が23歳になってたと悟りました。

でもほんとうに若々しい姿だったので。。つい昨日まで元気に一緒に遊んだりしていたという(ち)ちゃんが、急に失禁して後ろ両足がだらんと麻痺した状態になっている、と兄から電話をもらったときも、もしかしてもしかするかも、とは思ったものの、まだまだ若いしなんとかなりそうに思えたのでした。

それで、兄にはとりあえず、お世話になっている動物病院の夜間急患対応のところに電話をしてみては、と提案しました。私の心づもりとしては、電話で容態を説明して、家での対処方法を教わって、それを家で実践したらどうか、と思ったのでした。

兄にそう伝えてから、わたしは久しぶりの遠隔愉気を試みました。以前友人のわんちゃんがしんどかったときにやった以来やってなくて、できる自信があんまりなかったけど、わたしが実家にいたころ、紙袋に入って我が家にやってきた(ち)ちゃんは、私が実家を出てからは一緒に暮らしてないけどでもやっぱり大切な家族なので、やれることはやりたい、と思った。

それでやってみると、なんかあついな、と思いました。友人のわんちゃんは遠隔愉気をしたときに眠った、と感じたのだけど、(ち)ちゃんは眠ることはなく。それでどんなことを今(ち)ちゃんが望んでるかなーと、聞いてみると、暗いところに居させてほしい、、お水だけ置いておいてほしい、という感じでした。

この後兄に電話をして、どうなったか聞いてみると、いつもの動物病院は夜間の急患対応をしてなかったので、別の病院に連絡をしたら、後ろ脚の麻痺は血栓の可能性が高いから、血栓なら早めの対応が肝心、ということで、今その病院に向かっているところ、と。それでちょっとびっくりして、(ち)ちゃんの暗い所でじっとさせておいてほしいというのとは正反対になってしまったな、と思いつつ、でも血栓なんだったら早い対応で助かるのならよかった!とも思ったのでした。

(ち)ちゃんはその夜、病院で検査を受けて、血栓が見つかり、それと肺にたくさんの腫瘍があることもわかりました。血栓に対処するための注射を打っていただき、脱水症状もあったので点滴もしていただいて、家に帰ってきたとのことでした。先生からは、翌朝かかりつけの動物病院へ行って、今後の方針を検討するといい、とのこと。

その晩は(ち)ちゃんの容態はかなりきびしかったらしく、兄ファミリー一家(とくに姪っ子)は一晩寝ずに看病をして、(ち)ちゃんの体温を上げるよう温めて、翌朝一番にかかりつけの動物病院へ行ったのでした。そこで点滴の注射とステロイド注射を打っていただいて、翌日また行くことになったのでした。

わたしはその朝、家を出て実家へ向かい、動物病院から帰ってきた(ち)ちゃんに会いました。ステロイド注射を打ってもらっていたせいか、前の晩よりもかなりしっかりとはしていて、でも何も食べられず、水だけはたくさん飲みました。そして呼吸が浅く、速かった。

後ろ脚の麻痺の原因になっている血栓は、全部をふさいでいたわけでなく、血流はわずかに通っている、という朗報を受けて、脚のマッサージと脚の付け根をあたためるとよいという先生のアドバイスどおり、みんなでかわるがわるマッサージして、カイロをタオルで包んだものを両脚の間に挟みました。

ただ、わたしも最初に脚を手で包んでマッサージしたときには、(ち)ちゃんは顔をふりむけて、わたしの手の甲におでこをこつんとつけてしばらくじっとしていたので、気持ちいいのかな?と思えたのだけど、次第に、マッサージから逃げるようなそぶりを見せるときもときどき出てきました。

そして前足でずり這いをして、部屋の隅の暗がりのほうへ、少しずつ、行きたがりました。

部屋の隅の暗がりへ行きたがるのは、前に他界した猫のにゃみちゃん(24歳)の最期の日にもあったことです。にゃみちゃんのときは、そのまま本人が行きたいところに行ってもらって見守りました。部屋の中を転々と、移ってはしばらく横たわるを繰り返し、最後は自分からいつものベッドへ、力を振り絞って上がってきて横になって、旅立つまでそこで過ごしました。

(ち)ちゃんは、脚をあたためていたカイロを置き去りにして、どんどん暗がりのほうへ移っていき、ついには裏口のたたき(コンクリの)の上に横になったので、さすがにそんなところに横になっていたら、ただでさえ異常に低くなっている体温が下がってしまう、と、みんなで心配して引き上げたり、たたきにカゴをおいてその中にはいってもらったりしました。

「体温が下がっているので、あたためること」というのが動物病院からのアドバイスでもあったのでした。

血栓で両足麻痺になった猫さんが回復して半年生きた、というブログ記事を見つけたこともあって、回復に向かっての対応を、わたしも一生懸命していました。

カイロでは重たいから脚を圧迫してつらいのかも、と考えて、ペットボトルにお湯をいれてタオルでくるんだものを、背中やおなかのそばに置くように切り替えたけれど、(ち)ちゃんはそれでもやっぱり、それらを置き去りにする形で場所を移動したがるのでした。上にかけていた軽いウールのストールも、置き去りに。

温まりたくない、と、彼女は行動で示していました。

それなのに、そのたびに、またペットボトルゆたんぽをあてがってストールでくるみ、そうやって丸一日すごし、そのまま一晩すごし、今朝の明け方、ふっと彼女の呼吸が変わったのに気づいて。それまでもとても呼吸が早くて、しんどそうに胸を上下させていたのだけど、とつぜんその胸の上下動がなくなって、口を大きくひらいてカッと息を吸ったかとおもうとじっとして、しばらくのあいだ口を開けたままゆーっくり吐いて、またカッと吸っては、じーっと長い時間をかけて吐く、というふうになりました。

一度吸ってから、次に吸うまで、とても長い間があって、もうこれで息がとまってしまったのかも、となんども思うほどでした。

みんなで見守って、今は目は見えてなくても(もうまる1日半、目は大きく見開いたままで閉じられることがなく、目の前で手をかざしても反応がなく、ものが見えていないようでした)耳は聞こえているはずだから、と声をかけたり、手を握ったりしました。

もうこれで最期だとみんなわかって、ありがとうね、と声をかけて。そして(ち)ちゃんは旅立ちました。

* * *

お別れの後で、かかりつけの動物病院でステロイドの注射をしてもらっていたことをはじめて聞いて、ちょっと気になって後でステロイド注射についてネットで調べていたら、こんな記事に出くわしました。

高齢猫の安らかな最期のための留意点と動物の来世

この記事で紹介されている本の中に、「猫はからだが弱って体温が下がってくると、風呂場のタイルなど冷たい場所にからだを横たえようとします。そんな時、飼い主としては『からだが冷たくて寒いだろう』と気遣って、温めてやりたくなります。しかし、温めると猫は喜ぶどころか非常に嫌がります。冷たいところで寝ているほうが気持ちがいいようです。からだが弱っている猫は、自分の体温を下げることによって、エネルギーの消費を最小限に抑えようとしているのかもしれません」とあって、(ち)ちゃんの姿とだぶりました。

確かに、(ち)ちゃんは温められるのを嫌がっているようだった。。。

ひんやりした場所にいることで、そのままゆっくりと衰弱して安らかな死を迎える、それが高齢猫本人がたどりたい道であるらしいこと。心のどこかでは知っていたこのことを、はっきりと伝えてもらって、また涙が出てきました。。

(ち)ちゃんの最期をつらいものにしてしまった、と。。 でも回復してくれるに違いないと、こんなにツヤツヤの毛並みで、血液検査の成績もいいのに、と、どうしてもあきらめきれなかったのも事実で。。逆向きの、回復へ向けての応援をしてしまった自分たちをいま責めても、(ち)ちゃんは喜ばないだろうことも、わかります。

もうひとつ、この記事で紹介されていた本にあった「動物は坂道ではなく階段を下りるように衰弱する」という記載も、とても腑に落ちるところがありました。つい昨日まであんなに元気だったのに、なぜ急に、というのが、にゃみちゃんのときも、その前の(し)ちゃんのときも、今回の(ち)ちゃんのときも、あった。それぞれ24歳、18歳、23歳の高齢猫だったわけですが、高齢猫の場合は、最期をなるべく楽に自然にしてあげることを考えてあげるやさしさが必要なんだな、と改めて思いました。

