2019.01.05

”国家”と自然、身体と言葉

Img_6779 年末年始は、〆切仕事、家事、家族のことでいっぱいで。それ以外の時間は疲れ果てて寝るか、泣くかで。。やっと今日になって、自分の時間が来た。何日ぶりかで、テレビの音やおしゃべりのないところで、ひとりで過ごせる、自由時間。耳が、すごく疲れていたんだと、気づきました。

思い返すとたぶん、12月初めから、ちょっと神経をやられてたもよう。

22日にシャマン・ラポガンさんの鉄犬ヘテロトピア文学賞の授賞式に行ったあと、近年体験したことのなかった「寄る辺なさ」を感じたこと。

ラポガンさんの文学がどれだけ中国語圏の人たちの無理解と無視にあってきたのかを初めてリアルに感じたあの夜。翌朝、ラポガンさんの「受賞の辞」という文章の中の「島嶼と海洋は、もともとわが民族の”国家”であり、風、雲、雨、陽光、波、星空、生物、植物などは私たちの教育者であり、」というところを読んで発作のように涙が出てきたこと。

わたしは自分の組成が何なのかいまだによくわかってないけど、嗚咽が勝手に起こるとき、何かを探り当てた感触は確かにあって、そちらのほうが一層(one layerという意味の)深いところにある事実なんだろうといつも想像する。

昨日海を見たら、ようやくちょっと、ひと心地がした。海はやさしい、と思った。ラポガンさんのお母さんは、海に入ってなかった頃のラポガンさんのことを「お前はずっと陸に吹く風にいじめられている」と言っていたそうだけど、これ、やけにリアルなフレーズ。。

年末から、十数年来なかった肩こりで身体が日増しにがちがちになっていくので、なんとか自分の身体と向き合ってこうと毎日試みてたけど、なにもまともな成果も出ず、ただ耐えるしかなかった。身体はほんとうに正直だから、わたしがどんな声をかけるか、どんな態度をとるかで、応答の質はまったく変わってくるのだけど、今回はほんとうに、何を言っても思っても何も起こらなかった。固く閉じたまま。年末に知った、ある人の性暴力のニュースの影響も大きかったかもしれなくて、昔の記憶が芋づる式に次々に浮上して、自衛するには閉ざすしかないのだ、安心できる場などないのだ、という想いに身体が憑りつかれたみたいだった。

昨夜はとうとう「これは身体が文字通り悲鳴を上げているんだな」と思った。くたびれ果てて服をきたまま布団にもぐりこんだ。それで今身体に起きていることすべてに「You have every reason to be this way」とだけ言って、その後はそれ以上の言葉を重ねず、ただここにいた。そしたら外で吹く風の、親しみのある音がして、家の中のベッドの上にいるのに外にいるみたいな気持ちが少しして。それから、なぜかトイレットペーパーの筒のようなもの(でも筒の壁は厚さ4センチくらいある)を持って覗き込むような映像が浮かんだのでそれをただ見たら、ついに身体からの応答があった。。身体が勝手に動いて緩みだした。

映像は瞬時にどんどん移り変わっていった。。草花や木々がうっそうと黒くびっしりとしげる中にあざやかなピンクやオレンジの花のようなものがそここに浮かんでいる図。それが最初で、なんだろこれ、と思ったとたんにまた次の映像になって、そんなふうにどんどん続いていった。まったくなんの意味もわからない。連想力だけは高いらしいわたしでも、なんの連想も意味も関連性も見つけられない映像の羅列が続くのを、価値判断やら意味判断やらしようとするのを全部放棄してただ見てた。まったく意味をなさないけど、映像を止めようとしないようにした。身体はどんどん勝手に動いて必要なプロセスを踏んでいるようだったので。上唇の裏側がびよーんと伸びをするように伸びたり、右の肩から腕までが遠山の金さんが決め台詞を言う直前に着物をはだけるような感じで外へ向かってどどーんと出て行ったり、両足がまるで手になったかのようにお互いをこすりあわせてさすりあったり足首まわりをさすったり、頭の中の奥のほうで「クックックッ」と規則的な間隔で極小のクリック音が鳴ったり、右腕が宙に上がっていって手首から先がゆっくりと動いて気が指先に満ちるような感じになったり、右ひざが宙に上がってからバタっと落ちたり。

こうやって身体がおのずと動いてくれると、やっと解放が始まった確信が得られて安心した。。。夜中なのに全然眠っていないし、意識は覚めきってるけど、「眠らなくちゃ」という焦りはまったくなく。この自然運動さえ起きていれば、意識は眠れてなくても、明日には身体がぐんと休まって自分の状態もよくなっていると経験から知っているので、となりの相方の寝息やときどき始まるいびきをききながら、ただ動いていく映像と身体を体験しつづけた。。。

ぼんやりと、昨夜読んだ、野口裕之さん(野口晴哉さんの息子さん)の文章の中の「我を捨てて迎え入れる物は<自然>であり」というところを思い出してた。

野口さんの「生きることと死ぬこと―日本の自壊―」という2003年の文章は、久しぶりに心に迫ってきた文章だった。。近代の日本がとった「欧化啓蒙政策」を見ていったもの。筆頭で例に上がっていたのが、ヤマザクラがソメイヨシノにとってかわられたこと。そして木造建築文化が、建築基準法によって破壊された経緯(木材を「干す」のと「乾燥させる」のの大きな違いも指摘されてた。彼は身体教育の専門家のはずなのになんでこんなに建築関係に詳しいんだろう?)。そこから近代学校教育の理知主義・客観主義偏向を語っておられて。「文化は道理の通らぬ領域」「人生が道理の通らぬ世界と共存していることを指すような啓蒙もある筈である」と語りつつ、「客観主義」についてはこんなふうにおっしゃってた↓。

物事に対して或る距離を措き、(この距離感こそが近代知の極意らしいが)、感覚経験の熱性から免れようとする。自らに発生した感覚に対してすら、絶えず牽制し続ける保身術の習得は近代人必須の教養である。佳いと言わずに悪くないと呟くことで自らを冷却する。自失する程の感動も情熱も永久に生まぬ冷静さこそ客観主義の到達する境地であろう。こうして客観的理知主義は、自らの人生の当事者にすらなろうとしないのである。

 この奇怪な人生に対する態度が、日本の近代精神として定着し得たのは<即天去私>や<無我>という伝統的な精神を曲解した結果であると思われる。伝統的に<自我>は確かに煩悩の一つであったが、我を捨てて迎え入れる物は<自然>であり、自然の意に身を委ねる道を日本人は求め続けたのである。

 対して客観主義は、我が身を卑少として何を迎え入れようとしたのか。正当性をもつ第三者とは何者のことであるのか。

 客観主義とは、つまるところ、多数と権威を正当な尺度とするのである。大衆の理知である常識と国家社会に認められている権威あるものに自らの思考の基準を求める。客観主義が自己を捨てて迎え入れるものは国家と社会であり、こうして自らの知性を国家の歯車の中に組み込もうとするのである。キルケゴールはここで呟く、近代にあっては<ひとり情熱だけが異教徒である>と。

国家。ラポガンさんは中国でも台湾でもなく、「島嶼と海洋」が自分たちの”国家”だとおっしゃってた。そこに立脚することができる、そのためには「文化を生きる」ことなんだと、そう示してくださってるように思えてる。

いっとき島を離れて、いったんはわすれてしまっていた「うた」を、どうやって取り戻したのか、という質問に対して、ラポガンさんの答えは、夜な夜な海に入って、素潜り漁の練習をした、というお話だった。1年目、2年目とだんだん深く潜れるようになって、3年目には10メートル、4年目には30メートル潜れるようになって、そしてやっと両親に、魚を取れる人、海の仲間として、認められた、こうして自分は自信を取り戻せた、と。

授賞式で、受賞のあいさつの最初にいきなりうたいだしてくださったラポガンさん。うたによって受け継がれていく文化では、言葉は紙でなくて、身体に宿ってる。

受け応えの一つ一つ、ラポガンさんの言葉がでてきている場所が、すごく具体的であること、心に残っていて。前回お会いした時も、そうだったんだけど、むしろ言葉に身体が宿っているというか、みしっと気が満ちているというか。それを東京の真ん中で聞くと、なおそうだった。。

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2018.02.15

日常的な異界

Apollon 昨夜は相方と坂口恭平さんのレコ発ライブへ行ってきて、帰りの電車で熟睡。おうちに帰ってからまたやけにいっぱい眠りました。先月坂口さんの個展に行った後もやたらとぐいーっと眠りに引っ張り込まれたけど、この眠気はなんでせう。

坂口さんの絵も、うたの詩も、声も、旋律も、じかに心の特別な領域(顕在意識でない領域)にコミュニケートしてくれるみたいな気はしてるのだけど。

昨夜は、WWWという好きな箱(音がいい)だったせいもあってか、あー声が―!と何度も思ったし、一瞬は別の境地に連れてってもらった。言葉にしようがないのだけど、ああ、ここ、ここは、坂口さんだからこれるところ……と。

