2017.05.11

は~

昨夜あんなことやこんなことを思ったり書いたりして、一晩眠って、今朝起きぬけに思ったのは、ああ、ゴールデンウィークの合宿の日々を、オーガナイズ面で支えてくださってたスタッフのみなさまは、ほんとにすごい働きをしていたんだなあ、おかげさまだったなあ、ありがとうだったなあ、ということでした。

わたしは大変な思いをしている自分の体験に埋没していて、ほかのみなさんのことを振り返る余地もなかったのだなあ。ほんとうに深く埋没していたみたいです。

でも、出てこれたもよう。ようやっと。

まだ心の水面にはすぐ波風が立つ状態ではあるけれども、嵐はやり過ごしたのだと思う。

情けないけど、これが今の自分のありよう、力量、体質、気質、なのだなあ。。。

ありがたいことに、ゴールデンウィーク明けはまだお休みをいただけていて(翻訳仕事に切れ目ができたのは、もうほんとうにほんとうに久しぶりで。。!)、すごくゆっくり、休んでいます。家のことでやらなくちゃいけないことはいろいろあるけど、とりあえず、自分のリハビリを優先しています。

Img_0924 読みかけだった本を読了。『ユマニチュードという革命』。ユマニチュードは認知症の高齢者の方々のケアのためにフランスで考案されたメソッド。当事者の方々にとって、ほんとうに希望の光のようなメソッドだと思いました。

認知症の方は、認知の機能は欠けても、感情の機能は健やかに働いている、ということが、よくわかりました。怒ったりわめいたりすることがあるのは、感情の機能も損なわれているから、ではなくて、怒りたくなるまっとうな理由があるから。感情でわかることなら、伝えられるし、わかりあえる。そうやってわかりあえたときの、ご本人の喜びは、どんなに大きいだろう。。

コミュニケーションをするうえでの表現の仕方が、世間一般の人とは異なってしまうがために、人間以下のように見なされてしまうというのは、ほんとうに悲しいことです。

動物や虫に対してもそうだけれど。自分と同じ表現の仕方をしない相手の、存在のインテグリティと尊厳を、簡単に忘れないようにしたいです。忘れてしまいやすい状況であっても。。。違いはあっても橋をかけて、コミュニケートしたいし、少なくともお互いに平等な存在として、ただいっしょにいられれば、と願う。

自分が大事にしたいのは、そういうようなことなんだ、と改めて。上から目線でお世話したりかわいがったり指導したり、下から目線で従ったりあこがれたり教わったり、ということをしないですむ関係性の中に、身を置きたい気持ち。

そのためにはただ相手の存在の真実を見ることなんだろうけれど、それはなかなかにチャレンジだなあああ。。。

ユマニチュードのジネストさんが言っていた、奉仕の概念にはそもそもキリスト教的な影響があること、そこのところは、もうすこし自分の中でもよく見ていったほうがいいところだと思っているところ。相手のためになることをしているはず、という意識について。。

* * *

Img_0925 もう1冊、精神が大変なときに一番に手が伸びた本は、ホクレア号についての本、『星の航海術をもとめて』。再読。ページを開くだけで落ち着く。ナイノアさんの声を思い出すと、霞がかかった自分の思考がくっきりしてくる感覚が来ます。

自分が生きているなかで、関わっていきたいことが、どのあたりにあるのか、再検討してみているここ数日なんだけれど、ホクレア号が意味することは、たぶん、自分にとってすごくセントラルなのだろうな。

そこにどう取り組んでいったらいいのか、よくわからないけど、とりあえず、心のレーダーが反応していることは気に留めておく。

* * *

Img_0881 ゴールデンウィークの合宿でのお仕事には、会場から歩いて30分くらいのキャンプ場から通いました。それもチャレンジを増やした原因にもなってたけど(雨が降って地面がゆるんでペグがゆるんでテントが倒壊したらどうしよう、とか、会場に遅刻せずに行けるかな、とか)、でもチャレンジを上回る恩恵がやっぱりあった。

Img_0891 4泊したけれど、毎朝ろうろうとうたうオオルリの声で早くに目ざめました。今年は毎朝すっきり晴れて、ほんとにありがたかったです。朝日が木々のあいだから差し込むなかで、朝ごはん。1日目は慌ただしく食べて焦りながら出かけたけど、翌朝からは段取りも慣れて、早起きもできて、すこしゆっくりできました。持参したハワイコナのコーヒーをお外で。Img_0880

うちのテントのすぐ近くで毎朝うたってくれてたオオルリは、うたがほんとうに上手で、いい声で。しかもクリエイティブ。基本のフレーズがあって、そこにとてもさまざまに毎回違うバリエーションをつけてうたいついでいくスタイルです。ずうっと聴かせてもらえて、たいへんありがたかったです。

Img_0879 夜は早めにキャンプ場に戻って、キャンプ場となりのお風呂に入って早めに就寝する予定でいたけど、合宿会場を出るのが遅くなる日もあって、お風呂に入れなかったり、まっくらな夜道を歩いてもどってくることもありました。相方と別々に、ひとりで夜道を帰ってきた日は、膨らみつつある月明かりのもと、明かりなしでキャンプ場までずっと歩きました。いわゆるナイトハイク。

暗闇にまぎれて歩く自由を体感しました。暗さに慣れてくると、いろいろよく見えるし。闇にまぎれられるのは、安心感がありました。たまに車が通ってヘッドライトが近づくと身を固くした。つくづく、自分にとって怖いのは人間なんだなあ、と思いました。

とはいっても、キャンプ場でキャンプをしている他の家族連れなどは、怖くなかったです(あたりまえか)。テントの入口の扉を開け放って、木々を見上げながら寝ころんで、そのうち眠ったりしました。

キャンプ場のおじさんは、年に1度しか行かないけど、ほぼ毎年この時期に行っているせいか、わたしの顔と名前を覚えてくださっていて。。いつもちょうどいいタイミングでぽっと手を貸してくださるのだけど、今回も。撤収を始めて、事務所へ返しにいかなきゃいけないレンタル毛布をたたんでいたら、ふらっと「生きてる?」と言ってサイトに現れて、しばし立ち話。。そして「あ。じゃ、それ、もらっていくわ、ついでだから」と毛布3枚をかついで行ってくださいました。

あのさりげなさ、毎回不思議。どういうふうにしたらああなるのかな、と。

撤収をみんなおえて、事務所にあいさつに行って、「となりの温泉に入ってから帰りたいので、それまで荷物をサイト脇においておいていいですか、とられて困るものはないので」と言うと「いいですよ~、じゃ、おれがもらっとこう」。最後にお礼を言ってさよならを言うと、別れ際に一言、「じゃ、お風呂でおぼれないでね~」。まじめなのかふまじめなのかわからない抜け加減に、なんか救われました。

Image_xlarge3 Img_0894Img_0904 乙女の森の木々にも草花にも小川にも小鳥にもおじさんにも、ほんとうにお世話になっていて、ありがとうの気持ちです。Img_0898

今年は自分には大きめなチャレンジをして、神経がくたびれはててしまったけど、焚火のパチパチいう音や煙のにおいも心の鎮静剤になりました。Img_0912

あのキャンプ場が変わらずありつづけてくれていて、ほんとにうれしい。

あのキャンプ場も、やっぱり、皆が過ごしやすいように整備して、草を刈ったり枝を払ったり薪をつくったり(手で割っていました)、トイレや炊事場をお掃除してくださったりしている方々のおかげさまであんなに快適に過ごせるんだなあ。。。ありがとうございます。

さて、今度は、もうちょっとがっつり遊ぶキャンプに行きたいなあ。。



| | コメント (0)

2016.08.20

夏の記憶&ミニスツールづくり実験のつづき

20160805_203009 今年は、蝉の声を聞くと無性にうれしくなります。そして、びっくりなことに、おととい夜だったかな、早くも鈴虫の声がしました。

旧暦で秋の月に入ったら、風の湿度がぐっと下がって、白百合も咲きだして、季節のめぐりを感じました。台風が来始めて、今は雨の多い地域のことが気がかり。。。

この夏は、わりと近場で楽しく過ごしてました。最寄駅近くのブラジリアンバーに誘ってもらってライブを聞きに行ったり♫

初めて姪っ子と姉がうちに遊びにきてくれたり♡

相方と空いている浜に花火を見に行ったり!!20160805_204743

一緒に海水浴に行きたいと声かけてくれたともだちたちのおかげで、浜で朝から晩まで浜で過ごす、豪華版海水浴を2回もできたのもうれしかったです☆ 今年は例年以上に海水浴をまっとうに楽しみました。