本人の希望があんなにもはっきりとしているときは、そのとおり、ひんやりした場所にいさせてあげたらよいんだな、ということ。。。

(ち)ちゃんの場合は、最初に遠隔愉気をしたときから、暗いところに居させて、というメッセージをキャッチしていたのに。。。自分の家族のこととなると、どうしても自分の望みが強く出てしまって。。。

ごめんね、(ち)ちゃん。次に会うときには、もっと一生き物として成長して、あなたと会うって、約束します。猫族のみんなにも、約束する。

だから、許してね。そしてきっとまた会おうね。大好きだからね。。今まで、ありがとうね。うちのみんなに、よくしてくれて、ほんとに、ほんとに、ありがとう。こんなにやさしくて、天然でおもしろくて、耳と目が大きくて口元はキュッとしている美人さんは、なかなかいないと、23歳なのにこんなにツヤツヤ毛並みな猫は、なかなかいないと、心底そう思うー。会えて、うれしいよ。

と書きつつ号泣してたら、久しぶりに野ねこのまごちゃんが、戸をノックしてくれた。。。まごちゃんの察知能力、ハンパない。。そして今夜ばかりは、まごちゃんと一緒に(ち)ちゃんがここに来てくれてるように感じます。ありがとう。まだ明日がお葬式なので、いましばらくは近くにいてくれてるんだろうなって、思う。。

と書いてから久々にSNSを開いたら、一番上に出てきた思い出し機能によるポストが、(ち)ちゃんの写真。母が他界した夜に実家に泊まったとき、眠れないでいたら、(ち)ちゃんが添い寝しに来てくれたときのことでした。。。。。びっくりしたし、(ち)ちゃんが、まだそばにいてくれてるサインだなあ、とまた涙出てくる。

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2018.02.07

手仕事がくれること&ミルクスツールプロジェクト(2)

Img_3145Img_3146_2 友達の(エ)さんがつくってくれたこの白いお皿がほんとーうにお気に入りになっていて、使わない日がない、というふうです。

泡みたいなもようがぽよよんと入っていて、ぽってりした輪郭がかわいくて、だけど全体に厚ぼったくなくて、持ったときのバランスもよくて、とても使い心地がいいのです。(うちにやってきてもらって、2か月使ってみての、実感です)。

彼女のとこでランチをごちそうになったときに使われていたお皿に一目惚れして、その場でわたしにもつくって、とお願いしました。そのときは事情あって作陶がすぐにできる状況じゃなかったので、いつになるかわからないけどいい?と言われ、ぜんぜんオーケーと気長に待っていて。届いたのは9か月後くらいだったかな?

このスローなデリバリーテンポもまたいいもんです。お皿のサイズは、わがやの手づくり食器棚にぴったり入るサイズにお願いできて、それもまたとてもうれしいことでした。

こういう、使い心地よくて目にもうれしい、毎日使うのが楽しい身の回りの手づくりの道具って、ぐっときます。

自分もそういうものをつくれるようになりたいな。。と切に思う。。!

(前は、多少ZP=残念ポイント=欠陥や癖があっても、それを踏まえてケアしながら使うっていうのもありだよなーと思ってたのだけど。やっぱりストレスフリーに使えるっていいし、いいデザインってそういうものなんだなーと思うようになりました)

しかし家のことと生活費稼ぎの仕事とで手一杯で、木削りの勉強と実践の時間がなかなか。。。なんとかほそぼそとでも続けていきたいー。

木と親しんで、木との豊かなつながりを取り戻して、自然の大きな輪のなかの一員として、木だけじゃない多様な種や存在のみなさんと一緒に、思いやりとわかちあいの気持ちをもって、生きていくです。

明日は偶然ツォルキン暦の新年にあたる日だったので、改めて意図を宙に放ってみました :)

* * *

Img_3008_2 最近の自分の手仕事は、このサクラの板と檜の枝のミニミルクツール。11月初旬にパーツをつくって、座面の乾燥具合を見て、12月に穴あけ&組み上げをしたものです。

Img_2748_2

パーツは、座面はグリーンウッドワークのお仲間の(は)さんにサクラの丸太を4.5センチ厚にチェンソーで挽いていただいたものを、(は)さんちのお庭で削り馬&ドローナイフでなめら かに成形したもので、脚は檜の枝をドローナイフ(銑)で成形したもの。ほんとは南京鉋で仕上げるとさらにつるすべになりそうだけど、持ってないのでドローナイフだけで仕上げました。

Harasanchi

南京鉋もいつか欲しいな、と思いつつ、マイクさんから譲ってもらったドローナイフの使い心地が今も好きすぎるのと、ドローナイフだけで仕上げた最初のダイニングチェアの手触りもお気に入りなので。。。南京鉋やサンドペーパーはまだ探求するに至ってないのでした。サンドペーパーは必要性がいまひとつわからない、というのもある。。

Img_2799_3 座面の端のほうに虫食い穴があったので、そこを落としていったら、ミニサイズになってしまったのでした。。

今は使い心地を自分でモニター中。脚の檜がスポルテッド材だったので、強度への影響が未知数なのです。けども今のところ愉快に使えています。

板材の扱いは初めてで、おもしろかった。。またチャレンジしてみたいです、小さいものから。

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2018.01.31

ひまわりの種

Img_3318_2 「猫の額庭」にくるシジュウカラのみんなが、「ひまわりの種がもうないねえ」と話している気がして、今日は近所にある、古い店構えの小動物用品店へ自転車を走らせました。

いつも店先の一番目立つところに積んである、なんのラベルもないただの透明のビニール袋にどさっと入ったひまわりの種を1袋もってレジへ。

おじさんは「だれにあげるの?りす?」と言うので、「いえ、シジュウカラです」と言ったら、すぐさま思い出したように「そうだね、シジュウカラだったね!」と笑顔に。野鳥にあげる、と聞くといつもおじさんは特にうれしそうな顔をする。。

おじさんとこのひまわりの種は1袋300円なのにどっさり入りすぎていて、一度買うと、次に買うまでしばらく間があくから、そのあいだにおじさんの記憶はちょっとあやしくなるようだったけど、すぐ思い出してもくれるのでした。

「お代は3万円です」などと冗談をおっしゃって、わたしの300円を受け取られた。

こないだホームセンターで見た、市販のきれいなパッケージに入った小鳥用ひまわりの種は、280円くらいでおじさんとこの半分も入ってなかったのを思い出しつつ、お支払い。。。

「また買いに来てね」と言われて、「はい、それまでおじさんもお元気に」と言ったら、「いやあ、もういつまでもつか、わからないよ」と笑いながらおっしゃった。

おつりをくれたときのおじさんの手指が腫れぼったかったこと、ちょっと気になった。。。

前に、わたしの自転車を見て、若いころは僕も自転車が好きでねえ、こんなのやあんなのに乗ったんだよ、と話してくださったことがあったっけ。

控え目なのにおちゃめなおじさんは、こじんまりとしていて空気の通りも悪い、このお店の奥で、カウンター向こうのせまいすきまに座って、ラジオを聞いている、たいてい。

おじさん、好きなスポーツ自転車に乗ってぱーっと風の中を走ったりできたらよいのになあ。。

と思って、すぐ、異種間コミュニケーターのアンナ・ブレイテンバックさんから前に教わったこと、思い出しました。

動物園の動物に対して、不憫に感じたりした場合に、こうするといいですよ、と教えてくれたことなんだけれど。

不憫の気は、ほんとうに不憫な境遇にいる動物にとって、さらに負担になっちゃうから、快くてほっとするような気で自分を満たしてから、それを相手の頭上めがけてアンダースローで放り投げるようにしてみましょう、と、うろ覚えだけど、そんな感じのことでした。

これを応用してみると、私自身が、その風の中を自転車で走ってるときみたいな爽快感、愉快感、快適さを思い出して、その感じを自分の心身全体にめいっぱい満たしておいてから、それをほいっと、おじさんの頭上めがけてアンダースローで放り投げてみたらよいのかな。