春風みたいにおだやかな幸せ感のある、普通ぽい(トラッドぽい?)旋律に、普通ぽいけど時にいっちゃってる詩が乗っている、そういうところが自分にとっては、今回のアルバム「アポロン」のツボどころでもあって。日常の中にぽっと異界が垣間見えると、なんか安心する。

アンコールで、1週間前に他界された、親友の石牟礼道子さんの詩に旋律をつけたものをうたってくださいました(生前の石牟礼さんと一緒に坂口さんがこの曲をその場で作って、ふたりで歌ったときのバージョン、ここで聴けます、とてもいいです)。そのあとボブ・ディランさんのA Hard Rain's a-Gonna Fall(坂口さん訳の日本語版)をうたってくださって。この曲はなんどもなんども聞いているのに、昨夜はじめて、この曲でうたわれてる「雨」の意味合いがくっきりしました。そういう曲だったのかー、と思った……。石牟礼さんの詩の中の「雨」と響き合ったからかな。

アンコール前のラストにうたってくださった「月のうた」という曲は、とりわけ詩が大好きな曲でなんども聴いてたんだけど、昨夜聴いていたら、去年夏に坂口さんの個展で、相方が生まれてはじめて「絵を買う」ということをして、その買った絵を持ってお堀端を歩いて帰った、あの夜のことが思い出されてきました。絵をつうじて、相方のお父さんやわたしのひいおじいさんのこと、いろいろが思い出されて。そういう長い連なりや目に見えない連なり、”現世”の外(貨幣経済や資本主義の世界の外)にあるものごとのことを、思い出せてよかった、と思ったあの夏の日のこと。

***

で、今朝は母方のおばあちゃんの持っていた小物雑貨が出てきて、それを「捨てないで!」と泣きながら言ってる夢を見た。その小物雑貨(お相撲関連の記念グッズ)を見て、とても懐かしい気持ちになって。おばあちゃんのこと、すごく思い出していました、夢の中で。

でもおばあちゃんは、いつもは生きたまま夢に出てくる。今年に入ってからも何度か出てきてくれたっけ。

お誕生日の日には、母が夢に出てきてくれました。一緒にバス旅行していた。1週間くらい前も、また母と夢で逢いました。なんかすてきなごちそうを食べていました(わたしだけ食べて、母はとなりでうれしそうに見ていた)。ごちそうの中に、プラスチック製のスイッチボタンみたいなのがあって(食べ物ということになっている)、それを手に取って口に入れようとして、「あ、これは食べちゃだめだ、帰り道がわからなくなっちゃう」と思って、食べるのをやめました。スイッチボタンの中央のスロットに文字が表示されてあって、それが帰りのバスの停留所の名前で。スイッチボタンはチケットでもあって。どこで降りるかはわかってるけど、乗る場所はあやふやだったから、これを食べちゃったら帰れなくなってたのでした。

おせち料理といえば、おととい、相方が起きぬけに「あなたのお母さんがおせち料理をつくってくれてる夢を見た」と言ってた……。

夢で逢えるっていいです。安心します。

相方のお父さんの命日に、みんなでお鍋を食べた夜、相方のお父さんも私の夢に出てきてくれたのも、ものすごくうれしかった。元気そうに、バレエを踊ろうとされていて、わたしもくるくるピルエットしました、9回くらい。相方のお父さんが夢に出てきてくれたのは、初めてでした。生前、私のことを受け入れてくださっていたのかどうか、わからなかったから(感情の表現が控え目な性格だったのもあって)、亡くなられた後もずっと、そこがわだかまりのようになっていたのだけど、今回夢で逢えて、大丈夫みたい、と思えました。

* * *

今朝は、おばあちゃんの夢のあと、もひとつ、すごいインパクトのある夢を見ました。今借りてるおうちの中に、7年間知らなかった部屋があったのを発見した夢。その部屋には恐竜の骨格がいっぱいならんでいて、骨格の上に土がうっすら積もっていて、遊びにきた(み)ちゃんがそこを見つけて、入っていったのが、いつもいる部屋の側から見えて、「どうやって入ったの!?」と声かけると「向こうから回った」と。で向こうへ行くと、大きな開口部があって、そこから真下に3メートルくらい下がったとこに、土の地面の巨大なキッチンが。このキッチンの部分は今の家の天井まで吹き抜けになっていた。

下のフロア(というか地面)に降りる階段などはなくて、(み)ちゃんは側面にあった棚の引き出しを少しずつ引き出してそこを足がかりにして降りたらしかった。相方と私も降りてみた。

「この家のメインキッチンはこっちだったんだ!今使ってるキッチンは簡易キッチンだったんだ!」と思いました。桁違いに大きなキッチンでした。でもそのキッチンから180度振り返ると、今使ってる部屋の床の下にあたるところ(吹き抜けになっていないところに)さらに空間が広がっていて、そこに大きな横長のソファが3台。

ソファにはチベット仏教の柄(?)みたいな、知らない文字のようなものが入った柄の布がかかっていて、どうやらこの空間はなにか宗教団体(?)のリトリートとして使われていたようでした。サイドテーブルのひとつには、封が開いたままのおせんべいが残されていた……。

* * *

意味不明だけどわけありな感じの夢だなーと思いました。心の奥底に何かがあるな、と。

顕在意識に入ってきていない何かがあるよ、と夢はいつも教えてくれる。こないだはものすごい剣幕でシャウトして怒っている夢をみたのだけど、英語でシャウトしていて、なんで英語になるかなーと思ったけど、相方によると、わたしは定期的に英語で怒鳴ってる夢を見るらしかった。英語圏で暮らしていたときの自分が、まだ心の奥底にいるみたい。そこから、まっとうなアジア人にあこがれて、努力してきて、英語圏に越す前の、テンポ遅めな自分を無事思い出すこともできて、今の自分にはもう英語圏に暮らしてたときのようなところはないように感じているけど、まだちゃんと居る。

もうここにいないと思っている人も、もうここにいないと思っている自分も、ずっとちゃんと居るようです。

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2017.08.04

バイクと、生木の木工と

Img_1797 今朝はながながとした、なかなか大変な目に会う夢を見たけれど、思い返すと身体感覚として残っているのは、原付バイクらしきものに乗っていたこと。。

1月に人生初の乗り物免許を取ったのが、原付免許。。。一生懸命勉強して取ったのに、合格したその日の教習で数時間乗っただけで、まだぜんぜん乗れていません。もとより、バイクとのご縁がまだなのだった。

公共交通機関では行きにくい、山奥や森のほうへ、行きたいと思ってのことだったけど、街中を原付で走ると思うとなんだか怖い。。。でも街を通過しないとその向こうへは行かれないんだよね。。。(汗)

ホンダのカブに乗りたいという希望があります(背が低いので、リトルカブ)。郵便屋さんドリーミング。フランスの郵便屋さんが乗っているというプジョーのモペッドもいいなーと思ったときもあった。

郵便屋さんの、あの一軒一軒回ってポストに手紙を届けて回る作業は、翻訳仕事の作業とよく似ていると、かねがね思ってきました。

一語一語を、ポストに入れて届けていかないと、なところ。1つも余さずに届けないと仕事が終わらないところ。

すっとばしが不可な、地道さがあるところ。。すっとばし不可な仕事はほかにもたくさんあると思うけど、郵便配達と翻訳はそれ以外にも、言葉を片一方からもう一方へ届ける、という共通項があるから、たぶんすごく近しい気分になるんだと思う。

訳したいなー、と思う本が、いくつかあります。仕事の翻訳に追われて、訳したい本を訳すなんて絵空事なんだけれど。

Img_1239 最近そう思ったのは、Barn the Spoonさんの「SPON」。この初夏に出たばかりの、彼の初の著書です。生木からのスプーンづくりについて、「新しい木の文化」について、森と木々のあいだで野泊まりしてきた人の視点から、語っていらっしゃいます。

どうも、木を使うモノづくりをされる方の中でも、Barnさんや、Mike Abbottさんのように、森の中で、木々のあいだで、寝泊まりしつつ、生木でつくる、ということをしてきた人たちに、とてつもなく惹かれます。

(Barnさんは、ちなみに、Mikeさんの森の工房でアシスタントをしていたこともある方で、わたしもMikeさんを通じて彼の存在を知りました。Mikeさんはいったん“引退”して森の工房をたたまれたあと、今はご自宅のお庭を工房にして活動されてます)。

日本の奥山でかつて暮らしを営んでいた、木地師の方々にも惹かれる。京都・美山の森を歩いたときに、かつての木地師の集落跡に出くわしたときは、感慨深かったです。

先日、目黒区美術館でやっていた「ヨーロッパの木の玩具―ドイツ、スイス、北欧を中心に」展へ行ったときも、はっきり体感したことがありました。

Photo 木を使うものづくりの端っこをかじっている身としては、この展覧会に興味を持ったのはなんの不思議もないことです。けども。展覧会場で、とてもよくできたさまざまなつくりの木の知育玩具を見ていたときと、「手仕事を愉しむ、伝統的な玩具」のセクションの、とりわけ「ライフェンドレーエン」という生木から手作りする手法のおもちゃを見ていたときと、自分の心身の反応が自分でもあきれるくらい違っていました。