20160730_101924_2 (り)さんと行った1度目は、あお向けに浮かんで空を眺めてたら、太陽のまわりにおおーきな丸い虹が。この日はおゆうはんを波打ち際で食べていたら、海の向こう、水平線のとこにちいーさく花火が幾度もあがりました。赤い星が明るく輝いているのも見ました。あれはさそり座のアンタレスか、それとも火星か、どっちだったろう。。いい夜でした。

20160812_084328シュノーケルをしてみたいという(ひ)さんの一言がきっかけで出かけた2度目は、いつも行く浜でシュノーケルもして、焼き魚にしたらおいしそうな大きなお魚や、黒いボーダーがお似合いのお魚、ほぼ砂に同化している保護色のお魚など、予想外にいろんなお魚を会えて、すごく楽しかった!体長30センチくらいの魚の群れが向こうから来て、わーっと両側をはさまれた瞬間もありました。迫力あった。。

ちょっと深いところでシュノーケルしすぎて体が冷えてしまって、波打ち際の平たい岩の上で、お湯のようにあったまった海水に浸ろうと、5人でならんで「寝湯」したのも楽しかったです。

お魚があまりいない場所でも、シュノーケルをつけてうつぶせて海に浮かんでいると、白砂の海底に光の波紋がゆらゆらゆれて、天国のようでした(この日は特に水がきれいで)。あの波紋を眺めているのは、相当幸せ感がある。十代の頃から、水に入っているとき一番好きなのはこれです。

太陽が傾き始めた遅い午後に、きらきら光る水面を水平線にむかってずーっと泳いでいくのも幸せ。。。

そんなにものすごくきれいな青い海!っていうわけではない、近場の海でも、こんなに楽しいってすごい。そして大人になっても、こんなふうに海を一緒に楽しめるともだちがいてくれること、うれしいです(海の達人の友だちには、海水浴のかっこいい終え方も教わることができました)。ありがとう♡

それからもひとつ、今年増えた近場の楽しみは、うちから都心とは逆方面にある、すごいパフェを食べさせてくれる喫茶店。わざわざ電車にのって食べに行きたいお店です。

20160806_174437 二宮にある山小屋という喫茶店。お店の雰囲気もすごく気持ちよくて、ほんとうに山小屋みたいで。

このパフェがどうすごいかというと、フルーツもアイスもソースもトッピングも何種類もあって、それを自由に(いくつでも)選んでオーダーできるのです。どの組み合わせも同じお値段。この組み合わせだとどんな味になるのかな!?とわくわくしながら考える楽しさ。。。組み合わせによって、まったく違う味の世界が広がります。そして、いずれも後味はさっぱりとしていて、変に甘かったりしないのです。すごい。

20160806_174441_2 相方は、ここのパフェづくりの達人おすすめの組み合わせの「桃とタピオカのパフェ」が大のお気に入り。わたしは自分で選んで組み合わせてみるのにはまっています。

* * *

さてはて。まとまった休みがなかなかなかったのだけど、20160817_131137 数日前、長いこと途中のままになっていたミニスツールをようやっと仕上げました。

最初に、剪定した庭木のセンダンを切ったり割ったり削ったりして部材をつくったのが、2月末。ゆっくり乾燥させて、フレームを組み上げたのが6月6日。脚の面取りとオイル処理をしてフレームの仕上げをしたのが7月22日。ようやく座編みをしました。

20160817_114609_2ひとつめのスツール(大きいほう)をつくったときに余った麻テープが9.8mあったので、これで編んでみたら、ほぼちょうどぴったりでした。編み終わったら50㎝ほど余っただけでした。

2mm厚、2.5㎝幅、長さ25mの麻テープ一巻きで、ちょうど大小2つのスツールにちょうどいいとは、計算してなかっただけに嬉しかった!

20160817_132310 そしてもひとつ嬉しかったのは、計算したわけではなかったけど、ミニスツールが大きい方のスツールの下にぴたっと収まること。使わないときば、場所を取らずにしまっておけます。

 今回は長さ50㎝のうすべったいヒノキ板がたまたま手元にあったので、これを編み棒に使いました。あとは太めの編み針(編むときの道を開く道具)、かまぼこ板(編み目を押して整える道具)、ミニピンチ1つ使いました。最後の1列は苦労しました。ビニールテープと細い平たい棒でやりくりしました。20160817_131248

次の実験段階は、使い心地と耐久性を見てみること。今のところ、しっかりしていていい感じです。

20160727_112714 使い始めてしばらく経つ、大きい方のスツールは、わずかに座面がゆるんだかな、というのはあるけれど、フレームそのものはしっかりしたまま、元気です。これに数時間腰掛けてスプーンを削ったり、椅子にすわったときのオットマンにしたり、パソコンのちょい置き場にしたり、日々愛用しています。

ひとつ気づいたのは、樹皮を剥いでいないほうの脚の、樹皮がぼこっと出ている場所が、乾燥すると細かな木くずを落とすこと。はじめ、虫くいでも起きたのかなと思ったけれど、穴もなにもないので、ただ表面が乾燥して落ちるらしいことがわかりました。

つるんとしたままの樹皮がついている部分には、何も起きていないし……。

ミニスツールは、フレームの仕上げのときに、樹皮付きのパーツも、剥いだパーツも、すべて同じようにオイル仕上げをしました。もしかしたら、これで乾燥が防げて木くず落下を防げるかもしれないので、様子を見てみよう。。

今木くずが落ちてる、大きいほうのスツールも、今からオイルを塗ってみるのも一案かもしれないな。

悠長な実験が続きます。。。

保存

保存

保存

保存

保存

| | コメント (0)

2016.01.25

あわただしさと、鮮やかさと

0045_xlarge今年はお正月も自分の誕生日も例年以上に実感のわかないままやってきていて、日々のあわただしさが際立っているのだけど、でも瞬間瞬間の鮮やかさはなぜか増しているようで。。。不思議な感じです。

20160117_091341 お誕生日はいつになくお祝いをたくさんしてもらって。。。お誕生日になる前から、「もうすぐお誕生日だから」とともだちからかわいい青い生き物の木製しおりをいただきました。木製のしおりは、箱根の寄せ木細工のものと、フィンランドの白樺のものとが最近わがやに来たばかり。ひそかにブームになっていたので、このメキシコのしおりもとってもうれしかった!

20160121_102529 お誕生日当日は、相方と温泉へ行きました。いつも体調管理のためにお世話になっている、家からわりと行きやすいところにある日帰り温泉。そこがやっている小さな湯治宿の棟に泊まりました。 Oyuhan_2 湯治宿なので食事も体のことを考えたシンプルな玄米菜食で、しみじみ、おいしかった。。。

お風呂→おゆうはんのあとは、はやばやとぐっすりひとねむり。夜中に起き出してまた掛け流しの内湯につかり、また眠りました。朝食の前にもひと風呂。。。眠る、お風呂に入る、おいしいものを食べる、川の流れる音を聞く。ひたすらそうやって過ごせて、しあわせでした。

朝食後もまた露天風呂へ入りにいって、湯けむりが朝日に照らされて天使の梯子になってるのを眺めました。きれいだった。

ここの温泉に併設されているカフェが秀逸で、暖炉でパチパチ火がもえてるのと、足元には真鍮のパイプが渡してあって、中を温泉のお湯がながれているのとで、あったかくて、居心地もすごくよいのです。温泉水で淹れるコーヒーがまた美味。コーヒーを一杯飲んで、この日は沼津へ移動して、沼津アルプスを歩きました。

0043_xlarge 沼津アルプスは、高度は低いけど表情豊かなルートで、本によると日当たりも眺めもよくて「夏以外ならいつでも快適」とのこと。行ってみたら、なるほど、気軽に登れる高さでありながら、予想以上に楽しい山でした。

0050_xlarge_2 いったん稜線まで上がってしまうと、右手にはずうっと海が。香貫台というところから上がったのだけど、落葉広葉樹の多い明るいお山でした。おもしろかったのは、異なる樹種同士がとても仲良しなようすだったこと。

0027_xlargeこのクスノキとカゴノキは、もう一体化しているといっていいくらい。もっと若い木々も、違う樹種同士がお互いに腕をまわしながら成長していたりしました。歳のいった桜の幹に、青々としたつた植物が這って上がっているのも、初めて見た。0029_xlarge