受け取られるかどうかはわからないけども。。

* * *

で、気ってやっぱり、そういうふうに作用するんだろう、となんとなく確信する。

Img_3582 こないだ行った坂口恭平さんの個展で、やっぱり、500枚の原画の束を1枚ずつ繰ってみていくうちに、だんだんごはんをもらってる感覚がやってきました。

来場者が増えてきたので、相方が見ている束のほうへ移動して、相方が繰っていくのを隣で見はじめたんだけど、次々と自分の前に絵が差し出されてくる、それが、次々と料理の乗ったお皿が目の前に置かれるのとちょうど同じような感じになっていって。

しまいには、わんこそば状態で、ちょっとくらくらした。

今回は坂口さんにお目にかからずに帰ってこよう、と思って、ほんとに絵だけ見に行こうと思ってたのだけど、絵の枚数がありすぎて、見終わらないうちに坂口さんがギャラリーにやってきてしまって。ご本人がいらっしゃるとまた、うたもうたってくださるし、もうたいへんです。

んで、あんまり長居せずに、帰ってきたのだけども。家に帰っておゆうはんを食べた後、久しぶりにぐったりしてソファでがっつり宵寝しました。強制終了かかった感じで。

たくさん宵寝したのに、夜もしっかり眠って。そしたら翌日から、なんか、関心と興味のアンテナがまたちょっと働き始めた感じになって、しんとしてるようで心の奥のほうではなにか動き出してるような感覚が来ていて。

あのぐったりは、好転反応みたいなものだったんだろか、と思うにいたりました。

やっぱり気の交感っていうのは、あなどれないんじゃないだろか、と思う。。

坂口さんの絵、ひまわりの種と同じくらい、1粒万倍、なところがありそうな。。?

もすこし、ここらへんのことを大切にしながら暮らさないとだなあ、忘れっぽいじぶん。



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2017.08.04

バイクと、生木の木工と

Img_1797 今朝はながながとした、なかなか大変な目に会う夢を見たけれど、思い返すと身体感覚として残っているのは、原付バイクらしきものに乗っていたこと。。

1月に人生初の乗り物免許を取ったのが、原付免許。。。一生懸命勉強して取ったのに、合格したその日の教習で数時間乗っただけで、まだぜんぜん乗れていません。もとより、バイクとのご縁がまだなのだった。

公共交通機関では行きにくい、山奥や森のほうへ、行きたいと思ってのことだったけど、街中を原付で走ると思うとなんだか怖い。。。でも街を通過しないとその向こうへは行かれないんだよね。。。(汗)

ホンダのカブに乗りたいという希望があります(背が低いので、リトルカブ)。郵便屋さんドリーミング。フランスの郵便屋さんが乗っているというプジョーのモペッドもいいなーと思ったときもあった。

郵便屋さんの、あの一軒一軒回ってポストに手紙を届けて回る作業は、翻訳仕事の作業とよく似ていると、かねがね思ってきました。

一語一語を、ポストに入れて届けていかないと、なところ。1つも余さずに届けないと仕事が終わらないところ。

すっとばしが不可な、地道さがあるところ。。すっとばし不可な仕事はほかにもたくさんあると思うけど、郵便配達と翻訳はそれ以外にも、言葉を片一方からもう一方へ届ける、という共通項があるから、たぶんすごく近しい気分になるんだと思う。

訳したいなー、と思う本が、いくつかあります。仕事の翻訳に追われて、訳したい本を訳すなんて絵空事なんだけれど。

Img_1239 最近そう思ったのは、Barn the Spoonさんの「SPON」。この初夏に出たばかりの、彼の初の著書です。生木からのスプーンづくりについて、「新しい木の文化」について、森と木々のあいだで野泊まりしてきた人の視点から、語っていらっしゃいます。

どうも、木を使うモノづくりをされる方の中でも、Barnさんや、Mike Abbottさんのように、森の中で、木々のあいだで、寝泊まりしつつ、生木でつくる、ということをしてきた人たちに、とてつもなく惹かれます。

(Barnさんは、ちなみに、Mikeさんの森の工房でアシスタントをしていたこともある方で、わたしもMikeさんを通じて彼の存在を知りました。Mikeさんはいったん“引退”して森の工房をたたまれたあと、今はご自宅のお庭を工房にして活動されてます)。

日本の奥山でかつて暮らしを営んでいた、木地師の方々にも惹かれる。京都・美山の森を歩いたときに、かつての木地師の集落跡に出くわしたときは、感慨深かったです。

先日、目黒区美術館でやっていた「ヨーロッパの木の玩具―ドイツ、スイス、北欧を中心に」展へ行ったときも、はっきり体感したことがありました。

Photo 木を使うものづくりの端っこをかじっている身としては、この展覧会に興味を持ったのはなんの不思議もないことです。けども。展覧会場で、とてもよくできたさまざまなつくりの木の知育玩具を見ていたときと、「手仕事を愉しむ、伝統的な玩具」のセクションの、とりわけ「ライフェンドレーエン」という生木から手作りする手法のおもちゃを見ていたときと、自分の心身の反応が自分でもあきれるくらい違っていました。

つくづく自分は、生木の手づくりのものが好きなんだなー、木製ならなんでも好きなんじゃないんだなーと実感させられました。

ライフェンドレーエンは生のトウヒを輪切りにしたのを、木工ろくろでけずっていって、金太郎飴のバウムクーヘン版のようなものをつくっていって、そこから動物などのミニチュア細工をつくる手法です。以下の動画をみると、ひととおり工程がわかります。

美術館のショップで、クリスチアン・ヴェルナーさん作のライフェンドレーエンの動物たちが少し販売されていたので、大好きなカワウソとシロクマの2頭を連れ帰りました。Img_1765

クリスチアンさん(上の動画の中の人も、クリスチアンさんだと思う。。)はお父さんから技術を受け継いで、ライフェンドレーエン技法を習得された方。東ドイツ時代には木工業者組合を通じて販売ができていたけれど、東西ドイツ統一後は、車で寝泊まりしながらドイツ各地で自ら販路を開拓した、と紹介されていました。

森で寝泊まりしながら、自作の木のスプーンを売って歩いたBarn the Spoonさんと、少し姿がダブりました(Barnさんは徒歩で旅していたけれど)。

クリスチアンさんの工房があるエルツ山地には、家族中心の手仕事の伝統があって、今も100以上の小さな工房で木工玩具作りが続けられているとのこと。エルツ山地はかつて錫鉱山で栄えた場所で、木製玩具づくりは鉱夫の副業だったそうです。最初は自分の子どもたちのために作っていたんだそう。

ゲルマン民族研究家の岡部由紀子さんは、展覧会のカタログに寄せた「エルツ山地の八百年と木工玩具」という文で、「鉱山での仕事は若い時にしかできないきつい労働だったことと、けがをして鉱山で働けなくなった人が多かったことが、この地で木工芸が発達した理由のひとつでもある」と書いておられました。

東ドイツ時代は「11人以上の従事者がいた工房は強制的に国有化され、合併して大きな工場に再編され、流れ作業で玩具の大量生産に携わった」ともありました。でもクリスチアンさんのお父さんは、少人数の工房を構えていたので、東ドイツ時代も合併されず、独立した工房として仕事を続けてこられたそうです。そして3人の息子さんが、技を受け継いで、それぞれにいい仕事をされています。

たいへんなご苦労があったんだろうと思うし、今もあるのかもしれないと思うけれど、スモールスケールな生木の木工の手仕事が生き残っているのは、なんか、灯火みたいに感じられてしまいます。

+ + +

こんなふうに書いたけれど、目黒区美術館の「木の玩具」展の、手仕事じゃないほうの展示セクションも、興味深かったです。特に現在の積み木など、当たり前のようにあるおもちゃの起源だったという「フレーベルの恩物」の展示や、大正時代に使われていた「モンテッソーリの感覚教具」の展示は見ごたえありました!展覧会は9月初めまでやっています :)