つくづく自分は、生木の手づくりのものが好きなんだなー、木製ならなんでも好きなんじゃないんだなーと実感させられました。

ライフェンドレーエンは生のトウヒを輪切りにしたのを、木工ろくろでけずっていって、金太郎飴のバウムクーヘン版のようなものをつくっていって、そこから動物などのミニチュア細工をつくる手法です。以下の動画をみると、ひととおり工程がわかります。

美術館のショップで、クリスチアン・ヴェルナーさん作のライフェンドレーエンの動物たちが少し販売されていたので、大好きなカワウソとシロクマの2頭を連れ帰りました。Img_1765

クリスチアンさん(上の動画の中の人も、クリスチアンさんだと思う。。)はお父さんから技術を受け継いで、ライフェンドレーエン技法を習得された方。東ドイツ時代には木工業者組合を通じて販売ができていたけれど、東西ドイツ統一後は、車で寝泊まりしながらドイツ各地で自ら販路を開拓した、と紹介されていました。

森で寝泊まりしながら、自作の木のスプーンを売って歩いたBarn the Spoonさんと、少し姿がダブりました(Barnさんは徒歩で旅していたけれど)。

クリスチアンさんの工房があるエルツ山地には、家族中心の手仕事の伝統があって、今も100以上の小さな工房で木工玩具作りが続けられているとのこと。エルツ山地はかつて錫鉱山で栄えた場所で、木製玩具づくりは鉱夫の副業だったそうです。最初は自分の子どもたちのために作っていたんだそう。

ゲルマン民族研究家の岡部由紀子さんは、展覧会のカタログに寄せた「エルツ山地の八百年と木工玩具」という文で、「鉱山での仕事は若い時にしかできないきつい労働だったことと、けがをして鉱山で働けなくなった人が多かったことが、この地で木工芸が発達した理由のひとつでもある」と書いておられました。

東ドイツ時代は「11人以上の従事者がいた工房は強制的に国有化され、合併して大きな工場に再編され、流れ作業で玩具の大量生産に携わった」ともありました。でもクリスチアンさんのお父さんは、少人数の工房を構えていたので、東ドイツ時代も合併されず、独立した工房として仕事を続けてこられたそうです。そして3人の息子さんが、技を受け継いで、それぞれにいい仕事をされています。

たいへんなご苦労があったんだろうと思うし、今もあるのかもしれないと思うけれど、スモールスケールな生木の木工の手仕事が生き残っているのは、なんか、灯火みたいに感じられてしまいます。

+ + +

こんなふうに書いたけれど、目黒区美術館の「木の玩具」展の、手仕事じゃないほうの展示セクションも、興味深かったです。特に現在の積み木など、当たり前のようにあるおもちゃの起源だったという「フレーベルの恩物」の展示や、大正時代に使われていた「モンテッソーリの感覚教具」の展示は見ごたえありました!展覧会は9月初めまでやっています :)

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2017.07.28

魂の食べ物

本日は夕方に仕事の納品が完了!ちょっとストイックにがんばったので、ごほうびに佐野元春さんの新譜をかけています。「MANIJU」。裏誕生日おめでとうといって相方がサプライズでくれました。裏誕生日プレゼントって初めてもらいました。うれしい :)

コヨーテバンド、たまりません。。。リズムセクションといいギターといい鍵盤といい。。うう。

魂の食べ物を、いっぱいいただいてるようなこのころで。ほんとにおかげさまです。

0006_xlarge こないだ行った坂口恭平さんの個展は、特にすごく元気のもとになっていて。おとといまたお邪魔して、少しのあいだ絵を見せていただきながらうたを聴かせていただいて、また充填してきた感じで、おかげさまで、少し前のわたしならすぐぐらんとなってたような知らせを聞いても、芯から揺らぐことなく居られています。ほんとにありがたい。。

Img_1777写真3枚は、2度目に行ってやっぱり気になった坂口さんの絵たちの一部。ほかにも1ダースほど、お気に入りが。。。絵も好きなように写真撮っていいし、うたも録音して楽しんでいい、と言ってくださって、なんかほんとにすごい。。しあわせです。

0009_xlarge 個展は30日までやってます、新橋キュレーターズキューブ。買った人はその場で持ち帰れる、というすごい個展。。。持ち帰られてもまだあふれるほど絵があって。

なんと、相方は2度目の訪問で坂口さんの絵を、買ってしまいました!絵を買うって、相方にとって初めてのこと(私にとってももちろんで、わが家にとって今年の一大ニュース。。!)。相方は帰り道、満面の笑顔で「大きな買い物をしたのに、ぜんぜん後悔がないよ、うれしいばっかり」と言いました。いつもは大きな買い物をすると、後でちょっと後悔するとかいろいろあるらしいのだけど、今回はそれがぜんぜんない、と。

とにかくうれしそうにおゆうはんを食べていました。そして新橋から東京駅まで、絵を抱えて一緒に夜道を散歩しました。皇居のお堀のわきをずーっと、夜に歩いた、初めて。涼しい夜で、とてもピースフルでした。車は横でいっぱい走ってるのに、静かでした。

絵を買う、という、そんな余裕がわが家の家計にあったっけ?と思うのだけど、今回改めて、これは家計とは直接関係ないんだと思い至りました。

というのも、今回のことのおかげで、今年の1月に旅立った、相方のお父さんについて、新事実がわかったのでした。相方のお父さんは、絵が好きで、家の中の壁の絵やタペストリーを季節ごとに掛け替えていたのもお父さんだし、書斎の扉にはいつも絵の切り抜きが貼り付けてありました(これもそのときどきの、好きな絵を貼っていて、かなりの頻度で入れ替わっていました)。

つつましい生活をしてた方だったから、複写や切り抜きで楽しんでらしたんだと思ってたけど、実は若いうちから思い切って絵を買ったりしていたことがこのたび判明。しかも1点じゃないらしかった。。

そして相方の母方のおばあちゃんに至っては、好きなある画家の絵をいくつも買って、孫1人1人に残してくださっていて。こちらのおばあちゃんは、夫をはやくに戦争で亡くして、3人の子をひとりで育ててこられて、生活はぜんぜん楽なんかじゃなかったのだけど、子供たちが巣立った晩年には、民藝の生活道具や絵にたくさん気持ちを注いだようでした。生きておられたら、会いに行きたかった。。

そんなわけで、アートを買うのはお金持ちの人、と思ってたのに、ぜんぜんそうじゃない例が、身内に2人もいたのでした。。。

そして、わたしの家系は違うなー、と思ったけれど、考えてみたら、ひいおじいちゃんが一枚岩をでんと置いて墓石としていたうちのお墓の一角には、長いこと、親類縁者でもなんでもないある画家の人のお墓が入っていたのでした。

わたしのひいおじちゃんは、それこそ全然お金のない人だったみたいで、服も夏の着物1枚と冬の着物1枚しか持ってなくて、ふびんに思った人が着物をくれたりするほどで、でも着物を貰ったらすぐさま質屋で換金してそのお金でほしかった本を買ってしまったと、本人が書き残した文章にありました。。。そんなだったから、その画家の人の絵を買ったりはできなかったろうと思われるけど、一緒のお墓にするほど仲が良かったらしかった。

前の世代から引き継いでいるドリーミングって、やっぱりあるのかな。。と思ったりしています。そしてそれは家計とは関係ないことがらなんだなあ、と。。

食べていくために家計のやりくりは必要だけれど、魂の食べ物のためにも必要である、というか?

そうだ、そういえば、坂口さんの絵を買うときに、相方が予期せぬことを口走り、そのおかげでわたしも少し坂口さんとお話させてもらえたんだけれど(そもそも尊敬する人と話すのが大変な性質なうえに、いきなりのことで動揺してさらに大変だったんだけど)、そのときにいきなり坂口さんに「詩、書きそう」と言われ。。そのときははてなマークが出まくったけれど、あとになって、相方が「だって、詩集、くれたよね」と言いだして、付き合う前に相方にあげた贈り物が自作の詩集だったことを思い出し。。。さらに、このブログの最初のエントリが詩みたいなものだったことも思い出しました。

それでかなり昔のブログを読み返すことになって、そしたら、10年前にアップしてたブログの中に、魂の食べ物についてのこと、書いてありました。正確には読書感想文(?)なんだけれど、薔薇の芳香は魂の食べ物になるらしいという話で、「からだに食べ物が必要なように、魂には精気が必要で、その精気は、芸術(特に音楽)や芳香や光として摂取できる」と考えていた昔の人のことを書いていた。

魂の食べ物のことも、詩のことも、すっかり忘れていました。(詩のことは、とくにこっぱずかしさから自分の意識にも上げないようにしていたもよう)。

坂口さん、思い出させてくれて、ありがとう。。お金なくても、はずかしくても、自分にとっては大事なことなんだと、思い始められそうな気がしています。向こう側にいる、義理のおとうさんにとっても、おばあちゃんにとっても、ひいおじいちゃんにとっても、大事なことだったんだと、思い出せてよかった。