沼津アルプスを案内してくれた本には、「山はいつも近くにあって、行こうと思えばいつでも行けて、行けば必ずいいことがあります」と書いてあったけれど、ほんとうだ。。。

林を抜けると相模湾を一望に見渡せる岩場があって、ひだまりであったまった岩に腰掛けてお昼を食べました。たのしかったな。Numazualps

下山するあいだも林は明るいままで、快適でした。急な下りのときにひざを少し痛めたかな、と思ったけれど、市街地に出てすぐのところに日帰り温泉があって、そこで一風呂浴びたらけろりと直ってしまいました(筋肉痛や神経痛にいいお湯だったそう)。

* * *

沼津は関東からわりと近いように思うのだけど、でも関東ではなくて東海なのでした。それを実感したのは、パスモとスイカが使えなかったときと、もうひとつ、地元のカフェで「小倉コーヒー」というメニューにでくわしたとき。

食べ物で一番すきなのがあんこといちご(ベリー類)なので、迷わず注文、人生初のあんこ入りコーヒーを味わいました。オリジナルなメニューを出すお店だなあ、と感心したのだけど、後で東海圏の友人から「小倉コーヒー」は東海では定番メニューだと教わりました。「しるこサンド」という、ビスケットのあいだにあんこ味のクリームがはさまっているお菓子も、先日岐阜で初めていただいて感激したのだけど、このお菓子もやはり、東海圏のみなさんのあいだでは知らない人はいないみたい。。。カフェでは必ず小倉トーストがある東海圏。この小倉文化はなんなのだろう。引っ越したくなってしまいます!

小田原とか熱海とか沼津とか、気候も温暖で、海と森とが両方すぐそばにあって、小倉文化もあってよいなあと、しみじみ思う。

20160122_093512 沼津の八百屋さんでは伊豆のいちごを見つけました。大好きな小粒タイプ。お値段も1パック200円台だったので、自分へのお誕生日プレゼントに迷わず買いました。消費税分の小銭が足りなかったのだけど、倍音のでる渋い声で「へい、いらっしゃい、いらっしゃい」と言っていたおじさんは、渋い声で「サービス」と一言いって、おまけしてくれました。かっこよかった。。。このいちご、甘さとすっぱさがちゃんと両方健在で、最高でした。

そんなこんなで、温泉に山に海、あんこにいちご、と大好きなものに囲まれて過ごせてしあわせでした。これだけでももうものすごいプレゼントなのに、相方はさらに、すごくおもしろそうな本(『森は考える』と『ムーミン谷の夏まつり』)と、わたしが中学生のときに聞きこんだ懐かしい音楽のアルバムを、プレゼントしてくれました。

中学生のとき以来聞いてなかった曲に、じいっと耳をすませていると、懐かしくて死にそうに。。。音楽は本当にタイムカプセルで、開けたとたんに当時の鮮明な記憶がぶわーとあたりに広がる。。。

しかし今聞いてもかっこいい。というか、今だからこの楽曲のすごさがわかる部分もあって。「昔のわたし」にとって懐かしいだけでなくて、これを今聴いている「今のわたし」にも響く音だってことが、すごいことに思えました。初めて聴くという相方も、しびれていたし。。。ほんものは時代超えるっていうことなんだろか。

* * *

旧暦(太陽太陰暦)の大晦日ももうあとすこし。新しい1年、オープンでいること、正直であること、しあわせをちゃんと望むこと、ご縁や世界とのつながりを大切にすることを基本に、和やかに過ごしていけたら、と思っています。こんな時代だけれども、というか、こんな時代だからこそ。。。

ご縁あっておつきいあいいただいているみなさま(ひとも、ひとじゃないみなさんも)、今後ともどうぞよろしくおねがいしますm(__)m

| | コメント (0)

2015.09.27

少しずつ

20150922_153101 栗の渋皮煮、初めてつくってみた。前に相方のお母さんがつくってくれたのが、おいしかったので。重曹入れて煮ると、濃い色になってびっくり。楽しくつくりました。

Dsc00561_3 この栗は、岐阜への旅のとちゅう、郡上八幡の神社の朝市で売っていた栗を衝動買いしたもの。重たいのにリュックに入れて旅の間しょって歩き、夜行バスで新宿に帰りついた日には、栗入りリュックをしょったまま、また国会前デモへ向かったのでした。。。そんなわけで、わたしとしばし共に歩んでくれた栗であります。

安保関連法案のことでは、国会前に通ったり、国会中継を連日深夜まで見守ったり、ぐっと力を込めて過ごす日々がしばし続きました。改めて、今まで以上に、地に足のついた希望を持って、あきらめずに、ひとりの人間として声をあげていく基礎体力と基礎知力が、自分のまわりのひとたちに、そして自分自身にも、ついたように感じています。目先の結果や報道の内容に一喜一憂するところには、もういないのだなあ、と。

一気にガラリと変わるとかでなく、こうやって少しずつ、経験を経てレベルアップしていくこと、尊いな、と思う。

Dsc00548 とはいえ、直後の連休はやっぱり寝不足でヘロヘロになってしまって、すっかりリハビリデイズとなりました。ともだちが会いにきてくれたおかげで、ほぼ毎日海に親しんで過ごした。

遠方から車で来てくれた(み)ちゃんと、浜で待ち合わせをして、お互い遅くなって、同じタイミングで到着。夕日は見逃したけど、明るい三日月を眺めて、波に映る月の道を眺めたところから。。。

翌日はまた夕焼けアワーに、遊びにきてくれた(よ)さんと、(ゆ)ちゃんと浜へ。波打ち際が夕日に金色に光るのを、きれ~ い!としばし眺めているうちに、(よ)さんが、さささ、と水着に着替えはじめ、あっという間に入水。。。つられてわたしも入ってみたら、海の中のほうが外 より温かいくらい。気持ちよかった。。しかしこの季節にまだ海に入るだなんて、自分史上初でした。。

その翌朝は、「海辺で過ごしたい」という(み)ちゃんと、(ゆ)ちゃんと朝から浜へ。海には入れるかなあどうかなあ、と言いつつ、念の為水着を着て行き、結局また入ってしまった。。波があんまりなくて、ぷかんとあお向けに浮かんで空の雲をながめていると、音も水の中できこえる波音しかしないし、見渡すかぎり空だし、自分の中にわーわーざーざーと続いていたいろんな想いが、しばし、止まった。

海から上がって、太陽と砂のあったかさで体を乾かすために、3人で浜に寝ころんでおやつ食べて過ごして、「お彼岸に海水浴って、人生初だよ!」と笑いころげ。

Dsc00547 そのあと1日おいた次の日には、海外から来日中の(ひ)さんと、また夕焼けを見に浜へ。さすがにこの日はもう水には入らなかったけれど。。。富士山がさきっぽだけ見えていて、きれいかったので、砂浜に腰をおろして、素足を砂のお山のなかにうずめていた。風はすずしかったけど、砂の中のほうはあったかだったな。

* * *

特に休まるのは、しばし、自分の中のいろんな想いが止まるときなんだけど、サウナに入ると、やはりそのようになる。

ちょうど1年前、フィンランドに行ってサウナに入ってからというもの、サウナ、しかもロウリュ(水をかけてジュワーと出る蒸気を浴びるサウナ)が大好きになっていたんだけれど、そのあと、タナカカツキさんの「サ道」という本を読んで、初めてサウナと水風呂を行き来することを覚えました。その圧倒的な気持ちよさといったら。。!思考回路に「強制終了」がかかって、自分がまるごと体だけになるような、ただの生きものになるような感じ。

水風呂は静かにそおーっと入るのがコツ。水の中でじっとしていると、皮膚の周辺に「羽衣」ができあがります。それができあがると、もう水は冷たくなくて、ずうっと入っていられそうなくらいになる。これがほんとうに気持ち良いのです。

水風呂のあと、またサウナに入ると、こんどはサウナがさっきよりまた一段と気持ち良くなり……、サウナ→水風呂→サウナを何回も繰り返していると、もう圧倒的な心地よさ。

20140908_203307そういえば、たまたま滞在したピスパラという町にあったフィンランド最古のサウナでは、水風呂がわりに、みんな外の風に当たっていました。風に当たって涼んでは、またサウナに入る、を何度も繰り返していた。老若男女が皆体にタオル一枚まいた姿で庭先にたむろして、おしゃべりしていた図はある意味衝撃的でした。

あのサウナは、薪であたためていたサウナで、電気やガスとはまた違ってやわらかい温かさでした。北鎌倉の常楽湯も、薪で沸かしたお湯がすごくやわらかかったけど、どうして木を燃やした熱であたためると、ああいうやわらかーいあたたかさになるんだろう?

有機物と無機物の違いかな???

