2017.07.28

魂の食べ物

本日は夕方に仕事の納品が完了!ちょっとストイックにがんばったので、ごほうびに佐野元春さんの新譜をかけています。「MANIJU」。裏誕生日おめでとうといって相方がサプライズでくれました。裏誕生日プレゼントって初めてもらいました。うれしい :)

コヨーテバンド、たまりません。。。リズムセクションといいギターといい鍵盤といい。。うう。

魂の食べ物を、いっぱいいただいてるようなこのころで。ほんとにおかげさまです。

0006_xlarge こないだ行った坂口恭平さんの個展は、特にすごく元気のもとになっていて。おとといまたお邪魔して、少しのあいだ絵を見せていただきながらうたを聴かせていただいて、また充填してきた感じで、おかげさまで、少し前のわたしならすぐぐらんとなってたような知らせを聞いても、芯から揺らぐことなく居られています。ほんとにありがたい。。

Img_1777写真3枚は、2度目に行ってやっぱり気になった坂口さんの絵たちの一部。ほかにも1ダースほど、お気に入りが。。。絵も好きなように写真撮っていいし、うたも録音して楽しんでいい、と言ってくださって、なんかほんとにすごい。。しあわせです。

0009_xlarge 個展は30日までやってます、新橋キュレーターズキューブ。買った人はその場で持ち帰れる、というすごい個展。。。持ち帰られてもまだあふれるほど絵があって。

なんと、相方は2度目の訪問で坂口さんの絵を、買ってしまいました!絵を買うって、相方にとって初めてのこと(私にとってももちろんで、わが家にとって今年の一大ニュース。。!)。相方は帰り道、満面の笑顔で「大きな買い物をしたのに、ぜんぜん後悔がないよ、うれしいばっかり」と言いました。いつもは大きな買い物をすると、後でちょっと後悔するとかいろいろあるらしいのだけど、今回はそれがぜんぜんない、と。

とにかくうれしそうにおゆうはんを食べていました。そして新橋から東京駅まで、絵を抱えて一緒に夜道を散歩しました。皇居のお堀のわきをずーっと、夜に歩いた、初めて。涼しい夜で、とてもピースフルでした。車は横でいっぱい走ってるのに、静かでした。

絵を買う、という、そんな余裕がわが家の家計にあったっけ?と思うのだけど、今回改めて、これは家計とは直接関係ないんだと思い至りました。

というのも、今回のことのおかげで、今年の1月に旅立った、相方のお父さんについて、新事実がわかったのでした。相方のお父さんは、絵が好きで、家の中の壁の絵やタペストリーを季節ごとに掛け替えていたのもお父さんだし、書斎の扉にはいつも絵の切り抜きが貼り付けてありました(これもそのときどきの、好きな絵を貼っていて、かなりの頻度で入れ替わっていました)。

つつましい生活をしてた方だったから、複写や切り抜きで楽しんでらしたんだと思ってたけど、実は若いうちから思い切って絵を買ったりしていたことがこのたび判明。しかも1点じゃないらしかった。。

そして相方の母方のおばあちゃんに至っては、好きなある画家の絵をいくつも買って、孫1人1人に残してくださっていて。こちらのおばあちゃんは、夫をはやくに戦争で亡くして、3人の子をひとりで育ててこられて、生活はぜんぜん楽なんかじゃなかったのだけど、子供たちが巣立った晩年には、民藝の生活道具や絵にたくさん気持ちを注いだようでした。生きておられたら、会いに行きたかった。。

そんなわけで、アートを買うのはお金持ちの人、と思ってたのに、ぜんぜんそうじゃない例が、身内に2人もいたのでした。。。

そして、わたしの家系は違うなー、と思ったけれど、考えてみたら、ひいおじいちゃんが一枚岩をでんと置いて墓石としていたうちのお墓の一角には、長いこと、親類縁者でもなんでもないある画家の人のお墓が入っていたのでした。

わたしのひいおじちゃんは、それこそ全然お金のない人だったみたいで、服も夏の着物1枚と冬の着物1枚しか持ってなくて、ふびんに思った人が着物をくれたりするほどで、でも着物を貰ったらすぐさま質屋で換金してそのお金でほしかった本を買ってしまったと、本人が書き残した文章にありました。。。そんなだったから、その画家の人の絵を買ったりはできなかったろうと思われるけど、一緒のお墓にするほど仲が良かったらしかった。

前の世代から引き継いでいるドリーミングって、やっぱりあるのかな。。と思ったりしています。そしてそれは家計とは関係ないことがらなんだなあ、と。。

食べていくために家計のやりくりは必要だけれど、魂の食べ物のためにも必要である、というか?