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2016.07.03

粗型の椅子

20160701_211124 七夕のおねがいごとって、つい見入ってしまいます。たのしくて。とくに、こどものみなさんの。。。20160701_154122 かなり前衛的な短冊もありました。

さて、昨日はすっかり夏日でしたが、『ゴッホの椅子』の著者、久津輪雅さんの出版記念講演会に、中野のモノ・モノさんまで行ってきました。(ここは故秋岡芳夫さんゆかりの場所だそうです、初めておじゃましましたが、木工の素養がないままグリーンウッドワークをはじめちゃったわたしが、木工関係の本を読み始めたときに、ぐぐぐっときたのが秋岡さんのご本だったことを思い出しました。)

講演では、久津輪さんとそのお仲間の日本のグリーンウッドワーカーのみなさんが、ゴッホの椅子を「グリーンウッドワークでつくる椅子」として見出された経緯、縁あって実物に出会い、作られ方を調査して復元していった経緯についてのお話に、ほんとにわくわくしました。そこからさらにご縁があって、黒田辰秋さんがスペインで撮影したゴッホの椅子づくりのフィルムに出会い。。。さらに取材を進めるうちに、さまざまな出会いや発見があって。。。と、この本が出るまでの流れは、本そのものには書いていなかったお話ですが、とても興味深かったです。   

こうした経緯があって、いま、この椅子の作り方を、グリーンウッドワーク界に(日本だけでなく海外でも)広く楽しく共有してくださっていること、ありがたいことだなあ!と、改めて思いました。

グリーンウッドワーク研究所の加藤さんのつくられたゴッホの椅子も、現物をまじかで拝見して、(し)さん(岐阜での椅子づくりでご一緒した方)と、「いいですよね~~これ~~」と言い募って愛でていました。

このゴッホの椅子の伝統的な作り方にこうして久津輪さんたちが注目したこともあって、この椅子がつくられてきたスペイン・アンダルシア地方のグアディスという町では、ただいま、この椅子をテーマにした展覧会「グアディスー日本 1967-2016 皇居の椅子」が開催中だそうです。12歳からこの椅子を作り続けてきた職人さん、マノロ・ロドリゲスさんが、ちょうど65歳で退職されるにあたり、それに合わせてのサプライズ開催になったそうですが、今まで現地ではあまりにありふれた存在で、別段注目されることのなかったこの椅子と、椅子職人さんと、その技術・道具などが、初めて脚光を浴びることになったそうなのです。

久津輪さんはお住まいの岐阜県でも、跡を継ぐ人がもういない、という状況になりそうだった伝統工芸(鵜飼かご作り、和傘、和舟など)の職人さんの技がそこで絶えてしまわないように、さまざまに奮闘してこられていて、こうした技のかけがえのなさにみんなが気づいて動き出すような活動をしてくださってますが、遠くスペインの地でも同じことをされたんだなあ。。すごい。

20160703_044525 講演会の後、久津輪さんにサインをいただきました。これまでサインをもらってきた、台湾の原住民作家シャマン・ラポガンさん、インドの環境活動家サティシュ・クマールさん、イギリスのグリーンウッドワーカーのマイク・アボットさん、ミュージシャンのカジヒデキさんに続く、5つめのサインです。。

モノ・モノさんでは、7/5まで『ゴッホの椅子』関連資料の展示をしています :)

* * *

帰り道の電車の中、ちょっと興奮した心のまま振り返っていて、「わずか15分で1脚仕上がる」というこの椅子、刃もの1本・ドリル1本・ノコギリ1本のみでつくるこの椅子、おおらかでおおざっぱだけど年月を経た確かさのあるデザインや作り方に、改めてあこがれの境地を見た気がしました。

作家さんのつくる「作品」というような完成度の高さではなくて、無名の人がつくった普段使いの生活道具としての親しみと頼りやすさのようなもの。多少不具合があってもうまく折り合いをつけたりしながら毎日使い込んで、日々一緒に過ごしていくようなもの。そういうものがすきだあ、と。。。

そういえば、初めてグリーンウッドワークで椅子をつくったとき、マイクさんのところの森の工房で、ひとりひとりがどんな椅子をつくりたいか決めるように言われて、サンプル見本として、マイクさんとマイクさんの歴代のアシスタントさんたちがつくってきた現物の椅子(これは毎日食事をするときにわたしたちが実際に使う椅子でもあるんだけど)を見比べる時間がありました。

あのとき、まっさきに「こんなのがいいな」と思ったのが、マイクさんの初期のアシスタントだったフランツさんという方がつくったというスピンドルチェアだったんだけれど、それは、脚も、背もたれ部分のパーツも、ざっくりとした削り跡が残っていて、サンドペーパーをかけたようには見えなくて、素朴なルックスでした。椅子のデザインそのものも素朴だったけど、そうした仕上がりの雰囲気も、注意深さがなくて、そこが魅力的でした。「こういうのがつくりたいです」とマイクさんに言うと、「これかい、これはぱぱっと、ものすごく短時間でつくった椅子なんだよ」とマイクさんは言っていたっけ。

で、わたしはみんなよりものすごく作業がおそかったのと、南京鉋が苦手だったのとで、南京鉋を使う工程をまるっと省き、ドローナイフ(銑)で削っただけの表面のまま、少しだけサンドペーパーをかけて仕上げたので、ぜんぜん「ぱぱっと」つくらなかったわりにはフランツさんの椅子のような荒削りな感じに(ちょびっと)なりました。それがうれしかったりしたのでした。

スペイン・アンダルシアの「ゴッホの椅子」も、削っただけの白木の椅子は「粗型の椅子」と呼ばれていて、脚を旋盤でなめらかな円柱に削り上げて彩色した椅子のほうが高級とされているそうですが、やっぱりざっくり削っただけの白木の「粗型の椅子」のほうが、魅力的だなあと思ってしまいます。

そういう、手の痕跡があるもの、素材の質感が素のままにあるものに、親しみが湧くってことなのかな。。ブッシュクラフトに惹かれるのも、同じ理由かなあ。。。

でも自分で使うものを好きにつくるならそれでいいけど、人にプレゼントする、とか、作り方を人に伝えるために覚える、とかいうふうに、人が関わってくると、すごく完成度を気にして注意深ーくなってしまうのでした。それで作業がただでさえ遅いのに、ドツボに。。。

自分が好きだーと思うものを気ままにつくるだけーというのが、ほんとうは一番精神的にもよさそうなのに。。。なんでこうなっちゃうんだろう(汗)。

まずは、小物のスプーンから、もうすこし思い切りよく、ざっくりと作ってみる練習をするかなあ。。。

20160703_050214 写真は最近のちびスプーンたち。そういえば、このなかの柄が角ばってる1本は、わりとざっくりつくれたほうでした。実はこれは、『ゴッホの椅子』の本の中に出てきた、黒田乾吉さん作のスプーンがかわいいなと思って、数時間だけ時間があった夜に真似してつくってみたのですが、ぜんぜん似なかったもの(汗)。でもこの柄をざっくり削るのは、やってて楽しかった!

「ざっくり道」へ、もっと思い切り行くためにも、まずは刃もののお手入れをちゃんと身につけたい。。

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2016.06.28

本「ゴッホの椅子」から~スペインの生木の椅子と、中国の曲木椅子~

20160617_175422 最近どうも、元気が出なくて、こまっています。少しなにかすると、ふうと疲れて。いろんなことを、うまく考えられない、ということもあって。何が起きているんだろう。湿気のせい? 忙しかったせい? 自分の元気のよりどころを見失っているかのようなふうでもあります。

でも昨日はようやっと、竹藪がさっぱりと刈られて日当たりがよくなった西側の窓辺に、ふうせんかずらでグリーンカーテンを仕立てることができました。ふうせんかずらの種は3つずつポットに撒いておいたら、1粒だけ不発でしたが、23粒は全部発芽して、立派な苗になりました。一部には、もう小さな白い花をつけている苗もいます。

20160628_152458 グリーンカーテン用に、南側の窓辺に12本、西側に9本植えて、2本はあんどん仕立てにして楽しませてもらうことに。

さて、元気が足りないので、最近ちょっと元気が出たことを思い出してみる。。

グリーンウッドワーク指導者養成講座でお世話になっている森林文化アカデミーの久津輪さんが、先日本をお出しになって、それにともなって、黒田辰秋氏がスペインで1967年に撮影された生木の椅子づくりの映像をシェアしてくださいました。

見たら、目からうろこ!でした。道具がとにかくシンプルでぐっときます。メインの作業台は、削り馬ではなくて、細い台。その台の上には様々な場所に穴がうがってあって、その穴に差し込めて取り付けられるようになっている木のかたまりがあります。自分の胸に板をぶらさげて、その板と、この台にとりつけた木のかたまりとのあいだに、椅子の部材をはさんで削るのです(ドローナイフのように引いて削るのでなく、押し削り)。