木々のこと、知れば知るほど、もっと知りたくなる。

森で木々とただ一緒にいるのももちろんだけれど、こうして薪になってくれた木々のあたたかさを経験したり、切った木からグリーンウッドワークで椅子やスプーンやいろいろをつくらせてもらう体験をしたり、そういうなかでもっと木々のことを知っていけるように最近は感じています。

20758931824_e375eb2959_m 今回の岐阜行きでは、森の木を切る(間伐する)ことの大切さも、実感したのでした。美並というところで、汗をかきかきレンタサイクルで星宮神社まで走ったのだけど、その地域の、巨大な杉・檜がそびえたつ薄暗い森に、圧倒されました。。。しかも森の神は女性が森に入ることを嫌う、という言い伝えを知ったりもして、すっかり気後れというか、気落ちしてしまったのだけれど、その後、森林アカデミーの裏山で小径木の伐採を体験させてもらって、また全然違う森だなあと体感したのでした。そこの森は、さまざまな樹齢の広葉樹も多い明るい森で、まめに人の手が入っている森。

昨日参加した、湘南海岸林のお手入れボランティアでも、生命力あふれる蔓草たちに敬意を払いつつも、それらがクロマツの木やそのあしもとの広葉樹たちの成長を阻んでしまわないよう、お手入れしていくことが大切なのだと知りました。真っ赤に透き通るかわいい実20150926_111326 をつけた蔓(ヒヨドリジョウゴ)もあったりして、忍びないな、とも感じたけれど。

それにしても、ほんの数時間森に入っただけなのに、海に少し浸かった日と同じくらい全身が心地よくくたびれました。道のついてないもモフモフの森に分け入っていくのは、海に入るのに近いものがあるのかも。

海も、森も、どちらも好きで仕方ありません。。。少しずつ、もっと知り合っていきたいなと思う。

しかし最近ブログを書くと、話が二転三転してしまうな。。。わたしの思考回路がそのようになってきた証拠かな。。さいきんいろんなことがうまく言葉にならない。。

| | コメント (0)

2015.09.03

はいあん

20150902_154824 暑い夏があまりにも突然終わってしまって、しゅんとしてしまっていました。相方は今年の夏は海で十分に泳げなかったことを嘆いていた。。。

そんなわけで、もう近所の浜の海水浴シーズンは終わったのだけど(監視員さんが常駐してくださる期間はすぎたのだけど)、相方が久々に連休をとった昨日と今日、一瞬だけだけれど、海に入ってきました。

海水浴シーズンが終わったことをきっと喜んでいらっしゃるにちがいないサーファーのみなさんの横で、泳ぐ。。。結構勇気がいるし気を使う。。。もちろん、サーファーに人気のない、波の立ちにくいスポットをねらって入るのだけど。

20150902_155054 今朝は午前の1時間だけ晴れ間になる予報だったので、朝起きて、パジャマから水着に着替えて、朝ご飯前にひと泳ぎ!気持ちよくて、どうして今年は夏のあいだにもっとこれをしなかったんだろう、と思いました。

まあ、今年の夏は暑すぎたってことか。。。

* * *

安保法案のことはひきつづき、がんばりどころで。。。でも先日の国会前を埋め尽くしたデモは、わたしにとって、今までで一番おだやかな気持ちで参加できたデモでした。

20150829_102954 国会へ行くまでの地下鉄の構内の歩道から、外に出た道路から、どこもかしこも、人、人、人。手作りプラカードの人、さりげなく「No War]と書いた小さなバッジをかばんにつけている人、ちびっこと一緒に来ている人。。。いわゆる運動家という感じの人がむしろマイノリティに感じるほど、ふつうの町中のように、世代もさまざまな老若男女が集っていたのでした。

もちろん危機感があるからあの場に自分も足を運び、数の1人になろうとしたわけなのだけど、でも小雨ふる中これだけの人がここで一緒に意思表示をしていることに、ほっとしたというか、なんというか。311後にあった6万人集まった脱原発デモのときも、似た感覚をもったけど、今回はその何倍も。

高校生、大学生のみなさんが特に心強くて。。そしてこの方たちのコールはリズム感もよくて、音楽みたいで、つい踊ってしまいそうになるくらい。この日もやっぱりみんなをひっぱっていたなあ。。

20140701_172853 あべはやめろ、というコールだけは声を合わせられなかったけど(あべさんがやめることで解決することなのかどうか、わたしにはわからないのと、あべさんに伝えたいのは「やめろ」ということでなくて、「平和憲法を活かした外交・国づくりをしてほしいです」ということで。。去年7月につくった写真のプラカードを今回も持参したのでした)、でも「戦争法案今すぐ廃案!」「廃案!」「廃案!」というコールは声を合わせました。

はいあん、はいあん、とみんなでいっていると、だいすきな台湾のシンガー、スミンさんのうたを思い出したりした。

台湾原住民・阿美族のスミンさんのつくるうたには、歌詞に「はいあん、はいやん」がいっぱい出てくる。日本語に訳すなら「えいさーはいさー」みたいな感じのニュアンスの言葉だそうで、阿美族に伝わるうたは元来そのように、特定の意味を持った言葉でなくて、どんな意味も込められる、自由度の高い言葉でうたわれてきたらしい。

スミンさんが「はいあーん」とうたうと、そこには大海原が見えたり、風が通るのが見えたりする。ほんとうにすごいすき。。。生で聞かせていただく機会も数回あったけど、ほんとうにやばいです、あのうたごえは。

中国語の歌詞をつけたうたも発表してはいますが、わたしがいちばんすきなのは、やっぱり「はいあん」がいっぱいでてくる曲たちです。

20150830_152045 そんなわけで、国会前で「はいあん」とうたいつつ、近くにいた家族連れのちびっこたちがかっぱをきてシャボン玉遊びをしてるのを眺めていた今回のデモは、わたしにとってはいつになくおだやかな時間でした。

小雨交じりの空に、シャボン玉、きれいかった。

日弁連(日本中の弁護士さんが加入する、弁護士さんの団体)の会長さんも、あのデモでスピーチをされてましたが、今回の法案で自衛隊が他国軍に提供・輸送できるとしている「弾薬」の定義の中には、法律上は核兵器も化学兵器も入り得る、そういうものになってしまっている、時の政権が解釈次第で乱用できてしまうあいまいさのある法律(政権にとっては自由度のある法律)が成立してしまうことは絶対にいけない、とおっしゃっていました。弁護士さんたちがそうおっしゃってることの意味を、帰り道、考えていました。

このニュースにもなっていますが、中谷防衛相は「ミサイルや手りゅう弾、クラスター弾、劣化ウラン弾も弾薬にあたり、輸送を『法律上排除しない』と説明してきたが、五日の特別委では核兵器も加えた。化学兵器の輸送も条文上は排除されないとし、核兵器を搭載した戦闘機への給油も『法律上は可能』と述べた」とのこと。)

日本の自衛隊が、どこかほかの国(アメリカなど)が参加している戦争に加担していくことには、ほんとうに賛成できません。どんな形であっても。

アメリカやイギリスという国はさまざまな大儀で武力攻撃をするけれど、私の知っているイギリス人、アメリカ人は、「(他国の政府や組織に)人殺しをしてはいけない、と伝えるために、人殺しをするなんてわけわからない」といいます。

国がする意志決定と、国民の考えは一致しないのが常なのかもしれないけれども、でも。

武力は解決にならない。力で言うことをきかせるやり方は、しこりを残してしまう。それは歴史が証明してる。グループ間の対話について、ほんとうにさまざまな洗練されたやり方が今は存在していて、それらをフル活用していくことを世界のリーダーたちが選ぶのだって、今はもうごく現実的になってる。

世界のリーダーたちだけでなくて、わたしたち個人のレベルでも、力で凌駕することを本当に卒業して、相互尊重を基本にしてくことが、これから当たり前になっていくんだろうと、思う。

今は過渡期だから、チャレンジもあると思うけれど。でも、これはぐるりおおきな輪を描いて、もとの場所へとたどりつくようなことなんだと、なんとなくそう思っています。

| | コメント (0)

2015.08.26

つながりの中から拾い上げてく

20150826_184131 今夜は夕暮れ過ぎに川べりを自転車で走ってたら、お祭り囃子が聞こえてきて、そしたら橋の上にぼんぼりをいっぱいつけたおみこしがいた。子供たちが太鼓を打ち鳴らして、大人たちが山車を引いていた。夕空の蒼にぼんぼりの灯が映えていて、きれいだった。笛のひびきも。一瞬時空をさらわれるような感覚になる、こういうとき。