そうだ、そういえば、坂口さんの絵を買うときに、相方が予期せぬことを口走り、そのおかげでわたしも少し坂口さんとお話させてもらえたんだけれど(そもそも尊敬する人と話すのが大変な性質なうえに、いきなりのことで動揺してさらに大変だったんだけど)、そのときにいきなり坂口さんに「詩、書きそう」と言われ。。そのときははてなマークが出まくったけれど、あとになって、相方が「だって、詩集、くれたよね」と言いだして、付き合う前に相方にあげた贈り物が自作の詩集だったことを思い出し。。。さらに、このブログの最初のエントリが詩みたいなものだったことも思い出しました。

それでかなり昔のブログを読み返すことになって、そしたら、10年前にアップしてたブログの中に、魂の食べ物についてのこと、書いてありました。正確には読書感想文(?)なんだけれど、薔薇の芳香は魂の食べ物になるらしいという話で、「からだに食べ物が必要なように、魂には精気が必要で、その精気は、芸術(特に音楽)や芳香や光として摂取できる」と考えていた昔の人のことを書いていた。

魂の食べ物のことも、詩のことも、すっかり忘れていました。(詩のことは、とくにこっぱずかしさから自分の意識にも上げないようにしていたもよう)。

坂口さん、思い出させてくれて、ありがとう。。お金なくても、はずかしくても、自分にとっては大事なことなんだと、思い始められそうな気がしています。向こう側にいる、義理のおとうさんにとっても、おばあちゃんにとっても、ひいおじいちゃんにとっても、大事なことだったんだと、思い出せてよかった。

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2017.07.23

獅子座新月間際のわわわ

幸せすぎた昨日でした。。。

久しぶりに髪を切りに行きました。切っていただいてるあいだ、頭をかすめていたのは、きつかった2カ月間のこと。終わって「これだけ切りましたよ」と見せていただいた髪の束を見て、ああ、よかった、と思った。髪の中を風が通るさわやかさを体感しつつ歩きました。

そのあと寄った本屋さんで、以前から目にするたびに惹かれていたdesignsix Londonのピアスを見かけて。毎回、見かけるとときめくけど、必要ないし、いずれ用なしにしてしまうだろうし、地球にとってよくないしと結論していたのに、今回はホワイトのNovaピアスを衝動買い。その場でつけました。ピアスはここ20年近くは冠婚葬祭のときにしかつけることがなくなってたのに。どうしたこと。。。

そして夕方、相方と合流して坂口恭平さんの個展Nest of Thinkへ。もうこれがとんでもなく、幸せなひとときでした。

0003_xlarge 広いローテーブルに小さな立体作品が朴訥に並んでいる写真を、坂口さんのタイムラインで見て、あ、この立体たちの後ろ姿がきっとやばい、見たい、と思って行ったんだけど、わたしの想像を軽やかに上回り、あらゆる意味で「個展」の概念をふっとばす個展でした。

立体作品のほかに、窓や壁に数点貼ってあったけれど、そのほかに500枚の絵がそこここに束にして置いてあって、各自手袋をはめてその束を見ていくスタイル!

しかもその間、坂口さんはBGMと称して、ギターを弾いて歌ってくださっていて!そのうたが、BGMなんてとんでもないほどのマジうたで。

「休憩しまーす」とうたを中断すると、ご自身の選曲の音楽をスピーカーから結構な音量で流してくださって!

ずっと坂口さんがその場にいて、あれこれ話したり歌ったりして、曲かけたりしてくれていて、もう彼の存在感そのものを含むあの場全体を、どうぞ、してもらってる感じでした。

* *これから行こうかなって思ってる方は以下は読まずにどうぞ!30日までやってます* *

ビジュアルと音楽と立体とか、作家と作品とか、作家とオーディエンスとか、アートと生活とか、ぜんぜん切り分けらてなかった。

0013_xlarge大音量で音楽が流れてる個展、作家さんがライブしてくれてる中で原画の束をひたすら繰っていく個展って、体験したことないよ。。!