そして椅子の脚は、小径木そのままを、樹皮をはいで荒削りしたもの(すなわち芯持ち材)。貫・座枠は同じくらいの径の枝を半割にして整形していました。

なによりびっくりだったのが、ホゾ。貫・座枠の整形をするとき、そのまま端のホゾまで一気に四角っぽく削って終わりらしいこと。別途ホゾをつけるという作業がない。。。四角ばったこの端っこを、そのまま丸い穴に打ち込むのでした。要所要所、木釘で留めることはしていたみたいです(もしくはボンドで)。

穴開けも豪快だった。。。ドリルの形状も魅力的で。そして穴開けもやっぱり、胸に穴開け用の板をぶらさげて(この板にはまん中に丸いくぼみがうがってあって)、ドリルの手前側をこの板の穴にはめて、ドリルの先端は、台に載せた材に当てて、上から体重をかけながら回していきます。すごくムダがない。。。

そして途中でわきを大勢のヤギが通ったり、終始くわえタバコで作業をする姿、かっこよすぎます。。。

プチ興奮状態に入って、見入ってしまいました。脚は芯持ち材だけど、生木の芯持ち材で割れは大丈夫だったのか?とか、樹種は何を使ってるのか?とか、どのくらいのなま具合なんだろうか?とか、いろいろ疑問がわいて、久津輪さんの本をさっそく入手しました(もともと出たら買う♫と決めてた本ですが、実は予算の関係で7月までがまんしようと思ってたのに、でも、どうしてもがまんできなくなりました)。

Photo 届いて、一気読みしました。とても視野が深くて広くて、ひきこまれた。歴史をひもとき、国をまたぎ、地域をまたぎ、さまざまな人たちの視点を含んでいて。とりわけ民藝運動について、そして木工家の黒田辰秋さんに、迫っています。。。そして久津輪さんが去年行かれた、スペイン取材の章が特にとても興味深かった!

こうした椅子が生まれた背景は、ロマの人たちの文化との関わりがあったらしいこと、洞窟暮らしとも関係がありそうなことなど。

今度、久津輪さんのお話会を聴きにいくのが楽しみです。で、ゴッホの椅子については今日はちょっと置いておいて、ここからは、この本のおかげで存在を知った、中国の曲木椅子のこと。

黒田辰秋さんが、「ゴッホの椅子」という愛称がついているこのスペイン・アンダルシアの椅子を、こうも深く愛していながら、宮内庁から依頼を受けた皇居で使う椅子をつくるにあたっては、中国の曲木椅子を原型にデザインしていったこと、興味深かったです。

黒田さんは、「ゴッホの椅子」と、中国の曲木椅子を、「民芸木工の椅子として両横綱と言える内容を持っている」と言っていたそう。そして「日本人による日本のための椅子」をつくることに、こだわっていたらしい。

わたしは中国の曲木椅子については、何も知らなかったので、久津輪さんの本の図版でみて、不思議なつくりだなあと思いました。パーツは無垢材なんだけど、前脚~座枠の1本~後脚が1本の木でできていて、2カ所で曲げをきかせてある。脚と座面がまずあって、背もたれは構造上、後付けな感じ。地にどかっと4つ脚をつけてある感じ、地面に近い感じがあるというか。気の流れとして、地面から前脚を通って上がってきて、ずうっと連続してそのまま後脚を降りて、また地面に帰る、という流れが際立つというか。

「ゴッホの椅子」や、わたしがマイクさんから教わったスピンドルチェアや、久津輪さん・加藤さんから教わったラダーバックチェアは、後脚がそのまま長く伸びて背もたれになっています。だから構造上は、この垂直性が際立ちます。地面から離れて、天へ向かう方向性というか。地面から脚をとおって上がってくる気の流れは、4本の脚すべてにおいて、上がりきってその上空に拡散する感じ。

中国の曲木椅子は、曲木という面倒な手順を加えてまで、どうしてこういう構造にしたんだろう?と疑問がわいて、少し調べると、丸竹でつくった椅子がたくさん出てきました。

なるほど、竹のしなやかさがあったから、こういう構造が考え出されたのかな!と思いました。丸竹をいちいち切ってホゾ穴にはめて組み上げるよりも、曲げた方が早かったのかも? そして曲げるのも、わざわざ部材全部を蒸し器にいれて蒸し上げて曲げるんでなくて、曲げる部分のみを、ちょっとあっためたりしていたのかもしれない。一部を切り欠いた竹なら、しなやかに曲がるはず。

黒田さんが惚れ込んだという古い曲木椅子は竹製ではなく、無垢材のパーツでできていたけれど、図版写真をよおくみると、前後の座枠が、脚の曲げの部分に挟みこまれているように見えます。そうだとすると、竹の曲木椅子の構造そのまま。

この「挟みこみ式ジョイント」が写真でもよくわかる、こんな興味深いブログも発見しました。中国で作り手から譲ってもらったという、竹ではない木でできた曲木スツールと、台湾の荒物屋で売られていた竹の曲木スツールをくらべていらっしゃいます。構造がうりふたつだということも、よくわかる!

ついでに、伝統的な竹の曲木椅子を、現代生活に合うようにアレンジしなおしている、木智工坊さんという中国のデザインスタジオも発見しました。

デザインスタジオのサイトには、人々が田舎暮らしをしていた昔は竹は家具作りに多用されていたこと、こういうタイプの竹製の椅子のデザインが完成されていたこと、竹は量産には向かないのと耐用年数が限られていることから、多くの人が都市に移り住むのと同時に竹椅子は田舎に置き去りにされて、暮らしから姿を消したことが書かれてありました。

別の個人サイトですが、竹の曲木スツールの職人の写真もありました。ここでつくってらっしゃる職人さんは、穴開けのドリルも竹製。弓錐式。貫を止める木釘を打つための、下穴を開けているところみたいです。

実に興味深いです。こういう発想があったんだなあ。で、この中国伝統の丸竹椅子、台湾からの輸入を試みた日本のお店もあったようなんですが、なかなかむずかしかったみたい。なんでも、使っていて年月がたつとギシギシ音がしてくるとか、湿気の多い台湾とは違って乾いた季節のある日本には向かいないとか。

でも作り方は知りたいなーと思ってたら、こんな動画を見つけました。アメリカの木工愛好家向けの番組の、過去放映分のDVDに、中国の竹の曲木椅子の作り方を取り上げたものがあったもよう!プレビューだけ見られるようになっていました。


この番組で紹介している竹椅子(つくろうとしているほうでないほうの)、かなり美しいつくりです。。。いやはや。魅力的です。

青竹のほうの椅子の作り方を見てみたくって、思わずこのDVDを買ってしまいたくなりますが。。。今月はもう予算オーバー。。。でも台湾や中国の工房を訪問するよりは手軽なので、いずれ入手してみてみたい気もします。

しかしわたしの好奇心、どこへ向かうんだ。。。そもそも自分は何がしたいんだろう。。。

P.S. 余談だけれど、中国の伝統的な丸竹の曲木椅子の、背もたれのスピンドルは下広が20140920_183930りなものが多そうで。イギリスで教わったスピンドルチェアは、典型的にはスピンドルの角度は上広がりにするのでした。この違いも興味深い。それでもって、わたしがスピンドルチェアをつくったとき、まさかの穴の開けマチガイをして、スピンドルが予定したのと上下さかさまについてしまったといハプニングがあったのだけど、結果として、中国式の下広がり型のスピンドルになったのでした! これはミスではなくて、アジアの人間としてまっとうなことをしたということなのかも?(^^)

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2015.06.17

トライポッドスツールのトライアルと、むかしの記憶

Img_9699先日剪定したセンダンの枝で、まずは小さいトライポッドスツールをつくってみることにしました。センダンの枝は、成長が早いわりに、結構小径でもしっかりしている印象があったので、まずは実験。

ながーく育ったこの枝から、長さ40cmほどを3本切って。Img_9700

先へいくほどやや細くなるので、太さを揃えるべく(それぞれが直径2.5cmほどになるよう)、3本のうち2本の樹皮を剥きました。

Img_9701ドローナイフの重さだけで、すっと剥けるほど、みずみずしくやわらかな樹皮です。すべすべの白い肌が表れた。

仮り組みをしてみました。Img_9707トライポッド結びというロープワークで3本を結わいて。

Img_9698座面には、こんな織りテープが手元にあったので、三角になるよう組み合わせてみたり。  Img_9708

できあがりはだいたいこんなイメージなのだけど。。。Img_9717

どうしても座面が傾くのでした。もっと太いひもで結び直したりと、試行錯誤を繰り返した末にわかったのは、この結び方をするなら、3本脚のうち1本は他の2本よりも結ぶ位置をずらさないといけない、ということ。

さて、座面を平らにする方法は、わかったのだけど、こんどは耐荷重の問題が。荷重がかかると、結び目がよじれて、脚の結合部の横滑りが始まってしまい、どんどん座面が低くなり続けてしまうのでした。座面が織りテープでストレッチ性がある、というのも原因らしい。厚手の革とかにすれば、座面そのものが歯止めをかけて、横滑りを防げそう。

でも革はできれば使いたくないので、まずは結合部分を、ひもで結ぶ方式から、ネジで留める方式に切り替えてみることにしました(このサイトのトライポッドスツールの作り方を参考に)。