さて、昨日会った(ふ)ちゃんから、以前わたしが好きだと言ってたアン・モロー・リンドバーグの本を読んだけどうんぬん、と言われ、え、その人知らないし、読んだこともないよ、(ふ)ちゃんそれは(ふ)ちゃんの夢の中での話だよ!と力説したら、(ふ)ちゃんと、あと一緒にその場にいた相方の両方から、なぜか逆に、その本を読むよう「夢」から呼ばれてるのはわたしのほうだ、という結論を出され。。。その本のタイトルは確かLife from the Seaだったなあ、と今朝起きぬけに思い出していました。

で、おととい行った、だいすきな鎌倉のカフェのトイレの中に張ってあった、「LIFE Sea」という、最近うちの近所にオープンしたらしいレストランのチラシも同時に思い出され。似ているな、本のタイトルとレストランの名前、と思ったのでした。

ということは、レストランに呼ばれている可能性もある、と考えて、翻訳仕事がたまってなくて久々の3連休目となった今日、行ってみちゃうことにした。

そこはちょうど、ちょっと前から気になっていた蔦屋書店というところに去年できたレストランでした(そうだ、そして昨日(ふ)ちゃんからは、この蔦屋書店もおもしろいから行くとよい、と強く勧められたのだった、彼女はこの近所に住んでいるわけではないのに、なぜかそこのことを知っていて)。初めて行く場所だったけど、行ってみたらば、いつもよく行く近所の植物園からほんのちょと先で、思っていたよりもずっと自転車圏内。こんなところにこんなのができてたとは、と驚く。。。

本とそのほかの生活雑貨(食品から身の回りの雑貨や衣類やまで)が有機的に混ざり合ってディスプレーされているおもしろい空間で、しかも買う前の本もゆっくり読めるソファや椅子がそこここにたっぷりあって、大変よいところでした。

20150826_171733 結構目立つところに、LGBT関連本特集のテーブルディスプレーなんかもあって。。奥のほうにはワークショップスペースや手しごとの作り手さんを応援するスペースなどもあり。。。レストランやコンビニやドリンクのカウンターなどが、本や雑貨の合間からふいと突然表れる。

で、LIFE Seaというレストランに入ってみました。居心地よく、お味もよくて、いいところだった。ホットコーヒーを飲んだのだけど、後でお店の中にあった冊子を見ていたら、ここのコーヒー豆を焙煎しているのが、あの鎌倉のカフェのオーナーだったのでした。なるほどそういうつながりがあったのか。

鎌倉の、ディモンシュという、あのカフェもそうなのだけど、ここLIFE Seaも、代表者の顔と名前がちゃんとわかって、何が好きでどういうことを大事にしてやってこうとしてるのかとかも、ほんのりわかる。非直接的にだけど、そういうことがコミュニケートされてる。こういうふうなのは、好きだな、と思った。

でもそれ以上は、ここに呼ばれた(?)意味は不明で。。。帰宅してから、今度はアン・モロー・リンドバーグを検索してみた。

そうしたら、彼女が書いたという、とっても気になる文章が出てきた↓

For Sayonara, literally translated, 'Since it must be so,' of all the good-bys I have heard is the most beautiful. Unlike the Auf Wiedershens and Au revoirs, it does not try to cheat itself by any bravado 'Till we meet again,' any sedative to postpone the pain of separation. It does not evade the issue like the sturdy blinking Farewell. Farewell is a father's good-by. It is - 'Go out in the world and do well, my son.' It is encouragement and admonition. It is hope and faith. But it passes over the significance of the moment; of parting it says nothing. It hides its emotion. It says too little. While Good-by ('God be with you') and Adios say too much. They try to bridge the distance, almost to deny it. Good-by is a prayer, a ringing cry. 'You must not go - I cannot bear to have you go! But you shall not go alone, unwatched. God will be with you. God's hand will over you' and even - underneath, hidden, but it is there, incorrigible - 'I will be with you; I will watch you - always.' It is a mother's good-by. But Sayonara says neither too much nor too little. It is a simple acceptance of fact. All understanding of life lies in its limits. All emotion, smoldering, is banked up behind it. But it says nothing. It is really the unspoken good-by, the pressure of a hand, 'Sayonara.

日本で暮らす身でありながら、「さようなら」とは、「左様なら(ば、仕方ない)」という意味だったと、初めて知った。「Since it must be so」と文字通り訳してあったおかげで、ああ、そうか、と。

リンドバーグさんは、この日本語の別れの言葉は、自分が耳にした世界のさまざまな別れの挨拶の中でも一番美しい、と言っていて、他の言語の別れの挨拶と内容を比べているのだけど、こういう感性を持ったリンドバーグさんに、関心が湧いた。

Giftfromthesea じゃあ、やっぱり彼女の本を読んでみるべきなのか、と思ってもういちどよく見たら、タイトルはLife from the Seaではなくて、Gift from the Seaだった。。。あれれ。。 ちなみに上記の文章が出てくるのは、彼女の別の作品、North to the Orient。このタイトルも、きれいだな。

両方とも、いつか読んでみたい本リストに、ほんのり加えておくことにします。さまざまな伏線とご縁をありがとう、(ふ)ちゃん。

(蔦屋書店の中で、もうひとつ、気になったイベントがあったのだけど、そちらのことは、まだ考え中。)

最近、どんなインプットを入れるかに、どうも慎重になっているみたい。ぼんやりしているせいもあって。でもここ数日は天国みたいに涼しくなって、だいぶんマトモに考えられるようになってはきてるけども、なんだか気を抜くと、やっぱりぼんやりがはじまるのでした。

* * *

ただ、ずうっと、楽しいはずのことをしても心が動かず、なにかをしようという意欲も湧かずだったのが、ちょっと上向いてきてるようではあって、おととい、近場の低山にハイキングにいってみたらば、想像以上に楽しかった。。とってもおおきな楠もいたし、樹齢750年のビャクシンの 木もいた、もう神話のなかの木みたいでした。Img_4119

食事中のりすにも会って、細い枝の上で宙返りして実をもいだり、となりの杉の木にとびうつって、後ろ足で幹に ぶらさがり、前足は両ひじをついて手に持った実をかじったり(おなかはぺたりと幹についてて、ちょうど床にうつぶせに寝転んで両肘をたててる人みたいなの が、バーティカルになったふう)、わたしからみるとどれも離れ業ばかり。でもりすにとっては樹上こそがホームで、くつろいだ自由な身のこなしは見ていてほ んとにあこがれた。

汗もかいたけど嶺を吹き抜ける風は涼しくて、快適で、あんまりあせベタにならなかったけど、でもハイキングしたら最後はお風呂で締めないと、と下山したところから一番近い銭湯に行ったら、古いけどこざっぱりときれいなとこで、脱衣かごが銭湯ではみたことないようなおおらかですてきな藤製のかごで、ロッ カーはなくて、お風呂のなかにはどどーんと本栖湖の絵。お湯がやわらかいな、と思ったの20150824_183328 で番頭さんに聞いてみたら、薪で沸かしてるからですよ、ガスと違っ てやわらかくなるんですよ、と、常連のおばさんとふたりで嬉しそうに説明してくださり。すごいですね、というと、またいらっしゃい、と。

いろんなありがたいことがあったのでした。有難い、の文字通り。。。

そうだ、そして、おととい、あの銭湯で使った、他では見たことがなかったすてきな藤製の脱衣かご。あれとおんなじかごが、今日、LIFE Seaでコーヒーを飲んだ時「荷物置きにどうぞ」と差し出されたのだったっけ。お手洗いは昔ながらのぽっとんで、湯沸かしは薪(銭湯横にうずたかく積み上げられた廃材たち)という、昭和15年(戦前だ。。)創業のあの銭湯と、去年オープンしたばかりのおしゃれなイタリアンレストランが、藤のかごでつながっていたのでした。おもしろいな。

ハイキングしてたとき、こんなして歩くだけでおもしろいんだから、いいねえと思ったけれど、ハイキングでなくても、近所をふらふらするだけでも、おもしろいことはあるもんだなあ。。

でもやっぱり元気が出たのは、なにより、山道の木々や動植物のおかげだと確信しています。そうだ、それも、今日行ったレストラン、LIFE Seaの代表者の相場さんが、お店の冊子に書いていた文章の中に似たようなことがあって、「お」と思ったのだったっけ。

ロンドンのPetersham Nurseriesというところへ彼が行ったときのお話なんだけど、この植物の巨大温室をそのままカフェにしたような場にいて、「とにかく心地いい」と言い、「植物=エネルギーなので、食事からとるエネルギーだけでなく、こうしても植物からも感じられるのはすごく贅沢。」と書いてらした。相場さんはそもそも、「外で元気に花や緑が生い茂る中で食事ができるレストラン」を夢見ていたそうで、その実現に向けて「1歩が踏み出されたような気がしています」とも書いていらした。