1枚1枚を手に取っているときに、「片づけの魔法」のこんまりさんが、本の整理をするときにとにかく本棚から全部出して、1冊1冊を(読まずに)手に取って、ときめくかどうかをチェックすること、と提唱してたこと、思い出しました。触角が感知することの正確さ。。

坂口さんは新しく誰かが入ってくると、元気に「いらっしゃいませ!」と言い、今日のクローズの時間が迫ってくると「そろそろタイムセールですよ!好きなの選んじゃって、もう言い値でいいよ、商談しましょう」と。まるで市場のようでした。。。

ああ、生ものを売っている、という意味では、まさしく市場だったのだなあ、とも思う。

作品はわたしには手の届かないお値段だったから、見るだけと思っていました(タダでこんなにいいおもいをしていいのかなとも思ったけど)。言い値でいいよ、と言われて、え、もしかして、とも思い始たけど、惹かれるもの、心がぴぴぴんと反応するものが、いっぱいありすぎて、選ぶとかとうていできなくて、結局どうしたらいいかわからなくなって終了。。。

音楽を聴きながら1点1点を見させていただいている時間は、ちょっとした変性意識状態だったもよう。後でおゆうはんを食べてたときに、通常の意識まで降りてきて、「あー、わたし緊張してたんだなー」と気付いたけど、正確にいうと、興奮していたもよう。

絵のかわりに、相方と一緒に画集を買いました。そしたらサインをしてくださって。そのときに、相方がほしがって、でも迷って決められなかった2枚の作品のモチーフを、ペンでさらりと描き添えてくださいました。やさしい。。

帰りの電車と、家についてからおふとんの中で、画集をめくっていました。この多産なワールド。。

坂口さんのドローイングを初めて見たとき、うわあ、過剰だー、とその過剰さに圧倒されたし惹かれました。今回の個展では、500枚の作品にはわりと余白がいっぱいあるものが多くて、予想外だったのだけど、これだけ余白を含んだものを描くと、今度は作品の点数が過剰になるんだなあ。。。彼はほんとうに、出し惜しみしない。。。というか惜しむどころか、出し切らないとバランスをとれないんだろうと想像する。

スタイルも画材も、モチーフも、自由で多彩で。坂口さんの歌声にそっくりだ、と思ったものもあった(当然か)。

芸術が絵画、彫刻、音楽、演劇、舞踊、などと分化する前の、大元のまとまりのエネルギーと一緒にいる人。自由度がめちゃくちゃ高い人。好きすぎる。同時代に生きていられてよかったって思う。

* * *

個展のタイトルはNest of Thinkだったけど、アレクサンダーテクニークでthinkする、ということについてこのとこぼんやり思ってたことが、なんだかばーんと示されたようでもありました。こういうthinkっていうか、これがthinkだ、ということ。そうだそうだ、と。

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2010.07.28

長い話の、追記

Img_6705Img_6680 毎日暑い! けど暑いの好きです。ゴーヤのカーテン、ことしはわりと上手にできました :) ゴーヤチャンプルーもおいしくいただいています。

昨夜、あのようなことを書いて、揺り返しがくるかなあ、と思っていたけれど、意外と大丈夫でした。

揺り返しどころか、もっとあれも書きたかった、これも書きたかった、ということが出てくる感じで。。。

今日はそのうちの2つを。

性暴力にあった体験の見直しを始めてから、おもし ろい発見がいくつかありました。

体との関係を取り結びなおしたい、という、それを個人的なテーマにして臨んだ「自分で十牛図を描いてみる」講座では、これまで同じお絵かきの先生のところでいくつも絵を描いてきたけれど、いつもにんげんを具体的に描けなかったのが、今回初めて、肌色の肌をしたにんげんの絵を、描くことができました。

第1図では、河童色の半獣半人、
第2図では、トトロのようなカエルのような緑色の生き物、
第3図では、人間のような生き物のスカートだけが半分見えたところ、
第4図では、上半身が炎で下半身が石の柱の存在、
第5図では、すそを引きずるローブ(長袖)をきて麦藁帽子をかぶった半透明の人(肌の露出なし)、
第6図では、膝丈の赤いワンピース(半そで)を着て麦わらをかぶって横笛を吹く女の子(手足はやや肌色)。

そして第7図で、頭のてっぺんに花を咲かせて、肌色の肌の裸で川(海?)に向かって両手を広げてひざまづいている、胸がまだペタンコな年頃の女の子が出てきました。

そんなに意識せずに、出てくるものをただ描いていたので、7図でこの女の子が出てきてくれたことは、うれしかったです。

性暴力に合う前の、自分の体と無邪気な関係をもてていた(だろう)頃の自分、そのときは自分の体をどう感じていたんだろう?というところを、想像し始めることが、できました。

第8図では、マリアさまのような弁天さまのような存在がぼわややんと出てきて、
第9図では、この世ではないような、どこかほかの場所にある「虹色の木」が出てきて、
最後の第10図では、にんげんの肌の色をした「手」が、河童/カエルの色の肌をした「手」に、藍色の丸い入れ物を手渡す、という図になりました。

第10図を描いたときは、1図を描いてから3カ月経っていたので、1図のことは忘れていたけれど、後で10枚全部をいっぺんに見返すセッションのときに、10図の河童/カエル色の「手」が1図の河童的半獣半人の手だったことに、気づきました。

お絵かきの先生、えんどうまめさん、には、いつもいつも、とても助けてもらってきた、とつくづく思います。ありがとうございます。。!