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2017.01.14

場が気持ちよくなることの、気持ちよさ

20161230_084259 おくればせながら、あけましておめでとうございます。今年は障子窓越しに寝床に差し込む朝日が、とってもあたたかなお正月でした。

この時期のあたたかな陽ざしと澄んだ青空がほんとうに好きだなあ、と思うことが増えた近年ですが、昨日はふと、もしかしてこの季節がいちばんすきかも?と思いました。冬はいつも鬱が来て大変だった頃から考えると、信じられないくらいです。

20161230_084420 年末年始は、山あいの父の家で過ごしました。毎朝目ざめると、窓から外へ出て、庭の水道で顔を洗って朝日に当たりました。気持ち良かった。。。ものすごくひさしぶりに霜柱を見ました。

Kakizome元旦は、書き初めをしよう、と姪っ子が書道セットを広げてくれたので、今年の抱負を一生懸命考えたけど、野宿の安全を祈願することが第一に思い浮かんでしまいました。。わたしも、どうぶつや虫のみなさんも、快く野で眠れる平和な世界を願いまする。

20170102_091525_2父の家はWi-fiが届きにくい立地なので、おかげでほぼオフラインで過ごしていました。例年は年末に父の家につくと、おせち作りに専念する日々になるのだけど、今年はおせちの量が半量でよかったので、わたしは家じゅう目についたところのほこり取りを楽しくやって、相方のほうは「窓を見るとつい拭きたくなる」くらい窓ふきがブームになっていたので、父の家の窓をみんな拭いてくれました。

父の家に行く前にも、自宅の大掃除を例年よりも楽しくやれた去年でした。というのも、来年の日記帳を買おうと入った書店で、ふと目に付いたお掃除の本がおもしろくて、本は古本を買うか図書館で借りるかがデフォルトな私が、珍しくその場でその本を買ったのです。で、この本に書いてあるテクニックを使ってみると、おもしろいようにきれいになったり、楽に汚れが落とせたりして、ふたりともすっかり楽しくなってしまったのでした。

中国残留孤児2世として、17歳まで中国で暮らした新津春子さんのご本『そうじは「ついで」にやりなさい!』です。中国にいたころは、「日本人は日本へ帰れ」と言われ、日本に来てからは「中国へ帰れ」と言われ、そんななかで家計を助けるために、日本語ができなくてもできる仕事として清掃を選んだという春子さんの視点は、ご苦労された生い立ちのせいなのか、とてもニュートラルなのでした。清掃のプロである彼女には「汚れを完璧にきれいにできた」とか、「自分がここをきれいに保ってあげているんだ」とかというような自分を軸にした視点がないようで、その場がきれいになることそのものが喜びで、きれいになるとみんな気持ちよくそこにいられるでしょう、とおっしゃるのでした。

彼女のドキュメンタリー番組があって、それがきっかけで生まれた本だったようで、元の番組もYouTubeで見てみました。彼女の笑顔、きれいでした。清掃は世間では見下されている職種だということも承知しつつ、でも自分の仕事にプロとしての誇りをもって、利用者への思いやりを全開に、日々努力と学びを続けながら臨んでいる彼女の姿は、本当にかっこよかった。

そんな彼女のおかげさまで、お掃除がわがやでプチブームになった年末でした。あのときは春子さんに影響されて、お掃除するときの気の持ちようが変わっていました(今はまた元にもどっちゃったけど。。(^_^;)。苦労感よりも、お掃除することでその場が気持ちよくなること、そのものが喜びになっていたっけ。。。

この「気持ちのよさ」のほうにチューニングするって、大きそうだな、と思う。お掃除してその場が気持ちよくなるっていうことや。アレクサンダーテクニークを生きて、自分自身が心地よいあり方で日常を暮らすってことや。わたしはとかく「正しくあろう」としてしまいがちなんだけど、「気持ちのよさ」を主眼に置くほうがきっとこじれないし、ややこしくならないし、そうすると結果的に「正しくあれる」ことになるんだろうという気がする。

20170106_163516 年始に来日してくれたアレクサンダーの先生、デビさんが、「最近実験を始めたプロセス」をシェアしてくれて、それがすごくおもしろくて、インスパイアリングでした。おかげさまでアレクサンダーテクニークでいうinhibition(抑制)の意味あい、undoing processの意味合いが、自分の中でまた更新されつつある最近で、それは気持ちのよいことだし、おもしろいことなのでした。

気づくということの、パワーを思う。大切なのは、気づけるかどうか、なんだな、と思う。問題だと思うことを変えられるかどうか、解決できるかどうかではなく。単純に、物ごとに気を向けるのと同時にそのとき自分自身がどこにいるのかにも気を向けていること。。。ものごとと自分の両方に気づいていること。。。

気づいたことがらへの良し悪しの判断や定義を保留して、まずは「ふむ、おもしろいね」と言ってみて。。。そして自分にはほんとうに選択肢があると思い出すこと。。。「イエス」にも「ノー」にも「その他」にも、どの選択肢にも平等の重みがある、あの境地へ。

「イエスに決まってる」というくらいそちらへのエネルギーがぱつぱつなときには、とくに、敢えて「ノー」を思い切り自分に許してみて、ぱつぱつのエネルギーをゆるませて、他へ動ける余地をあげてみること。。。そしてそのあいだもいつも、時空間からのサポートを受け取っていること。。。

誠実に、こうしていると、問題だったことは自ずと、間接的に、解決されるんだ、という信頼が育まれつつあります。

言葉で書くと抽象的に聞こえてしまいがちだけど、こうしたプロセスをすごく具体的に、観念だけではないわたしのまるごとで体験しているところ←今ここ。

20170106_102225 今年は、チャレンジングなことも多そうな予感があるけれど、どんなときも、今居るところに、まわりとの関わりのただなかに居て、くつろぎ冴えて居たいなと願う。。。そういう瞬間が多ければ多いほどいいなぁ。

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2016.04.09

スツールづくり実験プロジェクト(3)

20160408_172431 桜がきれいです。あちこちで咲いていて。いい季節だなあ。新しい黄緑色の芽や葉っぱを出している植物もたくさんあって、うれしくなる。

ただ自分のコンディションはあまりぱっとしなくて、あんまりやる気が出なかったり、疲れやすかったりしています。

そして日々が飛ぶように過ぎていく。。。

20160409_163334 今日はやっと、スツールづくり実験プロジェクトの最後の段階の座編みをしました。麻テープ(麻30%レーヨン70%の織り布テープ)を見つけて買っておいたので、それで編みました。幅25mm、厚さ2mmのテープ。編みのパターンはヘリンボーンにするか、格子にするか、迷いましたが、シンプルに格子編みにしてみた。

座面の中に削りくずのクッション材を入れるかどうかも迷いましたが、今回はなしでやってみることにしました。これまで座編みは2度しかやってなくて、1度目はデーニッシュコード(ペーパーコード)で、クッション材なしで編みました。2度目はアクリルテープで、クッション材入りで編みました。どちらの仕上がりも好きなので、今回は実験として、アクリルテープに似た麻テープで、クッション材なしでやってみた。

20160409_140959 20160409_150002 クッション材がない分、編むときにぴんとテンションをかけたほうがよいかと考えて、最初は削り馬にスツールを固定して力をかけてひっぱりながら編みました。半分くらい編んだ後、固定したのをはずして裏返したり表に返したりしつつ編んでいきました。

20160409_153429森林アカデミーで教わったように、薄くて細い板を縫い針みたいに使いました。最後のほうはきつきつになって、工夫がいろいろいりました。最後のきつい部分のために、次回は、はさみの先っちょのような、ひらべったくて、先へいくほど細くなって、先端は丸みがあるような形状の竹板かなにかがあるといいな、と思いました。

できあがってみると、なかなか立派なように思います。樹皮を残した部分と剥いた部分のバランスがどうなのか、ちょっとまだなんとも言えないけれど。。。脚のスプリットの様子を観察しながら、使ってみることにします。センダンは水分が多いので、今後さらに乾燥が進んでいくはずなので、推移を見守りたいです。

伸びすぎて電線に枝がふれそうになってあぶないから、とお隣さんが気にしてくださって、2月に大幅に剪定してくださった、わがやの入り口に立っているセンダンの木。スツールとして、また、なんとか生かすことができれば、うれしい。