木々を眺めては「森林浴だ、森林浴だ」、鈴虫の声を聞いては「リンリン浴だ、リンリン浴だ」、蝉の声を聞いては「ミンミン浴だ、ミンミン浴だ」と、なんども相方とそんなことを言いながら歩いた山道。冗談みたいにいってたけど、ほんとうに、浴していたんだな。ありがとう、と思う。。。

| | コメント (0)

2015.06.10

ちいさいぼうけんと、地面浴

今日は、お向かいさんに「切ってね♡」と言われていた、電線にさしかかっているセンダンの枝を4本、剪定。いい汗かきました。やっぱり、高い木に登るのって、とっても気持ちいい。木のぼりができて、楽しかった。

Img_9694 ちょうどいい太さだったこともあって、剪定した枝の一部は、途中でストップして久しい削り馬の脚に加工しました。今、テノンがもうちょっと乾くのを待っているところ。

そしてまだまだ余っている枝をどうするか思案中。スツールか椅子も、できてしまうかもしれない量があって。でもわが家はこれ以上椅子が増えても困るし。。。携帯用トライポッドスツールでもつくるかなあ。。。でも地べたが好きなのでつくってもあんまり出番がなさそうでもある。。。そう、こないだのキャンプでも、地面のすばらしさを再認識したばかりで。

* * *

20150604_152407 先日、仕事はたてこんでいたのだけど、集中もできないくらいそわそわレベルになってしまって、とうとう、ぱぱとそこら へんの荷物をまとめて、電車にとびのり、西湘の浜辺のキャンプ場へ行きました。

相方はお仕事の日だし、行ったことのない場所だし、まずは下見がてら日帰りで、とも思ったの だけど、せっかくだからと泊まってしまい。。。期せずして初めてのソロキャンプになりました。利用者はわたしひとりで、管理人さんも夕方には帰り、この浜辺の 一帯を一人占め。とおもいきや、ねこがいたし、おなかがきみどりいろのアオバトの群れもいた。虫たちも。松も桜も。。。

テントから浜まで10秒という場所。ただ反対側の真裏に国道があるから車の音がするのだけど。お世話している人たちの気がゆきとどいた場所でした。

20150604_162048 20150604_172010 電車と歩きで、午後3時くらいに到着して、テントを張って、薪を拾って。なんちゃってフェザースティックを作ったりしつつ火をおこして。。。おやつに枝パンを焼いたり。

20150604_184319 暗くなりすぎるまえに、野菜のおゆうはんを作って、さくっと食べました。蚊が少しいたから、積極的に煙たい焚火にしてみた。20150604_183003_2

夜はテントにもぐりこんで本を読んで、そのうちに寝た。。。

それが、地面の近くに眠るのが、気持ちよくて。。。! あたたかさと、「引き」があって。からだが休まる「引き」。ぐーっと。。。岩盤浴らなぬ地面浴。すごく休まりました。

フライシートの扉を開けたまま寝たら、寝たまままるい月も見えたり。星も見えてた。

20150605_043558 20150605_043652 目覚めたら向こうの空がピンクだったので、外へ出てみたら、ぴかぴかの朝日が出てきて。

朝日を眺めつつ、浜で、朝ごはんにマフィンみたいなのと目玉焼きを焼いて、コーヒーを入れて。

20150605_050855 ハンモックにゆられてずーっと海を眺めて過ごしました。早朝は静かで、気持ちよかった。まわりの音を、聴いていました。20150605_051958

そのうち曇りがちな空になってきたので、ゆっくりテントを片づけて、最後に(料金に含まれている)温水シャワーを浴びて着替えてから(きれいなシャワー小屋でびっくり)、帰路につきました。

帰り道、駅までの坂道をのぼってくと、高い壁にながーい梯子をかけて、おじさんが梅の実を、大きなバスケット二杯やまもり収穫し終えたところに出くわして。あいさつ して、立派な梅の実ですね、と言ったら、今年はよくできたんですよ、ここは風が強いから、いい具合になる前に落ちちゃう年も多いんだけど、と。ただ、獲る のはいいんだけど、そのあとがねえ、とのお話で、「よかったらすこしもっていってよって言っても荷物になっちゃうかな?まあ、袋にすきなだけ、いいやつ選りすぐってもってってよ」と言われ。。。

Img_9687 毎年梅干しやら梅ジュースやら仕込むので、消費が追いつかなくなりつつあって、今年は梅仕事はお休み、と思っていたんだけど、せっかくなので、ありがたくいただいてきました。「気をつけて帰ってくださいね」とおじさんに見送っていただいて、うれしかった。。。

帰ってから、だいすきな黒糖梅ジュースのもとを仕込みました。Img_9690

* * *

一度やってみたかったソロキャンプ。期せずして実現してみて、想うのは、こういうちょっとおそるおそるの新しいことは、事前に周到に準備をして計画をして、というふうにするより、ご縁と勢いとタイミングでぱぱっと動くほうが、自分にはよいのかもしれない、ということ。

もちろんまったくいきあたりばったりだったわけではなくて、自分なりのリサーチと心の準備は(手早くだけど)したし、動物たちにも相談して決めたことで、晴れの天気予報や、限られてはいるけど自分のこれまでの体験への信頼があって、できたことだったけれど。

あ、そして、今回はひとりで外寝するのと、もうひとつ、プチチャレンジをしてたのだった。焚火のみで過ごそうと、いつもは「万一のときのバックアップ」に持参するガスバーナーを持っていかなかったこと。

小さい手製の焚火台と、市販のウッドガスストーブ持参。落ちていた桜の枝やなんかを手折った、焚火台の薪は、きれいに燃え尽きて灰になってくれました。Wild and Nativeさんのとこで教わったとおり、両手ですくって、うっすらと撒きました。花咲か爺さんの気分になる一瞬。。。

モノに頼るのを減らして、教わったスキルと知恵と工夫とで身軽に、という方向へ行きたいのだけれど、でもファイヤースチールだけで(ライターを持参せず)というのはまだ無理でした。今回、炭化した布片(図書館で借りたアウトドア本に出ていた、古いTシャツを空き缶の中で燃やして、缶のふたをしめて蒸し焼きにして作る火種)を持参し忘れちゃったのでした。それなしに、ファイヤースチールだけで火をおこすスキルは、自分になかった。

20150604_152346 できることとできないことを自覚しながら、安全を考えながら、少しずつ、しかないけれど。。。できるだけその場を騒々しくかき乱さないでそこに居られるようになりたいな。そしてみんなの声や存在をもっと聴きたい。。






| | コメント (0)

2015.05.08

森時間

Img_9568 ゴールデンウイークは、今年も御殿場の森で過ごしました。この時期に御殿場で過ごすようになって15年。いろんな記憶がミルフィーユのように(バームクーヘンのように?)重なっていて、気持ちがたくさん動く。。。この時期にあちら側へ渡ったふたりのことを想ったり。(し)ちゃんとは、別れ際、おでことおでこをくっつけたときのことを、鮮明に思い出す。。

あちら側には会いたい存在がなんにんもいて、だからわたしは、あちら側へいくのがほんとうに楽しみ。死にたいと思うことは、自分にとっては、暗くネガティブな気持ちでいっぱいなわけではないのだけど、それでもやっぱり、死にたいと思うことは、自分勝手なこと、いけないことなんだろかな。ひっそり想っているだけなら、いいんだろか。

Img_9567_2 いつもおじゃまする御殿場の森は、いい意味で隔絶されていて、静かに過ごすことができて、とてもすき。大きな木々の、地中の根っこと、地上の幹や葉っぱのあいだに挟まれてねむると、それだけで気がチャージされる体感がくる。

Img_9557_2今年はいつもと反対側の森で過ごしたので、富士山も見えてすてきでした。翠のバッタと一緒に富士山を眺めつつおやつを食べたの楽しかった。

Img_9519_3テントを張った場所にはかわいいヒノキの実が地面にたくさんころがっていた。ヒノキとスギの木々と一緒に4日間過ごして、焚火の焚きつけに両者の落ち葉を使うなかで、体感的に両者の見分けがはっきりついたのがうれしかった。ポイントは葉っぱの形なんだな。樹皮はほんとにそっくりさんなので。

土の上をはだしで歩くのも気持ち良かった。はだしになると、おのずといっぽいっぽ注意深く踏む。何年かまえにWild&Nativeの川口さんに教わった、ネイティブアメリカンのことば「大地を歩くときには、自分にとってもっとも目上の存在の上を歩いていると知りなさい」をふっと思い出す。

夜になると、フクロウにしては高い声が、ずーっと、あっちとこっちで鳴き交わすようにしていた。だれなのかな、あれはとハテナマークを抱えて帰宅して、調べたら、トラツグミだった!