* * *

もう1つ、最近の発見でびっくりしたこと。

実は数年前の年末に、精神がヘンな壊れ方をして、朝起きて無言ですぐ家を出て、家族との連絡を絶って、泣きながら各駅停車の電車にずーっとずーっと乗って、終点の江ノ島まで乗って、そこからまた泣きながらずーっと同じ電車で自分の住む町まで引き返してきたことがありました。

引き返してきて、だいぶん気持ちも落ち着いてきたあたりで、お財布だけは持って出てたので、急に近くのエスニック雑貨店に足が向かいました。

以前そこで、見るともなしに、天然石アクセサリーのショーケースを見ていたら、その中のある石のペンダントトップに目がとまり、そこに立っていると体がじーんとする、という体験をしていました。当時は、天然石が流行っていても、ぜんぜん効能を信じてなんかいなかったし、欲しいとも思っていなかったのだけれど。。。なんだろうこれは?と気になりました。

で、壊れた日、その例の石のところへ足が向かいました。思い切って店員さんに、ケースから出してもらって手のひらにのせると、じーんという感触はさらにおおきく、手のひらの上がじんじんしました。値段を見ると、思ったより安く、3000円台でした。

それを買って、ひもをつけて、首にぶらさげたら、なんだかこころが安定しはじめたように感じました。以来、毎日、かたときも離さずに身に着けるようになりました。今でも。。

その石は、ベーコンのような縞模様とイチゴキャンディのような透明感が美しいインカローズ。

今回、性暴力体験を見直ししはじめて、いろいろ調べていく中で、なんとインカローズがほかでもない「性暴力被害」に合った傷を癒す石として、名指しされていたことを知りました。(もちろんほかの効能もあるなかの1つだけれど。。)

「ニューエイジ」」と呼ばれるものにはアレルギーのある私ですが、石にはお世話になっているなあ、と今は実感を持って思います。

それに、あの壊れた日、泣きながら電車に乗って、えんえんと行った先が、今ではすぐ近くに暮らすことになった江ノ島だったことも、おもしろいです。あのときは意識が錯乱していて、どこに行きたいわけでもなかった、なんにも考えずに来た電車に乗った、というふうだったんだけれど。

石にも、虫にも、天気にも、動物にも、植物にも、土地にも、目にみえないなにかにも、ほんとうにお世話になって、おかげさまで元気になってきたと、感じています。

ありがとう :)

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2010.06.04

牛のこと

Img_6539 十牛図に取り組んでいるときに、口蹄疫のことが起きて、二重の意味で、どうにか牛を、もうすこし自由にできないものか、と考えていました。

先日、十牛図の第5図を描いたときも、「殺処分」になった牛のことをどうしても考えてしまいました。

第5図は、ひもをつけた牛を牧童が引いている、という図。

牛は牧童に引かれている、けれどそれは、牛のほうが「引かせてあげている、ついていってあげている」。そして牛はおなかに宇宙を宿している。描いているとき、そんなことを思いました。

(感じたとおり描く技量もないので、実際に描いた絵は、あれですが。。(汗)

* * *

口蹄疫をめぐっては、ばくぜんと祈るばかりで、情報の交通整理もできてなかったけれど、昨日届いた知人からのメールが、ためになったので、転載します。

よかったら、ご参考に。(じろーさん、ありがとう)↓

宮崎に住む友人からの声が届きました。

先週、5月26日(水)、宮崎ブランド牛“尾崎牛”を
取り扱っている宮崎市内の畜産業者、
尾崎畜産代表の尾崎さん(宮崎県農業法人経営者協会副会長)
のお話を聞いてきたそうです。

その要約を以下にお伝えします。
(転載転送、お願いいたします)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●尾崎畜産代表・尾崎宗春氏(宮崎県農業法人経営者協会副会長)
「宮崎県で発生している口蹄疫の現状について 」