このスツールの材料費は、座面のテープ代およそ1400円のみってことになります。今回のスツールづくり実験に必要になった道具類は買い足したけれど(パイプクランプ1組、サイズ違いのドリルビット2本、 アサリ無しノコギリ1本、あとは治具のV字台づくりのためのパーツに三角ブロック4個と角棒1本)。そのほかは、これまでに少しずつそろえてきた道具や手作りしてきた道具でやりくりしました。

まだ道具も設備も万全にそろっていないけど、それでもやれる範囲で楽しくやれていて、それもうれしいことです。

あと今回思ったのは、やっぱり貫や座枠はきっちりまっすぐをなるべく狙ってけずっていくほうがよさそうだな、ということ。木目にそって自然なカーブを殺したくない気持ちがどうしても大きいけれど、仕上がり、組み上がりに差はでるんだろうな、と思う。ただ若干ゆがんだ正方形の今回のスツールも、やっぱりかわいくはあるんだけど :)

道具もテノンカッターとかがあれば、一層精密なジョイントがつくれそうだし、やっぱりきっちりつくるとなると、そういう細かな部分が大事になってくるという、その事実はリスペクトする。こないだも朝起きぬけにふと、まっすぐ切れる機械の良さというか、ありがたさを思った。機械ギライの自分に何が起きたかと思った。でもほんとうに素直に、まっすぐが必要なシーンがあることを思って、そのためにはまっすぐに切れる機械をつくってくれた人がいることはありがたいことだったな、と心から思った。自分が好んで使うものではないけれど、あってくれてよかった、と。

20160409_163713 ただ自分はやっぱり、きっちりしたものづくりと、ゆらぎのあるものづくりの、その中間にいたいな。パステルズのCDを先日ひさしぶりに聴いたとき、すごく心が喜んでいて。ああ、自分はパステルズが音楽をやっているみたいに、グリーンウッドワークをやりたいんだなあ、としみじみ思ったのでした。ほんとうに、ほんとうに、そう思う。

グラスゴーの街を出ないで、音楽を地元でやり続け。。。プロになって技が極まるのとは、また違う方向性でずうっと。。。アルバム1つ出して、次のが出るまで10年くらい開いたり。。。音楽にとにかくいっぱい、喜びがある。あの境地。。。

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2016.03.21

長いときの果てに

20160314_102338 昨日で、ここしばらくのぱたぱたデイズが一区切り。ぱたぱたしているあいだに、ずうっと前にまいた種がいつのまにか芽を出してました。すごいうれしい。でも、何の種だったか思い出せない(^_^;) 大きく育つまで、誰なのかわからないままです。。。

この2週間強のあいだ、家仕事の納品のために完徹夜・半徹夜を4度(もう徹夜はしないことにしていた近年だったのに)、外仕事の前夜にナーバスになってうまく眠れなかったことも2度あって、睡眠サイクルはめちゃめちゃで、そしてゆっくり座って出来事を消化したり、自分の気持ちをたどったりするひまがほとんどない日々で、こんなこと自分の生活上まれなんだけど、と思いつつ過ごしていました。

ただ、エネルギーをばんばん消耗しつつ、でもその渦中で同時にエネルギーがチャージされている(ときにはチャージが消耗をうわまわってたかもしれないくらい)というふうで、それもなんというか、あたらしかったです。

家仕事も、外仕事も、とてもチャレンジだったし、ときに苦しかったり怖かったりしたけど、でも自分にとってはうれしい学びとよろこびを伴う内容だったからかな。。。ありがたいことだな、と思います。

ただ、ふだんよりもたくさんの刺激をずっと受け取りまくっていた、ということでもあるので、やっぱり疲れや揺り返しがこれから出てくるかもしれないことも、心の片隅において、自分への接し方に工夫をしようとしている今日です。終わり方を工夫する、というのが最近のテーマなのでした。

まだ家仕事は未納のものが残っているし、家事もてんこもりにあるのだけど、今日はまずは少しゆっくりした自分を時間にあげることにしています。

* * *

そして、昨日は春分の日でした。おめでたいな!

チェロキーのネイティブアメリカンの方々も、春分の日にはお祭りをするそうなんだけど、そのお祭りで大事な役割を果たしてきたという、十字石という石が、数日前にわたしのもとに 突然やってきた、というのもあって、昨日はちょっと、地軸が太陽に向かって90度だということに想いを馳せていました。

Wc_equinox1920master_ipad_1920x0180 秋分~春分~秋分の地球を宇宙から見た動画をみつけました。「太陽にむかって地軸がいちばんふんぞり返っている時が冬至、いちばん深くお辞儀している時が夏至、直立の時が春分・秋分です。」という表現もみかけて、おもしろいな、と思った。

人間が長い進化の過程を経て二足歩行になった、そして手でいろんなことをするようになった、その進化のたまものである、わたしたちの中の直立性、垂直性について、アレクサンダー・テクニークの恩師、トミーが昨日までたくさん話をしてくれたのが、春分と地球と太陽とにつらなって、思い出されていました。

トミーにまだ面識がないときに、いきなりメールを書いて、突撃で彼の学校に教わりに行ったのがちょうど13年前の3月で、以後、間があいたりしながらもある程度コンスタントに会ってきて、これまで毎回いろんな複雑な気持ちになってきたけど、今回は本当にシンプルに、トミーから学びたいことがたくさんあるな、と思いました。というか、わたしが学びたいことは、こういうことなんだ、と腑に落ちたというか。

アレクサンダー・テクニークでは、レッスンの中で相手に手を触れる、という要素があって、それがどうしても自分には抵抗のある要素でありつづけてきたけれど、今回、はじめて、自分の奥のほうから、「その触れるというのを学びたいな」という気持ちが出てきた。それで、その気持ちを先生に表明して、教わるための実際の一歩を踏むこともできたのでした(でもその一歩の最中では「わー、できない、わからない、できない!」という激しい反応が出ちゃったけれど)。でも、自分の中では、ものすごく革命的なことだったのだし、この一歩は、自分にとっては、お祝いだなあ、と今、思っています。(そして「できない」という私にトミーが言ったのは、「誰でもできるんだよ、ただ慣れてないだけ。練習すればいいだけだよ」)

アレクサンダー・テクニークを仕事にしたいとか、教師になって人に教えられるようになりたい、とかそういう欲求とままったく無縁のところで、こういう「触れ方」を、ただそれ自体のために、身につけたい、と思ってもよかったんだ、と気づいたのは大きかったです。

わたしがアレクサンダー・テクニークをもっと深く学びたいと思った当時、レッスンをしている先生が東京にいなくて、それで教師養成校にいきなり入ったのだけど、そこでは「教師になるために」という前提がいつもついてまわっていました。自分も願わくば教師になれたら、いいなあ、と思ったりもしていたけれど、8年やってみて、自分は教師になりたくない、というか、ならなくてもいいんだ、そこは本当に自由に選んでいいんだ、と知ったときは、すごく自由を感じた。その後は、「人に教えるため」という前提のないなかで、ほんとうに自分自身のために(いったりきたりしつつ)学びを続けてきたのだけど、その「自分自身のために」という前提への切り変わりが、逆に「教えるために必要なこと」だとわたしが考えていた「手で触れる」という要素を自分からどんどん遠ざけたのでした。そうやって「自分自身のために」学び続けるなかで、思考に重きをおきまくっていました。

思考も、体も、まるごとのわたしの部分でしかない、その部分のひとつでしかない思考を、ずいぶん偏って使おうとしてたのかもしれないです。

あと、「自分自身のために」学び続けるなかで、自分をまわりの場や世界と切り離してとらえてもいました。このことは数年前から気づいていて、「かかわりの中にいるということ」についてもっと見て行きたいと思ってきてたのだけど、「かかわりの中にいること」の当時のわたしの定義の中には、「相手と物理的に触れあう」という部分は不思議と含まれてはいなかった。

やっぱりずっと、抵抗があったのでした。「触れること」へのこのおおきな抵抗感は、アレクサンダー・テクニークの教師養成校で学ぶなかで体験したことがベースになっていたのかな、とも思うけれど、実際はもっと根は深そうだな、とも今は思っています。