Img_9532 Img_9545Img_9534_2    今年もまた豪華焚火料理を(み)ちゃん、(ゆ)ちゃんがつくってくれて、野宿とは思えないすてきな食生活ができたこと、ありがとう。(ふ)ちゃんの大活躍も大助かりでした。

Img_9559_4Img_9541_2きのこのパスタもおいしかったし(お湯がわくまでがスローだったけど)、ネパールカレーのスパイスを混ぜ混ぜするのも楽しかった。。エリンギやピーマンやネギの網焼きも最高だったな。最後の日のブランチは、チーズ入りトマトチャーハン目玉焼きのせに、甘夏とレーズンの入ったサラダ、大好物のピーナツクリーム&トーストまで。。ふだん家で食べてる朝食より豪華だったかも。ごちそうさまでした :)

Img_9569_3 雨の予報もあったので、慣れないタープ張りもがんばりました。おかげでトートラインヒッチ(自在結び)を体で覚えられた。

Img_9516_2 ハンモックも初めて吊ってみた。(ゆ)ちゃんがギターを弾いてくれてるあいだ、ハンモックにゆられて木々を見上げて過ごした朝は、ぜいたくなひとときでした。

Img_9542_4 リビングキッチンのタープに枝で柱をこしらえたのも、今回のお気に入り。(ふ)ちゃんがちょうどいい長さと太さの枝を見つけてきてくれたおかげ。

なかなか眠りにつけないくらい寒かった夜も一晩あったけど、それもいい経験になった(寒い夜は寝袋に入る前にあったかグッズを頭のまわりにおいとかないと、寒くて取り出すこともできないのだよね、前にも体験済みなのに、またしても。。(><)

パッキングを終えて、帰るとき、ニホントカゲ(ニホンカナヘビかと思ったけど、やや太っていて肌がつややかな印象だったので、帰宅して調べたら、トカゲのほうだった)が顔を出してきて、あいさつしたらぐぐぐっとこちらへ歩み寄ってきてくれたのに、急いでいて早々に去らなければならなかったのが残念でした。

時間のプレッシャーがなければなあ、と思ってしまう。「時計時間」との付き合い方、もっと上手になりたいな。

森時間をご一緒できた(み)ちゃん、(ゆ)ちゃん、(ふ)ちゃん、(あ)さん、みんなありがとうね。

乙女森林公園第一キャンプ場のスタッフのみなさまにも感謝。おかげさまで、いつも気持ちよく過ごさせていただいています。

Img_9563そしてなにより、森のいろんな存在に、ありがとう。

追記:常緑は誰なのかわかったけど、不明なままだった広葉樹。丸い、きみどり色に透き通る若葉がきれいでした。若葉の先っちょになにかピンクの花?葉っぱの変形したの?があったなあ、そして樹皮は灰色がかっていて縦に模様があったなあ、という、これらの手がかりでググったら、カツラだとわかりました\(^o^)/

カツラの秋の落ち葉は「醤油せんべい」の匂いがするとのうわさ。匂いでみたなあ。「木理は通直で節も少ない」「材質は、広葉樹にしては比較的軟らかい方で加工もしやすい狂いも少ない方」という記載もありました。気になる。。。

ピンクのはやっぱり花だそう。花弁もがくもない雄しべだけ、雌しべだけの花。これは、カツラが「植物の進化系統上原始的な種であることをあらわして」いるんだそう。川や水脈が好きなんだそう。

| | コメント (4)

2014.10.06

古代の手仕事と、白樺の森

20141003_105550 イギリス・ヘレフォードの森でつくってきた椅子の座面に、エルダーベリーの実で染めた紐を使ってから、染めの方向へ心が動きやすいこの頃。。。それで、そういえば、と思い出したのが、イギリスへ行く前に途中下車してたずねたフィンランドでのこと。

たまたま、フィンランドの国樹である白樺の葉っぱで染めたウールの毛糸を、糸を紡いで染めたご本人から買い求めることができたのでした。白樺の葉っぱで、こんなにきれいなグリーンが出るなんて、知らなかった。。。写真左のグリーンのが、白樺で染めたものです。右の茶色のほうは、フィンランド羊の自然のままの毛の色。

これを買ったのは、森の中で開かれていた「鉄器時代のマーケット」でした。

セウラサーリ野外博物館という、小さな島にフィンランド全土の古い家屋を移築したミュージアムに行きたくて、ヘルシンキからバスにのってでかけていくと、島の入口の橋のたもとで、古い時代の服を身に付けた女性から、「今日は鉄器時代のマーケットをやってますから、よかったらどうぞ、あちらです」と、橋のたもとを右へ、森の中へ入る道を案内されました。

なんだなんだそれは?と思いつつ、今回の旅は地元の人に突如「○○をするといいですよ」などと声をかけられた場合は、そのとおりにする、と決めていたのもあって、迷わずその道を行ってみました。

20140906_140337しばらく行くと、あらまあ、ほんとうに、中世の村の広場のようなところに出たのでした。そこには、昔ながらの木の家々や、キャンバスのテント(木を削った杭と麻ひもで設置してある)が点在していて、焚火でお茶を沸かす人、さまざまな手工芸品を売る人、買う人、中世の弦楽器を奏でている人、フィンランド式組みひもなどの手工芸をしている人、遊び回っている子どもたち、おしゃべりしている大人たち。。。その半数以上が、中世の服を身につけていました。さながら「フィンランド版明治村?」といったふう。

20140906_131939 相方と顔を見合わせ、状況を理解しようとしました。セウラサーリ博物館は、昔の建物を移築した中に、ガイドさんが昔のままの衣装をつけて、昔ながらの工芸などをやって暮らしの様子を再現している、と聞いてはいたので、ここも、セウラサーリ博物館の催しの一部なのかと最初は思いました。

でも、古代の衣装を着てこのマーケット」に集っている方々からは「職員」とか「スタッフ」の匂いがしない。しかも手工芸品を売っている人はそのうち、売り場を離れて、買い手になって他の人のテントを覗いたり、おしゃべりしたり。。。とにかくみんなとても楽しそうなのでした。お店を出している人の子供達とおぼしきちびっこらも、古代の衣装を着て思い切り走り回って遊んでいるし。。。

そうこうするうちに、なにか大きな声でアナウンス(?)らしきものがあり、古代の戦闘の装備をした人たちが広場にどしどしと入ってきて、やおらケンカ(決闘?)が始まりました。言葉はすべてフィンランド語なので、ぜんぜんわからなかったのですが、近くにいたフィンランド人に「脇によけてなね」的なことを言われ、端っこで見ていると、そのうち決闘は広場でやるにはふさわしくない、ということになったらしく、向こうの野原へ移動して、そこで改めて2つのグループが思い切りやりあう、という展開に。

あきらかにお芝居なのだけど、とても迫真に迫っている部分もあり。。。しかし戦っているさなかに、剣を振り回しながら思わず失笑したりと、どうもプロっぽくないのでした。そしてどう見ても、観客よりもやってる本人たちが一番楽しそう。。。

20140906_175910 これをやっている人たちはどういう人たちなのかなー、と謎に思いつつ、わたしもすでにむしょうに楽しくなっていて、いろんな手工芸品を売る人たちのところを順繰りにまわっていきました。驚いたことに、どの人も、自分や自分の連れ合いが手づくりしたものを売っていたのでした。

20140906_180245 昔のデザインでつくった陶器の器、木を削ってつくったスプーン、鍛冶仕事でつくったナイフや鉄のツール、糸をつむぎ染めた毛糸、毛糸で編んだ靴下や手袋、フィンランドの昔ながらの組みひも、木と毛でつくったブラシや箒などなど。。。売り買いとは関係なく、古代の服を着て広場で手仕事をやっている人もいました。

あとは小屋の中で、お菓子のようなものを、粉を混ぜるところから、昔の暮らしさながらに焚火の火で焼いて作っていたり、青空の下で鉄鍋を焚火にかけてなにか飲み物を作っていたり、まるごとの動物のお肉を炭火でグリルしていたり。。。

お店を出している人たちと少しずつ話をしていくなかで、このマーケットはある考古学者の人が主催していること、集っているのはこの時代の暮らしやあり方、考古学などに興味や関心のある一般市民であること、毎年1回この時期に開催していること、などがわかりました。