●5月26日(水)夕方6時30分~
●門川町商工センター

●主催:宮崎中小企業家同友会


☆☆☆


・4月20日に発生した口蹄疫、5月末現在も10
件~15件ペース、
多いときは8,000頭ペースで感染は拡大中。
消毒の進んでいない南へ南下している。


・口蹄疫は畜産業にとって一番恐ろしい“疫病”である。
BSE、狂牛病よりも恐ろしい。

 →子豚、子牛が感染して死ぬ。病気で死ぬのではなく
口、足、蹄がただれ立てなくなって母乳が飲めなくなり死ぬ。
菌では死なない。
500倍に薄めた酢で死ぬくらい菌自体は弱い。
殺処分して埋めると短期間で消滅する。
えびのが収まったのはスピーディに殺処分が進んだため。
逆に対処の仕方を間違えると今回の様なケースになる。
(感染が止まらない) 通常は、一件出た時点で軍隊を使い
500メートル完全封鎖。殺処分。3週間隔離。


・今回ワクチンを打つのに国がためらい時間がかかったのは
ワクチンを使った時点で“汚染国”とみなされ輸出できなくなるため。
ワクチン=口蹄疫ウイルスだから。
日本の畜産はソニーのビデオやパナソニックのテレビのように
輸出商品となっている。ワクチンを打つと広域で殺処分。
輸出停止。輸入の割合が増える。国内で畜肉が作れなくなると、
安全性も担保されないまま値段も品質もすべて諸外国言いなりに
なってしまう。

 →口蹄疫が国力を低下させると言われている。


・1997年イギリスででたときはコブラという
テロ対策組織・陸海空軍を使って30キロ完全封鎖して全頭殺
処分した。
30万頭。それでも防ぎきれず最終700万頭殺処分。1兆
5千万の予算。

 →口蹄疫は人間とウイルスとの戦争。
10年前でた時は一件目で30億円の予算を投じて初期で抑え込んだ。
今回は認識が弱く初期の段階で全頭殺処分という対応などに全く至
らなかった。
最初にでた時点で人間が感染媒体ということが分かっているのに
10号線などもGW中人通り多い中全く対応せずに人の流れも
垂れ流しにした。


・一頭の豚からでるウイルスの数は3兆個。
一頭で一万頭感染させる菌が口蹄疫ウイルス。台湾は2週間で300
万頭。
イギリスは軍隊で30万頭殺したにも関わらず羊合わせて
700万頭殺した。


・なぜ現在感染が広がっているのか?

 →感染する頭数に対しての埋却が間に合わないから。


・洋服についた口蹄疫ウイルスは3週間残る。


・今現在、殺処分対象は37万頭。


・行政の人員確保が後手なのと、川南は水田が多いのも
埋却が遅れているひとつの原因。水がでて埋められない。
梅雨、台風が重なるとさらに埋却が進まない。


・都城周辺の畜産を守りたい。それがあればまだ希望がある。
そのための埋却地確保、人員確保のためのお金、マンパワーが必要。


・一日殺処分数は3,000~5,000頭。


☆☆☆


現在、全国からたくさんの義援金が県に送られているようでが、
県としては、口蹄疫収束後の経済支援として
配分することしかできないそうです。
しかし、現実には、人を動かすためのお金が必要です。
そこでこの会を主催した宮崎中小企業家同友会でも、
県弁護士会とともに「緊急ボランティア支援基金」を開設しました。


支援基金については、以下です。


・この基金は、現場作業に関わるボランティアさんたちの日当・交通費に
 充てられます。
・なお、該当地域に現在、県外の人は入ることができないため、現在の
 ボランティアは宮崎県内の人、主に既に処分を終えた畜産農家さんなど
 が中心になります。
・ボランティアの募集、派遣は宮崎県のNPO法人「みんなのく
らしターミナル」
 が行ないます。
・先々は県外からもボランティアの募集が始まるかもしれません
が、現在は未定。
・宮崎県弁護士会がこの基金に500万を提供するとともに、全
国から募ります。


振込先はコチラから。↓
http://www.miyaben.jp/sienkikin.htm


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

* * *

もうひとつだけ。ケニアで野生動物のお医者さんをしている滝田明日香さんによると、牛の口蹄疫、マサイマラ国立保護区の牛たちには、「結構普通に見られる病気」だそうで、そして、「マサイのゼブー牛は、他の牛種と比べるとほとんど症状も出ません」ということです。↓

「マサイマラの牛の口蹄疫」
http://blog.excite.co.jp/mottainai-lab/10734275/

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2010.03.04

透きとおる

昨夜は鎌倉ソンベ・カフェにて、Walk9・韓国巡礼の報告会に行ってきました。

懐かしい面々の元気なお顔を見れただけで、お腹いっぱいでした。

スライドを映しながら、おひとりずつ、各地点の報告をしてくださって、お話を聞きながら韓国1周できるように工夫されていました(駆け足だったけれど。。)。鮮やかにWalkの様子が開かれていきました。