自分が物理的に触れられることが、好きではない。これはアレクサンダー・テクニークに出会うよりもずっと前に、わたしの体に深く刻まれていたことだったと思う。触れられることが、自分の尊厳や自由を損なうこととイコールだった体験が、あるからだと、思います。

アレクサンダー・テクニークの先生なり同級生なりに触れられるときは、もちろん、わたしの尊厳や自由を損なうのとは反対に、それらをより尊重したいがためだとわかっているし、そうだと伝わってもきます。それでも、それでも、、、わたしは自分が「受け身」になっているという状況のなかで、自分の自由がわずかに損なわれるのを、毎回感じていました。みずから選んで、そういう状況に入っていて、その体験から得られる学びのすてきさもわかっているのにもかかわらず、その「自由が損なわれる感じ」はかすかに、だけど根強く、残っていました。

今これを書いていて、おなかのそこのほうのかたまりが動く感じがしていて、泣きそうになってきた。。。

わたしは、その「自由が損なわれる感じ」に慣れているし、耐えるのも上手でした。ちょっとのことだから、がまんしていた。でも自分の側に、そんなふうな、かすかな「がまん」がある限り、わたしがすすんで、誰か他者に、手を触れたいと思えないのは、当然だったな、と今はわかります。(教師養成校に通い出した当初は、興味本位で、やみくもに触れてみたりすることもできてはいたけれど、でもそのときの関心は、単純に、自分が自分にワークしながら「触れる」と相手に何か変化が起こるのかなどうなのかな?というような好奇心で、「触れる」ための意図がめちゃくちゃでした。だから「レッスンをする」という状況の中で手を使う、というときには、まったくつかいものにならず、極力、手を使わずに、伝えられることを伝える、というほうへ向かうしかなかったし、なにより自分自身へのワークが十分でないから、そこをもっと見て行かないととずっと思ってきたのでした)。

わたしのなかにある、この、わだかまりが、とけてなかったことと、わたしが他者になにか働きかけをするとか教えるとかいうことをしたくなかったことは、つながっていたんだな、と今は思います。自分で実験して発見していくプロセスのほうに意義を見出してきつづけていたことも。

今でも、誰もが自分で実験して発見していくことが大事だと思うし、安心してそうできる場を提供するような学びの場がいちばん好きだけれど、そこのニュアンスが、ちょっと変わった気がしています。みんなが自力で独学でそれぞれにやってみる、ということのなかに、なにか「自」が「他」と切り離されているさみしさを感じるようになってきたかのような。。。

もうすこし、お互いにかかわりあって、支え合ってもいいんでないか、という感覚が来ています。なんでもできるだけ自力で、と思ってきたわたしには、相当あたらしい感覚です。「かかわりあうこと」には「相手の、自分の、自由や尊厳を損なうこと」が伴うと感じてきたのが、なんか、ほぐれてきたからかもしれないです。「かかわりあうこと」の意味が、「自由を尊重し合って、いまここにいるお互いの存在そのもののすてきさを味わいあうこと」や「ほんとうにお互いを支え合うこと」にもなり得ると、納得できたからかもしれないです。

言葉にすると、陳腐だけど。。。

でも、これがわたしが学びたいことだったんだな。。。お互いの自由と尊厳を踏みにじることなく、お互いになにかを押し付けたり期待したりすることなく、それぞれが、それぞれの、すっくと垂直したサポートの中に安心して居て、オープンマインドでいまここのお互いの存在のすてきさやありがたさを味わって、いっしょにいるということ。動物のみなさんや、植物のみなさんや、ひとのみなさんや、モノのみなさん、地球という惑星と、そうやってかかわりあうこと。。

それは意図や気持ちやこころざしだけでなくて、身体も含めた、まるごとのかかわりあいであっていいんだな、というか、まるごとであってこそコンプリートなんだな、と今、思っています。

そういうあり方が、可能だと、身をもって示してくれているトミーに、ありがとうと思う。トミー自身の体験談を話してくれる「おはなしの時間」や、科学的見地からの考察や、ポエティックなたとえや、身体での直接体験や、思い方での実験などなど、そのときどきでどこへ行くかもわからないものが飛び出す、まるでストラクチャーがないかのような多角的な教え方をする人だな、と思う。解剖学も脳神経科学も、物語もスピリチュアリティも、トミーの中には等しくあって、まるく(葛藤なく)統合されているのを感じる。74歳にしてあんなにすっきりとかろやかかつ、ごく自然な身のこなしをしていること自体、すごいなと思う。“白人”の人からはもう学びたくない、と思うことが多い自分もいるのだけど、「白人」というのも、うわべを見ているだけなんだな、とも思う。

うわべを通り越して、相手を見る/相手に触れる、ということのたとえに、トミーが「波じゃなくて、その下の海を見る/海に触れる」と言ってたのを思い出します。なるほどすてきなたとえだな、と最初思っていたけど、後から、これはたとえ話でなくて、トミーがカヤックにのって漕いでいたときの実体験から来ていたと知りました。パドルしていてもうまく進めなかった時、波じゃなくてその下の海に意識を至らせてパドルを握ったら、握り方が変わり、自分の背中で腕をささえてたのが、逆に腕が背中を支えるようなあり方に変わったこと。

「自分の体験から、伝えるんだよ」と何度も口にしていたけど、ほんとうにそれを実践しているのを知ると、毎回びっくりする。伝えてくれていることがらが、空気中に舞うだけの思考のかけらでなくて、ほんとうにすべて身をもって体験したことに根付いているって、シンプルだけど、パワーがあるなあ。。。

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2016.01.25

あわただしさと、鮮やかさと

0045_xlarge今年はお正月も自分の誕生日も例年以上に実感のわかないままやってきていて、日々のあわただしさが際立っているのだけど、でも瞬間瞬間の鮮やかさはなぜか増しているようで。。。不思議な感じです。

20160117_091341 お誕生日はいつになくお祝いをたくさんしてもらって。。。お誕生日になる前から、「もうすぐお誕生日だから」とともだちからかわいい青い生き物の木製しおりをいただきました。木製のしおりは、箱根の寄せ木細工のものと、フィンランドの白樺のものとが最近わがやに来たばかり。ひそかにブームになっていたので、このメキシコのしおりもとってもうれしかった!

20160121_102529 お誕生日当日は、相方と温泉へ行きました。いつも体調管理のためにお世話になっている、家からわりと行きやすいところにある日帰り温泉。そこがやっている小さな湯治宿の棟に泊まりました。 Oyuhan_2 湯治宿なので食事も体のことを考えたシンプルな玄米菜食で、しみじみ、おいしかった。。。

お風呂→おゆうはんのあとは、はやばやとぐっすりひとねむり。夜中に起き出してまた掛け流しの内湯につかり、また眠りました。朝食の前にもひと風呂。。。眠る、お風呂に入る、おいしいものを食べる、川の流れる音を聞く。ひたすらそうやって過ごせて、しあわせでした。

朝食後もまた露天風呂へ入りにいって、湯けむりが朝日に照らされて天使の梯子になってるのを眺めました。きれいだった。

ここの温泉に併設されているカフェが秀逸で、暖炉でパチパチ火がもえてるのと、足元には真鍮のパイプが渡してあって、中を温泉のお湯がながれているのとで、あったかくて、居心地もすごくよいのです。温泉水で淹れるコーヒーがまた美味。コーヒーを一杯飲んで、この日は沼津へ移動して、沼津アルプスを歩きました。

0043_xlarge 沼津アルプスは、高度は低いけど表情豊かなルートで、本によると日当たりも眺めもよくて「夏以外ならいつでも快適」とのこと。行ってみたら、なるほど、気軽に登れる高さでありながら、予想以上に楽しい山でした。

0050_xlarge_2 いったん稜線まで上がってしまうと、右手にはずうっと海が。香貫台というところから上がったのだけど、落葉広葉樹の多い明るいお山でした。おもしろかったのは、異なる樹種同士がとても仲良しなようすだったこと。