ホームセンターへ自転車を走らせ、ゲットしてきたのは:
長いボルト 1本
アイボルト 1本
ワッシャー 3個
ふくろナット 2個

ボルトの太さに合わせて、スツールの脚に穴を空けました。アイボルトを使うこの方式だと、穴は3本全部、同じ高さに穴をあければよいはず。手回しドリルで、上から17.5cmのところに穴をあけました。

とりあえず、ここまでで、いったん脚を乾燥させることに(ほんとうは穴は乾燥させてからあけるほうが良かったかも。。乾燥すると穴のサイズが縮んでしまうので)。ま、なんとかなるかな、どうかな。

脚3本をひもでつって、自然乾燥に。残りの作業はまた後日。。。たぶん座面も、もっとしっかりした帆布とかでつくらないといけないだろうと思われる。でも織りテープの座面はかわいくて捨てがたいので、飾り的につけてもよいかもしれない。。。

* * *

Img_9703 Img_9704 トライポッドスツール用の脚を切ったとき、末端の、少しまがっていて脚にはできなかった切れはしが出ました。曲がり具合がスプーンによさそうだったので、スプーンをけずってみた。

使いやすいのかどうかは、Img_9720 Img_9721_2 これまた謎。。。 まあ、とりあえずセンダンはスプーンの材に向いてるのかどうかを、実験的に使ってみて、見ていってみることにします。

ものづくりを、あれやこれや考えながらやっているときの自分は、ムーミンパパみたいだと思う(特に「ムーミンパパ海へ行く」のお話の中のムーミンパパ)。どうでもいいことに夢中になって、うんとエネルギーをさいている感じ。。。^^;

20150618_112250 でも仕事に追われるばかりだと消耗するので、こころの健康のために、木に触れることを暮らしの一部にしておきたいのでした。ほんとうに、木々にお世話になっています。

そういえば、ホームセンターへと向かう川沿いの道を自転車で走っていたとき、公園がふと目に入ったのだけど、そこの公園は真ん中に太くて大きな欅の木が立っていました。

それを見たときに、自分の子ども時代がよみがえって。いつも遊んでいた近所の小さい公園も、やっぱり真ん中に太い大きな木が立っていたこと。思えば、あの木こそが、スダジイだったんじゃないか。。。!

後にもっとずっと大きくなってから、学校の帰り道に出会った1本のスダジイとつながりを持てるようになったのも、もっと小さいとき一緒に遊んでもらっていた、あの公園のスダジイのおかげだったんじゃないか、と思い当たりました。

公園のスダジイのことは、まったく忘れていたことだったのだけど、水星が逆行していた期間のあいだによみがえった記憶のひとつでした。

大好きだったあの木。幹の肌合いのごつごつした感じもリアルに思い出せます。そこを歩いていたアリも。ふたまたに分かれたところによじ登るコツがあって。。。 枝がぶらーんとなっていた一時期は、そこにぶらさがってターザンみたいなこともして遊んだ(「危ない」といってほどなくしてその枝は大人に切られてしまったけれど)。ほんとうによく遊んでもらった木でした。

今、その公園はまだそこにあるけど、真ん中に立っていたあの木はもういない。

あの公園ではいろんな楽しいことがあったのでした。大きな石に腰かけて、手の甲に毛虫が這うのを眺めていた記憶もあるし、夏休みには公園の一角に穴を掘って、そこで土をこねてつくった縄文風土器の「野焼き」を、母と友達と一緒に敢行したこともありました。公園で大々的に火を燃すなんてことを、やって大丈夫だったのが、考えてみると驚き。。。

縄文風土器づくりは本当に楽しくて。縄文土器の研究も、縄文時代の遺跡めぐりも相当ハマりました。わたしが縄文マニアになってしまったら、母が知り合いのおうちの裏手の発掘現場とかにも連れて行ってくれて。発掘作業をしていた大学生のおにいさんが、掘り下げて出てきた色の違う地面を指差して「ここを縄文さんが走っていたわけ」と教えてくれたときの、わくわく感といったら。。。その現場のおうちの方から、研究者の人に内緒で大きな石斧(打製石器)をもらったのは、宝物でした(今も持ってる)。

あるときはもっと遠出して、新聞の記事で見た縄文研究家の人のところに、押し掛け取材にも行きました(母の運転で)。その方が手づくりした縄文時代の服(葦を織ったような)を着させてもらったり、その方が建てた竪穴式住居に入らせてもらったっけ。さらにずっと遠くの登呂遺跡(ここは弥生時代の遺跡だけども)にも、母が車で友達たちと私を連れて行ってくれたりも。

話がそれたけれど。。。木工に魅入られて、この春に神戸の大工道具館をおとずれたときも、展示の中で一番じっくりじっくり見て回ったのは、石器時代・縄文時代の道具類の展示でした。20150414_113940_2 石斧ももちろんあって、石斧で木を切り倒した場合の切り口を鉄斧と比較した実物展示もありました。石斧で木を切り倒す実験動画も、見ごたえがあったなあ。

20150414_113912 その展示の一角に、大きなパネルで掲げられていたのが、この美しい建物の写真。これは縄文時代の集会場とおぼしき建物を再現したものだそう。ほんとうに息をのむほどに美しい。。。

グリーンウッドワークという、オール手作業でできる生木の木工にこうも惹かれるのも、縄文時代のものづくりに惹かれてしまうのと、根が同じかもしれないです。

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2015.03.15

くつろぎ

20150309_111252 クロッカスが咲いています。おととしの秋に植えてみた球根から、昨年に続いて今年も咲きました。ムスカリも芽出しを始めていて、季節のめぐりを感じます。20150309_111357

クリスマスローズの苗も、何種類かいるうちの1つが、3年目に突入して、初めてつぼみをつけました。

20150309_111321 原種のクリスマスローズもそこそこ元気。このクリスマスローズは、みどりのぼんぼりが、お花の部分。

* * *

毎年ぐわん、とふだんの日常から意識がリープする「2月病」も、だいぶんおさまってきたように感じるここ数日。少し落ち着きがとりもどってきたというか。(あ、でも、もしかしたら、ただの風邪引きかもしれないけれども)。

やりたいことにまっしぐらにいって大丈夫、といつもお世話になっている野口整体の(ひ)先生には言っていただいていて、仕事をがんばりつつ、グリーンウッドワークにまっしぐらに向かっていた日々だったのだけど、ちょっと、また疑念が湧いていました。

「今はこんなに夢中だけど、そのうちに熱がさめるのかな」と。自分は気分屋で、集中するものごとにも移り変わりがあるので…。

これにエネルギーを傾け続けていっていいものかなあ、と心配になりはじめていたし、あとは仕事に関して揺れが起きている感じもしていたのだけど、そうしたら、星読み&カード読みのプロのともだちに、そこらへんをみてもらうことができました。(た)さん、ありがとう…!

木工については、やっぱりずっとやりたかったことなんではないのかな?というリーディング。そして最後にカードを引くと、富士山のカードと、「おおやびこのかみ」という、髪の毛がそのまま樹木になっている絵柄の神さまのカードが出てきました。O0800045013228251022

「おおやびこのかみ」については、まったく知らなかったので、あとで調べてみた。「五十猛」という神さまの別名だということでしたが、日本書記によると、天上から地上にやってきたときにたくさんの樹木の種を持ってきていて、それを九州から始めて日本列島全土に植えていって、緑あふれる土地にしていったのが、この神さまとその女きょうだいたちだとのこと。

それで林業の神さまとして大事にされてきたそう。ついでに、船を作り海を渡った経歴もあったので、造船、航海安全、大漁の神さまとしても信仰されているそうで、森にひかれつつも海も大好きな自分に、「それでいいんだよ」とこの神様が言ってくださってるようで、すごくうれしいです。

なにより、こんなに木工に惹かれてていいのかなあ、という不安に対して、木々の神さまが出てきてくださったというのは、心強かった…。

「ずっとやりたかったことなんじゃないかな?」と言ってもらえて、思い出したのが、寮の相部屋で暮らしていた学生時代に、ふいに木が削りたくて仕方なくなって、近くの工事現場に落ちてた木端を拾ってきて、夜な夜な彫刻刀で削っていた日々があったこと。このときは、新しく入った学校やクラスメイトになじめず(人種差別的なものも初めてあからさまに体験して)、もしかしたら、ひきこもりたかったのかもしれない。

ルームメイトがいるので、暗くした部屋で自分のデスクランプだけつけて、そのオレンジの光の輪っかの中で、ひたすらただ手が削りたいように、木端を削っていました。あの数日は、食事もろくにしなかった気がする。コーヒーだけ入れて。そうやって木を削っているのがこのうえなく幸せでした。

手が動くままに削っていったら、片側には流れと曲線、もう片側は角と直線のある、小さなオブジェ(?)になりました。まんなかに碧いおおきなビー玉を入れました。今も持っていたっけな?と探したら、奥の方から出てきた…。ビー玉がなくなった状態で。20150315_000149_2   

入ったばかりの学校を辞めて、イスラエルのキブツで働くか、ジンバブエの遺跡発掘のボランティアに行こうと真剣に考えてリサーチをしたりもしたけど、このミニオブジェをつくって気がなぐさめられたのか、新しくできた少数の友人のサポートがあってか、中退はふみとどまったのでした。