でもお話も写真も、興味深かったけれど、なによりいちばん印象に残ったのは100日一緒に歩いたメンバーのみなさんがまとっている、透明な空気感でした。デッパリや濁りがない感じで。。サラサラしているのでした。

ありがたいことでした。

(ぢ)さんが描いたという、絵がかけられていて、後半のライヴの音楽を聴きながら眺めていました。下半身が人魚の女神が数字の「9」を抱いている構図なんだけれど、見ていると、その「9」が♀と♂のデッパリ部分を取り除いた、人としてのエッセンスのように見えてきました。

まるで生き物のような「9」。

それを腕に抱く女神さまは、髪に大宇宙を宿していて。。。ポニョに出てくる大ーきいお母さんを思い出しました(見た目はぜんぜん違うけれど)。

女神さまは胸も豊かで、人魚の下半身の尾びれはきれいに2つに割れて反り返っていて、♀と♂のでっぱり部分を両方そなえている感じでした。

すごい絵だなーと思って、描いた(ぢ)ちゃんにお話をきいたら、「とりつかれたようになって、3日間、のまずくわずねずで描いた」とのこと。ひゃあ。

* * *

Photo そしてここ数日、よく思い出すのが、先日の有元利夫展で見た素描やリトグラフの人物の表情です。

いわゆる「笑顔」は1つもありませんでした。あの中間領域の人々は、口をニッとしたり、ほっぺたをむにゅっとさせて笑う、ということをしないのです。

でも内側に明るさを宿していることが、伝わってくるんです。

たぶん、まなざしが透明だからです。

あの領域の人は、もう、人間界の流儀での笑いからは離れて、もっとずっと軽やかで微細な明るさとともにいるんだなーと思いました。

とても真剣なまなざしの人もいましたが、真剣だからといって重たくならならず、透きとおっているのでした。

そしてやはり、性別不詳なのでした。男性にも女性にも見える。。。

あの存在感を、折に触れて思い出しています。

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2010.02.27

よりどころ

Photo小川美術館の有元利夫展に行ってきました。

毎年、命日にちなんで開かれるもので、毎年通っているんだけれど、ことしは作品構成がグンと違って、リトグラフと素描と立体が中心でした。

没後25周年なので、郡山の美術館で大規模な展覧会が開かれていて、油彩はのきなみそちらに貸し出されているもよう。

でも今まで生で見たことなかったものばかりだったから、新鮮でした。

時間の染み込み方が、油彩とは違うんだなぁって思いました。

あわやい、かすれがすれのものを受信して紙に写しとったような素描、印象に残りました。

有元さんの絵と会うとき、わたしは、ちょっと覚悟を決めて、「自分を捨てて」見るようになっています。年に1度展覧会に行くのを、何年か続けるうちに、そうなりました。

自分を上手に捨てることができると、絵にチューニングしやすくなります。

中間領域にいる、絵の中の人がすごく近しい存在に感じられてきます。この領域に目を向けること自体、いつも忘れているから。。そことつながれただけで満たされていくものがあります。

あと今日は、木彫りの馬の背中が呼吸で動き出したのでびっくりした。。。

小川美術館での展覧会は明日28日まで。
郡山市立美術館の回顧展は、3月22日までやってます。

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2009.06.11

くもの巣とカーテン

Photo写真は先日京都の鞍馬山に登ったとき、木の根元に張っていた、くもの巣。

中央の部分だけ、500円玉くらいの大きさのレース編みのようになっていました。糸も中央だけ太めで。

「デザイナーくもの巣」だなあと思いました。とってもきれいでした。

くもの巣といえば。。。 先日お世話になった、プロセスワークのセッションで、最後に出てきたのが、くもの巣のイメージだったっけ。。! 

ファシリテートしてくださっていた(や)さんと(と)さん、ほんとにありがとうございました。

なにより、おふたりの存在の質感に、とても助けられました。それってすごいことなんだな、と改めて、思いました。

* * *

先週末は、お絵かきのセッションをしていただくこともできました。急なお願いだったのに、ほんとうに感謝です。(え)先生、どうもありがとうございました☆

おかげさまで、ずいぶん元気が出てきました。

カーテンが、出てきました。お絵かきをしたら、その絵の中に。

水色のカーテン。

イサドラ・ダンカンがかつて舞台でダンスを発表したとき、基本的に、舞台装置はただ1枚の水色のカーテン(幕)だけだった、とされています(後年になってから、生花を舞台にあしらうなどもしたようでしたけれど)。