0027_xlargeこのクスノキとカゴノキは、もう一体化しているといっていいくらい。もっと若い木々も、違う樹種同士がお互いに腕をまわしながら成長していたりしました。歳のいった桜の幹に、青々としたつた植物が這って上がっているのも、初めて見た。0029_xlarge

沼津アルプスを案内してくれた本には、「山はいつも近くにあって、行こうと思えばいつでも行けて、行けば必ずいいことがあります」と書いてあったけれど、ほんとうだ。。。

林を抜けると相模湾を一望に見渡せる岩場があって、ひだまりであったまった岩に腰掛けてお昼を食べました。たのしかったな。Numazualps

下山するあいだも林は明るいままで、快適でした。急な下りのときにひざを少し痛めたかな、と思ったけれど、市街地に出てすぐのところに日帰り温泉があって、そこで一風呂浴びたらけろりと直ってしまいました(筋肉痛や神経痛にいいお湯だったそう)。

* * *

沼津は関東からわりと近いように思うのだけど、でも関東ではなくて東海なのでした。それを実感したのは、パスモとスイカが使えなかったときと、もうひとつ、地元のカフェで「小倉コーヒー」というメニューにでくわしたとき。

食べ物で一番すきなのがあんこといちご(ベリー類)なので、迷わず注文、人生初のあんこ入りコーヒーを味わいました。オリジナルなメニューを出すお店だなあ、と感心したのだけど、後で東海圏の友人から「小倉コーヒー」は東海では定番メニューだと教わりました。「しるこサンド」という、ビスケットのあいだにあんこ味のクリームがはさまっているお菓子も、先日岐阜で初めていただいて感激したのだけど、このお菓子もやはり、東海圏のみなさんのあいだでは知らない人はいないみたい。。。カフェでは必ず小倉トーストがある東海圏。この小倉文化はなんなのだろう。引っ越したくなってしまいます!

小田原とか熱海とか沼津とか、気候も温暖で、海と森とが両方すぐそばにあって、小倉文化もあってよいなあと、しみじみ思う。

20160122_093512 沼津の八百屋さんでは伊豆のいちごを見つけました。大好きな小粒タイプ。お値段も1パック200円台だったので、自分へのお誕生日プレゼントに迷わず買いました。消費税分の小銭が足りなかったのだけど、倍音のでる渋い声で「へい、いらっしゃい、いらっしゃい」と言っていたおじさんは、渋い声で「サービス」と一言いって、おまけしてくれました。かっこよかった。。。このいちご、甘さとすっぱさがちゃんと両方健在で、最高でした。

そんなこんなで、温泉に山に海、あんこにいちご、と大好きなものに囲まれて過ごせてしあわせでした。これだけでももうものすごいプレゼントなのに、相方はさらに、すごくおもしろそうな本(『森は考える』と『ムーミン谷の夏まつり』)と、わたしが中学生のときに聞きこんだ懐かしい音楽のアルバムを、プレゼントしてくれました。

中学生のとき以来聞いてなかった曲に、じいっと耳をすませていると、懐かしくて死にそうに。。。音楽は本当にタイムカプセルで、開けたとたんに当時の鮮明な記憶がぶわーとあたりに広がる。。。

しかし今聞いてもかっこいい。というか、今だからこの楽曲のすごさがわかる部分もあって。「昔のわたし」にとって懐かしいだけでなくて、これを今聴いている「今のわたし」にも響く音だってことが、すごいことに思えました。初めて聴くという相方も、しびれていたし。。。ほんものは時代超えるっていうことなんだろか。

* * *

旧暦(太陽太陰暦)の大晦日ももうあとすこし。新しい1年、オープンでいること、正直であること、しあわせをちゃんと望むこと、ご縁や世界とのつながりを大切にすることを基本に、和やかに過ごしていけたら、と思っています。こんな時代だけれども、というか、こんな時代だからこそ。。。

ご縁あっておつきいあいいただいているみなさま(ひとも、ひとじゃないみなさんも)、今後ともどうぞよろしくおねがいしますm(__)m

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2015.10.05

トトロのおなかの上で

20151003_130726 最近、夢のような次元であわやーく思う「願い事」が、叶うスピードが加速しているように感じます。これは世界的な現象なんだろか。。。

というのも、ついこのあいだ、ヤブガラシという植物と知り合いました(近所の森のお手入れのボランティアで、「つる切り」という作業をして、その帰りみち、バスケットづくりのために「野葡萄の蔓があそこらへんにあるから切っていいよ」と言われ、喜んで切って帰ってきたら、野葡萄と思ったそれはヤブガラシだった、という事件があって)。

そしたら、その翌日に、ヤブガラシのことを「とっても素直な植物なんですよ」と語り、蔓を切ったりすることなく、くるりと輪に丸めてそっと地面におくだけで、「藪を枯らす」ほどのヤブガラシの勢いをおさめる方法を伝えていらした矢野智徳さんのお話が、Facebookづてに流れてきました(矢野さんのご活動については小耳に挟んではいたのだけど、こうした具体的な手法を伝え聞いたのは初めてでした)。ネットで調べるとみんながヤブガラシを厄介者扱いしてるようだったのに、そのヤブガラシを「とっても素直」と語るその人に、「お会いしてみたいなあ」と、そのとき思って、そうしたらその1週間後、矢野さんがわが家のある地域のほうで、森のための「水脈づくり」を指導される現場に、参加させていただくことができてしまいました。

イギリスでグリーンウッドワークの合宿コースをやってらしたマイク・アボットさんのウェブサイトがネット検索で出てきて、素晴らしいコンポストトイレや、焚火での料理、テントでの寝泊まりという森での生活そのものに魅せられて、いつか行ってみたいもんだなあ、と思っていたら、半年しないうちにほんとうに行けてしまった、(しかも春に行けて感激してたら、イギリスでのお仕事のお話が舞い込んで、同じ年の秋にもう一度行けてしまった)、あのときも、こんなに非現実的な願い事がこうも早く叶うなんて、どうしたことだ、と心底びっくりしたのだけれど。。。今回もそうでした。

しかもお金のないわたしにとって、今回の参加費無料は、ありがたすぎました。。。(マイクさんのとこに行ったときも、春のはワークエクスチェンジ的なものだったので食費だけで森に1週間滞在させてもらってしまい、秋にちゃんとコースを受講したときは受講料をフルで払ったけれど、渡航費はイギリスでのお仕事をいただいたおかげでまかなえたのでした)。

ほんとうに、有難いことです、文字通りです。

(グリーンウッドワークは、その後、日本で学びを続けたくて、マイクさんにわたしよりもうんと早くから教わってきたグリーンウッドワーカーの方おふたりに、散発的ペースではあるけれど教わっていて、その講座も、受講料がものすごく、ものすごく、良心的で、内容は特濃で、ほんとにまたしても文字通り、有難いのでした。先月の講座もインスパイアリングで、そのことも書き留めておきたいのになあ。。次の回だ。。)

今日は、まず、矢野さんご指導の水脈づくりのことを。。

でもうまく内容を伝えられる自信はないので、自分が感じたこと・理解したことのみになってしまうのだけれども。体験としては、ひとことでいうと、これまでになく、草木、土、水、空気のつらなりを3Dで垣間見た、というような感じでした。

20151003_125358 雨となって地面に注ぐ水の動きが、本来の自然の動きに近いものになるよう、すでに人間が傷をつけてしまった地面を養生する、そんな作業が、「水脈づくり」の作業でした。具体的に言うと、宮脇昭さんのご指導で森林再生しようとしている場所があって(宮脇さんも植樹の方法論が有機的で、すごいなーと思っていた方なのですが、今回宮脇方式の森づくりと矢野さんの取り組みとが合体するのは初の試みなんだそうです)、そこに人が通るための道がつけてあるのだけれど、雨水が、道に集まって流れて地表を走ってしまう、その勢いをおさめて、水が縦に地中に浸透できるようにしていくための作業です。(写真は作業後のようす)。