それから何年も経って、日本のあるインスタレーションアーティストの海外プロジェクト担当秘書に応募したとき、「自分でつくった作品を提出」しなければならなくて、作品なんてなかった自分は、仕方なくこのミニオブジェを持参しました。

面接のとき、アーティストである先生のお付きの人に、「なんですかこれは?お守り?」と聞かれたのを覚えています……(汗)。

先生は、代々植物を使うことに長けてきた家柄の人でもあって、竹をメインにかなりおおがかりなインスタレーションをつくったり陶芸で大きな彫刻をつくってらした方でした。そんな大御所の芸術家に、木端をやみくもに削っただけのものを持参してしまって……、面接のそのほかの質問にもしどろもどろにしか答えられず、ああこりゃ絶対だめだ、と思ったのを覚えています。若気の至りというか、無知だからこその大胆さというか。それが予想外の展開で、受かったのでした。あのときはほんとにびっくりした。

オブジェになってくれたこの木のおかげだったんだろか。工事現場に落ちてた木端なので、たぶん材はSPFです。ほんとうになにも考えず、ただ「ここ」「ここ」と呼ばれるままに削りました。楽しかった。

20150313_120312 20150313_120728今も、何にも考えずに、ただ削っているのが楽しい……。こないだも、削り馬づくりで出た生木のきれっ端を無目的に削っていたら、やっぱり愛おしくなってしまって、それで革ひもをつけてキーホルダーにしてみた。どう、ということのないキーホルダーですが、自分にはうれしい使い心地です。

先週から今週まで、代替医療・統合医療の道を歩まれているプロセスワーカーのともだちにヘルプをいただいて、ひさしぶりに自分のからだのことをみていったのだけど、そのときに出てきたのも、ごろんと寝ころんで、砂でクジラの像かなんかをつくってくつろいでいる、南の島の海の民でした。なにか、つくることが休むことになるような、休みながら手を動かすような、材と交流しながら環境の一部になってくつろぐような、そういうことが必要なのかもです、今の自分に。(ひ)さん、ほんとにありがとう。

木々の神さま、おおやびこのかみのカードのメッセージも、いかしていました。

「樹木はただそこにあり、体験し、自らを悠久の時の中に知るのです。

 

天と地の間で調和をとりながら、外に起きている出来事を個人的に受け止めはしません。

日照りが続いても、それを自分のせいとは思わないでしょう。 

大きな木のように、大地に根を下ろして、自己中心性という眠りから覚める時がきています。

外の出来事に対して、自分が反射的にとってしまう行動を観察してください。 

 

古い習慣を手放し、自由を手に入れましょう。

 

大屋毘古神は、自分が世界の中心であるという幻想から目を覚ますお手伝いをしてくれます。

野外に出て、大きな木に触れてみましょう。

 抱きついて、その樹木と話してください。木は偉大な教師です。」

(日本の神様カードより)

古い習慣、といえば、わたしのくせは、外の出来ごとに対してわりとすぐ「自分が悪いのだ」と考えがちなところで、まさに「自己中心性」がありすぎるところ(新幹線が止まっても、自分のせいだと考えるくらい)。これが幻想なのだと悟れたら、だいぶんほうっとくつろげそうだなあ。

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2012.10.15

大地のひとびとのこと

20121008_113715 朝晩、ちょっとさむくなってきました。庭では遅咲きの白い百合が1つ咲いていたのが(写真の)、今日散りました。

9月の楽しかった「なぞの旅」について書きたいと思いつつ、あれからほんとに日々いっぱいいっぱいで……まだ書けない(涙)。今日はようやっと1日、なにも忙しくしない「お休みの日」にすることにして、たくさん昼寝をしながら、ル・クレジオという作家さんが書いた本『歌の祭り』を読みました。

中南米の先住民の土地、そこに白人がやってきたことの悲劇の歴史についてがメインでしたが…、なかなか読むのが大変な本でした(とくに、征服前の古代プレペチャ人の時代を、征服後に記録として残した『ミチョアカン報告
の翻訳部分は、とーても大変だった…)。

でも、最後の章「大洪水に抗して踊る」は、とても深い印象を残しました。70年代後半に著者がパナマの密林を旅していたときに出会ったインディオの一部族、ワウナナ族のお話。

「現代社会の余白」である密林のただなかで、外の世界と接触せずに暮らす、人口わずか数千のこの人たちは、「自分たちだけでなく、すべての人間を救うという意思と信仰をもって」、世界をおびやかす新たな大洪水をおこさないよう、もう1000年も前から、至高神エワンダマに定期的に祈りの儀礼を続けている、と書いてありました。「かれらの生き方そのままに、仰々しさも、傲岸さもなく淡々と、かれらは踊り、祈る。」

今年9月にも、ベネズエラの熱帯林に暮らすインディオ、ヤノマミ族の人たちが
鉱山業者に集団虐殺されたという報道を目にしたけれど、このワウナナの人たちは、大丈夫なんだろか…。熱帯林に伸びる工業社会の手から、この人たちが今も自由でいることを祈ります…。

スペイン征服前のかつての先住民の人たちも、今の鉱山業者と同じように征服者たちが黄金をいくらでも欲しがるので、驚いたらしかったです。先住民の人たちは黄金を「太陽の糞」と呼んでいて、それは神々にのみ差し出すもので、人間のあいだで交換するものではなかったから、そんなに黄金を欲しがるということも、この来訪者は神なのかと勘違いする一要素になったらしかった。

征服前のかつての先住民の様子の記録、興味深かったです。
たとえばスペイン人によるこの記録。


「……この世界において、われらスペイン人を除けば、かつて存在しいまも存在するもっとも強力な民族」とフェルナンド・デ・アルバ・イシュトリショチトルは書いている。かれらは……「肩までとどく長い髪で、額には前髪を垂らし」ていた。かれらの武器は弓と矢、そして領主たちは吹き矢によって狩猟をした。単婚制で、偶像をもたなかった。「かれらは太陽を父、大地を母を呼んだ」。……「これらの人々は」とイシュトリショチトルは付け加えている、「勇敢でよい政治家だ。いったことは守り、裏切らない。徳が高く、友情を大切にし、思想においても行動においても高貴だ。」

古代メキシコの人々の世界観については、こういう記述もありました。↓

アステカ人にとっては、樹木を切り倒すことさえ重大な行為であり、それを行うものは森に入るとき、「この樹をあなたの腹から切り取る」ことを許してくれるよう、ケツァルコルトルにお願いしなくてはならなかった。日常的なものの聖化は、古代メキシコの生活のすみずみまでゆきわたっていた。そこには別の時間概念、別の生のリズム、そして何より再生とむすびついた破壊という考え方が、含意されたいた。

中南米の先住民のことがメインの本なのだけれど、北アメリカ先住民、シアトル酋長が米政府に宛てた、あの有名な1854年の演説の翻訳も、含まれていました。今流布しているものは、1887年に新聞に掲載されたものの再現バージョンらしいのですが、ル・クレジオが自著に含めたバージョンは、国連食糧農業機関が発行した対飢餓世界キャンペーン広報「思想と行動」1976年6月号に掲載されたものだそうで、今まで読んだことがない部分が多くも含まれていて、とても興味深かったです。

長いけど、その全文を…。↓


われわれは、われわれの土地を買おうというあなた方の申し出を検討しよう。それを受け入れると決意するにしても、ひとつ条件がある。白人たちは、この大地に住む動物たちを、みずからの兄弟として扱わなくてはならない。

私は野蛮人であり、他の慣習など知らない。私は千頭ものバッファローが草原で朽ちていくのを見てきた。走る列車から撃った白人たちに、そのまま捨てられたものだ。私は煙を吐きながら走る鉄の馬がバッファロー以上に重要だなどということは、理解できない野蛮人なのだ。われわれは、ただ生きるためにしかバッファローを殺さない。

動物たちなくして、人間とは何なのか。すべての動物たちが消えてしまうなら、人間は心に非常なさびしさを感じ、それで死んでしまうだろう。なぜなら動物たちに起こることは、やがては人間にも起こるのだから。すべては結ばれているのだ。

あなた方は子供たちに対して、足の下の地面はわれわれの先祖の灰でできているのだということを教えなくてはならない。子供たちが大地を敬う ように、それはわれわれの人々の生命により豊かになっているのだと教えてやりなさい。われわれがわれわれの子供たちに教えていることを、あなた方の子供に も教えなさい。大地こそ母なのだ、と。大地に対して起こるすべてのことは、大地の子たちにも起こる。人間が大地にむかって唾を吐くとき、人間は自分自身にむかって唾を吐いているのだ。

われわれは知っている。大地が人間のものなのではなく、人間こそ大地のものなのだ。われわれは知っている。血がひとつの家族を結びつけているように、すべては結ばれているのだと。すべての物事は結ばれている。