踊るとき、背後にあったのが、水色のカーテン。

でも絵の中のカーテンは、全開していました。

舞台背後のカーテンが全開したら、いままで後だったものが正面になるとか、上手と下手がさかさまになるとか、そういうふうな感じもあるようななあ。。。と描いた絵を後日見ていて感じたりしています。

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2009.03.11

中間領域

Nyamiねこのにゃみちゃんは、ときどき、舌をしまい忘れます。

「べろ、しまい忘れてるよ」と言っても、気づかずに出したまましばらくいる。。。

* * *

このあいだ有元利夫展へ行きました。いろいろ忙しかった週に、時間をつくって行ったんだけれど、正直、こんな忙しい気持ちで絵を見たりしたってしょうがない、という感じさえしていました。

実際、会場で絵と対面しても、なかなか絵とコネクトできず。。。今年はこのまま1枚ともコネクトできずに帰ることになりそう、と思いました。

でも、そのうちに、気持ちが静まっていって、いつのまにかあわただしい日々のことがみんな遠くのことに感じられだして、そうしたら、絵とコネクトできはじめました。

色が、ただの色ではなくなっていって、現実になっていく感じ。

それで、今年感じたのは、中間領域ということでした。

こちら側でも、向こう側でもない、その中間の領域が描かれているんだなぁと思いました。

「現実」って、どこに自分をチューニングしていくか、によって成り立っているんだなぁと実感するこの頃。

いろんな現実が透明な層をなして折り重なっていて、どれが正当ってこともないわけで。。

人さまの現実にちょっと触れてみて、あまりの手触りの違いにびっくりしたりしてました。

それであまりに違うので頭がくるくるしたんだけれど、でもそれでも、わたしは、そのぜんぜん違う現実感覚にいる人の話を聞けてうれしかったのでした(確かに圧倒されたけれども。。)。

うれしかった、ということを、他の人にうまく説明できなくて、頭がくるくるした=大変な思いをした、ととられがちだったんだけれど、それだけだったわけではなかったことを、うまく言えずでした。

この人とわたしの違いは、この現実認識の違いだけだ、ただそれだけで、もっとほかの部分はうんと同じだ、ということがわかった気がして、それがうれしかったみたい。前提が違ったら、導き出す結論も違って当たり前だし。。

どこにどんな前提があるかは、人によってほんとに違う。。。「これが現実」という前提のありか。

わたしにとっての「これが現実」というものは、あの中間領域を含んでいるものになりつつあるみたいです。

抽象的にしか書けなくて、わけわからないかもしれないですけれど。。。

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2008.12.23

真鶴の森と海

Photo左の写真は正午近くの、真鶴の魚つき林の中です。

戦後復興で木材がいろんな場所から切り出されたときも、ここの森からは切り出されなかったんだ、と地元のタクシーのおじさんが教えてくれました。

江戸時代からずっとある、木々。楠と黒松が、とくにびっくりするほど大きいです。

ほんとうにおおーきくて、美しい楠。どれだけ背の高い木だか、こPhoto_5 の写真から伝わるかな。。?

* * *

真鶴の森と海には、いつも助けてもらっているなあ、と実感します。今回も。

何度行ってもなにか新しい発見があって、何度行ってもおもしろいです。

Photo_3今回は初めてこの入り江でランチ。ときどき大きな波が引くときに、大きい石ころが一斉に海の中に運ばれていく音が、合唱みたいできれいでした。

夕方には向こうのほうに大島、式根島などが見えました。土地の人は「空気が澄んできた」と言っていました。

* * *

ひさしぶりに、中川一政美術館へ寄りました。真鶴の森のすぐそばにあります。

閉館まぎわに滑り込みセーフをして、見せてもらいました。前にみたときもそうだったけれど、やっぱり、絵の中の花やお魚が手前に飛び出て見える。

物理的に膨らんでいないかどうか、絵を横からみてチェックすると、やっぱり膨らんではいないのでした。

最後にもう一度だけ、と急いで第一展示室の岩彩の絵を見に行くと、館内スタッフのおじさんが「そこの向こうから2枚目の魚の絵の、目玉を見たまま、何歩か向こうへ行ったりこっちへ来たりしてみてごらん」と話しかけてくださいました。

言われたとおりにしてみると、不思議。絵の中のお魚の目玉が、ずーっと追っかけてくる。。。

「これは『生きた絵』なんです」とおじさん。中川一政という画家は、ものの命を描くことに一生懸命だったから、そういう絵になったんです、と閉館時間が過ぎようとしているのにもかかわらず、興味深いお話をしはじめてくださいました。