道をつけてそのままになっていたところは、両サイドよりも低いために両サイドからも水が集まり、地表の土は、道の両サイドの地面の土も、道の土も、水と一緒に流され豊かな表層が育っていかないし、集まった水は早く斜面を駆け降りるため縦に浸み込まず表面を走るばかりで、雨が降っても地中は潤わない。地面の表面にはテカった膜が張ってしまっていて、空気も地中に入れなくなっていました。こうなると草木が茂れず、草木の根が元気に伸びられないために、地中のなかの隙間はさらになくなり、空気も水もなおさら地中に入りにくくなり、土がどんどん硬くしまって、なおさら草木にとっては生きにくくなる。。という悪循環。

一筋水が早く流れるルートができると、そこに向かって、さらに周辺の地の水も引き込まれていくんだそうです。水の習性。。なのでこの道の両側に広がる植樹地の健やかさが、かかっていることになる。

20151003_130719 そもそも草も生えていない裸地というのは、地球にとっては傷口のようなものなんだそうです。この傷口をなんとか塞ごうと草たちは一生懸命、生える。草木の根が、土留めになって、地表の土が流れるのを防ぐし、地中の隙間をつくって空気・水が地中に入っていけるようにして、地下水脈を育てるんだそうです。大きな樹の根は、地中でほんとに大活躍しているのでした。

本来の自然の地はどこもすべて、水が横に流れる動きと、縦に地中に浸透する動きは、常にバランスを保っていて、どちらかに偏ったりはしていないんだそうです。

それが過去50年の、コンクリで固める土木などで、地中はぎゅっと押し固められたまま、水も空気も通らないような状態になっているところが増えてしまった。窒息し、血脈である水脈がおとろえてしまった大地に草木ががんばって生えても、草木も元気に成長するのは大変だし、草木が元気でないと虫や動物たちも苦労を強いられて、暴れ出したりする。

それでも動植物たちは、みんなでがんばって、なんとかバランスのとれたところへ戻そうとしていて、だから草も木も生えてくる。そうやてみんながんばってるなかで、人間だけがマイナス方向に邪魔をしがちなのですね。。。草木を抜いて地面を丸裸にしたり、コンクリで表面を固めたり、土地の四方を囲んだり。。。

だから人間が邪魔をやめて、自然のみんながやろうとそている方向に協力的になっていくようにすれば(そしてその取り組みも、できるだけその場にある有機的な材料で行えば)、バランスのとれたところへ向かう動きは必ず加速するんだそうです。そしてそれは目にみえる結果が出るんだそうで、矢野さんはご自身の目で実際に見てきてわかったことを、シェアしてくださっているのでした。

20151003_111831 今回の作業のあと、どんな変化が期待できますか?という質問に、まず矢野さんは、近くにあった草の葉っぱをちょっとちぎって、陽に透かしました。「こうやって陽に透かすと、葉っぱって、こう、ぽうっと光りますよね」とおっしゃって、「今もこの葉っぱは、まったく光ってない、ということではないけれど、今日の作業で大地の水脈が育ってくると、この光り方がね、強くなります、もーっとこう、ぽうっとね」。

それから道の両サイドに生えている木々については、今黄変をおこしている葉っぱが緑になってきます、と(黄変と紅葉は違う、と説明したうえで)。あとは木々の芽が、もっと充実した感じになるし、全体に、みんな元気になってくる、それが体感としてわかるはずです、とのことでした。この説明のどれもに、ぐっときた。。。

20151003_111854黄変については、樹のどのへんで起きているかも見るといいそうで、黄変が起こっているのが下枝の場合は地面の表面近くの問題、上のほうの枝の場合はもっと深い地層の問題なんだそう。わたしの横に立っていたトベラは、まさに一番下の枝に黄変が起きていました。

矢野さんが強調してらしたのは、地中の水の動き(地下水脈)には、空気の動きが先行する、という点でした。これを何度もおっしゃっていた。目にみえないから見過ごされがちだけど、まず、大気中の空気、これが土中に入っていって動かなければ、水は動かない、と。

ストローの中に水があっても、片方の口を指で押さえたら、中の水は動かなくなる。あれと同じこと、と。

20151003_131156大地全体が呼吸をしていること、それを阻害しないことの大切さを、しみじみ、思いました。そしてそれがどれだけ、全体(草木、動植物、わたしたち)にとって、大きいことか、を。あと、地表をカバーする草や落ち葉枯れ枝、みんなが大切な役割を担っている、ということも。

たくさん雨が降ったとき、川を見ると、水は澄んでなくて泥水になっている。それをわたしは当たり前だと思っていたけれど、自然本来の状態ならば、たくさん雨が降っても地表の泥が川に連れ込まれることはなく、川の水は澄んでいるんだそうです。そして豊かな森では土はかならずふかふかに柔らかい(これは自分も体感として知っています)。

自然の仕事を邪魔しない、ということを、ミクロレベル(自分の庭)からマクロ(地球全体)まで、もっと考えて、実行していきたいな、と思ったのでした。はからずも、この「邪魔をやめる」とか「本来のデザインに協力的になる」というのは、自分自身(の心身)のレベルでは、アレクサンダーテクニークで、ずっとすったもんだしながら学ぼうとしてきたことで、(いまだにすったもんだしてるけれども)そうなんだ、もっと尊敬して信頼して協力していくことなんだよね、わたしがああだこうだコントロールするんでなくてね、とまた別の側面からヒントをもらっているようなふうです。

矢野さんのおっしゃる「水の動きには空気(風)が先行している」というのも、心身の感情の方向には思い(込み)が先行している、ということを思い出させるな。。。

20151003_125408それに、今回の作業で、雨水が道の表面を高速で走っていかないよう、小さな横木で堰をつくり、さらに地面の表面に炭をまいて、枯れ草をたくさん敷き混んだのだけど、こうして水の速度をちょっと緩めることで、本来あるはずの水の動き(縦に浸み入る部分)も起きるようになる、そのしくみも、アレクサンダーでいうところの「抑制」に近いように感じました。

地球をひとつの大きな有機体ととらえることが、なんだかリアルでした。矢野さんが最初に「みなさん今日は、トトロとかゴジラとかのおなかの上でこの作業をしているんだ、というようにイメージしていただくと、わかりやすいかと思います」とおっしゃったときは、「??」と思ったけれど、作業が終わるころには、なるほどそうか、と体感が来た。。。

生きものの上に暮らしているんだ、という自覚を持つこと。。それってかつてネイティブアメリカンの方や土地に根差した暮らしをしていた人たちはほんとうに普通に持っていたんだろうなと思う。

 

* * *

20150928_150301_2 20150928_164714_2 話しは大きく戻るけれど、矢野さんとのご縁をとりもってくれたヤブガラシという植物(野葡萄と間違えて連れ帰ってきちゃった蔓)は、結局、バスケットに編み込んでみました。

森のお手入れボランティアの「蔓切り」作業中に、切った蔓の中でしっかりしたのを少しもらって帰ってきてたので、それらとヤブガラシを組み合わせて、編みました。カラスウリ、ヒヨドリジョウゴなどとのまぜこぜバスケットになった。

Dsc00558 蔓でバスケットを編む場合、まず蔓を一度乾燥させてから、編む前に水に少し浸しておいてやわらかくして編む、というのが一般的だと思うのだけど、前回同様、またしてもグリーン(切った直後)の状態で編んでみた。

20150928_204520 20151005_145535乾燥するとどうなるか、見てみようと思ったのでした。1週間経って、だいぶ乾燥して、蔓の太さがやせました(写真左はできたて、右は1週間後)。結果的にバスケットの編み目にすきまができた。

前回グリーンな状態でジャスミンの蔓で編んだほうのかごは、みだれ編みにしたので、隙間の変化がわからなかったので、今回はっきりわかっておもしろかったです。

20150207_104438_2 20151005_145419 ジャスミンかごの場合はこんなふうでした。左が出来たて、右が現在(7ヶ月後)。

ああ、ひがな、有機土木や身近な生活道具の手づくりとか、そういうことを学んだり実験したりできる暮らしだったらいいのにな。。

仕事に戻らないと。。でもお金のための仕事と暮らしが切り離されてなくて、全部まるごとただ生活する、というふうになれたらなあと思う。。。お金の要らない暮らし、ゼロ円経済圏、などとつらつらと考える今日です。

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