20140906_140345 自分で紡いだ糸を並べて売っていた女性のうち、おひとりは、普段は設計士としてオフィスで働いていて、糸紡ぎが趣味とのことでした。

鍛冶仕事でナイフなどをつくって売っていた男性は、「ご専門は?」と聞いたら「古代のテクノロジー」とのお答。古代の遺跡の発掘などに関わっているそうで、エストニアのタルトゥ大学でネイティブ・クラフト学部を出たと言っていたのだけど、ここは古代の手工芸を学べる場所として有名らしかった。彼によると、フィンランドの文化はエストニアの文化との親和性が高い、とのことでした。

わたしは4月にイギリスでグリーンウッドワークに触れてから、さらに北欧のブッシュクラフトへと関心が進み、フィンランドへ行ったら、フィンランドの人なら誰もが小さい頃から森で使うという「プーッコ」という小さなナイフを買いたいと思っていたので、この方ともナイフ談義に花が咲きました。。。わたしの望みのデザインを描いたらつくってくれる、というお話にもなって、うれしいかぎり。ただ、この人の鍛冶仕事の目的は、遺構で見つかった古代の鋳物を再現して作ってみて、それを実際に使ってみることを通して、古代の人がその鋳物をどんなふうに使っていたかの理解を深めることにあって。。つまり古代に迫るためのツールなのでした。自分は普通に、木工やブッシュクラフトのためのツールとしてのプーッコを求めていたので、なんだかそんな自分がつまらなく思えたりしました。。。

白樺の葉っぱで染めた毛糸を売ってくださった女性は、赤ちゃんを抱いてあやしながらだったので、あんまりゆっくり話ができなかったのだけど、今日になって少し調べてみたら、白樺の葉っぱはフィンランドでは昔から染めものに使われてきたんだそうです。

生葉でも乾燥したものでも染められるそうで、乾燥する場合は夏至祭り前に収穫すべしとのこと。ウールを染めるなら、ミョウバンなどで先楳染しておき、染液の温度を90度くらいに保ちながらゆっくり染める。元の羊の毛色がグレー系だと緑に染まり、もっと白っぽいと黄色にそまるようです。今度やってみたひ。。。

* * *

20140902_150038 しかしフィンランドの皆さんは、ほんとうに白樺と仲良しなのだな。。。幹からは家具を、こぶからはコップ(有名なククサ)を、樹皮からはバスケットや小物入れなどをつくっています。20140908_170519_2

サウナの薪も白樺だし、サウナの小屋も白樺でつくるそう。サウナに入るときは、葉っぱのついた白樺の小枝の束で体をたたくという作法もあるそです。

白樺は森の精の化身とみなされているそうで。。。そしてフィンランドの森には、ほんとうに美しく立派な白樺がたくさん!

フィンランドで最初に滞在した、ヌルビヤルビという小さな町からさらに7キロのところのおうちでも、近所(といっても徒歩片道2時間ですが)の森で、たくさん白樺を見かけました。

20140910_125841_2   ヘルシンキから北へバスで3時間くらいのタンペレという街のはずれのピスパラというエリアにも滞在したのだけれど、そこのおうちの向かいの森には、樹齢のいった太く立派な白樺もいました。

ピスパラからタンペレへはおおーきな湖の脇を、ずーっと森の中をあるけるようになっているのだけれど、そこでもやっぱり際立つのは白樺やナナカマド。

20140910_144136 20140910_150125_2 ヘルシンキからタンペレまでのバス旅の間も、車窓の風景はひたすら白樺がいっぱいの森森森、たまに湖、といったふうでしたっけ。

ヘルシンキ郊外にあるヌークシオ国立公園も、やっぱり白樺が豊富なうつくしい森でした!

20140902_140904 どこの森も白樺が美しく、ブルーベリーがそここに茂っていて、実をつけていたりして、そして食べられるポルチーニ茸や食べられないいろんなきのこがにょきにょきと生えていました。

20140902_183637_2 フィンランドでは、森などの自然のエリアが誰の所有であっても、そこに入って自由にキャンプをしたり、ベリーやきのこを摘む権利「Everyman's Rights」が万人に認められています。

もちろん、権利には責任が付いてきます。なので森でのマナーも市民のみなさんに自然に浸透しているようでした。(もちろん、キャンプをする場合は後始末をきっちりすることや、民家から少なくとも○○メートル離れていなければならない、などのきまりもあるにはあるそうですが)。小さいころから大人と一緒に森に入り、作法を見て学んでいる、というふうに見えました。

20140902_143618 実際、小さい子どもを連れて森をがしがし歩いている親御さんたちを大勢見かけました。それと9月はまだ夜9時になっても明るかったせいか、朝から晩まで、森でたくさん人に出会いました。雨の降る夕暮れどき、乳母車に赤ちゃんを乗せて森の道を散歩するお母さんもいた。。。

生活の一部に森での時間が含まれているようでした。森の道をジョギングしていて、途中で道の脇のポルチーニ茸を摘み、きのこ片手にまた走り出す、といったお姉さんもいたっけ。。。

20140909_193044 行政が、森とつながる生活を応援している部分も大きそうでした。街からすぐの森には、歩きやすい小道が整備されていることが多かったし、そういう森の中の湖には、必ず湖のほとりに、清潔な着替え小屋とトイレ、シャワーが設置されていました。

20140909_121216_3そしてたとえ道が整然としていなくて森の中で迷ってしまっても(わたしたちも実際迷いました)、森の中では遅い時間までわりとよく人に出会えて、道を尋ねられるので、不安が少ないのでした。だから私たちもだんたん、日が暮れそうになっても知らない森が怖くならなくなりました。

フィンランドの人と森のかかわりは、すごく親しげでナチュラルで、かつ礼節があって、いいな。。。森の精とのつながりが切れていない人が多い感じがします。

フィンランドの人は全般的に、物腰が静かで丁寧で、立ち居振る舞いや、ほほえみの質感は、いわゆる”西洋の人”という感じがしなかったです(今回、自分の中の“西洋の人”イメージの書き換えが起こったことも、大きかった)。それも、もしかしたら、森や湖とのつながりと関係しているんじゃないかな、と思えています。。。

| | コメント (0)

2012.10.21

20121021_143945_2 すっかりわけわからなくなって、ちょっと憔悴していた今朝。体調も悪くて、なにもする気が起きず。

もしかして海に会いに行くとよいのかな、とうっすら思いつつ、どうにも体が動かなかったんだけれども。。。

気がすすまないなか、なんとかペダルをこいで、ひさしぶりに海辺の「ひみつの場所」に行きました。

最初はどうも居心地がととのわず、お天気がよいのに気分が晴れず。。。でもハダシになってしばらく砂のうえに座って海を眺めていたら、いつしか、自宅のリビングにいるときのように(というかそれ以上に)くつろいでおりました。

海と空を眺めて、しばらくしてから、本を読んだり、鳥たち犬たちにあいさつしたり。

20121021_16340920121021_164616いつのまにか陽が傾きはじめ。。。あっという間に3、4時間経っていました。

金色の光が海に広がるころ、ぼーっと波を眺めていたら、「都是愛、都是愛(ぜんぶ、愛)」と、(なぜか中国語で)ことばが降ってきました。

つづいて、「答えは、自分の中にある」と。
これ、すごくありふれたフレーズですが、今の自分にとって、大きな意味を持っていました。涙がつつーとあふれて出てきました。

ことばが降ってくる感じは、自分が頭で考えた感じとは異なる質感だったので、自分以外のものからのコミュニケーションなのかな、と思いました(昔、青馬という楠とコミュニケートしたときもこういうふうに近かったので)。

ここ数日、人が話してくれたことや教えてくれたこと、そのほかのいろんな情報に、圧倒されていたんだと気付きました。自分に戻ってこれたら、ほーっと安心したというか。内側から満たされました。

夕日が山の向こうに落ちるちょうどその頃、からすが群れになって東のほうへわーっと飛び去っていきました。「カラスがなくからかえろー」の市内放送が流れるのとほぼ同じタイミング。。。(笑)

20121021_165006海、だいすき、ありがとう。

ひさしぶりにこころがはーーっと晴れました。夕日と空と海は、今日もこんなにも息をのむほど美しくて。。

最初の最初を思い出す助けをもらえる場所があるって心強い。大丈夫だと思えるってありがたい。。

自分の場合は、たぶんなにがあっても、この海と空と太陽とこうして会うことさえできればいいんだな、と確認できたような感じです。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