大地に起こることは大地の子らにも起こる。生命の布を織ったのは人間ではなく、人間こそ布の一本の糸でしかない。布に対して人間が行うことは、自分自身に返ってくる。

だがわれわれは、私の人々に対してあなた方が指定した居住区へと行けという、あなた方の申し出を考えてみよう。われわれは離れた土地で平和 に暮らすだろう。われわれの日々の残りをどこで過ごそうが、どうでもいい。われわれの子供たちは、父親たちが敗北し屈辱を味わうのを見てきた。われわれ戦 士たちは恥を知ってきた。敗北のあと、かれらはのらくらと日々を暮らし、体を甘い食物と強い飲物で汚している。われわれが日々の残りをどこで過ごそうがど うでもいい。もはや数も多くない。さらにわずかな時がたちいくつかの冬が過ぎれば、かつてこの土地に住んだ、あるいはいまも小さな集団となって森をさま よっている偉大な部族の子らは、誰も残らないだろう。かつてはあなた方とおなじほど強くおなじほど希望にあふれていた人々の墓に泣くものは、誰も残らない だろう。だが、私の人々の終わりのためになぜ泣かなくてはならないのだろうか。部族とは人間でできている、それだけのものだ。人間はやってきては去ってゆ く、海の波のように。

神が彼とともに歩き友人のように話しかける白人にしたところで、この共通の運命をまぬかれることはできない。おそらく、何があろうと、われ われは結局は兄弟なのだろう。いずれわかる。だがわれわれは、白人がおそらくいつか発見するだろうことを、ひとつ知っている。われわれの神は同じ神なの だ。あなた方は、われわれの土地を所有したいと思うのと同じように今日、神を所有していると考えているが、むだなことだ、そんなことはできない。神はすべ ての人間の神なのであり、その憐れみは赤い人間に対しても白い人間に対しても同じようにむけられる。

大地は神の目には貴重なものであり、大地を傷つけるものはその創造者を軽蔑していることになる。白人もまたいずれは終わってゆく。それもおそらくは他の部族よりも先に。みずからの寝床を汚しつづけるがいい、するとある晩、自分自身のゴミ屑の中で窒息することになる。

けれどもその敗北の中で、あなた方は神の力によってともされた眩い光に輝くことだろう。あなた方をこの国へといざない、みずからの意図にし たがってこの大地と赤い人間を支配する権力をあなた方に与えた神の。この運命はわれわれにとっては謎だ。われわれには理解できない。すべてのバッファローが虐殺され、野生馬が飼い馴らされ、森のひそかな片隅すら人間の匂いでむせかえり、熟れて収穫を待つ丘の姿が話をする電線で台無しにされているとき。

藪はどこに行った? 消えてしまった。鷲はどこに行った? もはやいない。敏捷な仔馬や狩猟に別れを告げるとはどういうことか? それは生活をやめ、なんとか生き延びるので精一杯になることだ。

こういうわけで、われわれは、われわれの土地を買おうというあなた方の申し出を考えてみるのだ。それを受けいれるとして、それはあなた方が 約束した居住区をたしかに受けとるためだ。そこでならおそらくわれわれに残された短い日々を、われわれの欲望にしたがって生きて終えることができるだろ う。そしていつか、最後の赤い人がこの大地から姿を消し、彼の思い出が大草原の上をすべる雲の影でしかなくなったときにも、これらの川岸やこれらの森は、 私の人々の魂をかくまってくれることだろう。かれらは生まれたばかりの赤ん坊が母親の心臓の鼓動を愛するように、この大地を愛しているのだから。だからわ れわれがわれわれの土地をあなた方に売るとしたら、われわれがいつも愛してきたように土地を愛してください。われわれが世話をしてきたように土地の世話を してください。

あなた方が手に入れた時のままの姿で、この国を記憶にとどめてほしい。そして全力で、すべての思考を使って、すべての思いをこめて、土地をあなた方の子らのために維持し、神があなた方全員を愛するように土地を愛してほしい。

われわれは、このことだけは知っている。われわれとあなた方の神はおなじ神なのだ。神はこの大地を愛している。白い人も、人間に共通の運命をまぬかれることはできない。おそらくわれわれは兄弟なのだ。いまにわかる。

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2012.07.22

大地と連なってる人たち

夏の土用入り、しましたね。暑中お見舞い申し上げます。(といっても昨日今日の関東はまるで秋になっちゃったみたいに寒いけど…)。

こないだ、徹夜して仕事をして、そのまま翌日の午後まで仕事を続けてから、終わって、ごほうびに夕日を見に行きました。

20120717_183441 地面にねころんで、海へと近づいていく太陽を眺めていたら、すごく昔の感覚を思い出した……ような気がした。

文明とかが出てくる前の……まだ生きものとしてまっとうだった頃の感覚、みたいな…??

ものすごく幸せでした。

あそこの場所は、もう変わり果ててしまったようだ、と一時期思ってたけれど、やっぱり、あそこで寝ころぶと、何か正しくされるというか、まっとうにされるものがあるみたい。

そういう場所がひとつでもあることは、幸せなことだなあと思い至りました。ありがとうです。

* * *

ここしばらく、ネイティブ・アメリカンのチェロキーの文化についての本を続けざまに読んでいて、その合間に、グアテマラ先住民キチェ族の方たちの、マヤのお祈りのセレモニーにご一緒させてもらっていました。

チェロキーの方の本では、書いてあることすべてがうれしくて。マヤのセレモニーでも、グアテマラから来てくださったペドロさん、ファビアナさんに一目お会いしたときから、もううれしくて。

Img_2697 セレモニーでは、色とりどりの花々や葉っぱや果物で整えられた、美しい輪の形の祭壇とその真ん中の炎を囲んで、素朴なマリンバの「聖なるしらべ」でステップを踏むおふたりはほんとうにすてきでした(写真は準備のときのもの。セレモニーが始まったら一切撮影してはいけないのです)。一緒にお祈りをするとき、うながされて初めて地面にほんとうにキスをしました(くちびるに、土が、ついた)……。

Img_2734 晩はセレモニーの会場になっていた湖畔の森でテントを張って泊まって、朝は鳥たちの声で目覚めました……。

以来、うれしい感じが持続していて…。大地ともう少しつながり直すための、きっかけをいただいたように感じてます。

ネイティブアメリカンの文化とマヤの文化、こまかいところがだいぶん重なっている、ということも実感しました。

そうこうしていたら、先日遊びに来てくれた友達が、なんの脈略もなく、ぽん、と、オーストラリア先住民に関する本をくれました。

今日になって読んでみたら、白人が入植してきたとき、白人の大規模な牧場で、キャンプ暮らしをしながら賃金なしで働くことを選んだ先住民の人たちがいたのは、「もともと暮らしていたその場所にある聖地を守るため」だった部分が大きかったらしいことがわかりました。

(そのキャンプ暮らしのときに、多くの女性が白人男性にレイプされて身ごもったのが、白人との混血のアボリジニの方が多くなった理由のひとつだったことも)。

先住民と呼ばれる人たちの多くには、大地との絆のような、大地への責任感のようなものが、ほんとうに深いことを、思いました。

*  *  *

何年か前、プロセスワークの「ワールドワーク」という会のために、初めてオーストラリアへ行ったとき出会った、アボリジニの方たちのことを、思い出しました。

世界各地から集まった280人くらいの人たちで、連日さまざまな問題を取り上げてワークをしたのだけれど、わたしはそのあいだ、みんながやいのやいのと発言しあっているのを見て聞いていて、変な精神状態になってしまって、大変だったのだけど。。。そのときのことは、前にも書いたので、おいておいて。。。

今日、思い出していたのは、最終日、飛行機の都合でみんなより一足先に会場を離れて早朝に空港へと向かった道中、同じく事情あって一足先に帰ることになっていたアボリジニのご夫婦と、3人でバスに揺られてたときのこと。

肌の色の白い奥さんのほうは、アボリジニ問題を取り上げたワークの最中、何度か立ちあがって発言をしたりしていた人で見おぼえがあったんだけれど、漆黒の肌をしただんなさんのほうはそういうことがなくて、目立つことがなかったので、この帰りのバスで初めてちゃんと顔を合せました。

しばらくみんな黙っていたけれど、そのうち、ぽつりぽつりと話しだして、その中で、(今回のワールドワークのテーマは「Listening to the Land」だったので)、「わたし自身は大地の声を聞けたかどうか、定かではないけど、大地は確実に私達の声を聞いたと思います」と言ったら、ふいに、「あなた、お名前は?」とだんなさんに尋ねられました。

もう空港への道中の半分は来ていたし、空港に着いたらお別れだし(彼らは国内線ターミナルで、私は国際線ターミナル)、大勢の参加者の中の1人だし、わざわざ今になって名前を尋ねるような状況でもなかったので、意外でした。

でももしかしてあれは、わたしが大地のことを(わからないなりに)、ああいうように話したからだったのかもしれないな、と今日思った。。

* * *

Img_0014 大地と連なってきた人たちを理想視するのも違うとは思うけれど、

自分はこれまでずっと、わがもの顔で大地をずかずか踏んづけて生きてきてしまったなー。。。もうなるべく、そんなふうにはしたくないなあと、思うから、

あの人たちのたたずまいに、学びたい。

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