明治から平成までの時代を生きた人。そして65で自分の描きたい絵の方向を見つけて、97歳まで、どんどん絵がすごくなっていった人。

20代から描いてきた若い頃の絵は、その際、ほぼ全部焼き捨てるか上から重ねて描いてしまったんだそうです。だからほんの数枚しか現存していない。

生きている間、一枚も絵を売らなかったんだそうで、「絵は今でいう『趣味』として描いてたんですね。本の装丁画や新聞の挿絵の仕事のほうで生計を立てていて、絵はお金にしたことがなかったんですよ」とのことでした。

お弟子さんも一人もとらず。唯一、書では緒形拳さんのことを「弟子のようなもんだから」と、かわいがっておられたようで、墨や硯をあげたりしていたようですが、別になにも教えるということはしなくて、書いてきたものを見て、いいね、と言うだけだったとか。

風景画はすべて現場で描ききる人でした。アトリエにもどって記憶にたよって筆を入れたりは絶対にしなかったそうです。記憶の再現では決してものの命は描けないから、とのことでした。

* * *

記憶の再現の再現とか、コピーのコピーばかりをし続ける私の癖も、Photo_4 真鶴の森と海にいるあいだは、少しは静まったかも。。。

ひたすら浜で焚き火をしていたら、いつものごちゃごちゃした考えが離れていって、休まりました。

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2008.12.09

昔のタロットいろいろ

可憐さんのタロットミニ講座を、また受けさせていただいてきました。

ものすごい数のタロットカードを持っているらしい可憐さん(タロッ図書館ができるような気がする!)。毎回いくつか見たことのないカードを持参してくださいます。

自分のカードを持参してはいたのだけれども、それと風合いのよく似た、あるカードに気が引かれて、今回はそちらをお借りすることにしました。

じゃ、聞いてみたいことを各自考えましょう、といわれ、今日は具体的で実用的なことを聞くぞ、と決めていたのに、いざカードをテーブルに置いてみると、ぜんぜん違うトピックが出てきてしまい。。

素直にやはり、出てきたものを聞くことにします。最近気になって仕方のない、聖書の教え、キリストの教えが自分にとって一体どういうものなのか、について。

可憐さんが今回教えてくださったスプレッド方法は、
Yes(肯定的要素)のカード、
No(否定的要素)のカード、
そして「その2つを統合すると?」のカード、
の3枚を引くというもの。

おもしろかったのは、この「Noのカード」のところに、隠者が出たことでした。この隠者、腰紐のところに十字架のついた鎖(ロザリオ)をぶらさげているではありませんか!

_liguriapiedmont_bolognazoni後で確認してみたのですが、私の持っているカードの隠者(右側)は、ロザリオをぶらさげていませんでした。

雰囲気もわりと違います。

今回お借りしたカードは1840年のデザイン、私の手持ちのはその60年前のデザインです。時代も作家も違うから、画風も変わるのは当然だけれど、このロザリオは。。。?

そこで、いろんなタロットデッキの中の同じカードを見比べられるサイトを見つけました。古典的なものから現代のものまで130種くらいのタロットカードの絵柄を一度に見比べらるサイト。

130種の「隠者」のなかには、腰にロザリオをぶらさげているカードが他にもう1つくらいありました。

あとは腰紐に3つの結び目がついていて、ローブが茶色の隠者や、頭のてっぺんが禿げている隠者もいました。いずれも聖フランチェスコそのもののような姿。。。

そうか、聖フランチェスコはある意味、「隠者」のプロトタイプかも。

その隠者が「No」の場所に出たのでした。

* * *

_liguriapiedmont_2 _bolognazoni_2

3枚目の「統合すると?」のカードは裁判の女神でした。

今回お借りしたカード(左)では女神の持つ天秤はまっすぐ。

わたしの手持ちのカードだったら、こんなに傾いていたのでした。。

この違いもおもしろい。。今回、水平な天秤を示されたことが、1つのポイントな気が。。。

真ん中をとる(1ミリのずれもなしに)、冷静に両方をみる、という可憐さんの読みに、深くうなずきました。

可憐さん、今回も、どうもありがとうございました♪

* * *

_triesteところで、例の130種の隠者の中で、一番気になった隠者はこちらです。

私のカードの隠者も、相当軽やかで颯爽としてる感じですが、このカードの隠者はさらにそれを上回って、なんだか楽しげ。笑みまで浮かべています!

このカード、年代が特定できません。大英博物館のコレクションになっているのですが、データでは18世紀のものだということしかわかりません。

トリエステのAngelo Vallaさんという人の手による版画だそうです。

_trieste_2ちなみに裁判の女神はこうなります。かわいい女神になりますね。。

20_trieste20・審判のカードなんかも、かなりかわいい。。ほがらかです。

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